霏々

音楽や小説など

sora tob sakana 解散によせて

昨日、2020年9月6日にsora tob sakanaのラストライブが行われました。そして、解散、と。本当にお疲れさまでした。そして、素敵な時間をありがとうございました。私は先日書いた記事でも申し上げた通り、割と遅めのファンなのですが、それでも「好きになることに順番なんて関係ないじゃない!」と恋愛戦争を繰り広げる女子中学生みたいなことを言いたい気分であります。

解散してしまうにあたって、sora tob sakanaの活動を自分なりに振り返り、一連の流れをつけてみた記事は以下のリンクの通りです。

 

eishiminato.hatenablog.com

 

今回は解散ライブとなったlast oneman live「untie」の感想を中心に書いていこうと思います。どちらかと言えば、淡々と。

 

 

 

◆ セトリ

01. whale song ※愛ちゃん「始めます」

02. ribbon ※紗幕の後ろでパフォーマンス

03. 夜空を全部 ※紗幕除

04. knock!knock!

05. 夢の盗賊

- MC-1 ~挨拶~

06. Lightpool

07. FASHION

08. 鋭角な日常 ※生(なま)火花

09. flash

10. Brand New Blue

- MC-2 ~演出と新衣装について~

11. タイムトラベルして

12. 秘密

13. シューティングスター・ランデブー

14. 魔法の言葉 ※イントロアレンジ

15. おやすみ

16. アルファルド

- MC-3 ~1公演分終わったね、まだまだ続くよ~

17. 乱反射の季節

18. 嘘つき達に暇はない

19. silver

20. My notes

21. ささやかな祝祭 ※バンド紹介(ソロ)

- MC-4 ~各種演出の振り返り~

22. 発見

23. パレードがはじまる

24. World Fragment

25. まぶしい

26. 夜間飛行

- 前半終了~休憩(30分)

27. 海に纏わる言葉

28. クラウチングスタート

29. Summr Plan

30. タイムマシンにさよなら

31. 新しい朝

- MC-5 ~ライブビューイング、配信について~

32. 帰り道のワンダー ※Acoustic ver.

33. 蜃気楼の国 ※Acoustic ver.

34. ブルー、イエロー、オレンジ、グリーン ※Acoustic ver.

35. 燃えない呪文 ※Acoustic ver.

- MC-6 ~Acoustic ver.について~

36. 透明な怪物

37. 踊り子たち

38. 夏の扉 ※後半、スタンドマイク

39. ありふれた群青 ※全編、スタンドマイク

40. ケサランパサラン

- MC-7 ~スタンドマイクについて

41. 暇 ※MC中にスタート、メンバーたちは前録のサンプラーで参加

42. Moon Swimming Weekender

43. tokyo sinewave

44. 広告の街

45. 流星の行方

- MC-8 ~感謝の言葉 for 関係者

46. 信号

47. New Stranger

48. Lighthouse

- MC-9 ~1人ずつ現在の気持ちを表明~

49. WALK

50. untie

 

sora tob sakanaのオリジナル曲、占めて50曲をやり切ってくれました。いや、オサカナの最初のオリジナル曲である「Dash!!!!」はやらなかったので、「照井さんプロデュース楽曲、全50曲」と言った方が正しいですかね。

こうして改めて提示されるまで、50曲という切りの良い数字だったということには気がつきませんでした。それにしても、どれも名曲ですね。4時間という長丁場でしたが、前曲披露してくれたのはとても嬉しく、まさに完全燃焼することができました。ファン歴が浅い私からしたら、初めてライブパフォーマンスを観る楽曲も多く、ラストアルバムの再録曲以外も、「今のオサカナちゃんたちが歌う」楽曲を聴くことができて幸せでした。中でも40曲目の「ケサランパサラン」はシャッフルビートに気持ちよく乗って歌っているのが印象的で、音源収録時からの著しい成長を感じることができました。

と、この調子でいつもの私のスタイルに則って全曲の感想を書き記しても良いのですが、今回はやめておきましょう。感想を書くからにはもう一度頭からライブを観直さなきゃいけませんが、とてももう一度この濃密なライブを観るだけの精神力を私は持ち合わせておりません。解散から1日経ったわけですが、未だに私の胸はあらゆる感情でいっぱいになっており、これ以上の何か(たとえそれが靴に入り込んでしまうような小石であったとしても)を投げ込めばまた体液が受光器官から浸み出してしまいますからね。

 

◆ 気高さについて

sora tob sakanaの活動に関するお知らせ -sora tob sakana Official Website-

上記リンク先-公式HPの解散発表のメッセージの中で、照井さんはオサカナちゃんたちをして「気高い」と表現していたのですが、私にはいまいちこの「気高い」というニュアンスについて理解しきれていない部分がありました。確かに、オサカナちゃんたちの表現する無垢さや純粋さは、汚れた手では触れることさえ赦されないような「神聖さ」のようなものがあると感じていました。しかしながら、まるで伝説の勇者か何かを形容するような「気高い」という表現は正しいのだろうか……まぁ、照井さんなりの表現ということなのだろう。愚かしい私はそんな風に思っていたわけです。

が、このラストライブを観てみて、「なるほど。照井さんの言う『気高い』とはこういうことだったのね」と納得させられました。

まず、ライブ全編を通して、メンバーが誰も(完全には)泣かなかったというのが彼女たちの「気高さ」を何よりも物語っているように思いました。泣かないどころか、曲間のMCだって、悲壮感を漂わせるでもないし、お涙ちょうだいでもないし、無駄に気合が入っているという感じでもないし…と、いつものように終始取り留めのない雰囲気でした。二枚どころか八枚くらい舌があるのではないかと自分で自分を疑いたくなるほどお喋りな「この私」が前章で淡々とセトリを書き並べるだけに留めざるを得ないほどに。彼女たちがあれだけ淡々と、粛々とパフォーマンスに専念しているのに、ただの腐れファンである私があれやこれやとだらだら書き連ねるのも違うか、と思わされたわけです。まぁ、お気づきの通り、既に私は余計なことばかりをだらだらと書き連ねているわけですが。

確固たる決意を持って解散に踏み切ったからこそ、こうした芯のあるラスト・パフォーマンスができたのだな、と思いました。Berryz工房カントリー・ガールズに所属していた伝説のアイドル「嗣永桃子」さんも、自らの卒業時には泣きませんでした。これは彼女の「人を楽しませたいなら、泣いてはいけない」という信念から来るものでした。これはこれで気高い意志・信念だと思います。オサカナちゃんたちはたぶん嗣永桃子さんと同じ信念から泣かなかったわけではないでしょう。嗣永桃子さんの信念を胸に卒業ライブに臨んだ後輩たちは、嗣永桃子さんの卒業ライブでものの見事に泣いていましたし、「泣く」・「泣かない」という表面的な二択においてすら、個人のモチベーションは異なっているのが普通です。ですから、オサカナちゃんたちもきっと1人ひとりが抱える理由や信念、感情からただ泣かなかっただけだとは思うのですが、それでも私には「sora tob sakana」のメンバーとして涙を見せないことの意味を強く感じました。

つまり、「sora tob sakana」の世界観を表現する上で、「涙」というものは不似合いという認識が少なからず彼女たちにはあったのではないかな、と。最初にリンクを貼った、前回の記事でこれでもかというほど書いたように、オサカナの世界観は一貫して「イノセンス」・「ジュブナイル」・「ノスタルジー」でした。しかし、それは私たち大人が過去を思い返して、胸に湧きあがらせる切なく愛しい郷愁とは少し時間軸が異なります。彼女たちは常に現在から未来の方向へと伸びていく郷愁を表現しているのです。正確に言葉を選ぶのがとても難しいのですが、彼女たち自身が表現するのは、つまるところ「郷愁」ではないと思うのです。部活に打ち込む中学生を見て、そのひた向きさに私たちは「郷愁」を感じますが、当の本人たち(中学生)は「郷愁」を抱きながら日々の練習に励んでいるわけではありません。そんなような時間軸のずれが、私たちとオサカナちゃんたちの間にはあるわけです。というか、その時間軸のずれを意図的に作り出しているのが、sora tob sakanaの世界観と言っても良いかもしれません。

もちろん、前回の記事で喋り倒している通り、彼女たちの表現の方法や切り口というものは、彼女たちの年齢、オサカナとしての時代とともに変化してきました。初期は、まごうことなきジュブナイルのリアルタイム性がありましたし、中期は思春期らしさや青春っぽさを前面に出し、その年頃の子たちが感じるであろう微量のノスタルジーがありました。後期は、そのままノスタルジーの成分を高めるのではなく、青年期から大人になるのではなく、人間的な次元を抜け出し、天使のような神聖さの獲得を目指していたように思います。ジュブナイルやノスタルジーからイノセンスという成分だけを抜き出すような…すみません、後期ばかりはやはり本当に表現が難しいのです。

しかし、いずれにせよ、彼女たちはやはり私たち穢れた大人とは異なる次元や時間軸から、「イノセンス」・「ノスタルジー」・「ジュブナイル」を表現していたことは間違いないと思っています。であればこそ、彼女たちはその「sora tob sakana」の世界観を表現する上で、安易に泣いてはいけません。「泣く」という行為は、「悲しさ」や「切なさ」、「寂しさ」の表れです。オサカナが全く以ってそういった側面を表現していないというわけではないのですが、彼女たちは当初からのグループコンセプト通り、「空を飛ぶことを目指し、常に空を見上げて、成長していく存在」なのです。彼女たちに見えるのは、「前」や「未来」だけなのです。時折、少し振り返ってみたりしますが、私たち大人が感じるような過去との完全なる隔絶がそこにあるわけではありません。当然、時間は一方向にしか流れないため、振り返ったとてそこに戻れるわけではないのですが、しかし彼女たちは確かにまだ同じ時間平面上にあり、手を伸ばせばきっと届きそうな…そんな過去に対する微妙な距離感があるからこそ、少し悲しく切ない曲ですら、それはほとんど同位置と近似できるようなノスタルジーとの親和があるわけです。と、自分でも何を書いているのかわからなくなってきました(笑)

話を戻しますと、「逆に泣かないのが子供っぽい」ということです。冷めた子供…というよりは、恥ずかしがり屋な小学生であった自負がある私は学校の卒業式というもので泣いた記憶がありません。まぁ、寂しいは寂しいし、悲しいは悲しいわけですが、それでも「泣くのはなんか違うな」と思っていました。号泣する女子を見れば、逆に涙は引っ込みましたし。いま思えば、実に子供っぽい「強がり」に過ぎないのですが、そこにはやはり何か「泣くのはなんか違うな」という微妙な不文律があったように思います。だって、今生の別れというのでもないですし(実家が近いからこそ、同じ小学校や中学校に通っていたんですし)、何より明日から別々の環境で生活していくということにリアリティを感じられませんでした。しかし、それはきっと私がまごうことなき「青春時代」の真っただ中にあったことを証明しているはずです。別れを惜しんで泣くのは、成熟してくたびれた大人がすることだと思います。だからこそ、sora tob sakanaのようなあまりにも「イノセンス」を押し出した世界観には、「別れの涙」は相応しくないように感じられます。

オサカナちゃんたちの思惑や、信念のようなものがあったことは間違いないと思いますが、そういった「sora tob sakana」という世界観が彼女たちの涙腺を強く縛り付けていたのかな、なんてことを思い、そしてそれに準じた彼女たちの気高さを私もまた稀有で尊いものだと思ってしまいます。

 

◆ 寺口夏花(なっちゃん)の言葉

(意訳)6年間応援してくださってありがとうございました。sora tob sakanaがこのメンバーで良かったと思うし、sora tob sakanaというグループで本当に良かった。私たちはきゃぴきゃぴするのが苦手だし、決められた世界観の中でやってく方が向いてたから。6年間色々あって…例えば、どの大人を信じていいのか、とかそういうのがいっぱいあったし、まぁ、そういうのを学んで来れたから良かったかな、って。あと、ずっと思ってたのは、ラジオがとても好きなので、みんなでレギュラーのラジオができたのが嬉しくて、1番の想い出かも。あと、何かな。考えて来てくださいって言われたけど、そんなこと考えられない…私たちはほんとにクソガキだったので、周りの大人には本当に迷惑をかけて、ごめんなさいって思います。でも、後悔はないかな。ごめんなさい。これからがんばって直していこうかな、と思う。6年間、じゃない人もいるかもしれないけど、たくさん応援してくれてありがとうございました。

 

あらかじめ断っておきますが、なっちゃんだけに限らず、全メンバーに関して、完全な引用でなく、ざっと内容をまとめた「意訳」的なものです。実際は敬語だったり、もっと丁寧な言葉を使っていますが、長ったらしくなるので、端的にまとめてみました。

というわけで、まずはなっちゃんの言葉について、思うところを喋ってみたいと思います。

まず、なっちゃんの言葉から感じた印象は、やっぱりアイドルとしてステージパフォーマンスをすることに多少なりとも苦痛があったのかな、というところです。公式HPの解散発表時のメッセージでも、「自分は人前に出るのが向いてないなと思うことがだんだん増えてきたように感じます」と書いていましたし。でも、そんな自分の逃げ出したい気持ちと戦いながら、こうして解散という瞬間までステージに立ち続けてくれたことには本当に1ファンとして感謝しかありません。なっちゃんの飛びっきり子供っぽい声や、グループのバランサーとして細かい気配りができるところなど、sora tob sakanaにはなくてはならない存在だったと思います。

その中で「ラジオ」っていう前向きに取り組めることが見つかり、活動に楽しみを見いだせて本当に良かったな、とまるで親心のように思います。「どの大人を信じれば良いか」や「クソガキだった」という言葉からは、アイドルとして矢面に立たされる存在と、それを影から制御しようとする存在との微妙な関係性のこじれがあったのだと推測されます。まるで、ヱヴァンゲリヲンみたいな感じですけれど。でも、「私たちアイドルは目立ちたい。あなたたち大人は私たちで儲けたい。ってことはWin-Winでしょ」みたいなある種の割り切りを持ち出さずに済んだのは良かったことだと思います。所謂アイドルらしいことが得意でない(自称)のなっちゃんだからこそ、1人の人間として気高く、そして優しさを持って活動できたのではないでしょうか。そして、そういった側面が少なからずsora tob sakanaの世界観を強固にし、ある面ではプロデュースを取り仕切る照井さんにも影響を与えたことと思います。

自分の過去を愛することの難しさについては、私も一家言をもっている私ではありますが、願わくばなっちゃんの人生において、このsora tob sakanaというグループが愛すべき過去になってほしいものです。

本当に6年間、お疲れさまでした。そして、活動を続けてくれてありがとうございました。

 

◆ 山崎愛(まなちゃん)の言葉

(意訳)本日は来てくださってありがとうございます。ついにラストライブをやることになって…えーっと、待って。考えます………長い間、お世話になりました。本当に長くて、6年間ってのは、小学生だったら卒業しちゃうくらい。ぜんぜん薄い時期がなかった。めちゃくちゃ濃くて、びっくりするくらい色んなことをしてきた。あんまり、普通に学生やってたらできないことやらせていただいて、本当に貴重な経験ができた。えっと、なんか楽しいこと、めちゃめちゃやらせてもらえた。今日も楽しく終われたらいいな、と。みんなも全力で最後まで楽しんでいっていただけたら。えっと…応援ありがとうございました。 

 

ぜんぜん上手く喋れず、たくさん考えながら喋る姿からは、まなちゃんの愚直さを感じました。そして、上記の「意訳」からは伝わりませんが、尊敬語・謙譲語・丁寧語をとにかく頑張って使おうとしているのも、実にまなちゃんらしいです。ネガティブなところが愛おしいなっちゃんとは正反対で、まなちゃんは本当に前向きで、全てを真っ直ぐ受け止められる強さがありますよね。

いつもどちらかと言えば、良い意味で「能天気」っぽいポーカーフェイスで、さらっとパフォーマンスをしている印象のまなちゃんが(頑張って拍子をカウントしているのがそう見えているだけなのかもしれませんが…)、ラストライブでは何度も表情をしかめていました。「泣きそうなの我慢しているのかな?」と勝手に推測していましたが、豊かな表情のまなちゃんが見られて、個人的にとても記憶に残るライブになりました。メンバーと顔を合わせる以外のところでも、歌いながら笑っているのが見られて、楽しんでいるのが伝わってきてよかったです。ライブ中ではMCを任される部分が多いのか、噛み噛みな姿だったり、曲振りを忘れてしまう姿だったり、らしさ全開で素敵でした。

繰り返しになりますが、なっちゃんとは対極的に、まなちゃんの全てを肯定的に捉える力は本当に素敵な個性だと思います(なっちゃんのネガティブさも本当に素敵な個性だと私は思います。私個人的には、なっちゃんにはシンパシーを、まなちゃんには憧れを感じています)。6年間の活動を振り返り、濃密で素敵な経験ができて楽しかった、と言えるのはそれがオブラートに包まれたものだったとしても、本当に凄いことです。私もそろそろ転勤の挨拶をしなければなりませんが、まなちゃんを見習って、頑張って前向きな言葉を発したいと思います。

そして、「自分は楽しかったから、ファンのみんなも最後まで楽しんでもらえたら…」という言葉はもう飛びっきりですね。優しく、慈愛に満ちていて、どこまでも気高いまなちゃんの精神があったからこそ、sora tob sakanaイノセンスは保たれていたとも思えます。たくさんの幸せをありがとうございました。これからも、まなちゃんの素敵な人生をがんばってください。

 

◆ 神﨑風花(ふぅちゃん)の言葉

(意訳)本日は、来てくださった方、ライブビューイング、配信観てくださってる方、本当にありがとうございます。まぁね、今日が解散ライブということで。この状況下でライブを行うわけですけど、ずっと解散については話し合ってきてて、時期とかもすごく悩んだけど、前向きな解散ということで、今日を区切りにしたいなって。まぁね、6年間続けてきたことが明日からなくなるっていう…明日からどうしようね。明日から一般人だよ(なっちゃん:明日は寝るよ)。明日から、今この瞬間も思い出したら懐かしくなるんだろうな、と思うと感慨深い。やっぱり、何よりも6年間、出会ってくださった方に感謝を伝えたい。やっていないと、私はここまでの人間になれなかった。交わってくださった全ての方に感謝を伝えたい。これからは、それぞれみんな別々の道になりますが、えー、これからも皆、ここにいるすべての皆さん…え?ちょっと待って、なに言おうとしたんだっけ…あ、ここの3人だ。間違えた。間違えました。あの、ここの3人、これから進んでいく道はばらばらですが、これからもそれぞれ応援してくださると嬉しいです。ということでね、はい、締めたいと思うんですけど…ありがとうございます。えー、改めて…6年間という活動でしたが、私たちsora tob sakanaを好きになってくださって、本当にありがとうございました(みんな:ありがとうございました)。

 

「意訳」を書きながら、「長いな…」と「誰が言ってんだ!」的な自分へのツッコミを入れる羽目になってしまいました。ふぅちゃんの生真面目さが本当に愛おしいです。ちゃんと、「来てくださった方」・「ライブビューイングの方」・「配信視聴の方」の全方向に細かくお礼を言ってしまうんですから。「まぁね」という口癖も可愛いですが、自分で自分が何を言ってるかわからなくなって、「え?」とキレ気味で言ってしまうところも、圧倒的に可愛かったです。

白状すると、私はふぅちゃん推しです。初めてちゃんとオサカナを観ることになった「Lightpool」の時点でも好みの子だな、と感じていましたし、「knock!knock!」のMVではDメロの憂いを帯びた表情に射抜かれ、ようやく「神﨑風花」という名前を覚えました。「World Fragment Tour」の付録BDでライブ映像を観て、ふぅちゃんのパフォーマンスに魅了され、そこからはsora tob sakanaというグループをより深く愛せるようになりました。表現力が高く、何よりも楽しそうにパフォーマンスしている姿が印象的で、ラストライブの最後の楽曲「untie」のラストカットでも見せた「(≧u≦)」みたいな表情が本当に大好きです。照井さんのメンバー評では、「他人に無関心」と書かれていましたが、私が全面的に推しているJuice=Juiceの宮本佳林ちゃんもどこかそういったところがありますし、単純にそういう所謂一人っ子っぽい子が私のタイプなのかもしれません。

 

realsound.jp

 

ちなみに、引用した照井さんのメンバー評は上記リンクのインタビュー記事です。

話を最後の言葉に戻しますが、コロナを踏まえ、そして解散に至ったことをきちんと話そうとしている辺りもまた、ふぅちゃんらしい生真面目さが表れているように思います。最終的に、別々の道を歩む3人の未来について触れているところなども、素敵なところですよね。

活動を通して、出会ってくれたことに対して感謝を述べてもいますが、ふぅちゃんは本当にタレント力が高いと感じさせてくれます。何となく、私が個人的にアイドルにとって重要だと思っているのは「感謝する心」だったりします。また宮本佳林ちゃんの話で申し訳ないのですが、デビュー時に既に応援し続けてくれたファンへの恩返しを公約に掲げてている佳林ちゃんはそんな「感謝の心」の体現者だと思います。その点については、以下のリンク先の記事で話しています。

 

eishiminato.hatenablog.com

 

まぁ、今はオサカナの話なので、あまり他のグループを持ち出しても興ざめしてしまいますよね。ただ、私が言いたいのは、ふぅちゃんの魅力とも言える「表現力」や「タレント性」というのは、意外とこの最後の言葉の「感謝」にも表れているんじゃないかと思うわけです。

かなり打算的な意味合いが濃くなる話をしますが、なぜ「感謝」できるのかということについて考えてみます。つまり、ふぅちゃん(や、佳林ちゃん)はタレント活動を愛しており、それを続けていくためにはファンや周囲の人たちからの応援が「必要」なのです。だからこそ、その応援の対価として「感謝」をすることになります。このように論を並べると、とても打算的で卑しく感じられてしまいますが、論を逆に組み立てていくと、印象が変わります。すなわち、応援に対して「感謝」をしてしまうくらい、今の活動が好きで、そこに全力で取り組んでいるということです。ふぅちゃんの表現力を含めたタレント性は上記の照井さんのメンバー評でも「全てのスペックが高い」とあり、ふぅちゃんがそれだけ今の活動を楽しんで、真摯に取り組んでいるということの表れともとることができるでしょう。

メンバーの中で、唯一未来を語っていることからも、きっとふぅちゃんには今後のやりたいことが決まっているのかもしれません。sora tob sakanaでの経験を糧に、これからもがんばってください。またふぅちゃんのパフォーマンスがどこかで観られることをずっと楽しみにしています。その時は、またたまにで良いから、オサカナの楽曲を歌ってくださいね。いつまでも、その透き通るような無垢の精神で。

 

◆ sora tob sakanaとしての集大成

全楽曲を披露するというラストライブでしたが、まさに集大成と呼ぶにふさわしい内容でしたね。ゼルダの伝説~トワイライト・プリンセス~で、ザントがこれまでの全てのダンジョンのボスになぞらえた攻撃をしてくるような…いえ、「集大成」の比喩がそれくらいしか出てこなかったもので。

時期によって、グループのテーマである「ジュブナイル」の表現の切り口が変わっていることは既に述べている通りですが、こうして「今」のオサカナちゃんたちが過去から現在に至るまでの全楽曲を構築し直してくれたというのは非常に意味のあることだと思います。どう言ったら良いか…これも本当に難しいのですが、sora tob sakanaという存在を今一度、その全身を具現化し、固定するような感じとでも言えばよいでしょうか。口伝などでばらばらに伝承してきた神話を、改めて「古事記」という1つの書物にまとめ直した…うーん、これも違うか。

なんというか、ただ「あぁ、こんな楽曲もあったよねぇ」と懐かしむだけじゃない、もっと意味のあることだと思うのです。新旧に関わらず、全てがsora tob sakanaという世界線の中で等価になる…みたいな。これらすべての楽曲と、それをパフォーマンスするオサカナちゃんたちと、照井さんを筆頭とするバンドメンバーや映像のTONTONさん、全ての結晶が「sora tob sakana」という象徴を余すところなく定義しているような感じとでも言えば良いでしょうか。「これぞ、sora tob sakanaだった!」という感じなんですよ、とにかく。何よりも、メンバーの成長とともに、まるで陽が昇り落ちていくようにして、世界観が微妙に移り変わって来たオサカナだからこそ、そのときそのときのリアルタイム性に則って表現してきたオサカナだからこそ、「今」の姿で全ての楽曲を披露することに尚更の意味があったように思うのです。

ribbon」から始まり、「untie」で終わる。そんなことはもう言い尽くされている感がありますが、まさに「sora tob sakana」という存在を結晶させ(結び)、最後にはそのすべてが幻であったかのように解けていく…という実に素晴らしいライブだったと思います。

 

◆ 「untie」で見せた演出

例えば有名どころで言えば、山口百恵が最後にステージ上にマイクを置いていく演出なんかがありますが、オサカナちゃんたちの最後のシーンもまたそれに匹敵する強烈な印象を残してくれました。きっと、あの天界のような雲海の中で光となって消えていったオサカナちゃんたちの姿が生涯を通して記憶に刻み付けられたというファンの方も多いんじゃないでしょうか。

大事なことなのでもう一度言います。

オサカナちゃんたちは、天の雲海の中で光となって消えていきました。「sora tob sakana」という自分たちの名を残して。しかし、その淡い光の文字も、まるで闇夜に花火で描いた文字のように、あっという間に消えて幻になってしまいます。

彼女たちは確かにそこに存在していたわけですが、本当は彼女たちは存在していなかったのではないかと思わされるほどの演出です。本当に幻想的かつ神秘的かつ淡く儚い、まるで天使か妖精みたいな存在に思えてしまいます。ふぅちゃんの言葉を借りれば、あのスモークが晴れ、ステージ上から彼女たちが姿を消しているのを見た瞬間にはもう、「既にsora tob sakanaという時間を懐かしく思っている」私がいました。これこそがすなわち、私たちがsora tob sakanaに求め続けてきた「ジュブナイル」であり、「ノスタルジー」の真の姿とも言えるでしょう。こんなにもコンセプトを全うし、深い感動を胸に刻み付けてくれた人たちが過去にいたでしょうか。

まぁ、過去や未来、世界を見れば、いないと断言することはできないのですが、しかし、とにかくこの感動は何ものにも代えがたく、唯一無二な光となって、今後も私の中で消えることのない灯をともし続けることでしょう。なんて、気取ったことを最後に書いてみます。

 

最後に…

本当に素晴らしい感動をありがとう!!!

いつまでもオサカナのことを想い、愛し続けるとここに誓います。

このところ次々と、かつての同級生が神父の前で生活感溢れる相手と同じような誓いを立てているリアルを目視していてもなお、私はこの誓いを声高に宣言できるほどに幸福であります。

が、とは言え、解散は寂しいです。

最近会社の同期の女の子に「好きな子できた?」と聞かれ、「〇〇ちゃん(←アイドルではないです)なんかはすごい良い子だよね。ファンなっちゃうわ」的な発言をしたら、「良いわぁ。そういう恋愛の初期段階的なヤツ。羨ましい。あ、別に彼氏と上手くいってないわけじゃないよ」と返されました。確かに私が名前を上げたその子は良い子であることは間違いないのですが、しかし私のこの燃え盛るような恋の熱情はアイドルのために存在しているのです。

誰がなんと言おうと、私はシミケンさんが提唱する「三権分立(恋・性・生活)」を支持します。「アイドル(恋)」・「風俗 or AV(性)」・「女友達(生活)」こそが私の未来だ…!

とまでは言いませんが、少なくともこの胸の締め付けは、とてつもないものがあり、意図せずして私は私の青春時代を思い出してしまいます。あんな私でも恋をしていたのですね。オサカナに気付かされました。消えることのない恋心を照井さんとオサカナちゃんたちに捧げます。