霏々

音楽や小説など

霧氷 #1

霧氷

 

 大学生の頃の記憶と言うとほとんど暗闇と安い酒の匂いばかりだ。朝が来ることを呪い、カーテンを隙間なくぴっちりと閉め、二日酔いを患いながら、騒々しい車の往来にイヤホンで耳を塞いだ。

 もともと国道近くにアパートを借りたのが間違いだったのだ。

 四六時中わけもわからぬ有象無象がアパートの目の前の道を行ったり来たりしていた。人間は常に行き場所を求め、ガソリンを燃やし、世界のエントロピーを着実に増大させていた。エントロピーが増大する方向が時間の進む向きだと気づいてからは、あるいはやむを得ぬとそういう事たちをある程度許せるようになったかもしれない。もし、許すという行為が諦めと手を繋いでいるのだとすれば。

 安い酒の話をしよう。

 人生には二つの時間しか存在しない。酔っ払って正気を失っているか、二日酔いに苦しんでいるかだ。批判を恐れずに言うのであれば、神の子たちが我らが人類の苦しみを背負っているように、僕もまた二日酔いを背負っていた。ある小説の中で、宗教の唯一の目的は神と同じ意識や視点を手に入れることだ、とあった。若き日の僕もまたその言葉に感化され、安い酒を煽っては、神と同じ苦しみにさらされているのだと自己陶酔に浸った。

 だから二日酔いは僕の唯一の友であり、苦しみを手土産に彼はやって来て、そして手品のようにぱっと自己陶酔に変化する。しかし、手品というのは何度も見ているうちに否が応でも種や仕掛けが見えてくるものだし、仕組みがわかってしまうと残るのは訓練と演技だけだ。目の前に翳される左手。視線を誘導し、その間に右手が種を仕掛ける。汝の右手のなすことを左手をして知らしむる勿れ。そんなの嘘だ。右手と左手はまさに言葉の通りに手を取り合い、そして言葉で思考を特定のレールの上に乗せ、あとは背中をそっと押すだけ。それらの所作がいかに自然に見えるかが手品の肝だ。

 そういうわけで、何よりもまず大事なのは、二日酔いを覆うようにしてまた酔っ払うことだった。

 とにかく安かろうが不味かろうが酒を煽れば、無数の手が目の前に現れて、そこにあるコインを隠してくれる。無数の手の間をコインは渡り歩き、ぱっとそれは姿を消す。最初は不安と不可思議とか綯い交ぜになった感情が僕を捉える。しかし、何度もそんな手品を見せられていると、次第にその消滅と不在は期待へと変わっていく。消えたコインは次にどこから姿を現すのだろう。僕がそんな期待に胸を膨らませていると、一つの手が目の前に現れ、指をぱちんと鳴らす。次の瞬間、思いもよらぬところからコインが現れる。いや、あるいは期待通りのところからそれが姿を現す。

 安い酒が具体的に何を示すのか、念のため紹介しておこう。ウイスキーならブラックニッカやトリス。ワインなら、プラスチックのボトルに入った名もないものだ(その中でもできるだけえぐみの強い赤ワインを僕は探し続けた)。ほか、コンビニで売っているようなアルコール度数9%の缶チューハイ(この味が苦手なので、よっぽど死にたいときでないと僕はこれを買わない。買ってそれを飲んだところで死ねはしないのだが)。

 いかにも金のない大学生が飲みそうな酒だ。就職して手に残るものが増えてからは、もっと良い酒も飲むようになったが、遠くから過去と現在を比較してみると、いったいどちらが良いのかときに僕はよくわからなくなる。おおよその場合において、時間に押し流されたものは美しく見える。例外があるとすれば、自らの手で脱却したものがそれだろう。僕の場合であれば、それは虚栄心であり、僕がかなぐり捨てた虚栄心に対して、安い酒のような懐かしさを僕は抱かない。

 安い酒にまつわる僕の懐かしい思い出話はいくらかあるけれど、その中の一つを今日は思い出してみる。窓の外では雪がちらつき、暖房機がごうごうという音を立てている。部屋には僕一人きり。音楽はD.A.Nの「Bend」を流す。

 きっかけなんてものはどこにも転がってはいなかった。あの日、確か僕は昼過ぎから酒を飲み出したように思う。そういうことはかなりの頻度であったから、要するに何の変哲もない日だったということだ。砂粒のような見分けのつかない日々。意味もなく指先で摘まみ上げ、今度は指先をこすり合わせて、ぱらぱらと皮脂に吸着する砂粒を払い落とす。

 しかし、その日は僕には珍しく、すぐに酔いが回って眠気がやってきた。まるで頭が意識というものに愛想を尽かして、それを放り出したような感じだ。デフロスターに殺される車のフロントガラスの曇りのようだった。それくらいすんなりと僕は眠りに誘われる。そして、目を覚ますと夕焼けの緋色に部屋が燃えていた。壁では哀しい僕の影が黒く身を固めている。平和な映画を観終わった後のような掴みどころのない静けさが僕の心の隅に座っている。眠る前に意識を放り出してしまっていたことが幸いした。完全に日が暮れ、親しい夜がやって来るまで、トイレに行ったり、シャワーを浴びたりして、自分が途方に暮れていることにも気づかないまま時間を押し流す。そう言えば、どうしてあのときはカーテンが開いていたのだろう。酒を飲んでいるうちに、雲を見たくなったのかもしれない。

 その日の夜もまた僕には親密であり、ノイジーな音楽は若い僕の耳と心を捉え、気分は悪くない。強いて言うなら、ボトルの中にはほんの2センチほどしかウイスキーが残っていなかった。無くなる前にスーパーまで買いに行かなければとは思うけれど、まだ8時だ。がやがやとした店内を想像しただけで、羽虫が飛び交うような苛立ちを全身の骨の隙間に感じる。久しぶりに得られた親密な気分を損ないたくない。言っておくが、対象なんていなくても人は親密な気持ちになれる。あるいは、僕は親密という言葉の使い方を間違っているのだろうか。

 それはそれとして、僕は辛抱強く10時を待った。10時以降のスーパーなら許すことができる。唇の右端にほくろのあるあの子は、今日はシフトが入っているだろうか。あの子に会えると思えば、僕の重い腰も少しは軽くなった。名前なんて覚えられもしないけれど、それでも僕にだってまだ人に好意を寄せるくらいの力は残っていた。少なくともその名も知らぬ子のために、顔を洗ってから家を出るくらいの気持ちにはなることができた。

 部屋の中で語らう夜と、外界の夜はまるで別人のようだ。毛布とテーブルクロスくらい違う。しかし、そういったことは一旦考えないようにした。僕が求めているのは、一本のブラックニッカのボトルと一本のコカ・コーラ、それからミックスナッツ。それだけだ。一応、総菜コーナーに一通り目を通し、食欲をそそられるものに限って半額になっていないことに現実社会の厳しさを思い知らされてから、僕はレジに向かう。今日はあの子はいない。

 部屋に戻り、再び遠浅の酩酊に足を踏み入れる。音楽のおかげでいくらか気分は良い。けれど、昼間にぐっすりと眠ったせいでなかなか寝付けないでいるとフラストレーションが溜まって来る。何かがうまく噛み合わない。昼間はあんなにもぴったりと気分と身体が合致していたのに。何がダメなんだろう。酒の種類か。たしかに、もう自作のコークハイにも飽きてしまった。

 この気持ちはビールなのかもしれない。そうだ、スーパーではあの子にも会えなかった。僕はビールを飲むべきだ。あの無垢な金色の液体を身体に流し込もう。

 僕は財布をスウェットのポケットに突っ込み、ひとしきり腹を掻く。そう言えば、このスウェットはいつから洗っていなかったかな。少し匂う気もするが、まぁいいだろう。この世界には僕一人きりなのだから、何を気にかけることがあるだろうか。腹も掻き終わったので、部屋を後にする。

 さっき行ったばかりのスーパーには行く気にはならなかったので、とりあえずスーパーとは反対方向のコンビニを目指した。夜の住宅街に浮かぶ光の船、コンビニエンスストア。くだらない比喩が口から零れ落ちる。冷蔵ケースの中には色とりどりの缶ビールが並んでいる。どれも蠱惑的だ。味なんて正直なところどうでもよかった。文字通りの目移りを繰り返し、ようやく僕は緑色をした缶ビールを選んだ。レジで支払いを済ませ、店を出るとすぐに缶ビールのプルトップを押し割り、喉を潤す。草原を渡る風を喉に感じる。またくだらない比喩だ。背中からはコンビニの無機質な光を浴び、駐車場の隅に立つ街灯の光を眺めて、二口目のビールを飲む。少しずつ気分が落ち着いて来るのを感じる。缶の三分の一ほどを飲んでからようやく僕は歩き出す。

 が、歩き出してみるとまだ部屋に帰るという気持ちにはなっていないことに気がつく。どうせ部屋に戻っても誰も待っていやしないんだ。つけっぱなしにしてきたテレビが一人でお喋りを続けるだけだ。どうせ中身のない話だ。部屋を出る時には、若手の演技派俳優がフェティシズムについて語っていたが、女性のほくろが好きだと話していて、僕はなんだか恥ずかしくなった。改めてあの子の名前をきちんと覚えようと思う。胸に名札がついていることはわかっているんだ。

 しばらく適当に歩いていると、別のコンビニが見えて来た。ちょうどビールも飲み終わりそうだ。今日はまぁ素敵な一日だった。少なくとも昼間は。そんな日くらいは好きなだけ酒を飲んだってバチも当たらないだろう。僕はまたコンビニに入り、今度は青色の缶ビールを買った。そして、しばらくビールと夜に思いを馳せる。そして、そこには何もないことを再確認する。ただ、何もないなら何もないなりに、自分の心が空間に投影されていくような感じがある。僕の心は何かを求めているけれど、それが何かは一向にわからない。もう少し歳を重ねればそんな状態も受け入れられるようになるのだろうけれど、僕の若さはそれが受け入れられずに鬱屈とした想いに捕らわれる。

 だから、というわけでもないのだろうけれど、僕はさらに自分の部屋から遠ざかるように足を運ぶ。夜道ではあったがどちらに進めばよいかはちゃんと心得ている。より孤独に胸がくすぐられる方向へ歩いていけば良い。誰もいない僕の部屋。テレビも電気も点けっぱなし。それでもそこから離れているという実感は僕を寂しく心細い気持ちにさせた。

 ビールという松明を夜に掲げる。半分以上欠けた月が口角を持ち上げるように笑う。やけに芝居がかった気分だ。悪くない。

 昔。13歳くらいのことだったか。好きでもない女の子から、「わたし、背が高い人が好きなんだよね」と言われたことがある。テレビドラマか何かの話をしていたときに、ふとその女の子がそう言ったのだと思う。その時の僕は前から4,5番目くらいには背が低かった。だから、いくらその子のことを何とも想っていないとはいえ、僕はそれなりに傷ついた。思えば、その頃の僕は自意識過剰でナルシシズムの強い人間であった。なんだかんだ言って、僕の周りにいる女の子はみな僕のことを好きなのだと割と本気で考えていた。

 さすがにもうそんな幻想を抱くことはできないくらいに、僕は世間にけちょんけちょんにされてきたけれど、それでも根本的なところは変わっていないんじゃなかろうか。そうでなければ、こんな風に缶ビール片手に月を仰いで夜の住宅街を跋扈したりはしないだろう。要するに僕は僕で、なんてしょうもないことをしているんだ、という自虐に酔い痴れているだけなんだ。そして、そんな風に自らを客観視していることにすら、またやり場のない悲しみを覚え、それを楽しんですらいる。ほんとうにどうしようもない。

 自虐と客観視は合わせ鏡のようで、どこまで行っても終わりが見えない。鏡面で折り返す度に、先に進んでいるような気がするけれど、実際は同じ空間を行ったり来たりしているだけだ。それだのに、何故か缶ビールの中身だけは順調に減り続けた。

 次のコンビニを見つける。

 いつの間にか夜の散歩は、スタンプラリーの様相を呈してきていた。コンビニを渡り歩き、そこで缶ビールを買う。光沢のある色とりどりのカラーリング。街灯の光を照り返し、気泡を燻らせる。害のない間の抜けたミュージック。店員が噛み殺す欠伸。にっこり笑いながら客を待つATM。夜道を黄色に染める自動車のヘッドライト。寝静まる一軒家で、二階の通りに面した一室だけに明りが灯っている。受験生が夜更かしでもしているのかもしれない。小川にかかる橋を渡る。水の流れは止めどない。川底の水草が身をのけぞらせて、僕と一緒に月を見上げている。上空では見事に灰色に塗られた雲が気ままな速さで東へと流れていく。時折風が吹きつけて、どこかから土と樹の匂いを運んでくる。空になってしまったビール缶を握り潰して、手首だけで振ってみると、かすかな水音がした。砂漠。缶を逆さまにして、天を仰ぎ、舌先で雫を受け止める。

 星座をなぞるように、コンビニという点を繋いだ。無理やりこじつけでもすれば、このスタンプラリーにも星座のような意味を持たせることもできるかもしれない。ハヌマーンの「アパルトの中の恋人達」という曲にそんなような歌詞があった。僕が考えるよりもずっとロマンチックだけれど。僕が言葉にすると、どれも不格好でどこかもっさりとしているな。吟遊詩人に憧れる。何となしに息を吸い込んでみるけれど、言葉もメロディも何も頭には思い浮かんで来やしない。形になり損ねた吸い込んだ空気はただの溜息となって夜に溶けていった。自分の無垢な希望に対して罪悪感を感じながら、潰れたビール缶をもう一度逆さまにしてみるけれど、もう何も落ちてはこない。

 次のコンビニを求めてしばらく歩いていると、大きな交差点に出くわした。青色の看板に白字で地名が書き込まれている。

 その中のひとつの地名に僕は心をそそられた。

 僕の唯一の羅針盤は、部屋から遠ざかることだったけれど、ここでようやく僕は目的地を得た。乾いた口の中で何度かその地名を復唱し、景色を思い浮かべる、地理には疎い僕だけれど、それが海沿いの町であることは何となく知っている。海、か。いいじゃないか。目的地にはおあつらえ向きだ。しかし、ここからいったいどれくらいかかるのだろう。海で日の出を見られたら……もちろん、海で日の出を見られたとしても、僕が抱えている虚しさも苛立ちも何も解決しやしないだろう。酒を飲んだところで何も解決しないのと同じだ。けれど、まぁ、ものは試しというものだ。どうせ、明日だって大学には行かないんだ。僕の明日には意味や価値、ましてや義務なんてものもありはしない。生き方は自由自在に怠惰。これは空きっ腹に酒の「トラッシュ」という曲の歌詞だ。素敵じゃないか。

 そうと決まれば、あとは実行に移すだけだ。あれこれ考えるのも疲れたし、感傷的になるのにも嫌気がさしてきた。楽しくいこうではないか。コンビニでビールを買いつつ、日の出までに海を目指す。あてもなく自分の部屋の中で酒を飲み、朝を恐れ呪うよりも随分とマシだ。朝という地獄に対して前向きな気持ちが芽生えただけでもめっけもんだ。めっけもん、という言葉の意味を僕は知らないが。

 結論から話そう。

 ビールの酔いと疲労から、僕の頭はエドヴァルド・ムンク「太陽」のような朝陽を拝めるのではないかという期待でいっぱいになっていた。が、そもそも僕が辿り着いたのは、岩も緑もない、工場が立ち並ぶのっぺりとした灰色のコンクリートで覆い尽くされた味気ない港だった。フェンスで工場と工場の敷地が区切られていて、まず海さえ見えない。それでも諦めずに歩き回っていると、細い道が海の方へと伸びているのが見えた。空はかなり明るみを獲得しだしている。僕は走り出して、ようやくその細い道の先にある小さな広場へと出た。視界のほとんどは工場だったけれど、とりあえず足元には波が打ち寄せていたし、工場と工場の切れ間に、辛うじて遮るもののない遥かなる海洋も望めた。

 僕は広場に設けられた小さな木製のベンチに腰掛け、朝陽を待った。生憎の曇天。スモッグと厚い雲の向こうから、辛うじて太陽の気配が滲み出てくるのを感じることができた。

 期待外れでないと言ったら嘘になるけれど、僕は満足してベンチから立ち上がった。振り返って広場を見渡してみると、色味のないどこまでも乾いた土と、磁力で毛羽立った砂鉄のような雑草が点在していた。まるで階段の上から自分を見下ろしているようで、悲しい気持ちになった。

 近くに駅があったので、電車で帰ることにした。明らかに寝間着姿で、見るからにやつれていて酔っ払っている僕は乗客の気分を酷く害したことだろう。けれど、彼らの方が僕よりもよっぽどマシだ。僕はそんな風なことを考えるともなく考えながら、途切れ途切れの睡眠に夢のかけらを手渡し手渡し、JRと私鉄を乗り継いで、何とか自分の部屋まで帰った。

 テレビに映る忙しないニュース。銅像のように微動だにしない蛍光灯の光。カーテンの隙間から零れるいつもの呪わしい朝陽。

 リモコンでテレビを消す。壁際のスイッチで蛍光灯を殺す。カーテンを隙間なくぴっちりと閉め、ベッドに倒れこむと頭から布団を被った。呻き声と叫び声をシンクが溢れないくらいに吐き出し、二度ばかりベッドのマットレスを叩く。アパートの近くを通る国道では、無数の汚物がパレードを催しているので、もう絶対に国道沿いのアパートには住むものか、と何千回目かの誓いを打ち立てると、イヤホンで耳を塞いで、眠りを待った。

 疲労と酔いで支離滅裂になった意識は、比較的はやい速度で僕を眠りに連れて行ってくれた。

 

 それから数日後、僕はある床屋の主人と知り合った。