霏々

音楽や小説など

谷崎潤一郎「痴人の愛」感想~彩、そして白の美~

谷崎潤一郎の「痴人の愛」を読んだので、その感想を書きたいと思います。

 

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痴人の愛

 

文学部卒の友人から勧められて読んだわけですが、私は歴史や文学史に疎く、「大正13年から連載が始まった、同時代を描く小説」と言われてもピンときません。そもそも大正が何年までだったかすら知らないんですから。というわけで、この記事を書くにあたって、「大正13年=西暦1917年」ということを確認して、100年も前に書かれた文学だったことをようやく知りました(西暦ベースで考えるなんて、自分も随分と現代っ子だな、と思います)。

「耽美主義からどんどん変遷していった…」という文学史上の位置づけもあまりよくわかりませんが、とりあえず、「なんか怖ろしいけど、美しい感じ」を描いたんだろうぐらいの理解で読み進めた次第です。

新潮文庫の赤い表紙のやつ(上の画像の通りです)で読みましたが、注解が多く、苦手な人は苦手かもしれません。ただ、ちゃんと読もうと思うと、注解があることが非常に助けになりますので、私としては大満足でした。文体は意外と現代にかなり近いため、バトル漫画によく出て来るやたら古めかしい言葉を使うキャラに親しんでいれば、苦労もないでしょう。ただ、当然ながら物や金銭、世間の常識などは現代の私たちからはなかなかわからないところも多いと思うので、適宜気になったところは注解を見ていただく、ということで十分楽しめると思います。注解を全く読まなくても、おそらくこの本の主題は良く伝わるでしょうし。つまり、それだけ普遍的で良い文学ということですね。

 

◆ 前置き(小説の感想を書くにあたって)

ブログを作った当初は、音楽のレビューと小説のレビューも行おうと考えていましたが、1作品正味5分もない楽曲のレビューと異なり、小説は分析にするにしても何回も読んでいられないので、ずっと敬遠してきた次第です。しかしながら、そんなに気合をいれなくとも、とりあえず「読書感想文」的な感じで、読みながら思ったことを書くくらいで良いんじゃないか、と最近思うようになり、こうしてPCの前に座っています。

もう、「しょうせつ」と打っても「小節」と変換されるし、「かんそう」と打っても「間奏」と変換されるので、どれだけ音楽レビュー仕様のPCになっているんだという感じですが、とりあえず軽いノリで……シャッフルビートを刻むみたいな軽やかさで書き進めていきたいと思います。

 

◆ 感想のまとめ

この記事を書き終わった1番最後に、このまとめを書いています。もし、この「感想のまとめ」を読んで、私がどういう経緯でこの感想に至ったのか、気になった方はこれ以降の章も読んでいただければと思います。

まず、私は前半のナオミが15歳の時分の話にやられてしまいました。無邪気で愛らしいナオミは、アイドル好きの私にとってまさにドストライクのキャラクターです。特に鎌倉の海の上でナオミが「サンタルチア」を歌うシーンなんかは、何度でも読み返したくなる鮮やかさと美しさがあります。

その後、どんどん傲慢になっていくナオミを見るのは辛くもあり、それでもどんどんとナオミの不思議な魅力に捕らわれていく様を譲治が一人称で語り紡いでいく話の構成が素敵です。よくよく読み返してみると、なぜあれだけ愛らしかったナオミがあれだけ傲慢になってしまったのか、状況証拠的ではありますが、しっかりその要因が書かれていて驚かされました。

また、当時の世俗観を感じられるので、古典としての本書を楽しめるポイントも多いです。が、これについてはあまり深堀出来ていないのが現状です。今後、様々な古典を読んでいく上で、知識の地盤が固まって来れば、より楽しめる気がします。

そして話の肝である、譲治が徐々にナオミに篭絡されていく様は、こちらもきちんと段階を追って描かれているので、退廃の美や快楽を楽しみながら読み進めることができますね。堕落していけば堕落していくほどに、ナオミに魅せられ、虜になっていく…そして、最後にはナオミの邪悪なまでの美しさに打ちのめされるまでの経緯は緻密で、読んでいるこちらまでナオミに篭絡されてしまいそうです。

そして、まぁ、なんやかんやあって…という書き方はあまりに適当ですが、ナオミを追い出し、母親を失い、空っぽになった譲治のもとに、久しぶりにナオミが現れてからがまた最高でした。この母の死を転機に、それまで鮮やかに描かれていた世界観が、どこかモノクロチックになり、そのモノクロの世界の中で、ナオミだけがとにかく美しいんです。世を捨て、ナオミの美しさとそれに惑う自分しか語らなくなる譲治。堕落しきるまでの陰翳を含んだ描写は切々と胸に迫り、そして最終章ではすべての感情が死に絶え、侘しさと静けさが世界を満たします。この最終章の「0」になってしまった感じは、ずっとナオミの肌の「白さ」について語って来た譲治が最後は燃え尽きてしまい、自らもまた灰の「白」となったということを思わせ、非常に心に迫るものがありました。

構成として感心してしまうのは、譲治とナオミの社会への帰属度合が反比例関数のように時系列的に変化している妙です。要するに、一般的な会社員(ちょっと世間ずれした感覚もあるけれど…)である譲治と、譲治が与える世界しか持たないナオミ、という2人が出発地点となっています。そして、譲治の世界が徐々にナオミを中心に据え出し、視野が狭くなっていくのに対し、ナオミは様々な人間と関わり合いを持っていきます(残念なことにこの関わり合いは、ナオミの虚栄心を冗長させるか、性的な欲求を満たすかしかしませんでした)。この過程で、譲治とナオミの主従関係が完全に逆転してしまうのです。私は以前、谷崎潤一郎の「春琴抄」も読んだことがありますが、同じような構成だった記憶があります。この「主従関係の逆転」に筆者は何らかのカタルシスのようなものを感じていたのかもしれませんね。社会通念や現実的な力関係によって自ずと決められている上下関係が、本人たちの根源的な欲求によって本来あるべき(理想の)関係性へと変質していく…それがポイントと言えるかもしれません。

 

と、少し物語を楽しむうえでは関係ない話をしてしまいました。が、こんな感じが私の読書感想文になりますが、これを書くにあたって、一度頭の中の整理を行う必要があったので、ここから先、16,000字程度だらだらとブログが続きますが、お暇な方はどうぞ。

とりあえず、ここまで読んでくださった方がいらっしゃいましたら、ありがとうございました!

 

◆ あらすじ

※当然ですが、ネタバレを含みます。

※簡潔なあらすじであれば、いくらでも探し出せると思うので、この記事では割と詳細にあらすじを書きます。長くなりますので、読み飛ばしていただいて構いません。

※ここで示したあらすじを元に、次の章から細かい感想を書いていきます。

 

河合譲治という真面目に生きてきた青年と、幼くも魅惑的な奈緒美の8年に渡るお話です。物語は河合譲治(主人公)の一人称で語られ、彼が28歳~36歳、奈緒美が15歳~23歳までの期間を描いています。ちなみに、「奈緒美」と漢字で表記されるのは、ほんの最初の数回のみで、あとは譲治自身の意向で「ナオミ」とカタカナで表記されます。

現代で言うところのキャバレーで女給仕をしていたナオミ(当時15歳)に目を付けた主人公の譲治が「何とか自分のところに引き取れないか」と考えだすところから物語が始まります。ちなみに、「キャバクラ」でなく「キャバレー」です。基本的には綺麗な女性がお酒を注いでくれるお店というところで共通していますが、キャバレーではショーみたいなものも催されると考えて良いでしょう。そんなところで、ナオミは給仕係として諸々の雑用をしていたわけです。

譲治は田舎育ちの無骨な青年で、女付き合いというものをしたことはありませんが、人並みに女性と言うものに憧れは抱いています。電気技師で高給を取っていますが、そんな彼の生活はかなり無味乾燥なもので、すぐに年頃の女性を捕まえて嫁にしようとまでは思わないけれど、なにがしかの彩が欲しいと考えていました。そこで偶然、キャバレーで給仕をする15歳のナオミと出会います。彼女の容姿には西洋人っぽい感じがあって、もともと西洋人に対する憧れのあった譲治はナオミのことを気に入り、この子を自分のところに引き取りたいと思うようになりました。

女の子1人くらい育ててやるだけの経済的な余裕はある。夫婦になるというのでもなく、「可愛く利口な姪っ子の面倒を見てやる」くらいの感じで一緒に生活をしていたら、少しくらい人生に張り合いも出るだろう。

現代風に言うのであれば、独身OLが子犬を飼い始めるようなものですかね。やはり異性と所帯を持つというのは大変なことです。しかしながら、何かの世話をするというのは手間がかかるものの楽しいことだと思います。また、ナオミからは将来素敵な女性になるという片鱗が譲治には感じられ、うまくいけば自分は素晴らしい妻を得ることになるだろうという安直な算段もありました。

そんなわけで、彼はナオミを引き取り、自らの好みに沿うように彼女を育て、そして2人は親密な関係性を築き上げていきます。

この親密さを深める過程の描写はとても活き活きとしていて美しく、色とりどりの衣装、鮮やかな鎌倉の海、そういったものが文章からはっきりと伝わってくるため、読んでいるこちらも幸福な気持ちになります。そして、やはり譲治と同じようにナオミが愛らしくて堪らなくなります。

 

しかしながら、譲治はナオミを溺愛するばかり、色んな我儘を受け入れ、自由奔放に育ててしまいます。15歳くらいの子供の我儘であれば可愛いものですが、それが18歳くらいになっても続くので、次第に譲治は「おやおや?」と思い出します。また、譲治は当初、「美しく、賢い子」に育てようと奮闘するのですが、なかなかナオミは譲治の思うような「賢さ」を手に入れてくれません。そのことに譲治は少しだけ落胆しますが、それを補って余りあるほどにナオミは「美しく」育ちます。

我儘で、とことん美しい。これがナオミの特質として、日増しに磨きがかけられていきます。

そのうちにナオミは譲治に飼い殺しにされていることに嫌気が刺し、「ダンスがしたい」と言い出します。このとき、既にナオミは英会話教室で出会った浜田という慶応の大学生と関係を持っていました。そして、ダンスの場を通して、より沢山の男と交わっていきます。譲治はナオミの周囲に男が増えていくことに不穏を感じながらも、ナオミと彼らの間に具体的な性関係があるとまでは思っていません。むしろ、ダンスというハイカラなものに自分を適応させ、ナオミをより飾り立てることが彼の中での命題となっていくのでした。また同時に譲治自身もロシア人の婦人からダンスを習いながら、西洋人の美しさに酔い痴れたりします。

その後、ようやく実際のダンスホールにナオミと一緒に行く譲治ですが、そこでナオミの意地の悪さや、つまらないプライドの高さ、男たちとの雑多な会話を目にして、嫌な気分になってしまいます。自分はこういう場でナオミという美しい女を見せびらかすために彼女を育ててきたのに…と悔やんだりもします。しかしながら、それはそれとして、譲治はその場に居合わせた女優の綺羅子の淑やかさや美しさに目を奪われてしまいます。そうして自然と、傲慢に育ったナオミと淑女の綺羅子を比べて、「自分は失敗したのではないか」と譲治は感じてしまうのです。

が、一旦家に戻ってみると、やはりナオミはとても魅力的で、2人きりの場ではいつものように譲治を蠱惑するのです。

その後も家に男を招くことが多くなったり、終いには男2人(浜田、熊谷)を家に泊まらせ、譲治とナオミを含めた4人で同じ部屋で寝ることになったり、ナオミはどんどん奔放になっていきます。それからしばらくして、ナオミがそのとき泊まらせた男2人と既に関係を持っていることが判明し、譲治は心を痛めます。ナオミを問い詰め、「もうしない」と約束させますが、やはり口惜しく、そして猜疑心ばかりが募り、会社に行く振りをして彼女の行動を秘密裏に監視したり、譲治はよりナオミに執着していきます。結婚はしていますが、現代で言うところのストーカーみたいな行動を取るわけですね。

しかしながら、そのような状況の中で譲治はナオミを監視しながらも、より一般的な家庭生活を再構築するために、屋移りして女中を雇うことなど、色々と画策します。しかしながら、その準備の最中、「もう不貞はしない」と約束にしたにもかかわらず、再びナオミが男と会っているところを見つけてしまいます。ついに譲治も我慢が出来なくなり、ナオミを家から追い出すことになります。強情なナオミはあれこれ言いながらも、あっさりと家を出て行き、譲治は1人取り残されてしまいます。

しかし、次第に時間が経つと譲治はナオミが恋しくなり、方々を探し回ります。その過程で、あの浜田の元を訪ねることになります(浜田はかつてナオミと関係を持っていましたが、譲治と同じようにナオミを心から愛し、故にナオミの奔放さに傷つけられました。このことから譲治は彼をナオミに翻弄された同志のように捉えています)。そして、そこでいかにナオミが酷い所業を為して来たかを聞かされるのです。その頃のナオミのあだ名は、本文中には出てきませんが、注解の中で「共同便所」であったと推測されており、それくらいに誰かれ構わず性的な関係を持っていたことを知らされ、譲治はついにもうナオミを探さないと胸に誓います。

同時期、ナオミの我儘に付き合うため、金を無心してきた譲治の母親が死んでしまい、「もう田舎に帰ろう」と譲治は考えるようになります。仕事も今年いっぱいで辞めるよう話もつけましたが、その移行期間の間にふとナオミが譲治のもとを訪れます。「荷物を取りに来たのよ」とナオミは言いますが、現れたナオミは以前にも増して美しく、最初に見たときはあまりにも西洋人っぽくなっていて、誰かわからなかったくらいの変貌っぷりです。ナオミはあからさまに譲治を煽るようにして度々やって来ては、ほんの少しの荷物を持って帰ります。来るたびに譲治はナオミの美しさに当てやられ、終いには「友達になりましょう」というナオミの提案を承諾してしまいます。

そして、「友達だから」とナオミは譲治とまた仲を深めていきますが、決して譲治にその身体を触らせません。わざとちらりと肌を見せてみたり、着替える様子を盗み見させたり、背中の毛を剃らせたり、少しずつ譲治の心を揺さぶるようにしていきます。譲治も、「友達付き合いをしながら、何とかナオミを丸め込んでやる」と最初のうちは考えていたものの、いつの間にかナオミに誘惑され、あまりにも焦らされるのでヒステリーを起こしたり、正気で居られなくなったりしてきます。終いには、譲治はナオミに負けて「何でも言うことを聞く。だから、夫婦に戻ってくれ」と取り乱しながらナオミに縋りつき、ナオミもようやく満足したように「いいわ」と譲治を受け入れます。

最後には、田舎の財産を整理して金を持ち出し、ナオミのために新しい瀟洒な家を買ったり、もはや好きなだけ外にも出させてやったり、厄介者扱いされても文句ひとつ言わなかったり、譲治はナオミに飼い殺しにされます。

譲治はそんな自分を記録に留め、「私自身は、ナオミに惚れているのですから、どう思われても仕方がありません。ナオミは今年二十三で私は三十六になります。」という文で本作品は締め括られます。

 

◆ 15歳のナオミについて。現代アイドルとしての愛らしさ。

15歳のナオミは、アイドルヲタクの私にとって、とてつもなく愛しく感じられます。このブログの他の記事を見ていただければわかる通り、私はハロプロが好きです。その理由は色々とあるんですが、1つ重要視していることを上げると、ハロプロは「女の子たちの成長が見られるから」好きなんです。まぁ、どのアイドルでもそうだとは思うんですが、特にハロプロは「成長を楽しむ」要素が大きいです。

で、「成長を楽しむ」うえで個人的に重要だと思っているポイントは、

・可能性を感じさせてくれること

・本人が成長することを望み、楽しんでいること

・感謝を惜しまないこと

です。

まず、ナオミは15歳の時分で、あまり垢抜けてはいませんが、譲治の好みの西洋風の容貌をしており、やや陰鬱そうな感じが逆に利口そうに見えました。勝手に推測すると、キャバレーという華やかでケバケバしい場所で見る、無口に淡々と働く容姿の比較的整ったナオミは余計に利口そうに見えたと思います。

利口な子は私も大好きですが、アイドルであればやはり歌やダンスの面で可能性を感じさせてくれる子はやっぱり応援したくなります。もちろん、容姿の面も重要ではありますけれど。譲治はナオミを立派な貴婦人にして、社交界でも堂々と立ち振る舞えるようにしてやることが目標でしたから、特に「利口そう」というのは重要なファクターだったと思います。

次に、本人が成長することを望み、楽しんでいるというのも重要なファクターです。ツアーを重ねるにしたがって、表現力に磨きがかかっていく子ほど、可能性を感じますし応援したくなります。当然、人によってその速度はまちまちですが、少なくとも本人が「もっと○○先輩みたいに、○○な感じで歌えるようになりたい」と言っていたり、「○○ができるようになってきて嬉しい」と言っていたりするのを聞くと、こちらも「あぁ、そうか。この子は頑張っているな。愛しいな」と思ってしまいます。そういう意味では、ナオミもまた譲治が望むように、「もっと英語が上手になって」などと言っていますし、特に鎌倉での海水浴の場面では、習ったばかりの「サンタルチア」を無邪気に歌う様子が鮮やかに描写されています。伸び伸び育つナオミを見て、譲治もかなり満足気ですし、これを機に「ナオミのためだったら」と譲治はよりナオミに尽くすようになります。

そして、最後に大事なのは「感謝の心」です。まぁ、本当に自分自身のエゴだけで自らを向上させていく人間も好きなので、これはおまけみたいなものかもしれませんが。ただ私の敬愛する宮本佳林というアイドルは、自らのエゴに則って自らを向上させていくタイプの人間ですが、必ず「応援してくれるファンの人たちのためにもっと良いパフォーマンスを」とか「パフォーマンスで信頼関係を築く」とか、そういうことを言ってくれる子です。必ず他者を忘れない、というのはやはり応援したくなる大事な要素です。

ナオミもまた最初は「譲治さんのために」という節が見られます。それがいつの間にか、「私が成長するためだったら何でもしてくれるって言ったじゃない」と徐々に傲慢さが現れていくところで、やはり愛らしさは損なわれるように私には思えるのでしょうが、いかがでしょうか。

ということで、15歳のナオミは現代のアイドルと同じような魅力を持っており、おそらくはナオミみたいな子がアイドルを始めたら、私もまた彼女のファンになり、応援したと思うのです。

そして、こういうことを書くと、元アンジュルム和田彩花さんから怒られてしまいそうですが、ナオミもアイドルも未成熟で独立していないことが、アイドルとして愛されるうえで重要だという風に私には思えてなりません。「彼女はこれからどんなに美しく成長していくんだろう?」と考えているときが楽しいのです。そんな時期だからこそ、彼女たちの無邪気さは愛らしく、また多少我儘であっても目をつぶることができますし、また我儘で奔放な分だけ色々と手にかけてやりたくなるものです。ただ、そう思えるのも上記の3つをきちんと守っていればこそという部分もあります。

ただ、そんな風に「使い捨て」みたいな想いだけで彼女たちを好きになっているのではなく、やはり彼女たちが成長して自分なりの道を切り開いていくこともまた同じくらい応援したいと私は思っています。ただ、それは「アイドル」として彼女たちを応援しているというのと少し異なっていて、同じ1人の「人間」として彼女たちを応援しているという感覚が近いです。譲治もまたナオミがいずれ一人前になってくれることを望んでいますし、またあわよくば自分への礼を尽くして、正式に妻になってくれればそんな素敵なことはないと考えています。

 

しかしながら、この時の譲治のナオミへの溺愛っぷりを見ていると、どうしてもその後の(他人から見たら)悲劇を呼び込むだけの業が含まれているように思えてなりません。譲治はただ彼女が健やかに成長することだけに喜びを見出しているのではなく、彼女に振り回されることに喜びを見出しています。

・「譲治さん、今日はビフテキをたべさせてよ」

・「あたしの方が譲治さんより悧巧だわね」

などの節々のナオミのセリフに、彼女の奔放で傲慢なところが見受けられますが、譲治はそのようなことを「幼さが感じられ、可愛らしい」としています。つまり、ナオミをつけ上がらせたのは譲治自身であり、口では「立派な貴婦人に」と将来の展望を語りながらも、その実は譲治自身が目の前の欲に勝てないでいることを示しています。

そして、その結果、ナオミがどのように変貌していったかについては次の章で話します。

 

◆ 傲慢になっていくナオミ。教育の重要性。

やや堅苦しい章の題をつけてしまいましたが、ナオミの傲慢さはある意味で譲治自身が求めて後天的に備わったものだと私には思えます。小説の中では、度々「生まれ」であるとか、彼女の「家柄」といったものが彼女の悪魔性の由来だと書かれていたように思いますが、よくよく思い返してみれば、彼女が傲慢に育つための条件がかなり揃えられていることがわかります。谷崎潤一郎がきちんと理由付けを用意してくれていると思えるほどに。

まず、譲治がナオミの我儘を何でも聞き入れていることが最大の問題です。少し長くなりますが、ナオミを正式に妻として迎え入れたとき(この時、彼女はまだ16歳)の譲治の言葉を引用します。

・「僕の可愛いナオミちゃん、僕はお前を愛しているばかりじゃない、ほんとうを云えばお前を崇拝しているのだよ。お前は僕の宝物だ、僕が自分で見つけ出して磨きをかけたダイヤモンドだ。だからお前を美しい女にするためなら、どんなものでも買ってやるよ。僕の月給をみんなお前に上げてもいいが」

とこんなことを譲治は言っています。それに対するこの時のナオミの答は、

・「いいわ、そんなにしてくれないでも。そんな事よりか、あたし英語と音楽をもっとほんとに勉強するわ」

というものでした。この頃はまだナオミもそこまで贅沢を覚えておらず、世間一般の少女が身に着けている公平性のようなものを持っていました。にもかかわらず、実際にこの後、譲治が自らの言葉通り、彼女を甘やかし続けるので、そのうちにナオミもそれに引っ張られてどんどん我儘で傲慢になっていきます。

そして、それに拍車をかけたのが、ナオミの置かれていた環境です。基本的にナオミは譲治が会社で働いている間、家事をするでもなく1日を過ごし、上述の通り英語や音楽の習い事をしているものの、小さな世界の中で生きることになっています。もともと勘が良く、英語の発音などもすぐに会得できたナオミは、西洋人の婦人教師からも存分に褒められ、哀れにも自尊心をむくむくと育てられていきます。

もし一般的な家庭の婦人のように、家事をこなし、隣近所との関係性を築き…という具合にそれなりに社会に関わらざるを得ない立場にいれば、挫折することもあれば、意に染まない事態に遭遇することもありますし、世間の厳しさを身を以って体感することができたでしょう。もちろん、この時代には難しかったのかもしれませんが、学校に通ったりしていても同じような苦難に遭遇して、自らを省みる機会はあったかもしれません。しかし、ナオミは譲治を筆頭に、会う人会う人に褒められてぬくぬくと育ってきましたから、そのうちに自分こそが世界の中心であるという風に、次第に傲慢になっていきます。

 

譲治は、まずナオミの英文法がマズいことに気がつき、自らもナオミにしっかりと教育を施してやらねばと考えます。しかし、発音が良いことを西洋人の教師に褒められているので、ナオミにはそれが面白くありません。譲治もこの時ばかりは、ナオミに勉学に対する態度を改めさせるため厳しく出ますが、強情に育ったナオミはなかなか言うことを聞きません。たいていの場合は、譲治の方が先に根負けして、うやむやにされてしまいます。

これだけ強情に育っている時点で、なかなかもう手の施しようがないという部分もあるのでしょうけれど、それ以上にマズかったのは譲治がとある結論に辿り着いたことです。

その結論とは、「容姿と頭脳を立派に育て上げようと思ったが、頭脳はなかなかうまくいかない。反面、容姿に関して言えば、自分の想像以上に美しく成長している。であれば、頭脳の方は諦めてしまえば良いではないか。毎日勉強のことでケンカするのも馬鹿らしいし」というものです。そうして、勉学の教育に対しての熱が冷めてしまった譲治は、まだ毎日の家での勉強会というイベントを続けながらも、怒ることをせず、ナオミをおだてるだけおだててやることにしました。ナオミはこの対応の変化の理由にも気がつかず、怒られなくなったことをいいことに、

・「大概な問題はちゃんと考えられたんだけど、わざと譲治さんを困らしてやろうと思って、出来ないふりをしてやったの、それが譲治さんには分からなかった?」

などと言い出します。譲治はもうナオミの頭脳を諦めているので、そうやって言い訳をして得意げになっているナオミを甘やかし、

・「すっかり僕を一杯喰わせていたんだね」「うん、悧巧だ、ナオミちゃんには敵わないよ」

とさらにおだてます。この後で、アントニークレオパトラに手籠めにされる例え話が持ち出されるわけですが、最終的に譲治は「浅はかな彼女の嘘を発(あば)くよりか、寧ろ彼女を得意がらせ、そうして彼女のよろこぶ顔を見てやった方が、自分もどんなにうれしいかしれない」と考えています。ここでもまた譲治は自分の目の前の欲を選択し、ナオミを堕落させていきます。

そして、この流れの中でナオミがなぜ淫売婦のように、性的に相手を惑わせて自分の利益を得るような女になっていったのかを現すエピソードも描かれています。

譲治はたまにナオミとボードゲームをして遊んでいましたが、英語の勉強と同じようにわざと負けてやったりしているうちに、ナオミは勝つことに味を占めて「欲しいものがあるの」と言い出すようになります。自分に勝ったら買ってあげよう、と譲治は言うのですが、ナオミは普段勝って得意になっているのに、そういうときに勝てないことが悔しく、あの手この手で譲治を困らせます。最後には色仕掛けで譲治の気を紛らわせて、勝ちを収めるようになっていきます。譲治も「負けまい」としますが、勝ち癖のついたナオミには次第に勝てなくなっていまい、いざ勝てそうになっても、ナオミの色仕掛けに翻弄されて負けてしまいます。そのようにして、次第にナオミは譲治よりも精神的に優位な立場になっていきます。

こうなるともうナオミの傲慢さは手に負えなくなってしまいます。

と、このようにして、小さな世界の中で甘やかされ、そして好きなだけつけ上がらせられ、最後には甘やかしていた譲治の手にも負えなくなり、上下関係が覆されます。これくらいのときから、もうナオミはその小さな世界の中で「何でも自分の思い通りになる」という想いを持ち始め、どんどん自由奔放な行動を取るようになっていきます。

その一手目が「男」だったわけですが、これはまた次の章で話します。

まず、この章についてまとめると、つまるところ「教育は大事だ」ということですね。褒めてやったり、甘やかすことも大事ですが、厳しさを教えることも、信じ抜いて指導し続けることも大事です。どこかで教える方が諦めて、自分の欲を満たす方向だけに行動を変化させてしまっては、それはもう教育にはなりません。そして、教育する方が篭絡されてしまうと、むしろその「篭絡の仕方」を子供は学んでしまいます。嘘つきな子は得てして、嘘に騙される養育者のもとで育っているものです。

譲治とナオミについて言えば、2人は夫婦であり、性的な関係を持っているにもかかわらず、譲治の方が教育者であろうとしたことがまず第一の問題だとは思います。譲治が自分でナオミを厳しく育てられないのだとしたら、それができる第三者をきちんと介入させるべきでした。また、その効果を狙って頼んだであろう西洋人の英語教師もナオミを甘やかすので、不可抗力ながらこれもまた失敗だったと言わざるを得ません。しかし、もっと様々な人間と関わらせてやって、正しくナオミを導くことができる人間と出会う確率を高くしてやることはできたはずですね。

 

◆ ナオミと綺羅子の比較。譲治の依存の兆候。

譲治はダンスホールで女優の綺羅子と出会い、淑やかな彼女と、自分がここまで育てたナオミをついつい比較してしまいます。ナオミは綺羅子に比べれば、ガサツで傲慢で、他人の悪口は言うし見っともない。そして、自分自身を省みても、そんなナオミを周囲の奴らに「どうだ」と見せつけようとしている虚栄心の塊のように感じられ、譲治は落ち込みます。

しかし、ここで重要なのは譲治が根からの所謂「面食い」というのではなく、むしろそれだけナオミに幻滅しながらも、結局はナオミから離れられないということです。譲治の当初の目的は、ナオミを立派に育ててやって、社交界のような場で自らの隣に侍らせるということでした。そして、このダンスホールでの一件で、その目論見がすっかり失敗してしまったことを譲治は悟りますが、それでナオミを捨ててしまうということにはなりません。

このエピソードにおいて読者側が承知しなければならないことは、譲治が既にナオミに手籠めにされてしまっているということです。もはや譲治はナオミなしでは生きていけない身体になっているということがここで暗に示されています。なぜならば、譲治の最初の目的は「失敗した」とちゃんと書かれているにもかかわらず、

・二人きりになって見るとー(略)ー再びナオミのあらゆる部分が、眼でも鼻でも手でも足でも、蠱惑に充ちて来るようになり、そしてそれらの一つ一つが、私に取って味わい尽くせぬ無上の物となるのでした。

と理由付け不能の、ナオミを絶対信奉する心持にさせられているからです。いかに外の世界でナオミに幻滅しても、二人きりの小さな世界の中に入り込んでしまえば、またナオミのことを愛せる…つまり、この時点で譲治もまた世間に出ることを不要とし、二人だけの世界に閉じこもろうとしていることが伺えます。

1つ前の章で、ナオミと譲治の優位性が逆転したと書きましたが、それがさらに次の段階へと進み、譲治は自分のかつての理想や何やを放り出してでも、ただ目の前のナオミの肉体だけを求めるようになっていったのです。綺羅子とナオミを比較するだけの冷静な客観性もまだ残っていますが、それがナオミと2人きりのときには全く消えてしまいます。もはや譲治にとって、ナオミ以外はどうでも良いのです。ただ、ナオミさえ美しければそれで良いのです。

なお、これは補足的に付け加えさせていただきますが、このような譲治の感情の揺れ動きについてはこの時点で詳細には説明されません。「ただ、どうしてかわからないが、譲治はナオミと2人きりになると全てを忘れて、ナオミに夢中になれる」ということです。その後の話の中にも、何らかの転機があったというような説明はなされません。逆説的に言えば、そのような説明がないからこそ、譲治は時間をかけて自分でも気づかぬうちにナオミに篭絡されていたのだと読み解けます。そして、篭絡されていることを指し示す証拠はこのエピソード然り、この後も続々と現れてきますので、それは次の章で。

 

◆ ナオミの不貞。譲治の依存の裏付け。

徐々にナオミの不貞がわかりやすくなっていきます。譲治とナオミが暮らす家に、浜田と熊谷を筆頭として、幾人もの男が遊びにやって来ることになります。譲治が家に戻る夕刻に皆やって来るので、ナオミが不貞を働いているとは譲治もまだ考えていません。

しかし、そうこうしているうちに、あるときナオミが浜田と熊谷を「雨も酷いし、せっかくだしウチに泊まっていけば」という感じで誘います。譲治も渋々ながらそれを受け入れてしまいますが、気分を良くしたナオミは夕食後遊び疲れると「みんなで寝ましょう」と言い出します。男3人を侍らせて狭い部屋の中で床に入るナオミですが、そこで彼女は明らかに性的な挑発を3人に対してするので、譲治もさすがに気分が悪く、それでも「これは自分をからって遊んでいるだけなんだ」と思いながら何とか堪え眠りにつきます。朝方目を覚まし、狭く暑苦しい部屋に苛立ちを覚えるも、ひどい寝相で心地よさそうに眠るナオミの足を譲治は愛でて心を落ち着かせます。

このようにして、譲治はナオミの我儘や貞操の緩さを案じながらも、ナオミを愛し続けます。いくらナオミが怪しかろうとも、そんなことはないと自分に言い聞かせ、信じようとします。嫌な気持ちになっても、ナオミの愛しい足に触れるだけで、「この足は俺のものだ」と心を安らげることができるのです。

それから譲治は会社でナオミの酷い噂(娼婦のように色々な男と関係を持っている)を聞かされて、からかわれても、「ダンスを色々な男と踊っているだけで酷い言われようだ。みな社交界のようなハイカラな文化に馴染みのない古臭い人間だからそういうことを言うのだろう」と考えます。ただ、「慶応の学生」というところに引っ掛かりを覚えて慌てて家に帰るも、ナオミはスヤスヤと眠っています。その美しい寝顔に譲治はまたも魅了され、起きてきたナオミに会社で聞かされた話を問い詰めるも、一蹴されてしまいます。

・「あたしがいくら我が儘だって、いいことと悪いことぐらいは分っているわよ。そりゃ譲治さんを欺そうと思えば欺せるけれど、あたし決してそんな事しやしないわ。ほんとに公明正大よ、何一つとして譲治さんにかくしたことなんかありゃしないのよ」

・「譲治さんさえ誤解していなけりゃ、世間の奴等が何て云おうと、恐くはないわ。どうせあたしは、乱暴で口が悪くって、みんなに憎まれるんだから」

とそんな風に言い訳をし、最後には、

・「十五の年から育てて貰った恩を忘れたことはない」

・「譲治さんを親とも思い夫とも思っています」

という決まり文句を言って、さめざめと涙を流し、キスをしてくるとあります。

英語の勉強やボードゲームのときから、もはやほとんど変わっていないわけです。ナオミはどうやれば譲治を言いくるめられるか、しっかりと承知しており、譲治もきつく出られない自分のふがいなさを理解していながらも、それに甘んじているのです。

その後、さすがのナオミももう少し事を隠密に運ばなければ、と譲治の前では大人しいフリをしています。そしてあるときナオミは、「再び15歳のあの頃みたいに鎌倉に行き、そこでしばしの間暮らしたい」と譲治を説得して、2人で鎌倉へ行きます。が、そこで再度不貞を働き、譲治はその裏を取るために浜田を問い詰め、ついに口を割らせます。そして、浜田と少なくとも熊谷はナオミと性的な関係を持っていたと知り、絶望します。

が、それでも浜田が「ナオミと最初にそういうことになったときには、あなたは夫ではないと言われた」と弁明し、「あなたが夫ということなら身を引く。けれど、熊谷には気をつけた方が良い」と助言され、最後には「ナオミはそんなに悪い奴じゃない。あの子をたぶらかす熊谷が悪いのです。どうかナオミを見捨てないでやってください」と頼まれたことで、どうにかナオミを許してやろうと思うようになります。これについては人によって感想が違うと思いますが、私もきっと好きになった相手が不貞を働いても、それを悔い改めてくれれば許してしまうと思うので、一概に譲治を責めることもできませんね。決して、浜田を赦してやろうという気にもならないでしょうが。

しかし、結果的には「ナオミに騙された者どうし」ということで譲治は浜田を許してやるどころか、誠実であろうとする彼に好感さえ抱くのです。

このことから、譲治がどれだけナオミの魔性な面を心得ているかが読み解けます。事実、その後再び不貞を働き、ナオミをついに追い出した後、後悔に狩られて譲治はナオミを探すことになりますが、その際に頼るのが浜田なのです。自分の恋敵に対して、そこまで信頼を置いているのはおかしいと思いますが、それほどに譲治はナオミの恐ろしさを熟知しているということです。しかし、それでもナオミにしおらしく泣かれては、彼女を許さずにはいられない。そして、ナオミに対する怒りよりは、自分が丹精込めて育ててきた「ナオミという聖域」が侵され、純潔でなくなったことに対する失望を強く感じるのです。

許す、許さないとかではなく、ただ価値を損なわれたことに対する口惜しさが譲治を支配しています。この段階ではもはや世間体などどうでもよく、立派なナオミを周囲に見せびらかしたいという想いもつい失せています。それどころか、もうナオミは誰にも見せられないと譲治は感じているはずです。そのうえで、ただ自分の世界の中の女神としてのナオミの価値が貶められたことを嘆く段階にあります。

それだけ踏みにじられてもナオミを捨てないのですから、譲治はとことんナオミに依存していることがわかります。

 

◆ 譲治の依存の悪化。女の神格化。

そんなことがあってから、譲治はこれ以上ナオミが不貞を働かないように監視するようになります。これ以上、ナオミを踏みにじられてたまるか、というところでしょう。会社も休み、精神もすり減らしていきます。次第に譲治もそのような状態に耐えられなくなり、子供を作らないかと持ち掛けたり、文化住宅でないもっと一般的な日本式の家に住むために画策したり、色々と手を打ちますがどれも上手くいきません。次第に2人の間の空気は冷え切っていきますが、それでも譲治にはナオミが愛しく、離れることができません。

が、そのうちに、ナオミが再度熊谷と密会しているところを突き止め、ついに譲治はナオミを家から追い出してしまいます。

しかし、その追い出される時のナオミの異常な容貌を後で思い出して、その美しさに打ちのめされます。譲治は、

・「男の憎しみがかかればかかる程美しくなる」

・考えて見ると彼女の顔にあんな妖艶な表情が溢れたところを、私は今日まで一度も見たことがありません。疑いもなくそれは「邪悪の化身」であって、そして同時に、彼女の体と魂とが持つ悉くの美が、最高潮の形に於いて発揚された姿なのです。

・「あれだけの美はこの後決して、二度と世間にありはしないぞ」

と、追い出すという自らの行為が間違っていたのだと考えだします。

正直なところ、私は女性の邪悪さにそういった美しさを見出したことはないので、共感はできませんが、谷崎潤一郎が心底そういった女性の特質に魅せられていたのだということはよくわかります。

そう言えば、この間、とあるアイドルオーディションで落選した女の子がオーディション方法に噛み付こうとしている場面を見ました。ライブ配信をして、そこでどれだけ得点したか(つまり、どれだけファンから投げ銭をしてもらったか)がオーディションの合格基準だったのですが、「私はあまりそういう審査方法が好きじゃなかった」と目尻に涙を溜めながら言っていました。自分で応募したんじゃないか、と白けるような正論が僕の頭に思い浮かびましたが、「それでも自分が精一杯やることができてよかった。ファンの皆さんには合格できなくて申し訳ないと思っている。そして、合格した方々は夢を叶えるために頑張ってください」と歯を食い縛っている姿には、何かぞくぞくとしたものを感じましたね。カメラを睨みつけ、視線を逸らした一瞬にはもう泣き喚き出しそうに顔を歪めるのですが、何とかそれを堪えて再びカメラを睨みつける。あれは美しかった。

ほかにも学生時代に塾講師をしていた時分に、お気に入りの女子学生が難問に取り組みながら口を半開きにして、問題を凝視しているその横顔をとても美しいと思ったことがあります。その子が顎にマスクを下ろしていながら、「あれ、マスクどこだっけ?」とポケットをまさぐり、僕が「それは?」と顎を指さした時に見せたハニカミも堪らなく愛おしかったですが。

と、まぁ、この辺りは人それぞれに色々あると思いますが、しかし、谷崎潤一郎が書いているように、女性が何かを睨みつけ、凝視しているさまというのは確かに美しいかもしれませんね。そこに悪魔性を感じるためには、僕自身が睨まれる対象にならなければいけないわけですが。

と、話はだいぶ逸れてしまいましたが、そんな具合に、もはや譲治の中ではナオミは一種の美の化身になってしまっているわけです。序盤で「お前を崇拝しているのだよ」と言っていた言葉通り、譲治は疑いの余地なく、ナオミを神格化し失ってはならないものとするようになりました。尋常ならざる依存具合です。

 

◆ 母の死。主題の転換。

そして、譲治は追い出したナオミを探しますが、上述の通り、浜田に捜索を手伝ってもらいます。そして、その浜田からいかにナオミがもう手の付けられない状態にあるかということを教えてもらいます。なんて言ったってあだ名が「共同便所」ですからね。さすがの譲治も「もうナオミはダメだ」と諦め、そこでタイミングが良いのか悪いのか、女手一つで自分を育ててくれた母親が死んでしまいます。

ナオミのせいで(とはいっても、半分は自分のせいで)何度も母親には金を無心していましたから、その罪悪感も相まって、もう全てを投げ出して田舎に引っ込もうと決心します。

このあたりの譲治の心境の変化は、私にはとても自然に思えました。わかりやすく依存していたナオミがいなくなり、同時にずっと心の底で依存してきた母も死んでしまったわけです。何かに依存するという熱すら消えてしまったのでしょう。

そして、譲治はもう大人しく、静かに、真っ当に生きていこう、と全てを諦めるように心を新たにします。

このような感情の動きによって、主題の転換が行われていますが、それについては次の章の最後で話したいと思います。

 

◆ ナオミ、再来。

決してふざけてタイトルをつけているわけじゃありませんが、私も少し疲れてきましたからね。何となく、「これだ!」と思ったので、このままいきます。

そんな抜け殻状態の譲治のもとに、またふらりとナオミが現れます。そして、その時の姿がまた美しい。譲治は「もう真っ当に生きていくんだ」ということで、ナオミを拒否しますが、そう簡単に引き下がるナオミではありません。「友達になりましょう」と譲治を説得します。譲治はそれを危険だと思いつつも、ナオミを断ることができません。譲治はもう疲れ切っており、半分、全てのことがどうでも良くなってしまっているのです。もはや騙されようがどうされようがどうでもいい。むしろ、またあの美しいナオミに手籠めにされるのであれば、それもそれでいいじゃないか。そんな虚無に食いつぶされたような気持ちであったのでしょう。

「友達」と言いながらも、ナオミは幾度となく譲治を誘惑してきます。譲治も最初の内はそれに抗い、何とか自分にとって好条件な形でナオミと寄りを戻せないかと期待もしますが、無論もはや譲治にナオミに勝てるだけの力は残されていません。

谷崎潤一郎もここまで来ると、もうただナオミに良いように翻弄され、苦しめられるようにしか譲治を描きません。頭がおかしくなるくらい、ヒステリックを起こすくらい、ナオミに欲情を焦らされる譲治を、滑稽というよりは、譲治の一人称による告白として訥々と描いていきます。読者ももう最後までの展開が読めている分、作家も読者も皆がナオミという女にただ焦らされるだけの時間が続きます。あの手この手で誘惑しては焦らすナオミが描かれていますが、事態はゆっくりと悪くなっていくばかりです。

もはや物語を語り進める譲治自体が、自らがナオミのどういう誘惑に欲情を駆られ、それに対してナオミがどうやって焦らすか、そしてそれによって自分がどういう風に狂うか、ということしか喋らなくなっているのです。徐々に譲治の能動的な(理性的な)意思というのはなくなり、最後には欲情に抗えず、ナオミに対して「なんでもするから」と夫婦に戻ってくれるよう嘆願してしまいます。

そこからはもう淡々としています。実家の財産を整理し、そのほとんどをナオミに捧げ、ナオミには邪険に扱われながらも、全てを受け入れ、ナオミと1つ屋根の下で形骸化された夫婦生活を営んでいる現在が語られて物語は終わりを迎えます。

 

マゾヒズムの極致と言ってしまえばそれまでですが、このような退廃の美はデカダンスとも少し違く、倦怠感という意味では近いですが、どこか侘しさというか静けさを感じられるのが独特のような気がします。堕落に溺れていくような芸術は、溺れている時の快楽を鮮やかに捉えるところに主眼が置かれるように思いますが、この「痴人の愛」では堕落しきった先に、妙な静けさがあります。

1つ前の章で「母の死。主題の転換」と書きましたが、この母の死があることで、譲治の中で感情と言うものが崩れ去り、ヒステリックになり、とにかく堕落していく様が描かれていきます。その過程はおそらくはデカダンス的な退廃の美と言える部分もあるかもしれません。しかし、最終地点は「退廃しているときに感じる得も言えぬ快楽」ではないく、「退廃しきった先にある静けさ」なのです。母の死はきっかけであり、そこから先のナオミとのやり取りは、過程に過ぎません。

小説における最後の二十八章がゴールです。淡々とその後の事の顛末を説明する譲治の感情の死に絶えた感じが物悲しく、侘しく、読んでいる者の心を痺れさせます。一~二十七章までは様々な形での艶やかで華やかな「美」が表現されていましたが、最後のこの二十八章ではそれらを踏まえたうえでの、無色の「美」が飾られていますね。これを以って、物語の終結としているところが何とも憎いです。

 

◆ 最後に…

まとめは最初に書いておりますので、ここでは感想文を書いた感想を。

初めて小説について記事を書いてみるということで、「どうせ上手く書けはしないだろう」と高を括っていたのですが…その通りでした(笑)。とは言え、私が想定していた「上手く書けない」は、まさに小学生の読書感想文よろしく、とても短く淡泊な内容になるだろうという感じの「上手く書けない」でした。が、いざ書き始めて見ると、いつものように、とにかくだらだらと長いものになってしまいました。書いている本人しか楽しめない、所謂「オナニープレー」ってやつですね。

とは言え、こうやって文章化することで、その作品をより深く味わえるという意味では、やはりやって良かったと思っています。休日を丸1日無駄にしましたが。

朝、9時ちょい前に書き始め、今はもう17時です。公務員張りに真面目にこの記事を書きました。

悩ましいのは、私にこの「痴人の愛」を薦めてくれた友人に、読んだ感想を伝えたいのですが、「ブログに書いたよ~」→「え? ブログなんてやってたの?」となるのが少し怖いので、どうしよっかなぁ~というところです。ま、それについてはまた後で考えましょう。

とりあえず、誰一人としてここまで読んでる人はいないと思いますが、お疲れ様でした(for us)。