霏々

音楽や小説など

凛として時雨 全楽曲レビュー ~時雨の「歴史」と「これから」を語りたい~

さて、ついに凛として時雨について記事を書く時がやってきました。

これまでの様々な記事の中にも、度々凛として時雨に関する内容を盛り込んできたように思いますが、「はて、凛として時雨の音楽をどうやって言語化すればよいのか?」という苦悩がずっと付き纏っていて、凛として時雨を中心においた記事を書くには至りませんでした。

今でも凛として時雨(以下、時雨)の音楽に散りばめられた要素を言語化する自信なんて微塵もありません。しかし、あるいは切り口を変えれば、一つの形を成す記事にすることは可能ではないか、と思い、PCと向き合っている次第でございます。

というわけで、今回の記事では、とりあえず時雨の「歴史」について書けるだけ書いてみようと思います。4thアルバムである「still a Sigure virgin?(通称、時雨処女)」辺りからのファンなので、歴はまぁ浅いのですが、可能な限り過去に遡りながら色々と時雨の音楽を愛好してきました。年表的に端的にまとめられた情報をお求めの方は、ぜひWikipediaを参照していただければと思います。私の記事よりは正確性が高いでしょうし、なによりも「まとまって」います。これから私が書く記事はどちらかと言うと、私の時雨への想いや解釈といったことを中心に書き連ねていきますので、「歴史」という切り口ではありながらも、趣としては「雑談」あるいは「とにかく長い独り言」と思って聞いていただければ幸いです。言ってしまえば、全楽曲のレビューをだらだらとしていきます。もはや記事としてわかりの良さなんて度外視で、ただただ長いということに情熱を乗せて、続けるということに意味を見出して書いていきます。

さて、長い前口上はこの辺にしておきます…

 

 

1.結成~自主制作時代

アルバム(アルバムというよりはただのCD?)で言えば、「#3」までの時代についてまとめます。一般的に手に入れられる音源では、「#3」の次のアルバムである「#4」からになるので、「#3」を円盤として持っている人は相当な時雨ファンだと思います(私は円盤は持っていませんが、まぁ、音源データとしてはとりあえず持っています。円盤も欲しいですね…)。

もちろん、この時代の時雨を私は知りません。ですから、滅多なことを言えたものではありませんが、私がネットから拾って来た音源をもとに色々と喋りたいと思います。

 

◆自主制作1st「#1」

自主制作の第1弾である「#1」。ここから時雨がスタートしているわけですが、「鮮やかな殺人」・「TK in the 夕景」・「Ling」の3曲が収録されています。「鮮やかな殺人」と「TK in the 夕景」は、後に中野レコーズという自主レーベルから発売されるアルバム「#4」にも収録されていますね(もちろん、ブラッシュアップされた形にはなっていますが)。残念ながら「#1」の音源については私も聴いたことがありません。なので、2019年現在での唯一のベストアルバムである「Best of Tornado」の「Disc 3」に収録されている「鮮やかな殺人(from Demo Tape)」・「TK in the 夕景(from Demo Tape)」から感じたものを書きたいと思います。

ちなみにこの時のドラムは「野田MEN」という方で、ピエール中野さんではありません。次のアルバムの「#2」までは野田MENさんがドラムを叩いているそうです(Wikipedia情報)。

「#1(ナンバー1)」ということで、作詞・作曲を担当するTK(北嶋徹)の初期衝動が詰まっているわけですが、最初からぶっ飛んだ曲を作るなぁ、と驚かされます。「#4」で再録されたものと比べると、まだまだ粗削りで、無理やり詰め込んで繋ぎ合わせた感が満載ですが、「何がしたいのか」が強く伝わってきます。年々洗練されていき、色々なタイアップも経て、ポップだったり美しい曲想のものも手掛けるようにはなってきましたが、結局一貫した「時雨らしさ」というのは、この生々しい「エグみ」だと個人的には思っています。なんて言ったって、最初の曲が「鮮やか殺人」ですからね。間違いなく、この「鮮やかな殺人」の延長線上に今の時雨も立っています。「夕景」と「UK」をかけているお茶目さも、未だ失われてはいません。「下北沢ダイハード」というドラマのタイアップである「DIR meets HARD」で「See more guitar(しもきた)」と歌うくらいですから(笑)。

 

最初なので色々と情報として提示しておかなければならないことがあります。

TKは当時イギリスへ留学?していたお姉さんのもとに、数か月?くらいだったか、遊びに行っています。雑誌やネット記事のインタビューでは、そのときに目にした光景が時雨の曲想になっているそうで、「曇ってばかりで特に楽しくもない」みたいなことを語っていたように思います(色々と情報が不確定ですみません。が、調べればちゃんと原文が出てくると思います)。

時系列がはっきりしませんが、「TK in the 夕景=UK」という曲が「#1」にも納められているので、「時雨の初期衝動がイギリス=UKでの経験にある」というのは間違いないんじゃないでしょうか。イギリスで見た曇ってばかりのシックな街並み。言葉も通じず、荒涼たる精神状態で、そんな景色をただただ見つめていたのでしょう。「時雨」もとい「TK」の作る楽曲がどこか内省的なものでありながら、表現への飽くなき欲求を感じさせるのは、そんな見知らぬ土地での孤独な経験があったからなのではないかな、と思ったり思わなかったり。

ちなみに私は雪国出身なのですが、冬場は本当に晴れないんですよね。瀬戸内海出身の女性がお嫁に来ると、まず間違いなく1回目の冬で鬱病になると言われるほど晴れません。私自身、大学で関東に出て来てからは、「え、冬なのにこんなに晴れてていいの?」とかなり感動したことを覚えています。ですから、関東出身のTKが曇ってばかりのイギリスに行って、鬱屈とした想いに捕らわれてしまっただろうことはよく想像できます。その時に感じたものは良い違和感となって、TKの作曲への衝動に対し、何か方向性のようなものを与えてくれたのではないでしょうか。

さて、色々と音楽とは異なる話を進めていたように思いますが、こんな感じでこれから先も進めていきます。

ただ、音楽的な話もほんの少しさせていただけるのであれば、曲の構成自体は訳がわからないものの、「鮮やかな殺人」のサビや「TK in the 夕景」のBメロに見られるように、ちゃんとポップなメロディラインというのはこの頃からきちんと含まれているんですよね。特に電子音楽が流行って来ている2019年において、ポップなメロディラインというのは「結局日本人は歌謡曲が好きだよな」と侮蔑されることも多々ありますが、「ジャンル否定カッコ悪い」と思います。どうあがいても、一般的な日本人の土壌は歌謡曲にありますし、ことさら歌謡曲を否定しようとするのは、ただ自らに対するアンチテーゼを提示しているだけに過ぎず、アウフヘーベン止揚)には及んでいないと思います。

そういう意味では、日本人的な歌謡曲的要素を完全には排除せず、アバンギャルドな楽曲展開とギラギラした音像の中に、自然とそんなポップな歌謡曲的要素を盛り込んでいるTKは素敵だな、と。嘘がないな、と思います。徹頭徹尾、外国的なオシャレを追求するのもすごいとは思いますが、自分の中にあるものを残らず曝け出そうとする時雨の音楽はやはり芸術の在り方として、すごくナチュラルで良いと思います。もちろん、多分に「照れ」や「虚勢」も含まれているんでしょうが。でなければ、「夕景=UK」なんてジョークを持ち出したりはしないでしょう…と言いながらも、TKはきっと感覚的にそれを入れ込むことが正しいと感じているから入れ込んでいるだけなんでしょうが。

最後に「TK in the 夕景」のイントロのギターやばくない?という感想で締めさせてください。

 

*「Ling」という楽曲については、次の「#2」にて触れます。

 

◆自主制作2nd「#2」

こちらは、まぁ、上手くいけば聴くことができるはずです。少なくともこの記事を見つけるよりは、音源を見つける方が簡単です。

「サスライのR&B」、「侍・残像・君ワラウ」、「Undercover Suicide」はいずれもその佇まいから、「NUMBER GIRL(以下、ナンバガ)」を強く感じますね。実際問題として、TKはナンバガのフォロワーですし、向井秀徳のギターに「鉄の音を感じた」というTKのギターもまた「鉄の音」を感じさせます。「#1」よりもリズムがタイトになり、細かいギターのアルペジオ、そしてキメの多用などは、言ってみればナンバガ要素ですからね。ギターのアルペジオに関しては、ナンバガもここまで細かくはありませんでしたが、まぁ、「侍・残像・君ワラウ」のイントロなんて、もろナンバガの「鉄風 鋭くなって」や「CHIBICCOさん」ですし。ラップっぽい歌の感じも、ナンバガ要素と言えばナンバガ要素ですし。

しかし、いずれの楽曲も一番の盛り上がりを見せるところでは、死ぬほどキャッチーな歌が主役となってすべてを掻っ攫っていくんですよね。これはまさに時雨的と言えるかもしれません。

私の個人的な意見ですが、時雨の楽曲は「劇的」なんですよね。最初は難解で首を捻りたくところがあったとしても(その首を捻りたくなるところも何回も聴いているうちに、曲想と絡み合って美しいと感じるようになるのですが)、最後にはきちんと心をぐっと掴むような劇的な展開が多いです。

ある意味ではその「劇的」という時雨の要素を獲得したのは、この「#2」だと個人的には思っています。「#1」の「鮮やかな殺人」、「TK in the 夕景」も「激的」な展開を孕んだ楽曲ではありますが、「ここを聴かせたい!」というような意図はイマイチな部分があるように思います。

とは言え、それは「#1」と「#2」に共通して収録されている「Ling」という楽曲があったからこそ、得られた特徴とも言えるでしょう。

はっきり言って、この「Ling」という楽曲を好きでない時雨のファンがいたとしたら、それは偽物です。もちろん、「聴いたことないし」というファンも多いとは思いますが、それでもこの「Ling」を聴いて、「好きじゃない」という人は、時雨の一部の楽曲が好きになれても、すべての楽曲は好きにはなれないと思います(もちろん「Ling」を好きになっていない時点で、「すべて」は既に達成されていないわけですが笑)。しかし、私は思うのですが、上記の命題に対して対偶証明法的に言えるのは、「Ling」が好きなら時雨のすべての楽曲は好きになれる、ということです。

劇的な展開、最後に訪れるキャッチーなメロディライン、激情を孕んだ音像、一瞬訪れる静寂…etc。時雨が時雨たり得る重要な要素がこの楽曲にはすべて含まれています。もちろん、まだドラマーは野田MENさんで、ピエール中野さんではないですし、演奏・歌唱技術は未熟です。しかしながら、「何を表現したいのか」ということはこの楽曲にすべて含まれているように思います。初期衝動の中で無意識に生み出されたこの楽曲を深く解釈するために以後の楽曲があると言っても過言ではない、と私は思い切って言ってしまいます。

例えば、かなり後になってTKは「film A moment」という作品を皮切りに、自らのソロプロジェクトを手掛けるようになるわけですが、TKのソロプロジェクトにおけるバイブルが「film A moment」であるように、時雨におけるバイブルは「Ling」であると私は思っています。「凛として時雨」=「Ling tosite sigure」というバンドの名前である「Ling」という造語を冠したこの楽曲は、メジャーデビュー以降も再録されることはなく、もはや歴史を読み解く古文書的な立ち位置に収まったまま放置されています。

「#2」自体の話に戻りますが、「Ling」に限らず「#2」に含まれる全楽曲が、再録されてはいません。「Ling」については、「#1」からすでに「#2」の時点で再録されているわけですが、それ以降の再録はありません。「Ling」以外の3曲はおそらく、前述のとおり、ナンバガ要素が強すぎて、やや時雨的ではないからかもしれません(私は、それはそれで好きですけどね。完全な初期衝動発露の後に訪れる、凧の糸が切れた後のような感じ。そんなときに他のアーティストを見習うのは決して間違いではないですし。ゴッホだって一時期は日本画から強い影響を受けて、それの模倣を経て、自らの強いオリジナリティを完成させました。むしろ驚異的と思うのは、この「#2」でわずかにナンバガ要素を感じさせながらも、それ以前・以降の楽曲では、いずれも「時雨」のオリジナリティしか感じさせないことです)。

ただし、こと「Ling」に関して言えば、別の意図があるように思います。この楽曲はやはり「特別」だからこそ、以降にも再録されることはなかったのかと思います。TKに言わせれば、「その時、その時の全力の結晶がその楽曲であって、演奏やレコーディング、MIX技術が不足していたとしても、少なくともその楽曲はその時点での最高の形で完成されている(非引用です。こんなこと言ってたな、という私の記憶の焼き直しです)」ということなんでしょう。

 

◆自主制作3rd「#3」

収録曲は「テレキャスターの真実」、「赤い誘惑」、「セルジオ越後」、「傍観」の4曲です。いずれの楽曲も自主レーベルの中野レコーズから発売されているアルバムやEPにて再録されています。ありがたいことにベストアルバムの「Best of Tornado」の「Disc 3」にも「#3」のままの状態で再集録されているので、当時のアレンジをそのまま現在の私たちも正式に楽しむことができます。なお、「#3」の時点では「セルジオ越後」というそのままの表記だったらしいです。どうしてそんな曲名にしたのか、もはや意味は不明ですが、今では「セルジオ越後」と聞いても、センチメンタルな気持ちにしかなりません(ご本人に対しては失礼極まりない感想ですが笑)。

私は4thアルバムの「時雨処女」辺りからのファンで、完全な後追いであるため、「#3」を聴いても、「あぁ、時雨らしいな」としか感じないわけですが、当時の時雨ファンからしたら「時雨もだいぶ変わったな」と思われたことでしょう。ドラムもピエール中野に変わったので、その影響も多分にあったのでしょうが、雑然とした「#1」とナンバガっぽい「#2」を経て、だいぶテクニカルで激しいバンドになったという衝撃があったはずです。やっぱりドラムが変わったのが大きな転機だったのですかね。もちろん、時雨らしい荒涼とした温度感は変わらないですし、根幹はブレずにそのままあるわけですが、より洗練されて「あぁ、たぶんこのバンドはこのままいけば売れるだろうな」という確信がこのアルバムからは感じられます。

テレキャスターの真実」は今でさえ、時雨のライブでは一番の盛り上がりを見せる楽曲の1つですし、「傍観」は何といっても「時雨ライブ」を体現する楽曲としてずっと大切にされてきました。先日の「Golden Fake Thinking」ツアーに参加した際にも、ラストは「傍観」で、毎度のことながら最後に全身をザクザクと切り刻まれて、しばらくぼうっとしてしまいましたね。傍観だけに。

まぁ、つまらない冗談はこれくらいにしておきますが、「テレキャスターの真実」、「傍観」は次に発売される自主レーベルからの「#4」に再録されます。

次に再録されることになるのは3曲目の「セルジオ越後」で、「Feeling your UFO」に「Sergio Echigo」としての再録になります。この楽曲も大好きで、曲の中盤に転拍子する箇所になるといつもすうっと体温が低くなり、景色がいやに鮮明に見えてきます。それをよく感じるのは、再録された「Feeling your UFO」の「Sergio Echigo」の方なので、詳しくはまた後で書きます。が、曲終盤のギターソロなんかは再録バージョンよりも、「#3」のオリジナルバージョンの方が激しく、かつまたわかりやすくテクニカルですね。TKってギターをこんなにベラベラ弾けたんだ、と初めて聴いたときは少し驚きました。どんどん速くなる感じも、再録のものよりも強めの印象です。

2曲目の「赤い誘惑」は「Feeling your UFO」の次の発表となる「inspiration is DEAD」に再録されることになります。「Best of Tornado」の「Disc 3」には、この「#3」バージョンとライブバージョンが収録されており、まさかの同じCDの中での曲かぶり。ゆったり目の導入から、中盤は曲構成なんて概念をぶち壊して好き勝手に駆け抜けていき、最後はまたゆったりとした導入と同じリフに戻って終わるという不思議な楽曲です。不思議は不思議なのですが、この奔放さがまた時雨らしく、1曲目の「テレキャスターの真実」同様、感傷性を押しやって、カッコイイに振り切った楽曲とも言えます。

もう一度「傍観」に話を戻させてもらいますが、私個人的には「#4」よりも「#3」に収録されているものの方が粗削りで好きなんです。いかにもインディーズっぽい感じで、最後にTKが雨のように呟く感じも、ベタな演出ではありますが、味があって良いと思います。音楽としての質を取るなら「#4」になるんでしょうが、時雨もといTKが好きなら「#3」をお勧めします。

 

◆自主制作4th「として」

「鮮やかな殺人」、「TK in the 夕景」、「セルジオ越後」の3曲です。私も本物を聴いたことがないので何とも言えませんが、ネットで見つけたものでは、1曲目「鮮やかな殺人」と2曲目「TK in the 夕景」は、「Best of Tornado」に収録されていた音源と同一のものでした。つまり、私が「#1」で書いていた感想はこの「として」の感想だったんですね。そうなると、余計に「#1」を聴きたくなります。3曲目の「セルジオ越後」は高崎clubFLEEZでのライブ音源ですが、普通にめちゃくちゃ演奏上手いです。もちろん粗いですが笑。

ちなみに「音源が見つけられないよ~」という方は「ニ〇二〇動画」を探してみると良いと思いますよ。私もいま、そこで聴きながらこの文章を書いています。

この「として」のジャケットのドラムス欄には、ピエール中野とあるそうです。「Best of Tornado」に収録されたのがこの「として」の音源であることは、ピエール中野さんと野田MENさんへの配慮でしょうね。ファンとしては「#1」の音源だったら嬉しいなぁ、と思っていたわけですが、どうも違うようです。なお、ドラムの音で「これはピエール中野だから、『として』音源のものだ!」と確信を持てなかったことは申し訳ございません。でも、「として」の「セルジオ越後(Live ver.)」を聴けば、このドラムがピエール中野であることは絶対にわかるはず!音楽素人でも!圧巻のライブ音源です(ぜひ「Best of Tornado」にも再録してほしかった…!)。

ライブでの「セルジオ越後」と言えば、TKのソロ活動の中で「アコースティックライブ」が何度かありましたが、その中の「赤坂BLITZ」のコンサートで聴くことができました。その最後に演奏されたのが、たしか「Sergio Ehigo」だったかな? ピエール中野さんもそのコンサートには行っていたようで、「タイム感が時雨の時と同じで嬉しかった」と言っていたのを思い出します。その時は、「へぇ、そんなもんか」と感心していたのですが、この音源を聴くと、やっぱり時雨の楽曲は時雨のメンバーで演奏してこそだな、と思います。もちろん、TKソロの「Sergio Echigo」も素敵なのは間違いないのですが、この「として」のライブ音源のカオスな感じを聴くと、「あぁ、時雨を聴いているな」と強く思わされるのです。

 

さて、これにて「1.結成~自主制作時代」を終わります。時雨の原点ここにあり!的な内容になったかと思います。もう8000字近くなりましたが、まだまだ行きますよ~

 

2.自主レーベル(中野レコーズ)~オリコン1位(TKソロ活動前)まで

自主レーベルという形ではありますが、きちんと現在でもCDを買うことができる「#4」から、オリコン1位を獲得した「still a Sigure virgin?」までについて書きたいと思います。この時期は、凛として時雨が1つのオフィシャルなバンドとして骨格を築き、自らの世界観を広げていった時代になります。

音楽でお金を稼ぐわけですから、クオリティとしてもやはり自主制作時代とは一線を画しますし、また以後ソロプロジェクトを始めることになるTKが、まだその自らの世界観をすべて「凛として時雨」というフィルターを通して発散しようと苦闘していた時期にもなります。

時系列的に並べて聞いてみると、自主制作自体から続く荒涼たる世界観に、少しずつポップさや潤いがもたらされていき、最後の「still a Sigure virgin?(時雨処女)」では煌びやかさまで手にして、オリコンアルバムチャート1位を獲得したというその時間の流れを感じることができると思います。

 

◆1st  album「#4」

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#4

自主制作時代の音源をいくつか盛り込みながら、時雨の骨格である1stアルバムとして、もはやバイブル的な役割を担う「#4」です。バイブルと言えば、「#1」や「#2」に収録された「Ling」にも同じような言葉を使いましたが、「Ling」が楽曲としてのバイブルであるのに対し、「#4」はアルバムとしてのバイブルと言えましょう。

TKはよく「自分にはコンセプトアルバムは作れない。そのときに何とか作り切れるものを作って来ただけだ」的な発言をよくインタビューでしていますが、たま~に「過去を振り返ってみると、唯一『#4』だけがコンセプトアルバムと言えるかもしれない。あのアルバムを作っていたときは、楽曲のストックもあったし、初期衝動も強く持ちながらバランスを考えてアルバムの制作にあたることができた」というようなことも言っています。

たしかに、「#4」は静と動のバランスが絶妙ですし、「こういう楽曲を作ってみたらどうなるだろう」という明らかな意図も感じます。無意識に時雨的なものを作っていた自主制作時代にはなかった、ポップな歌ものである「O.F.T」や、極端な静寂とインストっぽさがある「AcoustiC」などは最たるものかと思います。「鮮やか~」や「テレキャス~」、それから「傍観」などは再録になりますが、レーベルを意識して、かなり洗練された形になっています。「ターボチャージャーON」、「CRAZY感情STYLE」、「トルネードG」あたりの楽曲がさらに時雨としての骨格を作り出しているように思います。いずれの楽曲も、これまでの「凛として時雨」を更新する楽曲でありながら、同時にそれ以降の時雨にもない独自の質感を持った楽曲になっていますね。

1曲目の「鮮やかな殺人」は自主制作時代の「モタつき」感を捨てて、よりスマートに軽やかに。ガチっ、ガチっとメロの切り替わりが強く意識され、一連した「何か」を持ちながらも、1つひとつのセクションにきちんとしたこだわりと味を感じるようになりました。「#1」の最初に作られた曲もあって、「ここから時雨が始まったんだ」という感じが強く、印象的な1曲ですね。

2曲目の「テレキャスターの真実」もまた再録曲になります。こちらもより洗練された形に。「#3」の方が、色々と細かいテクニックや音像のバリエーションは豊かだったように思いますが、「#4」というアルバムにしっかりと馴染むように余計な部分はそぎ落としたという印象が強いです。その分、楽器や歌が際立っているため、聴き心地もよくしっかりカッコ良くなっていますね。シックになりました。ライブでも演奏しやすそうです。

3曲目の「Sadistic Summer」は初収録の楽曲。なんとPVもございます。

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イントロを聴いただけで、「あぁ、夏っぽいなぁ…おぉ、サディスティックだなぁ!」とタイトルの意味を知ることができます。「サラワレタイ夏~」という345の歌の裏で、ギターとドラムがテクニカルなのは新しい試み。何となく「#3」の「赤い誘惑」の延長線上にある楽曲なのかな、という感じです。が、「赤い誘惑」から考えると、こちらはだいぶ無理なく練られた曲構成。そして、何といってもサビの歌のメロディがキャッチー過ぎて泣けてきます。「感情なんてどこにもないよ」という歌詞は、後の「感覚UFO」にも通じる初期TKに共通の世界観です。ライブ映像も何パターンか残っており、「Best of Tornado」にはライブ音源が収録されていますね。どれもサディスティックで素晴らしいです。

4曲目は「ターボチャージャーON」で、これも初収録。楽曲の中盤とラストにある「ジャカジャカジャカジャカ、ジャッ、ジャッ、ジャッ、ジャッ×4、ジャッ、ジャッ、ジャッ、ジャッ、ジャカジャカジャカジャカ×4」が好きすぎて、ギターを買って真っ先に練習しました。何も難しいことはしてないんですけどね(笑) でも、この楽曲の「雨」な感じは大好きです。本当に切り刻むようなギターのカッティング音、ゆったりとしたパートの浮遊感、繰り返される「切り裂いていく」というフレーズ。シンプルながら、哀しく美しい時雨っぽい楽曲だと思います。ちなみに、実はライブ映像も残されていて、ネットで調べれば出てくると思います。音も映像も質は良くないですし、TKの声も枯れてしまっていますが、イントロのアレンジも、終盤の熱量の高いドラミングも素晴らしいです。

5曲目は「AcoustiC」。これも初収録。序盤と終盤に静かなパートがあり、この繊細な感じはこれまでの時雨にはなかった美しい感じです。中盤はまったくの演奏のみで、一瞬だけ5拍子が用いられていたり、ハーモニクス奏法による畳みかけと、激しいドラミングが強烈な印象を与えていきます。ライブ映像も2パターンくらい残っていますが、ライブアレンジがまた素晴らしいんです。CD音源では、静かにひっそりと終わっていますが、ライブでは最後にもう一度激しさを取り戻し、限界まで鋭さを研ぎ澄ませて終わるようなアレンジになっています。

6曲目の「O.F.T」はイントロのギターのカッティングはちょっぴり「ターボチャージャーON」を彷彿とさせ、Aメロの345パートは「Sadistic Summe」っぽくもあります。しかしながら、Bメロはとてもキャッチーな歌ものっぽい感じになっていますね。ライブで聴いたこともありますが、捻りなく良いメロディーなので楽しく聴くことができる楽曲です。「形を変えられない僕は星のように消えていくのか」や、「二人きり曇る空懐かしく」など、歌詞が美しい曲でもあります。転調してからのCメロも、最後にまたAメロがやって来て、最後には一緒になるみたいな展開も丁寧で、素敵です。TKと345の歌声が重なるとやっぱり「この声があってこそ」と思います。

7曲目は「CRAZY感情STYLE」。イントロの演奏がカッコ良すぎですが、本当に独特なリフを作りますよね、TKは。「CRAZY感情STYLE」という語呂も最高です。CD音源も起伏に富んでいて良いですが、この曲はライブで化けます。渋谷O-WESTのライブ映像がネットに残っていますが、楽曲前のハウリングからイントロにかけてがまずめちゃくちゃカッコ良く、イントロのギターリフも1番の中盤あたりのピックスクラッチも、間奏のディレイをかけたギターソロも、とにかくギターがカッコ良い。最後のサビのギター・ベース・ドラムが一体となって、「ダダッ・ダダッ・ダダッ・ダダッ」というキメが多用されるところもカッコ良いんですよね。ぜひ、CD音源だけでなく、ライブバージョンも楽しんでほしい1曲です。「Best of Tornado」にもライブ音源が収録されていますが、上述の渋谷O-WESTの映像の方が個人的にはパキっとしていて好きです。

8曲目は、「トルネードG」。「G」はおそらく「Guitar」の「G」だと思うのですが、RADWIMPS然り「自慰行為」の「G」かもしれませんね…何となくギターを弾く行為って自分の世界と向き合うことですから、ギターのことを歌っていても、「オナニープレイ」的な感じで「自慰行為」と意味合いが近くなってしまう気がするのです。コード進行はほぼ一定で、アルペジオかカッティングか、それからキメがあるかないか、ということで楽曲を展開させていきます。最後の畳みかけるようなキメはギターで弾いてみるとめちゃくちゃカッコ良くて楽しいところです。345の空気を切り裂くような歌声が堪能できるところもこの楽曲の良いところだと思います。

9曲目は、「傍観」です。ほかの再録曲と同じように、「#4」というアルバムに上手く馴染むように「#3」からアレンジが施されています。よりシンプルかつシックに。ドラムのバスが細かくなっていたり、とテクニカルになった一面もありますが、各楽器の収まりが良くなっている分、音としての力強さは「#3」に若干劣る感じもあります。が、より「情景」が強く浮き上がって来る気がします。夕暮時、山端の黒い影がオレンジ色の空を歪に切り取る…そんな感じの情景ですかね(個人的には)。様々なライブ映像が残っています。「Live Cheers」のライブ映像(上述の「ターボ~」のライブ映像も同ライブのものです)が初期のものの中では1番好きです。フィードバックからの「僕は知らない」の瞬間に照明がぶわっと明るくなるタイミングで、鳥肌もぶわっとなります。それから、サビ2回目の終わりの345の鳴き…そして、エンディングの狂気そのものみたいなギター、ピュイピュイとエフェクターをかけられて、ジャワジャワとうねるようなエフェクターもかけられて…本当に何度聴いても鳥肌が立ちますね。最近のものだと、ロンドンのライブの映像が出回っていますね。NHKで放送されたものよりも、向こうの人が勝手に撮った映像の方が臨場感があって良い感じです。2回目のサビ終わりのギターの鳴きっぷりが素晴らしいです。最後のアレンジも良いですね(この間のGolden Fake Thinkingツアーのラストも同じ構成でした)。ちなみに、1番ちゃんと出回っている(非公式なので、「ちゃんと」という言葉は不正確ですが)のは2007年のCDJライブの映像ですが、これではピエール中野がドラムセットを破壊したりと、とにかくロックな感じです。コードを弾いてるときのギターの音はほかのライブ映像よりも重厚で良いと思います。まぁ、とにかく「傍観」は音源も良いですが、ぜひ「ライブ」で楽しんでください、ということです。

10曲目は、「TK in the 夕景」でこれも再録のものです。イントロのギターリフは「として」のものの方が好きでしたね。ただ、全体的な楽曲のバランスを考えればやはり「#4」のものの方が洗練されていて良いと思います。テクニカルな楽曲なのでね。「傍観」とは楽しみ方が違う分、好きなテイクもまた変わってくるわけです。凛として時雨と言えば、アンコールをしないバンドでおなじみですが、その理由は「もう1回出てくる必要がないから」的な感じだったと思いますが、それは「傍観」をライブで聴けばわかると思います。「傍観」が終わった後にもう1回出てこられても、正直困ってしまいます。それくらい、後にはもう何も残らないという感じなのです。昔の30分の持ち時間が与えられていた対バンの時代から、そういう風にしてやってきたのだから、今さら変える必要はない、ということでしょう。が、不思議と「#4」ではそんな「傍観」の後にもう1曲、「TK in the 夕景」があります。このことから言えるのは、「鮮やかな殺人」で始まり、「TK in the 夕景」で終わる。そんなアルバム構成が最初からTKの頭にはあったということです。どちらも「#1」に収録された楽曲です。そして、「Ling」は二度と再録されることはない(おそらく)。

何というか、これにて初期の時雨は完結したわけです。初期衝動はすべてこの「#4」までに詰め込まれ、そしてこの「#4」を経てまた新しい凛として時雨が始まっていく。

いつかのインタービューで時雨のメンバーが言うには、やはり「#4」は特別なアルバムだったということです。TKも「『#4』以降のアルバムは、その『#4』の中で掴んだものを広げたり深堀りしたりしているに過ぎない」的なことを言っていたかと思います。それだけ凛として時雨にとって記念碑的なアルバムだったのが、この「#4」なのだと思います。なので、皆さん、心して聴きましょう…!

 

◆1st EP「Feeling your UFO」

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Feeling your UFO

前作の「#4」が10曲入りの大作だったのに対して、今作は5曲入りのEP。「想像のSecurity」、「感覚UFO」、「秋の気配のアルペジオ」、「ラストダンスレボリューション」、「Sergio Echigo」です。ジャケットが秀逸で好きです。好きすぎて、「動物の森」の自分でデザインする奴で、勝手に流用してました(笑)。

全体的に歌のメロディラインがふわふわとしていて、高低がなく、一本調子に聞こえがちなアルバムです。ともすれば、「え、音痴じゃね?」的な感じです。まぁ、たしかに時雨は歌の上手さを売りにしたバンドではありませんが、とくにこのEPは歌が好きな人にはあまりウケないかな、というところです。

が、もともとそんな浮遊感を生み出して作りたかったのが、このEPだと思われます。「想像のSecurity」のサビの345パートなんかはめちゃくちゃキャッチーでメロディアスですし、「#4」の初期衝動の次の領域をTKが模索しながら、意欲的に新しい世界を切り開いていこうという姿勢が見て取れるEPとなっています。特に、音像が全体的にクリアで儚く、聴いていて心地良いのは時雨の円盤の中でも特徴的です。

 

1曲目は、「想像のSecurity」。PVもございます。

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とにかくリフが異次元です。カッティングをベースとしたリフは、ほんの少し「#4」の「CRAZY感情STYLE」を彷彿とさせますが、よりギザギザ感が出たリフになっていますね。どこでも聴いたことのないリフ。時雨の楽曲にはそういうのが多いです。ドラムは16ビートが強く意識され、ハイハットや途中のタム回しなどは、めちゃくちゃ速いです。上手い下手関係なく、好き勝手に叩いて良いと言われても、こんなに速くドラムを叩ける自信はありません。先述の通りではありますが、とにかくサビの345のパートがとてもキャッチーで、それと代わる々わる追いかけ合うTKの歌も切迫してくる感じが大好きです。ドラムもTKパートの短調で切迫した感じから、345パートに入った瞬間ダイナミックかつ複雑になり、その切り替わりも含めて良いですよね(ぜひ、345パートのときのドラムを追ってみてください。裏のリズムで叩いたりしているので、意外と追いかけるのが大変だと思います)。

 

2曲目は「感覚UFO」です。ライブでは、お決まりの「ドドタッ×32」のドラム+ギターノイズから始まり、345のベースイントロへと繋がる流れがテンションを高めますが、CD音源で特筆すべきは、やはりイントロのギターリフですね。「感覚UFO」というタイトルを体現するリフ。言葉通りの浮遊感を漂わせ、きちんと楽曲の顔を務めてくれています。静と動の切り替わり方が激しく、「7月に見せた冬の景色は」のところでハーフテンポを使ったり、とにかく展開が展開を呼ぶような楽曲です。「交差したい~」のところはただ叫んでいるように聞こえながらも、一発目の和音で7thを使っていることで、どこか不協和音的な響き方を見せるため、それもまた浮遊感を演出しています。この和音が「堪らないポイント」の1つです。シャウトのところの「1・2・3~!!」はよく「温泉だ~!」に聞こえるという空耳でいじられることもありますが、まぁ、それくらい愛されているということでしょうね。私はそういうの、「好きでも嫌いでもないね」。ちなみに、「Sadistic Summer」のところでも少し触れましたが、この楽曲は歌詞も好きなんですよね。「交差したい感覚UFO」、「閉鎖したい感情UFO」という歌詞は、「UFO」については置いておくとしても、「感覚=交差したいもの」、「感情=閉鎖したいもの」というTKの考え方が色濃く出ているように思います。感情というものは意外と「因果」があり、人間の都合が反映されるので、本当の意味では「ピュア」ではあり得ないわけです。対して、「感覚」というのは、そういった人間の都合を排除した完全に「ピュア」なものだと考えられます。ですから、TKは「感情」は閉ざし、「感覚」で交じり合いたい…そんな風に考えているんじゃないかなぁ、と私は考えています。ラストの345の「曖昧な浮遊感ディレイ寸前のグレイの空」という歌詞はわけわかりませんが、かっけぇです。痺れます。

 

3曲目は「秋の気配のアルペジオ」です。曲名の通り、ずっと秋らしい涼しく透明感ある雰囲気を携えながらアルペジオが駆け抜けていきます。「#4」の「AcoustiC」の序盤と終盤も本楽曲と似たような透明な空気感があり、あれを広げて描かれたのではないかな、と勝手にイメージしています。この楽曲の世界観はほかの楽曲と比べてイメージしやすく、ギターもアコギが使われていたり、音像の方向性がはっきりとしています。この楽曲から漏れ出した空気感が、周囲の楽曲にもこざっぱりとした美しい印象を与えているように思います。つまり、アルバムをマスタリングするうえで、この「秋の気配のアルペジオ」を活かすためにとられた処置が、周囲の楽曲にも少なからず影響を与えているだろう、ということです。シングルではなく、ある程度の数の楽曲をまとめて出すことの意義を感じます。

 

4曲目は、「ラストダンスレボリューション」。「ダンス・ダンス・レボリューション」をパロった曲名ですが、この楽曲には「もともと別で作っていた2曲を無理やりくっつけてみた」という逸話があります。確かに、前半と後半で全く別の楽曲になっていますが、楽曲を通して一貫したものがあるのも確かです。前半は、夏の夕焼け、海岸線のドライブ、みたいな趣があり、切なさと煌めきを感じます。後半は陽が落ち、夕闇の中で自己の中心へと向かっていくようなひっ迫したものを感じます。曲名の如く、ラストはダンサブルに、激しく、TKと345の掛け合い、さらにピエール中野のドラムも絡み合って、とにかく聴いていて切なく苦しい展開となります。「Best of Tornado」ではライブ音源も収録されていますので、それも忘れず聴いていただきたいです。CD音源よりもさらに激しく、ラストではシャウトの応戦になっています。

 

5曲目は、「Sergio Echigo」です。「#3」にも収録された「セルジオ越後」の再録ということになっていますが、前述の「秋の気配のアルペジオ」から漏れ出した空気感がこの激しく狂おしい楽曲をも染め上げ、どこまでもクリアで切ない色に彩っています。特に、中盤の転拍子してからのシンプルなアルペジオが続く間奏がとても好きです。時雨の楽曲の中でも、この間奏は1,2を争うレベルで大好きなところです。ふっと、心の底を見透かされたような心地がして、どこまでも孤独な世界と向き合っているような気分になります。例えばゴッホの「ポプラ林の中の二人」を見たときのような、例えば村上春樹の「1973年のピンボール」を読んでいるときのような、そういった静寂のナイフを首元にあてがう心地がするのです。色々なものがクリアに見え、そのクリアさ故に、目が潰れそうになるのです。と、やや大仰な表現を持ち出してしまいましたが、そんな大仰な表現を持ち出すくらいに好きなんだとご理解ください。ラストの345の「行方知らず青木華絵」という歌詞も謎めいていて好きですね。どこかで「青木華絵はBlue Flowerというギターのことで、ギターを失くしたことを歌っているんだ」というような噂も耳にしましたが、本当のところはどうなんでしょうね。いずれにせよ、面白くて素敵な歌詞だと思います(曲名のセルジオ越後しかり)。

 

◆2nd album「inspiration is DEAD」

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inspiration is DEAD

時雨の中では最も攻撃的とされているアルバムになります。ドラムスのピエール中野のキャラソンとして名高い「nakano kill you」ではツーバス踏みまくりですし、異次元イントロで誰をも魅了する「DISCO FLIGHT」、そして「#3」からその奔放な楽曲展開で聴く者を振り回してきた「赤い誘惑」など。これらの楽曲を生み出す過程でinspirationがDEADしてしまったのか、あるいはinspirationがDEADしている状態で衝動だけで作ったということなのか、アルバムタイトルの本当の理由はわかりませんが、とにかく激しい楽曲が多いです。

音像も前作の「Feeling your UFO」とは打って変わって、クリアとは反対のざらついたノイジーな音像になり、響きよりはアタック音に重きが置かれています。音だけ聞いていると、前作の方がクリアなので、「あれ? 劣化した?」みたいに感じるかもしれませんが、「inspiration is DEADはローファイな音像を楽しむ音楽なんだ!」と思いながら聴くのがお勧めです。

作曲者の狙いを考えながら聴くのも、また私たち視聴者に許された自由なのですから、そこは楽しくいきましょう!

 

1曲目は「nakano kill you」。曲名の通り、ドラムスのピエール中野さんが私たちを殺してくれます。もうイントロからツーバス踏みまくり!という感じですが、実はこの楽曲の楽しさはキメにあります。最後のサビの前のドラムソロが畳みかけて来て、そこから3人が一体となってバシッとキメるあたりは最高ですよね。ほかにも、TKと345の歌の掛け合いも、「Feeling your UFO」を経て手に入れた浮遊感あるメロディラインで切なく、テンションも上がります。ライブでは、ピエール中野がスティックを回しまくるし、まぁ、さすがピエール中野のキャラソンだけはあるな、という感じです。手数×手数という感じなので、ぜひドラムの音がちゃんと粒だって聴こえるオーディオ環境でお楽しみください。

2曲目は「COOL J」。イントロから複雑です。ギターの弾いてみた動画をもとにコピーしようと頑張りましたが、かなり難しかったです(てか、相変わらずアルペジオ速ぇ…)。叫ぶ感じの歌のメロディが多く、最初はそれが少し苦手だったのですが、楽器を中心に聴いてみると、めちゃくちゃカッコ良く、次に構成を気にしながら聴くと、やはりラストへの盛り上げ方が秀逸で、「あぁ、やっぱり時雨の楽曲ってすごいな」と感心させられる楽曲でもあります。ただ、カッコイイだけじゃないぞ!というカッコイイ楽曲ですね。

3曲目は「DISCO FLIGHT」。

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時雨が色々とタイアップをやり出す前にYouTubeなどで調べると真っ先に出てきた楽曲。2009年のCDJの映像でしたっけね。「イントロのギターすげぇ! でも、声気持ち悪い!」ってなるお決まりのやつです。ほんとにこの楽曲は耳に胼胝ができるくらい聴いて、ライブでのエフェクターを踏むタイミングや、キメのタイム感、それからギターソロの一音一音まで馬鹿みたいに覚えていました。345の歌もキレッキレですし、ドラムもかなりテクニカル。でも、結局、印象を攫って行くのはイントロ、間奏、アウトロのギター。そんな「みんな大好きDISCO FLIGHT」です。

4曲目は「knife vacation」です。これもイントロが鬼畜です。頑張ってコピーしたのに、コピーしきれず雰囲気でしか弾けません。本当に謎イントロ。どうやってこんなの思いつくの?というレベルです。2番Aメロの細かく刻む16ビートのドラムがカッコイイです。が、どこを切り取ってもすべての楽器がカッコ良く、残念ながらサビらしいサビではないので、一般受けはあまりしなそうですが、何か楽器をやっている人からしたら、旨みたっぷりの楽曲だと思います。最後の345の超キャッチーなメロディラインの歌なんて、初期「#2」頃の時雨を感じさせますね。ドラムもツーバスを踏みますし、アウトロのギターリフなんて、1回しか出てこないのに、どこか地続きでありながら、コピーしようと思うとちょームズいです。私がギターをコピーするときに参考にさせていただいた「弾いてみた」の人は「これが、私にとっての、ふわふわタイム」と書いていましたが、上手いこと言ったもんです(なぜかちょっと悔しい笑)。

5曲目は「am3:45」。メンバーは「エー・エム・みよこ」と呼んでいるそうです。歌詞は「世界 消えて 忘れて 無重力の遊泳」だけ。とにかくそれが繰り返されます。優しい世界観ではありますが、ギターのノイジーな感じは狂おしく、途中で3拍子になるところはそれまでの温かな世界を切り裂くようで、まるで静かな宇宙を横切る煌めく彗星のよう。特に複雑な楽曲ではないのですが、とても壮大で本当に「無重力の遊泳」をしている心地になります。「ゼロ・グラビティ」という映画が宇宙を美しく描いたとして有名になりましたが(私はあの映画の登場人物がどうしても苦手で、最後まで見ることができませんでしたが…笑)、この「am3:45」からも十分宇宙を感じることができます。なお、ピエール中野さんの吐息なども録音されているそうですが、未だにどこに入っているのか、見つけられていません。

6曲目は「赤い誘惑」。「#3」からの再録になりますね。これで残す未再録の楽曲は「#2」の楽曲のみとなりました。それからもちろん「Ling」も。楽曲自体には何度か触れてきているので、「Best of Tornado」のライブバージョンの感想でもさせてもらおうかと思います。普通にCD音源を聴いていると、単純にどんどんと展開していってサディスティックでカッコイイ曲だな、という感じなのですが、ライブバージョンを聴いてみると、「これこんなに綺麗に演奏できるの? なんかすごくない?」と気づかされます。本当にどうやって揃えているんだろう、と不思議になってくるんですよね。それにしても、この楽曲は本当に展開が多すぎるので、一度時間をかけて展開を分析した方が良さそうですね。昔、バイトへ向かう電車に乗りながら「時雨処女」の「a symmetry」の構成をスマホのメモ帳に書き出してみたのですが、「Fメロ」だか「Gメロ」までいった気がします。この楽曲もそうなりそうな予感です。

7曲目は「1/fの感触」。イントロは不可思議なノイズから始まり、高速のギターアルペジオと印象的なベースのリフがやってきます。ドラムも決してシンプルとは言いかねる複雑なパターンなのですが、Bメロからサビにかけてゆったりとした印象があり、時雨の中ではあまり目立たない楽曲なのかな、と個人的には思っています。ですが、2番に移行する時のカッティングギターであったり、2番中盤に現れる間奏のディレイをかけたギターのアルペジオや、ダカダカダカというドラミングだったり、意外とディティールが凝っている部分もあります。また、サビのメロディラインも美しいんですよね。「Night, inside of you」という345パートの歌詞も魅力的ですし、聴けば聴くほど旨みが出てくる良い楽曲です。ギター、ベース、ドラムの1つひとつの音に着目しながら楽しみ、そして最後にはそれらが寸分の狂い無く見事に一体となって絡み合っている奇跡を堪能しましょう。

8曲目は「i not crazy am you are」です。どこまで本気なのかわかりませんが、何かのインタビューかラジオ音源?でTKが「inspiration is DEAD」の中でお勧めしたい楽曲が、この「i not crazy am you are」でした。時雨にしては珍しい早口の歌。RADWIMPSかな、と思うくらい速いです(あんなに活舌良くはないですが笑)。「nakano kill you」ほど重厚ではなく、「DISCO FLIGHT」ほど派手でないですが、キメも多く、テクニカルかつスピーディで激しいです。TKがお勧めしたのもあながち嘘ではないのかな、と思ってきますね。ぶっちゃけこのアルバムの中では、コピーするのが1番難しそうですよね。ドラムのコピーの難易度については専門外なのでまったく想像もつかないのですが、とにかく速いですし、おすし。ライブでも定番のメジャーな楽曲たちに隠れがちではありますが、掘り下げてもこんなにカッコイイ楽曲が出てくる凛として時雨というバンドはどれだけ凄いんだと思わされますね。

9曲目は「夕景の記憶」。TKが大好きな「夕景」という言葉。「夕景=UK」というくだらない言葉遊びも含まれてはいますが、この楽曲に関しては「UK」よりは本来の「夕景」という言葉が浸みこんできます。前の曲の「i not crazy am you are」とは打って変わって、めちゃくちゃシンプルな楽曲ですが、その分、情景が鮮やかに浮かび上がってきます。間奏のリバーブをかけたギターの演奏も、寂しげで鬱屈としていて素敵です。「Best of Tornado」にもライブバージョンが収録されていますが、ゆっくり目の曲でも全くブレずにバンドがまとまっており、きちんとグルーヴの良さを感じます。ていうか、CD音源の時から思っていましたが、TKめっちゃロングトーン! よくこんな息が続きますね。普通にすごいです。歌手の人ってこんなのが当たり前なのでしょうか。

 

◆1st single「Telecastic fake show」

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Telecastic fake show

 

このシングルは「Telecastic fake show」、「Re:automation」、「24REVERSE」の3曲からなります。言わずもがな、凛として時雨の代表曲である「Telecastic fake show」を表題曲に据えたシングルとなっています。ちなみに、このシングルが、自主レーベルの中野レコーズから発売された最後の楽曲となっています。

 

1曲目の「Telecastic fake show」はシングルの表題曲ですが、私はこの1曲で凛として時雨は伝説になったと思っています。

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NUMBER GIRLにとっての「NUM-AMI-DABUTZ」、キリンジにとっての「エイリアンズ」…未来のバンドマンが「昔にこんなバンドがいて…」と話すときに、凛として時雨の代表曲として紹介されるであろう楽曲がこの「Telecastic fake show」だと思います。近年のTKも「時雨でお勧めする曲は?」という質問に対して、「楽器やってるなら、Telecastic~かな? 普通の楽器してない人はゴチャゴチャしてるって思うだろうけど」的なことを言っていましたね。意表を突くテンポチェンジ。裏のリズムを取り続けるBメロ。サビの疾走感とキャッチーなメロディライン。同時に、サビで複雑なフレーズを叩くドラム。一旦静かになってからの、再度訪れるサビの攻撃的なメロディ。TKと345の掛け合い。最後のドラムの食い込んだ8ビート。とにかく、完璧な楽曲と言えます。また、MVも良いんですよね。演奏しているカットを次々と別角度から繋ぎ合わせていくというシンプルなアイディアながら、楽曲に劣らない疾走感溢れる映像、そして背景の白がよりその楽曲の切れ味を演出しています。この楽曲からは完璧な創造物が持つ、それ自体が1種の様式美となるような品格すら感じますね。べた褒めしすぎでしょうか? でも、しばしば稀にこういう楽曲というのは生まれるものです。例えば、ほかの記事でも書かせていただいたLillies and Remainsの「Final Cut」とか。誰にでも作れるものではないですが、ふと思いがけずできてしまうときがあるんでしょうね。

2曲目は「Re:automation」です。Aメロのギターにかかった空間系のエフェクトがそう感じさせるのか、不可思議で浮遊感があり、どちらかと言えばミドルテンションの楽曲なのかな、と思わせておいて、複雑なキメと愚直なシャウトでテンションをぶち上げてくる楽曲です。が、ただ激しいというよりは、テクニカルな印象が強い楽曲です。ベースラインもうねりまくりですし、ドラムも手数が尋常じゃないです。ピエール中野さんがドラム講座のために自分で演奏している動画があるのですが、一度見ておいて損はないです。「うわ、まじでこんなに叩いてんだ」と衝撃を受けるはずです。特に終盤は345のコーラスやTKのシャウト、さらにギターやベースまでぶわーっと鳴っているので気づきにくいですが、ドラムも大変なことになっています。ぜひ、それを目撃してほしいです。それからもう一度CD音源を聴くと、また聴き方も違ってくるでしょう。

3曲目は「24REVERSE」。この楽曲は上の2曲とは異なり、静かで寂しく、冷たい雲のような触り心地の楽曲です。「東京喰種」の作者である石田スイ先生も、自身が手掛けたコンピレーションアルバムの中に時雨の代表曲である「illusion is mine」とともに、この「24REVERSE」を選んでいます。決して複雑ではありませんが、TKの描く、冷たく切ないひっそりとした世界観が色濃く出ている楽曲です。私もこの楽曲は好きで、よく眠る前とかに聴いていました。この楽曲は時雨にしては珍しくフェードアウトで終わり、またそのフェードアウトも1分くらいあるので、その1分の間にすうっと眠ってしまうんですよね。たまにリピートをかけたままで、また1曲目の「Telecastic~」に戻ってビックリして起きてしまうことも多々ありましたが…(笑)。そしてここまで来ると、前作の「inspiration is DEAD」までとは明らかにレコーディング、ミキシング環境が変わっていることに気がつくでしょう。もちろん、「Telecastic~」も「Re~」もかなり音の質が上がってはいるのですが、こうやって静か目の曲になると、余計にその音質の向上を感じるはずです。試しに、同系統の「AcoustiC」や「1/fの感触」などと聴き比べてみればすぐにわかると思います。そして、この「24REVERSE」を皮切りに、以降の「moment A rhythm」や「seacret cm」、「a 7days wonder」などの水底系の楽曲が生み出されていくことになるわけです。

 

◆2nd sigle「moment A rhythm」メジャーデビュー曲

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moment A rhythm

 

そして、ついにSONY MUSICからメジャーデビューが決まります。そのメジャーデビューシングルがこの「moment A rhythm」という楽曲。シングルCDで、本当に1曲しか収録されていないという破天荒ぶり。そして、その1曲が16分50秒もあるという破天荒ぶり。そして、シングルCDに写真集もついてくるという破天荒ぶり。いや、本当に「何やってんだよ、こいつら」と思われたことでしょうね。2008年のクリスマスイブと言えば、私は「彼女なんていらねぇ」と母親の前で強がってしかいませんでした。そんなことをしている同じ時間軸で時雨がこんなことをしていたなんて! 「メジャーデビューしてやりたいことができなくなるのは嫌だ。ていうか、意味がない」というようなことを考えていた時雨のメンバー(主にTKでしょうか)が、「メジャーデビューしたんだから、お金もあるし好き勝手できるぞ」と意気揚々に発売したのがこの「moment A rhythm」というシングルだったわけです。楽曲も、これまでの時雨の楽曲の中では1番静かで、激しさどころかキャッチーな歌メロすらない(前作の「24REVERSE」では、静かながらもまだ歌メロはキャッチーでした)。ですが、どこまでも繊細で美しく、間奏のギターソロは月夜にむせび泣く太古の怪物のようでもあります。永遠と広がる曇り空に包まれて、銀色の光の波に揺られながら眠る。そんな雰囲気の楽曲です。私は文章を書くのが好きですが、だいたい文章を書きながら音楽を聴いています。もちろん、書いている文章と空気感が合う音楽を聴くのが好きですが、「moment A rhythm」はよく文章を書きながら聴いています。上述の稚拙な比喩みたいな世界観を書きたいときには、ことさらよく聴くわけです。大学生の頃、ほとんど家から出られなくなった私は、よく夜明けまで眠ることができず、白んでくる空の明かりから逃げるように布団をかぶり、この「moment A rhythm」に救いを求めたものです。そんな自分自身の時間と密接に結びついた楽曲です。

あ、ぜひ「ピエールmoment」で検索してみてください。これは大事なお願いです。

 

◆3rd album「just A moment」

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just A moment

 

さて、メジャー第1弾となる3rd albumです。たまに時雨のアルバムについて何かしらの文章を読むと、「『just A moment』はイマイチだったが…」という接頭語を目にします。確かに、時雨に激しさを求めるのであれば、10曲のアルバム中「ハカイヨノユメ」、「JPOP Xfile」、「Telecastic fake show」の3曲しか、いわゆる時雨らしい激しい楽曲はないので、物足りなさを感じるのかもしれません。「Hysteric phase show」も激し目ではありますが、ややシックな感じなので、「とにかく盛り上がれる」という感じの楽曲ではありませんし。しかし、「Tremolo+A」も「a 7days wonder」も、「seacret cm」も美しい世界観を有する楽曲ですし、「a over die」なんて時雨に珍しくインストで面白味があります。アルバムのトリを飾る「mib126」は、ちゃんと時雨らしい「劇的」な要素を持つめちゃカッコイイ楽曲です。

振り返ってみれば、このアルバムの立ち位置もはっきりとしてきます。つまり、それまでどちらかと言えば、モノクロチックに静と動だけで楽曲の世界観を描いてきた時雨が、色味を手に入れ出したのがこの「just A moment」というアルバムになります。それは、「24REVERSE」が示唆した世界観であり、「Ling」の頃から持ち続けたTKの優しくきめ細やかな美的感覚を具象化したものでもあったわけです。「Ling」でTKが描きたかったものが、この「just A moment」には含まれていないかどうか、それは楽曲をちゃんと聴けばよくわかるはずです。そして、次の「still a Sigure virgin?」の煌びやかな世界へと通じる印象派的な色彩感覚も、この「just A moment」には含まれています。それでいて「#3」から「Telecastic fake show」までの中で確立した「激しさ」という時雨のアイデンティティも「ハカイヨノユメ」や「JPOP Xfile」などに引き継がれているわけですから、過去と未来を繋ぐ、時雨好きには堪らない名盤と言えることでしょう。

 

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インタビュー記事もあるので、ぜひ読んでみてください。

 

1曲目は、「ハカイヨノユメ」。このアルバムの中では最も激しい楽曲と言っても良いかもしれません。リフのドラムパターンのお尻部分の「ダ・ダ・ダ」は、とにかく音ハメが気持ち良いです。ハーフテンポも多用され、サビ前の「you're dancing in my mind」あたりは思わず、ヘッドバンキングしたくなりますよね(ヘドバンはちょっと違うか笑)。途中の静かなところも雰囲気があって良いです。まるで、とろとろした液体の中に浮かんでいるみたいです。そして、何よりもこれまでの時雨になかったのが、「色味」です。私だけかもしれませんが、この「ハカイヨノユメ」は「紫色」を感じませんか? もちろん「ハカイヨノユメ」という言葉自体がそんな色味を持った言葉というのもありますけど。しかし、いずれにせよ私はこの楽曲から「紫色」を感じますし、時雨の楽曲から色を感じたのは「ラストダンスレボリューション」の「銀色」や、「Serigio Echigo」の「金色」、そしてその他楽曲の「黒」や「白」といった、どちらかと言えばモノトーンに近いものだけでした。ともかく、この「ハカイヨノユメ」は激しさと雰囲気を両方持った時雨にとって新しい領域の楽曲ということです。

2曲目は、「Hysteric phase show」です。「Telecastic fake show」という楽曲がありながら、こんな曲名をつけてしまうTKの謎センス。この楽曲の色味は「青」・「黒」ですね。「just A moment」というアルバム自体が、アルバムジャケットの通りの色合いをしているように私は思います。が、この「Hysteric~」はジャケットの水に電気ショックを与えて、もう少しビビビっとした感じのイメージです(語彙力…)。実はギターの音色もこれまでにないような音色を使っていますね。最初のギターリフは「Re:automation」のギターソロの音色とちょっと近いですね。ていうか、2番に移る前の間奏のギターとかホントどうやって弾いているんでしょうか。

3曲目は、「Tremolo+A」です。時雨にはとても珍しい「アコースティックギター」メインの曲です。SSTVの企画で、演奏映像も残っていますね。電球を上からいくつも吊り下げた空間での演奏はとても幻想的で美しいものでした。Bメロの優しい345の声、そこからの印象的なリフ。3連符をモチーフにしたオシャレなリズムのリフです。別に時雨独自のものではなくて、モーニング娘。の「そうじゃない」とかでも使用されています。ちなみに、このリフのときは、普段ピック弾きの345もアコースティックギターの音を聴きやすくするために指弾きにしているそうです。この楽曲のイメージは「黒」です。でも、雨に濡れた路地を照らす儚い街灯程度の淡い光は感じさせてくれます。悲しいながらも、どこか優しさを感じませんか。ちなみに、この楽曲は外部エンジニアの方がミックスしているそうです。珍しくアコギを使用した楽曲ですが、アコギの音もきちんと埋もれず届いてきますね。

4曲目は、「JPOP Xfile」です。

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イントロからシンプルで渋いドラミングが印象的でありますが、不協和音みたいなギターのアルペジオと、うねりまくるベースが楽曲を立体的にしています。逆にギターとベースが複雑だからこそ、シンプルなドラムパターンが生きてくると言っても良いかもしれません。とは言え、楽曲が1番盛り上がるのは、「JPOP!」からの3人一体となってのキメまくりながらのサビですよね。「ジャージャジャー、ジャッジャッジャジャー」とつい口ずさんでしまいたくなります。落ちサビの「妄想に入り込んだ~」をずっと「もうすぐ日本に帰んだ~」と空耳してたのも良い思い出です(だって「JPOP」ってめっちゃ言うから…)。間奏やラストのギターソロも実は難しそうですよね。「Telecastic~」に続いて、かなり人気の高い楽曲なんじゃないかと思います。

5曲目、「a 7days wonder」。ベースのリフが印象的なこの楽曲。しかし、ギターの「弾いてみた」動画を見てみると、この楽曲のギターがイカれていることに気がつくはずです。不可解なアルペジオ、時々挿入される難解なフレーズ、何を弾いているのかもよく聴き取れないギターソロ。この間のライブでも披露されていましたが、ずっとTKの手元を見ていました…「やべぇ、ホントに弾いてるよ。この人」。曲の展開を追って着実に盛り上げるようにシンバルの数をコントロールしているドラムも秀逸です。ミックスも良いですし、本当に良曲だと思います。色のイメージはまさにCDジャケット通りの「青」・「黒」ですね。ていうか、CDジャケットはこの楽曲と「seacret cm」をイメージして作られたんじゃないかぁ、という感じですね。8bitアレンジも素敵なので、ぜひ聞いてみてください。時雨の楽曲が持つ音楽的魅力のポテンシャルの高さを感じるはずです。

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6曲目は、「a over die」です。時雨唯一のインスト楽曲です。「そう言えば、時雨ってインストの楽曲ないよね」と言われたTKが翌日には拵えてきたという逸話のある楽曲です。かなりスタイリッシュですし、まぁ、確かに時雨っぽいっちゃぁ、時雨っぽいです。ピエール中野のドラムの繊細さがそう思わせるんですかね。でも、やっぱり歌が入っていないと、どこか時雨っぽくない気もします。「am3:45」や「AcoustiC」も歌が少ない楽曲でしたが、やはりほんのわずかでも歌が入っていることで、楽曲が持つ世界観が深くなり、時雨のそれに近づくような気がします。とは言え、この「a over die」もカッコイイのは間違いない楽曲です。歌わなくていいので、ギターで遊ぶ時にはよく弾いています。この楽曲も外部エンジニアの方がミックスしており、いつもの時雨よりは軽やかな舌触りに。インストの楽曲ですし、最後に笑い声が入ったりしていて、バキっとし過ぎないのが、アルバムの中盤にあって良い味を出していると思います。ちなみに、こんなドラムレッスン動画がありました。お納めください。

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7曲目は、「Telecastic fake show」です。こちらは1st singleのときにも紹介したので、割愛させていただきます。ただ、ミックスやマスタリングは若干ですが改良されて、音がクリアになっている印象です。

8曲目は、「seacret cm」です。一定のドラムパターンの上で、儚く綺麗に揺れ動く声、ギター、ベースが美しい楽曲です。時雨にしてはかなり大人しめで、最後の方にわずかに盛り上がりも見せますが、終始しっとりと落ち着いた印象の楽曲です。靄がかかった朝の海岸線、防砂林、風車のある小さな港町。そんな風景を感じます。イメージは「水色」・「白」。ちなみに「秘密=secret」なので、TKは意識的に「seacret」とすることで、「海」を意識させています。確かに、主軸となるドラムパターンや、リバーブを多用して揺れ動く音像のギターなどは「波」を感じさせますね。曲名は「シークレットセンチメーター」と読むそうで、「センチメートル」という長さの単位としてのそれだけでなく、どことなく「センチメンタル」ともかけているのかなぁ、と思わせるような曲想になっています。昔にスタジオライブ映像も何かのきっかけで出していて、それもめちゃくちゃ良いですよ。ラストに畳みかけるように美しいフェイクが入って来て、原曲よりも若干エモーショナルになっていますので、ぜひ。

9曲目は、「moment A rhythm(short ver.)」です。ショートバージョンということですが、シングルバージョンの16分50秒のうち、7分17秒を切り取ったものになります。実際にはこの序盤の7分程度が楽曲としての大半を占めていて、シングルの残りの10分弱はほとんど環境音みたいな感じになっています。なので、「just A moment」というアルバムにおいても、この「moment A rhythm」という楽曲はきちんと完結されており、物足りなさはまったく感じないようになっています。が、ぜひシングルバージョンを聴いたことが無い人は、シングルバージョンも聴いてほしいですね。ここでアルバムタイトルに戻りますが、「moment A rhythm」の一部分を切り取っているアルバムだから、「just A moment」というタイトルなんでしょうか。もちろん、TKは一意的な名付け方は好きでない人なので、それ以外にも意味はあると思いますが、とりあえずはアルバムタイトルの有力な1つの理由と言えると個人的には思います。

10曲目は、「mib126」。曲名の意味が不明です。楽曲自体もかなりフリーキーで捉えどころのない前半から、後半はかなりビートの効いたエモーショナルな展開へと。まさに時雨らしい「劇的」な楽曲となっています。「Orange plus me」という歌詞が何度も登場しますが、私の中での楽曲のイメージはオレンジ色の補色に近い「緑」や、鬱屈とした「黒」です。TKは「夕景」という言葉を使うことが多く、何となくその「夕景」のオレンジ色には懐かしさやイノセンスだけでなく、サディスティックな鋭い印象が付き纏います。しかし、この楽曲では「オレンジ」は「懐かしさ」や「イノセンス」を失ってしまい、それを追い求めているときの苦しみ、自らを痛めつけるサディスティックな苦悩が表現されているように感じてしまいます。話は変わりますが、この楽曲で披露しているかなり細かいチキンピッキングは後の時雨でも多用されるようになりますね。後半の楽器だけで魅せる部分なんかは、ジャズのソロ回しかと思うほどに、ギターもベースもドラムも順繰りにカッコよさを見せつけてくれます。そして、シャウトだらけの大サビへ。カラオケで歌うとかなりすっきりする奴です。ちなみに、昔は「ヱヴァンゲリヲン」を題材にした「mib126」のMADがあって、それはピエール中野さん公認だったのですが、いつの間にか見られなくなっていますね。あのMAD大好きだったのに…残念です。素晴らしいものが保護され続けるネット社会を作り上げていきたいものです。

 

◆4th album「still a Sigure virgin?」

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still a Sigure virgin?


前述のとおり、通称「時雨処女」と呼ばれるこのアルバムはオリコンアルバムチャートで1位を獲得しています。時雨史上最も煌びやかで、「just A moment」で醸し出した滲んだような色味から飛躍して、もはやネオンサインの如きカラフルさを誇ります。その派手さ故に、1位を獲得することができたのしょうか。私もこの時はまだリアルタイムで追っていたわけではないので、1位を取れた理由はあまりわからないのですが、これまでの時雨にはない「派手さ」や「ポップさ」をこのアルバムからは感じます(もちろん、時雨はこれまでも十分「派手」で「ポップ」ではあったわけですが)。

とは言え、これまでの素晴らしいアルバムがなければ、そもそも土俵にすら上がれていなかったわけで。特に、この頃の時雨はタイアップもありませんでしたし、本当に純粋な実力で勝ち取ったチャート1位だったと思います。「鮮やか殺人」から始まり、ブレることなく、ゆっくりと道を歩んできた凛として時雨がついに多くの人たちから認められたのだと思うと、何か感慨深いものがありますね。楽曲を売り出すときの顔になる「I was music」も「illusion is mine」もかなりポップでありながら、MVもオシャレでカッコイイということで、そういったプロモーション面も成功したアルバムだと思います。

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インタビュー記事もあるので、ぜひ。このインタビュー記事を読むと、「still a Sigure virgin?」というアルバム名が、当時イギリスの時雨を全く知らない人たちに向けてやったライブのことを念頭につけられていることが垣間見えます。初めて時雨を聴く人たちにも「何が伝えられるだろう」ということを強く思っていたんでしょうね。

 

1曲目は、MV化もされた「I was music」。

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やっぱり時雨のMVは、捻った演出など無く、メンバーが演奏しているのをオシャレに撮るだけ、というのが1番カッコイイですよね。ライブでも鉄板ですし、何より曲名の「I was music」っていうのがキャッチーですよ。わかりやすく中2的で、楽曲も中2っぽさを感じるくらいカッコイイ。でも、サビの裏で鳴っているキラキラとしたアルペジオや、裏拍でしかも変なタイム感で鳴らされるバスドラなどは、ただの中2バンドにはできない芸当です。345の妖艶な歌声も効果的です。これだけ訳が分からないクレイジーなものを、ちゃんとキャッチーかつポップにまとめられるようになったのだと、TKの作曲家としての力量を感じることができる楽曲になっていると思います。

 

2曲目は「シークレットG」。私はこの楽曲から凛として時雨を好きになりました。なので、この楽曲については少し長めに書いてみようと思います。

私は小学6年生までエレクトーンを習っていたのですが、そのときのトラウマみたいなものでずっと音楽から遠ざかった生活を送っていました。が、少しずつそのトラウマも消え失せ、徐々にマイナーなバンドも聴き始めるようになったある頃。当時、私の気になっていたバンドが「凛として時雨っぽい」と評されていました。そして「どんなもんか」と調べてみたのがきっかけで、私は「凛として時雨」にハマりました。当時のYouTubeには、「凛として時雨」で検索しても「DISCO FLIGHT」のライブ動画と、弾いてみた系の動画くらいしかヒットせず、とりあえず「DISCO FLIGHT」を見てみたわけです。最初は「カッコいいけど変な声だなぁ」くらいの感想だったのですが、「とりあえずライブ映像じゃなくて、CD音源も聴いてみたい」と思い、なぜかMVがヒットしなかったので、仕方なく「シークレットG」の弾いてみた動画を見てみたのですが、そこで一気に時雨の世界観に引き込まれてしまいました。イントロから聴いたことのないギターのフレーズ。男女ハイトーンボーカルが絡み合った瞬間の切なさ。テクニカルで激しいドラミング。「あ、これは」と思いましたね。ちなみに、私が見た弾いてみた動画はもうYouTubeからは消えてしまっているようです。ニコニコ動画で「レインボーの人」と検索すると多分出てきますが、この人のおかげで私は随分と時雨のギターコピーをやってこれたように思います。そして、この人のおかげで「ハヌマーン」とも割と早めに出会うことができました…私の個人的な話はこれくらいにしましょう。

さて、楽曲自体の話ですが、「シークレット『G』」ということで、「#4」の「トルネードG」に続いての「G」シリーズです。「トルネードG」の歌詞は「一人(独り)で」というフレーズが多用されており、「GはギターのGでありながら、自慰でもあるのでは?」というようなことを「#4」のところでは書かせていただきました。今回の「シークレットG」はド頭から「機械仕掛けの君を鳴らしてみたい」とまさに「ギター」について歌った楽曲です。ギターと自分の相関性・一体性について一貫して書かれています。村上春樹の雑文集の1つの雑文の中に、「自分について知りたいならカキフライについて書くと良い」みたいな文章がありました。つまり、何かについて真剣に描写してみることで、その対象と自分との距離を測り、それによって自らを理解できるということです。この話とリンクさせるのであれば、「シークレットG」の歌詞から見えてくるのは、「TKはまさに自分自身としてエレキギターを捉えている」ということでしょう。「エレクトリックレス 君は無表情」なんて歌詞は、まさにエレキギターのことを指していて、ちょっと笑えて来ます。「君を投げ飛ばした 繋がれたまま 限りない宙を舞って 無限が共鳴する」という歌詞は、どこかギターと自分の切っても切れない関係性に何らかの希望を見出しているように読み取ることもできます。もっと色々と考察できることはあるのですが、ここは「驚くべき証明を見つけたが、それを書くには余白が狭すぎる」とフェルマーさながらの言葉を残して、次の機会を待ちたいと思います。

音楽自体について書くことがあるとすれば、とにかくこの楽曲はずっと同じコード進行でほんの4つしかコードを使用していないということです。たった4つのコードに対して、静と動をふんだんに織り交ぜ、1番・2番・間奏・3番みたいなJ-POP的な構成ではなく、次々と異なるフレーズが現れるという凝った楽曲構成を用いています。しかしながら、決して風呂敷を広げ過ぎたという感じもない。むしろ、楽曲は次々と未知の領域へと展開していきながらも、非常にコンパクトに収まっているという印象です。一貫したコード進行と、しつこいくらいにギターについての描写が続いているので、世界観は全くブレることなく、どんどん深淵へと降りていき、私たちもそこに引きずり込まれていきます。「E♭」の「ティリリリ」というアクセントが繰り返されることによって、楽曲は一定のテンションを保っており、楽曲を展開させていくのは基本的にはドラムの役割となっています。もちろん、ギターもカッティングとアルペジオの使い分けで上手く静と動を演出してはいますが。ベースはやや短調と言わざるを得ませんが、そのひた向きさが楽曲の芯を作り上げているのは確かです。「君は初めて一人になった~」あたりのハイハットは16ビートの裏だけ打つという不思議なプレーで、お茶目さを感じます。が、そんなお茶目も過ぎ去り、最後の「大サビ」ではTKと345のハイトーンボイスが絡み合い、切ない焦燥感で満たされていきます。アウトロも申し分なくカッコ良くて、エフェクターを多用したカラフルな「時雨処女」のアルバムの中では、最も飾り気がなく、無骨に激しいロックとなっています。

この「時雨処女」以降のTKは、今作のカラフルさを自身のソロプロジェクトに移行し、「凛として時雨」自体はどんどんモノクロチックになっていきます。「シークレットG」はそんなモノクロチックでストイックな今後の時雨を先駆ける楽曲と言えましょう。ギザギザのギター。切なく狂おしい男女ハイトーンボイス。テクニカルで激情的なドラミング。そんな「時雨らしさ」がシンプルなコード進行と端的な世界観の中で余すところなく詰め込まれたのが、この「シークレットG」だと思います。

とっても長くなりましたが、今回はこの程度にしておきますね(笑)。まだまだ書き足りないので、それはまたの機会にとっておくことにします。

 

3曲目は「シャンディ」。後のTKのソロプロジェクトで出てきそうな繰り返される細やかなピアノフレーズが印象的な楽曲です。まぁ、実際に後々、TKのソロプロジェクトで高いクオリティでリアレンジされることになるわけですが、正直な所見を述べさせていただくとすれば、まだこの「時雨処女」では完成度はイマイチかな、と。「やりたいこと」は何となく見えてくるのですが、それを表現しきれてはいないんじゃないでしょうか。というか、ピアノを用いることで世界観を広げたいはずなのに、もともとの時雨の特性が「ソリッド」かつ「ストイック」なので、ミスマッチなんだと思います。もちろん、「凛として時雨」の世界観はそう易々と規定できるほど狭いものではないのですが、それでも「ピアノを用いてそれを広げる」というのはちょっと方向性が違う気がするんですよね。ドラクエで言うなら、ブーメランやムチなど様々な武器を使って戦術を広げるのは「あまり時雨らしくない」ということです。それよりはむしろ、ひたすらレベルを上げまくって、能力値を向上させ、己を磨き上げることで何とか世界を切り開いていくような感じが「時雨っぽさ」だと思うわけです。戦士よりは武闘家の方が近いといった感じでしょうか(それでいて魔法使いという言葉が似合うのですが)。ただ、ソロプロジェクトへとつなげるという意味で、この「シャンディ」は重要な布石になりますし、挑戦する意欲の現れと思って聴くと、また違う景色が見えてくるでしょう。

4曲目は、「this is is this?」。ついさっき、「ピアノを使うのは違うんじゃ…?」みたいなことを言っておきながら、この楽曲では12弦ギターを使っていますね。エフェクターも多用しているように思いますし、とにかく様々な音を使って煌びやかになっています。怪しく不安感溢れる序盤から、中盤はとにかく静かに繊細に…と展開してきて終盤の「this is is this is~♪」のところでは壮大になります。そして、大ラスではタッピング奏法とツーバスによる嵐が吹き荒れ、全身の血液が躍動するようなキメを経て、最後には激情の余韻の中で静かに時間が流れ、楽曲が終焉を迎えます。まさに時雨らしい「劇的」展開です。起承転結のはっきりとした、まるで物語みたいな楽曲です。

5曲目は、「a symmmetry」です。この楽曲は「凛として時雨」というバンド名を最も体現する楽曲と言って良いでしょう。バンド名の由来は、「凛として」という日本語を使いたかったことと、当時TKの作った楽曲が知人から「急に降り出す雨みたいだね」と言われたことから決められたそうです。この「a symmetry」は破天荒な楽曲展開が売りで、まさに「急に降り出す雨=時雨」を彷彿とさせます。この楽曲については色々と書きたいこともあるのですが、ここではあと1つだけ言って終わりにします。その1つとは…「ポリリズム」です。イントロかつこの楽曲のリフとなっている「ダダダダ…」というフレーズは全楽器が一体となっていますが、それ以外のパートでは、エレキギター、アコギ、ベース、ドラムがそれぞれ別のフレーズを奏で、フレーズとフレーズの絡み合いによって楽曲をまるで知恵の輪的に立体化しています。何度も何度も聴いて、各パートのフレーズを感じられるようになった時、この楽曲の本当の楽しみ方が得られると思います。

6曲目は、「eF」。時雨のメンバーは「エフ」と呼んでいるらしいです。ドラムなしの弾き語り曲で、ドラムスのピエール中野さんはエレキギターを弾いているそうです。本当に時雨は自由で、嫌みのない無垢なユーモアがあります。透き通った美しさを持つ楽曲ですが、これも3曲目の「シャンディ」同様、TKのソロプロジェクト前夜のような雰囲気を持っていますね。「ピアノの使用」、「アコギによる弾き語り」という切り口は、いずれもその後の時雨では用いられず、TKのソロプロジェクトへと引き継がれています。何を境界線とするのかは難しいですが、こちらもまた「時雨で表現するべき楽曲ではなかった」ということなんでしょう。ただ、「シャンディ」同様、今ではソロプロジェクトという捌け口に向けられるべき衝動を、何とか「凛として時雨」という枠組みで表現しようとした、その苦闘の様子を感じられるのは非常に貴重だと思います。

7曲目は、「Can you kill a secret?」です。宇多田ヒカルの「Can you keep a secret?」をもじったタイトルですが、曲想はまったく異なり、非常にダンサブルな楽曲となっています。ギターの音も「シークレットG」のようなジャキジャキとした感じではなく、野太く電子音的な趣が強いです。ベースもゴリゴリとしており、ドラムも粒立ちのはっきりとしたバキッとした音像となっています。それ故だと思うのですが、正直言うと、「なんか時雨っぽくないなぁ」という感じです。が、歌詞にもあるようにこの楽曲のイメージは「ダンスフロア」、そして「宇宙(スペース)」なのです。そういう意味では、やりたいことが実にはっきりしており、それに見合った音像が採用されているということです。とは言え、私がこの楽曲で一番好きなところは、色っぽい345の歌声ですね。特に「あまりにもPERFECT」の部分の裏声とフォールを使った妖艶な感じがたまらなく好きです。そんなところにも注目しながら聴いていただきたい1曲です。ちなみに、この楽曲のイメージは「黄色」と「黒色」という蜂の配色です。

8曲目は、「replica」。これも1st EP「Feeling your UFO」の4曲目「ラストダンスレボリューション」と同じように、もともと2つの別の曲を1つにがっちゃんこしたような構成の楽曲です。Aメロはインタビューにもある通り、即興でドラムを叩いているそうです。あと、どこかで読んだ気がするのですが、この楽曲のレコーディングで使用したドラムはスタジオに置いてあったドラムで、そこら辺の女子高生がレンタルで使ったりしているものらしいです(シンバルが欠けていたり)。そう思って聴くと、かなり荒々しく粗雑な音だな、と感じませんか? でも、そんな音がこの楽曲にはよく合っています。この楽曲は、楽曲の展開も凝っており、かつ激しさもあり、楽器が生きているのが強く伝わって来るのですが、歌の、特に345の歌のメロディラインが好きなんですよね。隣接音との間を怪しく揺れ動く345の歌声が、楽曲の世界観を増強し、カッコよさの中にも妖艶なヒステリックさを感じさせてくれます。私だけかもしれませんが、この楽曲からは「銀色」と「紫色」を感じます。

9曲目は、「illusion is mine」。MVも作られています。

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ギターのミュート&ディレイのアルペジオが、本当に水の中にいるように感じさせてくれます。が、ある意味ではそんなものは当たり前(みんなやっていること)で、個人的には「間奏」の訳の分からない演奏が、溢れ出る水や勢いよく流れる水を演出していることの方が凄いと思います。これはきっとTKにしかできない「水」の表現方法だと思います。そんな高度な表現がありながらも、全体的にはかなりポップな歌ものになっている印象があります。それは時雨には珍しく、サビのメロディを何度も登場させているからであり、最後にはサビの半音上げの転調というベタな盛り上げ方を採用しているからでしょう。芸人のちゅうえいさんが言っていましたが、「日本人はベタが好きだから」らしいです。というわけで、おそらくこの「illusion is mine」のベタなポップさが、オリコンチャート1位に大きく寄与しているのではないかな、と個人的には思っています。あと、言っておきたいことが2点。1点目は、転調してからのドラムの手数が実はエグい、ということです。短いですが、当該箇所のライブ映像もあるので、見てみてください。本当に手数がエグいですから。そして、2点目は、MVの色遣いが非常に好みだということ。基本的には灰色ベースなのですが、そんな灰色の中に一瞬垣間見える、赤や青の鮮やかさ…それこそがまさにこの楽曲の美しさであり、時雨の美しさでもあると私は思います。その本質を捉えて映像化したMV監督の掛川さん、本当に凄いと思います。

 

3.TKソロ活動開始~時雨らしさの結実「es or s」まで + ソロ作品群

だいぶ先まで書いてから、「あれ、そう言えば章立てしてたっけ?」と急に思い出して、戻りながらこの部分を書いています。

この章については、TKのソロプロジェクトについても、簡単にまとめながら書き進めていきます。具体的には、時雨名義の楽曲については1曲ずつレビューを行い、ソロプロジェクトに関しては、アルバム(円盤)単位でレビューを行っていきます。あくまで「凛として時雨」のレビュー記事になるので、ソロプロジェクトは抜かしても良いっちゃ良いですが、やはり両者は切っても切れない関係性があると思うので。

簡単にこの時期についてまとめると、TKはソロプロジェクトで「時雨処女」で獲得した鮮やかな色彩感覚を広げ、凛として時雨本体ではソリッドでポップな音像を目指していきます。「時雨とは何か?」「TKとは何か?」ということを突き詰めていくのがこの時期である、と読み替えることも可能でしょう。よくあるバトル漫画的な喩えを持ち出すとすれば、修行の過程で「精神」と「身体」に自らを分けて、それぞれをそれぞれで鍛え上げていくような感じと言えますかね。そして、当然ながらその分野別の修行を経た先に見据えるのは、再び「精神」と「身体」を融合させるということです。「ソロ」で「色彩」を、「時雨」で「ソリッドさ」をそれぞれに磨き上げた先で、TKは何を作り上げるのか。そこに向けた長い旅がここから始まります。

 

◆「film A moment」 (TK from 凛として時雨

こちらはTKのソロプロジェクトになるので、詳細は省きますが、初の「TK from 凛として時雨」名義での作品です。なんとCD音源ではなく、DVDの映像作品になっています。素晴らしい作品なので、凛として時雨好きの方はぜひ買って観てください。

と、作品の話はこの程度にしておいて、ここでは「凛として時雨」と「TK from 凛として時雨」について喋りたいと思います。

前述のとおり、「時雨処女」のアルバムでは、「シャンディ」や「eF」などは時雨の世界観を理解する上で重要な位置づけとなっている楽曲ではありますが、同時に「凛として時雨」という枠組みの中でやってみて、向いている楽曲とそうでない楽曲があるという発見をします。「this is is this?」は時雨という枠組みでOKだけど、「シャンディ」はなんか違う。「illusion is mine」は時雨でOKでも、「eF」はなんか違う。これはまぁ、個人的な好みの問題なのかもしれませんが、「eF」くらい音を削ると時雨らしさが得られず、「シャンディ」のような方向性で音を広げても時雨らしさが得られない。例えば、「just A moment」の「Tremolo+A」はアコギで、比較的音像もシンプルですが、きちんと時雨らしいですよね。対して、「a symmmetry」や「this is is this?」みたいな音の広げ方は時雨らしく感じます。いったいどこにその差があるのか。

これもまた個人的な印象になりますが、「凛として時雨」の音楽性はかなりストレスフルでフラストレーションに溢れたものだと思っています。穏やかな曲調の「moment A rhythm」であっても、自分の内側を深くまで潜っていこうとする曲想は精神的な追い込みを感じます。対して、弾けるような曲調の「nakano kill you」であっても、擦り切れそうなハイトーンボイスや、ぎゅっと詰められたドラミングは非常に切れ味が鋭く、これはこれで精神的な追い込みを感じます。ほとんどの楽曲が、尖った針先の面積をどこまでも極限的に小さくしていくような、音楽性を私は感じてしまいます。それは、時雨史上最も煌びやかかつカラフルな「still a Sigure virgin?」における華美な印象の強い「this is is this?」などにおいても、音を突き詰めていくその姿勢から強いフラストレーションを感じ、私たちは「時雨っぽいな」と思うわけです。

では、「シャンディ」や「eF」にそういった要素がないか、と聞かれれば必ずしもそういうわけではないのですが、どちらかと言えば、そういった時雨らしいフラストレーションから解き放たれ、「自由に自然体で音楽を作ってみたい」という意欲を感じてしまうのは私だけでしょうか。その意欲がある意味では時雨らしさを失わせ、確かに魅力的で素敵な楽曲ではあるのですが、「凛として時雨」という枠組みで作り上げることに違和感を感じてしまうことになるのです。

「film A moment」は「凛として時雨」というその鋭く先の尖ったストレスフルなスタイルから離れ、そのときのTKができうる限りの表現をやりつくした作品になっています。「凛として時雨」では作ることのできない、穏やかで切ない音像、例えば「white silence」のような湯川潮音さんとのコラボによるしっとりと悲しい音像を、TKはソロプロジェクトの中で得ることができました。そしてこれを機に、TKは「凛として時雨」というバンドの特異性、つまり自らの特異性を認識することになります。針の先のように面積を極限まで小さくする「凛として時雨」と、反対にどこまで自分を保ったまま世界を広げられるか、ということにチャレンジする「TK from 凛として時雨」の2つの切り口を使って、TKは自らの世界観を表現していく時代がここから始まったわけです。

話は変わりますが、私はもともと理系の人間です。アインシュタインの「相対性理論」は宇宙という広大な相手に対し、時空間という概念を新しく規定していくという物理理論です。対して、アインシュタインは微細な物体の特性を明らかにしようと「量子力学」の第一歩を切り開きます。最後までアインシュタインは自らが切り開いた「量子力学」という切り口からもたらされる微粒子の確率波的振る舞いを認めることができませんでしたが、現代物理学(例えばホーキング博士など)がやろうとしていたことは、このアインシュタインの生み出した、広大な「相対性理論」と微細な「量子力学」を統合する理論を構築することでした。科学と芸術を同じ土俵で考えるのは違う気もします。しかしながら、TKが生み出した自らの2つの側面がいずれ統合され、1つの完成形を形作る日を私は楽しみに待っています(そして、こんなことを考えて、その完成形をイメージするたびに頭に浮かんでくるのが、自主制作時代の「Ling」という楽曲なのです…)。

 

◆「flowering」(TK from 凛として時雨

こちらもTKのソロプロジェクトのアルバムになります。この頃のソロプロジェクトは、まだ母体の「凛として時雨」との差別化が強くは図られてはいませんが、ピアノやバイオリンを使うことで無理やり世界観を広げ、以後、このバンド構成がTKのソロプロジェクトの基本的な形となっていきます。

1つひとつの音楽を突き詰めるというTKらしさは失われていないながらも、「凛として時雨」とは違う「世界観の拡張」という強い意志を感じるアルバムになっています。TKの素敵なところとしては、「自分1人で、ソロプロジェクトとして何ができるのか」ということを突き詰めるモチベーションの根底には、「では、凛として時雨でしかできないこととは?」という問いが常にあるということです。「凛として時雨」の輪郭をはっきりさせたいからこそ、ソロプロジェクトも手を抜かずに突き詰めてやる、という気概を私はこのアルバムから強く感じました(まぁ、案外本人は「これはこれで楽しいな」くらいにしか思っていなかったのかもしれませんが)。

 

◆3rd single「abnormalize」

さて、凛として時雨の作品に戻ってまいりました。そして、ソロプロジェクト開始後の初「時雨」作品。それが「PSYCHO-PASS」というアニメのOPテーマとしてタイアップしたこの「abnormalize」です。あの「攻殻機動隊」を生み出した「Production IG」の最新アニメが「PSYCHO-PASS」で、そのOPテーマを時雨が歌う。こんなドキドキ・ワクワクがあって良いのか、と私は奇跡を目にするような心地でした。

 

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時雨がシングルCDを出すのは、メジャーデビューの時の「moment A rhythm」以降初めてになりましたが、「1曲だけでも買わせる」ということがいかに難しいことなのか、この長いスパンを考えることで改めて感じますね。とは言え、このシングルには「abnormalize」だけでなく、「make up syndrome」も収録されていますが。

表題曲の「abnormalize」は兎にも角にもポップでキャッチーな、まさにアニソンらしい楽曲です。ただし、歪んだギターや、アブノーマルなリフ、サビ前の鬼カッティングなど、ただのアニソンではなく、ちゃんと時雨らしい特徴も出ています。サビのメロディは「this is is this?」そのまんまですけれど(笑)。音楽的に好きな楽曲ではありますが、それ以上に、この楽曲は「現象」としての想い出が強く残っています。

「時雨がタイアップしているから」ということを抜きにしても、「PSYCHO-PASS」という作品を好きになりましたし、また多くの人気を集めているという事実もまた嬉しいものでした。そして、そんな素晴らしいアニメ作品の世界観を増強する「abnormalize」という楽曲。2019年には舞台化までされ、そこでも時雨の楽曲が使われるなど、今でも関係性が続いているということも、それだけ評価されたのだとまるで自分のことのように嬉しいです。Mステに出て、良くも悪くもそれなりの反響があったのも良い思い出です。TKも345もあまり歌が上手いというわけではありませんから、ボーカルの音を強く出すMステのような音楽番組で時雨が、まぁ叩かれてしまうのも納得できることではあります。ただ、番組内のTKのコメントにもあったように「こういう音楽がテレビから流れてくる」というのも素敵なものだと思います。この調子で、別にMステでなくてもいいので、toeとかがテレビで見られる時代がやって来ることを私は願っています(CMで流れることはありますけどね笑)。

 

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余談ではありますが、もともとアニメタイアップ曲として作曲された、この「abnormalize」という楽曲ですが、デモ音源の完成度の高さがえげつないです。きちんと1分29秒という尺の中で起承転結があり、フル尺の楽曲が後付けで生み出されたことを感じさせるような話し方がインタビューではされています。このような色々な挑戦を経て、TKもまた進化していくのですね。

そして、いわゆるB面的な立ち位置としての「make up syndrome」。こちらは正直、ミックスが残念と言わざるを得ません。音の分離が良く、とても綺麗に聴こえてくるので、普通のミュージシャンの楽曲だったらこれで正解だったと思います。しかしながら、時雨の音楽はやはり3人の音が絡み合って、まるでウロボロスのように自分で自分を喰ってしまうような、そういうTKのミックスがあってこそと私は思ってしまいます。特に、この楽曲はギターのノイジーで太い音が重要な音構成のはずなのに、それが活かしきれていないのが残念でした。が、こうやって不正解を知ることで、改めて時雨(TK)のミックスは特殊で、そして私自身その「時雨の音」が好きなんだな、と思い知ることになるわけです。後に「i'mperfect」というアルバムに再録されますが、そちらはTKがミックスを担当しており、時雨らしく歪んだギターが楽曲に音圧と狂気をもたらしてくれています。と、まぁ、偉そうにミックスを批評してしまいましたが、曲前半33秒あたりの「ボン」という効果音などは、再録のものよりも際立って聴こえてきますし、それぞれ良いところもあれば悪いところもありますよね。ですから、そこから先はあくまで好みの問題と言えば、好みの問題でしかないということは断っておきます。

2曲とも振り返ってみると、4th albumの「時雨処女」にはなかったギターの音作りになっていますね。なんというか、ピロピロという電子的な色味が強い感じがします。が、「abnormalize」のイントロのアルペジオなどは、ちゃんと良いテレキャスターのジャキジャキ感も感じますね。

 

◆5th album「i'mperfect」

 

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i'mperfect

読み方は「インパーフェクト」らしいです。が、「I'm perfect=私は完全だ」と「imperfect=不完全」のダブルミーニングになっているのは、言わずもがなです。もちろん言葉遊び的な意味合いもありますが、こういった物事の表裏一体性を捉えたがるのはTKの特徴ですね。特に、TKは不完全さの中に完全性を見出すような考え方を強く持っていると思うので、「らしい」アルバムタイトルだと思いました。

 

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このアルバムのインタビューもあるので、ぜひ読んでください。

このアルバムの立ち位置として明確に感じるのは、「ソロプロジェクト」との役割分担です。つまり、前作の「時雨処女」では煌びやかさが極められたわけですが、そのうち最もカラフルな部分を「ソロプロジェクト」の「flowering」に引き継ぎ、その上で残った「時雨らしさ」が、この「i'mperfect」というアルバムに現れているように思います。

悪く言えば「残りカス」ですが、このアルバムから本格的に開始される「時雨とは?」という自問自答が、音楽により強いシリアスさを与えています。削り取って、削り取って、それでも残ったものが何であるのか。それを考えながら聴くことで、凛として時雨というバンドのアイデンティティを当事者と近い目線で探求していけるのが、このアルバムであるように思います。

また、もう1点特徴を上げるとすれば、「abnormalize」というアニメタイアップを経ているところから、TKが時雨のアイデンティティの軸として「ポップさ」をより意識していることです。魅惑的な345の歌声を活かした男女ツインボーカルの掛け合い。もともとの人間的なキャラクターが「ポップ」なピエール中野の派手なドラミング。この辺りを活かそうというTKの意識が垣間見えます。「時雨らしさとは何か?」という問いを踏まえて、レビューを進めたいと思います。

 

1曲目は、「Beautiful Circus」。この楽曲はMVも公開されていますが、実に緻密に構築された楽曲となっています。

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今でこそTKのピロピロ系のギターは珍しくありませんが、この楽曲を初めて聴いたときは、「あ、こんなギターも弾くんだ」とちょっと驚きでした。「DISCO FLIGHT」なんかはやや近い感じではありますが、あれはディレイをかけて音数を増やしている一方、こちらは単なる速弾きです。いや、いわゆる速弾きとも少し違いますね。イントロはおそらくカッティングとミュートを用いた恐ろしく速いフレーズですが、もはや「想像のセキュリティ」のリフとは速さが違います。4thアルバムの「シークレットG」なんかも同じくらい速いですが、ギターの音がより前面に出ており、間奏などではまた印象的な速弾きのソロが入ってきます。そして、何といっても、ドラムのパターンの細かさがすごい。この楽曲が緻密と感じるのは、ドラムの手数・足数の多さからでしょう。そして、「a symmetry」でもありましたが、サビが2部構成になっていて、なぜか2部目のサビがゆったりとしたリズムになるという攻めた楽曲構成です。とにかく激しく盛り上がりたいという人にはちょっと勿体付けるような構成なのですが、楽曲の妖艶さを醸し出すうえでこの構成はかなり素敵だと私は思います。なんて言うか、ちょっと大人な感じですよね。

2曲目は、シングルカットもされた「abnormalize」です。マスタリングの影響で、シングルのときより、やや骨太な印象の音像になっていますでしょうか。しかしながら、大きくは違わず、やはりポップでキャッチーな楽曲ですね。「Beautiful Circus」よりはもう少し自然体で作りこまれていることが、こうしてアルバムの中で並べて聴くとわかりますね。立ち位置などを考えることもなく、アニメのタイアップとしてのポップさやキャッチーさを出しながら、どうやって「凛として時雨」という枠組みで音楽化していくのか。そこに対しての純粋な好奇心をこの楽曲からは感じます。

3曲目は、「Metamorphose」。3曲続けて激しめの楽曲ですが、1曲目とも2曲目とも全然違う感じの楽曲です。2曲目の「abnormalize」がアニメのタイアップとして構築されており、1曲目の「Beautiful Circus」が凛として時雨の「緻密」な部分を軸に構築された楽曲とするなら、この「Metamorphose」からは計算を度外視した「衝動」のようなものを感じます。この楽曲はデモを用意せず、スタジオで色々と音を鳴らしながら、即興的に組み上げた楽曲ということです。そのような楽曲としての勢い、つたない比喩を用いれば、現代的な書道芸術のような勢いの良さがありますね。リズムを崩すような「キメ」の部分、間奏の狂ったようなギターソロは、もはや音楽性を失いかけているようにも感じられますが、それでも楽曲の持つ勢い・疾走感のおかげで何とか途中で崩壊することなく、最後まで突き抜けてくれます。時雨では珍しいシャッフルビートを使用していますし、とにかくその場その場での発想を最大限に活かし、どこまでも好き勝手に作り上げられていますね。こういう楽曲って、不思議とどれだけ聴いても「新鮮」なんですよねぇ。対して、緻密にじっくりと練られた楽曲は、最初から「72時間煮込んだ特製スープ」のような旨みを感じます。こういうのが、TKの言う「そのときの空気を音に閉じ込める」ということなのでしょうか。ちなみに、この楽曲はMVもあり、ベストアルバムの特典についてくるDVDで観ることができます。「I was music」のMVと同じように演奏場面を一本回しで撮影したMVですが、照明や影の付け方がめちゃくちゃ綺麗で、間奏のところなんてカッコよさで鳥肌が立ちます。あと、歌詞カードのフェンスをぼやかして映したような写真も、このアルバム中では珍しく明度の高い印象的な写真で私は大好きです。

4曲目は、「Filmsick Mystery」。イントロの歪んだベースがまず印象的。楽曲は前半と後半で分けられる、これまで「ラストダンスレボリューション」や「replica」などでもみられた構成に近い楽曲です。ただし、「ラストダンスレボリューション」が別々に作った2つの楽曲を思いつきから1曲にまとめ上げたのに対して、こちらは前後半の2部構成とすることを最初から念頭に置かれて作られたように思います。それくらい自然な流れで楽曲は少しずつ展開していきます。展開していく中で、どんどん新しいフレーズが生み出されていくというのは、前作のアルバムの「シークレットG」にも近いものがありますね。最後の「Filmsick Mystery~♪」からは問答無用で盛り上がるので聴いていて心地が良いです。そして、最終的には前半のメロディで締められるので、やはりきちんと最初から構成を大事に作られた楽曲だったのだな、と思います。

5曲目は、「Sitai miss me」。これは4曲目の「Filmsick Mystery」よりもさらに展開が難解な楽曲です。というか、まず最初に聴いたときには、「聴き方」がわからないかもしれません。「なんか激しいのはわかるけど、1~3曲目みたいに素直にノレないんだよなぁ」という印象をお持ちのあなた。それで正解です。言ってみれば、この楽曲は「ポップさ」や「キャッチーさ」を排除したうえで、どれだけ時雨らしい世界観を構築できるか、ということに挑戦した楽曲となっているのです。最初のドラムの荒涼としたフレーズ。コード展開を感じさせないサビのメロディ。一筋縄ではいかない楽曲展開。だから、この楽曲では「ノリ」を感じるのではなく、「音楽」と「世界観」を感じるのが、とっつきやすい楽しみ方だと思います。暴力性や狂気、そして感傷性をただただ感じましょう。これも歌詞カードの写真が良いんですよね。たしか墓地の写真だったと思いますが、これを見ながら楽曲を聴き、世界観を夢想するとより楽しめるんじゃないでしょうか。

6曲目は、「make up syndrome(album mix)」です。シングルCDにも収録された「make up syndrome」をアルバム用にミックスし直したわけですが、ある意味これがこの楽曲の正解のミックスと言えるんじゃないでしょうか。もちろんシングルのミックスも音の分離が良く、決して悪くないとは思うのですが、やはりこのアルバムミックスの方が音の混ざりが良く、楽曲の荒々しさを上手く引き出しているように思います。もちろん、それによって失われてしまう部分もあるわけですが。やはり各楽器のノイジーな部分がぶつかり合って、それが総体的に見ると上手く溶け合っている、みたいなミックスが時雨らしいミックスということなんでしょうね。それは時雨がやはりエモーショナルなバンドであり、決してオシャレでスマートなバンドではないということを間接的に示しているでしょう。そういった音の面でも、このアルバムでは「時雨らしさ」を追及しているわけです。

7曲目は、「MONSTER」です。こちらは文句なくキャッチーでかっちょいい楽曲です。リフに当たる部分や、間奏のアコギの部分が3拍子になるのもオシャレですよね。サビ前の「ダラララッタッタッタッタター」みたいなとこも素直にカッコイイですし。私は「Telecastic fake show」とかがやっぱり好きなので、主にサビですが、ドラムのハイハットが単調な裏打ちメインだとちょっと物足りなく感じてしまい、最初はそこまで好きな楽曲ではありませんでした。しかしながら、良いイヤホンで音楽を聴くようになってからは、ベースも良く聴こえるようになり、「あれ、ベースライン結構激しいし、そう考えると全体的なバランスとして、このハイハットの裏打ちも良いんじゃないか?」と思うようになりました。結果的には、345の歌声もめちゃくちゃ活かされてますし、この「i'mperfect」というアルバムの中で、最も端的に「キャッチー」の面から時雨を体現している楽曲となっていますね。あまり風呂敷を広げ過ぎずに、ちょうど良い大きさで上手くまとめられた楽曲と思います。

8曲目は、「キミトオク」。「君と奥」や「君、遠く」などの意味に取れるそうです。どこかでTKが言っていたように思います。ドラムのフレーズが印象的ですね。ここまで特定のドラムフレーズに固執した楽曲は、「seacret cm」以来ではないですかね。イントロやAメロのドラムフレーズと、サビのドラムフレーズでは、音の位置的にはほとんど同じなのですが、叩いているモノが違いますね。サビではタムやシンバルを活用し、より楽曲が盛り上がるように上手く作られています。この辺は、おそらくですが、TKというよりは、きちんと計算してドラムを叩けるピエール中野さんの手腕ではないでしょうか。間違っていたらごめんなさい。この楽曲も7曲目の「MONSTER」同様、345の歌声が突き刺さります。本当に空間を切り裂きますね、彼女の歌声は。歌詞の面でも「偽物の完成形」という言葉があり、まさにアルバムタイトルの「i'mperfect」を体現していると言えます。TKは「君」という言葉を多用しますが(いつだったか「君」という言葉が何回出てくるか気になって音楽に集中できない、みたいなコメントをどこかで読んだことがあります)、それはTKが使う「君」という言葉があまりにも多義的だからと言えるでしょう。「君」はTKから見た二人称、つまり特定の「誰か」でもあるし、対して、俯瞰した位置から見下ろした「自分自身」でもあります。そして、同時にそれらは総体としての「真理」を孕み、手の届くことのない「真理」ではなく、自らが手にできる「不完全な理想形の何か」でもあるわけですね。そして、TKはそのあらゆる意味を持つ「君」を探し求めるために音楽をしているような感じですから、どうしたって「君」という言葉が歌詞の中に多く出てくるのでしょう。と、私は個人的に考えています。

9曲目は、「Missing ling」。この楽曲のタイトルを見たとき、私は震えましたね。なんといっても「ling」という言葉が入っているわけですから。だいぶ最初の方に、アルバム「#1」に収録された「Ling」という楽曲が凛として時雨の原点であり、同時にゴールであるというようなことを書いたかと思います(あれ、書いてない?)。歪んだギターを使った弾き語りから始まる楽曲ですが、珍しく音作りにこだわったというようなことや、イントロからどう展開させるかかなり苦労した、というようなことがインタビューでは書かれています。なので、それらに関してはそちらに譲るとして、ここでは「キミトオク」に続き、歌詞とこの楽曲の立ち位置、そして「#1」の「Ling」との関係性などについて簡単にまとめられたらと思います。まずは歌詞ですが、インタビューにもあるように、出だしのところがこの楽曲で描きたかった世界観の中心ということなので、「探し物を失くした」と「記憶がガラスに変わってく」という部分に注目します。いずれも過去への羨望がそこにはあるように思います。つまり、「あの時の初期衝動こそが最も純粋で無垢で、無心の境地にあったのではないか」という芸術家ならではの煩悶をそれらの歌詞からは感じます。当然、「初めて君を見つけたあの日は永遠」という歌詞などにもそれは現れています。ここで再び「君」が出てきますが、ここの「君」というのも前述のとおり多義的に使われています。しかしながら、どんな読み方をしても変わらないのが、「君」に対して希望と可能性、もっと言えば「真理」や「完全性」というものを見出しているということです。そして、そこに続く「冷たい風 色のない街」というのは心象風景でありながら、まさに凛として時雨の原点である「イギリス」の街並みであるとも思います。「Missing Link」という言葉は、生物の進化の過程において、前後の関連性が見つけられないことを指しています。つまり、突然変異的な発生のことを指しますが、いつだったか「凛として時雨はどのバンド、音楽ジャンルのフォロワーかはっきりしない、突然変異的なバンドだ」という評論を読みました。それ自体には共感しつつ、またTKが「Missing Link」という言葉を念頭に「Missing ling」という曲名をつけたことも認めながら、それでももう一つ無理やり深読みしてみたいと思います。私なりに解釈をすれば、「Missing ling」とはその言葉通り、「#1」の「Ling」を見失ってしまったということを言いたいのではないかと考えています。つまり、あの「Ling」のときの初期衝動は失われ、あのとき実は掴んでいた「真理」を失い、そしてその失ったものを今でも探し続けているというのがこの楽曲の曲想だと思うのです。失ったという自覚があるからこそ、それを探し求めようとする。このアルバムが「i'mperfect」というタイトルであることは、それ(すなわち、「君」)を失ってしまったことにより、必然的に「不完全」でありながら、その状態を受け入れ、それでも「完全」を目指していくという意図の現れです。「Ling」を失い、そして「ソロプロジェクト=flowering」を経て、改めて「凛として時雨=Ling tosite Sigure」を追い求めていく当アルバムを締める楽曲としてはまさにうってつけの「Missing ling」であるというわけですね。

長くなりましたが、「Missing ling」のラストはめちゃくちゃ良いですよね。とりあえず「時雨」の旨みがこれでもかと詰まっているので、新しいイヤホンを買ったら、まずはこれを大音量で流して、私のイヤホンを時雨仕様にしてしまうほどです(あくまで気分的な問題で、実際に効果があるのかはわかりませんが笑)。

 

◆「contrast」(TK from 凛として時雨

TKの新境地とも言えるEPですね。表題曲の「contrast」自体も優しく柔らかく、あれだけ狂気じみた楽曲を作り続けてきたTKからは想像もできないです。ただ、湯川潮音が好きだったり、普通のJ-POPに慣れ親しんできたTKの音楽経歴から見れば、こういう楽曲を作ってもおかしくはないですよね。「凛として時雨」名義で言えば、「eF」の系譜にあたりますかね。「still a Sigure virgin?:eF」→「flowering:forth」→「contrast」と順々に段階を踏んで、TKが描きたいものを実現しているように思います。確かにTKの生み出す楽曲の多くは凶暴性や狂気性が強いものも多いですが、いずれも繊細で美しい面も持ち合わせています。そういう意味では、TKらしい楽曲と言えます。もちろん、見せ方はこれまでとは全然違うわけですが。

このEPに収録されている「illusion is mine」のアコースティックライブバージョンや、初のカバー曲「涙の旅路」なども新しい取り組みの1つです。凛として時雨という枠組みから解き放たれて自由に自分の音楽を模索している時期に辿り着いた1つの表現だと思います。ただ、いずれも楽曲のクオリティは高く、何といってもメロディラインが美しいです。

 

◆「unravel」(TK from 凛として時雨

東京喰種の主題歌として一気に注目を浴びた当楽曲。発売前の断片動画に使われた高速道路を走りながら、流し撮りしているだけの映像が好きでしたね。楽曲の孤独で悲しげな雰囲気にもよく合っていました。

 

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あえてMVではなく、こっちのリンクを貼っておきます。初めて聴いたときの衝撃がやはり忘れられません。そして、重要なのはこれだけ世界のアニメファンからも注目されることになったのは何故なのかということです。当然、「東京喰種」という作品の良さがあったことは言わずもがなですが、何よりも重要なのは、「abnormalize」・「flower」・「contrast」といった楽曲たちを生み出してきたということでしょう。「abnormalize」のようにタイアップ作品に深く寄り添い、「flower」のように艶やかで、「contrast」のように優しい。そういった種々のキーポイントとなる楽曲たちの良いところが集まり、それが「東京喰種」という作品と一体となることで「unravel」という楽曲が生まれるべくして生まれたのだと思います。

 

◆「Fantastic Magic」(TK from 凛として時雨

ソロプロジェクトでは「flowering」以来のフルアルバムです。表題曲の「Fantstic Magic」はライブではちょくちょく演奏されていたものの、ずっと音源化されずに、当アルバムの発売が決まったときは「やっとか」という印象でしたが、「Fantastic Magic」に付随する作品を作るのがそれだけ難しかったということでしょう。「Fantstic Magic」や「unravel」はもちろん素晴らしい楽曲ですが、時雨には無いビート感でステンドグラスみたいに煌びやかな「kalei de scope」、アーティストとしての信条を吐露した「an artist」、Charaやドラムの柏倉さんとコラボした超絶オシャレ曲の「Shinkiro」など当アルバムには良曲がたくさんあります。「Spiral Parade」も最初は苦手でしたが、たまに聴くと新しい発見が多く、結局、TKの作る楽曲はみんな好きなんだなぁ、と実感しますね。

 

◆4th single「Enigmatic Feeling

A面には「Enigmatic Feeling」、B面には「DynamiteNonsense」という構成のシングルです。「Enigmatic Feeling」は後のベストアルバムにも収録されていますね。

まずはアニメ「PSYCHO-PASS」と2度目のタイアップとなった「Enigmatic Feeling」から。

 

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何といってもイントロのギターがかっこよすぎます。アニメのTeaser映像で、短い時間でしたがこのイントロを先行して聴くことができ、「うわぁ、ヤベェのが来た」と鳥肌が立ったのを覚えています。1度目のタイアップの「abnormalize」と比較すると、だいぶビターな印象の楽曲となっており、アニメともども凛として時雨も一筋縄ではいかない新たな領域へと踏み出しています。

ライブ映像を見て凄いと思ったのは、AメロのTK。歌いながら、カッティングしながら、しかも左手は複雑に動き回っている…いったいどうやったらあんなことができるのか。不思議でなりません。

なお、このシングルのミックス・マスタリングはTKではなく、外部の方によるもの。まぁ、アニメのタイアップということもあり、より一般受けする音像が求められたということなのかもしれませんが、若干「エグみ」に欠けるかなという印象です。ただ、音の分離は抜群なので、Bメロで345が歌うパートに入った瞬間のあの空間の広がり方がめちゃくちゃ綺麗です。総合的には後のベストアルバムでのTK自身によるミックスの方が、濃い目で好きなのですが、Bメロの空間の広がり方に関して言えば、こちらのシングルの方が美しいと感じます。

間奏のギターソロもさることながら、間奏終わりの謎のリフがめちゃくちゃPSYCHO-PASSの複雑に絡み合った世界観を描いていると感じるのは私だけでしょうか。そして、ラストスパートでは美しいメロディラインが次々と展開されます。歌のメロディを楽しむのもやっぱり良いと思いますが、何といってもドラムの展開が良いです。それまでサビはどちらかと言えば、シンプルな8ビートを叩いているという印象でしたが、ラストの展開は完全にドラムが主導となっていますので、ぜひともそこを楽しんでいただきたいですね。

次は2曲目の「Dynamite Nonsense」。私はどちらかと言えば、「Enigmatic Feeling」よりもこちらの「Dynamite Nonsense」の方が好きです。時雨の楽曲の中でも最高峰の複雑さを誇るこの楽曲。「a symmmetry」もフレーズの数がかなり多かったですが、この「Dynamite Nonsense」はそれに匹敵するフレーズの数です。しかも、その1つひとつのフレーズが実に色とりどり。そして、キメが多いです。イントロゼロから始まり、序盤は掴みどころのないAメロが淡々と続きます。が、一度スイッチが入るともう止められません。そして、何といってもサビが素晴らしいです。喜怒哀楽を全く感じさせないにもかかわらず、鋭くエモーショナルなサビ。1番終わりの繋ぎのドラムも意味不明で、ピエール中野さんのインスタライブで一度質問したことがありますが、やっぱりよくわからなかったです(笑)。そして、ラスト大サビではそれまでのサビを踏襲しながらも、TKは渓流を下り、345は空を駆け上るようなメロディラインを歌いあげます。これだけ激しく、感情を揺さぶるような楽曲にも関わらず、そこには人間臭さをまったく感じません。それがこの楽曲の素晴らしいところ。緻密でありながら有機的なうねりがあり、激情にまみれながらも、人間味を失っている…こういうものを表現できるからこそ、私は凛として時雨が大好きなのだな、と思わされるのです。

 

◆5th single「Who What Who What

さてさて、こちらもアニメ「PSYCHO-PASS」のタイアップ曲になります。今回は劇場版のタイアップということで、この時期の時雨はほとんど「PSYCHO-PASS」とともに時を歩んでいると言っても過言ではありません。「PSYCHO-PASS」はパッケージについて言えば、システマチックでデジタルで無機質なSFアニメと言えるでしょうが、作品の根源的なテーマは「人間性」です。そういった無機質でありながら有機的な世界観が凛として時雨にマッチしていると私は思います。

通称「ふわふわ」という当楽曲は、この時期のTKが好んで使っていたチキンピックを駆使したギターリフがまず印象的です。対して、楽曲の構成は「イントロ⇒Aメロ⇒Bメロ⇒Cメロ⇒サビ」とかなりJ-POP的です。サビのリズム=ドラムに関して言えば、フィルインが多用されているものの、全体的に8ビートが軸になっており、イントロでも同じ8ビートが使用されているため、引っ掛かりは少なくポップな仕上がりと言えるでしょう。私はどちらかと言えば、上述の「Dynamite Nonsense」のようなかなりこねくり回した楽曲が好きなので、若干物足りなさのようなものも感じます。が、345のボーカルも堪能できますし、ライブでも定番の楽曲なので何かと耳にする機会は多いですね。それでもあえて厳しいことを言うのであれば、特にこの楽曲で時雨が新しい領域に足を踏み出したという印象はあまりありません。どちらかと言えば、これまで磨き上げてきた時雨らしいフレーズを上手く組み合わせて、かなりポップに楽曲として仕上げたという印象が強いです。したがって、時雨の入門編としてはかなり効果的なんじゃないかなぁ、と思います。

 

◆Best album「Best of Tornade」

凛として時雨史上、初にして唯一のベストアルバムです。様々なバージョンで発売されましたが、私はもちろん写真集付きのHyper Tornado Editionを購入いたしました。

アルバムに選ばれた楽曲は基本的にはMV化もされている、時雨の中でも攻撃的で盛り上がりやすい楽曲たちとなっております。このアルバムの聴きどころとしては、新旧の楽曲を1つのアルバムとしてまとめるために、古い楽曲がremixされ、アップデートされているところでしょう。「#4」の「鮮やかな殺人」から始まり、「inspiration is DEAD」の「nakano kill you」まで。さらには、比較的近くに発売された「Enigmatic Feeling」も新たにTKがremixを手掛け、より時雨らしい聴き心地へと変貌させられました。全体的に低音が強調され、音が太くなった印象です。初期の楽曲のremixを聴き比べるよりは、意外と「Enigmatic Feeling」を聴き比べた方が面白いかもしれません。「鮮やかな殺人」などはもともとTKがmixを手掛けていたものを、最新の音楽機器でより現代的な音に変化させているだけなのに対して、「Enigmatic Feeling」はmixを手掛けた人も異なっており、つまりは音像の思想自体が異なっているので、「mixでこんなにも変わるものなのか」と聴き比べを楽しむことができます。

そして、ファンにとって何よりも嬉しいのはむしろDisc3の方です(Disc2はDVDでMV集となっています)。インディーズ時代の「鮮やかな殺人」や「TK in the 夕景」が聞けるほか、自主制作時代の「#3」というアルバムの音源やライブ音源まで収録されているという、まさに時雨ファンなら絶対に手に入れておきたい1枚です。

初期作品の再録に関してはすでにレビューが済んでいますので、ここでは主にライブ音源について語りたいと思います。

全6曲のライブ音源が収録されていますが、中でも私が心を惹きつけられたのは「ラストダンスレボリューション」、「赤い誘惑」ですね。他の楽曲ももちろんライブ映えする楽曲ではありますが、やはりこの2曲のライブ映え具合は素晴らしいです。

「ラストダンスレボリューション」は後半差し掛かっての、3拍子から4拍子に戻っての、テンポチェンジする箇所。歓声があがり、キメがあってからの、さらにリバーブをかけたテレテレいうギターリフ。勢いそのままに最後のサビに入っていくこの瞬間がたまりませぬ。ほとんど叫ぶような歌声も切なくなります。涙が出そうになるのは私だけでしょうか。

「赤い誘惑」も盛り上がる楽曲ですが、それ以上に私を揺さぶるのは、時雨メンバーの演奏技術の高さ。この楽曲はとにかく間奏が間奏と思えないくらい長い。そして、同じメロが繰り返されるのではなく、どんどんと展開していく。その中で、さまざまなフレーズが出てくるわけですが、乱れることなく、すべての楽器が丁寧かつ激しく演奏されています。走ってしまいそうな箇所も、きちんとリズムをキープしながら演奏されています。そして、「FXXKIN' LADY」のところからはもはや手が付けられないくらい盛り上がります。

この2曲に関しては、音源以上のスペクタクルな情感を感じることができるので、ぜひとも聴いていただきたい1品、いや2品になります。

 

◆2nd EP「es or s」

 

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es or S

 

こちらのEPはなんと時雨初の海外レコーディング。ベルリンのハンザ・スタジオでのレコーディングですが、音楽業界では結構有名なスタジオらしいです。私は時雨きっかけで初めて知りましたが。

そんな海外レコーディングも功を奏してか、全体的にダークでビターなテイストの楽曲群にマッチした骨太な音像がこのEPでは楽しむことができます。本人たちは特別変わった機材を使ったということもないらしいですが、何となく1つひとつの音が太い気がするんですよね。周波数特性のQ値が丁度よく低いとでも言えば良いのでしょうか。ノイズでさえ、欲しい帯域にそれらが欲しい分だけ乗っかってくれているというか。表現が難しいですが、単純に音像的な「旨み」を感じるのです。ま、私もあまり耳が良いわけではないので、ただ先入観でそう思っているだけかもしれませんけどね。

あと、このCDジャケットめちゃくちゃ好きです。

さて、まずは1曲目の「SOSOS」です。

 

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ぜひともMVのFullバージョンをアップしてほしいですよね…こんな格好いいMVを作ってもらったのに、前半しか観られないなんて…まぁ、MVに関してはこれくらいにしておきまして。今回のEPのタイトルが「es or s」なので、この「SOSOS」は表題曲とも言えますね。ファンの間では「ソソス」と呼ばれているというような話を、後の付録DVD内の「DIE HARD RADIO」の中でピエール中野さんが語っていましたが、この楽曲は時雨ファンには堪らない1曲ではないでしょうか。「時雨らしさ」がこの楽曲には「これでもか!」というほど詰まっています。

まずはイントロから。YouTubeのコメント欄にも開始2秒で好きだと確信した、みたいなコメントがありましたが、私もこの意見に全面同意です。むしろ否定を認めません。これぞまさに凛として時雨! 時雨の楽曲はとにかくイントロがカッコイイものが多いです。超高速カッティングをベースとしたギターリフによるイントロは「シークレットG」でもありましたが、今回は音像が濃厚ということもあって、インパクト十分です。ドラムもギターリフにポイントで合わせており、変則的ながら実に聴き心地の良いイントロとしてまとまっています。

続いてAメロですが、こちらは休符多めのシンプルなリズムパターンの上に、TKのフェイザーをかけた歯切れの良いカッティングギターが乗っかってきます。TKのフォールを駆使した歌も良いですよね。Bメロからは345もコーラスに加わり、ドラムとベースのリズム隊が変則的なフレーズで時間軸をずらし、ギターは儚いアルペジオを奏でます。そして、Cメロはいかにも時雨的なキメを連続で繰り出し、サビへのボルテージを高めていきます。もう「これぞ凛として時雨!」という要素が目一杯詰まったA, B, Cメロの最高の流れです。

サビは比較的シンプルな乗り物の上で、TKと345の掛け合いが素晴らしいです。この楽曲だけではないですが、時雨の歌メロってめちゃくちゃ美しいんですよね。それでいて、他では聴けないオリジナリティがあります。ミスチルとかサザンとかも美しくありながら独自のメロディを描ける天才ですが、時雨=TKもまた独自の美しいメロディを描ける天才だと私は思っています。時雨のピアノアレンジとか8bitアレンジとか好きで良く聴くんですが、そうやってそぎ落とされた音像の中で改めて時雨の音楽を聴くと、メロの美しさが際立つんですよね。あぁ、こんなに素敵なメロディだったんだなぁ。とよく感動しています。

個人的なこの楽曲のピンポイントは、2番が終わり、間奏明けのサビが始まる前のドラムのフィルイン。タカタカドコドコパシャーン!と、最後におそらくはハイハットですかね?かなり高めのシンバルの音が響くあの瞬間が堪らないです。そして、この楽曲、いやこのアルバムはぜひとも良い再生環境で堪能していただきたい。こと音像だけに関して言えば、時雨の歴史の中でも屈指です。海外レコーディングの成果がとにかくハンパない! イヤホンで、ヘッドホンで、スピーカーで、色々と再生機器を変えて聴いてみることで、聴こえなかった音が聴こえるようになり、いつまでも何度でも楽しめますよ。

ちなみに、最後のサビの「誰にも見せられない SOS or es」という歌詞がありますが、「es」とは心理学用語で「無意識」や「衝動」という意味です。アルバムタイトルである「es or s」や楽曲タイトルの「SOSOS」とも深くリンクする歌詞なので、ここは要チェックポイントですね。TKの音楽が何かを強く希求する中での苦しみや、その希求自体が持つ純粋な衝動みたいなものを基盤としていることは、これまでも何度も書いてきたと思っているのですが、まさにそういったTKの精神を反映している歌詞と言えるでしょう。演奏やアレンジの要素には「これでもか!」というほどの時雨らしさが詰まっていて、そして、歌詞にも愚直に「凛として時雨」の精神が現れており、ただの良曲というだけでなく、時雨の歴史においてもかなり重要な楽曲であると私は考えています。

2曲目は、「Mirror Frustration」。この楽曲は奔放でやりたい放題の「SOSOS」と比べると、かなり落ち着いてシックな雰囲気を持っています。ミドルテンポでリズムパターンもディスコティックなシンプルな8ビート。しかし、一旦8ビートから外れると、どこまでも幻想的でミスティックな湿度高めの空気感に。すべての音が、ベルリンはハンザ・スタジオの硬く太い音で再現されるので、もうその音圧がとにかく聴いていて心地よいです。と、時雨にしてはかなりシンプルな感じではありますが、ギターのリフだけはかなり特殊でしたね。歪み切ったギターの音は何かの悲鳴のようにさえ聴こえます。

個人的なポイントは、1番の間奏が終わり、2番のイントロに入る瞬間のノイズと、2番イントロのキラキラしたアコースティック?(16弦?)ギターの音です。砕いたガラスを散りばめたような感じが楽曲から伝わってきます。2番終わりの激しい間奏は言うまでもなく最高ですが、こうやって色々と細かく聴いていくと、決してシンプルなだけの楽曲ではないですよね。そして、何よりもこの曲を聴いて驚いたのは、この楽曲のモノクロ具合です。「時雨処女」の頃であれば、ミドルテンポの楽曲(たとえば「this is is this?」とか)と言うと、かなり強めの色味が感じられ、情緒溢れる感じでありましたが、この「es or s」というアルバムは全編を通して、全く以って色味というのが感じられません。どこまでもモノクロで、ギター・ベース・ドラムの愚直な音像の中で全てが語られています。その趣向が最も強く表れているのが、この「Mirror Frustration」という楽曲です。感情はもちろん、感性すら捨て去って、ただただうねる衝動の中に身を浸している感覚です。とにかく聴いていて心地よい、大好きな楽曲の1つです。

3曲目は「Karma Siren」です。3拍子が組み込まれていたり、リズムのフレーズが独特であったり、楽曲の展開も特殊で前曲の「Mirror Frustration」とは楽しみ方が全然違います。ピエール中野さんが自分で時雨プレイリストを作ったときにも確か選曲されていた楽曲でした。そうやって聴くと、つまりドラムを叩いているところを想像しながら聴くと、確かに面白味のある楽曲だな、と思いました。一見シンプルに聴こえるようなところでも、細かいおかずがあったり、「え、そこシンコペーションしてたんだ!?」みたいな発見があったりと、なかなか楽しいです。そして、何といっても最後の展開ですよね。「もうないよ もういないよ」からの畳みかけはもう盛り上がること間違いなしです。「Karma Siren♪」からの謎のキメも慣れてノレるようになればこんなに気持ち良いものはないぜ!という感じです。

4曲目は「Tornado Mystery」です。「moment A rhythm」並みに浮遊感溢れるA, Bメロ等々を繰り返しながら、とにかくディレイをかけまくって幻想的なアルペジオの中に捕らわれつつ、気がついたら「モザイクとプラスチックさえも♪」からの超キャッチーなサビに足を踏み入れている、という不思議な曲展開。まさにトルネード。まさにミステリー。ま、意味はよくわかりませんが(笑)。

5th albumの「i'mperfect」に「Filmsick Mystery」という楽曲がありましたが、あちらの楽曲も比較的広い世界観の中で自由度の高さを感じる前半を奏でながら、後半はきっちりとキャッチーにキメてくるという楽曲の展開でした。そういう意味では、この「Tornado Mystery」も楽曲構成の面では、近いものを感じますね。なぜ「Mystery」という単語に対して、TKがそのような「浮遊感」と「キャッチー」の融合というイメージを持っているのかは甚だ謎ではありますが…真逆のものが組み合わさった迷路みたいなものがTKの中の「Mystery」のイメージなんですかね。

この楽曲のポイントはそんな楽曲展開でもありますが、サビの乗り物がどんどん変わっていくというのが音楽的には重要ポイントですかね。1回目のサビの最初では、バスドラの4つ打ちの上にメロが乗っているだけでしたが、2回目のサビではスネアやシンバルも登場してかなり豪華な感じになっています。ラストはたった2小節だけではありますが、せっつくような高速8ビートが登場して、楽曲は駆け抜けるようにして終焉を迎えます。独特でありながら、きちんと計算された盛り上がりのあるなかなか知的な楽曲とも言えますね。

5曲目、EPのラストを飾るのは「end roll fiction」です。曲名が「エンドロール」だったので、最初に曲名だけが発表されたときは「時雨解散するんじゃないか」とちょっと不安になった思い出がありますね。ちょうどTKのソロも軌道に乗って来たような感触がありますし、対して時雨はどこまでもソリッドになっていって、「これ以上何を削るんだ?」と思わせるような楽曲が続いていましたから、ただ単に楽曲名に煽られただけというんでもないんです。それに事実、次の時雨のリリースまで約2年という時間が空いています。その間はソロでのリリースが続き、「まじでこの曲が時雨のエンドロールになるんじゃないか」と真面目に恐かったです。ただ結局は2年後に「しも、しもきた!」と熱唱する良い意味でふざけた楽曲がリリースされたので、今となっては何というかお笑い種みたいなものですが(笑)。

楽曲については、時雨が大好きな「ダッダッダー、ダッダッダー」というキメが多用されていますね。そして、何といってもサビのメロディが素晴らしい。「叶えたって 叶わないよ」というTKが畳みかける箇所も好きですが、何と言っても345の「悪魔の輝きが 幻を映し出す」のメロディが妖艶でまさに悪魔的な輝きを感じます。そして張り詰めた歌声から、フレーズの最後にふわっと溶けていくような感じ、特に語尾の処理の仕方が345の絹のような歌声を堪能できてとても良いです。そんな感じで歌声に注目しつつ、ドラムの基本パターンは「seacret cm」と意外と似てるなということに気付きます。曲想が全然違うので、こうして文章を書くにあたって細かく聴いているうちにやっと気が付けたわけですが。とは言え、1番のAメロ-Aメロ間の間奏のような細かいハイハットのフレーズみたいに、実にピエール中野らしい緻密なドラミングも楽しめます。

そして、何と言ってもこの楽曲は歌詞ですね。「届いたって 届かないよ」など矛盾が多いですが、まさに時雨(=TK)的な「いつまでも完璧に辿り着けないもどかしさ」を歌っている歌詞です。作っている最中は自分の限界を超えて、未知なる領域に手が届きかけているのですが、完成してしまうとそれが陳腐なものに見えてしまう。完成する直前のトランス状態は、苦しみと幸福感で溢れ返るものです。そして、「あぁ、もうこれで終わりだ」というエンドロールさえ見えてくるでしょう。しかし、作品が完成しても、自分の人生がそこで終わってしまうわけではないので、自分で自分の生み出したものを振り返ってみることができてしまうのです。すると、完成品ゆえの粗雑さや矮小さが見えてしまい、また次の新しい景色を追い求めてしまう。先ほどのエンドロールがただのフィクションに過ぎなかったことを思い知らされます。生み出す苦しみを知っているからこそ、「まだ届かないか」と絶望すら感じてしまいますが、しかし、最終的にはそういった無限の循環を受け入れ、その渦の中で生きていくことを肯定しているような、そんな歌詞です。

「時計の針を~」からは楽曲は濃密な暗闇を切り拓いて、冷たい青空の中へと飛び出していくような雰囲気がありますね。そこからの歌詞は、どこか可能性を示唆しながらも、若干の疲弊感を携えた悲しみがあり、そして歌が終わるとイントロと同じメロディへと戻って行きます。まさに歌詞で訴えている無限の循環を体現するように。

と、そんなこんなで2nd EP「es or s」のレビューでした。よりカラフルになっていくソロ活動と比較して、どこまでも色味を削ってモノクロの世界にまみれていく、挑戦的でありながら時雨の原点を探る素晴らしい楽曲たちでした。

が、先に書いたようにここから2年半、「凛として時雨」としての新しい楽曲の発表はなされません。まず、この「es or s」はフルアルバムでなく、EPとなっています。そして、海外レコーディング。これらの要素は「凛として時雨」が疲弊してきていることの現れとも取れなくもないです。さらに、どこまでもモノクロです。削り、削り、削り…力強く、新しい試みもなされていますが、あの「良い意味で期待を裏切ってくれる、ワクワクさせてくれる凛として時雨」とはどこか違います。もちろん、スタンスが時雨の本質を探っていくという時期でもありますから、目新しさよりも時雨のオリジナリティ(起源)を突き詰めていくことの方が重要だったのでしょう。

攻撃的なサウンドにはなっていますが、私はこのEPからは閉塞感や強いフラストレーションのようなものを感じます。TKという「ある形状」からソロプロジェクトに見られるようなカラフルな外装を剥ぎ落し、ソリッドな軸を削り出していくような作業。そして、見えかけたエンドロール。しかしながら、この苦しみはむしろ2年半後の新たな爆発への布石だったわけです。1st albumの「#4」という種子から徐々に成長を積み重ね、4th albumの「still a Sigure virgin?」で花を開かせ、不要な葉を落としきって実を結実させた2nd EPの「es or s」。そして、冬の季節を通り越し、新たな春を待つ。

これがここまでの流れとなります。

と、次の章へ移る前に、ざっとTKのソロプロジェクトの作品たちに触れていきましょう。

 

◆「Secret Sensation」(TK from 凛として時雨

タイアップ等のない今回のEPですが、打ち込み感の強いディスコティックな表題曲である「Secret Sensation」、ルーパーを駆使して気色悪さを生み出す「subliminal」、嵐のようなギターノイズで連れ去ってくれる「ear+f」、柔らかく優しく、同時に切なく鋭い「like there is tomorrow」、と時雨本体ではできなかった試みがたくさん為されています。しかしながら、「es or s」に引っ張られてのことなのか、かなりモノクロチックな印象です。ピアノやバイオリンの利用だけでなく、ギター・ベース・ドラムというところでも、時雨本体との差別化を様々に試している感じですね。ただ、ソロプロジェクトの楽曲の中でも、どちらかと言えば、時雨本体に近いダークさが強く出ていて、私は結構このEP好きなんですよね。EPという手ごろなフォーマットも相まって好きです。

 

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「abnormalize」と「unravel」で世間からの注目を浴びた後のこの時期に、実は「Secret Sensation」でMステに出演しているんですよね。結構、普通のアーティストっぽく出演していたので、それがむしろ私にとっては驚きでした。良くも悪くもそんなに反響がなかったように思います。時雨も名を上げたなぁ、と。

 

◆「Signal」(TK from 凛として時雨

アニメ「91 Days」のオープニングとしてタイアップとなった「Signal」を筆頭に、どちらかと言えばボーナストラックとしてのニュアンスが近い、「Shandy」と「unravel(acoustic version)」が収録されています。

「Signal」はアニメ作品の監督を務めた岸本卓さんもコメントで書いているように、「湿度120%」の濃密な感じが素晴らしいです。時雨には珍しくもったりとしたテンポですが、その分だけ音の濃密さを味わわさせてくれます。後に、「P.S. RED I」の特典DVDの中でスタジオレコーディングが為されますが、この時の演奏も素晴らしく、ライブ映えする楽曲だと思います。あ、ちなみにアニメもめちゃくちゃ良かったですよ。昨今のアニメには珍しく、華やかにし過ぎず、どこまでもシリアスでシックにまとめ上げていたのが良かったです。最後はかなり寒々とした雰囲気の中でほんの少し暖かみを感じさせるような…そういうのも私的にはだいぶ心を掴まれました。

「Shandy」は時雨本体の4th album「still a Sigure vergin?」より3曲目の「シャンディ」を再構築したものです。「シャンディ」の方はやや酷評みたいな感じにしてしまいましたが、今回は「シャンディ」という楽曲が本来持っていた世界観の多様さを充分引き出すことに成功しています。おそらく、4th albumでの「シャンディ」を聴いていなければもっと驚いて楽しめたんでしょうけれど…良くなってはいてもアレンジ前の楽曲を知っていると、どこか釈然としない気持ちが残ってしまいますね。とはいえ、めちゃくちゃカッコ良くなっているので、聴かないという手はないです!

こうなったら全曲軽くレビューしますが、「unravel(acoustic version)」は言わずもがな、アニメ東京喰種2期の素敵な場面(あえてどこかは言いません。わかる人は絶対わかりますし、わからない人にはネタバレみたいになるので)で流れていたものですね。アコースティックにすることでメロディが引き立ちますが、イントロのあの狂気的なギターフレーズがあってこその「unravel」だと思っている私にとっては、若干物足りないかな、と。アニメ込みで素敵な楽曲という感じでしょうか。

 

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無料で聴けるのは、このバージョンが近いです。が、CD収録のアレンジよりは、こちらの方が私は好きですかね…にしても、TKの歌声やっぱりいいな。。。

 

◆「white noise」(TK from 凛として時雨

 

手元に何も資料が無い状況で書いているので、とりあえず記憶を頼りにするしかないですが、この「white noise」はほとんどノーアイディアの状況でスタジオを借りてレコーディングと作曲を行っていったそうです。もちろん、これまで発表された「Secret Sensation」や「Signal」、「like there is tomorrow」も収録されていますが、それ以外の楽曲はほぼノーアイディア。

真っ白な状況の中で何が生み出せるか試したかったと言っていた記憶がありますが、「white noise」というタイトルからも感じる通り、今回のアルバムのイメージは「白」ですね。「dead end complex」や「Showcase Reflection」からは凶暴性も感じるので、「黒」という部分もありますけれど。ただ、「es or s」や「Secret Sensation」を様々な色の絵具を混ぜてできた「黒」と呼ぶならば、「white noise」の楽曲たちは様々な色の光を混ぜてできた「白」と呼べそうです。

少し脱線してもいいですか?

人間がどうしてものの色を認識できるのか。物理的に考えれば当たり前のことですが、絵の具は混ぜると黒なのに、光は混ぜると白ということが私にとってはとても興味深いことなんです。何かこの世の深い真理を反映しているような気がするんですよね。まだ、そのことについて何か教訓めいたことを言えるわけではないのですが。

と、話を戻しますが、全体的にとにかく音色が多いです。あまりにも音の色が多いので、真っ白に見えてしまうほどです。ただ、その音の多さ故に何となく掴みどころのない楽曲が多いなぁという印象がずっと強かったのが正直なところです。が、ピエール中野さんに啓蒙されてか(あるいは単に社会人になってお金が入るようになってきたからか)、イヤホンにお金をつぎ込めるようになって来て、感想がだいぶ変わりました。

このアルバムの発売時は私は学生でお金もなく、せいぜいが5,000円程度のイヤホンしか持っていなかったのですが、「社会人たるもの消費行為で経済を回さねば」という言い訳のもと、先日40,000円もするイヤホンを購入し、さらに色気づいて10,000円かけてリケーブルを行いました(どや)。

時雨本体の楽曲もより楽しめるようになったのはもちろんですが、何と言ってもTKのソロプロジェクトの楽曲たちを聴くのがめちゃくちゃ楽しくなりました。特に、この「white noise」のアルバムは「TKの表現していたものはこれだったのか!」と購入から3年半越しくらいに強い感動を覚えました。中でも「Addictive Dancer」は凄いです。リズムが複雑でないので物足りなく感じていましたが、今は何回聴いても物足りないくらいです。耳が4つ欲しい!という感じですね。

と、脱線まみれでしたが、最近また好きになったアルバムなので、これからさらに聴きこんでいきたいという感想でした。

 

4.新境地へ「#5」~無限の可能性「Neighbormind/laser beamer」まで

さて、そしてようやく記事が現在の時の流れに追いついてきました。

この章では「es or s」までで削り出した「時雨らしさ」を新たな種子として、再び「凛として時雨」がどんな花を咲かせるかについて書いていきたいと思います。特に、「なぜ『#5』なのか?」という分かり切ってはいるけれど、言語化が難しい問いの答について、またごちゃごちゃと言葉を尽くしていきたいと思います。

 

◆6th single「DIE meets HARD」

 

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DIE meets HARD

 

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と、章のタイトルでは、どうしても「#5」という文字を入れたかったので、しれっと抜かしていたのですが、この6th single「DIE meets HARD」を忘れてはいけません。

下北沢ダイハード」という下北沢を舞台にしたオムニバス形式のドラマのオープニングとしてタイアップされました。MVはこれまでの時雨にはなかった、強いコメディ要素が盛り込まれています。が、ミドルテンポの8ビートが身体を揺らし、時雨史上最も明るい画面のMVによって、「あ、この曲はただただ楽しんでいいんだ!」と思わせてくれます。しかしながら、ドタバタ劇の横で時雨メンバーは絶対に笑ったりしないので、そこは時雨らしいな、と感じさせてくれますね。コメディとシリアスの融合という意味では、シュールなおかしみさえ感じさせてくれます。

楽曲については、まず、ミドルテンポだけれど、ゴリゴリでハードなJ-ROCKという感じです。特に時雨には珍しく、イントロのリフが「いわゆるリフ」という感じでわかりやすいのもハードロック的で良いですよね。「下北沢」を「SEE MORE GUITARS THE WORLD」ともじっているのも、何ともTKらしくて好きなポイントですね(時雨を知らない人からすれば『くだらない。ダサい』で一蹴されてしまうかもしれませんが笑)。と、ここまで聞くと、「時雨もやたらポップになったなぁ」という感じですし、事実楽曲から感じるポップさは凄いものがあります。「久々にリリースしたと思ったら…これが時雨?」と驚きが全くなかったとも言えません。「あの鋭く、冷たかった時雨はいずこ…?」と、よよと泣き崩れてしまうファンもいたかもしれません。私はこの楽曲のノリの良さに、思わず「オイ!オイ!」と声を出しながら、自宅で狂喜乱舞していましたが。

しかしながら、きちんと楽曲の構成を捉えてみると、これがめちゃくちゃ複雑なんですよね。私の中での複雑な構成代表の「a symmetry」や「Dinamite Nonsence」にも匹敵しそうです(ソロの「film A moment」とか、壮大な楽曲たちは抜くとしても)。「シモ、シモキタ!」のメロディとか、この楽曲の顔みたいな感じがしますが、実は楽曲が始まって3分後に初めて出て来るんですよね。不思議です。まぁ、この辺りは、コード進行とかリズムを同じ乗り物にしていることが理由になってくるのですが、時雨の楽曲をあまりこういう風に掘り下げても仕方ないので、これくらいにしておきます。たしかにTKの作る楽曲は緻密ですし、アイディアに満ちていますが、計算づくというよりも感覚最優先のため、理論立てた分析を進めると後々矛盾が生まれて、とてつもないしっぺ返しを食らいそうなので。

というわけで、溢れ出るアイディアの1つとして、イントロのノイズは「Telecastic fake show」のイントロの逆再生が使用されています。ほかにも付属DVDの「DIE HARD RADIO」内でも語られていますが、MVの「SEE MORE GUITARS THE WORLD♪」のところでボタンが弾け飛ぶタイミングをTK自らめちゃくちゃ細かく指示したとか。とにかく時雨にしてはやたらポップなこの楽曲は、色々と細かい趣向も凝らされています。が、とりあえずは8ビートに乗って楽しむのも良いんじゃないでしょうか?

2曲目は、「I'm Machine」という楽曲です。ピエール中野のスネアでの特徴的なリズムから始まりますが、歌い出しが「タイムマシーンに乗って」ですからね。タイトルの「I'm Machine」と合わせて考えると「DIE meets HARD」並みにふざけています。

特筆すべきところとしては、やはり間奏のラリったようなギターでしょう。そして、これも後半の間奏ですが、複雑なキメの箇所もまた注目を惹きますね。また全編を通して、(主としてスネアとタムですが)ドラムの手数が多い曲だと思います。ドコドコ、タカタカとこれでもかと叩き慣らされるドラムを聴きつつ、変幻自在な間奏ではぐっと熱量を上げて聴くことができます。歌のメロディラインは特に345パートの浮遊感が妖艶ですね。

ちなみに、ほかにも工夫されている点としては、スネアの「音作り」、「レコーディング」、「ミックス」が「DIE meets HARD」とは異なっていることでしょうか。「DIE meets HARD」ではスネアはほとんど響きが殺され、かなりマットな質感、言ってしまえばほかの音に埋もれているような感じです。対して、こちらの「I'm Machine」ではかなり響きが良く、イントロのフレーズを聴かせるための工夫が為されています。

既に少し触れてしまっていますが、間奏のラリったようなティロリロと流れ落ちるようなギターのフレーズですが、これは次に控えるアルバム「#5」の「Tornado Minority」に通じるものがありますね。また、リバーブを深く効かせたギターもTKっぽいポイントですが、明らかにこれまでのそれよりもしつこく多用されています。

というわけで、特にドラムとギターにおいて、何か殻を破ろうと実験している感じがこの楽曲からは伺えます。実際、「#5」を聴いてから、この「I'm Machine」に戻って来ると、ちょうど「es or s」と「#5」の緩衝地帯のような役割を担っていることに気付かされます。「es or s」ほどシリアスでストレスフルな感じではなく、「#5」ほど花開いてもいない…正直なところ私はこの楽曲単体ではあまり心惹かれるところはなかったのですが、時雨の歴史の中では重要な立ち位置にある楽曲だと思っています。それは2つの作品のちょうど過渡期にあたるが故の中途半端さみたいなものを良くも悪くも感じさせるからでしょう。

3曲目はナカコーさんがリミックスした「DIE meets HARD」です。どういう経緯でリミックスをしていただくことになったのか私にはわかりません。が、歌メロ以外はほとんど原曲の感じがなく、エレクトリックな質感にまとめあげられています。「凛として時雨の楽曲」というわけではないので、レビューはまたの機会に!(と言っておきながら、二度と来ない可能性は非常に高いですが…)

という感じで、「#5」への革命前夜という位置づけとして、私はこのシングルを捉えさせていただきました。

 

◆6th album「#5」

さて、いよいよ待ちに待った「#5」です。この記事を書く動機になった主要な部分であると同時に、この記事のスタンスを決定づけてくれたアルバムです。

 

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#5

 

ジャケットから素敵です。

このジャケットをプリントしたグッズTシャツは好き過ぎて、着古してしまい、今ではすっかり色褪せてしまいました。

 

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もう、このトレーラー映像を見た瞬間にどれだけの興奮が私を襲ったか!

大学院の卒業旅行がちょうどこの「#5」の発売時期に重なっており(たしか出発がこのアルバムの発売の翌々日)、「いや、スペインなんて行っている場合じゃない! アルバムを聴きこまなければ!」と半ば本気で旅行をキャンセルしようかと思ってしまったほどです。もちろん、ちゃんとスペインに行って、メッシのハットトリックを生で拝んできましたが。

と、私の話はどうでも良くて…まず「#5」というアルバムタイトルが反則ですよね。あの「#4」から12年(とちょっと)。自称音楽評論家の人の中には、「凛として時雨は『#4』だけだな」という不届きな輩もいますが(もちろん、その人たちがなぜそう言うのか、理由がわからないわけではないですが…)、どうです? この「#5」を聴いても同じことが言えますか? 「凛として時雨は『#4』だけだな。まぁ、『#5』も悪くないけど」と言い直さざるを得ないでしょう。

ほら、このトレーラー映像の開始5秒で心を掴まれ、5分10秒のピエール中野の声が聞こえてくるまで離してもらえないでしょう!(5分10秒からは私みたいに時雨が好きな人がバカみたいにニヤニヤしながら聞けばいいんです。)

と、まずは感情的な部分を吐き出させていただいたうえで、このアルバムの位置づけについて話していきます。

www.billboard-japan.com

とは言え、せっかくインタビュー記事があるので、これを読んでいただくのが先決ですね。

特筆すべきは、「#5」というアルバムタイトルが名付けられた経緯で、TKとピエール中野さんが2人とも「これは『#5』っぽい」と感じたというのが面白いですね。ですが、私も僭越ながら「これは『#5』っぽい」と思いました。不思議なのが「このアルバムって『#4』っぽいよね」じゃなくて、いきなり入りから「これは『#5』っぽい」と感じてしまうことです。つまり、過去作品と類似しているというだけでなく、そこからの進化も感じるんですよ。ただ、どうして「#4」と近しく、そして「#4」からの進化を感じさせるのかが言葉で説明できない…

もちろん要素はいくつかあります。TKが全曲のミックスを行っているところだとか、曲数が10曲だとか、インタビュー記事にあるように「夕景」という言葉が使われているとか…でもそういった要素を書き連ねれば書き連ねるほど、「そういうことじゃないんだよな」と感じてしまいます。

そこでバカ丸出しで感覚的な物言いをさせてもらうなら、「エモく」て「目新しい」んですよ。とにかく。当然、凛として時雨らしいフラストレーションの発露みたいな、心が「ぐわぁーっ」となるような部分も強く打ち出されているわけですが、とにかく衝動みたいなものを感じるんです。もはや初期衝動と言っても良い熱量を「#5」からは感じます。

では、なぜそのような初期衝動みたいなものを、「#4」から12年経過した今、再び生み出すことができたのか?

これだったら多少論理的に説明することができます。

「#4」から「still a Sigure virgin?」までは、凛として時雨という軸に対して、様々な飾りを施して来た時期と言っても良いでしょう。様々な表現手段を得て、引き出しを増やし、色彩を豊かにしてきました。そして、その色彩がもともとの凛として時雨という枠組みでは抑えきれなくなった段階でTKのソロプロジェクトが始まり、カラフルさはソロプロジェクトに引き継がれました。そんなカラフルなソロプロジェクトと対比するように、そこからは「凛として時雨とは何か?」という自問自答の時期に入っていきます。それが、「i'mperfect」~「es or s」の時期です。この時期はどんどん余計なものを引き剥がし、音楽はソリッドなものへとデフォルメされていきます。削り取る作業に近いため、徐々に閉塞感が募り、内側へ内側へとフラストレーションを溜め込んでいきます。

それが一気に爆発…というほど短期間で制作されたものではないですが、しかし、まさに「爆発」という言葉のように、改めて表現を外側に広げるべきタイミングで生み出されたのが、この「#5」というアルバムであるように思うのです。

どこかのタイミングで「凛として時雨らしさ」を突き詰めることに対して吹っ切れたのか、「ただ作りたいものを作りたいように作る」というモードにTKの中で切り替わったのかもしれません。もちろん、いつだってTKは自分の作りたいものをただ作って来た人だとは思います。が、無意識下で「ソロプロジェクトとの差別化」という考えは少なからずあったでしょうし、それをただの厄介な制約ではなく、自らを触発する材料として使ってきた感もあるでしょう。

それが来るべき時が来て、ふっと奥の方へと引っ込み、まるで初めて音楽を生み出すときと同じように、様々な制約から解き放たれ、純粋な衝動で音楽と向き合えたからこそ、「#4」から12年越しに「#5」というアルバムが生まれたと私は思っています。もしかしたら、いちファンには知りえないプライベートでの心境の変化のようなものもあったのかもしれませんが、いずれにせよ衝動に制約や前提、バイアスのない状況で楽曲制作に勤しむことができたと思うのです。

私は前段で、これまでの流れを「種から花が咲いて、また実がなる」というような言葉で説明しましたが、まさに「#4」~「#5」までの流れはそのような1種の生命のサイクルを感じさせてくれます。季節が移ろい、また花が開く。そういった時間の流れがあり、桜が1年に1度しか空を桃色に染めないように、きっと次の「#6」が生み出されるのは、またずっと先のことになると思います。が、季節を楽しみながら待っていればまたすぐにその時はやって来ることでしょう。

と、さも記事の終盤かのような言葉を書き連ねてしまいましたが、楽曲のレビューがまだ済んでいません。レビューというよりはただの感想ですが、ここからも気合を入れて書き進めていきますよ!

 

1曲目は、「Ultra Overcorrection」。時雨が好きな人だったらもう絶対に好きなイントロから始まるこの楽曲。アルバムのトレーラー映像でも、開始5秒で私の心を掴んでくれました。本当にこのイントロを聴くたびに、「こんなの作れるのは時雨しかいない!」と思わせてくれます。どこからこんな訳のわからないフレーズが生まれてくるんでしょう?

そして、このイントロを聴けばわかりますが、ギターだけでなく、ドラムの難易度が異常に高いです。何度かピエール中野さんのインスタライブを拝見していますが、そこでも何回か「この曲はめちゃくちゃ難しい」と言っていました。TKのギターも相当えげつないことになっていますが、これに対応できるのもピエール中野さんくらいのものではないかと思ってしまいます。イントロだけでなく、Aメロやサビの序盤もかなり細かいフレーズを叩いていて凄いです。

テンポとしてはあまり早くありませんが、それでも激しく、そしてカッコいい。特にサビはカッコいい。Aメロなどはあまり聴き馴染みのないメロディラインかつ、コード感も変わった感じのため、最初はノリにくいかもしれません。が、この浮遊感が次第に「らしさ」として感じられるようになってきます。そして、間奏ではギター・ベース・ドラムのキメキメフレーズが心を連れ去り、続けて「3 2 1 まだ駄目なんだ 思い描いた完璧さえ」の「こんなの絶対好きになっちゃうじゃん!」という落ちサビを魅せてくれます。月並みな表現ではありますが、イントロとこの落ちサビまでの展開だけでご飯3杯おかわりできてしまいます。本当に月並みな表現ですけれど。

凛として時雨らしいダークな感じがあり、そこにはフラストレーションのようなものも感じますけれど、どちらかと言えば、表現への衝動の方をより強く感じます。とにかく「カッコいいものを!」というのが何の制約も無く、ダイレクトに胸の中にドンと飛び込んでくる感じが、今まで時雨にあったようでなかったかもしれません。イントロのカッコ良さから「シークレットG」や「SOSOS」を感じますが、とは言え、全体の質感としては「DIE meets HARD」のようなノリの良さがあり(先ほどはAメロとかがノリにくいかも…と言いましたが笑)、どちらかと言えばただただ楽曲のカッコ良さに身を委ねることができます。

何度も言いますが、本当に「カッコいい!」楽曲です。

 

2曲目は、「Chocoate Passion」です。

 

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まさかの曲名ですが、楽曲はゴリゴリで、MVのライティングはバッキバキです。本当に時雨のMVはカッコいいです(もちろん「DIE meets HARD」も含めて)。

この楽曲はTKが「最近、中野君の中で流行っているフレーズない?」とピエール中野さんにアイディアを求めて生まれた曲だそうです。ピエール中野さんはMaison book girlという変拍子を駆使したアイドルのバンドメンバーとしての活動もしており(本当に活動が多岐に渡っていますね)、そこで得た経験をもとにこの楽曲で使われているフレーズを生み出したそうです。TKはTKで、おそらくはPerfume好きのピエール中野さんを念頭に、Perfumeの「チョコレイト・ディスコ」をもじるようにして、この楽曲を作ったんじゃないかな、と思います。

ちなみに、TKは「3拍子ってことも気づかず作った」と言っていますが、本当にそうなんですかね? もしそうだとしたら逆に「どんな作曲能力だよ」と不思議に思ってしまいます。Bメロでは普通にポリリズムを取り入れていますし、なぜ拍子を意識しないでポリリズムを組み込めるのか…才能って怖いですね。そして、むしろ「チョコレイト・ディスコ」ではなく、「ポリリズム」をもじった方が良かったのでは…

Aメロ、Bメロと変拍子が使われていたり、複雑なリズムパターンが多く出てきますが、サビは素直な8ビート…と思わせておいて、実は前半8小節と後半8小節でハイハットのタイム感とオープンの具合を変えており、芸が細かいです。こういうお茶目さが素敵ですよね。そして、サビ前のブレイクが毎回異なっており、1回目より2回目、2回目よりも3回目という風に徐々に盛り上げの度合いを高めているところも拘りを感じますね。サビのメロディラインは非常にキャッチーですし、ドラムがシンプルな反面、ベースラインで魅了してくれます。そして、これだけキャッチーなサビを用意しておきながら、大サビでは全く新しいメロディラインが現れて、最後までワクワクを途切れさせないまま疾走感バツグンで突っ走ってくれます。

いやぁ、1曲目に続き、2曲目もまたビビるくらいカッコいいです。

 

3曲目は「Tornado Minority」ですが、これも文句なくカッコいい。1,2曲目よりも時雨っぽい刹那的な煌めき成分を多分に含んでいます。そして、この楽曲は個人的にギターの独壇場のように思えてなりません。ソロプロジェクトで披露した「ear+f」という曲を彷彿させるノイジーなギター。「#5」の前段となった「I'm Machine」からさらに進化した狂気のフレーズ。それがもう最初の掴みのサビ終わりから聴くことができます。Aメロでは、歌と交互にギターのフレーズが差し込まれていますが、実はここのギターもさらっと弾いているような感じですが、かなり高度でそしてカッコいいんです。そして、言わずもがな最後のギターソロはもう圧巻の一言。これもまた何度リピートしたか数えきれないほどです。何回聴いても心を揺さぶり、テンションを上げてくれます。

歌に関して言えば、TKと345のパート分けが絶妙です。AメロではTKがダークさを演出しており、Bメロでは345が儚い感じを演出しています。そして、Cメロ、Dメロ(どちらもサビのように機能していますが)では、互いに互いを補完し合い、同じメロディを歌っているにもかかわらず、声が異なることで世界観を広げてくれています。

ドラムもギターほど激しく煽情的というのではないにせよ、本当にテクニカルなフレーズを叩いており、「これぞピエール中野!」という軽やかさと粘り気を魅せてくれます。いやぁ、凛として時雨って本当にすごいバンドです。

何となく「Filmsick Mystery」→「Tornado Mystery」→「Tornado Minority」という流れを私は感じておりまして、どれも序盤はあまりガツガツとリズムを刻んでいなく(つまり、単純な8ビートなどがないということです)、後半に一気にキャッチーさを持って来るという楽曲の構造が似ている気がします。ただ、前2曲は新しいキャッチーなサビを後半に持って来るという手法を使っているのに対して、今回の「Tornado Minority」はそのキャッチーなサビをギターソロが担っていますね。どれだけこのギターソロに自信があったのか…というか、命を懸けて作ったのか、というのを感じますね。ギターソロの後のひっ迫した展開も好きなところの1つです。あれだけのギターソロを作っておきながら、それでも満足せず、1回こっきりしか使うことのできない新しいベストなメロディを付け足してしまうんですから、本当に楽曲に対する凝り方、想いが凄いです。

 

4曲目は、「Who's WhoFO」。時雨の楽曲にはよく「UFO」という言葉が登場しますが、いずれも「UFO」は「浮遊感」のアイコンとして機能しているように私は思います。「夕景」が「UK」で初期衝動の源となったイギリスの風景を指しているように、TKは特定の言葉に、特定のイメージを結び付けている気がします。ほかにも「Mystery」や「Tornado」、「Secret」や「Turbo」なども出現回数は多いですよね。初期の頃はよく「Sadistic」という言葉を使っていましたが、それぞれ時雨ファンの中ではある程度これらの言葉に対する時雨的な意味合いがイメージできているはずです。1つひとつ言語化することは難しいですが、しかしそうは言っても「UFO」が「浮遊感」や「神秘性」というニュアンスで使われていると、私はそう確信しております。

時雨には珍しく、明るい感じの楽曲となっています。歌詞にも「幸せ」という言葉が出て来たり、「オーロラを超えてあと少しで届く」のようなフレーズもあり、かなり希望を感じる楽曲です。TKはどこかで「こういう明るい曲を時雨でやれるのか」と最初は不安視していたそうです。私も最初聴いたときは、あまりにもソロプロジェクトの楽曲っぽくてビックリしましたが、間奏のかなり攻撃的な感じを聴いてみれば、どうしたって「これは時雨だ!」と思わずにはいられません。

とは言え、特に「i'mperfect」や「es or s」の頃は、削り落としまくって閉塞感やフラストレーションの権化であった凛として時雨が、こんな楽曲をやるようになったというのはかなりの変化だと思います。そして、こういう開放的な楽曲を作っていることからも、TKが以前とは異なるマインドで凛として時雨と向き合っていることが感じられ、「この『Who's WhoFO』があることがすなわち、『#5』というアルバムの誕生を証明している」と言える気がするのです。「閉鎖したい感情UFO」、「交差したい感覚UFO」と歌っているときとは幾分か心境も変化しているはずでしょう。

 

5曲目は、「EneMe」。時雨にダークさや激しさを求める人にはこの楽曲が最も刺さるでしょう。何となくアルバム「i'mperfect」の「Sitai miss me」を彷彿とさせる怪しい雰囲気がありますね。私は最初聴いたとき、なぜかエミネムの「Lose Yourself」を思い出しました。何となく共感できる方いますかね? 使用しているコード感が似ているからでしょうか? 不穏でカッコいい感じがこの「EneMe」からはビシバシ伝わって来るのです。いや、「EneMe」と「Eminem」の字面が似ているからですかね。でも、TKのことだからそんなような感性で曲名を決めていてもおかしくない…なんて、痛いファンの私は自分とTKの感性が近いのではないかと考えてしまいます。

ギターのコード感や音色が不穏な感じを作っているのは一聴しただけでわかると思いますが、実はハイハットなどの金物類の音色なんかもちゃんとこの楽曲に合わせて、退廃的で乱雑な感じに調整されているのが素晴らしいです。言葉にするのも難しいですが、何となく「パシャパシャ」とあまり歯切れが良くなく、ナイフというよりはノコギリみたいなギザギザとした感じと言えば良いですかね。とにかく、そんな音です。

と、ここまでこの楽曲の不穏な感じに注目してきましたが、この楽曲もまた時雨らしい複雑な展開が魅力的な曲となっています。特に、途中テンポチェンジが何度か繰り返されるため、慣れないと気持ち悪いかもしれません。それがまた不穏さを表現していることは言うまでもありませんが、それ以上に「時雨らしさ」を確立しています。「Lose Yourself」の焼き直しでは意味がないのです。そして、時雨が表現したいのも別に人種間でぶつかり合う自尊心とかではありません。時雨はあくまで時雨らしく、表現者としての苦悩を表現すること以外にやるべきことはないのです。

本来であれば自由の象徴である「表現」という行為に絡めとられている。空白・空洞の渇きの中にあってもまだ「表現」を求められる。この状態はいかに不自由で、「表現」と呼ぶことさえ正当なのだろうか。そんな煩悶をこの楽曲からは感じます。

「もう分かんないよ」と歌詞で繰り返していることからも、その無限の苦しみは自らを千々に切り裂いてしまうものです。そうやって切り刻まれ粉々になっていくのを、この無謀な楽曲展開が表現しているように私には思われます。そして、最後には全く新しい展開がいくつも重なり、シャウトと狂気的なギターソロで楽曲は締め括られます。しかし、そんな狂気の刹那に美しさが紛れ込んでいるのが、やはり「時雨だなぁ。TKだなぁ」というところです。特に、「暗闇だってもっと美しいと思っていた」というところの諦観を感じさせる歌い方。「君色を剥き出したって 無限に僕は生き返るの」というところの何かを切に求めるような歌い方。シャウトは孤独感を感じさせますし、「息の根を止めてしまえよ」というところは、苦しみを現在進行形で美しさに変えているような感じがあります。

そんなただカッコ良いだけでなく、どこまでも刹那的で煌びやかな実に時雨らしい楽曲と言えるでしょう。

 

6曲目は、「ten to ten」。「10から10」ではなく、「点と点」です。この「ten to ten」とアルバム表題曲の「#5」は歌詞に力を入れて作った楽曲らしいです。ゆっくりめのテンポの反面、ギターソロなどで顕著ですがメタルっぽいアプローチもなされており、かなり重厚感のある楽曲です。

序盤は気怠く、冷たく濃密な霧を感じさせるような寂しい音像から始まります。「始まらないよ 終わりもしないよ」という歌詞はまさにTKの表現に対する苦悩を現しつつ、パっと辺りに漂う霧を引き裂き、新たな景色を引きずり出します。その後、「ten to ten」というテーマが繰り返され楽曲の温度感は高まり、「あの頃は迷いがなかったなんて言うんだろう」という箇所からはビートが細かくなり、さらに楽曲は激しさを増していくように見えますが、すぐにまた序盤の気怠い雰囲気に戻ります。そして、再度楽曲はゆっくりと盛り上がりを見せ、2回目の「始まらないよ 終わりもしないよ」からはまた一転激情が楽曲を支配します。ドラムの手数が増え、明らかに楽曲は新たな展開を見せていきます。しばらくはそのゆったりとしたテンポと、濃厚な激情の中で楽曲が進んでいき、それでも徐々に圧力は増大し、印象的なメタル風のギターフレーズが現れるところでピークとなります。そして、そのまま楽曲は終わっていくかのように見えますが、急にテンポが倍になり、カオスが楽曲を引きずり回し、ギターソロ。ノイジーなギターの音がまるで悲鳴のように響き渡った後で、「ジャカジャカジャーン」と劇的な終焉を迎えます。

と、言葉で書き表すのは難しいですが、こんな風にとてもドラマチックな展開を見せてくれる楽曲です。1つひとつのフレーズやメロディがとても強いかと言われるとなかなかそうとも言えませんが、全編通して聴き込むことで、楽曲の重厚な世界観にのめりこむことができ、最後の倍テンポで頭と心をぐちゃぐちゃに掻き乱され、「ジャーン」という残響の中で自分の呼吸が荒くなっていることに気付かされます。

歌詞の意味については、上記に挿入してあるインタビューを見ていただくのが早いですが、面倒くさがりなあなたのために簡単にまとめますと、「僕たち凛として時雨は、決して計画的なプロデュースの上で、順調な活動を続けてきたわけじゃない。毎回、目の前の音楽に集中していくことで、点を残して来たに過ぎない。けれど、その点と点が繋がって、その先に自分たちがいる」というようなことが語られています。その上で歌詞には「あの頃は迷いがなかったなんて言うんだろう」とあり、決して昔の方がうまく行っていたというわけでもないことが示されています。「もう感情は吐き出さなくていい」、「快感のせいさ 宿命の点と点を繋いで」という歌詞からは、表現し続けることがずっと苦しく、それは何も変わっていないが、同時に快感がそこにはあって、その快感に唆されるように表現をやめることもできなかった、という感情が読み取れます。要するに、一時々々の快楽を求めてきただけに過ぎず、いつの間にかそれが繋がって道になっていたということなのでしょう。その様はまさに「醒めない夢にまだ侵されている」よう。そして、最後には「ただ君がいるからただ僕がいるだけ」と自分が表現する理由はそこまで難しいことではなく、非常に単純明快な論理であると示されます(もちろん、「君」という言葉は非常に多義的ですが)。もし疑念があるとすれば「伝えようもない虚しさ」が付き纏っていることだけれど、それも「時と雨が繋いで消し去っていく」。「時と雨」はもちろん自らたちの名前である「時雨」を意識しての言葉ではありますが、額面通りの「時間」と「雨」という意味合いも忘れてはいけません。ずっと、そしてこれからも点を繋いでいくその「時間」。そして、音の「雨」が、そう簡単には伝えることができない「この虚しさ」をどこかには繋ぎ止め、「時」と「雨」自らの存在と一緒に消し去ってくれるだろう。そんな儚い希望をこの歌詞からは感じますね。

と、やけに煽情的な言葉を多用して、あれやこれや書いてきましたが、私がこの楽曲の中で最も伝えなくてはいけないことは、2018年のライブにて、ピエール中野さんがMCで喋っていたことです。そのライブでは、「ten to ten」の激情的な「ジャカジャカジャーン」が終わった後、ピエール中野さんが徐にいつもの調子で喋り出しました。

以下、抜粋です。

(一通り盛り上げが終わった後…)ピエール中野「本当はMCをする予定じゃなかったんですよ。ストイックにMCなしでドラムソロ入って、そのまままた時雨の楽曲に戻って行くという構成にするつもりだったんですね。ただ、ドラムソロで何をするか、ってなったときに『どんぐりころころ』っていう童謡をバックにドラムソロを叩きたいな、って提案しまして。あの、『どんぐりころころ、どんぐりこ♪』っていう…この後どんぐりが結構とんでもない大変なことになるっていう…まぁ、皆さん知ってるとは思うんですけど。で、この『どんぐりころころ』をバックにドラムソロをやるっていう画期的なことをやりたい、って北嶋君に提案したところ、さすがに『ten to ten』でバーンと終わった後で、急に『てんてけてけてけ』って始まったらお客さんも困惑するんじゃないか、と。あまりにもシュール過ぎるから、一言くらい喋った方が良いんじゃないか、って北嶋君に言われまして。あ、そうだな。って思うと同時に、『どんぐりころころ』自体は止めないんだ。って感動したんですよ。懐が深いなぁ、と」

まぁ、こんな感じのことを喋っておられました。もちろん、内容は私がまとめ直していますが。このMCを聴いて、私は…

「好き」ってなりました。

なんて言うかこの関係性が良いですよね。ベストアルバムを出した時に、ピエール中野さんのカラオケ動画を公式で上げたりだとか。ピエール中野さんが1人で暴走して楽しんでいるだけじゃなくて、TKも(おそらく345も)それをちゃんと楽しんでいるという。そして、どれだけ鋭利な楽曲を作ろうとも、TK自身が「Sergio Echigo」という楽曲を作ったり、「下北沢ダイハード」というドラマのタイアップで「SEE MORE GITARS(しもきた!)」と叫ぶ楽曲を作ったりしてるわけですから。

時雨の楽曲は「緩急がすごい!」となることが多いですが、こういった部分でもすさまじい緩急を感じます。お笑いで言うところの「緊張と緩和」です。素敵です。

 

7曲目は、「Serial Number Of Turbo」です。また意味不明な曲名ですが、楽曲自体は非常にナイーブで儚く美しい楽曲となっています。本作では唯一のアコースティックギターを活用した楽曲で、当初の予定ではその儚さ、柔らかさから345が歌う予定だったそうです。ただ、どうしてか歌ってみると345じゃ合わなかったらしく、ほとんどをTKが歌うことになりました。

凛として時雨を知らない人にこのアルバムを聴かせると、だいたいが「この楽曲が1番好きかな」となる気がします。たしかに1番激しくなく、きれいなJ-POPという感じです。しかしながら、この楽曲を時雨以外が作れるような感じもしません。「Ultra Overcorrection」のように完全にどうかしてるイントロフレーズのような、誰にも真似できないような感じというのでもないのですが…

まず、TKが持っている繊細で柔らかいけれど鋭利な感じが時雨っぽいです。霧の中にガラスの粒子をそっと散りばめているような。触れればすっと肉が切られてしまいますが、じっと見つめている分には光の反射が美しく、でも見ているだけじゃ我慢できなくなって、ふと指を伸ばしてしまうような。そんな感じです。

次に、345の透明な歌声です。本当に345は透明に歌うのが上手です。感情を込め過ぎず、まるで人形か生まれたての天使のように歌います。そこには一種の神聖さすら感じる時があります。無欲さが透けて見えるというか、幼さという因子を排除したうえでの無垢さみたいなものを感じます。ほんの一瞬でも345の声が入ることで、楽曲が一段と崇高に感じられるのです。

そして、当然ながらピエール中野さんのドラミングも時雨らしさを演出しています。おそらくは、一般的なドラマーがこの楽曲を叩く場合、もっと柔らかく温かくなってしまうと思うんです。もちろん、ピエール中野さんは意図的にもっと温かみのある音を作ることもできると思いますが、時雨で演奏する時の不文律のようなものがあるのでしょう。こういった楽曲でも、決して情感に訴えかけ過ぎず、キレを軸に叩いている感じがあります。「ten to ten」のような重厚さは裏に引っ込め、軽やかに、無情に過ぎ去っていく時間を表現するように叩いているのが伝わってきますね。

1番、普通の楽曲っぽい楽曲だからこそ、よくよく聴いてみると時雨らしさを感じられます。ちなみに私はこの「Serial Number Of Turbo」めちゃくちゃ好きです。暴力性や狂気の中に見るTKの美的センスもまた好きですが、こういう冷たさの中に見るTKの美的センスも大好きです。なんか、時雨の楽曲って冷たいんですよね。冷ややか、という言葉が似あいますでしょうか。私は日本海沿いの雪国に故郷があるのですが、空を隅っこまで隙間なく埋め尽くす曇天。ちらちらと降り積もる雪。ノイズは雪に吸い込まれて、辺りはどこまでも静か。音と言えば、自分が雪を踏む「ぎゅっぎゅっ」という音ばかり。と、そんな感じのところで育ってきたので、TKの冷たく静かで、そして鋭利な感じがとてもしっくりと来るのです。TKさんは全然違うところで育ってきたのに、なんか不思議ですが。

 

8曲目は「DIE meets HARD」です。が、楽曲については既に説明しているのでここでは割愛します。

強いて言っておくべきこととしては、このアルバムの中では唯一のタイアップ曲ではありますが、8曲目という微妙な位置に置かれています。普通なら1, 2曲目にアルバムの顔をとして持って来るかな、という感じですが、8曲目。

凛として時雨というバンドがアルバムや楽曲を本当に大切に扱っていることが感じられて嬉しいです。

上では言葉の綾で「微妙な位置」と言いましたが、撤回します。8曲目という「絶妙な位置」に配置されているのです。タイアップだからと言って安易に1, 2曲目にせず、きちんとミディアムテンポのハードロックテイストの楽曲として、アルバムをもう一度引き締め直すのに上手く使われています。1, 2曲目で現在のポップかつ攻撃的な時雨らしさを見せつけ、3曲目からはいかにも凛として時雨的な雰囲気があり、凝った楽曲が並びます。「ten to ten」でまず一度すべてをぶち壊し、「Serial Number Of Turbo」で嵐の後の傷を癒します。そして、再びラストに向けて盛り上げていこう、という場面で満を持して否応なしに盛り上がる「DIE meets HARD」が登場するわけです。まさに「絶妙」な采配と言えるでしょう。

 

9曲目は「High Energy Vacuum」ですが、これもぶっ飛んだ曲名です。絶対に時雨以外こんな曲名付けないでしょう。曲名見ただけで、TKの仕業だってわかります。しかし、「Energy」も「Vacuum」も初めて聞きますね(笑)。たしか、付属DVDの「DIE HARD RADIO」でもそんな話が出ていましたっけ。ホントびっくりです。

が、楽曲はめちゃくちゃ大真面目。「i'mperfect」の「Monster」とか、マキシマム・ザ・ホルモンの「爪」とか(急にホルモンを出してすみません)、めちゃくちゃ完成度が高いけど、コンパクトにまとまっている曲ってあるじゃないですか。私、そういう楽曲って結構好きなんですよね。andymoriの「SAWASDEECLAP YOUR HANDS」とか、RADWIMPSの「学芸会」とか、No busesの「Pretty Old Man」とか、vivid undressの「シーラカンスダンス」とか、ハヌマーンの「妖怪先輩」とか、パスピエの「つくり囃子」とか、フィッシュライフの「フロムカウントナイン」とか…上げればきりないですけど。何がやりたいかはっきりわかる感じっていうんですかね。ていうか、曲を別のアーティストの曲で喩えるなって話ですよね。すみません。

でも、たまには難しいことは抜きにして、時雨の曲で盛り上がりたいじゃないですか。ただでさえ、「DIE meets HARD」で楽しい気分になっているんですし。

細かいことを言えば、「前に 前に 前に 倣って もう without you without 自由 without 宇宙」とか「High Energy Vacuum Under Control High Energy Vacuum Out of Control×2」とかの語感がとにかく最高です。そりゃあ、意味がわからなくても曲名を「High Energy Vacuum」にしちゃいますよね。

そして、1番~2番の間奏が文句なく素晴らしいですし、2番のサビ終わりで余計なシーンの切り替えもなしに、新たな展開が現れて勢いそのままにラストに向けて駆け上がっていくような展開も素敵です。時雨と言えば大胆な緩急の付け方に特徴がありますが、「High Energy Vacuum」では必要最小限の緩急で、楽曲の魅力を最大限に引き出してくれています。それでいて、めちゃくちゃ高速…どの楽器パートを取ってみても、コピーは相当難易度高そうです。特に始終、ギターは縦横無尽に駆け巡り、カッティングを主体としながらも、Aメロでは自由なフレーズを展開させていますし、間奏のギターソロではテクニックを見せつけます。フェイザーやリバーブなどのエフェクターも駆使し、アルペジオでは音色も大きく変えています。

が、とにかく細かいことを抜きにしても盛り上がれる楽曲だと思うので、何と言っても歌メロが最高にエモいのでそれを楽しむのが何よりも大事でしょう。

 

そして、10曲目。ラストを飾るのはアルバムタイトルにもなっている「#5」です。

凛として時雨というバンドの特徴の1つに、「郷愁的」というファクターがあるように私は考えています。激情と静寂をつなぎ止めているのが、この「郷愁」と考えればわかりやすいかもしれないです。が、そういった言葉の論理性に頼るのではなく、単純にこの「#5」や「傍観」、「Sergio Echigo」、「Missing ling」、そして「Ling」などの凛として時雨のキーとなっている楽曲に共通しているものを感じるのが最も理解に容易く、そして正確だと思います。ただ激しいのでもなく、ただ悲しいのでもなく、ただ切ないだけでもなく…そういった綯い交ぜになった感情を「郷愁的」とここでは表現したいと思います。

もちろん、タッピングを駆使したギターソロや、縦横無尽なドラムソロなど、演奏の面でも「これ、すげぇな」とはなるわけですが、何よりも曲想が素晴らしく好きなんですよね。ただ上述の通り、そういった音について言葉で表現するはこれだけ色々と書いてきても難しく(むしろ言葉で表現できるのだとしたら、TKだって音楽にしていないわけで…なんて言い訳をしてみます)、数学界の数々の難解な「予想」と同じように、「あの予想が証明出来たら、間接的にこの命題も証明される」という感じで、歌詞の解釈を行ってみたいと思います。歌詞であればある程度、言葉で再構築することができるはずです。そして、歌詞がある程度解釈できれば、それはまた楽曲のある程度を理解したことにも繋がるはずです。

ここからは例の如く、また長々とした文章が続くことと思いますが、凛として時雨というバンドを考えるうえでも重要なことになると思いますので、時間を作って読んでいただければと思います。なお、こういった前置きは、「あぁ、書きすぎたな。最初に断りを入れておこう」という反省から、いつも後付けで書いているのですが、今回は文章を書きだす前からちゃんと断っておこうと思います。つまり、それくらいの意気込みで私は、いまパソコンと向き合っているわけです。と、前置きの段階でまた長ったらしくなってしまいました。申し訳ございません。

 

かけがえのないものを手に入れたのはいつのことだろう

怖くなったよ

戦うこと 何かに負けること 消えていきそうで

怖くなったよ 

 

まず「かけがえのないもの」というのが具体的に何を示しているのか、それを知ることは私たちにはできません。言葉の意味としては「代替できないもの。失うことのできないもの」ということになりますが、ここは一旦「音楽」として仮定していきましょう。具体性を付与することで真理から遠くなるのは当然ですが、理解はしやすくなるはずです。つまり、E=mc^2という公式には多義的な意味合いがありますが、「質量mの原子力爆弾の破壊力がEである」くらいのざっくりとした具体的な説明をすることで、とりあえずは式の様相を知ることができるのと同じですね。

TKは彼の人生において、「音楽」というかけがえのないものを手に入れたわけですが、その「手に入れた」という事実が、彼に恐怖を与えています。(なぜ、何かを得たのに彼は恐怖を感じるのでしょう? それについてはまた次の解釈を終えたうえで考えていきます。)

そして、「音楽」というフィールドで、他者、あるいは自分自身と戦う中で、彼はまた恐怖を覚えます。特に、かけがえのないものであった「音楽」との格闘では、いつも彼は彼の思い描く理想に届くことができず、「負け」を繰り返します。負けるたびに、自分という存在が「消えてしまいそう」になり、怖くなります。ここはとりあえず理解ができるはずです。ここで、1パラグラフ前に立ち返ってみます。TKは「音楽」というかけがえのないものを手に入れました。しかし、かけがえがないからこそ、失ってはならないからこそ、「音楽」に縛られてしまい、勝てもしない戦いに捕らわれ続ける恐怖を彼は感じているのかもしれません。

ここまでのたった数行の歌詞についてですが、とりあえずまとめてみます。

TKは「かけがえのないものを手に入れ」、それと向き合って生きていくことになりました。しかし、どれだけ向き合っても自分の理想には届かず、「負けて」しまいます。「負け」る度に、自分という存在が「消えてしまいそう」になるので、彼は恐怖を感じます。かけがのないものを手に入れてしまったこと自体を恐怖するほどに。

という感じですかね。

 

変わらないものが欲しくて 届かないものが欲しくて

終わらない物語だって どこか遠くで願ってたんだろう 

 

さて、1つ前でTKは「かけがえのないもの」に縛られ(呪われ)生きていくことに恐怖を感じていたわけですが、しかし、「かけがえのないもの」を得ることは普通の人間にとって(つまりすべての人間にとって)、人生の幸福であるはずです。そして、「かけがえのないもの」=「代替できないもの」であるからこそ、それは「変わ」ってはいけません。

そして、ここで一旦、仮定していた「かけがえのないもの」=「音楽」というのを少しだけ細かく定義しなおし…=「完璧な音楽を生み出したいという衝動」とします。こう読み替えても、おそらく最初の歌詞の解釈はあまり変わらないでしょう。

ただ、こうして定義しなおすことで、「かけがえのないもの」が「届かないもの」であれば良い、とTKが考えていることがわかります。つまり、「かけがえのないもの」を「衝動」としているからこそ、「完璧な音楽」に実際に「届いて」しまっては困るわけです。「届け」ば、衝動は失われてしまいます。

つまり、「完璧な音楽を生み出したいという衝動」という大切なものを手に入れ、その「衝動」にかられて常に音楽と向き合い、際限のない戦いを繰り広げているTKですが、その戦いで勝てない=完璧な音楽を生み出せないからこそ、苦しくなり、怖くなります。しかし、その反面、いつまでもその「衝動」を失わずに済んでもいます。ずっとかけがえのない「衝動」とともに生きていくことは、怖ろしくも幸福であることです。

こういったTKと「衝動」の関係性は、ある意味では「終わらない物語」であり、彼自身がそうあるように「願って」います。しかし、当然素直に「終わらないで」と願うことはできません。なぜならば、「衝動」とともにあり続けることは上述の通り、「消えてしまいそう」になるほど苦しく、「怖い」ことであるからです。そういうわけで、「どこか遠くで」という限定の言葉が「願う」という述語に付け足されているわけですね。

 

壊せないものを手に入れた 僕は強くなった

壊せないものを手に入れた 僕は弱くなった? 

 

「壊せないもの」というのは、これまでさんざん言ってきた「かけがえのないもの」=「完璧な音楽を生み出したいという衝動」とイコールで結んであげても差し支えないと思います。とは言え、言葉が変わっているので、できることならそのニュアンスも汲み取りたいところです。

「壊せないもの」と「かけがえのないもの」というのは、自分にとって失われるもののないもの、という意味では同じですが、「かけがえのないもの」は仮に「脆く、壊れやすいもの」であっても文章として問題はありません。むしろ、修飾語として「かけがえのない」という言葉を使う場面は、「脆く、壊れやすいもの」を説明するときにこそ有効という気もします。ですから、「かけがえのないもの」から「壊せないもの」に言葉が変わっていることで、TKの中でその「衝動」が脆いものからより強固なものへと変容していることが伺えます。

「衝動」なんてものはいつ雲散霧消してしまうともわからないものですが、その「衝動」と戦い続けてきたことで、いつの間にかそれが「消えることはないもの」であると彼は気づいたのでしょう。つまり、TKの中では「完璧な音楽を希求すること」が生きる上でのデフォルトのスタンスであると確定的になったのでしょう。そういった自分の人生の指針を得ることで、普通人間は「強くなった」と思えるはずですし、彼自身そうも感じているのですが、しかし「本当は弱くなっただけでは?」という疑念が彼の中で芽生えます。それはなぜなのか。答はだいぶ先の歌詞で示されいます。若干、種明かしみたいになってしまいますが、「焦燥感に駆られたいの 劣等感に狩られていたいの」という345のパートが楽曲の後半で出てきます。ここから推測されるように、「衝動」というのは「いつ雲散霧消してしまうかわからない」からこそ「衝動」であるわけで、それがいつの間にか人生の指針みたいに確固たるものになってしまっては、「衝動」でなくなってしまうんじゃないか、とTKは考えているのでしょう。

また「弱くなった」という言葉をより額面通りに捉えてみましょう。一般的に人間は生きる上での指針を手に入れることで、重し=安定を手にし、「自分は強くなった」と感じられるようになるわけですが、しかし客観的に見れば、「不安定な中でもがいている」ときの方が「強さ」を感じることもあります。つまり、「衝動」が「指針」となり安定してしまった自分を客観視して、TKは「弱くなった?」と疑念を持ったのでしょう。

いずれにせよ、「完璧な音楽を希求する」ことが彼の生きる上での指針となり、それは喜ばしいことである反面、怖ろしいことでもあるのでしょう。もっと通俗的な話で言い換えるなら、「美味しいものが好きで、これまで沢山美味しいものを食べてきた。でも、結局人生の中で1番美味いと感じたのは、金のない学生時代にバイトの夜勤終わりに食べたあの牛丼だったかもしれない」という感じでしょうか。「いまは美しい妻に、かわいい子供もいる。2人を愛しているけれど、あの高校時代に付き合っていた子を未だにたまに思い出す」というのももしかしたら近いかもしれませんね。

さて、少し話がずれてきたようにも思うので、続きの歌詞を見ていきます。

 

守るべきものに飲み込まれていく

もう いっそのこと君を食べてしまいたい 

 

「守るべきもの」もまた、「…衝動」の言いかえです。そして、「いっそのこと君を食べてしまいたい」とあることからも、やや強引ですが、「食べてしまいたい君」もまた「…衝動」と言えるかもしれません。「かけがえのないもの」、「壊せないもの」、「守るべきもの」、「食べてしまいたいもの」…こうして様々な表現を並べてみることで、TKが音楽をどのようにして求めているのかが透けて見えてくる気がします。

「守るべき」という表現には、自分と相手(=守るべきもの)の間で自分の方に優位性があることが隠されていると思います。つまり、本来であれば「自分が守ってやらなきゃいけないもの」に、逆に「飲み込まれて」しまうというのが、歌詞の意図であると推測できます。

いつ雲散霧消してしまうともわからない「衝動」は、大切に守っていかなきゃいけないもののはずだ。しかし、気がつけばいつだって、その「衝動」に自分は「飲み込まれて」しまう。それは脆いもののはずだったけれど、いつの間にか「壊せないもの」になり、自分の人生を支配していている。複雑で流動的な、TKと「衝動」の関係性がわかりますね。しかし、いずれにせよ2者の間には深い絆があり、立場がくるくると入れ替わるように見えたりもします。それは「衝動」というものが、脆弱と強靭という2つの相反する素質をたっぷりと持っているからこそ、かもしれません。

そして、ついでと言っては何ですが、「食べる」という行為についても考えてみましょう。実際のところTKが「食べる」という行為に対してどういうイメージを持っているかはこれも知りようがないですが、ソロプロジェクトの「invalid phrase」という曲の中でも「神様が僕をぐちゃぐちゃにして少しずつ少しずつ食べていくよ」という歌詞を書いています。まぁ、引用したところで真意には迫れませんが。

「食べる」という行為はすなわち動物においては生命維持のための重要行為であり、自らの肉体を維持・強化することが目的です。他の生命を奪い、自らに取り込むことで、自らを生かすことが「食べる」という行為の目的なわけです。そして、歌詞の中では「いっそのこと」という修飾語がついていることから、彼は現状に不満があり、「食べる」こと自体には積極的にはなれないものの、「今よりは良い」状態に達するために「食べる」という選択肢を取ろうとしていることが伺えます。つまり、「衝動」の生命を奪い、自らの内に取り込むという選択肢について彼は考えています。上述の通り、彼と「衝動」は複雑かつ密接な関係性を保ちながらここまでやってきました。彼は「衝動」を守ってやったり、逆に翻弄されたりしてきたわけですが、そこには苦しみや恐怖とともに幸福感も確かにあったのです。しかしながら、やはり苦しみや恐怖は大きく、また疲弊もしてきている。だから、こんな関係性はもうすっかりやめてしまおう。ただ距離を取るなんてことはできないから、いっそのこと「衝動」を「食べて」…「奪い、自らに取り込んで」しまおうと彼は考えているのでしょうね。

 

満たされた様で 乱された様で

忘れないでいて自分の醜さを 

 

さて、ここからは文脈の捉え方が難しいです。どういう経緯で彼は「満たされ」、「乱され」たのでしょう。

1つ俗っぽい仮定をしてみましょう。TKは「音楽」と付き合う中で、世間的にもかなり認められる立場になってきました。また自分としても、なかなか良いと思える音楽を作ることにも成功してきています。そういった状況に「満たされた」ような気持ちにもなりますが、周囲からの評価やそれに対する自尊心のようなものによって「乱された」ような気分にもなることがあります。そういったことを歌っているのかもしれません。

しかし、この捉え方はやはりあまりにも俗っぽくて、TKの意図していることではないような気がするのです。もっと、「衝動」との関係性について考えてみるべきです。

ということで、さらに厳密に言葉を捉えてみます(こういったことで真実に近づけるわけではないということも重々承知してはいますが)。1つ前の歌詞で、「食べてしまいたい」と歌っていることから、まず前提として「食べてしまいたい」けど「食べて」はいないとします。「食べる」まではまだできていないけれど、苦しみ、怖れ、求め、守り、飲み込まれ、という具合に「衝動」と彼は付き合ってきました。そんな関係性の中で「満たされた」と感じることも無きにしも非ず。そして、当然のことながら、振り回され、「乱されて」きました。また、そのような過程の副産物(という言葉が失礼であれば、主産物)としていくつもの「音楽」を生み出すことも成功しています。

そう、「満たされて」、「乱されて」というやり取りを繰り返しながらも、お互いをダメにせず、ここまで「音楽」を作ることができてきたのです。これは立派なことです。彼のみならず、私(=筆者)のような他者こそそのことを称えてくれます。しかしながら、TKは自らに対して、「いや、自分が醜いことを忘れてはならない」と強く自制をしているのです。それはなぜか。それは、「衝動」を「食べてしまいたい」と言いながら、「食べる」ことができずになんだかんだ上手いこと付き合ってきているからでしょう。少なくともそれが「壊せない」ものになってしまうくらい、確固たる関係性が築かれているのです。自らの最初の目的は何だったか? 「完璧な音楽を生み出すこと」じゃなかったか。それこそが「かけがえのないもの」なんじゃなかったか。それを忘れそうになっている自分が「醜い」というのかもしれませんし、もっと泥臭く、「醜く」、その目標に向かっていくべきじゃないか、ということかもしれません。私はやはりTKを心から尊敬しているので、「もっと醜くあれ」と自分を叱咤激励しているのだ、と考えたいところです。が、言葉の通り、TKは自分が醜い存在であることを再認識すべきだとしているのかもしれませんね。おそらく、その二面性がこの歌詞には込められていると思いますが。

 

輝く未来から 僕を引き剥がして

もう いっそのこと君を殺してしまいたい 

 

「輝く未来」というのも正確な意味を推し量ることができない言葉です。俗っぽく、よりアーティストとしての地位を確立することかもしれません。しかし、やはり「完璧に近づく」というところが、彼にとっての「輝く未来」なんじゃないでしょうか。「完璧な音楽」に近づくための鍵は、これまで散々言ってきたように「衝動」だと私は考えています。しかし、「完璧」に近づいていくにしたがって、「衝動」は薄れていきます。ということは、「完璧に近づいている」と思っているのは誤解で、むしろただ「衝動」だけが薄れ、実際には「完璧から遠ざかって」いるのではないか。そういった勘違いをしている自分は「醜い」。重要なことは、「完璧な音楽」という輝く未来から、自らを「引き剥がして」、再びあの鋭い衝動を取り戻すことじゃないか。

そして、これはなかなか言葉を尽くして説明することは難しいと私は理解しているのですが、そのようにして自分を再び貶めることはかなり苦しいことです。別のアーティストの話をして申し訳ないですが、元ハヌマーン山田亮一さんは「RE DISTORTION」という曲を残しています。彼はその「自らをもう一度とことん歪ませよう!」という曲の最後に「晴れて自由放免ってよりは初めから何もなかっただけ。仮に神がいたならこの雨もしけた皮肉に聞こえる」と歌っていますが、なんて言うかそういう自己の破壊というのはかなり辛いことだと思うんです。私自身、高校生の頃の浅ましい自分を思い出すのはとても嫌ですし、そんな自分を壊して新しい自分を作ろうとしていた時期は、かなり辛かった記憶があります。何せ自分をとことん否定しきらなきゃならないんですから。というわけで、その自分を打ち砕く作業の一環として、文章を書き始めるようになったのですが、その記録はこのブログにいくつか記している創作小説の記事を読んでいただければ…というぐらいにして、「#5」の話に戻します。

TKと私自身を同じ次元で考えることはできませんが、しかし、そのようにして「輝く未来から自分を引き剥がす」ことはかなり辛いことには変わりがないと思います。そして、またこれまで随分と文字数を尽くして書いてきたように、その「衝動」とのやり取りは終わりがなく、近づいたと思ったら、実は遠ざかっていたみたいな際限のない矛盾が実体なのです。そんなスパイラルが見え透いているにもかかわらず、それでも再び苦しみながら、自分を「輝く未来から引き剥がさなければ」なりません。となれば、「いっそのこと君を殺してしまいたい」というのも納得ができるものと思います。

というわけで、「殺してしまい」たくなる気持ちは私の中で随分と共感できることなのですが、注意書き的に「君」について一度、その候補を並べておきたいと思います。「衝動」、「自分自身」、「自分自身の醜さ」、「完璧な音楽」…etcという感じでこれもまた際限がありません。そして、ついさっき「殺したい気持ちはよくわかる」と言いましたが、「逃げる」ために殺すのか、「達成する」ために殺すのか、と「殺す」理由もやはり際限がありません。「君」と「殺す理由」については、もはやここまで来れば、もう自由に考えていく方が楽しいと思いますので、そこまで突き詰めないことにします。ただ、これまで長々と書いてきた文脈を考えれば、色々な選択肢を思い浮かべることができるでしょう。

 

焦燥感に駆られたいの 劣等感に狩られていたいの

鮮やかな夕景達よ 想像力の支配から解放せよ

鮮やかな夕景達よ 想像力の支配を支配せよ 

 

と、最後の345パートですが、これは既にだいぶ前にネタバレをしてしまっています。が、あらためてここまでの経緯を踏まえて考えると、要するに「完璧な音楽」を達成するためには、安定してはならず、「焦燥感に駆られて」いたり、「劣等感に狩られて」いたりすることが重要なのだと歌われていることになります。

そのために、彼は自分自身を殺し、自らの醜さを思い出す必要がでてくるのです。

「想像力」という言葉は、とりあえず「衝動」に置き換えることができましょう。「音楽を生み出す源」という意味で、2つの言葉は共通しています。ここまでわかりやすさのために「衝動」という言葉を繰り替えし使ってきましたが、TKにとっては「衝動」というよりは、「想像力」というのが「かけがえのないもの」「壊せないもの」「守るべきもの」…etcであるのでしょう。TKの「想像力」はもはや自然に自己拡張を進めていくようなものなのかもしれません。ブラックホールが自重でどんどん自らへ落ちていく(どんどん小さくなっていく)のと似た感じで、TKの「想像力」はきっと「新しい想像力」を生み出していくようなものなのでしょう。まぁ、彼のインタビューを読んでいる限りでは、「どんどん空っぽになっていく」という意識が強そうなので、アイディアが湯水のごとく溢れ出る源泉みたいな表現は不適当なのでしょうが。

そして、そんな「想像力」はこれまで散々書いてきたように、彼を支配するものであり、同時に彼自身が「想像力」を支配する者です。そんな「支配」から「解放」したいと彼は考えています。そして、そんな「支配」を「支配」し返してやりたいとも彼は考えています。この矛盾を孕んだような歌詞の表現が、彼と「想像力=衝動」の複雑かつ密接な関係性を改めて示しているように思います。

最後に、これが最も重要なことですが、「解放」するにせよ、「支配」するにせよ、TKはその願いを「鮮やかな夕景」に求めています。

「夕景」という言葉は、このアルバム「#5」の章に入って冒頭のところに書いていますが、TKが凛として時雨というバンドを作る前に訪れたイギリス(=UK)で感じ得たインスピレーションを指し示す特別な言葉として、これまでの凛として時雨の長い歴史の中で機能してきました。すなわち、TKの音楽制作に対する初期衝動が「夕景」という言葉に詰まっていると私は考えています。

そんな「鮮やかな夕景」にTKは救いを求めているわけです。自分を殺して、再び生まれ直せば、またあの「鮮やかな夕景」に触れられるかもしれない。それがこの楽曲でずっと葛藤してきたことの答なのです。

 

…さて、これでもかというほどの文字を書いてきましたが、「#5」という楽曲を表現するのに私は「郷愁」という言葉を持ち出しました。どうして、凛として時雨のキーとなる楽曲は「郷愁的」なのか。それはTKにとっての「夕景」を歌っているからです。

もう二度と得ることのできないものに対する、心の底からの憧れがあるからこそ、切なく悲しく、激情的で心を締め付けるのだと思います。

 

6th albumの「#5」についてはこれにて終了です。全体的に1曲1曲の文章量が多くなってしまいましたが、最後の楽曲「#5」は格別に長くなってしまいましたね。ただ、この記事全体を通して、ここが肝だと思ったので、あえて気持ちを制限せず、やり切ってやりました。この楽曲「#5」についての文章を読んでいただければ、どうして「#4」の次にこのアルバムが「#5」というタイトルを冠すことができたのか、わかっていただけるかもしれません。「#4」から後のソロプロジェクトをも含めた全ての作品があったからこそ、この「#5」は生まれたわけですが、どういうわけで「#5」が「#5」になったのか、私の考えに共感してくださる方がいらっしゃったらとても嬉しいです。

 

◆「katharsis」(TK from 凛として時雨

アニメ東京喰種の第3期、最終章の「:Re」の主題歌に起用された「katharsis」を主軸としたシングルとして発売されました。CDには「katharsis」の「TV edit」と「Instrumental」が収録されており、まさに「東京喰種仕様」という感じですね。

 

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「katharsis」の楽曲の特徴としては、とにかく緩急が凄いです。稚拙な言葉で喩えればまさに「ジェットコースター」。急降下しては、1度ふわりと浮き上がり、そして、またものすごい勢いで滑空していくようです。そして、ラストの転調後は、雲を切り裂き、眼が潰れてしまうような青空へ。渓谷の激流のようであり、嵐のようでもあり、とにかくもの凄いスピード感と力強さでどこかまだ見ぬ世界へと連れて行ってくれそうな雰囲気のある曲ですね。

後に発売される「彩脳」という曲と、この「katharsis」が東京喰種の主題歌の候補として、石田スイ先生に提出されたそうですが、結局こちらの「katharsis」の方が希望を感じるから、ということで選ばれたそうです。「このシャウトまみれの凶悪な楽曲が希望…?」という感じの方もいらっしゃるかもしれませんが、私には上述の通り、その力強さや美しさの中にとてつもない光度の希望を感じます。

「僕を刺したナイフさえも いつかきっと光を射すから」という最後の歌詞も素晴らしいです。

そして、このシングルCDの素晴らしいのは、所謂「B面」に「memento」という楽曲があることです。よく「メメント・モリ=死を忘れるな」という組み合わせで使われる「メメント=忘れるな」という言葉ですが、映画「メメント」のような複雑で軽妙な感じはこの楽曲にはありません。歌詞には「東京タワー」という言葉が出てきたり、TKにしてはかなり即物的だな、という感じがあります。その後も「すれ違う人混み 溢れかえるニュース」といった歌詞もありますが、しかし全体的にはやはりTKらしい抽象的な歌詞が中心にはなっています。ただ、そういった身近な具象を現す言葉が使われることでとても親密な印象になっています。ラストに向けて、音とノイズが積み重なっていき、いわば「優しい『傍観』」という感じの重厚な楽曲になっています。

この2曲が抱き合わされたこのシングル。ただのタイアップとしてだけでなく、シングルCDとしても機能しているので、私は結構好きですね。

 

◆「P.S RED I」(TK from 凛として時雨

こちらもまたアニメタイアップのシングルCDです。もう、TKのタイアップが止まらない!という感じですが、今度はあの「スパイダーマン」とのコラボ。ということで、曲名の「P.S RED I」は改めて言う必要もないですが、「SPIDER=蜘蛛」のアナグラムになっていますね。

 

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この楽曲ではTKが初めて打ち込みのベース音を使っています。たしか、過去にTKは「どんな音でも必ず生音を利用している」とインタビューで答え、どんなに不可思議な音でも、それは実際に演奏した音にエフェクトをかけているのであって、完全な電子音というのは使用していませんでした。しかし、時は流れ、ついにあのTKが電子音をベースに使用する時が来たという訳です。ポリシーはどこへ?と安易に言ってしまうこともできるかもしれませんが、しかし、この楽曲において、この野太く無骨でノイジーなベース音が楽曲を崩壊させていますでしょうか? いや、むしろその逆で、この楽曲の軸として大活躍していることが、ちゃんと聴けばわかるはずです。

刺激的でビビットなCG映像、そしてスパイダーマンが守るニューヨークという大都市。それらの雰囲気を踏まえた上で、こういう音像を選択できるTKのアーティストとしての力量を感じることができますね。

カップリングにあたる「moving on」ではゲストボーカルにSalyuさんを招いています。楽曲のAメロは怪しいマイナー調ですが、Bメロとサビはかなり長調気味の明るい感じとなり、不思議な感触のする楽曲です。Salyuさんの超ハイトーンボイスに「すげぇ!」となるのですが、最後にはTKも同じキーで歌いだすので、「やっぱTKもすげぇ!」となってしまいます。とは言え、そんな小手先の技術だけの話でなく、透き通っていながらも、温かみがあり、同時に不要に煽情的でないSalyuさんの声に合わせて、ぴったりな楽曲を作る力こそが、やっぱりTKすげえなぁ、と思わされます。まぁ、出来上がった楽曲に合わせて、Salyuさんをチョイスしたのかもしれませんが。

いずれにせよ、Aimerさんには「us」を、Charaさんには「Shinkiro」を、湯川潮音さんには「white silence」を、大森靖子さんには「draw (A) drow」を、という具合にSalyuさんには「moving on」を選び、適材適所を見出している感じがさすがです。

 

◆7th single「Neighbormind/laser beamer」

そして、ついにここまで辿り着きました。この2曲が発売されたから、私はこの記事を書き始めたわけですが、「#4」から「#5」までの間で1つの輪廻を終え、新たな領域へと生まれ変わりを果たした凛として時雨。その第1歩が、この「Neighbormind/ laser beamer」という2曲になるわけです。言うなれば。

 

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Neighbormind

 

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laser beamer

まず、ジャケットがカッコ良過ぎますね。楽曲のイメージにもそれぞれピッタリです。Yukiyo Japanさんの作品、本当に好きです。抽象的で、刺激的で、それでいてお洒落で、何といってもカッコイイ! 具象化できない時雨の世界観と見事にマッチしています。

楽曲自体は、「Neighbormind」が「スパイダーマン・ファー・フロム・ホーム」の主題歌であり、アニメ版から今度は実写版の人気シリーズにも起用されました。アイアン・マンとコラボしているあの映画です。凄いですよね。

そして、「laser beamer」はもう御用達の「PSYCHO-PASS」とのコラボですが、こちらは「舞台PSYCHO-PASS Virtue and Vice」の劇中主題歌としての器用です。もはや時雨が鳴るだけで「サイコパスっぽい!」と感じてしまう逆転現象が起こっているようにさえ思うのは、私が時雨ファンだからでしょうか。

と、そんな豪華なタイアップを詰め込んだ、欲張りセットみたいなシングルCDですが、何よりもここで重視したいのは、あの「#5」以降初めての「凛として時雨」名義の楽曲ということです。以降、その点に特に注目して話をしていきたいと思います。

 

[1] Neighbormind

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語りたいところが違うので、まずはスパイダーマン要素についてを片付けたいと思います。まず歌詞としては「赤の呪文も青の魔法も」というのが、まさにイメージカラーが赤と青のスパイダーマンらしいですね。それから、「Tornado Neat Star」は「トニー・スターク」とアイアン・マンのことを指していたりします。その他にも、色々と映画のストーリーやモチーフを意識した言葉が使われていますが、それらは全てYouTubeのコメント欄に譲りたいと思います。

音像としては、ディレイをかけたアルペジオのツクツク、タカタカとした感じが蜘蛛の脚音を感じさせますね。大ヒットしたトビー・マグワイヤが主演を務める2002年映画化のスパイダーマンのテーマでも、楽曲前半部では蜘蛛の脚音っぽい音像が作られており、それを意識しているのかな、と思います。また、アンバランスな印象のあるフェイザーの「びよーん」という音は伸ばされる蜘蛛の糸を感じさせたりしますね。

と、とりあえずスパイダーマンの話はこれくらいにしておきましょう。

まず、これまでの話を振り返っておきます。

凛として時雨というバンドは、まぁ、言ってみれば「#4」というアルバムを根幹に据え、ここまでやってきました。「#4」は初期衝動という言葉がぴったり来るような、荒々しく、それでいてダークな美しさのあるアルバムでした。そして、いくつも楽曲を生み出す過程で、時雨は鮮やかさ、カラフルさを獲得し、「Still a Sigure Virgin?」でその色彩は最高潮を迎えます。そこからTKのソロプロジェクトが始動し、「色味」はソロプロジェクトに、時雨特有の「ストイックさ」や「ポップさ」は本体の凛として時雨に振り分けられることになります。本体の時雨は、その自らのアイデンティティが何か?という自問自答を繰り返す中で、どんどんと余計な装飾が剥ぎ落されていき、音像は極限まで研ぎ澄まされていきます。そうして、そのような極限の飢餓状態からの解放が為されたのが「#5」というアルバムです。「#5」は初期衝動の結晶である「#4」に匹敵するほどの、強力な衝動と発想、爆発力があるアルバムになりました。

少し臭い言葉を使えば、ビッグバンが再び起こったみたいなものです。「#4」というビッグバンから生まれた1つの宇宙が一度終わりを告げ、そして「#5」という次のビッグバンが起こり、新しい宇宙が生まれたわけです。

そうして、その新しい宇宙の中で生まれたのが、この「Neibormind/laser beamer」です。

繰り返しになりますが、一度、凛として時雨はその鮮やかさを捨て、モノクロな音像の中に自らのアイデンティティを求めてきました。「鮮やかさ」と「ストイックさ」は切り離され、それぞれ別の人格としてそれらは育まれてきたわけです。しかし、「#5」で輪廻は一度リセットされ、再び、凛として時雨に鮮やかさが持たされることになるのです。もうどう喩えていいかわかりませんが、これはナルトとサスケの再会であり、桜木花道流川楓のハイタッチであり、ダースベイダーとルークの…という感じなわけです。テンションが上がらないなんてことがあるでしょうか???

これまで凛として時雨として模索してきた「ストイックさ」と「ポップさ」、そしてソロプロジェクトの中で培われてきた「鮮やかさ」。それらが共存している(ように聴こえる)のは何故なのか?

それをここでは探っていきたいと思います。

まずは、「ポップさ」です。

これは言う必要もないくらいですが、サビと歌のキャッチーさにありますね。もう、すぐに口ずさみたくなる、このサビ。しかも、2段構えです。「Far from perfection♪」という語感の良さ、「絡まってーぇ♪ 絡まってーぇ♪」という345パートの胸が締め付けられるようなメロディラインと切れ味鋭い声。あぁ、最高のメロディライン!と思っていたら、楽曲の終盤では新しいメロディのサビがまた出て来て、「I am も I was も♪」というこれまた素晴らしい語感と、キャッチーなメロディライン。「甦れ Neighbormind Forevermind♪」というところもかなり好きですね。

次に、「ストイックさ」ですが、これはなかなか言葉にするのが難しいです。が、めちゃくちゃエフェクトをかけているものの、基本的にはギター・ベース・ドラム・声というシンプルな構成なんです。それがまずカッコイイ。TKのノイジーなシャウトや345の薄い剃刀みたいな、空間を切り裂く声。縦横無尽に動き回り、衝撃を残していくTKのギター。タイトでありながら、たっぷりとした豊かさを含み、最後には狂気に駆られますが、やっぱり手数がエグイ、ピエール中野のドラム。3人それぞれの特徴を存分に引き出し、限界まで高めている感じがとにかく「ストイック」です。寸分の緩みもない。これだけ音が詰め込まれているのに、これ以上削ぎ落すことができない感じ。このヒリヒリ感はまさに凛として時雨です。

最後に、取り戻した「鮮やかさ」です。

これもまた表現が難しいです。が、特に鮮やかさをもたらしているのは、「エフェクト」と「ハモリ」だと思います。ギターのエフェクトの数が非常に膨大です。「#5」ではとにかくノイジーで目立つ派手な音が多く使われている印象でした。本作では、そのノイジーな良さを残しつつも、響きを意識した空間系のエフェクター、特にディレイ・リバーブには気を配っている印象です。場面場面でその調合の比率をうまく調整しつつ、特に1番終わりの間奏などでは、気持ちを昂らせるアルペジオフレーズをさらに切れ味鋭くするために、ブースターとリバーブを組み合わせつつ、1つひとつの音が潰れないように、音像をコントロールしている印象があります。もはや神業ですね。

そして、時雨には珍しく、歌にハモリが使われてもいます。これもまた、音の鮮やかさを広げることに非常に役立っています。ただ、あまり「ハモリ」を強調しすぎると、「ゆず」や「ケミストリー」みたいな所謂歌モノのJ-POPな感じが出過ぎてしまうので、本当に味付け程度になるよう抑制されていることがよくわかります。

 

で、それらの要素を持ちながらも、やはり「これぞ時雨!」というのは「発想力」ですね。

 

まず、イントロ~Aメロは全然ポップじゃなく、変則的なドラムと曖昧なメロディラインで構成されています。Aメロの後半で、ようやくリズムがわかりやすい8ビートが基本となりますが、そのあとすぐにBメロでまた訳の分からない感じになります。

最初はこのコード感のないBメロに慣れずに、「うーん」となる人もいるかもしれませんが、とにかく楽器同士のフレーズの交わり方がエグイ。気味の悪いメロディラインに、勿体付けたようなリズム。それが狂いなく絡み合っているのは、3ピースという最小限構成だからこそ為せる業と言えましょう。

そして、キャッチーなサビがやって来て、サビが終われば、この楽曲の顔とも言える、超カッコイイ間奏です。もうこの間奏を私は何度リピートしたことか。神々しささえ感じるのは私だけでしょうか。天にも昇る心地がします。

そして、そんな実に印象的な間奏が終わると、またサビです。音楽版の千鳥のノブがいたら「どういう音楽?」とツッコみそうな斬新な展開ですね。

で、サビが終わったら、また掴みどころのない新しいDメロがやって来て、すぐに「ファ、ファ、ファ、ファーフローム、ファ、ファーフローム、パーフェクション♪」というキャッチーだけど謎のパート(Eメロ)がやってきます。どこか、「Telecastic fake show」の「はん、かん、かん、か、かん、犯罪的な♪」というところを思い出しますね。ただ、この「ファ、ファ、ファ、ファーフローム」というフレーズのリズムが、最後のサビと同じになっているんですよ。伏線と言って良いのかもよくわかりませんが、おそらくは天然でこういうことができてしまうTKなのです。天才と呼ばれる所以ですね。

で、なぜかまたあの取っつきにくいBメロがやって来ます。で、ちょっとした間奏を挟んだ後に、何故か一度も聴いたことのない、新しいサビが落ちサビ的な登場をしてきます。普通、落ちサビというのは、1回か2回、1番と2番のサビでお目見えした後でやって来るから、ゾクゾクっとくるはずなのですが、そういった固定観念をぶち壊して、お初にお目にかかる新しいサビが現れます。ただ、前述の通り、あのEメロで似たようなリズムのメロディを聴いているので、「まったく聴いたことはない…ということもない?」となるわけです。まじで意味がわかりません。

そして、そのまま落ちサビなのかと思っていたら、後半は最後のサビに繋げるための、FメロとGメロが登場します。「走り出せ~」をFメロとして、「もう抜け出して~」の辺りをGメロとします。このGメロが大好きなところです。ベースの「どぅーる、どぅーる♪」と音階が徐々に上がっていくところが、次の展開へのワクワク感を盛り立ててくれます。そこにドラムもどんどんクレッシェンドしていき、「ダダッ、ダダッ」というこのブレイクのタイム感が溜まりませんね。

そして、みんな大好きな最後のサビです。何度も言うように、ここのサビは最初とは別のメロディラインなのですが、決して破綻していないのが凄いところ。とにかくメロディラインがキャッチーかつ煽情的なのは言うまでもないですが、もうジャストなのかどうかもわからないほど複雑なストロークで叩かれているであろうドラムもエグイです。ギターとドラムはシンプルでありながらも、充分に歪ませて濃厚な音像なので、もう鳴っているだけでカッコイイという時雨にありがちなヤツを楽しむことができます。

最後の最後はもう、ルール無用の場外乱闘という感じで、叫ぶは叩くは弾き狂うわ、という衝動に任せたカオスがすべてを切り刻んでくれます。そうして、イントロと同じギターの浮遊感溢れるフレーズへと戻って来て、静謐さを携えて楽曲は終わります。

はい。とりあえず、実況的にすべての流れを書き出してみましたが、本当に展開も意味不明ですし、現れるフレーズも異常です。この謎の楽曲構成こそがまさに凛として時雨。脈絡が無い、とか、継ぎ接ぎ、とか、そういう風に言いたい人は言えばいいじゃないですか。でも、「じゃあ、楽曲として破綻している?」と私はゆいたい。だって、破綻してそうで、破綻してないんだもん! だって、ずっと1つの世界観の中で楽曲は展開していってるじゃん!

と、特に根拠のようなものはないのですが、私はそういう印象をこの楽曲から受けますね。

 

とにかく、この楽曲はこの楽曲単体で考えても、上述の通り、様々な要素が張り巡らされていて凄いことになっているのですが、そこにこれまでの時雨の歴史までを感じるのでさらに凄みが増しているのです。

テレキャスターの真実」のキャッチーさ、「感覚UFO」の浮遊感、「Telecastic fake show」の疾走感、「a symmtry」の複雑さ、「illusion is mine」の煌びやかさ。同時に、「film A moment」の世界観の分厚さ、「invalid phrase」の繊細な音の積み重ね。それらの影がこの楽曲には潜んでいて、ゴジータ孫悟空ベジータ)的な、つまりフュージョン的な豪華さ、とワクワク感があるんです。ゴジータなんかを持ち出したせいで、急にチープな感じが出ちゃいましたが。

 

[2] laser beamer

 

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というわけで、ようやく「laser beamer」ですが、こちらも結局は言いたいことは「Neighbormind」と同じです。本当に、時雨の新時代という感じの、派手でキャッチーだけど、超ストイックで複雑という楽曲です。

「理想だらけのDystopia」や「偽装だらけのUtopia」という歌詞はまさにサイコパスの世界観そのものですが、やはりそういった話はとりあえずYouTubeのコメント欄に譲ります。ていうか、MVカッコよすぎません? 舞台映像も特典DVDについていましたが、これも本当に近未来のオシャ・バンドという感じで素敵でした。

楽曲を語る上で逃せないのが、イントロの「ぴゅんぴゅん」した音ですね。TK曰く、この「ぴゅんぴゅん」という音はエフェクターの設定値のミスか何かで偶然出たそうです。そしてそんなエフェクターの名前が「レーザービーム」だったことから楽曲名が「laser beamer」になったそうです。まず、この音を聴いただけで「しゅき♥」となってしまいますよね。

ただ、やはりそうは言っても凄いのが、この音を使って成立する楽曲を作れることだと思います。EDM等でもなく、バンドサウンドでこの音像を生み出せるというのが異次元です。そして、おそらく「#5」でもう一度ビッグバンを起こす前であれば、この「laser beamer」は生まれなかったでしょう。仮に、エフェクターの設定ミスでこの音をTKが得ていたとしても、ここまでポップには昇華できなかったのではないでしょうか。とにかく派手過ぎるこの「ぴゅんぴゅん」という音にさらに、ゴリゴリのベース、迫力満点の低く深いバスドラムやタムの音。そして、シンバルの音も非常に艶やかで、多彩です。ギターも歪んだカッティングばかりに耳が行きそうですが、中盤にはかなりアコースティックっぽい音の箇所があり、鮮やかなシンバルと非常に相性が良いです。

途中、3拍子になるところなどは意味が分からなくて、浮遊感たっぷりですし、どこをどう切り取っても、凛として時雨なんですよね。

 

ここでとりあえず2曲のレビューは終わりますが、CDには「Instrumental」バージョンも収録されているので、ぜひともそちらも聴いてみてください。楽器の音がより細かいところまで聴こえるので、より楽曲の世界観を緻密に楽しむことができます。特に、「laser beamer」の方はエグイです。

 

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5.総括

さて、こんな感じでようやくこの最新(2020年5月時点)シングルまで凛として時雨の全楽曲レビューを行うことができました。

全楽曲レビューという体裁を取っていますが、最初に申し上げた通り、私は凛として時雨の歴史を書き出したいと思っていました。特に「#4」と「#5」がこの記事の軸となっていることをここで振り返っておきます。この2つのビッグバンがどのように繋ぎ合わされているのか。その問いに対する、私の個人的な見解を、全ての楽曲をレビューしていく中で見定めたい。そこに私の衝動がありました。

ただ、その衝動を実際の行動に変えてくれたのは、前述の通り、最新シングルの「Neighbormind/laser beamer」です。というのも、繰り返しになりますが、私は「#4」から「#5」までの歴史を踏まえて、凛として時雨とTKのソロプロジェクトの関係性から、「『#5』以降はとんでもない楽曲が生み出されるに違いない」と確信していたわけですが、それはあくまでただの推測にしか過ぎなかったのです。何といっても、凛として時雨が行っているのは「創作」なのですから、予想通りに物事が進むなんて都合の良いことはそうそう起こりません。0から生まれるものに確かなことなど何一つとして言えませんから。まさに、宇宙物理におけるビッグバンの定義と一緒ですね。「#5」という大作が生まれてみたものの、本当にそこから示唆される世界が続いて生み出されていくかというのは確証がないのです。

ただ、そんな私の個人的な予測…いや、予感に過ぎなかったものが見事に「Neighbormind/laser beamer」で証明されました。なので、私は調子に乗って、「ほら、とんでもないモノが生まれると思ってたんだよ!」とこの記事を書き始めたわけですね。

そして、記事を書くにあたっては、「せっかくだから馬鹿みたいな記事を書こう」と思いました。小奇麗な要点を押さえた記事なんて、全く以って私向きではないし、それに何というか、そんな軽んじて批評できるほど、私の凛として時雨に対する愛は浅くないのです(もちろん、技術的に小奇麗な文章を書くことができない、というのが1番の理由であると、ここまで読んでくださった方々ならわかるのではないのでしょうか?)。

とは言え、せっかくこんな長ったらしい記事をここまで読んでくださった方がいるのですから(いる前提で話を進めます。宇宙人がいるのであれば、この記事をここまで読んでくださった人間がいてもおかしくはないでしょう。確率的に)、きちんとまとめてみましょう。

 

1.結成~自主制作時代

2.自主レーベル(中野レコーズ)~オリコン1位(TKソロ活動前)まで

3.TKソロ活動開始~時雨らしさの結実「es or s」まで + ソロ作品群

4.新境地へ「#5」~無限の可能性「Neighbormind/laser beamer」まで

 

と、私はこんな感じでざっくりとした章立てをしていましたね。いまようやく思い出しました。

もはやこの章立てがすべてを物語っているわけですが、それぞれの章についてまとめ直します。

 

1.結成~自主制作時代

ここでは、凛として時雨が結成され、その基本的な音楽スタイルが安定してくるまでの時期となっています。初期衝動は初期衝動としてあり、例えば「Ling」という名曲にそれは集約されていますが、「#2」などはNUMBER GIRLの影響なども強く感じますし、バンドとしての方向性がまだ若干ブレているような感じも見受けられなくもないです。

 

2.自主レーベル(中野レコーズ)~オリコン1位(TKソロ活動前)まで

そうして、そんな自主制作時代を経て、ようやく「これが凛として時雨!」と言うべき「#4」という名盤がこの世界に産み落とされます。まだまだ粗削りではありますが、凛として時雨が描く世界観がこの「#4」で定義づけられた感がありますね。そして、主に技術的な(それは作曲技術も含め)成長を感じられるのがこの期間です。少しずつ、音も良くなり、楽曲にもキレが生まれ、深みを増していき、何といっても鮮やかな色彩を手に入れていく過程が見て取れます。その鮮やかさが最高潮に達した「Still a Sigure Virgin?」でオリコンウィークリーチャート1位を獲得することになります。

 

3.TKソロ活動開始~時雨らしさの結実「es or s」まで + ソロ作品群

そして、このまま順調に凛として時雨はエキセントリックで刺激的なバンドとなっていくのだろうと思っていたところで、少し予想外の展開が待っています。それが、TKのソロ活動の開始です。それまで時雨の1つの特徴には「雰囲気」みたいなものがあったように思います。色鮮やかだったり、湿度感があったり、とても感傷的で繊細な、機微のある「雰囲気」といったものが、時雨本体でなく、TKのソロ活動の方へ落とし込まれていきます。対して、時雨本体は、3ピースで鳴らせるソリッドでストイックな音像を追求していくようになります。その過程で、ポップさやキャッチーさといったことも、時雨本体で試行錯誤が為されていきます。華やかなソロプロジェクトと、ソリッドな時雨。その住み分けが進んでいき、「es or s」ではモノクロームな質感で、どこまでもソリッド、それでいてキャッチーという1つの到達点へと凛として時雨は辿り着きます。しかし、そこからはソロプロジェクトの方での作品発表が中心となり、凛として時雨での作品発表は2年近くなされなくなります。

 

4.新境地へ「#5」~無限の可能性「Neighbormind/laser beamer」まで

 そのソリッドでモノクロームな感じと、作品発表スパンの長さに、やや閉塞感を感じていたところで、突如として生まれたのが「#5」というこれまたとんでもない名盤です。華やかさのソロプロジェクト、ソリッドさの時雨本体という住み分けが為され、その2つの軸でそれぞれTKは自らの創作性を磨き上げてきました。そして、まるでその長く厳しい修業が終わり、ようやく山から降りてきた…という感じで作られたのがこの「#5」です。一度その住み分けのようなものは拭い去られ、単純に凛として時雨がその時出せるMAXを突き詰めたのが、この「#5」というアルバムではないでしょうか。ファンの想像を超える力強い楽曲群、衝動的で粗削りな感じは「#4」を彷彿とさせ、「#5」というアルバム名にも納得がいきます。

しかし、「#5」ではソロプロジェクトで培った華やかさという武器は、まだ上手く凛として時雨というフォーマットに落とし込み切れていない感があります。あくまで、諸々のしがらみを抜け出して、新しい衝動に身を任せたのが「#5」と言えましょう。

そうして、次に生み出されたのが「Neighbormind/ laser beamer」というダブルA面のシングルです。明らかにソロプロジェクトとは違った手法による華やかさの融合ではありますが、このシングルで凛として時雨は圧倒的な華やかさをまた手に入れたように私は思います。そのようにして、極限までソリッドでありながらも、とてつもない華やかさを得た…つまり、住み分けていた2つを再び合体させたような、とんでもない楽曲が完成したのです。もはや、マンガ並の胸熱展開じゃないですか。

 

と、ざっくり言って、こういったことが、私が凛として時雨の「歴史」という観点で喋り倒したかったことの総括となります。

そして、もう一言。

いや、これからの凛として時雨、楽しみ過ぎでしょ!

というわけで、とんでもなく長ったらしい記事になってしまいましたが、皆さんにも凛として時雨という素晴らしいバンドを楽しんでいただけたらと思います。

 

最後に…

文字数にして10万字の記事です。決して褒められるようなスマートな記事ではないですが、伝われ、この熱量。ある意味では、凛として時雨に出会ったからこそ、このブログの他の記事も生まれていると言っても過言ではないのです。私が様々な表現に興味を持ったのは、圧倒的な表現への渇望をTKから感じたからです。

 

6.コロナ禍での模索(「#5」~「last aurorally」)

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