霏々

音楽や小説など

適応障害と診断されまして… vol.68

適応障害と診断されて269日目(7月10日)にこの記事を書き始めています。今日は久しぶりに晴れて、もう本格的な夏という感じですね。

 

前回

eishiminato.hatenablog.com

 

前回は地方公務員試験の受験、祖父の死といったことがありました。しかしながら、ちょうどブログを書いていた頃は暴力的なまでの眠気に苦しんでいる時期で、ブログの記事自体もかなり投げやりな感じになってしまいました。

今回はついに復職(2回目)してからの日々について、書いていきたいと思います。

 

 

1.カレンダー

適応障害と診断されて…/復職して…

 

256日目/休職中

日曜日。昨日のカウンセリングでアドバイスされた通り、6時半に起きてすぐに朝散歩に出かけた。散歩中は眠くてぼーっとしていたけれど、コンビニで朝食と昼食を買って帰る。あまり気分が良いという感じもなかったけれどとりあえず無理なくこなせた。帰宅後、朝食を食べ、そしてすることがなくなりずっと寝てる。最初はカーテンも開けていたがそのうちに眩しさを感じるようになり、カーテンも閉めて動画を観ながら寝た。ずっとうたた寝している感じで午前中を過ごし、昼食を食べると午後もそんな感じで過ぎていく。ふと3時過ぎに気持ちが晴れ、凛として時雨ライブ配信アーカイブを見直し、それからブログを書き始めた。すぐに夕食の時間になるので、夕飯をまたコンビニまで買いに行き、夕食後再度ブログに取り掛かる。強い眠気に襲われてあまり書けなかったがとりあえず投稿。その後は「BURN THE WITCH」のアニメを観始める。あっという間に入眠ルーティンの時刻に。風呂に入り、そしてこの日記をつける。実家暮らしの3週間で2.4kgも太った。5kg近く痩せていたので、戻ったのは良いことかもしれないが、短期間で体重が大幅に増減しているので注意しなければと思う。

 

257日目/休職中

月曜日。朝6時に起きて朝散歩を10分程度。散歩中はやはり半覚醒といった感じでぼーっとしている。帰宅後朝食。朝食の後はだらだらと動画を観たりしながら過ごす。8時半頃までゆったりして、そこから会社へ行く準備。異動に際して荷物の整理をしなければならない。久しぶりに職場に行くと苦手な人はおらず、おかげで比較的落ち着いて過ごせた。異動の挨拶も朝礼でできて、荷物の整理も一通り完了する。荷物が多くどうしても一度では運びきれなかったので、一旦昼前に帰宅してから、午後もう一度行くことに。自宅(寮)で昼食を食べ、少し休憩。2時ごろ寮を出てもう一度会社へ。最後の荷物を引き取って、良くしてくれた同僚に挨拶をする。帰りしな楽器屋に行って、エレキギターのポータブルアンプを買う。帰宅後それで1時間程度遊びつつ、洗濯機を回す。掛け布団の外カバーを洗った。同じく適応障害に罹った会社の同期から勧められた「マインドフルネス認知療法ワークブック」を読み始める。現実社会では現状と目標の比較という思考方法が有用ではあるが、心の世界ではそれが逆効果になり得ると書いてあって「なるほど」と思った。まだ先は読んでいないが、おそらくそこで心の世界に対してはマインドフルネスが有用であるという展開になるのだろうと思う。今日も入眠ルーティンをしてしっかり眠ろうと思う。

 

258日目/休職中

火曜日。朝は5時半に起床し、朝食を買いに行くついでに20分程度朝散歩。これがこれからの生活リズムになりそう。異動先はもう少し朝が遅いから、若干遅起きでも大丈夫そうだが。朝食の後、私の体調を気遣った母から送られてきたキューピーコーワゴールドの栄養ドリンクを飲む。その後、ベッドでうだうだしていると妙に心拍数が上がってくる感じがあり、ソワソワ感が高まる。おそらくは栄養ドリンクのせいだろう。そんな些細な変化も気にしてしまい、日中はほとんど寝て過ごすような感じになった。こうなるととにかく長くて短い1日になる。最初のうちは1時間近く眠れるので良いが、だんだんと眠れなくなっていき、次第に10分も寝るとぐっすり寝てしまったという感じになる。そして、それをただ繰り返すのだ。途中で本を読んだり、ギターで遊んだりした。ポータブルアンプの機能を色々と試し、楽しい。夕食前あたりからマインドフルネスのワークブックを読んで内容をまとめたりしていく。夕方くらいからやる気が出るのはいつものパターンだ。夕食後もワークブックを進める。「レーズンエクササイズ」というのが面白かったし、心地よかった。レーズンが無かったのでナッツを代用した。「ボディスキャン瞑想」は多少慣れていたけれど、50分以上もやるのは初めてだったので、集中力を保つのがちょっと難しかった。しかし、気持ちが落ち着き、有意義な時間だった。

 

259日目/休職中

水曜日。昨晩は0時半くらいまで眠る気持ちになれなかったので、やや寝不足。朝は6時に起きて、朝散歩を15分ばかし。曇り空。紫陽花が綺麗で、しゃっきりした緑の葉には雨が溜まっていて、触れると冷たく気持ち良かった。8時に寮を出て、職場へ。異動前の荷物整理と最後の挨拶をした。昼前に新しい職場へ荷物の運搬をしに行く。新しい職場の同じフロアには大学の研究室の先輩がいたり、同期がいたりして少しだけ嬉しい気持ちになれた。配属されるグループの人たちも良い人たちそうで、明日から頑張りたいとちょっと思うことができた。が、なんだかんだと疲れた。昼過ぎに職場から帰宅。乗りたい電車まで時間があったので、駅内のラーメン店に行く。値段はちょっと高めでお世辞にも美味しいラーメンとは言い難かったけれど、普段食べないようなタイプのラーメンだったのでそれはそれでありかなと思う。帰宅後、地方公務員試験の1次試験の結果が発表された。無事、合格。合格は嬉しいし良かったけれど、会社の復職に関する手続き上、2次試験の日に休みを取ることが難しく、このままだと受験できずに辞退という扱いになってしまう。平日に試験は困る。何とか復職の手続きを進めつつ、試験も受けられるような言い訳を捻りだせないものか。案はあるので、明日異動初日だけれど、タイミングがあればちょっと聞いてみようと思う。でも、とりあえずは新しい職場で頑張ってみたいので、無理に話を出さなくても良いと思っている。すべては成り行きだ。マインドフルネスの「ワークブック」2日目。ボディスキャン瞑想を昨日に引き続きやったが、眠気のせいでなかなか瞑想に集中することができなかった。ほとんどうたた寝みたいな状態で、次から次へと取り留めのない夢が浮かんでしまった。特に今日は色々なことがあったし、会社のことを思い出して少し嫌な気持ちにもなったけれど、まぁ仕方がないとも思う。何せ今日は色々なことがあったのだ。それを全く封殺することの方が難しいだろう。うまくできない自分でも認めてあげて、むしろそういう状態に自分があることに気がつけたのはマインドフルネスの成果だと思い、前向きに捉えていこう。

 

260日目/1日目

木曜日。朝6時に起床。雨が酷く降っているので朝散歩は諦める。代わりにラジオ体操。復職1日目ということで緊張する。不安が胸に巣食い、若干ソワソワするのを何とか飲み下して、水曜日のダウンタウンやあちこちオードリーを見ながら朝の準備を進める。家を出る前に頓服薬を服用する。特に大きな問題も無く1日が過ぎていく。とにかく眠たくてずっとマスクの下で欠伸を噛みしめていた。緊張すると呼吸が浅くなって欠伸が出るのかもしれない。異動の挨拶も難なくこなし、ほぼ残業無しで帰る。地方勤務時代の先輩が同じフロアに同じタイミングで異動になり、終業後に一緒にご飯を食べに行く。仕事や生活の不安、それからこれからの新しい生活に対する希望などについてだらだらと話して、短いけれど楽しい時間を過ごせた。帰宅するとそれなりの時間になっていたので、風呂も入らずに布団に入る。復職&異動して1日目は疲れた。

 

261日目/2日目

金曜日。朝は6時半に起床。雨が激しく今日も朝散歩は断念。ラジオ体操でお茶を濁す。復職2日目だが、夜中は色々と仕事上の不安が夢の中に現れたりして、あまりしっかりと寝れた感じがしない。夜中には2度ほどトイレに目が覚めた。朝はやはり気持ちがナイーブになってしまい、会社に行きたくないという思いが強く出て来る。会社に行ったところで何があるというわけでもないのに、朝はいつもこうだ。でも、あまりそのことを深刻に考えないようにする。そんなもんだと気持ちを大きく包み、淡々とこなすことを誓う。不安や不調に敏感になっているのが、状況をより悪化させることに繋がるらしいので、そうならないように「寝不足だけどこれくらいなんてことない」と自分に言い聞かせる。午前中は眠かったけれど、上司から部署の説明を受けたりしてのんびり過ごすことができた。昼食の時は会社の食堂で久しぶりに同期に会って、少し話をすることができた。昼休憩中に頓服薬を飲む。また、市役所に電話を入れて地方公務員試験の辞退を伝えた。勿体ないと思うけれど、今はこの場所で頑張りたいという思いが強い。午後は少しだけ仕事を進めることができた。何もわからない私のフォローを先輩方が進んでしてくれたのがとても嬉しかった。この場を借りてさらに感謝を捧げます。残業をしていたら遅い時間になった。帰りの電車が二度急停車した。二度は珍しい。帰宅後はダラダラと過ごしていつもよりも遅くまで起きている。

 

262日目/休み

土曜日。朝は8時まで眠る。朝散歩もラジオ体操もせず、ダラダラ過ごしてしまう。9時過ぎに寮を出て2回目のカウンセリングに向かう。カウンセリングでは、認知行動療法の説明と実際にそれを少し始めた。自分で思っているよりも、白か黒かで考えてしまう傾向が強いみたいだ。もっとグレーゾーンな判断で生きていこうという話になった。特に、自分は睡眠時間が少ないと「体調が悪くなるかも」「疲れてしまうかも」という自動思考に陥りやすい状態に今あるようなので、「前は朝の3時まで飲んで会社に行っていたじゃないか」のような極端な反論を自分の中に持ち、うまく自分の認知をグレーゾーンに持ち込むことが必要のようだ。カウンセリングの後は、ずっと漠然と行きたいと思っていた丸亀製麺に行けた。牛肉うどんを食べて、とても美味しかった。その後は久しぶりに一人カラオケへ。めちゃくちゃ音痴だけれど、無心で歌っている時間は楽しかった。帰宅後、疲れて少し昼寝。夕食に寿司を食べ、「マインドフルネス・ワークブック」のボディスキャン瞑想に取り掛かってみるが、50分は長く、半分の25分ほどでやめてしまう。眠い時にやると、ただ眠気と戦うだけになり、半覚醒時の取り留めのないイメージが延々と続き、余計に気分が悪くなるみたいだった。とりあえず、ボディスキャン瞑想は前からやっているし、もうやらなくてもいいかもしれない。それかたっぷり余裕のあるときにまたやってみようと思う。眠い時はダメだ。そして、夜は日付が変わるくらいまでダラダラと動画を観たりして過ごす。

 

263日目/休み

日曜日。朝は9時過ぎまで眠る。朝散歩もラジオ体操も無し。起きた瞬間から気持ちが弱っていて、朝ご飯を食べた後すぐにまたベッドに戻って動画を観ながら眠る。予定のない日は寂しくなる。1年前ならそんな寂しさもむしろ刺激に感じられていたけれど、今はちょっと辛め。実家に戻り、家族と過ごしたいと思う。これまで誰かと家庭を築いたりしないんだろうと思っていたけれど、誰か、人と暮らしたいと思うようになってきた。そんなことをまた漠然と感じながら、カーテンを閉じて1日中眠りこける。予定もなく、一人で過ごすのは今の自分には辛過ぎて、そこから現実逃避をするように眠りを求めた。今日のお供は「東京卍リベンジャー」のアニメ。Netflixで1話目から観始めて、半日ほどで最新13話まで観る。悪くはないが、ちょっと物足りないと感じる内容だった(個人的に)。夕方5時を回り、ようやく少しだけ元気になってくる。コンビニまで夕食を買いに行き、わずか20分弱の外出にふと息抜きを感じる。夕食後、細川貂々さんの「それでいい。」を読んでいるうちにふと涙が出て来る。今日1日の寂しさと、明日の仕事の辛さ、それから得も言えぬ疲労感が綯い交ぜになって、涙が出てきた。「それでいい。」の中に書かれている言葉を反芻していると、知らぬうちに張り詰めていた気持ちが緩み、涙が出たのだと思う。「今はこれでいい」と自分に言い聞かせ、そっと心の中で自分を抱きしめる。「マインドフルネスワークブック」をサボっているが、昨日「一旦やめる」と決めたので、気にしないことにする。ただ、風呂や食事、歯磨きなど、日々の行動の中にマインドフルネスを取り入れるように心がけてはいるのでOKだろう。

 

264日目/3日目

月曜日。朝は6時に起きて、散歩の代わりにラジオ体操。跳躍のときに必ず息が上がる。雨はいつまで続くのだろう。朝はやはり辛い。会社に行きたくない、という気持ちが強く、泣きそうになる。自分で自分を制御しきれないような感じになってしまう。大学生の頃から朝が苦手だった。世界のスイッチがONになって、自分も否が応でもスイッチを入れなければならない。その感覚が本当に嫌いだった。最近観た動画では、仕事のスイッチのON/OFFをはっきりさせると良いと言っていたが、今の自分には、特にONのイメージをつけない方が良い気がした。OFFのイメージはしっかりとするとして、自分の場合は特にその朝のONのタイミングが1番辛くなるようなので、できるだけOFFのままぬるっと会社に向かうようにしたい。涙を堪え、何とか会社に。会社についてからも1時間くらいは気持ちが落ち込んだまま。午後を回ると徐々に平常心を取り戻していき、そして夕方に耳鳴りが出始める。まだ新しい職場で3日目だけれど、そんなようなサイクルが基本になりそうだ。今日は大人しくほとんど誰とも喋らず過ごし、ほぼ定時で上がらせてもらった。夕飯は寮でハンバーグカレーを食べる。美味しかった。

 

265日目/4日目

火曜日。久しぶりに朝晴れていたので、朝散歩を15分程度。朝散歩のおかげかどうかはわからないが、昨日よりも朝の辛さは少なく、割とすんなり家を出ることができた。有吉のラジオを聴きながらの通勤。やはり混んでいる通勤電車はストレスが溜まるし、疲れる。今日は会社でクレペリン検査を受けた。精神病の影響が出るのか気になる。計算をしていると頭に何かがつっかえる感じがあり、前ほどスムーズに計算できない気がした。また、計算をしながら頭ではどんどん色々な考えが浮かんで、集中できていないことに気づく。こういうのに気づけるようになったのは、マインドフルネスを練習しているおかげか、あるいは単にそういう傾向が強く出ているだけか。いずれにせよ、適応障害を通して色々と変わったんだなと思う。また、こういうクレペリン検査のようなもので何かを測るというのは、一種の差別のような気がする。どんな人でも平等に働ける世の中にしていかなきゃダメだと思う。もちろん、適材適所で仕事を行うための検査だから不平等というわけではないし、理に適ってはいるのだけれど。ともかく人それぞれ傾向は違うし、状態だって時と場合によるのだから、それらを受容していかなければと改めて思った次第である。職場では今日は色んな人と沢山話せてよかった。やはり雑談というのは大事なことだと思う。そのおかげかどうか、今日は帰宅するまで耳鳴りも出なかった。自分的には多めの残業だったけれど、同じグループの人たちはまだ残っていた。人間関係は良さそうなので、あとは業務量だけが今後の心配である。帰りの電車から「大切なものはすべて君が教えてくれた」を観始める。今は有名になった俳優がたくさん出ている。そして、昔見たときと同じように、好きなドラマだと思う。

 

266日目/5日目

水曜日。今日を乗り切れば復職から1週間が経過したことになる。朝は6時過ぎに起きて、10分の散歩。朝のゆったりタイムに「大切なものはすべて君が教えてくれた」をTverで見ようとしたが、なんと、見れなくなっている。昨日から観始めたのに、昨日までだった…残念。昨日よりは少し調子が悪い感じだったが、そこまで苦しむことなく出社することができた。「オッドタクシー」を観たり、「ハライチのターン」を聴いたりしながら出社。午前は会議で時間を使い、午後は研修や個人業務の検討を進める。出社後は上司が体調の事で話しかけてくれ、午後はちょっとした気持ちで質問を投げた先輩がすごい親身にフォローしてくれて、本当にありがたかった。終業時間ごろに地方時代の先輩が声をかけてくれて、急遽飲みに行くことに。仕事を早めに切り上げて、2時間弱お酒とともに談笑をした。週に1回くらいこういう時間があると救われる。コロナ禍で申し訳ないけれど。何だかんだと良い時間を過ごしている気がする。異動してよかった。

 

267日目/6日目

木曜日。今日はテレワークなので朝は7時に起きて、散歩を20分程度。通勤時間がなくて済むのでゆったりとした時間を過ごすことができる。前職場ではおそらく潜在意識の中で「職場に行く」ということに対し、非常に強いストレスを感じていたためか、テレワークが本当にありがたかった。しかし、新しい職場になってみて、そのありがたさが半減したような感じがある。きっと今はそれほど職場それ自体にストレスを感じていないからであろう。単純に通勤時間が減った分、ゆったりと過ごせることにありがたみがあった。午前中は会議に出て、後輩に対してこんな自分からもちょっとしたアドバイスをすることができた。こうやって少しずつできることが増えていき、自信も取り戻していけるのだろう。午後は色々と資料の確認をしていたが、眠くなったので、ついつい寝てしまった。ダメだな、とは思いつつも、まぁこれはこれでいいのかもしれない、と感じる。どうしてもやらなければいけないことがあれば、そのときはちゃんとやるのだから、今はこれでいい。悪いことだけれど、そう思うことにした。

 

268日目/7日目

金曜日。朝は6時に起きて、朝食を買いに行きがてら20分の散歩。さすがに疲れが溜まって来た感じがあるが、今日を乗り切れば明日は休みだと考えることで、何とか今日もやれそうな気がしてくる。仕事は1日を通して、マイペースに進められた。途中、細々とした目の霞むような作業をしていたこともあり、それなりに神経が疲れて来る。しかし、地方時代の先輩のところへちょっと話しに行ったりして、うまくリフレッシュしながら進められたと思う。残業中は先輩たちと色々と話したりできて、仕事は進まなかったけれど、充実した時間だった。こういう時間を大切にしたい。今日も周りよりは早めに上がらせてもらった。しかしながら、電車が大幅に遅延しており、結局駅のホーム上で40分近く待つ羽目になって、非常に疲れた。人混みから発せられる蒸し蒸しした熱気にやられ、かなり苛立ちを覚えた。帰宅後、疲れ果てて、風呂に行く元気はなく、シャワーで済ませる。若干気持ちが悪くて吐き気があったものの、ストレスで夕食をドカ食いしてしまった。そのまま昂った神経を抱えながら少し夜更かしした。日付が変わる前には寝られたが、翌日が休みで良かったと思う。

 

269日目/休み

土曜日。朝は7時半に起きて、少し長めに40分散歩をした。色々と初めて通る道を歩いたが、8時も近くなるともう陽射しが熱くて、夏を感じる。そして、久々に晴れたこともあってか、体の中に活力を感じる。何だかかなり久しぶりにまともな感覚を取り戻した感がある。そう言えば、適応障害になるまではこんな風な活力を感じていた気がする。そういうのを取り戻せたような感覚があった朝だった。帰宅後、朝食を食べ、シャワーを浴びて、準備を済ませてから診察へ向かう。メンタルクリニックは混んでいて30分以上も待たされて、昨日から待ってばかりだなと思うけれど、本を読みながら比較的穏やかな気持ちで過ごせた。やはりイライラしたくはない。一度、イライラについて考え出すと、余計にイライラしてくるから、きちんと思考のモードを切り替えるよう心掛けてゆっくりと過ごした。診察の後は早めの昼食。前から何度か行っているラーメン屋に行った。色々メニューがあるので、今日もまた新しいメニューにチャレンジ。麺が美味しいけれど、スープの味はよくわからなかった。おそらく様々な香辛料などが使われているのか、汗が噴き出た。昼食の後は、午後のカウンセリングまでの時間をTOWER RECORDで過ごす。そう言えば、昔住んでいた町にはタワレコが無くて、いっちょ前に「この町は文明が死んでる」と考えていた。そんなところでの生活も慣れると何てことなかったわけだから、人間は環境に適応するものだと思う。CDを12,000円分購入する。CDを色々と見ている間に時間が過ぎてしまい、結構ギリギリでカウンセリングを受ける病院に着く。午前中に診察した病院とは違う街にあるので、電車を乗り継がなければならない。同じ病院にすれば良いのだろうけれど、色々な場所へ行くのは面倒な反面、気分転換にもなってそれなりに気に入っている。生活圏が広がるのは楽しいことだ。カウンセリングでは、エゴグラムというものをやった。それなりに面白く、今後のストレスコーピングに活かしたいと思う。カウンセリングの後、百均で掃除道具やら麦茶づくりのための諸々の用品を買ったりした。帰宅後、部屋の掃除を進め、すっきり。ブログを書くためにこうして日記を書いているが、もう今日はかなり充実した1日だったと言える。夜はお酒を飲みながら、1人で音楽を聴いたりして楽しい時間を過ごしました。

 

2.カレンダーのまとめ

ついに復職&異動を果たしました。復職直前はとにかく暴力的な眠気にやられていて、「こんなんで復職できるのか?」と不安でしたが、やはり眠気はあるものの、何となくぬるりと復職をスタートすることができました。新しい場所で不安もありましたが、明らかに前職場よりも職場の雰囲気、人が良く、初日から「ここならやって行けるかも」と感じました。おそらく前職場には相当なトラウマ意識があり、そのことが余計に前職場に対するネガティブイメージを持たせていたのだろうと思います。そこから離れるだけでこんなにも気持ちが軽くなるなんて思ってもみませんでした。

既に復職から7日間勤務をしたわけですが、とにかく人の良さを感じます。なんだかんだと週に1回くらいのペースで、地方時代にとても仲良くしていた先輩と飲みに行けたりしていることも気分良く大きな要因だと思います。仕事自体はまだ私にできることは少なく、任されている業務も本格始動していないので、時間的にはかなり余裕があります。数か月後には忙しくなるのが見えているので、そのときが今の段階から不安ですが、カウンセラーの先生にも「予期不安は良いことがない」と言われているので、今は今でのんびり過ごしていようと思います…が、なかなか難しいですね。頭ではわかっていても、心や思考をコントロールすることはとても難しいです。

しかし、それにしても最近は本当に体調が良くなっていることを実感しています。適応障害になってから、これまで何度か「あ、良くなってる!」と感じる段階があったのですが、そういうのを感じる度に「1つ前の『良くなってる!』のときはまだまだ治っていなかったんだ」と思わされますね。よくよく考えると、私はよくもあの状態で、前の職場で復職をチャレンジしていたと感心してしまいます。あんなに体調が悪かったのに、よくやっていたよ、自分。

と、そんなことを感じる余裕があるくらいに、今回の復職は気持ちを落ち着けて進められています。環境の変化が1番大きいと思いますが、その中でも色々と学ぶことがあったので、次の章からはそういったことも書いていきたいと思います。

 

3.自己受容(現在の受容)とモードの自覚・切替

私より先に適応障害になり、休職をしていた会社の同期から、治療中に読んでいた本を色々と教えてもらいました。その中の1つが「ツレがうつになりまして。」の細川貂々さんが精神科医水島広子さんに色々と教わる「それでいい。」という漫画でした。対人関係療法というものが元にはなっているので、人との関わり方を正常化して治療に繋げるという部分が多いのですが、個人的には「自己受容」の部分で大きく救われた気がします。

これまで様々な本や動画で「自己受容」という言葉を聴いて、それなりに理解していているつもりでした。そして、実践してもいるつもりでした。しかしながら、私のそれはまだまだ足りなかったようです。「自己受容」というのは、「こんな自分は死んでしかるべきだ」というような「自己虐待」の逆を行くような言葉だとしか私は認識できていませんでした。今までの私はとにかく自分という存在は本当に醜く消えるべきだと思っていました。そして、いずれそう遠くない未来に死んでやるし、その時までは死んだように生きる。だから、それまでは死なないでいることを容認してくれ。と、そんなことを考えていました。しかし、実際にそれが最終段階にまで行き、自殺未遂までして、「あぁ、もう行きつくところまで行きついたな」と思った次第です。

そこからは「もう良いんじゃない?」と思えるようになり、「ちゃんと生きていこう」と思うようになりました。そのためにはこれまでやってきた途方もない自己虐待をやめなくてはなりません。そして、「もう自己虐待をしなくて良いんだ」と思えるだけで、その頃の私は随分と楽になった気がしたものです。

しかしながら、その段階ではまだ正しい「自己受容」というものができていませんでした。せいぜい私の自己受容というのは「私みたいな人間でも生きていて良いのかもしれない」というくらいです。それでも、まぁ、私からしたらたいした進歩にはなるわけですが、これまで散々自分を苛めてきたわけで、私の「自己受容レベル」はようやく一歩を踏み出したに過ぎませんでした。適応障害という状態にも慣れ、ようやく1度目の復職をした頃は、「1日でも早く良くなろう」と前向きに考えていたわけですが、しかし、この「1日でも早く良くなろう」という考え方は「自己受容」のレベルとしてはまだまだ低いそうです。

事実、私は体調が悪くなったときに酷く落ち込みましたし、なかなか取れない頭痛に不安になりました。仕事は少しずつできることが増えて来ているのに、体調が全く良くなる気配がないことに酷く困惑していました。実際に気にかけてくれている上司にも「仕事はできるようになりつつあるけど、体調が良くならくて心配なんです」と何度も話していたくらいです。夜勤で生活リズムが乱れたりすると、その度に体調を崩し、また不安になり、「こんな生活が続いていくなんてとても耐えられない」と考えていました。そして、実際にそんな日々に耐えられなくなっていき、5月末に「もう無理!」と2度目の休職を決断しました。

その時の私は、「今度はかなり酷くなる前に自分でちゃんとブレーキをかけられた。もう少しでまた自殺未遂をしでかすところだったけれど、今回はちゃんと立ち止まって、休職という冷静な判断ができた」と自分を褒めるように心がけていました。それはそれで良かったのですが、結局のところ私は「自分はまだ良くなっていない」という事実に抗おうとして抗えないという状態にあったのです。つまり、「現状は未だ酷い状態である。だから、適切に対処していかなければ、自分というのは壊れてしまう」と考えていたわけです。だから、「休職=逃げる」という判断をせざるを得ませんでした。

こういった病気になると、まず「逃げて良いんだよ」という言葉をかけてもらうことが多いです。それは間違ったことではありません。「逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ」と碇シンジ君のような状態に追い込まれるとかなりしんどいですからね。逃げたいときは逃げて良いのだと思います。しかしながら、それが行き過ぎると、「ヤバいときには、本格的にヤバくなる前に逃げなくちゃ」という思考に支配されるようになってきます。何事もバランスが大切とはよく言いますが、「逃げなくちゃ」という考え方は一見「逃げる自分」を受容しているように見えて、それは正しい自己受容になっていないと思います。つまり、自分の現状を「悪い」と判断し、そこから逃れる必要があると考えているわけですからね。状況を変える必要がある、という考え方は要するに「自己の現状を受容できていない」ということになるわけです。

「逃げちゃダメ」も「逃げなきゃダメ」もどちらも凝り固まった考え方です。特に一度適応障害などで「逃げちゃダメ」マインドから「逃げなきゃダメ」マインドに切り替わると、色々なことに臆病になり、何よりも自分自身を信じられなくなってしまうことが多いんじゃないでしょうか。私はまさにそんな感じで、「今日はいつもより睡眠時間が1時間半も少ない。こんなんではきっと日中のストレスに耐えられないだろう。帰ったらきっとくたくたになるだろう。だから今日はセーブして、残業も無しで帰らせてもらおう。そして、睡眠不足を補うために早めに寝よう」と考えてしまうことが多かったです。これは一見、病気である自分を受け入れて、その状況にマッチした判断をしているように見えますが、その実は自分というものを全く信頼しておらず、自分自身に対してあれやこれやと不要な口出しをしているような状態とも言えるでしょう。

自分を信頼していない、ということはすなわち自分を受け入れていない=「自己受容できていない」ということになります。どこからどこまでが冷静な判断で、どこからが疑心暗鬼なのかを見極めることは難しいです。しかしながら、このような「不安が不安を大きくする」という状態はやはり鬱の典型的な傾向です。そして、少し前の私にはその境界線を正しく認識することができていませんでした。私はかなり疑心暗鬼よりの判断をし続けていました。

つまり、「自己受容」が大切であることは理解しながらも、私の「自己受容レベル」は「自分なんて消えた方が良い」と考えず、「これからちゃんと生きていこう」と思えるようになった程度のもので、まだまだだったわけです。それが細川貂々さんの「それでいい。」を読んで、少し変わりました。この本の中で言われていた自己受容のレベルは、「だってそうなんだもん。仕方ないじゃん」というレベル感です。本の中では「ネガティブに育てられてきたんだから、ネガティブ思考で仕方ないじゃん」という感じで書かれていましたが、これを私の現状に置き換えると、「病気になったんだから体調悪いのは仕方ないじゃん」という感じになりましょうか。

その頃の私は「1日1日、ちょっとずつでも体調が回復していかなければならない」と考え、そうならないことに苛立ちや不安を覚えていたわけです。つまり、現状に全く納得がいってなかったわけですね。「病気になったんだから体調が悪いのはわかる。しかし、体調が良くなっていかないことにはムカつく」と思っていました。でも、そんな「自己受容」じゃ足りません。というか、ちょっと間違っています。未来を予測するというのは、基本的にうつ病などの精神疾患に対してなんら良い影響をもたらさないようです。大切なのは、「病気になったんだからこれくらい体調悪くて当たり前。それが正常なんだから、それでいいじゃん」という現在に対する受容のみなのです。未来のことはわかりません。とにかく現在の私ができる自己受容というのは、「今の私でいいじゃん。それで仕方ないじゃん」という現在に対しての評価のみです。そのことを私はわかっていませんでした。

悪)休日になると溜まっていた疲れのせいで寝っぱなし。こんなのがいつまで続くのか。早く治したい。

と考えるのではなく、

良)休日になると溜まっていた疲れのせいで寝っぱなし。そりゃそうだよ。適応障害なんだから、寝るのが当たり前。これでいいんだよ。

と考えるわけです。

私がこの「それでいい。」を読んで、最も勇気づけられたのは「改善しようと思う=自分を疑う感じになる。だから、今はこれでいいと受け入れる。そうすると、人間というのは自然と変わっていくし、成長していく」という内容です。

思えば私は適応障害と診断されたその日から、「はいはい。自分にはそういう病名がついたのですね。理解しました。それではこれから勉強して、ちゃんと回復していきます」と考えていました。「どうすれば現状を改善できるか?」ということを考え続け、そのために日々、自分の現状を分析したり、そこから脱却するための手法を勉強していたように思います。自分の状態を受け入れ、客観的に分析し、足りないところを補うために色々なことを試してきました。それはそれで実りのある日々でしたが、それは一見自分の状態を受け入れ、前向きになっているように見えて、自己受容のレベルとしては全然低かったわけです。

私がすべきはとにかく「今はこれでいいんだ」と焦らずに、日々を過ごすことだったようです。まぁ、色々やって来たからこその、今のこの境地ということなのかもしれませんが。

確かに苦しい日々では、「今はこれでいい」と受け入れるのは難しいと思います。だって、1秒でも早くこの状態から抜け出したいわけですもんね。空腹なら早くご飯を食べたいと思うのが自然ですし。なので、もしかしたら、ある程度回復して来てから、この段階になるものなのかもしれません。しかし、もし前職場にいた頃に、「あぁ、いつまでこの頭痛は続くのか。1つでも対策を練って、この状態を改善していかなくては」と考えるのではなく、「頭痛があるのは仕方ない。でも、復職してまだ数か月だし、今はこれでいい」と思えていたら、もう少しだけあの頭痛は深刻さを失っていたようにも思います。私に必要だったのは、「対策」ではなく、ただの「受容」だったのかもしれません。

 

そして、そのような考えはまた別の本でも説明されていました。これはまだ私も取組み中なのですが、「マインドフルネス認知療法ワークブック」という本です。マインドフルネスのやり方を習得し、うつ病を始めとする精神疾患に打ち勝とう!というのがこの本のコンセプトなのですが、ここでも面白いことが書かれていました。

この本で真っ先に書かれているのは、「現状を把握・分析して、目的を明確化する。そして、そのギャップを埋めるための対策を練り、実行する」というのは現実社会において非常に有用である。しかしながら、こと心の問題においては、そういった考え方・手法というのはむしろ状況を悪化させる、ということでした。言い換えると、心の問題に対して、あれこれ分析をして対抗策を練るというやり方は、水の中で溺れないようにじたばたして余計に体が沈んでいくというようなもの、ということです。じっとしていれば自然と体は自らの浮力で浮いて来るというような感じですね。

つまり、課題解決能力と呼ばれる社会人スキルみたいなものはむしろ心の問題では役に立たないというわけです。そのことがマインドフルネスをやる上での1番最初の前提になっています。

例えば、「目的地:新宿駅」・「現在地:東京駅」という状況があったとき、「中央線で行けばいいか」と考えるのが人間の状態としては普通です。「目的」と「現在」を比較し、「手法」を検討して実行するのが、人間の基本的なモードです。ふともよおして「目的:トイレ」、「現在:リビング」、「手法:立って歩く」ということを人間は自然とやっています。このように自動的に思考し実行に移すモードを「することモード(doing mode)」という風にこの本では説明されています。

そして、大抵の場合、そのような「することモード(doing mode)」では、まるで自動操縦のように、無意識でトイレのドアを開けたりしています。それが日常であり、それを発展させていくことで、人間というのは所謂「課題解決能力」というようなものを使い、能動的に身の回りの問題を処理していくわけです。例えば、「アルバイト先の売り上げが少なかったので、キャンペーンを企画して、収益を2倍まで増加させました」というのを就職面接における課題解決能力のアピールとして使ったりしますよね。これは、まさに人間のもつ「すること(doing mode)」の応用というようなわけです。現実社会ではこれが非常に有用になっています。

しかしながら、心の問題を解決するためには、これはあまり使えないそうです。心の問題は「課題を分析し、打開策を模索する」というような「することモード(doing mode)」を使うとかえって悪くなるそうです。そういうのは前述の通り、水の中で溺れまいとじたばたするようなもので、余計に事態を悪化させると考えられています。人間というのがどういうときに不安を抱くかというと、それは未来を想定した時です。「このままだとどうなってしまうんだろう」とか、そんな感じですね。なので、「未来を想定する」ということがそもそもの悪手なわけです。「目的(未来)」と「現在」を比較するというのは、不安を引き起こし、心を揺さぶります。ですから、そういった揺さぶりから離れなければなりません。

健常な人間であれば、普通「不安に駆られる」という状態は未来を想定したときに現れます。つまり、能動的に「することモード(doing mode)」を使用したときですね。そして、その不安は何か現実の悪い事態を回避するための、重要な心のトリガーのようになっています。ですから、一概に不安というのが悪いわけではありません。しかしながら、気持ちが落ち込んでいたり、うつ状態にある人は、もはや「トイレに行こう」と思って無意識に、自動操縦的に「トイレのドアを開ける」という行動を取るかのように、常時不安に駆られています。何もしていなくても、自分ではそういうつもりがなくても、勝手に不安のようなものが心の内に無限に湧き上がって来て、それが止められなくなっています。このような状態に対して、さらに「課題解決能力」を用いて、歯止めをかけようとしても、それは「不安から脱するために、トリガーとしての不安を醸成している」ようなもので、全くの逆効果になってしまいます。

そこで、心の問題に対しては、「あることモード(being mode)」というのを使った方が良いそうです。何よりも不安を増長させないことが重要なわけです。では、その「あることモード(being mode)」というのはいったいどういうものなのか。その答えが、マインドフルネスな状態というわけです。

マインドフルネスとは、例えば、猫のお腹を撫でて、その柔らかさや毛並みを感じているような状態です。つまり、無心で何かに心を集中している状態ですね。そこには目的もなければ、現状に対する分析というのも必要ありません。切り分けが難しいですが、例えば計算ドリルを進めているときに無心になるのとはちょっと違うようです。いや、目的なくただ趣味として計算ドリルをしていればいいのかもしれませんが、例えば、「この宿題は1時間以内に終わらせておきたい」というような目的がある場合は、ちょっと違ってくるそうです。この辺りは物事の捉え方次第なので難しいです。なので、できれば、自動操縦的に無心で目的を達成しようとしている状態ではなく、ただただその瞬間に意識を集中して、「そこにある」という感覚が研ぎ澄まされている状態をイメージした方が良いと思います。

私が読んでいる「ワークブック」ではボディスキャン瞑想を通して、「することモード(doing mode)」から「あることモード(being mode)」へ切り替える練習をしたりします。ボディスキャン瞑想は体の感覚に意識を集中させる瞑想法です。呼吸で肺が膨らむのを感じ取ったり、足の指先に触れる冷たい空気を感じ取ったり、そういうことをします。しかし、体の感覚に意識を集中させようと思っても、雑念が沸いてきて、例えば「夕飯何食べようかなぁ」みたいな思考が走り出します。今回のマインドフルネスでは、そういった状態を「することモード(doing mode)」と大まかに分類し、そこからまた体の感覚へと意識を集中させ、「あることモード(being mode)」へと戻す意識の筋肉のようなものを鍛えることが中心になっています。

「することモード(doing mode)」なのか、「あることモード(being mode)」なのかをきちんと見極めて認識し、できるだけ「あることモード(being mode)」へと自分の状態を誘います。これができるようになってくると、うつ状態にありがちな、自動思考でどんどん不安が膨らんだり、どんどん具合が悪くなったりする状態から抜け出せるようになってきます。うつ病というのはつまるところ、自動で無限に負の感情を生産する病気なわけですから、そこから脱している時間を1秒でも多くしてあげることが治療へと繋がるわけですね。こういった考え方はまさに「課題解決能力」という気がして、何だか矛盾を感じますが、しかし大事なのは「治ろう」という目的を放棄して、ただただ「することモード」から脱却し、「あることモード」へと移行し、その状態を保持することだけなのです。とにかく先のことは考えずに「あることモード」を維持。それだけ。そのためのトレーニングをこのテキストではやっています。

 

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前々回の記事で、「敏感過ぎるあなたへ」という本でも色々な対策が講じられていましたが、これも一種のマインドフルネス的治療と言えそうですね。自分勝手に増長していく悪い自動思考(悪循環)から脱するための、気持ちのベクトルを変化させるという意味では一緒です。

 

健康な状態であれば、思考の悪循環、不安の無限生産といった状態にはあまりなりません。しかし、それが続くと、もはや体の機能にまで支障をきたし、頭痛が取れなくなったりします。そして、またその頭痛が気持ちを弱らせてしまうのです。精神疾患の類はそういう嫌な病気なのです。

そこから脱するためには、マインドフルネスやら様々な手法があるわけですが、共通しているのはそれがある特殊な、分類可能な「状態」であるということです。そのような「状態」を見極め、そこから脱するというのがそれぞれの手法の重要なプロセスになっています。そして、そこから脱するための筋肉は鍛えられるというのが、それぞれの手法が「治療法」となっている所以だと思います。

 

今回私が読んだ本では、「これでいい」と自己受容をすることや、マインドフルネスを用いてスイッチを切り替えることが主題となっています。いずれも、未来のことは置いておいて、現在に集中するというのがキーポイントですね。話が長くなってしまったように思いますが、こんな感じで色々と勉強も進んでおり、日々回復に向けて進んでいっているという実感が出てきました。

 

4.最後に…

もう少し異動後の仕事の状態について書こうと思っていたのですが、最近読んだ本の話でいっぱいになってしまいました。

今のところは元気でやれていると思いますので、また仕事については今後書いていきたいと思います。また、カウンセリングの方も順調に進んでいますので、その内容も書いていきたいですね。

あと、気づいたらMaison book girlが活動終了していました…これについてもまた追々書いていかなければなりませんね。本当に悲しいです。

 

次回

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