前の職場でお世話になっていた先輩とTOKYO ISLANDという音楽フェスに行ってきた。もちろん僕は凛として時雨が好きなので、目当ては18:30からのand STAGE。ほかは最近シャッフルで音楽を流していたときにハマったキタニタツヤの『ずうっといっしょ!』と大学生の時に時雨の余波でいくらか聴いていた9mm Parabellum Bullet。
先輩はUISON SQUARE GARDENが好きで、一度ぴあアリーナのコンサートに連れて行ってもらったことがあったので、今回のフェスにお誘いをしてみた次第だ。「ほかに好きなアーティストがいればいいけど」と釣れるかどうかは半々というところだったけれど、先輩はACIDMANが昔好きだったということもあって、割と乗り気になってくれた。
当日は快晴。むしろこの季節にしては陽射しが強いくらい。僕の下調べの悪さから、シャトルバスが出てることも知らず、推奨されていない路線バスで会場の「海の森公園」に乗りつけてしまい(いや、乗りつけていない。最寄りのバス停から20分くらい歩いた)いきなりヘトヘト。それでも難なくリストバンドを貰い、いざ会場へ。
wacci辺りから何となく聴いて、途中ビールを飲んだりしながらゆっくりとフェスを楽しんだ。ドイツビールは大変美味であり、量は少なかったけれど味にはいたく満足した。青空の下、風に吹かれながらビールを飲み、そして先輩を近況を報告し合った。仕事の愚痴、人生の不安、消化しきれないほどの不安。話のネタは尽きなかった。
素敵な昼下がり、「androp ISLAND Session」で次々続々と登場するゲストミュージシャンに笑ったり、感心したり。僕はyonawoが好きだったので、荒谷さんが出てきたときにはびっくりした。途中、会場で誰かが倒れたっぽく、ステージに緊張感が走る。が、どうやら無事だったようで、荒谷さんも内澤さんも安堵の表情を浮かべる。そういえば、僕が昔行ったyonawoのライブでも誰かが倒れていたな。暑い時は気を付けないといけないね。
陽も傾き、ユニゾンの出番を待ちながら、隣のステージで暴れまくる9mmの音楽を聴いた。ステージは2つだったけど、隣接していたからほぼ真横から次から次へとステージ前面へ現れる3人の姿を楽しむことができたし、正面のスクリーンでも楽しむことができた。何よりも両方のステージのスピーカーが常に生きているので、音も完璧に楽しめたのが最高に嬉しいことだった。
9mmの曲はあまり知らないかもと思っていたけれど、『Black Market Blues』や『ハートに火をつけて』や『新しい光』などまさに僕がハマっていた頃の代表曲を沢山やってくれたのが良かった。初めて聴く曲もめちゃくちゃ楽しめたし、ラストの『Panishment』はとんでもないスピード感で高揚感がハンパなかった。
続くユニゾンも実のところはあまり知らないんだけれど、相変わらずの意味不明なタイム感で何故か揃う演奏がたまらない。ラストの『シュガーソングとビターステップ』はさすがに僕も知っている楽曲で、客席のみんなと楽しめた。ドラムの椅子が壊れて、最後は立ちながらドラムを叩いているのが普通に凄かった。代わりの椅子を出すなんて無粋な真似はせず、会場の勢いを殺さない即興の演出がフェスの楽しさを物語っていた。
ストレイテナーは申し訳ないけれど、先輩とご飯を食べながら遠くの外野席で眺めていた。かねてより美味そうだと目をつけていたルーローファン(「ハン」と思っていたけれど、「ファン」と書いてあった)の列が空いたところを狙って、2杯目のビールともに懐に招き入れる。連なる電球の光が美しく、とても雰囲気のある会場。晴れ渡る夜空に月が浮かび、心地よい風が吹く。暑がりの僕にはこの冷ややかさが最高だ。
さて、いよいよ時雨の出番だ。ここまでで色々と学んだ僕は、できるだけ客席の中央を陣取ることに決めた。先輩は疲れたらしいので外野席に置いてきた。まぁ、いいさ。時雨は一般ウケするタイプのバンドではないし、好きな人が好きな時に聴けばいい。と、僕個人は思っている。それに正直に言えば、僕も1人の方が人目を気にせず楽しめる。って、まぁ、手も上げないし、叫ばないし、ただ体を揺らすだけなのだけれど。
今更になるが、僕がこのフェスに行こうと思った最大の理由。
andropの15周年記念である今回のフェスは、自分のファンサイトの映像コンテンツに何度も内澤さんを呼ぶくらい「内澤LOVE」なTKにとって大事な公演。であれば、ここ最近聴けていなかった『傍観』を最後に演るかもしれない。『傍観』……聴きたい、聴きたい、聴ーきーたーいー。な状態が続いていた僕にとって、これは大々々々チャンス。
『Telecastic fake show』、『DISCO FLIGHT』、『abonormalize』、『竜巻いて鮮脳』、『アレキシサイミアスペア』と定番曲が続く。9mmやユニゾンを見ていたから最初の『テレキャス(f)』は少しばかりテンポが遅い印象があったけれど、『DISCO』のギターソロで刻まれている頃にはもうすっかり時雨の世界観の中に溺れていた。やっぱTKのギターはエグイ。『abnormalize』はある意味で時雨の出世作だからこうったフェスでやらないという選択肢はない。で、意外だったのが『竜巻』。でも、これはこの野外の時間帯の照明効果を狙ってのものだったかもしれない。相変わらずあのくるくると竜巻のように回る青い照明は美しく、ステージに目が釘付けになる。
『アレキシサイミアスペア』はやはり楽曲としての底力が圧倒的だ。初めて聴く人にとっては展開が全然読めないだろうが、次第に会場のボルテージが上がっていくのを肌で感じた。最後は「え、これいつ終わるの?」的な空気も多少流れていたけれど、それがこの曲の面白くて素敵なところ。まだ終わっていないのに、拍手が鳴り響いていて「まぁ、そりゃそうだよな。僕も初めて聴いたときは、シークバーを確認したもの」と何だか頷いてしまった。
そして、ついに『傍観』がやって来る。演奏が始まる前の不穏なギターのコード。そして静寂。これで僕は『傍観』が来ることを確信する。序盤の静かなところでは、近くの人がお喋りをしていて「勘弁してくれ」とも思ったけれど、「フェスに来て、他人に『うるさいな』って思うのはあまりにも筋が通って無さ過ぎる」と気持ちを切り替えてステージに集中する。
上空を飛んでいく飛行機の音が重なる。すっかり暗くなった会場で、赤い闇が3人の影を映し出している。もうぞくぞくしっぱなしだった。
時雨のステージの序盤から感じていたことだったが、ギターの音量、音圧が僕のいる位置ではちょっとイマイチではあった。客席の中央に位置付けていたのだけれど、もう少し後ろの方が良かったのかもしれない。それから片耳をぶっ壊す前提で左右どちらかのスピーカー前を陣取るか。
それでもやはりギターソロはハンパじゃなかった。1つ目のサビが終わったところでは、いつもはそこまで激しくギターを弾かず、コード感を残した演奏をすることが多かったが、この日は特別なのかいきなりガンガンに弾いていた。そして、2つ目のサビは悠々とそれを超えてくるカオス。音の洪水が気持ちいい。ラストはいつも通り、シャウト。ベースが主旋律を奏で、ドラムの連打にギターのハウリング。345とピエール中野がステージから去ると、TKが右腕を高く掲げて観客を煽り、そしていつも通りの本当のギターソロを狂い弾きしてギターを投げ捨て去っていく。『傍観』の序盤でお喋りをしていた人たちも「ヤバイ、ヤバイ」と歓声を上げていたので嬉しくなる。
時雨が終わり、僕のミッションは完了。先輩のもとに戻り、ACIDMANの準備へ。先輩は疲れていたし、ずっと昔に初期のアルバムを聴いている程度だということだったので、何曲か観て帰ることに。「『赤橙』だけでも聴ければ」と僕もその計画に賛同し、無事3曲目くらいで『赤橙』を聴いて会場を後にする。ACIDMANも味のあるストレートロックという感じでとても良かった。最後まで聴いても良かったけれど、シャトルバスが混む前に変えることの方が僕たちにとっては大事だった。帰りはミスらない。修正力が僕たちの長所。
先輩とは比較的家が近かったので、お互いの別れ道にある街で軽く飲んで帰ることにした。日曜の夜ということだったので、いつも混んでいて入れない店に突撃してみたら、上手いこと入店できた。そこでおすすめの品を何品か頼み、最近ウイスキーを飲み飽きてしまった僕は、ぺルノーだとかレモンチェロだとかを飲んでみた。まぁまぁ、のお味。料理にも期待していたのだけれど、いつも行列が出来ている割にはあまり美味しくなかった。僕の舌のせいだけでなく、先輩も同じ感想だったので、たぶん大して美味しくもないのだろう。「なぜこの店がこんなにも人気なのか」。接客の愛想は良かった。途中で材料を実際に持って見せながら「特別メニュー」みたいなのを紹介してくれる感じもよかった。そういうのがウケているのかもしれない。メニューも豊富だしね。
まぁ、料理の愚痴は別にこの際どうでもいい。ただ、僕たちは今日のフェスの感想を言い合い、それからまた日々の憂さについて議論を交わし、どのように生きていくべきかということを語り合った。そういう年齢だし、そういう状況だし。けれど、そんな先輩も、今日という日に沢山の音楽を楽しんでくれて何よりだった。
取り立てて音楽について語りたいとか、時雨のこれこれこういうところが好きなんだ、とかそういうことは今日はあまり喋らないでおく。ただ、あまりに素敵な1日だったのでただの歳月とともに薄れていく記憶というものに留めるのではなく、こうして文章にして残しておきたかったから日記にした。誰に宛てるためでもなく、ただずっと未来に暮らしている自分がふと今日のことを思い出したときのために。
でも、誰かがこの日記を読んで、似たような感情を共有してくれたらそれに勝る幸福はないだろう。