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バズマザーズ「恋のデーデン」レビュー ~「デーデン」と言ったらこの曲だよね~

バズマザーズ 5thアルバム<ムスカイボリタンテス>

「恋のデーデン」のレビューをさせていただきます。

 

こちらの楽曲、楽曲の中ではコミックソング的な立ち位置となっております。バズマザーズコミックソングと言えば、私は1stの「さよなら三角またきて四角」とか大好きですね。しかし、バズマザーズの場合、「コミックソングはボーナストラックはアルバムの最後に」という傾向が強いですが、この曲はアルバムの中間に配置されています。それはこの楽曲のクオリティが自らがボーナストラックの位置で留まることを許さなかったからだと思います。

さらっと引いているので軽視してしまいそうになりますが、ギターリフはかなりの早業。フレーズを弾くギターは山田亮一さんらしいピロピロ系の音ですが、コードを弾くギターはシンプルな歪でバズマザーズを知らない人にも耳馴染の良い音です。グルーヴもバズマザーズにしてはわかりやすくぴったりと。音的には「これぞバズマザーズ!」という感じは抑えめで、複雑さはとりあえず置いておいて、とりあえずノれる曲になっていますね!

怪しげで楽しげな全音符で構成されたイントロ。繰り返されるリフとコード進行。サビ前のバスドラで描くピンスポっと感。「デーデン」という掛け声。山田亮一さんの歌い方も粘っこく、がなりもあり、「ロックやってるぜ」という感じです。間奏のギターソロもシンプルながらかっちょいいです。などと、細かいテクニックが散りばめているのはさすがと言ったところです。

 

さて、ここからは歌詞の解釈になります!

まずは「恋のデーデン」という曲名について。「デーデン」と聞いて、皆さんは何を思い浮かべますか? 「デーデン、、デーデン、、デーデンデーデンデーデンデーデン……」と言葉で書いただけで伝わるかはあれですが、きっとスピルバーグ監督の「ジョーズ」を思い出すはずです。本当に「デーデン」が「ジョーズ」を指し示しているのかは、次の歌詞を読んでいただければ一発でわかります。

 

 恋が(デーデン)忍び寄る(デーデン)
化け鮫のテーマに乗って

 「化け鮫=ジョーズですよね。「デーデン」という「ジョーズ」のメインテーマは、ジョン・ウィリアムズさんが作曲されたようです。言わずと知れた名曲で、映画音楽の重要性が語られるテレビ番組などで何かと持ち上げられている印象が強いです。ちなみに、ジョン・ウィリアムズさんは「ハリー・ポッター」シリーズの音楽も手掛けられているそうです。ほかにも、「A.I.」(これ、ほんとうに泣いちゃいます。この映画もスピルバーグ監督が手掛けていますが、もともとキューブリックが手掛ける予定だったとか。この機会に調べてみて初めて知りましたが、何かこの映画のすごさを改めて感じました)、や私が好きなレオナルド・ディカプリオが主演の「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」など様々な映画音楽を手掛けているそうですね。話が逸れてしまいましたが、ジョン・ウィリアムズさん、すごい人!

さて、そんな映画音楽界の巨匠が作ったジョーズのメインテーマに乗って、まさに「忍び寄る」という感じで「恋」が近づいて来る。そんなユーモアあふれる比喩から始まるこの楽曲であります。

 

 弱い弱い(デーデン)オイラを(デーデン)
立ち所に丸飲みしちゃうよ

 1つ前で説明し忘れてましたが、「デーデン」というところは全員での合いの手になっています。合いの手が入ってる曲って、わりと好きです。作曲者側の「楽しませよう」という芸術家としてではなくエンターテイナーとしての一面が見えるところが、嬉しくなるポイントですよね!

「恋=化け鮫」と捉えて、恋愛体質の「オイラ」は「恋」に「丸飲み」にされてしまいます。ただ、ここで言う恋愛体質は湿っぽいものではなく、どちらかと言えばより淫らな性衝動に近いものがありますね。それはサビの歌詞を読めば一発でわかるかと笑。

 

 もしや(デーデン)脳内の(デーデン)
これ、喰われるフラグじゃなくて
キッチュな(デーデン)あの娘に(デーデン)
鮫の如く忍び寄れって

啓示のデーデン?そうゆうデーデン?

 そして、そんな性衝動に取りつかれた「オイラ」は大発見をします。「脳内で巡るこの化け鮫のテーマは、忍び寄ってきた恋にオイラが喰われてしまうというフラグではなくて……もしや、キッチュなあの娘にあの化け鮫の如く忍び寄れっていう啓示ではないか!そうゆうことじゃん!?」と、勝手な解釈のオンパレードとなっています。

ちなみに、「キッチュ」という言葉の意味は、ドイツ語で「俗悪的なもの」ということですが、もっとわかりやすく言えば「ケバケバしい」とか「え、どういうセンス?」的な感じのことを言うそうです。私、この言葉はよく知りませんでした。まぁ、要するに、「オイラ」が忍び寄る相手のあの娘は、決して可憐な乙女ではないということですね。およそ、テキトーな合コンかそんな感じのところで出会った相手なんでしょうね笑

あと、申し訳ないことに、歌詞のまとまりの都合で楽曲では次の4小節に含まれる「啓示の~」をこちらに入れてしまいましたのであしからず。

 

ビジョンけちょんけちょんになったって
恋してる上に酩酊してるし、
ちと痒いが痛くはないね

そして、そんな「キッチュ」なあの娘にさえ、恋の性衝動を強く感じている今の「オイラ」はどういう状態なのかと言えば、「これは恋だ」という自己暗示と、どこまでもはっきりとした「酩酊状態」のおかげで「ビジョン=視界、価値観」すら「けちょんけちょん」になっている感じなわけですね。

「痒いところに手が届く」ような女ではないが、まぁ「痛々しくはない」といった感じ。お笑いコンビ・相席スタートの山崎ケイさんが言うところの「振ってまう球」というやつでしょうか。「俺の持論」というハライチの澤辺さん司会の番組で、持論を紹介した山崎ケイさん自身は「ブスだからこそ、痒いところに手が届く、気配りのできる女」を目指すことを推奨していましたが、まぁ、この曲の女に限って言えばそういう気配りもないんでしょう。

 

 卑猥目合痛い位に愛撫を
体面、気丈、政情に荒廃
退屈凌ぐにゃ恋しかないよ
baby俺と一緒に不幸になろうよ

 「あいあいやいやいあいあいやぁ♪」みたいな感じに聴こえるようなサビです。が、実際には「卑猥(ひわい)」・「目合い(まぐわい)」・「痛い(いたい)」・「位(くらい)に」・「愛撫(あいぶ)」となっています。

・体面(=体裁や面目という意味)⇒対面座位

・気丈(=心が強く、気持ちが折れないという意味)⇒騎乗位

・政情(=政治の動向という意味)⇒正常位

・荒廃(=荒れ果て、荒れすさむという意味)⇒後背位(バック)

と、さらに性交における体位が羅列されています。このサビでは、ここまで、とにかく乱れまくっている「オイラ」と「キッチュなあの娘」の姿が荒々しく箇条書き的に描写されています。メロディのスピード感と、ロックンロールな歌い方に後押しされて、字面ほどの淫靡な感じはありません。ただそこにあるのは、狂騒のみ。地下のライブハウスみたいな盛り上がりを感じます。

そして、「退屈凌ぐにゃ恋しかないよ。baby俺と一緒に不幸になろうよ」と女に対してとも、自分に対してとも取れないような「言い訳」をして、その狂騒の中へと沈んでいきます。

そう考えると、体位の羅列に過ぎなかった上の歌詞も、もともとの「体裁」・「気丈」・「政治」・「荒廃」というそれぞれの言葉の意味さえ、「うるせぇ!そんな細かいことどうでも良いから、さっさと性衝動に身を預けちまおうぜ!」といった感じに聞こえてきますね。無理やり文章化すれば、「体裁を気にして、政治について語っているが、そういうのどうでもいいわ。気丈に振る舞ってなんかいないで、さっさと荒れすさんでしまおうぜ」といった感じになりましょうか。この辺りのまとめ方は各々好きなように感じてみてください。俳句や短歌の表現方法が、言葉の関係性をふわりと宙に浮かすことにあるように、ここもそういった趣が強いと思います。

 

 夾竹桃、香って候。得も云われぬこのトキメキ
嗚呼、どれ程恋は詩人の筆を駄目にして来たんだろう

 まずは、夾竹桃のビジュアルイメージを。

https://rr.img.naver.jp/mig?src=http%3A%2F%2Flink.photo.pchome.com.tw%2Fs08%2Fslinwang%2F57%2F123010210872%2F&twidth=1000&theight=0&qlt=80&res_format=jpg&op=r

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植物にはあまり詳しくないので、いつものようにGoogle先生で調べてみました。簡単にこの夾竹桃という植物の特徴をまとめると、「病気や害虫、そして排気ガスのような公害物質にも強く育てやすい。が、毒がある」ということだそうです。毒があっても、綺麗な花をつけますし、育てやすいことから一般的に広く庭などに植えられているそうです。山田亮一さんがどれだけ植物に詳しいかは謎ですが、不思議と「キッチュなあの子」のイメージとも合致していますね(やや夾竹桃の方が可憐な気もしますが笑)。

そんなほとんど価値がないような恋にも関わらず、それでも詩人の筆を駄目にするくらいの効能は持っている。これもまた上述の「夾竹桃」のイメージと合致していますね。チープな植物だけれど、綺麗で美しくはある。でも、毒もある。それは恋とて同じことではないか。そんなところでしょう。

 

 恋が(デーデン)忍び寄る(デーデン)
化け鮫のテーマに乗って
何も知らない赤ずきんちゃん、
狼とイケナイ恋をしようよ

上2行分は、既に説明済みですね。

下の2行についても特に説明は不要です。赤ずきんは「騙されやすい娘」の象徴ですし、狼は「口が上手く、強欲な存在」の象徴と言えます。そんな童謡「赤ずきんちゃん」をなぞらえた比喩ですが、いつの間にか「鮫」の話だったのに、「狼」の話になってしまっていますね笑。

ちなみに、「何も知らない赤ずきんちゃん♪」のところでは、まさに「ジョーズのメインテーマ」のような感じで「デーデン」が繰り返される合唱が背後で広がっています。そんな、ちょっとしたユーモアがまた憎らしいですね。

最後に、またサビの「卑猥~不幸になろうよ」があって、ギターリフ⇒イントロという感じで終わります。

 

この楽曲の歌詞の世界観で好きなところは、最後「一緒に不幸になろうよ」で終わっているところですね。化け鮫のテーマに唆されて性衝動に身を任せる「オイラ」ですが、その行為が「幸福」に繋がらないということは重々承知しているわけですね。それでもやめられない、止まらない。そして、どうしてそんな性衝動に身を任せてしまうのか。もちろん化け鮫のテーマに唆されたからですが、それ以前の土台としてあるのが「退屈」。結局、「退屈を凌ぐ」ために「オイラ」も「キッチュなあの娘」も恋をしているわけです。

斜に構えた態度だ、と批判を喰らってしまいそうな気もしますが、世の中にはどうも一般的な「幸福」に執着できない人間もいるわけです。立派な職業、温かい家庭、刺激的な交友関係。それらを所有するために、いったいどれくらいの努力が必要なのか。無意識にそれができてしまう人や、意識的であるにせよそれらのことに前向きに取り組める人は良いです。しかし、中にはそういったことを「面倒くさい」と感じてしまう人も一定数いると思うんですよね。そういう人が、「それじゃあ、どうやって生きていくの?」と問われると困ったことになります。なぜなら、一般的な幸福から退いた上で、確固たる自分らしさで生きている人は少ないからです。私も日々、そういった面倒くさいことから逃げ、かといって自分らしく生きているわけではありません。だから、私の生活に残ったのは結局のところ「退屈さ」だけなんですよね。だから、そんな残された「退屈」を凌ぐために、テキトーに適当な恋でもしようじゃないか、という「オイラ」のことを私は好きになってしまう訳ですね。無論、「恋もいいかもしれない」などと思いつつも、私には「恋」なんて難し過ぎて、優しく美しいアイドルに疑似恋愛をしているわけですが笑。

という感じで、いつものように私自身の勝手な想いも最後に挿入したところで、今回の「恋のデーデン」のレビューを終わりたいと思います。曲がユーモアに富みながらも比較的シンプルだったこともあって、いつもよりややすっきりと書ききることができたと思います。これからもこれを続けられるように努力したいと思います……が、次にレビューする曲は「Goodbye my JAM」です。このアルバムでたぶん一番好きな曲です。きっと熱が籠ってしまうだろうな~。

 

最後に…

「変身」のレビューでも言ったかと思いますが、表題曲の「ムスカイボリタンテス」のレビューはしない予定です。曲の性質上、各々が思い々いの「友達のいない少年」と「ホームレスの絵描き(それとも、絵描きのホームレス?)」との邂逅を楽しめばいいと思うので。

なので、曲順的には一曲飛ばして、次が「Goobye my JAM」になります。まぁ、曲順で言ったら、最初に「仮想現実のマリア」のレビューをしてる時点で間違っているんですけどね笑。

では、せっかくの平日休みですが、これから昇進試験の面接練習を先輩社員としてきます~。あぁ、嫌だ嫌だ。退屈な人生で十分なのに、なんで昇進試験なんて受けなきゃいけないんでしょう。全員半強制的に受験させるなら、そんな試験なんて設けずに最初っから昇進させとけばいいのに。世の中には意味のわからない暗黙のルールがたくさんありますね。