世には素晴らしい「Juice=Juice礼賛コンテンツ」が沢山あり、私の入り込む余地はなさそうなので、松永里愛一点突破で記事を書きたいと思います。

松永里愛ちゃんと言えば、「盛れミ」の落ちサビを担当している何かちょっと気になる感じの子。私の推しではありますが、刺さるか刺さらないかはあなた次第。
というのも、他のJuice=Juiceメンバーやひいてはハロプロメンバーと比べると、ちょっとクールな印象のある子なのではないでしょうか。なので、アイドルに額面通りの可愛さや、明るさ、元気の良さなどそういった「陽」の要素を求める方からすると、いまいち掴みどころがないという感じかもしれません。
パフォーマンスに関しても、どちらかと言えば優等生タイプ。上記の「盛れミ」の落ちサビのエネルギーや音ハメも素晴らしいけれど、何か気持ちを乗せることすら上手過ぎて「癖」を見つけにくい。それは推しが里愛ちゃんである私も感じてはいます。色々な人のリアクション動画を見ても、「里愛ちゃんはやっぱり凄いなぁ」的な、どこか一歩引いた語られ方をしているように思います。「里愛ちゃんのパフォーマンス、たまんなく好き。癖にぶっ刺さる」的な言葉を言ってくれる人はあまり見かけません。
が、もちろん探せばそんな人は沢山おりまして。そして、そう感じてる大多数が深い沼に落ち込んでいるように見受けられるのです。では、そんな松永里愛に沼る人は、彼女のどんなところに沼っているのか。それを語りたいと思います。
まず、沼り初めの一要因として、彼女の「豪胆さ」が上げられると思うのです。里愛ちゃんは「緊張しない」と公言しており、加入当初からとんでもない肝の座り方を見せています。

Crazy完全なソルジャーズであるオリメンがステージ前方を見据える中で、加入半年で余裕のカメラ目線。octopic!@国立代々木競技場第一体育館における初披露の「プラトニック・プラネット」での1シーンです。当時14歳で、今の林仁愛ちゃんと同い年です。でも、よくよく考えてみると仁愛ちゃんもなかなかの肝の座り方をしてますよね。そういう意味では、仁愛ちゃんにも絶賛惚れ惚れ中です。
1つ年上で同期の工藤由愛ちゃんがどちらかと言えば、いっぱいいっぱいになりやすいタイプだったので、そこと対照的だったのが印象に残っていますね。緊張しいの子が頑張っているのも応援したくなるものですが、それなりに長くハロヲタをやっていると、ステージで腰が引けない子というのはそれだけで安心して推すことができます。
ハロヲタにありがちなのが、「成長を楽しむ」という応援スタイルです。そういう人々からするとステージに対して貪欲で、勝気なメンタルを持っている子は「成長が確約されている」ように感じるので、それだけ安心感が生まれるわけですね。青田買いで狙い目の人材って感じですかね。
もちろん「どうなっちゃうんだろう…」みたいな子が少しずつ力をつけて来るのをハラハラ見守るのも1つの楽しみ方ではあります。例えば、石山咲良ちゃんはあまり歌に自信がない感じの子でしたが、最近メキメキと地力をつけて来て、初期からさくらちを推していた方は今頃楽しくて堪らないでしょうね。
私なんかは里愛ちゃんを青田買い応援させていただいた身ですが、松永里愛というパフォーマーへの信頼は年々高まるばかりです。特にここ数年は、ずっと苦しんでいた変声期を乗り越えて、そのスキルは限界ギリギリまで洗練されていっています。ただ上手いだけでなく、熱量を感じさせる歌い方も抜群に上達し、これまで彼女を「クールだな」と遠巻きに眺めていた層にも突き刺さり始めてるのを見てほくそ笑んでいます。

そして、そんな「豪胆さ」という1つの素養に加えて、またハロヲタが大好きなのが「リズム感」です。特に、元モーニング娘。の佐藤優樹(まーちゃん)を通って来たハロヲタにとっては、里愛ちゃんの「リズム感」は天才のそれであることが一目でわかるようになっています。「まーちゃんと似ている」と言われることが多い里愛ちゃんですが、その「リズム感」はむしろ「リズム欲」のようにも思えます。つまり、「リズムを感じたい」「リズムを表現したい」みたいな気持ちがパフォーマンスに現れるのです。
そんな「リズム欲」の天才たちが共演しています。モーニング娘。の楽曲の中でも、とにかくリズムの切れが良いこの楽曲で、里愛ちゃんのリズム感の良さがいかんなく発揮されています。
里愛ちゃんは本当にオケをよく聴いているので、主旋律を歌いながら、主旋律とは違うリズムのオケに合わせて音ハメができちゃいます。多分ドラムを叩きながら歌えるタイプの人種です。武道館公演の「盛れミ」の落ちサビも見たでしょう。
あなたーを(バン!)すきーで(バン!)いさーせてー
メロディーのアクセントを埋めるように、オケのキメが入るのですが、そこに合わせてしっかりと音ハメを入れ込んでいます。この音楽力の高さがまた信頼のおけるポイントなんです。ちゃんと音楽が好きで、音楽にのめり込んでいることが伝わってくる。それが良いんです。
例えば、歌が上手いということで言えば、段原瑠々さんや井上玲音さん(れいるる)もまた超絶ディーバではあります。2人とも歌声の響かせ方やメロディの解釈の仕方とかが一級品で、「ハロプロで歌が上手い人は誰?」となったら、この2人はトップ3に入って来るでしょう。里愛ちゃんもそこに名を連ねるところまで来ていそうですが、個人的にはこの2人と里愛ちゃんの特性はまたちょっと違っていると思っていて。
れいるるはどちらかと言うと、王道J-POPな感じなんですよね。アニソン的と言ってもいいかもしれません。LiSAさんとかそういう「ザ・歌が上手い人」という感じです。ただ、私が里愛ちゃんに感じるのは久保田利伸さんのような「音楽フリーク」的な歌うま感なんです。VULFPECKやペトロールズのような音楽好きがみんな虜になるような、そういう上手さ、エモさ。King GnuよりはMILLENNIUM PARADEみたいな。
そういう音楽的なフリークさを松永里愛の「リズム感」や「音ハメ」からは感じるわけです。「コイツ、めっちゃ音楽好っきゃな」ってのが伝わってくるんです。そういうブログも沢山書いていますが、とりあえずは直近のブログから。
冒頭に記載されている通りですが、鬼のように長いです。「四の五の言わず颯と別れてあげた」の好きなところがこれでもかと書かれていて、見様によっては作曲家のKOUGAさんへのラブレターのようにさえ見えます。
音楽好きで言えば、有澤一華さんも負けず劣らずというところ。特に彼女に関しては、ガチのバイオリニストですし、ピアノやドラムまで演奏できてしまうほど。絶対音感があり、本物の音楽の素養があります。それと比べると、里愛ちゃんは「野良」の音楽フリーク。それでもこの2人が音楽について語り合っている様子は、いつだって対等でそれは一重に音楽愛という共通の土壌があるからにほかなりません。
ここまで松永里愛というお人のパフォーマーとしてのカッコ良さを取り上げてきました。「メロい」なんて言葉がよく使われていますが、ここまでの2要素がパフォーマンスに滲み出たとき、そこにはある種の「メロさ」が生まれます。「嗚呼、里愛様!」と平伏したくなる感じが出ますよね。
でも、もう一歩深く沼に入り込むためには、やはり彼女の破天荒さやギャル味を知る必要があるでしょう。

こういう可愛げもあるのが彼女の魅力。

楽しそうで可愛いですね。
れいるるの歌を聴いて、楽しくなっちゃう里愛ちゃんもまた良きです。が、加入してまだ最年少の頃は、よく破天荒な振る舞いをしてお姉さん方に甘えてもいました。

この頃のリミスタは名作が多いですね。上記のVS金澤朋子さんも面白いですし、VS稲場愛香さんもとても面白いものでした。今ではどちらかと言えば、気の良いお姉さんという感じで、年下の子たちを盛り立ててあげるような優しさを感じることが多いです。が、その根っこには、たまにこの狂気が見え隠れしており、またお姉さん方に全力で甘えに行く姿を見てみたくなります。
パフォーマンス的には優等生な里愛ちゃんですが、どちらかと言えば、ふざけていたいタイプなのかな。ええ、もちろんそういう側面もあります。でも、松永里愛の1番の沼ポイントは、その愚直なまでの熱い「生き様」にあります。「性格」というような生温いものではなく、松永里愛の本質は「生き様」。結局のところ、ここに惚れているし、「一生ついていきたい」と思い、頼りにしているところでもあるのです。
元モーニング娘。の生田衣梨奈さんにバラされていましたが、リハーサルに1番最初に来て練習しているのが松永里愛ちゃん。そして、本当の集合時間には、なんかちょっとだけ遅れて来る、みたいな感じらしいです。他にも、バースデーイベントの練習を1ヵ月以上も前からスタジオに籠って行い、その様子を℃-uteの鈴木愛理さんにバラされてもいました。
そんな2025年の二十歳のバーイベでは、イベントをほぼほぼライブコーナーで埋めたうえに、第1部と2部ではセトリを全曲変えて行っていました(一般的には、軽い企画を交えて、曲数は絞りつつ、その中でも1部と2部で数曲変えるくらい)。2024年に至っては、東京公演と大阪公演の計4公演で、60曲あまりを披露してもいます。とにかく沢山の曲にチャレンジすることが目標だったそうです。対して、2025年はより完成度を磨く方にシフトし、お世話になっているプロデューサーやディレクター、ボイストレーナーの方々から課題曲を付与してもらい、それに取り組むというストイックっぷり。
とにかく向上心の塊で、常に自分の限界を突破していこうという気概が見えるのです。
と、同時に彼女はJuice=Juiceというグループに対する愛情が人一倍大きく、ライブMCでは常に「もっと素敵な景色をJuice=Juiceに(意訳)」というようなことを言っています。植村あかりさんの卒業コンサートでは、「コロナ禍でライブの楽しみ方がわからなくなってしまったけれど、今はこうやって歓声も沢山聞けて嬉しい(意訳)」とライブに対する強い想いを明かしていたり、それに続けて、「私にはJuice=Juiceしかない。どうやったらJuice=Juiceに恩返しできるのかと不安になることもある(意訳)」と少し心配になるくらい人生をJuice=Juiceに全ベットしていたりする姿を見せていました。

これだけストイックなお人であるにもかかわらず、ブログは2~3日に1回程度の頻度で頑張り過ぎていないし、内容もざっくばらんなことが多く、バランスの良さを感じます。上述したバーイベ2025のブログは下記の通り、「伝えたいことは全部伝えた」と熱い内容でありながらも非常にシンプルでした。
こういった飄々と生きているようで、常にパフォーマンスには全身全霊を賭けているという「生き様」に我々はどうしようもなく沼っていくのです。
しかしながら、松永里愛の本当の魅力はまた少し別のところにあるのではないかと最近考えたりしています。彼女には、読書家な一面もあり、自然が大好きだったり、感性の赴くままに行動したり、天才肌な一面があり、そういったところも魅力の1つです。そして、生活感みたいなものを感じさせることが乏しく、どこか浮世離れしていて、超越的な存在のように思えます。
普通のアイドルはステージに上がることで、その存在が神格化されるように思います。対して、ステージでの姿が神様のようであることは里愛ちゃんも同じではあるのですが、むしろ松永里愛というお人は、パフォーマンスするためにステージへと降り立ち、それによって我々愚民どもに目線を合わせてくれているような気さえすることがあります。それくらい普段の振る舞いというのが掴みどころがなく、ある種「仙人」のようにさえ思えるのです。
パフォーマンスにはその人の人となりが現れます。工藤由愛ちゃんであれば、ひた向きさ、一生懸命さ、純真な心といったものがパフォーマンスに透けて見えます。松永里愛ちゃんからは、真面目さや熱い想いというのを感じますが、それは氷山の一角でありその背後には巨大な未踏の神域があるのではないかと思っています。表面だけ見れば、「豪胆さ」「リズム感」「ギャル味」「熱量」といった要素になるのですけれど、その水面下には掴み切れない何かがあるような気がするのです。
それが最初言った「クールに見られがち」というところに繋がって来るのではないでしょうか。ヲタなら上述の里愛ちゃんの飛びっきりの熱さはだいたい知っています。色々なエピソードを聞いていますし、様々な場面で涙を流す姿を見てきました。それなのに、里愛ちゃんパフォーマンスよりも、瑠々ちゃんや由愛ちゃんのパフォーマンスの方に熱量を感じてしまう。これは単に見せ方云々の問題ではないように思うのです。
瑠々ちゃんや由愛ちゃんは、自分の持てるパワーの全てが、いま目の前のパフォーマンスに炸裂している感じがあります。彼女たちが思う世界観が全て曝け出されているような感じです。でも、里愛ちゃんはどれだけ里愛ちゃんが熱のこもったパフォーマンスをしていても、我々が知覚できない領域に松永里愛ワールドが広がっていることを予見させるのです。
それは例えるなら、数学や物理に秀でた天才学者が、実生活でのコミュニケーションに苦労しているようなもので、里愛ちゃんもまた表現したいものが沢山あるにもかかわらず、表現の手段が歌とダンスしかないことに悶え苦しんでいるように思えるのです。それでも訓練により、歌とダンスでかなりのところまでは表現ができるようになりました。が、それでもまだ松永里愛という存在が抱える「表現すべき事象」は広過ぎて、大き過ぎて、我々からすると「まだ何か隠し持っているんじゃないか」という見方をしてしまう一因になっているように思うのです。
ただし、これは逆に考えれば、里愛ちゃんの持つ世界のサイズが大きいことを示しています。私たちは里愛ちゃんを見て「クールだな」と感じるのではなく、「まだ先がある」と可能性を感じ、期待感を覚えるべきなのです。これだけ上手く歌い、踊れるのに、まだ何かを隠し持っているのか。その圧倒的な世界のサイズをもっと知りたい。究極的には、そういった感覚が我々を松永里愛沼に深く深く引き込んでいるのではないでしょうか。
可能性は無限大。そんな言葉をよく耳にしますが、普通の人は階段を一段ずつ登っていくことで、段々と高みへと成長していくものです。でも、里愛ちゃんはなんか違う。あらかじめ天の高いところからロープが垂れていて、むしろ天の方を引き摺り寄せていくみたいな感じ。
「豪胆さ」「リズム感」「ギャル味」「熱量」のどれもが沼るポイントであり、今も変わらず好きなポイントではあります。ですが、「じゃあ、結局のところ里愛ちゃんでなきゃダメな理由は何なの?」と問われると、「なんか世界のサイズが圧倒的なの!」としか言えなくなります。「ロープで天の方を引き摺り降ろしてく感じなの!」としか言えなくなります。「よくわからん」と言われてしまえば、「まぁ、あれだけ上手いし熱量も出せるのに、どこかクールなんだよね」と返すしかありません。
「クールなのが好きなんだ」
「ち!が!う! だから、世界のサイズが圧倒的過ぎるんだって!」
はい。終わりません。
***2026.1.20追記***
シャワーを浴びながら、松永里愛というお人のことをまた考えていました。里愛ちゃんは思うに、長さ30mくらいの壁画を描けてしまう人なんですよね。ただ、ステージでその30mの壁画を見せるということは、言ってしまえばA4サイズだけ切り抜くみたいなもので。A4サイズに再編集する力もありはするのですが、私はどちらかと言えば、30mの壁画をそのままA4サイズに切り抜いているイメージを推奨したいです。
我々ヲタクは超大作のうちの切り抜かれたA4サイズだけを見ているので、なかなか全容が掴めず、「うん、確かに凄い感じはするけど、これはいったい何なんだろう?」と元々の全体像を推測することしかできません。でも、その推測が楽しいのです。里愛ちゃんがどのようなイメージを楽曲に抱いているのか。そのイメージのサイズの大きさをA4サイズから妄想することがヲタクに与えられた自由なのです。
ほかのメンバーで言えば、宮本佳林ちゃんは120色の色鉛筆を使って、常人には理解できないほどの高精細・高解像度の作品を作り上げる天才。鞘師里保ちゃんは、黒墨1色だけれど、大胆な筆遣いで気迫の籠った1品を突き付けてきます。佐藤優樹ちゃんはたった5色でも、ビビッドかつアバンギャルドな色使い・構図ではっとさせる絵を描けます。
里愛ちゃんはイメージのサイズがデカすぎるという話をしましたが、それをステージサイズ(いわばA4サイズ)に再構築するだけの技術がまだ未熟と言えるかもしれません。いや、技術は最高峰なのですが、イメージがデカすぎるんですよ。だから、どこか出力が噛み合っていない印象を与えるというか。里愛ちゃんのパフォーマンスを見て、冷静に「すげぇ」と感じる部分がありながらも、「もっとできそうなんだよな」と感じる人もままいるのではないでしょうか。
先日のQueen of Heartsの武道館公演では、「Vivid Midnight」をソロで披露していましたが、この曲はそこまで楽曲のイメージが大きく膨張していかない感じです。なので、比較的に里愛ちゃんの高い技術レベルと楽曲のイメージサイズの乖離が少ない印象でした。里愛ちゃんの描く「Vivid Midnight」が割とそのまま出力できていたので、見ている側も捉えやすく、多くの人が満足度高く楽しめたんじゃないでしょうか。
対して、Crimson×Azureの武道館公演で披露された「Mon Amour」では1番サビのラストを1フレーズだけ任されています。この1フレーズに里愛ちゃんはめちゃくちゃ体重を乗っけています。極限まで密度を高めて、30mの壁画をA4サイズの紙面に収めようとしています。それは半ば成功していますが、おそらく里愛ちゃんの中では、まだまだもっと紙面に収まり切らないイメージが膨れ上がっていたのではないでしょうか。そして、里愛ちゃん推しのヲタクは、その収まり切らなさを感じて、「きゃああ!」と悶えているはずです。
同じグループで比較をすると、その点、段原瑠々ちゃんは異次元の強さですね。そもそもがA0サイズくらいのキャンバスを持っている人です。そして、そこに多彩かつ高品質の技術を持って、イメージした世界をそっくりそのまま映し描けるタイプだと思います。いかなる場合でも抱えているイメージと技術の間に乖離が少ないので、我々はいとも簡単に心を打たれ、感心してしまいます。やっぱり段原瑠々は強い、と。
だから、これは「癖」なのです。私はイメージのサイズとキャンバスのサイズに乖離があることに、妄想を掻き立てられてグッときます。里愛ちゃんの底知れなさが好きです。いつか里愛ちゃんが描く「ゲルニカ」のような超大作を心行くまで楽しみたいものです。
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最後の方は書きながら初めてちゃんと考えたので、結構ボロボロの文章になっていると思われます。が、何につけても私は書きながら考えることが好きなので、これを辞めるつもりはないんですね。そして、書きながら考えることで、より対象を深く理解でき、より自分の中に強く刻み込み、また愛を深めるわけです。
そんな私と里愛ちゃんの一方通行的ランデブーはお見苦しかったでしょうが、最近は「盛れミ」でハッピーな毎日が続いているかと思いますので、「盛れミ」に免じてどうかご容赦くださいませ。
別れ話ではないにせよ、めちゃくちゃにして話すことができ、感無量でした。それでは今日も最後に寝酒ならぬ寝アモをかまして大殿籠らせていただきます。盛れすみなさいませ。