霏々

音楽や小説など

果知

 私が彼から連絡を貰ったのは随分と久しぶりのことでした。彼は私の七つ年下で、母の妹の息子、すなわち従兄弟にあたります。私が大学入学の年に彼は小学六年生でしたから、だいぶ年が離れていると言えるでしょう。しかしながら、昔から彼は私のことを気に入っているようで、何かとよく話しかけてきたものです。

 琳太郎というのが彼の名前です。クリスマスシーズンの鈴の音が聞こえる時期に生まれた彼らしい名前と言えますが、どうやら名づけ主の叔母は音の響きと字画で彼の名を決めたそうです。まぁ、それも良いでしょう。琳太郎も素っ気ない自分の苗字に対して、画数だけ見れば立派な自分の名前を気に入っているようでした。

 ちなみに私は別に姓名判断を生業としているわけでもないですし、数多ある日本の人名を研究するような、そんな特異な学者というわけでもありません。ただ職業柄、私は多くの名前に触れ、そしてある場合には名前から相手を値踏みすることもままあります。名は体を表すとまでは言わないものの、自分の子供に対してどのような名前を付けるのかという情報は、その子の家庭状況を推測する上で割と重要なものになってきます。そんな私の推測は当たったり外れたりなので何も信憑性はないのですが。

 その他にも、外見、人相のようなものも参考にします。琳太郎を例に取れば、彼は鼻筋がやや丸く柔和な雰囲気を持ちながらも、一重瞼がすっきりとした目元を表しており、がっちりとした体格の割には声が高いという感じです。こうした具体的な特徴と一対一で対応しているわけではありませんが、彼の全体の雰囲気からは明るさや礼儀正しさを持ちながらも、どこか偏狭な価値観の持ち主であることを私に感じさせます。「琳」という字の繊細なイメージと「太郎」という字の実直さを体現していると言えば体現していると言えるかもしれません。

 私は私立女子学校の理科教師を生業としています。したがって、毎年何百人という生徒の名前を覚え、何となくの個々人の学力や性格を知っておく必要があります。自分の担当クラスに関しては、生徒だけでなくその家庭事情などもおおよそ把握しておく必要もあります。そういうわけで名前と人相から、ある程度の情報を仮定であっても良いのでイメージする力が求められるのです。たとえそのイメージが間違っていてもそれは新たな情報が開示されたタイミングで修正をかければ特に問題ありません。一番の問題は生徒に対して何もイメージを持たずに、ただ無視をしてしまうことです。これまでの教師生活の中でそういったことを学んだわけですが、それでも上手く行くこともあれば上手く行かないこともあり、普通の一般的な人生を私もまた歩んでいると自認しています。

 冬に差し掛かる良く晴れた日の午後、私は駅の改札の外で琳太郎を待っていました。久しぶりに琳太郎から連絡を貰い、色々とやり取りをした結果、私は週に二日だけ与えられた休日のうちの片方を彼のために使うことに決めました。もはや生来の特質なのか、職業上の癖なのかはわかりませんが、他人の悩みに付き合うのが私の趣味なのです。なので、私は彼に恩を売りたいわけでも、身内の誼で何らかの義務感に突き動かされてこうして家から出てきたわけではないのです。琳太郎に対しては「休日だからってどうせやることなんてないんだ。たまにはいつもと違う休日を過ごしたいだけ」とそれっぽく伝えていますが、こういった物言いをすることが社会における礼儀を達成するということになるそうです。

 職場には至る所に時計がありますし、だいたいスマートフォン一台あれば腕時計なんて必要ありません。何かに縛られるというのが私は好きじゃありません。しかし、こうして誰かを待っているときに、改札の上から吊り下げられた時計を見上げるというのはなかなか面白味に欠ける気がします。古いトレンディドラマかなんかの影響かもわかりませんが、待ち合わせのシーンにはやはり腕時計があった方が良いのかもしれません。そんなことを考えている間に足元から地鳴りが響いてきました。琳太郎の乗る列車が到着したようです。

「秀介兄さん、待たせてごめんね」琳太郎は改札を抜けると小走りでこちらに駆け寄って来た。

「待ってないさ。時間通りだもの。それよりもちゃんと会うのはかなり久しぶりだな」

「じいちゃんが介護施設入ってから、じいちゃん家で会うこともなくなったからね。全然会ってなかったのに急に連絡してごめん」

「いや、おれは基本暇だからいつ連絡くれても構わないよ。それよりも単刀直入に聞くが体調はどうだ?」

「そうだね。まぁ、だいぶ落ち着いたという気はする。でも、仕事のことを考えるとダメだね。こういうのをトラウマって言うのかな」

「トラウマとは違うかもな。頭痛とか明確な症状が出てるんだろ? おれも専門家じゃないから詳しくは知らないけど、こういうのはちゃんとした静養と治療が必要だそうじゃないか。琳太郎は子供と一緒にされたくないだろうけど、おれもさ不登校とかイジメとか、まぁ、そういうのと関わってはいるからさ」

「そっか。秀介兄さんも大変だな」

「まぁ、立ち話もなんだ。飯でも食おう」

 それから私たちは高架化された駅のコンコースを降り、たまの贅沢でよく行くハンバーグ専門店に向かいました。よく食べる琳太郎でも満足できるボリューム感ですし、それなりの値段なので行列ができることも無く、食後のコーヒーを飲みながら時間を潰すこともできます。まぁ、私一人で行くときにはさくっと食べて、さっさと帰ってしまうのですが。

 リフォームで綺麗になった駅を離れるとすぐに駅前商店街の通りが始まります。車一台が通り抜けられるほどの幅がある道の両側に、不動産屋や花屋、弁当屋などが立ち並び、それぞれに活気づいています。照り返すレンガ色の道。日曜の日中は歩行者天国になっていることもあり、人々の陽気な顔が溢れていました。そういった光景というか空気感のようなものは弱った琳太郎にとっては若干良くない刺激だったかもしれません。琳太郎は少し疲れた表情で私の斜め後ろをついてきましたが、通りの喧騒に負けて会話をする気にもならないという感じでした。これから行くハンバーグ屋は割と静かなところなんだ、とそれとなく声を掛けるとほんの少し表情が緩み、安堵の吐息を漏らしたようでした。

 商店街の奥まったところに老舗のカフェのような佇まいでそのハンバーグ屋はあります。カランコロンと古き良きドアベルの音を鳴らして、私たちは入店します。店内の影はひんやりと冷たく、それでいて仄かに暖房が効いていて空気は温かい。初冬の午後一番の陽射しが鋭いものだったことを店内に入ってから気づきます。

 私たちはウェイターに案内されて、角の席に案内されます。琳太郎をソファ側、つまり店の壁側に座らせてやり、メニューを広げて見せます。ウェイターが水をテーブルに置いてきますが、悩んでいる仕草を見せ、彼女を一旦下がらせます。琳太郎は黙ったままメニューに視線を落としているので、私がペラペラとページをめくってやります。と言っても、食事のメニューは見開き一ページ半ほどしかないので、すぐに最初のランチのページに戻ります。ようやく琳太郎が「秀介兄さんは決めた?」と聞いて来るので、「おれはいつもこのスタンダードはハンバーグランチだな。サラダとスープ、食後にコーヒーもついて来るしな。ハンバーグはソースが選べるんだが、おれはだいたいオニオンソースか和風おろしソースかな。ガーリックソースも美味いが」と簡単に説明してやりました。

 ウェイターを呼び、二人ともハンバーグランチのセットを注文し、琳太郎はオニオンソース、私は和風おろしソースで頼みました。食後には二人ともアイスコーヒーを選びました。ウェイターが去ってから、一呼吸おいて、彼が今後住むことになるであろうこの街の感想を琳太郎に聞いてみました。

「丁度良いような気がする。いま住んでるところは、何て言うか、もっとゴミゴミしてて、殺伐とした感じの場所なんだ。こういう穏やかなところに来ると安心できる気がするよ」

「それは良かった。まぁ、この辺で暮らす分にはあまり不便はないよ。駅前にはもちろんスーパーも薬局もあるし、見ての通り商店街には飯屋も多い。家賃の相場もそこまで高いわけじゃない。琳太郎から聞いた感じだと、職場へのアクセスも悪くなさそうだ」

「秀介兄さんが居てよかったよ。ここの沿線にいくつか職場があるけど、いまいちどこの駅が住みやすいかわからなかったからさ」

「ネットの情報だけでイメージを沸かせるのも大変だしな。運良くおれが案内できるところがあってよかった。おれも全部の駅を見て回ったわけじゃないから何とも言えないけど。あくまで、『ここに住めば最低限コレくらいは生活しやすい』っていう観点で見て貰う感じだな」

 グラスの水を飲み、少し様子を伺ってから、私は彼が会社をいつから休んでいるのか聞いてみることにしました。事前の連絡では、現在会社を休んでおり、転職活動の結果、たまたま私が暮らす辺りに引っ越してくる可能性があるから居住地に関してアドバイスが欲しいというところまで聞いていました。私は他人の悩み相談を受けることが好きでしたし、街と言うのは実際に歩いてみて初めて雰囲気が掴めるという考えがあるので、直接会いに来てもらうように提案をしてみたわけです。それで諸々の事情などは今日しっかりと聞いてやるつもりでこのハンバーグ屋を選んだのでした。

「会社は三か月前から休んでる。転職活動は休む前からちょくちょくしてて、転職エージェントを通していくつか応募はしていたんだよ。数社は書類選考が突破できて、それで転職活動に本腰を入れようと思っていたんだけど、ちょうどその頃からまた会社でのストレスが半端なくてね。いよいよ頭痛がしたり、恥ずかしい話だけど、行き帰りの電車の中で涙が出たりして、『あぁ、これはもうダメだ』と思って休むことにしたんだ。おかげで転職活動には集中できたわけだけどね」

「まぁ、本当なら休職せずにスパッと別の会社に移るつもりだったんだろう。なんて言うか不本意だったろうな」

「そうなんだよ。でも、『あと数か月後にはこの会社を辞められるんだ』と思っても、その数か月がどうしても耐えられなかったんだ。そもそも転職活動をしたのだって、結構限界まで追い込まれていた状況になってからだったし、色々と遅過ぎたという気もする」

「人によって決断のタイミングは異なるものだ。琳太郎はよく考えてから行動するタイプだろうし、そういう意味では仕方ないと思うけどな。限界まで可能性を諦めないというのは琳太郎の良いところでもある。だからそんな琳太郎が転職に踏み切ったのは、限界まで追い込んでくれた会社のおかげというものの見方もできる。人を追い込むことを正当化して良いわけではないがな」

「あはは。確かに秀介兄さんの言う通りかもね。正直、今回の事ですっきりした部分もあるんだ。ある意味ではもっと前から会社を辞めることは考えていたからね。おれはもともと地元で採用されたわけだけど、なんて言うか地方の限界みたいなのを感じて、自らこっちへの転属の意思を表明したんだ。地元の職場は良い人が多かったし、周囲から頼られることも、認められることも多かったから、そこで満足できていればわざわざこっちに出てこようなんて思わなかったはずで。でも、人間は業が深いよな。自分は結構できるヤツだという自負が生まれてくると、『もっとできるはず』と思ってしまう。それで上司と話してこっちまで出てきたんだけど、そこで鼻を折られたよ。いや、鼻を折られたという表現はあまり自分でもしっくり来てないな。なんて言うか、ただ何が何だかわからなかったんだよ。あまりに理不尽で、非道徳で。おれはおれなりに一生懸命もがいたつもりなんだけど、なんか暖簾に腕押しというか。底なし沼で暴れるみたいに何をやっても沈んでいく一方だった。そして気がつけば会社に行くのがしんどくなっていたんだ」

「地方から出て来て、東京の職場はどんな違いがあったんだ?」

「とにかく冷たいと感じることが多かった。向うだったら、一緒に悩んでくれる人が周りにはいたんだ。でも、こっちで近くのデスクの人に『これってどうやるんですか?』と聞いても、『自分も知らないんで、然るべき人に聞いてください』で放置される。おれは地方から来たばかりで人脈も何も無いし、オフィスの中でどこにどういう部署が入っているかも教えてもらっていない。そんな状況で『然るべき人に聞いてくれ』と言われても困る」

「それは困るな。全員が全員、そんな感じなのか?」

「もちろん中には優しい人もいる。でも、おれのチームの上司も同僚もそんな感じで。上司からは仕事の締切や責任範囲を常に明確にされて、ほとんど相談にも乗ってくれない。同僚からは『これ、誰がやります?』みたいな無言の圧力で仕事を押し付けられる。全然関係ないチームの優しい人に聞きに行くこともあるけど、あくまで相談できるのは共通した業務に関することだけだし、何よりもその人の業務ではないのに申し訳ない。本来なら自分のチームで解決すべきことだし、だいたいの人が『これは自分の業務範囲じゃないんで』って突っぱねるような環境なんだ。そんな中であまり関係ない人に聞きに行くということ自体がちょっと辛かった」

「冷たい職場なんだな。締切や責任を明確化したり、良く言えばかなりシステマチックになっている印象だけど。でも、人材育成や教育というのは一概にシステム化すれば良いわけじゃない。手塩に掛ける、という言葉があるが、まさにそういう感覚が重要なんだよ。一教育者であるおれに言わせれば、ということだが」

「おれもそう思うよ。複数のチームが集まる会議でも基本的には誰も発言をしない。発言の責任を求められたり、間違いを指摘されたり、そういうことを恐れているんだ、みんな。余計なことをせずに与えられたタスクのみをやるのが、システム化された組織では最重要なんだと学んだよ。それでもおれはおれなりに、前の職場を思い出して、周りには親切にしてきたつもりだ。あんまり面識がなくても感じ良く喋りかけに行くようにしていたし、相談されたことには一緒に考えるようにしていった。それでおれを頼ってくれる後輩も増えたよ。まぁ、もちろん入社年次がおれの方が上と言うだけで、こっちの職場では相手の方が先輩なんだけどね。そういう意味では達成感を感じないこともなかった。でも、結局おれの現実はそこまで変わらない。むしろ、チームの上司や同僚からは、『自分の仕事をちゃんとやるように』ってお叱りを受けることの方が多かった。『いや、同僚の仕事を肩代わりしたり、ほかのチームの困っている若手を助けたりしちゃダメなのかよ』って。というか、『何でおれよりも知識も経験もあるやつが、そういうことを引き受けないんだ』って腹が立って仕方なかった。いや、もう腹が立つというよりは悲しかったし、単純に辛かったんだ」

「琳太郎は間違っていないとおれは思うけどな。琳太郎の周りの奴は典型的なダメな社会人だな。まぁ、おれの周りにも多かれ少なかれそういうヤツもいるよ。そんなこと言ったら、おれだってそういう部分はあるしな」

「秀介兄さんは優しい人間だって。こうしてせっかくの休日だってのに、おれの相談に乗ってくれてるわけだし」

「優しさと言われるとあんまりピンと来ないがな。単に暇だったってことと、琳太郎と久しぶりに会いたいってのもあったし。それに人助けができるチャンスがあるんだったら、無理のない範囲内でそのチャンスを活かそうと思うのが普通の人間だと思うんだよ。徳を積むみたいな考え方はあまり好きじゃないんだが、おれの好きな小説でこういうようなことが書かれていた。『首から血を流し、瀕死の状態にあるとき、頭の上に壺を乗せて坂道を登る少女を見かけたとする。そうしたら血を流しながらもその少女が無事坂を登り切るまで、背中を見守るような人間であるべきだ』っていう感じの内容だった。おれはただその言葉に感化されただけの痛いヤツでしかない」

「良い言葉だね、それ。おれの上司にその小説を読ませてやりたいよ」

「琳太郎の上司なんだからそれなりの年齢なんだろ。小説に感銘を受けるような人間であれば、そもそももう少し優しい人間であるはずだがな。たぶんもう手遅れだろう」

「まぁ、そうだろうね。だから人の上に立つ人間ではないんだよ、根本的に。それでもウチの会社は半分公務員みたいな体質だから、降格人事というのもほぼない。一回、役職が上がってしまえば、もうそれで『一抜け、上がり』みたいなもんなのさ」

「それだと若手のうちは辛いな。時代錯誤ではあるが、あと十年くらいすれば琳太郎ももう少し気分良く働けたのかもしれない」

「十年どころか数か月を我慢できなかったわけだけどね」

「こういうのは我慢するとかそういうことじゃない。アレルギーの程度と同じで、人それぞれにそれぞれの状況に対する許容量というのが存在する。逆に琳太郎が前にいた職場のように、人の優しさが基盤になるようなところでは、今の琳太郎の上司が病んでいたと思うしな」

「確かに。それはおれもよく思うよ。『大きな顔をしてるけど、地方に行ったらお前みたいなヤツは袋叩きに会うぞ』って」

「それはきっと真実だろう」

「秀介兄さんの周りは良い人が多い?」

 私は少し返答に困ります。良い人もいれば、悪い人もいるというのが実際でしたし、それが単に自分にとって「都合の良い人・悪い人」と言うべきなのが妥当という気がしているからです。同時に、琳太郎の話が誇張でなければ、琳太郎の上司や同僚ほど傍若無人な人がいないというのもまた事実でありました。琳太郎の味方をしてやるべきだと思うわけですが、ある程度自分の具体的な体験談を交えて喋る必要性を考えると、おおよその着地点だけでも見定めてから喋り出したいと思います。

「うむ。おれの周りには悪人は少ないかもしれない。少なくとも琳太郎の周囲の人間のように軽薄な人間はあまりいない。そもそも教師と言うのは根本的にお節介な理想家が多いんだ。むしろ常に無意味な論争に奔走しているようなヤツらが多い。おれはあまりそういうごちゃごちゃしたことが好きじゃないから、周りから見ればドライに見えるかもしれないな。でも、さっき言ったようにおれにも最低限の道徳心はある。頭に壺を乗せて歩く少女がいたら、手を貸してやりたいとは思うし、首から血を流してなければ壺を一緒に運んであげるだろう」

「どれだけシステマチックになろうとも、最低限の道徳心は必要だよね」

 それから私も自分の職場の愚痴をいくつか聞かせてやりました。対して中身のない話ではありましたが、直面する現実に対しての不満という同じスタートラインを設定することは意味があることだったでしょう。

 ハンバーグが運ばれてきて、平板な石のプレートの上で油を跳ね上げています。紙エプロンにできる黄色の水玉模様を見下ろしながら、きっと見えていないだけでエプロンで覆い切れていない部分には無数の油染みができているのだろうと思いました。

 各自黙々と食べることに集中しました。女性のようにいくらか直情的な感嘆符を用いつつ、このハンバーグが美味しいという認識を共有しながら。気がつけば皿はほとんど空になっていたので、琳太郎も私と同じく美味しく食事を楽しんでくれたのでしょう。ウェイターがやって来て、コップに冷たい水を注いでくれました。美味い料理を食べると、ただの水がまた格別に美味く感じるものです。ひんやりとした水の感触を喉で楽しみました。

 食後のアイスコーヒーを待ちながら、私たちは会話を再開します。

「年齢的にも三十前後というのは一つの分岐点であるように思う」私は琳太郎に語り掛けます。「仕事も一通りのことを経験して、ある程度先が見えてくるようになると、自分に残された最後の可能性を試してみたくなるものだ。これ自体はとても健全な心情だと思う。そういう意味では、琳太郎が地元にいた頃に感じていたものはよくわかるし、とても納得できるものだよ。おれも三十くらいで転職について考えた」

「秀介兄さんが言うように、自分の可能性を試したいってのが最初の動機だったんだ。別に地方だからどうこうと言うわけではない。ただ今後自分が辿るであろうキャリアみたいなのが見えてしまったときに、安心感と言うよりはむしろ焦燥感のようなものが生まれた。それは良い意味では向上心のようなものであったし、中途半端な言い方をすれば、このまま終わりたくないという焦りのようなものでもあった。でも、もちろんその中には『いつまで自分は周りから頼り続けられて、つまり自己犠牲を続けて、会社に対して貢献すれば良いのか』っていうような憤りのようなものもあったんだ。周りの人たちは良い人が多い。でも、そういう人の良さだけに報いる形で、今後も自分の人生をただただ捧げていくみたいなことに疲れていたのかもしれない。どれが自分の本心なのかはわからないし、たぶん様々な感情や事情が綯い交ぜになっていたんだろうけど、とにかく新しいところで新しいものにチャレンジする機会が欲しかったんだよ」

「会社で色々と思い悩んで、休職するというのはもちろん望んでいなかったことだっただろう。でも、結果的に琳太郎はその中でもがいて転職のチャンスを得た。そういう意味では、当初の目的を達成しつつあるのかもしれない。だって、前の会社では一時的に東京に配属されたわけだが、いずれはまた向うに帰ることになっていたんだろう?」

「そうだね。でも、もしこっちで何かを得ることができれば、向こうに帰っても前よりも納得感を持って働けていたかもしれない。前みたいな焦燥感は感じずに、向こうに骨を埋める覚悟もできたかもしれない」

「そればかりはどうなっていたかはわからないな」

 私たちは運ばれてきたアイスコーヒーで一旦口を潤します。深く焙煎されているのか香ばしいかおりが鼻から抜けます。咥内の油も流し去ってくれます。

「結局、おれは転職することに決めたけど、これが正解だったのかはやはりよくわからない。失敗だったんじゃないかと思うと怖い。それが正直な気持ちなんだ。いや、もっと正直になるのなら、東京に来ておれはこうして会社を休むほどに盛大に失敗した。ほんのちょっと地方で活躍したことで天狗になって、自ら東京行を希望したくせに環境に耐えられなくて仕事を休んでいる。こんな自分が転職なんかしてしまって、この先きちんと生きていけるかが不安なんだ。いま抱えているそういう不安も含めて、自分のした選択が正解だったのか毎夜考えている。そして考え過ぎて眠れなくなる。仕事を休んで一時は気持ちが楽になったのに、またこうして不安に苛まれて、頭痛が出てきた。それに付随するように気分も酷く落ち込むんだ。はっきり言って、最低な気分だよ。もう消えてしまいたいとすら思ってしまうんだ」

「消えてしまいたいと思うことは悪い事じゃない。それに、おれも女子中学生や女子高生で精神疾患を抱えている子たちと話した経験はあるが、琳太郎が抱えているであろう最低な気分ってのは、単純に考えて病気の症状なんだと思うぞ。思春期の女の子なんかはホルモンバランスの関係や、脳の成熟過程の関係で、結構トチ狂った状態にある。それが身の回りの人間関係や何かでぐちゃぐちゃにされると、割と簡単に精神疾患の症状が出て、『死にたい』って気持ちが噴出する。赤ん坊なんかは泣き喚くことしか感情表現ができないし、おそらくあらゆる感情が一つの『泣く』という行動に集約されている。それと同じように、思春期くらいまで成長しても、まだ絶望や甚大なストレスに対してどう対応して良いかわからない女生徒は『死にたい』と喚くことに終始することになる。これは感情が未分化であることや、語彙力の低さ、そして自分の強い混乱に対する解決法を持たないことが原因になっているとおれは思っている。つまり、自分が抱く絶望感や悲しさ、悔しさ、ストレスを具体的に言葉で説明ができなければ『死にたい』と喚く以外に選択肢がないってことだな。琳太郎もある部分ではそういう状態にあるように思う。許容量以上の負荷がかかっているんだよ。それでその渦巻く感情をどう清算して良いかわからないから『消えたい』と思う。それは至極当然なことだ。さっき琳太郎は、どういう気持ちや感情の動きで東京に来たいと思ったのか説明してくれた。はっきり言って、おれが普段一緒に仕事をしているようないっぱしの大人でも、ここまで自分の気持ちを論理的に喋ることができる人間はそう多くない。そういう意味では、琳太郎は感情を細分化できてるし、語彙力だって充分足りていると思う。それでもやっぱり人間には抱え込めるストレスには限界がある。頭の良い琳太郎だからこそ、色々な物事を一度は自分で抱えて処理しようと思うんだろう。でも、時にはその限界が現れて来る。そして、結果的に沢山の傷を負った。まさに琳太郎はいま首から血を流して路地に倒れているような状態なんだ。要するに、非常に弱っている。自信も著しく失ってしまっている。そんな状態だから、渦巻く不安に対処できずに、『消えたい』という感情に支配されてしまう。ほとんどが個人的な体験からの推論になるが、そういう意味では琳太郎の気持ちというのはとても良く理解できるし、妥当なものだと思う。そして、仕方ないと思うんだ」

「なるほど……何となくだけど、腑に落ちたよ。さすがは秀介兄さんだ」

「教職に就いていると色々と思うことはある。生徒を見ていても思うし、おれ自身色々と悩んで来たしな」

「結局またおれの転職への不安に話が戻ってしまうけど、秀介兄さんも一度は転職を考えたんだろう? それでも転職をしなかった。それは何か理由があったの?」

「理由、と言われると難しいな。人間嫌なことがあれば、そこから抜け出したいと考えるもんだ。現状の仕事に何か小さなことでも不満があれば、とりあえず考えるのは転職だろう。でも、いざ転職に向けて腰を上げてみると、意外と色々とやらなければいけないことが見えて来た。それがまず億劫だった。そして実際にどういったところに転職できるのかを考えてみた。普通に転職活動をしていれば、私立学校の理科教師が行ける一般企業なんてたかが知れていることがわかってくる。要するに転職が美味い話ではないことが見えて来るわけだな。そして、転職にかかる労力を渋るようにして、『まぁ、今の職場でもいいか。自分が抱えている不満なんてよくよく考えたら取るに足らないことだった』と自分を納得させたんだ。だから、転職をしなかったことが正しい選択だったという確証なんてない。むしろ常日頃、『自分は損してるんじゃないか』と思ってるよ」

「その気持ちはよくわかるよ。おれも地元にいるときはそういう思いだった。転職するのは大変そうだし、労力の割にメリットが少なそうに思えたから、結局会社内での異動って形で手を打ったんだ。でも、異動した先があまりに酷くて、それで転職活動を始めることになった。そのときのおれからしたらどんだけ労力を割こうとも、この会社から逃れることが多大なメリットのように思えたんだ」

「今さらこんなことを聞いて申し訳ないが、どうしてそのまま地元の職場に戻ろうと思わなかったんだ? 琳太郎としては地元の職場であれば、転職に踏み切るまでの不満や不安はなかったんだろう?」

「地元の職場に戻ることも当然考えたよ。でも、実際帰ることはあまり好ましくなかった。白い目で見られるのが嫌だということももちろんある。ただ、仮におれが東京で病んで帰ったとしても、それについてとやかく言ってくる人間はほとんどいないだろうってこともわかってるんだ。でも、これは理性的に割り切れる問題じゃなかった。もしもどうしても一言で理由を言わなきゃいけないんだとしたら、とにかく身の回りにある全てが嫌になって、パルプンテを唱えたかったんだよ。もっともらしい理由はいくつも考えてみた。でも、どの理由にも憶測や思い込みや感情が強く入り込んでくるし、一度理由を論ったとしてもその後ですぐに反論が思い浮かんでくるくらい精度の低い理由だったんだ。だから、もうこれはただただパルプンテを唱えてみたかったんだと考えるようにした」

パルプンテ……何が起こるかわからない呪文ね。なるほどな。琳太郎がそういうならそれが真実なんだろう。誰も知らない街で一からやり直したいと考えるのは、至極当たり前の思考だ。愛すべきホールデンも全てに嫌気がさした結果、文明が無いような森の奥地での生活を夢見ていた」

ホールデン?」

「好きな小説の主人公だよ。まぁ、ホールデンより琳太郎の方がよくよく自分を冷静に見れているよ。でも、琳太郎は最終的にパルプンテを唱えたんだろう? 別に責めるつもりはないが、パルプンテを唱えたからにはこの先何が起こるかは想像ができないのは当たり前だろう。そういう風に割り切れば、本当に新しい場所でやっていけるのかという不安も、ある種楽しめそうな気がするんだがな」

「そこがおれの中でも色々と倒錯していることなんだ。自分で博打をうつと決めた癖に、本当にそれで良かったのかと既に半分後悔している。冷静になって思い返せば、ただの自暴自棄だったんじゃないかと思ってしまうんだ」

「そこまで自覚があるならあえて言わせてもらうが、おそらく琳太郎の選択は結構自暴自棄だったと思うぞ。ただ自暴自棄が全て悪いというわけでもない。結果的に今の職場よりも、前の職場よりもずっと良い職場に巡り合う可能性も充分ある。だいたい新卒での就職だって、転職だって、もっと言えば大学受験だって何だって、多少自暴自棄でなきゃやってられない。だって、誰にだって未来は見えないんだ。ある程度のリスクを覚悟して博打をうつ意外の選択肢はないんだよ。どれだけ冷静に分析してみたところで、自分の選んだ答が最善手になることはそうそうない。そういう意味では、琳太郎が自暴自棄に転職活動に踏み切ろうが、落ち着いて冷静な時に転職の可能性を考えていようが、出て来る結果にはそこまで差異がないはずだ。琳太郎のことだから、自暴自棄とは言え、ある程度は自分にやれそうな仕事で転職先を考えたんだろう?」

「まぁ、もちろん色々考えたさ。自分の今の状態は色々と混乱しているとは思うけど、混乱していなかったとしても、結局いま考えてる転職先に行くか、いまの会社に残るかとい二択で迷っていた気がするな。まぁ、こう言っている自分が充分に混乱している最中ではあるんだけど」

「いや、たぶん琳太郎の言っていることはほとんど間違ってないよ。あとは転職するのもしないのも、七十点か、七十五点くらいの違いしかないと思うのが良いんじゃないか。もちろん、今の職場に復帰するのは二十点くらいの選択なんだろうが。地元の職場に戻してもらえれば、安心して働けるだろうが、また閉塞感のある日常が待っている。対して、転職には不安がつきものだが、新しい自分の可能性をさらに試すことができる。どちらの選択肢も別に悪くないと思う。仮に七十点と七十五点で七十点の方の選択肢を選んでしまったとしても、たった五点の差じゃないか。それくらいのリスクは受け入れよう、って思わないか」

「後ろ向きなことを言って悪いけど、秀介兄さんの表現を借りれば、それでおれは二十点の選択肢を既に選んでしまっているんだよな」

「確かにそうだな」

「そうすると、つまりは地元の職場に戻るっていう、七十点から七十五点くらいの選択肢と、全くどう転ぶかわからない選択肢の間で迷っているということにならないか?」

「たしかにそうなるな。そう考えると不安だよな」

「そうなんだよ。だとすると、転職せずに会社と相談して、地元の職場に戻してもらうというのが一番リスクヘッジされた選択だと思ってしまうんだ。もちろん、パルプンテを唱えたのはおれだよ。でも、やっぱり不安になってしまうんだ」

「まぁ、正直、こればっかりは未来のことだからわからないよな。およそ確率が収束している選択肢と、かなり確率の分散が高い選択肢のどちらを選ぶべきかという話だからな。こればっかりは正解がない。でも、転職先にはもう転職する方向で話をしているんだろう?」

「そうだけど、ぎりぎりになって無理やり話を翻すこともできないわけじゃない。もちろん色々と問題は起きるだろうけれど。例えば両親が事故にあって介護しなければならなくなれば、当然東京で転職なんてできなくなるわけだし」

「そりゃあそうだ」

「まだぎりぎり引き返せる状況だからこそ、不安で頭がいっぱいになって、頭が痛くなるんだ。やはり精神疾患の症状もあるのか、気分も酷く落ち込むしね」

「それについてはどこからどこまでを同一の問題と見るかが重要なんじゃないか」

「どういうこと?」

「まずさっきも言ったように、転職するかしないかというのは未来の見えないおれたちからすれば正解は導き出せない。問題の当事者が琳太郎かどうかということに関係なくな。だから、精神疾患であることや、琳太郎自身の問題じゃないんだよ。もう充分選択肢を絞り込んで、転職しなかった場合の点数もおおよそ見積れているし、転職した場合のリスクヘッジも最大限できている。そのうえでもう転職先にも返事をしてしまっている。だから、もうこれは琳太郎に限らず誰にとっても正解のない究極の二択問題なんだ。それを受け入れるしかない。おれも人間関係の問題を抱えた生徒に対して、同じクラスでの復学か、別のクラスでの復学か、それとも転校するかという提案を用意するけれど、こればっかりは百点の正解に辿り着けたと確信できることはほぼない。もちろん生徒の特質や環境、タイミングとかを考えて最善手と思えるものを選び取れるようにはするけれど、結果的にどうなるかはわからない。おれが同じクラスでの復帰が最善だと思って行動しても、結局別の学校に転校してケロっと楽しく新しい学校に馴染む子もいる。でも、その子は数年後にまた人間関係上の問題で病んでしまうかもしれない。そうなってからおれが『ほら、あのとき同じクラスで復帰して、人間関係を修復することを学んでおかなかったからだ』と得意げな表情を浮かべたところで仕方がない。その逆もまた然りで、あまりにもクラスの環境が合わないから、それとなく転校を勧めてみた子が、結局転校しても上手く行かなかったということもままある。どれだけ知恵を絞ろうが未来のことはわからないんだ。だから、あまりそこに固執しても仕方がない。現実的な可能性はもう充分検討できているはずだ。であるならば、あとは何ができるかと言うと、手に取った選択肢を正解に近づけるための能力を養うことに注力することだけだ。たぶん、琳太郎はもうそのフェーズに移るべきなんじゃないか。おれからすれば、既に転職先に行くと返事をしている時点で、もうほぼほぼ転職は動かない、決まった未来なんじゃないか。さっき琳太郎自身が言った通り、琳太郎の両親が事故にでも合わない限り、十中八九転職するものだと思ってる。だからこそ、今日はこうして新しい居住先の下見をしに来ているわけだろう。とするならば、やるべきことは転職した時のことを考えて、できるだけ住みやすいアパートを探すのがいま最も重要なことなんじゃないか。これは『くよくよしてないで、現実と向き合え』っていうただの一般論を押し付けているわけじゃない。琳太郎がいま抱えている苦難がそれでしか乗り越えられないから言ってるんだ。

 一度、心を折られてしまった人はとんでもなく自信を喪失するものなんだ。おそらくは自分が思っている以上に自信を失ってしまう。引き籠りの子なんかは典型的な例かもしれない。大抵人が傷ついたり自信を喪失したりするのは人間関係によってだ。だから、弱っているときには部屋の外に出るのがとても怖くなる。簡単に言えばそれで引き籠ってしまう。『勇気を出して外に出てみよう』と言ってもそう簡単には部屋から出てはもらえない。外に出てやっていく自信が全く無いからだ。そりゃあそうだ。『外に出てもやっていけた』という実績がないから自信がない。自信が無いから勇気が出ない。そうやって深みにハマっていくのが人間だ。琳太郎が抱えている問題……というより、おれも含めて人間が抱えている問題の根本的な部分はこの引き籠りの例と原理的には同じだと思うんだ。言わば、この実績と自信と勇気の関係性は精神的な運動方程式みたいなものと言える。琳太郎は環境を変えて上手くいかなかったという経験によって、これまで積み上げてきた実績を崩されて、傷つけられた。そうなると当然、自信も喪失するし、また新しい環境に飛び込んでみようという勇気が失われてしまう。だから、いざ転職が決まりかけても恐怖心が拭えない。不安に支配されてしまう。不安に支配されると典型的な精神疾患の症状のように頭痛や、気分の落ち込みが出て来る。これは当然の流れと言えないか。だから、まずは自分がそういう状態にあると認めるしかない。実績が傷つけられ、自信を喪失し、不安に苛まれ、その不安の渦に取り込まれている。健康な時だったらそういった状態から自力で抜け出せるはずだけれど、負った傷は深いし、まだ回復しきっていないから、負の連鎖で気分が沈んでいく。でも、それは仕方がない事なんだ。

 でも、仕方ないからと言って、不安に支配されているわけにもいかない。そこで何をどうすればいいか。さっき言ったように、考えるべきことは転職をするかどうかじゃない。それは未来の不確定なことだから考えても仕方がない。いま考えるべきことは、『いかにして自信を取り戻すか』ということと、『いかにして不安に取り込まれにくくするか』ということだ。自信を取り戻すためには、実績が必要だ。でも、仕事に戻って一定期間が経つまでは実績と呼べるものはできはしない。つまり、いま実績を積むことはできない。仮にいまできることがあるとすれば、それは実績を積むための下準備だ。では、その下準備として何をすべきか。それはもう一つの考えるべきことである、『いかにして不安に取り込まれにくくするか』ということになるだろう。人間は不確定な未来を恐れる。だから、まずは未来の不確定要素を極力減らす。今日こうして住む場所の下見をするというのは、まさにその行為の一つだ。どこにどう住んで、どう生活するのかということがイメージできて来れば、自然と新生活に対する不安は減ぜられる。同時に、現在手の付けられないことは、『いま考えたって仕方がない』と割り切ることだ。例えば、新しい職場の人たちが優しいかどうかは今のところ考えたってわからないことだから、考えたって仕方がない。『新しい上司が厳しい人だったらどうしよう』と考えても仕方がない。であれば、厳しい人に当たっても受け流すための思考法を鍛えることに時間を使うべきだ。ともあれ、色々なことを想定して準備するのはかなり骨が折れるし、ましてやいま琳太郎は弱っているわけだから、無理に準備し過ぎても余計に疲れてしまうだけだ。むしろ『未来のことはわからない』と不安を放置するだけの忍耐力を鍛えた方が良いだろう。その方法は色々とあるが、精神医学の領域では瞑想やマインドフルネスなんかが最近取り沙汰されているな。とにかくそうやって渦巻く不安と上手く付き合っていく術を身につけることを考えた方がいい。

 だから、転職のことや仕事のことを考えると不安になって気分が落ち込むというのは、因果関係としてとてもわかりやすいけれど、問題の本質ではないということだよ。転職や仕事のことは考えても上手くいくかどうかは博打だよ。でも、不安になって気分が落ち込んで、ともすれば『消えたい』と思うっていう、そういう心の動きについては一定の法則がある。それをある程度自分なりに解釈して、どう対処するのかということが、いま琳太郎にできることなんじゃないか。転職のことはもう充分検討してるんだとおれは思う。もし悩むべきことがあるんだとすれば、どのように心を制御して、選んだ選択肢を正解に持っていくかということじゃないか。だから全てのことを一緒くたにして考えるんじゃなくて、ポイントを絞って考えよう。理科、とりわけ物理の教師であるおれとしては、やはり自分の心を観察してそこに見える法則や原理を理解して、精神世界に起きる現象をある程度の精度で制御することがとても重要だと思うぞ」

 私はだいぶ喋り過ぎていましたが、これも私の職業病のようなものだと思うと、やや仕方ないことのように思います。普段私が女子中学生相手に理科を教えたり、女子高生相手に物理を教えたりするのと同じように、琳太郎に対してもこういった精神疾患との向き合い方を教えてやる必要があると感じたのです。私は専門家でもないですし、医師免許を持っているわけでもありません。なので、あくまで私が普段様々な生徒や自分自身と対話をする中で感じていることを喋ったまでです。しかしながら、昔から琳太郎は私に対して一定の信頼を置いているようでしたし、私も私で年長者としての役目を果たしたいと考えていました。私のような人間でも誰かの役に立つことで自らの存在意義を確かめたいと思っているのです。その想いこそ、私の趣味が他人の悩みに付き合うことになっている源泉なのでしょう。

 会計を済ませ、琳太郎と並んで街を歩きます。商店街の通りから一本道を逸れるとすぐに住宅地に入ります。あまり新しい街ではないので、古いアパートも沢山ありますが、中には小綺麗なアパートもいくらかあります。スマートフォンで不動産検索のアプリを使用し、いくつか目ぼしいアパートやマンションを巡ってみました。一時間ほどあちらこちらを歩き回りましたが、駅からの距離や家賃を考えると、マンションや比較的綺麗なアパートに入居するのはやや厳しそうでした。古びたアパートばかりが条件に適合したわけですが、それでもこの街の暮らしやすさや、職場候補地へのアクセスのしやすさを考えると、まぁ妥協できる範囲内であるようでした。「そもそも大学の時はもっと小さなアパートに住んでいたわけだし」と琳太郎は自分を納得させるように喋っていました。

 陽が傾いて、通りには建物の長い影が降り、冷えた風が緩く吹き抜けます。雑居ビルの三階の窓にオレンジの光りが反射し、花壇の一部を印象的に光らせていました。私たちはやや歩き疲れていましたが、最後に目についた不動産屋を訪問しました。飛び込みでありましたが、従業員の方は丁寧に対応してくれました。吉野という名札をつけた私とほぼ同世代と見える彼は、手慣れた様子でいくつかの物件を提案してくれました。やはり地元の不動産屋はさすがと言うべきか、アプリで調べるよりも遥にイメージしていた物件に近いものを紹介してくれます。私が名前や風貌からその女子生徒の頭脳レベルを値踏みするように、この吉野という男もまた琳太郎という人間の好みを何かしらからか推し量っているのでしょう。この辺りがまだITよりも人間が優れている部分なのかもしれません。時にはデータよりも直観の方が優れている場合もあるのです。

 二件ほど目星をつけて、私たちはそのまま物件に案内をしてもらいました。話が早くて大変助かります。先ほど琳太郎に聞かせたように、今回の訪問は転職という未知のものに対して不安を減ずるところに目的があります。したがって、実際にその物件に住むかどうかというところは抜きにしても、琳太郎自身の目で新しい住処を見て、新しい生活をイメージしてもらうところに目的があるのでした。一件目は駅からかなり近い割には破格の安値でした。が、やや手狭く感ぜられ、そして日当たりにも微妙な雰囲気がありました。駅に近すぎるが故に電車の走行音もやや気になりそうです。スピリチュアルなものを信じるほど感覚的には生きていませんが、何となく私はこの一件目の物件が好きにはなれませんでした。実際にそういう匂いがしたわけではありませんが、数か月洗っていない排水口のような臭気が天上の隅から漂っているような感じがありました。我慢できないほどではないので、琳太郎がここで良いというなら背中を押しましょう。

 二件目は駅を挟んで反対側の住宅地にありました。商店街から道を逸れ、五分ほどはコンビニやスーパーを横目に歩き、いくつかの清潔そうなマンションを超えた先にありました。駅からの道をざっと辿った形にはなりましたが、この道を歩いた時点で私はこちらの物件の方が気に入りました。歩道は狭いものの、すれ違う人は皆、穏やかな顔で歩いています。実際にアパートの中に入ってみると、やや一件目よりも広く、取り立てて嫌なものを感じませんでした。ただもちろん新築ではありませんでしたし、そこまで綺麗な物件でもありません。家賃の面で見ても、琳太郎が考えるラインのギリギリというところです。お金は大事な指標です。駅からの距離というのも生活に密接に関わる要素ではあります。紙面に書かれたデータだけで比較するならやはり一件目の方が良さそうに思えましたが、実際に目で見ると二件目の方が私は好みでした。が、最終的に決断するのは琳太郎です。それに別に必ずしもこの二件の中から決めなくても良いのです。時間もまだもう少しあるようですから。

 もうすぐ年度末だから空き部屋はすぐに埋まってしまう、という忠告を受けつつ、私たちは吉野という男と駅前で別れました。名刺は貰っていましたから、もう少し色々と見て回ってから今月中には連絡すると簡単な口約束もしました。

少しだけ歩き疲れ、私たちは商店街から一本路地に逸れたところにある喫茶店に入ることにしました。一月とは言え、午後の陽射しは暖かく、軽く喉が渇きます。二人してレモンスカッシュを頼んで先ほど見た物件について意見を交わしました。私は素直に二件目の方が好みだと言おうと思いましたが、琳太郎の意見と食い違った場合に彼に不安を与えそうだったので結局のところは「どちらも良いけどね」と曖昧な返答しか与えてあげられませんでした。

「秀介兄さんは毎日の仕事に満足している?」

「人間の欲望は際限がない。そういう前提があるとして、その上で謙虚に喋るなら、満足させてはもらっているかな」

「また転職の話になって申し訳ないんだけど、おれも前の地方の職場で満足していればよかったのかもしれないな。あのまま目の前にある日々に感謝していれば、こんな風に生きていく自信を喪失することも、取り留めのない不安に駆られることもなかったはずだよ」

「そうかもしれないな。それが幸福か不幸かということは抜きにしても」

「今になって思うよ。ほんのちょっと欲をかいたばっかりに、こんなことになるなんて。曇った眼鏡をかけたまま、ずっと終わらない裁縫を続けているみたいな感覚って言えばいいのかな。しかも天井からは次から次へと気色の悪いでっかい蜘蛛が糸を垂らして落ちて来る。早く裁縫を仕上げないとって焦るのに、目の前の眼鏡は曇って手元が良く見えない。間違って指先を何度も針先で刺してしまう。血で布が汚れる。そんな風に言うととても追い詰められていると分かるはずなんだけど、その時の自分はそういうヤバい状況にいることがまるで理解できていない。無自覚的に追い詰められているんだ。自分には昔から焦りやすかったり、頑ななところとか、不安になりやすい傾向があるってのは何となくわかっていた。でも、それでもこれまでは何とかやって来れたんだ。むしろそういう傾向ってのは、中途半端でいい加減な人間には優る特質だとも思って来た。でも、こっちに来てそれが悪い方に出た。おれはただ怯え、逃げ惑い、空回りすることしかできなかった。気がついたら勝手に追い詰められて、何もうまく行かないまま、涙が止まらなくなっていたんだよ。本当に情けない。自分はそう言えば、そんなどうしようもない人間だったんだ。そんな人間が調子に乗って上京なんてすべきじゃなかった。そんな風に思ってしまうよ」

「琳太郎の言っていることは、まぁ、間違っていない。というか、そう考えてしまって至極当然だと思うよ。だけど、悪いことは言わない。とりあえずは一旦自分の価値について卑下することはやめた方がいい。琳太郎が自分で言っていたように、人間には色々な特質がある。それが良い方向で出る環境もあれば、悪い方向で出る環境もある。現代社会では人間は群れで生活をしている。それぞれの群れにはそれぞれの流儀があって、それに合わない人間は他の場所ではどれだけ優れていようとも、何らかの形で圧力を受ける。それは個人の尊厳や価値とは関係のない問題なんだ。群れにおいては多数派と少数派が生まれるから、自分が少数派になってしまった場合には、無理に群れにコミットしようとしない方が良い。そこで無理をしたから琳太郎は苦しむことになったんだと思う。もっと少数派であることを自認して、その中で自分の立ち位置を模索した方が良い場合ってのがある。琳太郎は東京の職場で無理に優しさや責任感を発揮しようとせず、感じの良い無能という役割に甘んじても良かったんじゃないかとおれは思う。それでもその感じの良さは誰かの救いになったと思うし、何だったらそれこそが琳太郎の価値になるはずだった。属する集団が変わったんだから、周囲からの評価基準だって変わる。他人からの見え方なんてそういう水物みたいなものなんだ。だからそんなものに自分の価値を見出さない方が良い。琳太郎が自分自身の特質を踏まえたうえで、それを自分が属する集団の中でフィットさせ、何かしらの自分の立ち位置を見出すことができれば、それこそが琳太郎自身の真の価値を発揮していることになるだろう。そういうわけだからさ。琳太郎は自分のことを恥じているのかもしれないし、不安に押し潰されそうなのかもしれないけど、まずはある程度合理的に割り切ってみなよ。琳太郎には価値があるよ。それは真理だ。そしてその価値は基本的に琳太郎にしかないものだし、環境に応じて様々な発揮のされ方があるものだ。だから、まずは自分を大切にするんだ。自分の特質が歓迎されない環境なんて往々にしてあるけど、それで自分を否定したり、周りへの罪悪感とかから自罰的になったりしてはダメだ。自分が壊れないようにちゃんと出力を調整して、その上で自分の持っている価値や特質がスムーズに発揮される立ち位置を見つけることしか人間のやることはない。まぁ、おれもまだそれをうまくできているとは言えない。それでもおれがそれなりに満足して日々を過ごせているのは、おれはおれなりに自分の価値というのを社会の中で見出せているからだろう。そして、そういう価値を自認させてくれている周囲の人間には感謝しかない。こうやっておれの話を聞いてくれている琳太郎にももちろん感謝をしている」

 私は大抵こういう話をすることにしていました。琳太郎は思春期の女子学生よりはもう少し理知的ですし、抱えている苦しみというのも一端の社会人としてのレベルにあるのでむしろ話しやすいと思いました。

 私自身、社会の中でうまくいかないという経験は沢山ありました。周囲と価値基準が合わずに苦悩することが多かったからこそ、私はどのようにこの社会と向き合えばよいのか模索してきました。結果的に私は琳太郎に言って聞かせたような、絶対量としての価値と相対的なバランスの取り方に則った基本法則を信奉するようになりました。しかしながら、そういった考え方というのは年端もいかない女生徒に理解させることは大変難しく、つまらない大人の一般論という形でしか説明できないもどかしさというのもありました。

「確かに秀介兄さんの言うことは正しいと思うよ。おれも人間一人ひとりには価値があると思っている。でも、実際には社会ってのはそんな甘いものじゃないと思うんだ。集団の中で浮いた奴はやっぱり排除される傾向にあると思うよ。残酷だけどさ」

「それも正論だけれど、まずはその認識が危ういと思った方がいいんじゃないか。確かにはぐれものは攻撃の対象になりやすいのは集団における基本原理だけれど、その力は実際にはそこまで大きくない。例えば、琳太郎が地方の職場にいた時には、仕事ができなかったり不真面目だったりする人間が馬鹿にされることもあっただろう。そのとき琳太郎はそういう人間を貶める側にいたんじゃないか」

「正直に言えばそうだな。よく仕事のできる先輩と一緒になって、そういう人たちを馬鹿にしてた。でも、貶めるとかそういうレベルではなかったよ。『ちょっとしっかりしてくださいよ』って軽くからかう程度だった」

「そうだろう。実際はそんなもんなんだよ。仕事が周りに比べてできなかったり、ちょっと不親切だったりするくらいじゃ、集団から完全に排除されるなんてことはない。だけど、おそらく琳太郎の中では、集団でそういう扱いを受けることに大きな抵抗感があるはずだ。それは恐怖と言っても良いレベルなんじゃないか。でも、本当はそんなこと何の恐怖でもない。ちょっと仕事ができるだけで調子に乗っている人間に何か言われてるくらいにしか認識しないヤツだっている。集団の中でちょっと不利な立ち位置に置かれることなんて、自分自身の価値にはそこまで影響しないと思った方が良い。人間の価値はそう簡単に貶められるものじゃない。もしそれでも自分の価値が貶められそうで怖いと思うのなら、それは自分が周囲の人間の価値を軽んじやすいからなんじゃないか。自分が周囲に対して思っていることを周りからも思われるんじゃないかと思って怖いんだ。作用と反作用みたいなものだよ。そう思えば、賢い琳太郎なら色々と見つめ直すこともできるかもしれない」

「確かにな……思い当たることはあるかもしれない」

「悪いな。よく生徒からもそういうことを言われるんだ。大人は正しいことをしなさいというけど、実際に正義感をひけらかせば、周りから冷たい目で見られるって子供は反論する。それは半分は正しい。実際問題、委員長タイプの生徒は冷たい目で見られがちだったりする。そして不条理な仕打ちを受けることもままある。そういうのは恐ろしいことかもしれないけど、それによってその子の価値が失われることはないんだよ。ある意味では空気が読めない人間として煙たがられるかもしれないけど、例えばその子がいるおかげでクラス全体が放課後に集められて何かの問題で叱責されることを免れたりしていることもあるんだ。そういうときにはおれは極力その子を褒めてやるようにする。人間の価値や特質というのは、良い面が出ることも悪い面が出ることもあるということを教えてやるのが教師だからな。そして人間の価値を貶めるような不条理を働かないこと、そしてそういう不条理に立ち向かう勇気を持たせること。それが教師の役割だとおれは思っている」

「秀介兄さんの言うことはその通りだと思うよ。でも、秀介兄さんも言っているように、世の中は不条理だ。そんな中で不条理に立ち向かう勇気なんてどうやって養ったらいい? この際だから言うけど、おれはずっと前からこの世界で生きていることが嫌だった。とても苦しい事だと思っていた。自分が不条理な目に合わないためには細心の注意を払って、ちょうどいい正しさとちょうどいいずる賢さを持っていなきゃいけないと思う。何の価値も見いだせないことに右往左往して、四六時中靄を追いかけているみたいな感じだった。正直言ってもう疲れ果ててたんだよ。こっちに来て仕事に行けなくなったのは、ずっと前から溜まってた疲労が限界に達したからなんじゃないかと最近では思っている。地方の職場でも嫌だったんだ。いつまで自分はこんな風に何もかもを取り繕って生きていかなきゃいけないのか。しかも、それを一生続けたからって何も得られないという気がしていた。だから、東京に行きたいと思ったんだ。でも、その結果、取り繕えないほどの何か醜悪なものにぶち当たった。これだったらまだ地方に残っていた方がマシだったと思うような、そういう殺伐として救いのない場所だったんだよ、こっちは。それにぶち当たって、自分はやっぱり生きていたくなんかないんだと思い出させられた。正直、今もおれはテンパっている。こんな世界で生きていたくないのに、せっせと次の働き口を探して、そして新しい職場への不安でいっぱいなんだ。自分でも訳がわからないよ。いったいおれはどうしたらいいんだと思う?」

「言葉で言う分には簡単だ。自分と『社会』の価値を再認識することだ。まず第一に繰り返し言っているが、琳太郎に限らず全ての人間には価値や尊厳がある。これをまずは一つの定理として受け入れる。そして世の中であるところの『社会』には価値なんてない。人間一人ひとりに価値があるからそれの集合体である『社会』にも価値が生まれると勘違いしがちだけれど、『社会』という概念自体には価値はない。人間にとって都合の良い利益を生み出す装置として『社会』はそこにあるけれど、究極的には『社会』が破滅しても、個々人の価値は失われない。例えば、アウシュビッツで殺される前の子供たちは鉄条網の中で笑って走り回っていたと言われている。『社会』が壊滅的な状況で、最終的にそれが人間を殺戮しようとも、人間本来の価値というのは損なうことができないんだ。同じように根本的には琳太郎の価値というのはある次元において確実に守られているものなんだと認識することが必要だ。それは『社会』にも奪いようのないものである。まずはその基本的な定理を頭に叩き込まなければならない。そして現実問題として『社会』で爪弾きに合うと、色々と不利な条件で生きていかなきゃいけない。周囲に馴染めないと色々と損をすることがあるかもしれない。でも、そのことをあまり恐れ過ぎてもいけない。損得勘定だけで言えば、琳太郎が言うように、ちょうどいい正義感でちょうどいいずる賢さを持って、細心の注意を払いながら生きていく必要があるだろう。でも、そんなことに何の意味がある? これから殺戮されるとしても剥奪され得ない価値をすでに琳太郎は持っている。損をすることはそんなに恐ろしいことか。価値の輪郭を見出すことの方が何よりも大切なことなんじゃないか」

「秀介兄さんはどうしてそこまで価値というのを信じられるんだ? 宗教が廃れて、おれを含めた今の若者には縋るものが無い。そんな中で、どうしてそんな風に強く一つの価値を信じられる?」

「琳太郎は数字の『0』の存在を信じているか」

「ゼロ。信じているというよりか、まぁ、普通にあるというか数学的には必要なんじゃないか。やっぱり」

「『0』についての好きな定義がある。『体系を体系たらしめるために要請される意味の不在を否定する記号』。これがおれの考える価値の定義にもそのまま当てはまる。こんなどうしようもない人生という体系を成立させるためには、どこにも意味や価値なんかないということを否定するための記号が必要になって来る。ただの虚無しか見出せなくなったとき、その体系は崩壊する。だから価値が必要なんだ」

「何となくわかった気がする。秀介兄さんはやっぱり理数系の教師だ」

 私は二人分のレモンスカッシュの会計を支払い、琳太郎を駅まで送りました。琳太郎は一緒に家の下見をしてくれたこと、街を案内してくれたことの礼を言って手を振ると、改札の中へと消えていきました。既に陽は暮れかけていて、影の中にいると冷えた風が耳の辺りを凍えさせます。

 私は喋り過ぎたことを多少後悔しながらも、自分勝手な満足感に浸っていました。日頃から私は自分の人生の空虚さを噛み締めていましたが、今日は少しだけ自分の中に熱源を感じた気がします。これまで何人もの自分という存在を殺してきました。人生に失望し、絶望し、自暴自棄気味に怒りをぶちまけたこともありました。刺し違えて死んでいった自分もいれば、諦めるようにして投身した自分もいました。陶酔的な死に溺れた自分もいました。しかし、実在する自分はまだこうして生きているようです。今日の自分がその死んでいった全ての自分に報いる形をしているかはわかりません。しかしながらさほど変わらないフォルムで、同じようなレトリックを用いながら、今日を受容し、明日を語る。自分もまた不甲斐なく歳を重ねたということでしょうか。あの日侮蔑の目を向けた大人とおんなじ顔をして、僅かばかりの満足感に浸って口角を持ち上げている自分がいます。

 狭いアパートまで歩いて帰ります。弁当屋でコロッケ弁当を買って帰りましょう。明日は椎葉ゆかりがいるクラスで物理の授業があります。授業終わりに彼女が質問をしてくれることが最近の楽しみであることに疑いの余地はありません。聡明な彼女が挑戦的でかつ物欲しそうなキラキラとした眼差しで私を見てくれるあの時間が堪らないのです。私は私の価値のために生きているつもりではありましたが、こればかりは違う。誰にも説明できないものです。性癖という言葉が近いでしょう。しかし、これもまた私が明日に命を繋ぐ、消極的理由の一つでした。これがあるから生きていこうとまでは思えないものの、生きている以上はこれくらいの褒美がなければやってられません。不在だらけの現世において、それでも芯に齧りついて離さないもの。それこそが悦びであり賛歌。脳が溶け出して、銀色の金属片のようなものがその先端を覗かせます。それが椎葉ゆかりです。少なくともあと一年半はそれを食んで生きていきましょう。心ゆくまで。

 

2023.3.5