霏々

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適応障害と診断されまして… vol.78

適応障害と診断されて767日目(2022年11月20日)にこの記事を書いています。今日は雨が降っていて、肌寒いです。日曜日なんですが、最近は疲れが溜まっていて今日もずっと寝たり起きたりを繰り返していました。

 

前回

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前回のvol.77はこれまで自分がどのように考えて生きて来たのか、ということを話しました。「虚栄心」に振り回されて…つまり、人に良い格好を見せることに終始してきた人生を省みるのが私の人生であるというようなことでした。小・中・高は自分の能力を誇示し、その能力で他者を煙に巻いて、とにかく自分が傷つかないようにしてきたわけですが、それでは当然人生がうまくいくはずがなく。そこで、大学生になってからはとにかく自分のそんな傾向を省みて、他者に支配されない自己を確立するために新たな価値観を求めてきたわけです。しかしながら、過去の自分を否定して、それまでの生き方を否定するということは、社会そのものを憎むという事でした。つまり、「社会」と関わる以上、私の「虚栄心」は刺激されるわけで、私はあっという間に嫌いである小・中・高時代に戻ってしまう。それを避けるために私は「自分の嫌いな部分=社会」という風に位置付けて、苦しい気持ちで生きていました。

 

今回のvol.78では、一旦そういった自分自身の尺度による見識ではなく、もう少し医学的と言いますか、「発達障害」的な視点で自分を振り返ってみました。

結論から言えば、私は「発達障害」的な自分の要素をカバーするために多大な労力なりコストなりを支払って来たということです。現在でもそれがこびりついていて、普段社会生活を営むうえでとんでもなく疲れてしまう…段々とそういうことがわかってきたわけです。

例えば「忘れ物が多い」ということで、私は幾度となく周囲から注意されてきて、そのことが自分の「自尊心」…既出の言葉を使えば「虚栄心」が傷つけられてきました。それを回避ために、私は私なりにかなりの労力やずるい手法を使って生きてきたわけですが、それが大人になるにつれてキャパオーバーになっていったわけですね。「虚栄心」を傷つけられないようにあれやこれやと手を尽くすわけですが、それで酷く疲れてしまったり、逆にそれが他者を貶めることになったり、そういうのが嫌で私は「虚栄心」を憎むようになったんじゃないかと思ったわけです。すなわち、これこそが私が「社会」を憎む理由なんじゃなかろうか。

発達障害的な部分を指摘されることも嫌。発達障害的な部分を指摘されないために神経を張り詰めたり、他者を貶めたりするのも嫌。だから、私は社会とは関わらずに生きていきたい。でも、社会と関わらずに生きていくなんて無理。であれば、私はもう生きていくのが辛いので、できるだけ早く死んでしまいたい。

そういう風に考えると割といろいろなことが腑に落ちたのです。

そんなことを喋ったのがvol.78の動画になりますので、もしよろしければ。

 

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ここのところ色々考えることが多いので、更新頻度が上がっていますね。良いのか悪いのかわかりませんが、それでも前に進もうとしているのだと思い、無理なくやっていきたいと思います。

 

次回

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