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東野圭吾「白鳥とコウモリ」感想

東野圭吾「白鳥とコウモリ」を読了したので感想を残しておきたいと思います。

 

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白鳥とコウモリ

 

書店をぶらぶらしていたときに何となく本書の分厚さが気になって手に取ってみました。灰色の表紙も雰囲気があって、「白夜行」みたいな話かなぁと期待して読み始めた次第です。

 

 

ミステリーなのであまりネタバレは良くないと思いますが、ネタバレせずに感想を書くという高等技術は私にはできかねるので、しっかり目次を入れて章を分けさせていただきます。ネタバレなしでお話するのは「1.紹介」のみですので、ご承知おきください。

 

1.紹介

東野圭吾さんと言えば、現代ミステリー作家の泰斗であらせられるわけですが、私も過去に何作か読んでいます。自分で買って読んだものよりも、父が買ったものを実家に帰省したタイミングで読むことが多いですかね。プロットが良く出来ており、かつトリックそれ自体よりは人間関係に軸を置いている作品が多いため、ドラマや映画にしたときにさらに力を発揮する場合が多いですよね。

中でも私は上でも述べたように「白夜行」が大好きでして、山田孝之さんと綾瀬はるかさんが主演を務めたドラマ版は大好きです。堀北真希さんと高良健吾さんが主演を務めた映画版も素敵でした。もちろん小説でも読ませていただき、その淡々と切ない魅せ方には心が揺さぶられました。「容疑者Xの献身」は東野圭吾さんの作品の中でも映画化して最も成功したと言って良い作品だと思いますが、私ももちろん大好きです。「流星の絆」は受験勉強をサボりながら読んだ記憶がありますね。ドラマも面白くて大好きです。脚本が宮藤官九郎さんで、キャストも素晴らしく、「あぁ、東野圭吾の作品って人間を生き生きと描くものなんだな」と思わされましたね。

と、そんな感じでそれなりには東野圭吾作品に触れてきた私ですが、実は単行本を自分で買ったのは初めてのような気がします。いつも文庫本で読むか、図書館で読んでいましたね。

 

さて、私と東野圭吾作品に関するお話はこれくらいにしておいて、ここからは本書「白鳥とコウモリ」の紹介をしていきます。まだ読んでいない方向けの大まかなプロットと読みどころなどをまとめられればと思います。

舞台はざっくりと東京と名古屋としておきます。舞台は2017年の東京から始まり、ここで1人の弁護士が殺されます。殺害方法はナイフによる刺殺でしたが、死に際して不自然な点がいくつか見られました。ここではスマートフォンGPS機能が事件解明の頼みの綱として描かれており、刑事である五代はGPSの記録から被害者の足取りを追っていきます。そして、殺された弁護士の足取りと通話履歴などから名古屋のとある男が捜査線上に浮上します。この男は最初は事件についてはぐらかしていたものの、2度目の五代の名古屋訪問の際に色々と詰問され、その場であっさりと自白をしてしまいます。

GPSが鍵となっていたり、街中の監視カメラ映像が捜査の基本となっていたり、という部分からはかなり現代に則した内容になっているなぁという印象です。時代を切り取るミステリー作家としての役割をしっかりと果たされていて、その心意気が東野圭吾さんの素晴らしいところでもありますね。

そして、物語の1つの魅力となっているのが、この早々に行われる「自白」です。

決定的な「自白」という証拠により、淡々と捜査や裁判が進められていくことにより、次第に物語は単純な刑事ものから離れていきます。ストーリーテラーであると思われる刑事の五代は、徐々に事件から遠のいていき、その代わりに加害者の息子と被害者の娘が物語を牽引するようになっていきます。加害者の息子は父の自白内容に不信感を抱きます。「自分の父はこんなことをする人間ではない」と感じるわけですが、それが客観的な考察なのか、それともそうあって欲しいというただの願いなのか自信を持てずに苦悩します。そのうえ、父は自分に会おうともしない。その理由は何なのか…

そして、ほぼ同時進行で被害者の娘も「自白内容」から伺える父=被害者の行動に不信感を抱きます。父はそんな風に殺されるような人間ではない、と感じるわけですね。裁判に被害者の家族等が積極的に参加する「被害者参加制度」というものを用いる決心をするのですが、その根底にあるのは「加害者の自白内容が信じられないから、真実を問いただしたい」という気持ちです。

加害者の息子と被害者の娘は「自白への不信感」から「真実を知りたい」と思うようになり、事件を淡々と処理していこうという警察や裁判所の意思に反しながら、自らの手で事件を捜査していくことになります。そして、この立場の違う2人が出会う…そういった部分が本作の魅力ともなっています。

そして、本作のもう1つの魅力が「時効となった過去の事件」です。

少しだけネタバレになりますが、2017年に起きた弁護士刺殺事件の背後には、三十数年前に名古屋で起こった1つの殺人事件がありました。弁護士刺殺事件の犯人は、三十数年前に名古屋で起きた殺人事件の真犯人であり、その事実を知った弁護士に「時効とは言え、名乗り出るべきだ」と強く説得され、罪が暴かれることを恐れて今回も犯行に及んだと自白しているわけです。この三十数年前に名古屋で起こった殺人事件は、重要参考人として取り調べていた男が留置所で自殺したことにより、その自殺した男が犯人ということで決着を見ていました。が、実際には誤認逮捕のようなものであり、完全な警察側の失態でもありました。これを機に警察を恨むようになった、「自殺した男」の妻・娘も物語の中では楔(くさび)のような役目を果たしています。

「時効」という制度に対する考え方なども作中には少し出てきますが、それはあくまで副題のようなもので、この三十数年前の名古屋の殺人事件と今回の東京の弁護士殺人事件の間にある関連性こそが本作の最も深い謎として物語の背骨となっています。

「自白」は客観的な辻褄があっており、もはや警察も検察も、加害者の弁護士ですら事件をただの課題のように処理していこうとする中、この「自白」の内容が信じられない加害者家族と被害者家族。立場の違う2人が、今回の弁護士殺人事件の根底に潜む「時効成立済みの名古屋の殺人事件」まで辿っていくというのが本作のおおまかなストーリー・プロットとなっております。

 

小説として読み応えがある点としては、ストーリーの視点がコロコロと変わっていく部分になりますでしょうか。最初は刑事の五代の視点で初期段階の事件解明がなされていきます。しかし、「自白」というポイントを過ぎると、今度は加害者(犯人)の息子や被害者(弁護士)の娘へと移って行き、それぞれの立場から見える景色が描かれていきます。加害者の息子の目を通して、加害者家族としての社会的な制裁も1つの要素としてしっかりと描かれています。被害者の娘の目を通しては、「真実」ではなく「事件の決着」を目指す警察や検察に対するもどかしさが描かれています。そして、次第に2人は自らの疑念を明らかにするために、お互いに歩み寄っていきます。その2人に助け舟を出すように要所では刑事の五代も絡んでいき、さらに名古屋殺人事件の被害者家族も含めて客観的な視座を与えています。

このように公平にそれぞれの視点における苦悩を描くことが、最後の犯人の「真実の自白」によって明らかにされる事実に対して+αの衝撃や感慨深さを与えています。

 

本作を楽しむうえでの個人的な注意点としては、「トリックもの」ではないということです。完全犯罪の謎を解く爽快感のようなものは期待しない方が良いでしょう。また、「白夜行」のように濃密に少数の人間の人生を描く作品でもありません。事件は「三十数年前の名古屋の殺人事件」と「2017年の東京の殺人事件」という2つの時間軸に跨っていますが、その長期的な時間変遷の中での苦難に満ちた人生を描くことも主題とはなっていません。この作品の読みどころはやはり「立場」という部分にあると思います。自白した犯人の想い、殺された被害者(弁護士)の想い、そしてそれを解明しようとする刑事・加害者の息子・被害者の娘、そしてその楔となる名古屋殺人事件で自殺をした男の家族。これらのそれぞれの「立場」が、事件の真相とどのように関わっているのか。そして、真相が明らかになった時にどのように変わっていくのか。ここに面白さがある作品だと思いました。

 

2.感想 ※ネタバレあり

本作の裏テーマ的にあるのが、「意外と自分の親のことも知らない事ってたくさんあるよね」というものだと思っています。一緒に暮らして来たから、「どういう人か」という漠然とした人間像のようなものは少なくともわかるでしょう。加害者の息子も「父親がそんな動機で殺人なんて犯すか?」と自らの父の人間性と照らし合わせて、自白内容に不信感を抱いています。同じように被害者の娘も「父親がそんな風に自分が殺されてしまうくらいに相手を追い詰める人間だろうか?」と自白内容に疑念を持っています。しかし、いざ事件の真相を調べようと思っても、なかなか真実には辿り着けません。そこには「自分の親の歴史って意外と知らない」という部分があります。父と母がどのように出会ったのか。曾祖父、曾祖母にまで自分の出自までちゃんと把握しているか。そもそも殺された弁護士は名古屋になんて縁もゆかりもない。なぜそんな弁護士が、名古屋に住んでいる男の手によって殺されなければならないのか。この2人の間にある因縁を解き明かすうえでカギとなるのが、三十数年前の名古屋で起きた殺人事件です。

ここからは一々人物の立場で表記するのが面倒なので、以下のように書きます。

 

2017年東京の弁護士殺人事件の容疑者:達郎(倉木達郎)

弁護士殺人事件の容疑者の息子:和真(倉木和真)

弁護士殺人事件の担当弁護士(加害者側援助者):堀部

殺された弁護士:白石弁護士(白石健介)

殺された弁護士の娘:美令 (白石美令)

被害者参加制度の仲介人(被害者側援助者):佐久間

 

事件の担当刑事:五代

 

名古屋殺人事件の被害者(殺された人物):灰谷

名古屋殺人事件で嫌疑をかけられ自殺した男:福間(福間淳二)

自殺した男の娘:織恵

 

ざっと主要人物を書き出しただけでも、これだけの登場人物がありますね。実際にはもっと登場人物は多くなります。

和真は東京の弁護士殺人事件を通して、父の半生を知ります。真面目で公平な人間ではあると思っていたものの、地元の名古屋に父を残し、今は東京の立派な広告代理店で働いており、定年退職してから時々上京してくる父には基本的に無関心でした。やけに高頻度で上京してくるものの、いつも夜遅くに酒を飲んで自宅を訪ねて来ては一泊して帰っていくだけの父。東京に女でもできたのかと薄々思いながらも、そこには踏み込まず距離を取って接してきました。しかし、実際には過去に自分が関与していた殺人事件の罪滅ぼしだったなんて思ってもみなかったわけです。そして、父の真面目で公平な人間性は知っていたものの、自らが殺人犯になってまで、さらに実の息子を殺人犯の子供にしてまで守りたいと思っていたものがあるなんて。

美令は父の出自に対して知らないことがあり、父と母の出会いを遡ったり、母も知らなかった父と名古屋の関係までも調査して明らかにしていきます。そして父の祖母、つまり自分の曾祖母にあたる人間が名古屋にいたことも事件を機に知るわけです。それは父の過去の過ちそのものでもあるわけですから、ひた隠しにされてきた事実ではあるわけですが、しかし父の幼い頃の写真がきっかけで判明する事実でもあります。もしもその写真に興味を持ち、「これは誰?どこで撮った写真なの?」と生きていた父に聞いていればもしかしたら父は殺されることはなかったかもしれません。

私自身、ここ最近は自分の病気のこともあり、両親とよく話すようになりました。それまである意味では上辺でしか会話して来なかったんだなぁと思い知らされます。父と母の出会いもつい数日前に知ったばかりです。少し恥ずかしさもありますが、そういう話をしないでこれまで生きてきたんだなぁと何だか不思議な気分になります。もし病気をしていなかったら、両親の事をほぼ知らずに生きていったかもしれません。まぁ、それでもまだまだ知らないことはたくさんありますが。そして、単純な血縁関係という意味でも、この間初めて自分の祖父の「いとこ」に会いました。核家族化が進んだことも背景にはありますが、これも1つの現代的な問題だと感じましたね。私はなぜここにいるのかも、まともにわかっていなかったわけです。

 

少し変な角度から感想を書き始めましたが、意外と1番自分に刺さったのはこの点だったのかもしれません。

もう少し客観的な部分から本作の面白味を話していきますね。

 

1章の「紹介」でもお話しましたが、この物語の面白い部分はやはり「立場」の転換にあるのではないでしょうか。被害者の娘である美令が今度は加害者の娘になる、というこの「立場」の転換に面白味を見出せるように、事件の悲惨な部分というのは意外と和真の被る社会的制裁を中心に描かれていると思います。加害者遺族としてどのように振舞うかを弁護士の堀部から色々と忠告されていますが、これはつまるところ、加害者遺族に対する社会からの攻撃そのものを意味しています。そして、その最たるものが記者の南原です。南原のような記者によって情報は都合よく捻じ曲げられて報道され、その火種に面白がって薪をくべるSNS。自分の学生時代の写真までネットでばら撒かれ、会社からも謹慎の命令が下されます。

そう言えば、このGWには「紀州ドンファン」殺人事件がたくさん報道されていましたね。多くの人の妬みやら何やらを引き受ける容疑者の女性はまだ25歳というのに、コロナで暇を持て余した国民の憂さ晴らしのサンドバッグのようになっており、少し可哀そうにさえ思えました。と、少し話が逸れましたね。

このように加害者家族の悲惨さを和真の視点を通してしっかりと描いているからこそ、物語の終幕にて美令と立場が逆転した部分に感慨深さが見出せるのだと思いました。

 

そして、そのような「立場」というものをより浮き立たせる装置として、加害者側弁護士の堀部や、被害者側に立つ検察や佐久間弁護士、それから五代刑事を含む警察という存在は非常に重要であると思います。彼らは彼らなりの立場や目的を持って、事件にかかわっていきます。これもまたスクープ記事の記者や無責任なSNS上の人物と同じように、「殺した者」と「殺された者」の間にある真実を蔑ろにしている存在と言えます。そういう意味では、警察も検察も弁護士も「立場」というものを作り上げるものであり、今回のテーマである「立場の転換」をより際立たせるために重要な役割を担っていますよね。「人」対「人」だけに留まらず、社会の在り様を端的に描く本作では、やはりこれだけの副次的な人物も登場させる必要があります。普通のミステリーならばあまり描かれない弁護士や検察といった存在まで描く本作は、それだけリアリティのある社会風刺の意味もある作品だと感じました。

 

達郎の最後の真実の自白によって語られる、名古屋殺人事件における達郎・白石弁護士・灰谷・織恵の関係性もまたカタルシスを感じる部分ですよね。「これぞ東野圭吾!」という感じで、複雑な人間関係の中に見る人間の善意や弱い部分というのが実に見事に描かれています。殺人という差し迫った状況の中で起こり得る、どうしようもない事態。人間の道徳心と罪が交錯し、集約され、それがその後の人生を大きく変容させていくという、この一瞬の想いと永続する苦悩の描き方が素晴らしく好きな部分であります。

この物語においては、唯一本当の悪人として灰谷が登場させられています。灰谷という男の道徳心の欠如、あるいは人間的な弱さが周囲の人を巻き込んでいくわけですが、この灰谷の描き方についてもしかしたら気になる人も出て来るのではないかと思います。つまり、あらゆる物語においては「悪人」をただの悪人として描かずに、悪人にも「仕方ない部分があった」と思わせることは非常に重要な作法と言えます。達郎や白石弁護士の「悪」や「罪」については、灰谷という男を用いることでその説明がしっかりなされているわけですが、灰谷に関して言えば、どうあがいても「ただの悪人」となってしまっています。しかし、物語をスマートにまとめあげる上では、灰谷を「ただの悪人」として描かざるを得ないということもわかります。灰谷の人生まで掘り下げてしまうと物語は取っ散らかってしまうでしょう。なので、ある意味ではこの「悪人:灰谷」という役回りは物語の構成上受け入れざるを得ない部分と言えます。が、気になる人は気になるかもしれません。

しかし、この灰谷さえ除いてしまえば、あとの人間に関してはよく描写されており、充分に共感を抱ける人間性だと思います。ただし、やはりこの物語の神髄は「立場の転換」であり、それが本作のタイトルでもある「白鳥とコウモリ」に集約されています。過去(名古屋)の事件と現在(東京)の事件を結び付ける複雑な人間関係やそこに含まれる人情(人の善性や贖罪)という部分は、あくまで東野圭吾さんのお得意の武器でありエッセンスではあるものの、物語の主題というわけではなさそうです。

なので、もしそういう部分でより深みを見出したいというのであれば、色々と他に読むべき作品はあると思います。もちろん本作も十分に人情面でも面白いですが、やはり本作は「テーマ小説」と考えた方が納得のいく読後感を得られると思います。

 

総じて、本作はテーマである「立場の転換」というところに面白味を見出すための仕掛けがたくさん散りばめられている作品と言えますね。そして、そのような「立場」というものを扱う以上、複数の登場人物を駆使して、様々な視点を用意した結果、社会風刺の感じさえ漂っています。東野圭吾作品らしい純粋なミステリーとしての面白さもありつつ、「立場の転換」というテーマを楽しみつつ、また社会的な視点での学びもあるという重厚な作品と言えるのではないでしょうか。

 

3.最後に…

久しぶりにミステリー小説を読んだ気がしますが、やっぱり面白いものですね。単行本はやはり値段的にお高いものの、特別感があってなかなか良いものです。何より書店で並んでいてもつい手に取ってしまうので、普段あまり文芸誌やエンタメ番組などで情報収集をしない私はついつい単行本に手を伸ばしがちです。就寝前の読書習慣も後押しをしている節もありますが。

そして、本を読んでその感想文を書くというのは楽しいものです。島田荘司の「火刑都市」も読んだので、これからそちらの感想文も書きたいと思います。