霏々

音楽や小説など

適応障害と診断されまして… vol.28

適応障害と診断されて38日目(11月21日)の夕方にこの記事を書き始めています。もはや適応障害とはほとんど関係のないただの日記と化してきました。

 

前回

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1.適応障害と診断されて37日目~睡眠~

朝また少し早めに起きることに成功するも、とても身体が重いです。しかしながら、何とか会社へ行く父と妹を見送ることができました。これはここ最近の私にとってはちょとした快挙です。が、雨も降っているし、することもないので、とりあえず気になっていた「田村淳のコンテンツHolic」の藤井健太郎さんがゲストの回を観てみました。

藤井健太郎さんは「水曜日のダウンタウン」を始めとした、「クイズ・タレント名鑑」や「テベ・コンヒーロ」などの私が大好きな番組を手掛けている方で、演者側で映像媒体に出演するのは初めてということでした。Twitterでフォローするくらいには藤井健太郎さんが好きなのですが、番組ではどんなコンテンツに影響を受けているかが紹介されていました。中でも「さらば青春の光」(お笑いコンビ)と藤井健太郎でやったイベントには非常に興味をそそられました…いやぁ、第2回やってくれるならぜひ見に行きたいですね。Netflixとかでやってくれれば、1番手っ取り早いんですが、「これだけ自由にコンテンツを視聴できる世の中で、あえて視聴の難易度がめちゃくちゃ高いものやってみたかった」と言っていたのでなかなか難しいですかね。

藤井健太郎さんが紹介していたコンテンツで私が興味を持ったのは、Netflixで公開中の「ブラックミラー・バンダースナッチ」という作品でした。「ブラックミラー」はアメリカ版の「世にも奇妙な物語」みたいなもので、「バンダースナッチ」を題材にした作品です。「バンダースナッチ」というのは昔よくあった、「Aの選択肢なら43ページに、Bの選択肢なら25ページに」みたいな本という形式の冒険ゲームみたいなものです。私も昔に何かでやったような気がします。この「ブラックミラー・バンダースナッチ」というコンテンツの面白いところは、実際に映画を観ながらも、視聴者が自分たちで選択肢を選び、それに応じたストーリーが展開されるというところです。実際に私がやった後、母にもやらせてみましたが、別の結末になりました。久しぶりに刺激的なものに出会った気がします。

藤井健太郎さん自身も「水曜日のダウンタウン」の中で、「dボタン」と「クロちゃん(安田大サーカス)」を使って(「使って」という言葉は失礼ですね…)やった経験があるそうですが、選択肢の決定方法が視聴者の多数決にしてしまうと展開が刺激的な方に流れ過ぎてしまい、本当に面白い展開にはならなかったと少し残念そうでした。いつかのインタビューでも、「オチは複数用意していて、どう転んでもオチがつくように企画を考えている」と語っていましたし、今や伝説となっている「6人のテレビ局員と1人の千原ジュニア」での藤井健太郎さんの回でも見せている通り、本当に下準備に余念が無い人だからこそ、こういう「ブラックミラー・バンダースナッチ」みたいなものが好きなんだと思います。ハプニングを楽しみながらも、そのハプニングすら自分の制御下に置いてしまう…さすがです。

他にもあさぎーにょさんの「もう限界。無理。逃げ出したい。」というコンテンツも紹介されていましたが、これは何のきっかけだったかで私も観たことがありますね。

 

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私も素直に面白いと思いましたが、藤井健太郎さんは「YouTuberをフリにして、新しいメディアで質の高いコンテンツを作っている」というその構造自体に面白味を見出しているようでした。題材的には結構やり尽くされているものなので、実は私的には「まぁ、こういうのは好きだしなぁ」くらいだったのですが、そういう見方もあるわけですね。

 

そんな感じで午前中を作品観賞に捧げたわけですが、昼食後、暴力的な眠気に襲われます。たぶん直前までNetflixでアニメの「ピンポン」を観ていたと思うのですが、実はあまり記憶がないほどです。午後の1時過ぎくらいに恐らくソファの上で眠りに落ちて、2時半過ぎくらいに1度起床。トイレを挟んで、そのまま自室で睡眠。気がつけば6時前になっていました。

いったいあの眠気はなんだったのか…

よくわからないまま、夕飯を食べ、だらっとバラエティー番組を観て、「STAND BY ME ドラえもん」を観て、「ダウンタウンなう」を途中から観て、風呂に入って、「カリオストロの城」の本当に最後のシーンだけ観て、自室に引き上げました。

 

ヤツはとんでもないものを盗んでいきました。あなたの半日です。

 

アニメ「ピンポン」を数話観て、就寝。そんな1日でした。本当に、私は一体何をしていたんでしょう。

 

2.適応障害と診断されて38日目~疲労コネティカットのひょこひょこおじさん

朝6時に尿意で起床。子泣きじじいでも背負ってるのかというレベルの体の重さでしたが、用を足してまた就寝。その後、8時に母に起こされますが、強烈な眠気と疲労感でなかなか起き上がることができません。それでもなんとか8時半ごろにはリビングで朝食を摂り始められたものの、頭痛が酷いです。イヤホン+読書+ごろ寝で頭痛をやり過ごし、気が付けば10時近くになっていました。

昨日の眠気から異常な疲労感がありましたが、おそらくは連日のあれやこれやというのが結構体には堪えていたのだと思います。別に、ちょっと母とドライブに行ったりしていたくらいですが、それでも今の私には結構な疲労になってしまうようです。少しは自重せねば。ということで、今日は1日ゆっくりお留守番ということになりました。

家族が出払ってしまったので、私は1人でスピーカーで音楽を聴きながら、サリンジャーの「ナイン・ストーリーズ」という短編集の「コネティカットのひょこひょこおじさん」の考察記事を書き始めました。ずっと書こう、書こうと思い、少しは書いてあったものの、先延ばしにしていたのです。それがこうやって適応障害なんてものに罹り、奇しくも時間ができたため、再度書き始めた次第です。昼飯を挟んで、書き上げたのが15時半くらいです。ということはだいたい4時間弱くらいは、短編集とこのブログを突き合わせたりしていたわけですね。結局、疲れるようなことしてしまったんじゃないか、と思いながらも、今は割と気分が良いです。

実家の大きなテレビも独占していますし、久しぶりにまともに頭を使ったような気もします。

ただ1つ問題があるとすれば、昨日は寝ていただけだし、今日は考察記事を書いていただけなので、この「適応障害ブログ」で書くことが何もないということです。ただでさえ、最近は積極的な治療をしているわけではないので、ただの日記と化しているこのブログです。よくよく考えて見れば、1日あたり3000字近い日記が書ける日々を過ごしている時点で(個人的な思索がその大半を占めるとは言え)、なかなか行動的な日々を送っているわけですよね。ちなみに、今回のブログについて、ここまでは1日1500字ペースです。いつもの半分くらいなわけです。

 

3.ひとり言

というわけで、何も書くことが無くなってしまったので、ここからは本当に何の計画性も、何の手がかりもなしでひとり言を言っていきたいと思います。この文章を書いている段階では、まだ何を書くとも決めていません。もう自分の言語野に全てを任せました。

そう言えば、そんな風にして創作物を書いたことがありますね。

 

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このブログのタイトルにもなっている「霏々」という創作物です。動物の「ヒヒ(狒々)」というイメージを持って書き始めた記憶があります。たしかちょうどその頃にバズマザーズの「ムスカイボリタンテス」というアルバムが発売され、バズマザーズと言えば山田亮一、山田亮一と言えばハヌマーンハヌマーンと言えば猿…ということで、「猿」にちなんだタイトルを考えていました。そこで「ヒヒ」という音の響きの良さに惹かれて、何か丁度いい読み替えが無いか、PCの変換機能に頼ってみたところ、「雨がしとしと降り続ける様」を意味する「霏々」という言葉にぶち当たりました。創作物のコンセプトとしても、「ただただその時に思っていることを書く」というものでしたから、「しとしと」というほど感傷的で繊細な内容でないにせよ、「延々と降り続ける」みたいなイメージで「だらだら」書き続けるということに若干マッチしているように思いました。結果的に、自分のトラウマを暗喩するシーンでは「霏々」という言葉を盛り込むこともでき、今では結構納得しているタイトルです。

そして、ちょうどその「霏々」を書き上げた辺りで、「ブログをやってみたい」と思い始めていたので、ブログのタイトルにもほとんど同じような意図を持って「霏々」というタイトルをあてがってやりました。なんて言うか、自分の創作物とかそういうものに対して、自分で解説を加えるというのは無粋だと思いますが、まぁ、せっかくなんでね。それにこんなわけのわからないタイミングでブログタイトルの意味を書き出すことに関して言えば、それなりに粋でもあるかなぁと思ったり、思わなかったり。

結局、今となってはこうしてだらだらと(霏々と)意味のない文章を書いているので、ブログタイトルの設定としては正解だったように思います。

繰り返し無粋なことをしますが、創作物の「霏々」の中で好きな言葉がありまして、それは「全ての言葉が全ての言葉に対する枕詞であるように」というものです。文章を書くことが好きな私にとっては、「何か書け」と言われれば、とりあえず私は何かを書けます。もちろんその書いたものに何も価値がないというのは私のお墨付きです。まるで1人で「マジカルバナナ」をしているようなもんです。延々どころか永遠と私は1つの言葉を枕詞にして、また次の言葉を引っ張り出すことができます。こんなものは能力でも何でもなく、ただ恥も外聞もないというだけであって、むしろ「能力の欠落」によって私はだらだらと文章を書き続けることができてしまうわけですね。

話は変わりますけれど、今日の私の唯一の活動(屋外への投身)はゴミ捨てでした。猫の糞が入ったゴミ袋を手に下げ、上下はスウェット、足元はクロックスという格好で無精ひげを伸ばした30手前の男が近所を闊歩することに、両親はきっと良い想いをしないだろうなと思いつつも、着替える気にも髭を剃る気にも、働く気にもなれない私はだらだらとした足取りでゴミ捨て場へと向かいました。ゴミ捨て場の扉を開けると、そこは空っぽ。あぁ、間に合わなかったか。悠長に昼飯を食べている場合ではありませんでしたね。ゴミ捨てすら満足にできない自分とは、どれだけクソ野郎なんだと、猫のクソを手に提げながら来た道を戻ります。風は冷たく、冬の予感を孕んでいます。そう言えば、以前会社の報告書か何かで「○○という可能性を孕んでいる」という言葉を使ったところ、上司から訂正が入りました。「孕む」という言葉はあまりこういう時に使わないものだよ、と至極真っ当なご意見をいただいたわけです。かねてより、私は日本語の数が減っているような気がしているのですが(「激おこぷんぷん丸」みたいな言葉がこの先に残っていくのであれば、そんなにも減っていないのかもしれませんが)、こういう風にして少しずつ日本語も淘汰されていくのだなぁと思いました。もちろん、効率性を追い求める社会においては、不要物の排除こそが重要であり、私たちは均質化された共通言語でコミュニケーションを図ることが求められ続けていくでしょう。はて、いつの間にかゴミ捨ての話から、語味捨ての話になってしまいました。ちなみに、「語味」なんて言葉はありません。「言葉やその意味を表す」用語として今しがた私が勝手に作りました。「激おこぷんぷん丸」と一緒に死んで、お隣の土を盛っただけの墓に埋葬されてください、どうぞ。

猫の糞と怠惰と駄文を詰め込んだゴミ袋を実家に持ち帰り、ベランダに放り投げます。まるで自分自身を寒空の下に放り出しているようで悲しくなりましたが、匂うので仕方がありません。この社会は不要物を排除することでさらなる高みへと向かっていくそうです。なんとも頼もしい。そして、喜ばしい。スペースシャトルが不要になった燃料タンクを切り離すことで更なる推進力を得るように、さっさと私を切り離して、宇宙の果てまで飛び去ってほしいものです。宇宙の事象的地平面の向こうまで。

ちょっとした宇宙科学かぶれになってからというもの、私には宇宙の果ての意味もよくわかるようになりましたし、人間の認識能力の限界についてもだいぶ受け入れられるようになってきました。つまり、情報伝達の限界です。しかし、だからこそ、知覚を前提とした言わばアポステオリ的な認識ではなく、知覚不要の完全な自己の理性から成り立つ言わばアプリオリ的な認識に助けを求め、私は自分の殻の中に閉じこもろうと考えてしまうわけです。けれど、どうやらその自己完結的な理性すら完全ではないそうです。全く以って救いのない世界ですよね。どこをどう見渡しても限界の壁ばかり。でも、その壁に辿り着くことすら私にはできないわけです。無限の霧の中でとりあえず歩いていたら、色んな人が「この先に壁あり」という立て札を親切にも至る所に残してくれているのです。はぁ。もはや霧だらけでどこに向かって歩いているのかもわからないのに、結局行きつくところは壁です。では、何のために歩いているのか。まったく、溜息しか出てきませんね。だから、あとは適当に散歩するようにだらだらと文章を書くことしか私には残されていないわけです。

と、だいぶ訳の分からないことを書き散らしてしましました。

と、これでようやく5700字まで来たので、あと300字程度書いて、今日の分はお終いにしましょう。

 

300字という僅かな余命の中で私が最後にやりたいことは、ゴミと倫理について喋ることです。私は幼い頃から「ゴミの分別をしなさい」と言われて育ってきた世代です。今日も使い切ったティッシュ箱の裏側からビニールの口部分を剥がして捨てました。こんな些細なことにどれだけの意味があるのか。私が動植物を喰らい、そこから得たエネルギーを使ってまでやる価値があるのか。しかし、そういった計算や分析抜きで、私は習慣的にそういった分別を行っています。イデオロギーから集団の倫理観へ、集団から個人の倫理観へそれは落とし込まれ、最終的には私の習慣としてそれは定着しました。でも、私には「ゴミを出さない」という習慣がありません。(300字)

 

さて、これで6000字に達したので、終わりましょう。今日も今日とて、ゴミを増やすだけの日でした。地球よ、赦してたもれ。

 

次回

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