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J.D.サリンジャー「ナイン・ストーリーズ」考察 vol.2 ~コネティカットのひょこひょこおじさん~

長々しい前置きはやめて、前回の続きから進めていきたいと思います。

 

 

 

1.vol.1 前書き・バナナフィッシュにうってつけの日

eishiminato.hatenablog.com

 

2.コネティカットのひょこひょこおじさん

「1.バナナフィッシュ~」に引き続き、グラース家のメンバーが登場する短編です。グラース家は上から4番目(三男)のウォルトが登場しますね。本作においては、まだウォルトはグラース姓を与えられていませんが、本作で提示されるパーソナリティ・来歴は後のグラース家を描いた作品にまで引き継がれています。なお、ウォルトには双子のウェイカーという弟が後に与えられることになりますが、本作には関係の無いところになります。

とは言え、本作の主軸となるのは亭主と幼い一人娘を抱えた主婦であるエロイーズと、その大学時代の友人であるメアリ・ジェーンの「会話」です。2人は大学寮のルームメートだけあって、互いに所帯を持ってからも良き友人であります。ネタバレになりますが、エロイーズは戦争で元旦那のウォルトを失っており、その後新しくルーという男と結婚し、娘のラモーナを授かっています。エロイーズとメアリ・ジェーンが会うのはおそらく数年ぶりといったところ(明記されていませんが、文章の雰囲気から…)で、久しぶりの再会に、大学時代の思い出話をつまみにして昼過ぎからお酒を飲んでいる場面が本作のほとんどを占めています。

本作を読み解くにあたって、大まかな重点を羅列すると、

・エロイーズの現在の生活に対する評価

・エロイーズのウォルトに対する想い

・エロイーズの娘に対する解釈

という3点が挙げられます。昔馴染みのメアリ・ジェーンとの会話(酒)を通して、エロイーズの閉ざされた心の中で降り積もっていた「何か」が溶け出し、この3点が再構築・再認識されていくというのが、物語の構成となっていますね。

本作においても、サリンジャーの淡麗かつ急所では激しく熱された文体が光っておりますので、前回同様物語冒頭の導入から始めていきましょう。

 

・導入 再会から雑談

冒頭からまるっと1段落で、主演であるエロイーズと、助演を務めるメアリ・ジェーンの人格紹介がなされています。また具体性のある2人の来歴やそれと付随した関係性などは2段落目でなされているものの、この1段落目では2人の行動ややり取りからもっと直接的な人間関係が見えてきます。

道に迷い、狼狽し、とんちんかんな受け答えをして、終いには「それにしてもヘルニアってどんな病気?」とずれた質問を投げかけるメアリ・ジェーンの行動からは、彼女がどこか所謂「天然」っぽいところがある女性だと読み取れます。対して、主演のエロイーズはそんなメアリ・ジェーンの言動を冷静に受け止め、訂正を与えたり、最低限の不満を言ったり、ヘルニアについての質問には「メアリ・ジェーンなどにはまず罹る気遣いのな病気だ」と皮肉交じりの答を返しています。このことから、頼りのないメアリ・ジェーンのことを、いつも冷静沈着でどっしりと構えたエロイーズがフォローしているという2人の関係性が見えてくるでしょう。

2段落目では、すでに説明した通り、2人が大学時代のルームメイトで、ほとんど同じ時期に大学を中退しており、一般的に考えてもかなり親密な間柄にあることが精細に説明されています。退学の理由が不純異性交遊(みたいなもの)というのが、また2人の多感な女子大生時代を思わせますね。そして、何だか時代ようなものも感じます(現代であれば不純異性交遊くらいで退学処分にはならないと思うのですが…それくらいで退学処分になるのであれば私は何度退学になったことか…なんてことを言ってみたいものです)。

少しくだらないことに文字数を割いてしまいましたが、その後の2人の会話を追っていくと、本当に2人が対等で気の置けない間柄であることが伝わってきますね。噂話などで盛り上がるところはいかにも女友達らしい感じですが、エロイーズの方が若干口が悪く辛辣で、メアリー・ジェーンはエロイーズよりも幼い感じがあり、エロイーズの辛辣な部分にも共鳴して会話を楽しんでいます。注意深く読んでいかないと、ときどきどっちがどっちのセリフかわからなくなってしまうかもしれませんが、基本的には辛辣な方がエロイーズで、軽薄な方がメアリー・ジェーンという感じでしょうか。どちらの形容も悪口みたいに聞こえて申し訳ありません。そして、辛辣と軽薄では結局わかりにくいですよね。とは言え、この一連の会話を通して押さえておきたいポイントは、そういった2人のパーソナリティの比較というよりは、共通の話題を誰に気兼ねするでもなく楽しそうに話す2人の「親密さ」です。

 

さて、ここまでをざっとまとめます。

まず、2人の会話から見る通り、エロイーズとメアリ・ジェーンはかなり親密な間柄ということですね。この2人の親密さがあるからこそ、今後の展開の中でエロイーズは自らの閉ざされていた心の扉を開き、感情を吐露できるようになるわけです。

そして、冒頭の再会シーンと、会話の節々から、エロイーズは冷静沈着かつ辛辣…つまり、所謂「サバサバ」したタイプの女性で、メアリー・ジェーンとセットで考えたとき、微妙ではありますが「エロイーズ>メアリー・ジェーン」というパワーバランスがあることが見えてきます。もちろん、友情において「どちらが上」ということはなく、例えば「いじる側>いじられる側」というわけではないというのも、忘れているわけではありません。ただ大小関係で表しておくと後々便利なので、このように表記させていただきました。

そのようにして、物語が進んでいくと、次第に心の鍵が緩んでいくエロイーズはその持ち前の「サバサバ」した感じを失っていきます。最終的には涙を見せ、メアリ・ジェーンに自分を肯定して欲しいという状態にまでなります(物語はそのシーンで終わるわけですが)。

というわけで、この導入で描かれた再会シーンから雑談シーンまでは、今後の物語の展開上必要な「前振り」として機能していることがわかります。

サリンジャーの書き出すリアリティ溢れる淡麗な文章は、一文々々の精巧さは言うまでもありませんが、全体の構成力もまたさすがの一言ですね。極力情感のようなものを排除してるからこそ、一瞬だけ浸み出す「熱」が言いようのない物語の深みを作るというのが、特にこの「ナイン・ストーリーズ」に見られるサリンジャーの都会的な文章の特徴だと思います。そして、その特徴は本作においてもいかんなく発揮されるので、それも楽しみにしながら先へと進めていきます。

 

・ラモーナの登場

エロイーズとメアリ・ジェーンが共通の知人に関する下世話な噂話をしているところに、不意にラモーナが現れます。「ニグロ」や「強姦」といったあまり子供には聞かせたくない言葉が飛び交う中での登場です。エロイーズは「ドアを閉めて」や「オーバーシューズを脱がせてもらって」と娘のラモーナに母親らしい指示を出しますが、この最初の段階ではどこかメアリ・ジェーンとの楽しい時間を邪魔されたくないという雰囲気が滲み出ているように思います。娘が帰って来たというのに、ソファから立ち上がる様子も無く、頭をもたげて声を張り上げたり、目をつぶったまま怒鳴っていることから、そんな印象が付与されているように思います。対して、お酒を零したメアリ・ジェーンに対しては、自ら新しいお酒を作って来ようかと申し出ていますね。

最たるものは「ラモーナは誰に似ている?」とメアリ・ジェーンに聞かれて、父であるルーの名前を出しますが、最後には「父親似でなく、コッカー・スパニエル(犬)のように自分に似ている存在が欲しい」と皮肉のような冗談を零しています。ほかにも視力の話や、物語の核心であるイマジナリーフレンドのジミーの話に対するエロイーズの態度からは、実の娘であるラモーナのことをあまり理解できていないという自覚があるように見受けられます。エロイーズは娘のラモーナの事を愛していないわけではないのでしょうが、しかし理解することのできないラモーナのことを溺愛まではできていません。エロイーズはラモーナの行儀の悪さを細かく指摘していますが、子供目線に立ってラモーナに話しかけるメアリ・ジェーンが描写されることで、よりエロイーズの自らの娘に対する苦手意識みたいなものが浮き彫りになっています。

「バナナフィッシュ~」でも、幼いシビルと彼女の母との乖離感がありましたが、ここでも同じように母:エロイーズと、娘:ラモーナの乖離感が描かれているように思います。ただ、今回は母であるエロイーズ視点で、その苦い感情を私たち読者は感じることができるでしょう。

ラモーナが再び外に遊びに出掛けると、それを見計らっていたかのように、エロイーズは酒を作るために立ち上がります。用事(というか仕事)があるから、と帰ろうとするメアリ・ジェーンを無理やり引き留めて、何とかそれに成功すると、気分を良くしたのかストリップの真似事をしてメアリ・ジェーンを笑わせます。こうして娘がいなくなった瞬間に機嫌が良くなるという描写もまた、エロイーズとラモーナの間のぎこちなさを後押ししているように思います。

さて、この最初のラモーナの登場もまた物語の前振りとして機能しています。「天然」で考えの浅いところはあっても、子供に対して優しいメアリ・ジェーンと比較すると、やはりもともと「サバサバ」した性格のエロイーズとは言え、実の娘に対する素っ気なさからは何か不穏なものを感じますね。そして、上ではほとんど触れていませんが、ジミー・ジメリーノというラモーナのイマジナリーフレンドも登場するのですが、この「イマジナリーフレンド」という存在がある意味ではこの物語全体を通しての1つの象徴として君臨しています。この象徴をどう解釈するかについては、また後半で話していこうと思います。

 

・ウォルトとの思い出話

エロイーズは一貫して、前の恋人であるウォルトのことを心の底から愛していること彼女の思い出話からが伺えます。思い出話は主に4つあり、「かわいそうなひょこひょこおじさん」・「汽車の道中」・「軍での進級」・「死んだ理由」に分けられます。間に現在の夫であるルーに対する批評なども入りますが、まずはこの4つの話から伝わって来るウォルトの人物像とエロイーズとの関係性について話していきたいと思います。

まず、「かわいそうなひょこひょこおじさん」の話から言えるのは、ウォルトが優しさとユーモアに富んだ人間ということです。ちなみにわざわざ説明するまでもなくきちんと訳注にありますが、ウォルトのこの冗談は、足の悪い老兎である「ひょこひょこおじさん」が登場する童話を引用した単なる駄洒落です。「アンクル=uncle(おじさん)=ankle(くるぶし)」ということで、そういった状況に合わせて駄洒落をさっと言えるような頭の回転の速さや、それをあえて恥ずかしがったりせず、しかもおそらくはドヤ顔無しで言ってしまえるところにウォルトの魅力があるのだと思います。また、ここが1番重要なのかもしれませんが、くじいてしまったエロイーズの痛む足に対して、「かわいそうな」という修飾語をつけているところも、素敵な部分ですね。きちんと相手のことを心配しながらも、ちょっとしたユーモアで笑わせてくれる。そんなウォルトの事を思い出してエロイーズは「いい子だったなぁ、彼」と懐かしみます。

次に「汽車の道中」の話では、ウォルトがユニークで飾り気のない豊かな愛情表現を持ち、また常に面白味のある言動でエロイーズを笑わせてくれる存在であったことが語られています。エロイーズのお腹を撫で、これだけ幸福だと、逆の手は汽車の窓の外に放り出して吹っ飛びでもしないと釣り合わないというようなことをウォルトは言います。格好つけるでもなく、おそらくは本心でそんなバカげた愛情表現のできる彼に対し、きっと今では皮肉っぽいエロイーズも少女らしい幸福を感じたことでしょう。そして、ふいに現れた車掌に向かって、現代の日本で言うところのちょっとしたミニコントをしかけたりして、エロイーズを楽しませてくれます(車掌さんの対応も素晴らしいですが)。これらのことから、ウォルトが幸福や喜楽を隠さず、少年のような真っ直ぐさと機転の早さでその場その場を明るくしてくれるような存在であることがわかります。

3つ目の「軍での進級」に関する話では、ウォルトの社会観みたいなものが伺えます。一般的には軍で進級することが重要視される社会において、ウォルトは自らの進級の方向性について、次々軍服をちぎり取られて最後にはへそに小さな歩兵のバッジだけが残るだろう、とエロイーズに話しています。軍なんてくだらない、というウォルトの基本的なスタンスが垣間見えますね。が、それだけでなく、この話を喋る前に思い出してエロイーズは不意に笑い出しており、このことからウォルトが半分以上はエロイーズを楽しませるためにそんな話をしたことが伺えます。自分の社会観を話すときにすら、ウォルトはユーモアを忘れずにいつだってエロイーズを笑わせています。

最後の「死んだ理由」に関しては、話というよりはただの事実ですが、ウォルトが戦地から引き上げる際のガスストーブのしょうもない爆発事故で死んだことが明らかにされます。人間の死に様ですから笑えたものではありませんが、それでも剽軽者の青年にとってはある意味では「らしい」死に方だったとも取れます。ウォルトならおそらくユーモアやコミカルな演技で以って、自分の死に際を面白おかしくエロイーズに言って聞かせたことでしょう。

これだけ並べて見ると、ウォルトがエロイーズを深く愛しており、かつ世間体やら何やらをうっちゃって、ただただ2人での面白く楽しい時間を作りたいという人間であることが伝わってきますね。純粋無垢な青年というイメージがあります。

対する現在のエロイーズの夫であるルーは、ウォルトとは全く逆のタイプの人間であることが伺えます。軍での階級を気にしたり、知的ぶったり、女々しい独占欲があったり、とそんなふうにエロイーズからは評されています。「低能」とすら言われていますからね。実際問題として、ルーが本当にそれだけエロイーズに悪態をつかれるほどの酷い夫であるかは疑問が残ります。メアリ・ジェーンもルーに対して「知性がないとはいえない」と評していますし、おそらくは世間一般の観点で言えば、ルーは大人びていてしっかりとした社会人ということになるのでしょう。エロイーズが羅列するような欠点も幾分かあるのでしょうが、それもどちらかと言えば、「男なんてそういうものでしょう」と割り切れてしまうくらいのものです。世の女性から言わせれば「気にするほどのことじゃない。むしろ自慢の夫じゃない」というくらいのもののような気がします。ただ、エロイーズからしてみれば、ルーがそんな風に世間から評価が高いことも気に入らないのでしょう。この辺りもまた作者であるサリンジャーらしい、世の中に対する穿った見方がエロイーズを通して漏れ伝わって来る部分になります。

当然ながらメアリ・ジェーンは「じゃあ、なぜルーと結婚したのか」と尋ねますが、これに対してエロイーズは上手く答えることができません。というか、答えようとしても出て来るのは悪態ばかりです。エロイーズは当初、ルーが「ジェーン・オースティンが大好きで、彼女の作品は自分にとって非常に重要な意味を持っている」と言っていたことに惹かれたと考えています。ちなみに私もジェーン・オースティンの作品は直接読んだことはありませんが、ずっと昔にNHKの「100分で名著」で「高慢と偏見」が紹介されていて何となく話の肝はわかっているつもりです(この記事を書くにあたって再度Wikipediaであらすじだけ確認しましたが)。ジェーン・オースティンの「高慢と偏見」では、貴族らしい「高慢さ」であったり、貴族の間のパワーバランスなどから来る上位から下位、下位から上位に対する「偏見」が恋愛物語のキーとなっています。エロイーズはウォルトのように高慢でもないし、偏見みたいなものもあまりない純朴な人を好いていましたし、それでいて知性的な部分を感じさせるルーに惹かれたのでしょう。ウォルトのように無垢な青年も素敵だけれど、自分も歳を取ったし、結婚して家庭を持つならルーみたいな落ち着いた人間も良いだろうと考えたのかなぁ、と私は想像しています。ましてやルーはジェーン・オースティンが好きで、エロイーズが苦手とする「虚栄心」みたいなものがなさそうだし…でも、結婚してみればルーはジェーン・オースティンなんか1冊も読んでいないし、そこら辺にいる高慢で偏見に満ちた男と何ら変わらないことがわかってしまいます。ただルーは(社交的な場では特に)そういう風に自分を見せない大人びた立ち振る舞いができるというだけのことだったのでしょう。

また、ルーの嫌なエピソードについて1つ印象的なものがあります。自分で読んだ本のルーの評し方に対して、エロイーズは「良く書けているなんて言わずに、素直に気に入ったんだって言えば良いじゃないか」と言っています。いま手元に本が無いので記憶に頼って書きますが、確かサリンジャーの「大工よ、屋根の梁を高く上げよ」の中に出て来るシーモアの手紙か日記か何かの中で同じようなエピソードが出てきます。シーモアは自分の愛する妻のミュリエルの言葉遣いの変化について自責の念を抱いています。たしかこんな内容でした。「彼女はそれまで可愛いものを見たら素直に『可愛い』と言っていた。でも、いつしか『なかなか良いわね』と言うようになった。いや、そういう風に僕がさせてしまったのだろう」。と、つまりはサリンジャーが、自らの理知的な部分が、本来であれば知性なんかよりもよっぽど優れた純朴さや無垢さを殺してしまうと考え、憂いているわけです。本短編集「ナイン・ストーリーズ」のラストを飾る「テディ」の中でも、このような人間の理性に対する嫌悪感みたいなものが描かれており、そんなサリンジャーらしい感覚をエロイーズもまた宿していることがわかるエピソードになっています。

サリンジャーが考える理想であるところのウォルト、そして嫌悪の対象としてのルー。その狭間に立たされ、ルーの側しか選び取ることができずに悲嘆に暮れるエロイーズという立ち位置がこれらのエピソードから描き出されています。

 

・ルーとの電話、グレースとの会話

ウォルトの思い出話をして泣き出してしまったエロイーズのもとに、娘のラモーナが帰って来ます。しかし、悲嘆に暮れるエロイーズにはラモーナの世話をしてやるだけの気力がなく、メアリ・ジェーンに代わりにやってもらうよう頼みます。ここではラモーナのイマジナリーフレンドのジミーの事故死についても語られますが、これについてはまた後でまとめて意味を考えます。

メイドのグレースがお手洗いで不在の中、メアリ・ジェーンはラモーナのオーバーシューズを脱がしてやることができず、結局エロイーズが自分でラモーナのオーバーシューズを脱がせてやることになります。そして、そのときにラモーナが少し熱っぽいことに気が付き、さっさと部屋で夕飯を食べて寝るようにと命令して追っ払ってしまいます。エロイーズはラモーナがいなくなってからまたすぐに煙草を吸い、酒を飲みます。

もともと理解し合えない娘のラモーナに対するストレスもあるでしょうが、酒と悲しい昔話(と現状の比較)のせいでかなり参っていることが伝わってきますね。そして、そのエロイーズの悲嘆に暮れ具合みたいなのが、ルーとの電話やグレースとの会話によってさらに強調されることになります。

 

まず、ルーとの電話ですが、酔って眠っているところに電話がかかって来て、部屋の明かりも点けないままエロイーズはその応対をします。エロイーズは「迎えには行けない」と返答しつつ、かなり厭味ったらしい言葉を投げかけることになります。また、この場面の描写の妙としては、ルーのセリフが一切記述されないことで、エロイーズが自分の殻に閉じこもっていることが強調されます。完全に夫の心情なんか無視しており、ただただ自分が気に食わないからという理由で、夫を一蹴してしまうような感じです。特に雪の中を歩いて帰らなければならなくなった夫のルーに対して、「いっそのこと隊を組んで、おイチニ、おイチニと行軍して来れば、あんたも隊長風吹かせられていいじゃない」と馬鹿にするようなところからは上述のような、夫のちっぽけな虚栄心に対する厭味が伺えますね。最後には、エロイーズは「あたしは変じゃない。変なのは顔だけよ」と投げやりな自虐をして一方的に受話器を置いてしまいます。このことからもエロイーズの参り具合が伝わってきます。

次に、メイドのグレースから「今晩ここにうちの亭主を泊めちゃいけないかね?」とお願いをされますが、エロイーズは「うちはホテルじゃない」と冷たくつけ返します。エロイーズはメアリ・ジェーンとの会話の中でグレースのことを「あの唐変木」呼ばわりしたり、グレースのいるキッチンには「オレンジ・ジュースみたいな匂いがプンプンしているから行きたくない」などと明らかな嫌悪感を見せたりしています。娘のラモーナの世話を押し付けたり、とまぁこれは当時のメイドとして当然の役割だったのかもしれませんが、何となくエロイーズからは今回の件とは無関係にメイドのグレースに対して、何らかの負の感情があるようです。この理由ついては明記されていないように私は思いますが、夫・娘・メイドとエロイーズは今の自分の置かれている環境全般に対する嫌悪感が本作の基盤となっているため、そういう意味では一貫性のある反応ということになりますかね。とは言え、グレースはある程度「亭主を泊めてもらえるんじゃないか」という考えのもと、エロイーズにお願いをしているわけですから、普段のエロイーズならグレースの依頼を了承していた可能性もあるはずです。見極めは難しいですが、このグレースの依頼を拒否するところからも、現在のエロイーズの精神状態がかなり投げやりで底意地悪くになっているのではないかなと思われます。

そして、最後にはラモーナの部屋に行く途中の階段の踊り場に脱ぎ捨てられているラモーナのオーバーシューズを拾い上げ、玄関に向かって思いっきり投げています。エロイーズの中で強い怒りの感情が爆発していることがわかります。これはある意味では決定的な描写と言えるでしょう。

 

・ラモーナのイマジナリーフレンド、ラモーナの眼鏡

既にメアリ・ジェーンと話していた通りに、ラモーナはイマジナリーフレンドのために場所を空けてやり、ベッドの端っこで落ちそうになりながら眠っています。が、イマジナリーフレンドのジミー・ジメリーノは先ほど交通事故で死んでいたはずです。そして、一応先に書いておきますが、この時の描写ではラモーナの眼鏡が「つるを下」にしてい置かれていることも記述されています。しかし、この眼鏡の置き方については、また後で考えますので、まずはイマジナリーフレンドを巡るエロイーズとラモーナの会話について考えていきます。

と言っても、たいした会話はありません。ただ、ラモーナは死んでしまったジミー・ジメリーノの代わりに、ミッキー・ミケラーノという新しいイマジナリーフレンドを作ったというだけのことです。これに対して、エロイーズはヒステリックに「ベッドの真ん中で寝なさい」と怒鳴りつけます。しかし、これに対してラモーナは放心状態。仕方が無いので、エロイーズは力づくで彼女をベッドの真ん中に移動させ、そして部屋の電灯を消してしまいます。

単純に考えれば、既に参ってしまっているエロイーズがまた娘のラモーナの訳の分からない行動に取り乱しただけという風に捉えられますが、明らかにこれは何かの暗喩という匂いがしてきます。なので、全くの勘でしかありませんが、これまでの話を踏まえた上で、このラモーナのイマジナリーフレンドの取替えについてどういう意味があるのか考えて見たいと思います。

真っ先に思いつくのは、死んでしまったウォルトの代わりにルーという旦那を選んだエロイーズ自身と、娘のラモーナをダブらせたということです。しかしながら、何となくですが、私にはそれとは違う解釈が適切かなと思われます。私にはむしろ「イマジナリーなもの(想像物)」であれば、ほとんど完璧な複製が可能であるのに…というエロイーズの悲しみを表現しているように思われます。自分もラモーナのように、ウォルトの代わりになる素敵な男の子がいれば、という娘に対する羨望がそこにあるような気がするのです。しかし、現実にはウォルトは死んでしまって、今はルーとの結婚生活がある。幻想(ウォルト)と現実(ルー)の狭間に立たされているのだとエロイーズは再認識し、それまで彼女を支配していた説明のつかない苛立ちや怒りは消え失せ、悲しみだけが残ります。

そして、これもまた非常に解釈の難しいところですが、ラモーナの部屋の戸口で立ち尽くしていたエロイーズは不意に、ベッド脇のナイトテーブルに駆け寄ります。そして、そこに置かれたラモーナの眼鏡を取り上げ、強く頬に押し当てながら涙を流します。その道中でベッドの脚に膝をぶつけますが、その痛みすら感じないほど、その行動に取りつかれています。この一連の流れについて、感情の時系列を追うところから始めていきます。

まず、エロイーズはメアリ・ジェーンとの会話の中でウォルトの昔話をします。それによって、エロイーズは非常に感傷的になり、今の自分の生活に対する否定的な想いが高まってきます。それは、夫からの電話やグレースとのやり取りによって増長され、激しい怒りや苛立ちとなります。しかし、ラモーナのイマジナリーフレンドが何かの暗示のようにそんな彼女の怒りを鎮め、エロイーズの中には感傷的な悲しみだけが残ります。そして、最後は「ラモーナの眼鏡」に何らかの救いを求めるように、駆けよっていく訳です。「ラモーナの眼鏡」を強く頬に押し当てながら、エロイーズは「かわいそうなひょこひょこおじさん」と何度も何度も繰り返してそう言うのです。

ベッドの脚に膝をぶつける描写は、その後の「かわいそうなひょこひょこおじさん」と自分自身に言い聞かせる前フリとして機能していることはもちろんですが、むしろ重要なのは「ラモーナの眼鏡」を手に「かわいそうなひょこひょこおじさん」に救いの手を求めていることでしょう。「かわいそうなひょこひょこおじさん」とは、すなわち「ウォルトとの思い出」のことであり、つまるところ死んでしまった「ウォルト自身」です。となれば、「ラモーナの眼鏡」は「ウォルト」に繋がる秘密の通路みたいなものとして考えるのが妥当かもしれません。幼くして目の悪いラモーナがかける眼鏡は、常にラモーナと彼女のイマジナリーフレンドを繋いでいる存在でもあります。ラモーナの眼鏡を通せば、エロイーズもまた「イマジナリー」な世界を見通し、そこでウォルトと再会できるかもしれません。いざ言葉にしてしまうと非常に月並みな解釈となってしまいますが、だいたいの意味するところはそんなところかなぁ、と思います。

 

そして、それと同時進行で生じる難問が、ナイトテーブルの上から取り上げる前のラモーナの眼鏡は「つるを下」にして置かれており、エロイーズはそれをあえて「レンズを下」にして置き直していることです。このラモーナの眼鏡にいったいどういう意味があるのか。その解釈が非常に難しいです。

前段の内容を踏まえれば、「イマジナリー」な存在を見通せる「ラモーナの眼鏡」の「レンズを下」向きにして、その効力を消したという解釈ができるかもしれません。つまり、死んでしまった「ウォルト」と繋がりたい一心で握りしめた「ラモーナの眼鏡」を、あえて「レンズを下」向きに置き直していることから、エロイーズが「ウォルト」を断ち切ろうとしたと考えることができるでしょう。

しかし、わざわざ別の見方をすれば、「つるを下」にして眼鏡を置くという行為を、「行儀の良さ(レンズを傷つけないため)」として捉えることで別の意味も考えることができます。エロイーズはラモーナに対して、「行儀良くしなさい」と何度も叱りつけています。その一環で、その「つるを下」にして置くという「行儀」もおそらくはエロイーズによって躾けられたものだと考えることができます。しかし、これまでずっと書いてきたように、エロイーズはルーの対外的に上品ぶるところを嫌悪しています。「気に入った」ではなく、「なかなか良く書けている」というような部分が我慢ならないのです。しかしながら、エロイーズ自身もまたラモーナには「行儀の良さ」を求めてしまっています。様々な想いが絡み合ってはいますが、ラモーナがイマジナリーフレンドを作るという、ちょっと他人とは違った行動に対しても、一貫して良い感情は抱いておりません。

そのことふと思い至り、散々「ウォルト」に対して救いを求めた後で、眼鏡をナイトテーブルの上に戻すとき、あえて「レンズを下」にして置いたのかもしれません。このように解釈すれば、そのラモーナの眼鏡を逆向きに戻すという行動の意味は、むしろ「ルーからの脱却」となるでしょう。

 

というわけで、「ラモーナの眼鏡」をイマジナリーな世界との連絡通路のような役割として考えた場合は、「レンズを下」にすることで、「ウォルトからの脱却」を意味します。対して、「レンズを下」にすることを「行儀の悪さ」と捉えるのであれば、それは「ルーからの脱却」を意味することになります。いったいどちらが正しいのでしょうかね。しかし、いずれにせよ、わざわざ「つるを下」から「レンズを下」となるように記述しているので、何かしらの逆転現象がその前後(ラモーナが死んだジミーの代わりに、ミッキーを生み出した前後)で起こっていることが確実に示唆されています。

 

・ラモーナの涙、エロイーズの涙

さて、最後のシーンですが、まずエロイーズがラモーナの眼鏡をナイトテーブルの上に、「レンズを下」にして戻した次の場面からです。

眠っていると思われたラモーナは起きて、泣いていました。なぜラモーナが泣いているのかはよくわかりません。エロイーズにベッドの中央に無理やり移動させられているときはまだラモーナは泣いていません。しかし、エロイーズが部屋の電灯を消し、そのまましばらく戸口に立ち尽くし、そしてラモーナの眼鏡を握りしめながらひとしきり泣き、彼女が落ち着きを見せるまでの間に、ラモーナも泣き始めていたわけです。

ヒステリーを起こした母に驚き、その反動で泣いたのか、それとも母が泣いているのを見て泣いたのか、あるいはジミーが死んでしまった悲しみで泣いたのか。どれも考えられそうなことですが、どの選択が正しいかということは断言できませんね。

 

そして、ラモーナの涙の理由は不明のまま、エロイーズはラモーナにキスをして額の髪をかき上げ、1階へと戻ります。電話の音でも起きなかったメアリ・ジェーンを無理やり起こし、「あたし、いい子だったよね?」と言って訴えるようにして再び泣き出します。で、話はそこで終わりです。

ここもエロイーズの言葉の意味を解き明かすのはかなり難しいです。「あたし、いい子だったよね?」と訴える手前で、彼女は1年生のときに同級生から心無い言葉を浴びせられて泣いてしまったエピソードを持ち出しています。あの頃はそういうちょっとしたことにも傷ついて泣いてしまうような無垢な子供だったということを言いたかったのだと私は思います。そして、そんなちょっとしたことで一晩中泣いてしまうようなエロイーズは、ウォルトを失い、ルーと結婚し、ラモーナを生み、すっかりと変わってしまいました。でも、こんな現在に至るまでの、少なくとも大学時代までの彼女は「いい子」だったはずなのです。そのことを憂い、エロイーズは今現在メアリ・ジェーンに泣きついているという時系列は確実です。つまり、昔は「いい子」だったけど、今のエロイーズは「いい子ではない」ということになります。では、なぜ今こうして泣き喚いてしまうほど「いい子ではない」と思ってしまっているのか。その理由がわかれば、最後のシーンにも何となく説明が付けられそうな気がします。

 

まず、前章とは順番が逆になりますが、「ルーから脱却」した現在が「いい子ではない」としましょう。「レンズを下」にして行儀の悪い自分を取り戻そうと、「ルーからの脱却」を決めた、エロイーズは社会的には、母や妻として失格のレッテルを貼られてしまうことになるでしょう。これは「いい子」とは言えませんね。しかしながら、ウォルトの思い出話の中でエロイーズはウォルトのことを「いい子」と言っています。つまり、彼女の中での「いい子」という言葉は「ウォルト」のことを指しており、むしろ「ルーから脱却」した現在のエロイーズは「いい子」になったわけです。先ほど、私は今のエロイーズは「いい子ではない」という前提のもと考えてみようと言いましたが、そうではなくエロイーズは「ルーから脱却」した自分が世間から見れば「いい子ではない」となるものの、反面「ウォルト」を取り戻し、昔のような「いい子」に戻っていることをメアリ・ジェーンに伝えたかったのかもしれません。かなり論がごちゃごちゃしてきましたが、「ルーのような行儀の良さへの執着を捨てようとする私は世間的にはいい子ではなくなるけれど、ウォルトのような本当の優しさを取り戻した。それはつまり、本当の意味ではいい子になったってことだよね? 昔の感じやすい私のように、今の私もいい子だよね?」ということをメアリ・ジェーンに訴えかけているという解釈です。

と、まぁ、これはこれで何となくぎりぎり論が破綻していないように思えますね。

しかし、どちらかと言えば、「ウォルトから脱却」した現在が「いい子ではない」とした方が論ははっきりします。つまり、「レンズを下」にしてイマジナリーな世界との連絡通路を閉ざし、「ウォルトからの脱却」を決めた、エロイーズは「ウォルト的ないい子」ではもうなくなってしまいました。涙を流していたラモーナにキスをし、彼女は現在の自分を受け入れようと決心したわけです。それでも、やはりウォルトのことは「いい子」であり、そんなウォルトと一緒にいた昔の自分もまた「いい子」であったことをメアリ・ジェーンに承認して欲しいわけです。結局、話がここで終わってしまっているので、エロイーズがメアリ・ジェーンに「あたし、いい子だったよね?」と前向きな想いで言っているのか、後ろ向きな想いで言っているのか、そこの判別はできません。しかし、それでも言えることは、「私はもういい子ではなくなってしまった」からこそ、「少なくともかつての私はいい子だった」ということだけでも認めて欲しいと思ったわけです。

 

・まとめ

かなり論が取っ散らかってしまいましたが、肝となるのはエロイーズの過去と現在の衝突です。素晴らしかった過去は死んでしまった「ウォルト」と結びつき、不満が募る現在は夫の「ルー」と結びついています。そこに、「ラモーナ」というイマジナリーフレンドを持つ彼女の娘が、様々なメタファーとして物語を展開させます。中でも、「ラモーナの眼鏡」はその描写のされ方によって、イマジナリーフレンドの取替えと合わせて、エロイーズの中での世界の逆転を描いています。

1番スムーズな解釈を選ぶのであれば、ラモーナのイマジナリーフレンドの死と、それに伴う取替えは「理想への執着」を意味しています。エロイーズは現実の中で「ウォルト」を失っているため、娘のように「取替え」はできません。しかし、「理想=ウォルトに執着」しているからこそ、エロイーズとしては「理想=ウォルト」と「現実=ルー」の板挟みで苦しいわけですね。そのせいで、夫や娘やメイドにきつく当たってしまいます。そんな状況の中で、娘のラモーナがいとも簡単そうにイマジナリーフレンドの取替えをやっているのを見て、現実的にはそんなことはできないということを悟り、もはや自分に残された選択肢は「理想を捨て、現実を受け入れる」しかないと悲しみに暮れてしまいます。最後に、「理想=ウォルト」を見通すラモーナの眼鏡を泣きながら「レンズを下」にして置き、「理想=ウォルトを断ち切って、現実を受け入れる」ことを選択します。それでも大学時代には理想とともにあったということを友人であるメアリ・ジェーンに承認してもらおうと、強く訴えかける場面で物語は終わります。普段はサバサバとした性格のエロイーズの心を開いていくために、古くからの友人であるメアリ・ジェーンとお酒は非常に重要な道具として用いられています。

が、これもただ1つの解釈にしか過ぎませんし、かなり見当違いな部分もあるでしょう。なので、こんな風に解釈してる奴がいるんだなぁ、と思う程度にしていただければと思います。私自身もきっともう1度読み直せばまた違う感想を持つと思いますし。

 

最後に…

ずっと書こう、書こうと思ってなかなか書けずにいました。が、これでようやく9分の2が達成されました。適応障害に罹って傷病休暇を頂き、時間ができたおかげですね。

今は伸び伸びと時間を過ごしており、療養に努めていますが、いつまでもこんな時間が続くわけはありません。私もそろそろ眼鏡のレンズを下向きにおかなくてはならない…と少しだけ気取ったことを書いてみます。

さて、次の「対エスキモー戦争の前夜」の考察を書き上げるのはいつになるのでしょうか…? 私自身、気長に待ちたいと思います。