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音楽や小説など

適応障害と診断されまして… vol.15

適応障害と診断されて20日目(11月3日)の朝にこの記事を書いています。

 

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まぁ、案の定と言うべきか、昨日投稿しまくった記事たち、そして書き上げてすぐに投稿した「霧氷」というタイトルの創作物を見ればお分かりの通り、昨日(11月2日)の私は首を吊って死んでしまおうと考えていました。そして、それは結果を伴わなかったものの、確実に行動として起こされました。どうしてそんなことになったのか、正直なところよくわかりません。

 

朝起きて、「会社に行かなければ」と思いながらも、それを実行に起こすことがどうしてもできず、シャワーを浴びながら「霧氷」を書き上げることだけが頭にありました。一昨日(11月1日)に「超個人的アイドル楽曲選抜(2020年度版)」という記事を書き上げてから、何と言うか「言いたいことは言い終えた」感があったこともあるでしょう。ある種の燃え尽き症候群みたいなもので、大好きなアイドル楽曲たちは紹介できたし、記事の最後ではこれまで楽しませてくれたそれらの楽曲やアイドル達に対して感謝の言葉を書けたという実感があったのです。

そのようにして、もう私に残されているものは「霧氷」を書き上げることだけだ、という風になったのかもしれません。

昨日(11月2日)の朝。会社に行くことをやめ、「霧氷」をとにかく1秒でも早く書き終わらせることだけに集中しました。本当はもっと長い話にする予定だったのですが、何が何でも書き上げたかった……そして書き上げてしまうと私に残されたものは何もありませんでした。そして、もうこの人生においてやることは無いし、生きていく意味も無い。ずっと死にたいと考えていたし、もうこのまま死んでしまおうと思ってしまったのでしょう。今日がその日だ、と。

 

そして、私はとりあえずこれまで私が書いてきたものをこのブログに投稿することにしました。「ショーシャンクの空に」という映画で出所した男が「ブルックスここにありき」と書いて首を吊ったように、私も自分が存在したことの記録を瓶に詰めて、このネットという広大な海に流したかったのでしょう。ある意味では、アニメ「攻殻機動隊」の「クゼ・ヒデオ」が出島の難民とともに起こそうとした復讐と革命のように。

それからパソコンのデータや履歴といったものを可能な限り削除しました(見られたくない恥ずかしいものがたくさんあったので(笑))。おかげで今はパソコンの動作がいくらか速くなった気がします。自殺未遂断捨離なんて笑えませんけれど。

面倒なので家族に向けてだけ簡単な遺書のようなものを書きました。先日ハロショで購入したL判写真くらいの大きさのメモ1枚分ですが。それから、どれくらい意味があるかわかりませんが、私が死んだ後の具体的な事柄をしたためたメモも1枚分。パソコンとスマホのパスワード、わずかばかりの貯金は妹にあげる旨、葬式は不要だけれど世間体や気持ちの割り切りがしたければやってもらって構わない旨、死体を処理される方への謝罪とお礼。それから部屋のドアを閉め、チェーンもかけます。メモにも「これは自殺です」と明記しておきました。

具体的な首吊りの方法や状況については、いくらでも克明に書き記すことができますが、誰かに一緒の想いをして欲しいというわけでもないので、ここには書かないでおきます。ただ、どうして私が死に損なったのかは書いておく必要がありますね。

まぁ、ぶっちゃけとても死ねるような環境ではなかったのです。

私が紐を括りつけられるところは部屋の中にそう多くなく、私は背の低い人間ではなかったので、「あぁ、死ぬな」という瞬間に身体が暴れ出して、死に損なったというだけです。よく映画などで見るように、椅子を蹴り出すような方法を用いていれば、間違いなく死んでいたでしょうが、狭い寮室ということでそんなことをするスペースすらありません。いま冷静になって部屋の中を見渡しても、どこで首を吊ろうと思っても、たぶん私の足は何かしらを掴み、死ぬことはできなかったでしょう。

 

昨日投稿した記事の時刻から推察するに、たぶん私が首を吊ったのは午前11時過ぎくらいではなかったでしょうか。死に損なってからは、ただ泣いて眠ってを繰り返しました。何をする気力も湧いてこなく、それでも何度か死のうとして、紐に首を通しました。が、1回目のあのときの恐怖がフラッシュバックして、「もう今日はできないな」と思いました。あとはもう「疲れた」という感覚だけです。体が動かすだけの気力も残っていないのでずっと「トイレに行きたいな」とぼんやりと考えて眠っていました。外の騒音もうっとうしいとは思いながらも、もうどうでも良いような感じでした。

夕方6時くらいを過ぎて、ようやく体が起こせるようになり、トイレに行くとご飯が食べたくなりました。ご飯を食べて、薬を飲むと、少しだけ正気に戻ってきました。音楽を聴きたり、動画を見たりできるところまであっという間に回復しました。そして、夜は両親と電話をして、本当に心苦しかったのですが、首を吊ってしまったということを伝えました。本当に両親には申し訳ないことをしましたが、でも、何かを隠したり取り繕ったりという気力さえなかったのです。

 

はっきり言って、死のうとしていた時の私は正気ではありませんでした。原因はよくわかりませんが、いくつか書き並べてみたいと思います。

まず、職場復帰への焦りがあったと思います。薬のおかげで私の適応障害の症状はだいぶ緩和されていましたし、日に日に良くなっていくので、少しずつ負荷をかけながら職場復帰までの最短ルートについてよく考えていました。もちろん、細心の注意は払っていましたが。その実、職場の前まで行く練習から始めたり、日曜日に会社に顔を出すような、細かいステップを設けました。症状が強く出た日はそのリハビリを休んだり、自分なりに自分を労わって来たつもりです。しかし、私は現状休職という形ではなく、有休消化という形でお休みをいただいていました。有休の数はそこまで残されていません。インフルエンザに罹った時のことを考えると、1週間分は残しておいた方が良いとも言われていました。そうすると、今週辺りが復帰の目処だったのです。今週中に復帰できれば「休職」の文字は私の人事評には残らないし、公的にはただの有休消化ということになります。そうなってくると1日にどれくらい回復し、どれくらいの負荷に耐えられるようになるかが重要です。私は無理をするつもりはありませんでしたし、ぶっちゃけ先週の職場での体調を考えると、休職せざるを得ないであろうことは明白でした。ただ「やれるだけのことはやっておきたい」という想いがあったのも事実でしょう。確かに私は日々の判断の中で無理をしたことはありませんでした。でも、確実に疲労は蓄積されており、自殺を図った11月2日は朝から若干の体調の悪さを感じていました。にもかかわらず、「昨日も朝に職場に行けたし大丈夫っしょ。最悪、通勤電車で気持ち悪くなったら帰って来ればいいし。通勤ラッシュが体に及ぼす影響を確かめるだけでも意味のあることじゃんね」というような考え方をしてしまっていました。そのちょっとした「無理」が命取りとなってしまった部分は否めません。

そして、そのようなちょっとした「無理」にすら耐えられず、私は職場に「行かない」という判断をします。その判断だけを見れば、私は英断をしたとも言っていいでしょう。しかしながら、「行かない」という判断をしたときには既に私の中でもう別のスイッチが入っていました。無性に、自己満足の創作物である「霧氷」を書き上げたくなっていたのです。それは自分を見失うくらい強烈な衝動であり、同時に強迫観念のようなものでした。連日のリハビリから来る疲労や、前日に別の記事を書き上げたときの達成感、自分がもう休職するしかないと自覚したことによる絶望感、その他様々な要因が絡み合い、私は「霧氷」の執筆にとり憑かれてしまいます。たぶん、もうこの時は正気ではなかったと思います。

何度も様々なところで書いているように、私にはずっと死に対する欲求がありました。そしてその欲求を自分の創作物の登場人物に物語の中で存分に発散させることで、これまで生きながらえてきた節があるのかもしれません。そして、「霧氷」を書き進めている途中から、私はほとんどトランス状態のようになってしまい、現実と創作物の境界線が曖昧になっていきました。気がつけば、「これを書き上げたとき、また自分も死ぬんだ」という考えが頭を支配していました。そして、それは失敗したものの確かに実行に移されることになってしまいました。

 

はっきり言って、今回の自殺未遂については、適応障害だけを理由にはできません。

私自身の思想にも大きな原因がありますし、そういう意味では正直なところ今回私が首を吊ろうとしたことに関して、あまり反省していない部分があります。恐らく私は今後の人生において常にそのような思想を抱えながら生きていくでしょう。でも、その「死」に関する自分の思想は、生きていく上で私に必要な思想なのです。そういう思想を持っていないことには私は人生を楽しめないし、私らしく生きていけないのです。

 

とは言え、確かに適応障害の症状や、この精神疾患によってもたらされた現状が私に最後の1歩を飛び越えさせそうになったことは事実です。うつ病になり、そのせいで最愛の彼女にフラれた男が自殺を図るのと一緒かもしれません。うつ病になった時点ではまだ死ぬまではいかなくても、何かその他の個人的な要因が背中を押すことは往々にしてあるのでしょう。だからこそ、ある程度ちゃんと回復するまでは、安静が必要なのかもしれません。

 

今後、私は会社と具体的に休職の手続きに入っていきます。個人的には体調の良い日が多いし、休職したは良いけど持て余すような日々が続いてしまうかもしれません。しかし、せっかく休職するのですから、今度は回復だけにとどまらず、もう一度人生をリセットするくらいの気持ちで、転職やら生き方それ自体を色々と考えて見てもいいかもしれませんね。私自身、今の仕事に対して、色々と思うことがあります。もちろん完璧に自分に合う仕事なんてあるわけないとわかっていますが、それでもいくつか「本当に持続可能?」という不安を今の仕事に対して感じている部分もあります。主には夜勤や転勤の多さですね。その辺をよくよく考えていこうと思います。

 

今回の記事が誰かに読まれた時のことを考えると胸が痛いです。読んでいてあまり気分の良いものではないことも重々承知しています。伝えたいことも特にありません。精神疾患の怖さというよりも、あまりにも自分の思想に寄り過ぎた内容になってしまった感もあります。しかしながら、これまでもそうだったように純粋な記録と、自己療養として今回の記事も投稿させていただきます。

健やかな日々を。

 

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