霏々

音楽や小説など

水流 vol.4

     *

 

 染料でそめ上げたような真っ青な海が左手には広がっている。

 ゆかりは車の窓の外を眺めながら、僕の知らない歌を口ずさんでいた。先ほど、光より早いものが存在しない理由として、光が波は波でも質量を持たない媒質による波だから、と答えてからずっとこんな調子だ。僕の説明の落ち度について検討しているのか、海面を渡る波と光波の差異について考察しているのか判別がつかない。

「海ってなんか不思議だね」ゆかりは言う。僕は、そうかもしれない、と答える。

 僕とゆかりはドライブデートの最中、海の不思議について思いを馳せる。ゆかりは海を見るのは初めてらしいが、そのことが彼女の中に何か違和感の糸を垂らしているのかもしれない。

「どうして海には波があるの?」

「風呂にお湯を張って、水面で思いっきり息を吸い込むと波ができるだろ。それと同じで月の引力が海面の水を引き寄せるのさ」

「でも、今は月は出てないよ」

「海は繋がってるからね。地球の反対側の海の上には月が浮かんでいて、その影響がここまで及んでいると考えたらどうだろう?」

「まぁ、そうね」

「でも、月は実際には水面の上に浮かんでいる訳じゃないし、地球の反対側に月があったとしても、月の引力の直接的な影響はこちら側でも受けるはずだよ」

「ねぇ、でも、いまここでお皿に水を張ったとするでしょ。でも、波は起こらない。海には波があって、お皿の水は波がない。月の引力で波が起こるのだとしたら、その差はおかしいじゃない」

 僕は黙ってしまう。彼女の言っていることはどうも正しそうだった。僕の説明した波発生のメカニズムは間違っていたのだろうか。

「先生はきっと、潮の満ち引きと、海の波とを混同しているのよ。波はあくまで風によって生じているんじゃないかしら。だとすれば納得できるわ。お皿の上の水もお風呂のお湯も風が吹けば水面に波が起こる。先生が言った息を吸う云々の話とも合致してるし。風が無くても波が起こっている理由は、先生も言った通り海が繋がっているからね、きっと。地球上のどこの海でも風が吹いていないなんてことないでしょうし」

 僕は思わず感心する。確かにゆかりの言う通りだ。僕は、潮の満ち引きと波の発生について混同していたようだ。

「相変わらずゆかりは頭が良いな。きっと俺よりもずっと良い大学に行く」

「大学生ね」ゆかりは世界一周クルーズの話でもされているように、遠くを眺めながら言った。「ぜんぜん想像がつかない」

「そんなもんさ。でも、自然とそうなる。俺だって、自分が教師になった実感が未だにないくらいだし」

「それは問題だと思うけど……でも、まぁ、こうして自分の教え子とドライブデートしてるくらいだから、確かに実感はないんでしょうね」

 ゆかりは僕のことを少し馬鹿にしている節があったけれど、でも、僕のことを小馬鹿にしているときの彼女は格別に愛らしく感じた。僕にはマゾヒストの気があるのだろうか。ロリータコンプレックスの次にはマゾヒズム。僕は着実に世から憚られる性癖の持ち主へと成長しているようだった。

 しかしながら、いつかのゆかりがこんなことを言っていた。

 先生は自分のことをロリコンだとかなんだとか、まるで性犯罪者か頭の狂った人間みたいに言うけれど、そういうのってとってもダサいことだと思うの。自分を貶めることなんて、自分をまともな人間と言い張ることよりずっと楽なことじゃない。まるで「働いたら負け」って書かれたTシャツを着ているニートみたい。まともに生きることから逃げてるのよ。そして、それを正当化しながら自分の薄っぺらいプライドを守るために自虐に走るの。私、嫌だな。そんな人と一緒にいるのなんて。

 それを聞いて僕は嬉しくなってしまった。

 もう少し若い頃だったら反発もしたかもしれない。

 僕は自らの哲学に則ってこの生き方を選んでいるし、君がどんな風に言おうが、僕が世間から見て非常識な人間であることには変わりない。今さらまともな人間を目指そうとしたって、それは単に自らに嘘をつくだけに過ぎない。そのうえ、そんな嘘をつくために努力しなきゃならないなんて、疲れるだけじゃないか。疲れることは僕の哲学に反しているからね。まぁ、もし君が僕の自虐を嫌うならやめようじゃないか。でも、僕の自虐はあくまでただのユーモアなんだ。つまり、僕がある程度心を許した人間に対するソーシャル・コミュニケーションの一種のツールというわけだ。もし、本当に僕が自分自身の感じるままに振る舞うとするなら自虐なんて言わないさ。僕はあくまで君と社会性あるコミュニケーションをするためにこうして自虐を言っているんだ。君がその必要がないと言うならいつだってそれをやめてあげるよ。

 けれど、頭の良い彼女はきっとすぐさま再び反論をぶつけてくるだろう。

 社会なんてものを意識している時点でプライドが高いって言っているのよ。そして、そのプライドが薄っぺらいと私が言う理由は、先生の社会と関わるためのツールが「自虐」というところね。本当に崇高な自尊心を持っている人なら、自虐なんて方法で社会とは関わらないわ。私が嫌いなのはね、そういう最初から社会に対して負け腰の姿勢でいる浅ましさなの。

 僕は歳を食ったし(どこかの誰かが言うように、たしかに歳だけを食って人間は生きていけるようだ)、自分の愚かしさや浅ましさというものを重々承知している。たしかに彼女のいう通りだった。一度、その事実を受け入れてしまえば、もはや自虐などする必要はなく、僕は彼女の前でただの一人の無力な人間となった。幻想を捨て去り、自然体でいること。僕は何よりもそれを求めていたのであり、彼女はそれを受け入れてくれた。肩の力を抜く。それは先に言った僕の哲学の根本である。

 それからというもの、僕は自らの弱さを彼女の前で露呈することに快感を覚えるようになった。だから、彼女に何かを指摘されることを望む。これを一概にマゾヒズムと言い切ることができるのだろうか。あるいは、マゾヒズムの定義の方がむしろ、このような僕の心持のことを指しているのだろうか。

 

 先月のことだ。僕は朝方、道端で彼女と偶然出くわし、そして彼女から「宿題はやったか」と問い詰められた。僕は朝礼前にクラス名簿から彼女の名前を探して、その文字列を脳みそに皺として刻み込んだ。

 そして、彼女のクラスの授業が終わり、昼休みの喧騒がやって来る。僕はゆっくりと黒板を消しながらいつものように彼女が僕に質問を持ってくるのを待った。しかし、いつまで経っても彼女はやって来ない。僕はしばらくの間、黒板を消しながら背中に神経を集中させていた。あらかた黒板を消し終えてしまったので、振り返ってそれとなく彼女の方を見る。すると彼女は明らかに笑いを堪えながら僕を見つめていた。

 僕は教卓まで戻る二、三歩の道のりの間に彼女の意図を理解した。まったく、これだから女という生き物は。そんなことを感じなかったのは僕にとって良い傾向だった。彼女のちょっとしたイタズラ心は男を困らせようとする女の気まぐれではなく、大人をからかう子供のそれのように見えたのだ。

 僕は名簿を見ることもせずに、「椎葉ゆかりさん、ちょっと来てもらえますか?」と彼女に声をかけた。ゆかり以外の生徒が何人か彼女と僕に注目の視線を投げかけたが、彼女の昼休み中の質問タイムはある程度恒例の行事として周囲には認知されていたようだし、すぐにその視線の檻から僕たちは解き放たれた。

「ちゃんと宿題やって来て偉いですよ、先生」ゆかりは零れそうな笑みを噛み殺して僕に言った。

 僕は呆れたような表情をちらっと浮かべ、「預かっていたノートを教員室に忘れたんだ。悪いけど、一緒に取りに来てもらっていいか」と尋ねる。「いいですよ、もちろん」彼女は楽しそうに答える。

 教室を出て、廊下を歩く。僕が前で、彼女が後ろだった。誰もいない東階段。三階と四階の間の踊り場で彼女が背後から僕のスーツの裾を引っ張る。僕は振り向いた。そして、そのままキスをした。不思議だった。そうなる気配などまったくなかったのに。

 誰かが見てないか僕はさっと視線を走らせた。人の気配はなかった。僕はまるで彼女の同級生にでもなったような気分がしていた。対等な立場。なぜだろう、気が動転していた。まさかこの歳になって、それもこういった女生徒との関係性を何度か経験しているにもかかわらず、こういった場面で何を言えばよいかわからなかった。いつもなら僕の方が主導権を握っていたのに、と僕のつまらないプライドが芽を出しかけたが、そんな場合でもないということくらいはすぐに理解できる。

「先生、びっくりしました?」相変わらず彼女は大人をからかう子供の様相を呈している。

「あぁ、びっくりしたよ」

「怒らないんですか」

「怒るも何も、俺だって同意したことだろう。俺たちの身長差だったら、俺がかがまない限りキスなんてできるはずもない」僕はそう言いながらも、どうして自分がかがんだのかわかっていなかった。彼女だってそのことを承知した上で「怒らないんですか」と聞いてきたはずなのに、僕にはそんな的外れの返答をするだけで精一杯だった。

「ねぇ、先生ってロリコンなの?」

「そうだな」

「その、『そうだな』ってのは肯定と捉えていいですか。それとも、ただの考える時間を作るための相槌?」

「肯定と捉えてもらって構わないよ」

「じゃあ、先生は小学生に手を出したことありますか」

「ないね。せいぜい高一ってところかな」

「じゃあ、法律は犯してないじゃない。条例的にはアウトかもですけど、でも、少なくとも高校一年生の女子にはちゃんと生殖能力がありますからね。別に世間体が悪いというだけで、先生はロリコンなんかじゃなくて、正常な人間だと思いますよ」

「俺も前に同じような反論をしたことがあるよ。でも、普通の人間は世間体が悪くなるようなことはしないそうだ。そういう意味で俺は頭のおかしい人間なんだよ。そして、そういったことをしでかす頭のおかしい人間を世間はロリコンと呼ぶ」

「多くの人は言葉の定義をちゃんと使い分けて喋ることができないんです」

「でも、君だって俺のことをロリコンって言ったよ」

 彼女は首を傾げて、僕を見上げた。そして、(また、君って言った)と眉を潜めてまるで独り言のように小さく呟く。(ま、いっか)。それから、「私は生殖能力のない少女にも手を出すロリコンなんですか、って聞きたかったんですよ」と反論する。

 女子高生に手を出す人間を小学生にも手を出す人間だと決めてかかったような態度が既に差別的じゃないか、と僕も反論してやろうかとも思ったが、生産性がないのでやめておいた。問題は僕がロリコンロリコンじゃないか、ということではなく、ましてやロリコンの定義とそれに対する社会の態度などではない。

 しかし、今さらキスの真相について議論する雰囲気でもない。彼女が僕を振り向かせ、そして僕は彼女の意志に答えて、腰を折り曲げ彼女とキスをした。ただそれだけのことだ。共同作業の発案者がいて、そしてそこに同意者がいただけに過ぎない。発案者がなぜ発案をし、同意者がなぜ同意をしたのかと言えば、「そうしたかったから」としか言いようがない。反対者でもいれば状況が変わったのかもしれないが、あいにくこの踊り場には僕と彼女以外の人間はいなかった。

「そう言えば」僕はこれから自分が言おうとしていることが場違いであろうと感じながらも、それを口にせずにはいられなかった。「あながち紫式部というのも間違いではなかったな」

 彼女は、何が、とでも言いたそうな表情を浮かべる。

「ほら、紫って漢字は『ゆかり』とも読むだろう」

「そんなの知らないです。ていうか、ただのダジャレじゃないですか」

 僕は着実におじさんになっているようだった。

 

 僕たちは小さな海浜公園にやって来た。駐車場ばかりが広く、僕たちのほかに二、三台の車が止まっていたが、ひと気はまるでなかった。舗装されておらず、砂利が投げやりに敷き詰められた駐車場。二十台分くらいのスペースが空いていて、心なしか寂しそうに数種類の雑草が風に吹かれている。

 海浜公園には丸太と縄で作られた遊具があった。遊具と言っても、船を模した造形物に縄づくりのネット状の足場や丸太をある程度の斜度で積み上げた階段のようなものがあるだけだ。帆もなく、碇もない。船首は辛うじて海側に向けられ、今にも出航する体を為している。しかし、浜辺まではまだ随分と遠い。年季の入った船体には貝類ではなく、細やかな砂が寄生していた。潮風に乗って防砂林の細やかな笑い声が聞こえてくる。

 僕はゆかりの手を取り、船首のあたりの物見台に上った。さして高くもなかったが、海が良く見える。水平線までくっきりと見えた。

「どうして空や海が青いのか、なんて聞くなよ」僕はゆかりに言う。

「えぇ? 聞こうと思ってたのに」ゆかりは屈託ない笑顔を僕に向ける。「じゃあ、先生教えて。火星の空は何色?」

「さぁ、赤いんじゃないか」火星の空が何色かなんて考えたこともない。

「どうして赤いの?」

「何となく、そんなイメージじゃないか。火星って」

「それじゃあダメ。ちゃんと論理的に考えてみて」

「せっかくのデートだよ」

 たまには教師の役割を降りたい気分になる。が、そんな僕の考えを悟ってか、ゆかりは「普段、あんまり教師らしくないんだから、たまには良いじゃない」と言った。確かにその通りだとも思う。

「じゃあ、まずは何で地球で見る空が青いか、からだな」

「空気の粒子で光が屈折するからよね」

「なんだ知ってるんじゃないか。ただ屈折よりは散乱という言葉の方が良く使われる。どっちが正しいというよりはどちらの効果もあると俺は思うんだけど、ちゃんと調べたことがないから正確なことは言えない。ただ、光の色ってのは波長で決まっていてね。波動の単元はまだ教えて無かったよな」

「うん。まだ知らない。でも、波長って波の長さのことなんじゃないの?」

「その通り。じゃあ、聞くけど波長が長いのと短いの、どっちが身体に悪そう?」

「うーん。短い方じゃないかな。なんか波長が短い方がギザギザしてて痛そう」

「流石だね、ゆかりは。可視光って言って、人の目に見える光の波長はあるところからあるところまでと決まっているんだけど、その外側の光は大まかに二種類に分けられる。つまり、赤外線と紫外線。さて、どちらが身体に悪い光でしょう?」

「紫外線よ。私も一応女の子だし、紫外線のケアとかしてるのよ、これでも。反対に赤外線は赤外線ヒーターとかあるくらいだし、身体に良さそうな感じ」

「てことは、紫外線は波長が短いということになる。紫外線とは、名前の通り紫色の外側の光で、波長が長くなるにつれて、紫、青、緑、黄色、オレンジ、赤という具合に色が変わっていく。そして、光の特徴としては波長が長くなるほど、屈折しやすく、つまり曲がりやすくなるんだよ」

「なんか、波長が短い方が小回りが利きそうだけど」

「この辺のイメージは難しいけど、波長の長さを脚の長さにたとえるとわかりやすいかもしれない。脚が長ければそれだけ大きな障害物を跨げるようになる。けれど、それはあくまでイメージでしかなくて、あえて難しく説明するなら、さっきも言ったように波長が短い方が身体に悪い。確かにギザギザしてる感が身体に悪そうだけど、一般的に波長の短い光の方がエネルギーが高いんだ。だから、身体に悪いとも言える。光ってのはつまるところ電磁波なわけで、電磁波における波の性質というのは言うなれば、電気のプラス・マイナスや磁気のN極・S極のことを表していると思ってくれていい。波長が短いということは、小さい空間の中に電気のプラス・マイナスがより密集しているということだから、エネルギーは高そうな感じがするだろう。そして、エネルギーが高いものほど直進しやすいというイメージもあるはずだよ。だから、波長が長くエネルギーの低い赤色の光ほど、空気中の粒子によって曲げられやすく、逆に青色の光ほど直進しやすいってわけ。すると、考えてごらんよ。昼間は地表に対して真っ直ぐ降りてくる青色の光の方が見やすくて、夕方になれば空気で曲げられた赤色の光の方が見えやすくなりそうだろう」

「それはつまり屈折という現象のことを言うの?」

「そう。光の屈折はそういう風に波長に関係してくる。そして、当然と言えば当然だけど、空気の密度が高ければ、その分気体粒子の影響を受けやすくなる。つまり、波長が長く、空気の密度、つまり空気の屈折率が高いほど光は曲がりやすくなるわけだ」僕はそこで一度言葉を区切り、彼女の中で光の屈折現象のイメージが固まるのを待った。相も変わらず、風は塩辛い。それにしても、久々に海を見た気がする。同じ県とは言え、内陸側と海側ではまるで雰囲気が違う。彼女が何度か自分の為に頷くのを見て、僕は説明を再開する。「対して光の散乱というのは、もう少しランダムな光の反射というようなことも言うんだけれど、これは空気中の粒子と光がまともにぶつかって起こる現象とイメージしてもらえばいい。屈折というのはどちらかと言えば、粒子によって光が受け流されているようなイメージで捉えた方が理解し易い。光が散乱する場合は、まともに光と粒子が衝突するわけだけど、その衝突によって光からはエネルギーが失われる。つまり、どうなると思う?」

「エネルギーの高い青色の光が、エネルギーを失って赤色に変わる」

「さすがに頭の回転が速いな」

「私、先生よりも頭の良い大学に行くの」

「さっきは、大学生なんて想像できないって言ってたけど」

「いま、決めたのよ。私は先生よりも頭の良い大学に行く」

 ゆかりは自信満々にそう言ってのけた。心のどこかで僕は寂しさを感じる。そうだ。ゆかりもこれまでの少女と同じように、時が来れば僕のもとを飛び立っていく。わかりきったことじゃないか。でも、それで良いはずだろう。そう、全てはベルトコンベアだ。わかりきっていることを悲しんでも仕方がない。今は、光の挙動についてゆかりに説明する。それが僕に与えられた唯一の自由なのだ。

「俺よりも良い大学に行くなら、もう察しがついていると思うけど、夕焼けが赤いのは、昼間の直線的に降り落ちてくる光よりも、夕方の斜めに入射してくる光の方が大気の層を長く通過することも関係している。斜めに入射し、多くの気体粒子と衝突を繰り返すことによってエネルギーを失った光はどんどん赤くなっていくんだ。つまり、屈折という現象も散乱という現象もどちらも昼間の青空と夕焼けの赤を後押ししている現象と言えるわけだね」

 さて、前提はもう提示し終えた。僕の中では既に火星の空の色がだいたいのところ見えている。最後に一つの前提を与えれば、おのずと答えは見えてくるだろう。

「火星は地球よりも空気が薄いわよね」

 さすがゆかりだ。僕は嬉しくなる。賢い子は好きだ。特に、これくらいの歳頃の子は賢いに越したことがない。賢さに意固地さや厭味というものがないのだ。しかし、いずれその賢さが女の価値を下げるときがくる。いったいそれは何歳くらいからだろう。賢さは歳を食うとただの厭味ったらしさにしかならない。

「わかったわ」ゆかりは言う。「火星の空はきっと地球より青いはずね」

「惜しいな」僕は思わず笑ってしまう。最後の最後に詰めが甘い。「空気が薄いということは屈折や散乱による影響が出にくいということだよ。屈折や散乱によって、様々な色の光が混ざった白色光、つまり太陽光は色ごとに分離されて地表に届く。その結果が昼間の青空や夕焼けの赤に繋がっているんだ。だから、空気が薄いということは、それだけその色の分離作用が弱まるわけだから、全体的に見て火星の空は地球の空よりも若干白みがかって薄くなるだけさ。昼に青くて、夕方に赤いという傾向は変わらずにね」

「そうね。先生の言う通り」ゆかりは少し悔しそうに言った。「でも、これだけ考えたってのにつまらない結果になっちゃったわね」

「得てして、物理というのはそんなもんだよ」

「行き着くところは、大して面白くもない場所。頭なんて使わなければ、火星の空はずっと真っ赤な空だったのにな」

「ゆかりも火星の空は赤いイメージだった?」

「当たり前じゃない。火の星よ。火の星の空が赤くなくてどうするのよ」

「こうやって色々とつまらないことを知っていくことで、人は大人になっていくんだ」

「だから先生は何も知らない女子高生が好きなのね、きっと」

「そうかもしれない」

「私も色んなことを知ったら、もう魅力的じゃなくなる?」

「どうだろうね」

「否定しないところが先生の素直なところよね」ゆかりはそう言って、僕の腹を軽く叩いた。

 

 僕たちはしばらくそのまま船首から海を見下ろしていた。彼女は初めて海を見た人間らしく、あっという間にその海の広大さ深遠さに心を奪われてしまったようだった。光の波長やら何やらについて論理的な思考を巡らせた僕らの脳は鈍い疲労感で満たされていた。こめかみのあたりがじんわりと痺れ、目頭には玉のようなしこりが残っている。

 海はどれだけ眺めていても飽きることが無く、心の中に何かを訴えかけ続ける、この世で最も優れた抽象画のようだった。繰り返す波の音は、安らぎとカタルシスを交互にもたらす、この世で最も優れたミニマルミュージックだった。

 生臭い潮風。どこか使い古しの僕の枕の匂いを思い出させる。

 空を渡る鷗が実体のない走馬灯のように見え、ふと「白鳥や……」と古い詩を脳裏に浮かばせる。ゆかりにその詩を教えてやろうと思い立つが、何か透明な空気の塊が、ラムネ瓶のビー玉のように僕の喉につっかえて上手く声が出せない。代わりに僕はゆかりを抱き寄せ、懐かしいシャンプーの匂いのする彼女の髪を嗅いだ。その匂いは僕をどこかへ連れて行ってくれそうで、それでいて僕がどこにも行けないということを諭しているようでもあった。

 

     *

 

 神社の軒先から雪解け水が垂れている。線状に整列した雨。太陽の光を凝縮してその身に映している。砂利道は深い色に湿り、冬枯れの足元には赤子の肌のように滑らかな雪が薄っすらと残っていた。

 静かな境内。白と臙脂の装束に身を包んだ女がいくつかの玉串を抱えて歩いているくらいだ。そういえば、南美は正月の神社で巫女のアルバイトをしていた。恥ずかしいから見に来ないでね、などと言っていたが、実のところは巫女姿を見てほしかったに違いない。僕は一人うんざりとした気分で人混みの中を歩いていたが、彼女の恥じらう姿や嬉しそうな笑顔を思い出すと今でもどこか救われない幸福感に包まれる。

 なぜ、僕はいまここに居るのだろう。

 脈絡というものがない。でも、この世の全てに脈絡なんてものはないのかもしれない。 

 例えば、僕はいま見知らぬ神社の境内に立っている。しかし目を瞑り、三つか四つを数えるうちに、僕はレースのカーテンのような薄っぺらい炎のグラデーションに包まれる。熱くはない。どんど焼きの中にいるだけなのだから、神聖な気持ちになりこそすれ、苦痛など感じるわけがないのだ。無数の灰がまるで雪のように宙を飛び交っている。懐かしい、木の灼ける匂い。南美が演じる巫女の振るう紙垂にそそのかされて、僕はくしゃみをしてしまう。そして、ほら、次の瞬間には僕は神社の石階段に腰を下ろしている。

「ばっかみたい」とゆかりが言う。

「ばかだからこんなことになっているんじゃない」僕は反論する。「もんだいはもっとふかいみぞのそこにあるんだよ。たとえばこのいしだんからとびおりたとする」そう言って、僕は石段から飛び降りる。「ほらみてみろ。ちゃんとちゃくちをするだろう。なぜだとおもう。それはちゃくちをしないといたいからだ」僕はもう一度石段を駆けあがる。ゆかりはいつだったかダーツバーで出会った女に変わっていた。「でもかりにあたまからおちてもけがすらしない、それどころかいたみなどかんじずにむしろかいかんがからだをはしるぶつりほうそくにしばられたせかいだったとする。するとどうだ。ちゃくちなんてするひつようがないじゃないか」

 僕は石段から飛び降り、頭から砕け散る。

 もし二次元でしか活動のできない存在がいたとしたら、飛び降り自殺はできないだろうな。ふと、そんなことを想う。

 あぁ、覚醒がやってくる。夢から締め出される。

 

     *

 

 スマートフォンの振動。追いかけるようにアラーム音。僕は何度も画面を叩き、音を止め、スマートフォンを握った手を振り上げて壁の方に向き直る。

「うるせぇ!」

 ふっと息を吸い込む。膨らむ肺。背筋から上腕筋にかけて緊密な硬直が、怒りと連動して駆け上る。一瞬止まる呼吸。

 理性が数秒遅れて起き出して来て、僕はゆっくりと息を吐くとスマートフォンをソファの上に柔らかく放り投げた。朝から酷く疲れている。今日も教師だ、僕は。

 

     *

 

 僕は夏休み中の体験実習について簡単な打ち合わせをするために数学教員室にいた。どうせだから話しながら昼飯でも食おうと、と日野に誘われたのだ。

 応接スペースなんてものでもないが、一応は誰も使っていない折り畳み式のテーブルとパイプ椅子が三つ並べられている。数学教師という人種は総じて書類整理が不得意らしいが(少なくとも目の前の数人の事例に基づけば)、この見放された孤島を自らの生活圏として捉える高慢な人間はいないようだった。

「この体験実習に対して日野はどんな効果を見出している?」僕はコンビニで買ってきた弁当を電子レンジに放り込みながら日野に尋ねてみた。

「うーん」という日野の唸り声と電子レンジの稼働音が重なる。レンジが電磁波を照射し、電気的な極性を有する水分子をぐるぐると回転させている様子が頭の中に浮かぶ。電磁波はレンジを包み込む導体の網を越えられない。こんなことを考えていったい何の意味があるのだろう。少なくとも体験実習の効果よりはずっと社会的価値は低そうだ。

「そもそも夏休みに生徒を集めることは許されるのだろうか」

「別に生徒には労基法もなければ、三六協定もない。生徒は自らの自由意思で学業に精を出すんだよ。ましてや、高校生は義務教育でもないからな。本当は体験実習に参加しようがしまいが自由なんだよ」

「あまり日野らしくない返答だな。どちらかと言えば、俺がそういうこと言いそうな気がするけど」

「そうだな」そう言って、日野はお湯を入れたカップラーメンのフタを剥ぎ取り、そこに箸を差し込んだ。

「まだ、三分経っていないだろう」

「伸びたカップ麺ほどマズいものはないからな。硬いうちに食べ始めれば、麺が伸び始める前に食べ終えられる」

カップ麺なんて食べなきゃいいのに。身体にも良くないだろう」

「いいか。身体に悪い食べ物なんてこの世には存在しないんだ。もちろん毒は身体に悪いけど、毒を含んだ食べ物が店頭に並べられるか? 並べられないだろう? 俺たちが食べるものはすべて栄養素なんだから、それ自体が身体に悪いということはあり得ない」

「たしかにそうかもしれないけど」僕は腑に落ちるような落ちないような、何とも言えない気分になる。単にこの話に興味が持てないだけかもしれない。

「問題は栄養素の偏りなんだ。毎食カップ麺では栄養素が偏ってくる。でも、そういった栄養素の偏りってのは、自然と身体で感じられる。例えば、無性にレバーが食べたくなる時があったり、リンゴが食べたくなる時があるだろ。それは、レバーやリンゴに含まれてる栄養素を身体が欲している信号なんだよ。そういう時に、面倒臭がらずにきちんと身体の求めるものを食べれば、おおよそ健康体でいられる。もちろん、普段から栄養に気をつけていても良いけど、そういうのって面倒だし金もかかる。対処療法で済むなら対処療法で良いんだよ」

「意外と日野も投げやりなところがあるんだな」

 今日の日野は何だか日野らしくないような気がする。論理的な持論を展開するところは日野らしいけれど、どこかその論調が、角度が日野らしくない。日野はもっと健全で前向きな人間ではなかっただろうか。

 電子レンジのアラームが鳴る数秒前に僕はレンジを止める。いつだったかテレビかラジオかで、「電子レンジのアラーム音が苦手だ」と話している人がいた。別にそんなこと気にかける必要もないのだろうけれど、一応この数学教員室は僕にとってアウェイであったし、気をつけても気をつけ過ぎるということはない。日野が豚骨ラーメンを食べてくれていて少し助かった。少なくとも僕の弁当は日野の豚骨ラーメンよりも匂いがしないだろう。

 どうしてか僕はいつも以上に周りが気になっていた。誰かに見られている。そんなような気がするが、それはあくまで他科目の教員室にいるからだろうか。

「体験実習の効果に話を戻すけど」日野はそう前置きをして口を開く。「そんなものいくらでも考えられるだろう」

「たとえば?」

「社会の一端に触れ、どのような仕組みで世の中が回っているのかを肌を以って体感する。それによって、自らの将来について想像をし、自分がどのように社会と関わり、その中で身を成していくかを考える過程で生徒は人間的に成長する」

「ほとんどの生徒がそんなモチベーションを持っていないと思うけどな。生徒どころか教師でさえ、面倒なイベントだと考えているはずだよ」

「だとしても無意味なんてことにはならない。テレビのバラエティ番組と同じさ。成立させることに意味がある。どこかで見たようなグルメなんて紹介されたって、ほとんどの人がたいした興味を示さないのはわかりきっている。でも、番組で紹介された店の近くに行く用事があったら、ついでに行ってみたくなったりするものだろう。そういう意味では、そのバラエティ番組はきちんと視聴者に影響を与えている。体験実習だって同じようなものだ。将来、就職活動とかの際にこの実習の経験が、何らかの判断基準になることだってあり得る」

「あるいは、たまたま実習で同じ班になった男女が交際を始め、将来的に結婚をするかもしれない」僕は日野の意見の補強をしてやる。

「だろ?」

「でも、そういうのはあくまで副産物であって、さっき日野が言った『社会の一端に触れ…』みたいな高貴な目的とは全く異なる」

「デパートの屋上で開催されるヒーローショーみたいなものさ。役者にとってはショーが目的であり、デパート側はそのショーの副産物として得られる営業収入が目的なんだ。俺たち教師は役者として、デパート側、つまり生徒に副産物としての利益を与えてやる必要がある。品出しやレジ打ちではなく、あくまでショーを成立させることでね」

「俺の質問に対する正確な答えにはなってないな」

「まぁ、そうかもな」そう言って、日野は豚骨ラーメンを啜った。せっかく硬めで食べ始めたのに、喋っていたせいで麺が伸びてなければいいが。そんなことを思いながら僕も弁当の米に箸を差し込んだ。「でも、たとえそれが一見チープなショーだったとしても、しっかりやり切れば、観客には何かを残せるかもしれない」

「俺たち教師がショーの出演者で、生徒たちがデパート側の人間なんだろ。じゃあ、この場合の観客って誰になるんだ?」

「さぁな。生徒の無意識、あるいは良心。いや、そんな人間一個体に限定したものではなく、神様のために演じているのかもしれない」

 僕はいつだったか日野と見た映画を思い出した。その映画は有名な作家の有名な著作物を基盤に制作された映画らしかったが、ほとんど個人製作の映画と言って良い代物だった。しかし、日野はその映画が好きだったし、僕もその映画には何かしら心揺さぶられるものがあった。

 その映画の中で、若い俳優の男は、新進気鋭の才能あふれる女優に「何のために演技をするのか」ということについて語り聞かせる。その男の言葉を聞いて、悩める女優の空を覆いつくす曇天は魔法のように切り開かれ、まばゆい光に満たされるというストーリーなのだが、その言葉というのが「俺たちは神様のために演技をするんだ」というものだった。

 まるであの映画みたいだな。僕の言葉に日野は小さく笑う。僕の方を振り向きもせず。豚骨ラーメンを続けて啜り、あっという間に日野は昼食を終えた。

 食後のコーヒーを飲みながら、日野は話の続きを勝手に始めた。僕はいまだにコンビニで買ってきた弁当を食べている。

「つまりさ、教師として俺らはちゃんと伝えるべきことを伝えるしかないんだよ。最初から副産物なんかに期待させたって、たいした意味なんか得られない。愚直にこの体験実習の本来の意義について生徒に語り聞かせなければならない。生徒たちはこの体験実習が、文科省のカリキュラムで定められただけのほとんど無意味な浪費に近い代物だって勘付いているが、俺たち教師が『まぁ、めんどくさいだろうけど、そういう決まりだから』なんて言って適当に生徒への共感を示してやったって、得られるものなんてほとんどないんだよ。むしろ、そんな打算ばかり覚えてしまった生徒たちに、正当な意味を求めることの意義について理解させ、意識を変えてやるためのイベントとして、俺はこの体験実習を活用すべきだと思う。だからこそ俺たち教師は、俺が最初に言った『社会の一端に触れ、どのような仕組みで世の中が回っているのか』ということを生徒たちに体感させてやらなくちゃいけない。その上で、生徒たちが自らの将来について真剣に考えられるように引っ張り上げてやることができれば、必然的に子供たちの打算的な無気力状態を打ち壊し、能動的で希望に満ちた人間へと成長させてやれたことになる。なぁ、これ以上に教師冥利に尽きることはないと思うのは俺だけだろうか」

 僕は弁当を食べ終わり、ビニール袋の中に箸ごと放り込むと、「日野らしいな」と言って笑った。この男は心底教師という職に対してやりがいを感じているのだろう。子供たちの打算的な無気力状態ね。上手いことを言ったもんだが、僕にはそれのどこが悪いことなのかよくわからなかった。

 僕は自分自身をまだ子供だと言うには歳を取り過ぎているように思うが、しかしながらまず間違いなく、日野の言う「打算的な無気力状態」に支配された人間だ。日野が言ったような、「まぁ、めんどくさいだろうけど、そういう決まりだから」と言って生徒への共感を示してやることすら面倒でやる気が起きない。僕はただ文科省の取り決めた文面を棒読みで生徒へと流し聞かせてやるだけだ。もし、僅かばかり意欲のある生徒に「どうしてこんなことをする必要があるんですか?」と聞かれれば、「まぁ、めんどくさいだろうけど、そういう決まりだから」と答えてやることもやぶさかではない。「どうしてそういう決まりになったんですか?」とさらに質問されてようやく、僕は日野が言ったような実習の副産物利益についてや、体験実習の真の目的が文科省の言う通りのものなのだと説明してやるだろう。

 ねぇ、先生。南美が言う。なんで、こんな時間の浪費みたいなことを私たちにさせるの?

 簡単なことだよ。それが必要だからさ。

 私にはとても必要だとは思えないけど。

 まぁ、ぶっちゃけ絶対に必要なものというのではない。でも、しっかりやっておけば自分の財産にはなる。勉強と同じだ。

 勉強をする意味だって私にはよくわからない。勉強しなきゃいけないおかげで、こうやって先生とお喋りできるのは良いことだと思うけどね。

 今の時代、一日中トイレの清掃をしていたって生きてはいける。でも、頭の使い方や世の中の仕組みを勉強しておけば、将来的に何十人かの人間にトイレ清掃の仕事を当てがってやることだってできる。そして、そういう立場の人間になれば、広い家で犬を五匹飼うことだってできるようになるんだよ。そして、それが資本主義的な理想像というわけだ。別にそういう資本主義的な生き方が絶対的に素晴らしいというんではない。資本主義なんか本当はどうでも良くって、単純に選択肢を持てるかどうかというところが重要な問題だと俺は思う。つまり、いくつか選択肢があれば、不愉快な選択を避けられる可能性も上がるし、「少なくとも、あっちに行くよりはこっちに来ておいてマシだったな」と思える。そういう風にして自分を慰めてやるためにも、勉強はしておいても損ではない。逃げ道を作るのが時間の浪費だと思うなら、お勧めはしないけどさ。

 きっと僕はそんな風にして、適当な言葉たちを垂れ流すのだろう。美しい彼女たちをほんの少しだけ鈍色に染めてやる。南国のトロピカルなカラーリングよりは、曇天の下で木枯らしに揺れる玉椿の深い緑と紅色の方が僕好みなのだ。

 それからは日野と簡単に体験実習の事務的な打ち合わせを行った。何枚かの書類のやり取り。実習先で世話になる企業の担当者に関する情報など。僕と日野は対立する宗教に属すると言っても良かったが、事務的な話となると非常に相性が良かった。日野が「まぁ、この辺はうまくやってくれ」と言えば、僕にはどのようにすれば「うまくやれるのか」がすぐに理解できたし、それぞれの書類やメモ書きが意味するところを察知して、それに的確な優先順位をつけて整理することもできた。

 おおよその事務的な目的を果たし、僕が数学教員室を後にしようとすると、日野が「今日の夜、空いてるか」と尋ねてきた。「俺はいつだって暇だよ」と答える。

 答え終わって廊下を歩きながら、「今日は本当になんの予定もなかったか」と考え、そう言えばゆかりが夜に電話したいと言っていたことを思い出す。せっかく飲みに誘ってもらったのに、日野には悪いが今日は遅くまでは付き合えなさそうだ。僕は何と言っても生徒想いの教師で通っているのだから。