Lillies and Remains というバンドがどれだけの人に知られているんでしょうか。
もし現代における注目の度合いを示すステータスの1つとして、YouTubeでの再生回数を基準にさせていただけるなら、「Moralist S.S」が現時点で約22万回、「Develoca」が約12万回。決して少なくはないと思いますが、それでも未だかつて、「Lillies and Remains好きなんだよね」という人に出会ったことはありません。まぁ、私の交友関係の狭さの方にこそ、問題の種はあると思いますが。
彼らの音楽の素晴らしいところは、言うなれば、あくまで「形式美」というものに拘っていることで、ポップ・キャッチー・クール等の現代的な「ウケ」という尺度を度外視した、至極個人的、つまりエゴイスティックな表現を徹底していることです。徹頭徹尾。そういうストイックさを感じます。
私としては、なかなか新譜が出されないことに多少のフラストレーションは感じているものの、しかし、まだ彼らの音楽の全てを知っている訳ではありませんし、まだまだこれから時間をかけて、彼らの目指す音楽の真髄をこれまでの作品から感じようとしている最中であるわけです。これまで、いくつかの彼らの楽曲に魅了されて来ました。ずっと浅いファンではありながら、なかなか「すべての作品を即刻買い集めて全てを聴き込んでやる!」とまでは思えなかった私ではありますが、本日12/24に自分へのクリスマスプレゼントとして<LOST>というアルバムを購入しました。YouTubeにアップロードされていた(おそらくは不法的に…)の「YOU STAND ALONE」という曲を聴いて、どうしてもアルバムが欲しくなったんですね。「STAND ALONE」という言葉には、どうしてもアニメ「攻殻機動隊」が思い出されますが、そんなことは抜きにして素晴らしい楽曲です。私が思うLillies and Remainsの最も輝かしい楽曲は「Final Cut」なのですが、それと似たような空気感を感じさせる「YOU STAND ALONE」。
皆さんは「A.I.」という映画をご覧になったことはありますか? なかなか哀しい映画だとは思うのですが、ただ哀しいというのは違うような、どことなく浮遊感が合って、ただ感触としては冷たい。感動する場面もありますが、では結果的に何が残るかというとただ冷く、それでも忘れ得難い思い出のような優しい感じ。そういう雰囲気を「Final Cut」や「YOU STAND ALONE」からは感じます。
話をLillies and Remainsに戻しましょう。
彼らの音楽の方向性が「形式美」にあることは、彼らの音楽を聴いたことがある人なら誰でも感じるところではあると思います。現代の潮流に合わせた表現的挑戦というのは、正直彼らの音楽からは感じないでしょう。ギター、ベース、ドラム、シンセサイザー、全てのパートが担うフレーズはどれもシンプルであり、どこか聴き馴染みのあるフレーズで少なくとも個々のパートから目新しさというものは感じないと思います。強いて言うなら、ボーカルの低音かつ無気力さという感じは新しさを感じるかもしれません。しかし、それでもそのボーカルの無気力さ、よく言えば、「抑え込んだパッション(情熱)」ようなもののせいで、わかりやすく感受性を揺さぶるような雰囲気は受けません。例えば、「ゲスの極み乙女。」や「水曜日のカンパネラ」、最近話題の「崎山蒼志」くんのような飄々としたボーカルスタイルというのも昨今目立ってはいますが、あれはあれで心を惹くところがあると思うんです。しかしながら、Lillies and RemainsのボーカルのKENT氏の歌い方は、もっと表現が削ぎ落されています。正しい比喩かどうかはわかりませんが、寒い冬の夜にちょっとだけ酔っ払いながら独り冷たい街灯に照らされながら口ずさむような、そんな歌い方とでも言えるかもしれません(ちょっと格好つけ過ぎてダサくなってしまいましたね、ごめんなさい)。
彼らが最も情熱的・意欲的になったのは、<MERU>という2010年に発売されたアルバムだと個人的には考えています。このアルバムのレビューに関しては、私のブログよりもよっぽど立派な記事が既に書かれてますので、そちらを参照していただければと思います。
LILLIES AND REMAINS「Meru」EP(Fifty One) - COOKIE SCENE
昔に私もこの記事を読んで、それをきっかけでさらにLillies and Remainsの世界観にもっと浸ってみようと思った訳ですが、今読んでも名文ですね。というか、あまりにも素晴らし過ぎて、私の書いている文章の稚拙さに、いまこうして駄文を書き連ねていることに嫌気が刺してくるほどです(笑)。といっても、酔っ払ってるんで、止められそうにもありませんけどね。
この<MERU>というアルバムでは、バンド史上最も激しい「decline together」という楽曲が好きです。最後のサビの前のドラムのフィル・インは何度聴いても惚れ々れとしてしまいます。MVにもなっている「develoca」もストイックかつ情熱的で素敵な楽曲です。
音楽的な知識の乏しい私からしたら、彼らの「形式美」に対する論理的なルーツを語ることはとても難しいことです。ですから、彼らの音楽に対して、細かく分析するということはやめましょう。私にできることは、ただ彼らの音楽から感じる私の個人的な心象に過ぎません。
いつ消されてしまうともわかりませんが、ここで2つの楽曲のリンクを貼らせていただきます。
先ほどから何度か書いている「Final Cut」と「YOU STAND ALONE」のリンクです。公式の音源ではないため、いつ消されしまうともわかりませんが、しかし、私はこれらの音源がきっかけで彼らのアルバムを購入するに至ったので、1から10までが悪とも言い切れないところがあると思います。願わくば、私のブログもまたそういうものであってほしいと思います。
これらの楽曲の本質について、先ほど引用させていただいた、アルバム<MERU>の素晴らしいレビューになぞらえて私なりの解釈をさせていただきたいと思います。
なるほどリンクのレビューではLillies and Remainsが日本でなかなか受けない理由の一つは、その「デーモニッシュ性」にあると書かれていました。「デーモニッシュ性」とはすなわち唯一信仰的なひたむきさであると、私は解釈しています(もちろん、Lillies and Remainsが描く世界の温度感が悪魔的な冷たさを持っていることも、そういった表現の理由の1つではあると思いますが)。なぜ、日本で「デーモニッシュ性」が受けないかと言えば、それは日本人が信仰しているのは「八百万の神々」であるからです。
日本は仏教国と言われるかもしれませんが、例えば、「食べ物を粗末にすると罰が当たるよ!」と言われたときにイメージするのは明確なブッダの姿でしょうか。きっと、もっと漠然とした「食べ物に関する神様」なんじゃないでしょうか。もし、ブッダが思い浮かばず、漠然とした「食べ物に関する神様」が思い浮かんだのだとすれば、あなたは仏教よりも強い神道の信仰者と言えるでしょう。「八百万の神様」とはすなわち神道の考え方ですね。つまり、一方向的な思想⇒悪魔信仰(一例として)⇒デーモニッシュ性とは相容れぬ、ということで先述のレビューは、日本人にはLillies and Remainsが受け入れられないと書いているわけです。
アルバム<MERU>は仏教的な世界観を取り入れようとしたアルバムであるため、一見日本人的であると思われながらも、仏教もつまるところは、ブッダを根源とする一神教で、日本人の強い支持は得られないものでしょう。Lillies and Remainsが仏教的な世界観を有しながらも、日本人受けしないのは、要するに仏教の一神教性=デーモニッシュ性にあると言えるかもしれません。先述のレビューをもとに語るのであれば。つまり、神道と仏教は根本的に相容れないわけですね。なぜなら、神道は多神教であり、仏教は一神教なわけですから。しかしながら、面白いのは、現代における仏教のイメージとはすなわち大乗仏教であり、大乗仏教とは簡潔に言えば「みな救われる」というとても裾野の広いものです。修行に打ち込もうが怠惰に暮らそうが皆が平等に仏さまに救われる、というのが法然的な解釈になりますが、この価値観というのは、多神教と相性が良さそうです。いつの間にか、日本人における「神様」への漠然としたイメージというのは、神道(多神教)における「様々な神々からの罰」と仏教の「衆生救済」の価値観が都合よく絡み合って、「色んな身の回りの神様を大切にすれば救われる」というものになっていったように思います。「トイレの神様」なんて楽曲が流行ったのも、ある意味ではそういう背景があったせいでしょうね(笑)。
日本人は暮らしの中で、ひたむきに神様と向き合いこそすれ(例えば、トイレの神様のために頑張ってトイレを綺麗にすることはできるわけです)、盲目的に一つの神様を信仰する性質ではないのです。それはある意味ではオウム真理教のような、犯罪的な新興宗教の暗い記憶があるからかもしれませんが、しかし、そのような確信的疑念を持っているのはおよそ40代以上うえの世代であり、もっと若い世代にとっては「新興宗教=いかがわしいもの」という認識こそあれ、ネット社会において「信者」という人間が馬鹿にされるほどには、皆自分の中の神様を信じて生きているように思います。
つまり、それは一種のデーモニッシュ性の噴出と言えるかもしれません。
そして、曲がりになりにも比較的若い世代の1人である私もまた、ある種のデーモニッシュ性=一神教性を有しているわけであり、どちらかと言えば、より正確な意味での仏教というものに対して、思想上の親和性を見出している私からしたら、仏教の持つデーモニッシュ性を描くLillies and Remainsの音楽は私の目において非常に素晴らしく映ってしまうのです。私が思う仏教のイメージは「一切皆苦」であったり、「諸行無常」であったり、そういった一定の冷たさを持った『諦観』にあります。それらを強く表現しているのが、先ほどリンクを示した「Final Cut」と「YOU STAND ALONE」という楽曲だと私は思うのです。
どこまでも諦めぬいた先で、それでもブッダが待っていて、私たちを救ってくださる。
まぁ、言ってしまえば、そういう感覚ですね。ですから、私たちが生きる上でやれることと言えば、どこまでも諦めぬくこと以外のものでしかない。そんな思想が私に巣食っている以上、私がそういったイメージに近い音に惹かれてしまうのも仕方のないことと言えるかもしれませんね。
しかしながら、私としてはブッダなんて既存の神に対して、そこまで魅かれているわけにもいかないのです。私はもう少し好奇心がある人間だと自負していますし、ブッダの思想に魅かれこそすれ、それはあくまで参考にしか過ぎず、私なりの価値観を突き詰めていきたいと考えています。その上で、このLillies and Remainsの持つ、シンプルでありながら、唯一神的ストイックな冷たい表現はしっかりと羅針盤的役割を担ってくれているように思います。時には、羅針盤ではなく、冷えた爪先を温めるホッカイロのようなものとして、私を温めてくれるのではないかと。
さて、どうも酔いが回って来て、うまくものを書けなくなってきたようです。
結局のところ私が言いたいのは、Lillies and Remainsというバンドから感じるストイックさは美しく、一見その無装飾さから、一般的なウケを獲得し難く見えながらも、しかし、新興宗教の悪夢という呪縛から解き放たれつつある我ら若い世代において、より理解され得るに近い位置にあり、過半数とまではいかなくとも、もっと好かれて然るべきだということです。私と近い形で、彼らを受け入れ、評価してくれる人はもっといるはずですから、私も私と似たような考え方を持っている人と彼らの美しさについて分かち合いたい。そんな寂しさからこの文章を書いているような気さえするほどです。
誰でも良いから、この文章を読んでいただき、Lillies and Remainsの真の美しさを理解してくださる人が増えればと思います。
最後に…
このブログのサブタイトルは最初から「序章」と決めていました。サブタイトルはいつも、ブログを書き終えてから、ブログの総括としてふさわしい言葉を選んでいたつもりなのですが、今回は「序章」というサブタイトルありきの内容となっています。私の中で「序章」と言えば、愛すべきJ.D.サリンジャーの「シーモア~序章~」という作品にほかなりません。サリンジャーは「シーモア」というキャラクターについて、深く掘り下げようと、つまり「今回のこの文章があくまで序章にしか過ぎず、シーモアという人物の真理はより自らが成熟した上でしか表現し得ぬ」という想いを掲げて、件の作品を仕上げました。ある意味では「これは序章にしか過ぎないんだ」と、文章の粗削りさに対する免罪符を手に、そのサブタイトルを掲げたのかもしれません。あまりに奔放でまとまりのない文章。今回は私もそのように、あくまで酔った勢いにまかせて、ただ書きたいように書き殴ってみました(ほんの少し、「シーモア~序章~」の文体を意識したりしながら笑)。
実を言えば、今まさに私はもっとほかに書かねばならない文章を抱えています。しかしながら、それをうまく書ける自信がないのです。ですから、こうして常日頃感じていたLillies and Remainsの楽曲への想いと取りあえず書き表してみて、とりあえずの落ち着きを得たいという心理が働いていたようにも思います。例えば、「テスト前に勉強する気が起きず、つい部屋の模様替えに精を出してしまう」というような感じですね。本来であれば、もっとちゃんと真摯にLillies and Remainsとは向き合うべきだったのかもしませんが、しかし、私の彼らに対する抽象的かつ的外れな想いは、こういったフラストレーションとアルコールによる陶酔を孕んだタイミングでしか、噴出させることができなかったとも思います。
今回のブログはまったくの駄文になってしまったように思いますが、それでもこうして私の気がある程度晴れたわけですから、それはそれで文章としての役割を果たせたのかもしれませんね。少なくとも、社会的な意味を果たしながらも、書き手の心を満たせない文章よりは幾分かマシな気がします。
これにて、今回の駄文は終了させていただきます。私の書いた文章がいかなるものであろうとも、彼らLillies and Remainsに対する愛が偽りのないものであることは、私がここに私だけの神に誓っていきたいと思います。