霏々

音楽や小説など

Maison book girl 「夢」レビュー ~夢への憧憬~

Maison book girl の「夢」についてレビューさせていただきます。

 

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アルバムで聴いていたときから、とても幻想的な楽曲だと思っていましたが、MVの演出を見てさらにその想いが強まりました。

MVの冒頭では、何らかの書類へサインをしています。そして、最後には科学的な実験がこのMVに盛り込まれていることが明かされます。ヘッドフォンをした映像は画質が荒く、同じ映像が繰り返されたり、フレームが安定しなかったり、「夢」を見ているときのような雰囲気。

これらのことを合わせて考えると、病室は現実世界で、おそらくは科学的な実験の被験者として彼女らは集められたのでしょう。同意書にサインをした彼女らは、意図的に夢の世界を彷徨う実験に臨みます。サムネイルにもなっていますが、病室にはレトロなテレビが置かれており、ヘッドフォンをした彼女たちの映像が映し出され、現実世界からその様子が観察されています。

そんな世界観のMVだと私は勝手に思っています。

 

「夢」という言葉に対する個人的な考察(楽曲とはあまり関係ありません)

「夢に潜り込んでいく」。そんな言葉を書くと、何となく映画「インセプション」を思い出しますね。あの映画はどちらかと言うとアクション要素の強いものでしたが、無秩序な意識としての「夢」に対して、何らかの意義を見出そうとするという部分では共通したものがあります。いや、何もこの楽曲や「インセプション」だけに限らず、「夢」というものを題材にした作品には、「夢」という概念が持つ共通項があるはずです。

「夢」とはすなわち、睡眠時に体感するものであり、同時にそこには厳正な力学は及ばず、少なからず夢を見る人の意志が介在します。それ故に、願望が強い人は、その願望が叶う瞬間を夢で見るわけで、転じて「夢=目標」というような言葉の使われ方をしているのでしょう。面白いのは、日本語だけでなく、英語でも「Dream」が「目標」や「理想」という意味を持っていることですね。

そして、「夢」には別の側面もあり、それは「夢」の材料には少なからず「記憶」も関係しているということ。目の不自由な方の夢には「映像」はないそうです。そのことからもわかる通り、「夢」で体感できるのは自分が「体感したことのあるもの」なわけですね。つまり、前述のとおり「夢=記憶」でもあるわけです。

一見、「目標」と「記憶」では時制に不一致があるように思われます。それが「夢」という概念の面白いところ。しかし、「過去=記憶」から「未来=目標」という流れは非常に理解し易いものでもあります。例えば、お金で苦労した人がお金持ちになる夢を持つのは、お金で苦労しながらも、僅かな贅沢をしたときの喜びの記憶が強く印象に残っているからでしょう。それ故に、「夢」というのは「過去の記憶から想起される願望」と言えます。

この楽曲においても、「夢」の持つそんな特徴を元に世界観が構築されています。

 

「覚めていった夢を今日も探すの」 歌詞の解釈

前述のとおり、「夢」というのは「記憶」であり、「願望」です。しかし、「夢」には不確定的な要素も含まれ、「意識の断片」の組合せが「夢」の実態でもあります。それ故に、「夢」でしか体験できないものもあります(ここで言う、「夢でしか体験できないこと」というのは、例えば「サッカーの日本代表になってゴールを決める」のような実現不可能な目標のことだけでなく、既に過ぎ去った過去のことや、「夢」特有の不完全な世界であったりするでしょう)。

やや括弧の中が長くなってしまいましたが、歌詞の「覚めていった夢を今日も探すの」という言葉には二通りの解釈ができそうです。一つ目は今しがた書いたように、「実現できなかった目標=覚めていった夢」と比喩的に解釈する方法です。もう一つは、つまり「夢でしか体験できないもの」を「願望」とすることです。本来であれば、「記憶」の断片を材料に構築される「夢」ですが、ときおり私たちは「夢でしか得られない」体験をします。

記憶にないものがぱっと夢に現れる。

例えば、ビートルズの「Yesterday」という楽曲は、ポール・マッカートニーが夢の中で聴いた楽曲という逸話があります。フランケンシュタインという空想上の怪物も作家が夢で見たものらしいですし、世の中にはそういった「夢」発信のものがあります。

私も夢の中にしかない街をいくつか持っています。素材はかつて私が住んでいたり、訪れたりしたことがある街で、その切り貼りだったりするわけですが、ある程度確固たる形をしてその街は私の夢の中に存在しています。大したことのない街ですが、私は眠る前にその夢の街に訪れられることを願いながら布団に潜り込みます。

長くなりましたが、「覚めていった夢」とは比喩でも何でもなく、自分が見た「夢」そのものです。しかし、その「夢」が魅力的であるが故に、その「夢」を夢見てしまうわけです。「覚めていった夢を今日も探すの」という歌詞の解釈は、むしろそのような「夢」そのものに対する憧憬と捉えた方が適切な気がします。

 

再度、MVの構成について

一番最初に書いたように、MVでは夢の世界を映し出す実験の様子をストーリーとして見せています。これは、すなわち映画「インセプション」のように、「夢の世界」に潜り込むことを意味しています。「夢の世界にしかない何か」を求め、彼女たちは病室でのベッドで眠りにつきます。

またまた「インセプション」を持ち出して申し訳ありませんが、「インセプション」ではレオ様演じるコブは、自分がいま夢の中にいるかどうかを確認するための道具として自前の「コマ(くるくる回るやつです)」を持っています。

「夢」について作品化する上で難しいのが、「現実」と「夢」をどう切り分けるかということです(もちろん、明確に切り分けないことで得られる楽しさもありますが)。「インセプション」ではコマですし、アニメ映画「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」では、花火の形や、(本当かどうかわかりませんが)風車の回る向きでその切り分けがなされています。

今回のMV「夢」では最初に言った通り、夢のアイコンは「ヘッドフォン」です。

しかし、そのヘッドフォンを抜けば、夢として描かれているのはほとんど無意味な街の景色です。いくつもの断片的な映像が重ね合わされ、無秩序が演出されています。まさに、私が眠る前に訪問を願う街のような景色。歌詞も断片的な描写が多く、一部厳密性を失い、主語述語が常用では考えられない文章も現れます。まさに、夢の中のよう。

 

「消えたゆめ 本当のことは いつも ゆめに そっとしまってる」 歌詞の解釈

最後の歌詞ですが、この歌詞もまた「夢」に対する憧憬が現れているように思います。「本当のこと」は「本当の気持ち」や「本当の自分」としても良いですし、「真理」のように解釈しても別に破綻することはないと思います。

私自身、自分が見る夢以上の自分に対する娯楽はないと考えています。故に、私は作家という夢を諦めながらも、自分のために色々と書いて、時折このブログにもそっと載せたりしているわけです(最後の「ブログに載せる」云々は不要でしたね笑)。自分が夢で見た情景を少しでも再現し、好きな時に触れるようにするために、何かと暇を見つけてはものを書いていますが、私が生きる意味などほとんどそれくらいのものです。仕事に対して野心みたいなものは特にありませんし、究極、誰がどこで死のうが知ったこっちゃありません(と言いつつ、推しが卒業発表したら、その度に世界の終わりかのように狼狽える訳ですが笑)。

まぁ、そんな私の思想から言えば、「真理はいつも夢の中に」と言っても決して言い過ぎにはならないと思っている訳です。

 

Maison book girl のリズム、拍子

Aメロは4拍子、Bメロは3拍子ともうお馴染みの変拍子。しかし、前回レビューさせていただいた「狭い物語」のような複雑なポリリズムがないため、Maison book girl(サクライケンタさん)の中では初めて聴いても身を預けやすい音楽となっています。

が、サビだけは曲者です。とは言え、聴いた感じでは全ての音が同じリズムに乗っているため聴き心地は良く、「あれ、何か変な気がするけど、まぁ、気のせいかな」くらいに感じている人が多いんじゃないでしょうか。

しかし、拍子をちゃんとカウントしてみると、「3・2・3・3・2・2」という拍子の構成になっています。もはや、「〇拍子!」と明確には言えない感じです。足せば15拍になるので、「15拍子?」「いや、そんなエキセントリックな拍子という聴き心地じゃない!」ということで、とりあえず歌詞と拍子を対応させてみます。

 

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と、ブクガお馴染みのしょぼいExcel画像の登場ですが、スネアと対応させることで拍子を捉えることは簡単です。3拍子の箇所はワルツのように「ズン・チャ・チャ」という感じなんで馴染みやすいと思います。

このような違和感のある拍子でありながら、聴いたときには「そんなに気持ち悪くない」と思わされるのですから、まさに「夢」のようです(←これを言っとけばいい、みたいになっているのが悔しいです笑)。多少あり得なくても夢だとわからないのが夢ですから、そういう意味で本心からそう思っています。

 

クラップ音、脳活動再構成画像

さて、いよいよ楽曲のレビューも最終段階に入りました。今回は、MVや歌詞、そして音楽と触れてきましたが、最後にこの楽曲・MVにおける科学的な挑戦についても触れたいと思います。

アルバム<yume>にも収録されている「言選り」では、たしかブクガの過去の歌詞を深層学習させたAIに歌詞を作らせる挑戦がありましたが、今回もそういった科学的な挑戦が為されています。

楽曲のイントロや間奏、Aメロを通して鳴っているクラップ音のベロシティ(強弱)は、人が夢を見ているときの脳活動パターンから変換されたものだそうです。そして、MVの映像で頻繁に使用されている輪郭のはっきりとしない画像は、人(起きている)がある写真を見ているときの脳活動の情報を解読して再構成したものだそうです。

私はこう見えて、もとは理系の人間なのでこういった科学的なお話って結構好きです。

相対性理論(バンド)でお馴染みのやくしまるえつこさんが、新しい記録媒体として微生物のDNAを用いる実験をして、何かで受賞されていましたが、それ以来の感動です。ちなみに、「微生物のDNAを用いることで、従来の記録媒体の比にならないくらいの記録時間を有し、かつ、生命の進化とともに作品もまた進化していく」というのがその実験のコンセプトだったかと思います。

そして、今回の2つの実験のコンセプト。それは「人の意識=脳活動」の数値化だと思われます。「この世の真理は数(自然数)である」というようなことをかのピタゴラスは言ったかと思いますが、その「数」をもとに現象を結び付ける学問が物理なわけですね。

バッハは「音楽の父」と称され、その作曲性において数学的なアプローチがなされているとどこかで聞いた気がします。また、「のだめカンタービレ」でも千秋が「世界の調和を知るための学問が、天文学幾何学数論、音楽だったんだ」と言っていました。どちらも高尚すぎて私には理解しきれませんが。とは言え、これらの考え方が前述のピタゴラスの「真理は自然数にあり」と合致していることは明らかです。私のしょうもないExcel表もまた、拍子という自然数の上に成り立った音楽解釈であり、私のように音楽的素養がなくともしっかりと数を数える術を持っていれば、およそ誰にでも理解できる範疇のものだと思います。

つまるところ、音楽とはこれまで自然数と密接な関係性を持って来たというわけですが、もはや時代は変わりました。夢を見ているときの脳波を数値化して、クラップ音のベロシティに変換させることすらできてしまいます。脳波を数値化なんて、アニメ「PSYCHO-PASS」のシビュラシステムじゃん!という感じです。エレキギターエフェクターなどもアナログ回路ではありますが、電気信号の変換という意味では科学技術と密接な関係がありますし、the telephonesの石毛さんは「周波数こそ…!」のようなことをおっしゃっていました。周波数とはすなわち、音を時間関数をフーリエ変換したものでありますから、言ってみれば複素数微分積分を駆使したものであります。このように科学技術の進歩は、音楽に対しても…いやいや、その他様々な芸術に対しても多大な効果をもたらします。もちろん、その中でも「音楽」は「数」と相性が良いというのは、前述のピタゴラスやバッハ、千秋様の話からして明らかですが。

さて、話を戻しまして、今回のMV・楽曲で取り上げられている2つの実験は、「人間の意識=脳活動」の数値化です。今まで、「夢のような曲」を作るとしたら、感性豊かな人間がアナログな機器を組み合わせて何とか、「夢」というものを表現する必要がありました。

しかし、もはや脳活動を数値化できる時代。今後、センシング技術がどんどん進化していき、全てのものは数値化され、そうして蓄積される膨大なデータはAIによってビッグデータ解析のふるいにかけられ、最適化が進んで行くでしょう。

そんな世の中、皆さんは望みますか? 私は望みません。機械になんか頼らず、人間の感性で「夢」を何とか表現するから芸術としての価値があるのだろう。その通りです。しかしながら、単なる最適化ではなく、科学技術によってこれまでの想像を超えたものが作れるのだとしたら、そこに積極的に挑戦していくのがアーティストってもんじゃないでしょうか。将棋の羽生善治さんのように優れた人ほど人工知能の進歩を楽しみにしている、と千原ジュニアさんが言っていました。調べたら千原ジュニアさん絡みの記事で、「AIが大喜利で若手芸人に勝利」というのがニュースになっていましたし、そういう挑戦があるからこそ、私は科学の進歩を辛うじて楽しめているのだと思います。

もし、単なる効率化や最適化のために科学があるのだとしたら、私は科学というものを憎むしかできなかったでしょう。しかし、「夢を見ているときの脳活動を解析する」であったり、「ものを見ているときの脳活動を解析し、再構築する」といった科学が今そこにあるわけです。もし、私が布団に潜り込んでいるときに見る夢が、科学技術によっていつでも見られるようになったとしたら……私はもう何も書かなくても良くなるかもしれませんね。

 

なかなか上手くまとめることができませんでしたが、「夢」に対する憧憬がこの楽曲のテーマです。厳密性を欠いた歌詞、サビの拍子構成による「夢」の演出、そして科学技術も取り込んだ「夢」の獲得への飽くなき挑戦。楽曲やMVは幻想的でありながら、そういった表現への情熱を感じさせる素敵な作品だと思います。

 

最後に…

仕事が、忙しい。飲み会が、多い。書く時間が、ない。

と、ちょっと精神的に参っていますが、今日はようやく予定のない休日。夕方までネットサーフィンをしたり、本を読んだり、昼寝したりとグダグダしていましたが、ようやく重い腰を上げてレビューを書き始めたらいつの間にか夜10時です。久しぶりだったからか、非常に疲れました。

そして、内容的もあまり満足のいくものが書けなかったような気がします。

これからも精進して参りますので、誰か読んでください。。。

 

あと、書き忘れていましたが、アルバム<yume>の全体的なレビューもいつかしたいですね。ここに書くことじゃないかもしれませんが、他にもつばきファクトリーの1stアルバムのレビューもしたいですし、バズマザーズの他の楽曲のレビューもしたいです。先日読み終えた小説のレビューもやってみたいですし、映画のレビューもいつかしたいです。

学生時代にどうしてやってこなかったのか…

まぁ、そういうもんですよね。つんく♂さんも「若いときにもっと曲作っとくべきやった」というようなことを仰っていたことを思い出して、そんなことを言える自分にちょっと自己陶酔しながらこのブログを締めたいと思います。