霏々

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バズマザーズ「ペダラーダモンキー」レビュー ~リーガ・エスパニョーラのファンタジスタ~

バズマザーズ 5thアルバム<ムスカイボリタンテス>より

「ペダラーダモンキー」のレビューをさせていただきます。

 

前回の「不幸中毒の女」のレビューから少し時間が空いてしまいました。先週は飲み会に次ぐ飲み会で、それこそ「不幸中毒の女」がX JAPANの「Rusty Nail」のライブバージョンを熱唱するようなスナックに連れて行かれたりしておりました。

今月半ばに昇進試験を控えていることもあり、またこうして色々と好き勝手書く時間が取れなくなると思われますが、レビューは気合を入れていきたいと思います!

 

さて、いつもの如く前置きが長くなりましたが、「ペダラーダモンキー」のレビューを始めていきます。

この曲、私個人的にはアルバムの中で1位、2位を争うくらい好きな曲なんですよね。私自身、高校までサッカーをやっていましたし、学生時代の卒業旅行ではスペインにいった際に、「せっかくだから」とバルセロナの試合を観に行ったくらいにはサッカー好きです(普段はめっきりサッカーを見なくなってしまいましたが)。

おっと、先に大事なことを説明し忘れていました。

曲名にもなっている「ペダラーダ」とは、いわゆるサッカーの「またぎフェイント」のことです。シザースなどとも呼ばれていますね(私は「シザース」派です)。C・ロナウドなどがぱっと思い浮かぶでしょうか(ペダラーダと聞いて私が真っ先に思い浮かぶのはロビーニョですが)。先日の日本代表戦ではウルグアイ相手に、左サイドで中島選手がペダラーダで相手選手を翻弄していましたね。

ということで、スペインのサッカーリーグであるリーガ・エスパニョーラ、その中の1チームであるアトレティコ・マドリードのサポーターと公言している山田亮一さんが(贔屓にしている?)サッカー選手に向けて作った曲が、この「ペダラーダモンキー」なわけであります。

 

まずは簡単に楽曲面の感想を。

楽曲構成は至ってシンプル。サッカーの応援のようなタム(太鼓)の音と、つま先立ちでステップを踏むようなギター・ベースのリフから始まります。その後、Aメロに入ってもコード感よりはリズムに重点を置いた、これまた特徴的なリフが繰り返されながらのラップが続きます。

そして、Bメロもどこかへうっちゃって、焦燥感溢れる、胸が苦しくなるようなサビへ。ベースラインも素晴らしいのですが、何よりもこのサビの焦燥感を引き立てているのがギターの音です。この曲では全編を通して(Aメロではちょっと歪が強いですが)、ちょっと頭が悪そうなピロピロといった感じの音色が使われいます。が、その音がこのサビに来ると本当に切なくなる音に変わるんです。ドラムとベースは細かいリズムを刻む反面、ギターはほぼ全音符になっています。そして、よーく聴いてみると、ギターの音にコーラスのような音が加えられていて、それが切ない感じを盛り上げているんですよね。コーラスのエフェクトをかけたギター音なのか、オルガンの音なのか、私の耳では断定しかねますが、この音を聴いたとき、どこかで耳にした「ギターは最も人の声に近い音だ」という言葉を思い出しました。

イントロ⇒Aメロ⇒サビ⇒間奏1⇒Aメロ⇒サビ⇒間奏2(ちょっと長め)⇒サビ⇒半音上げサビ⇒アウトロ(ギターソロ)⇒アウトロ(イントロと同じ)

というシンプルな楽曲構成ではありますが、その構成がこの楽曲の疾走感を増してくれていますね。あとは、さらっと「アウトロ(ギターソロ)」なんて書きましたが、前に「仮想現実のマリア」でレビューしたように

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バズマザーズ「仮想現実のマリア」レビュー ~真実の愛を求めて~ - 霏々

この「ペダラーダモンキー」のギターソロも本当に好きなんです。少なくとも、「仮想現実のマリア」の最後のギターソロが好きな人であれば、この曲のギターソロも好きになってくれると思います。

 

さて、楽曲についてはこれくらいにしましょう。音を言語化するのって、とても難しいので。

それでは歌詞の解釈に入ります。

 

「生まれ堕ちたは世界の0番街。生きる為戦うことを選んだ。お坊ちゃんお前じゃ俺には勝てぬ。」って
聞きもせんのによー舌が回る

「お前は今日から『ファッキン・サッカー・マシーン』だ!」とでも言われたかのような、そんな歌詞です。「生きる為戦うことを選んだ」みたいなどこぞのバトル漫画に出てくるセリフ、私は好きですが、実際に真剣勝負の目の前でやられたら「いや、聞いてへんし」となりそうな気もしますね。

「0番街」という言葉も例によってGoogle先生に調べていただきましたが、それっぽいものがヒットしませんでした。FF(ゲーム)の「ミッドガル」という都市に「零番街」があるらしく、それが唯一ヒットしました。「ミッドガル」の中には確かにスラム街もあるようですが、「零番街」はとても栄えている中心部なので、ここからの引用とは考えにくいですね。したがって、ここで言う「0番街」は「名前もない街」くらいに考えておいた方がいいかもしれません。

村上春樹の「1973年のピンボール」で直子が「なんて呼べばいいのかわかんないわ」と評したような街。「なにしろ街なんてものじゃないのよ。まっすぐな線路があって、駅があるの。雨の日には運転手が見落としそうなくらいの惨めな駅よ」というそんな名前もないような街。それとはやや趣が違うと思いますが、「そんな無価値で無意味なスラム街で満足な教育も受けられず、サッカーだけやって生きてきた」といった感じの街なんでしょう。

 

果たし合いみたいにお前は云うが俺にすれば甘いアバンチュールさ
青筋立てる様が愛しいよ
もそっとちこうへ 

 さて、ここまでくれば、ようやくこの歌詞における一人称が誰であるのかがわかるような気がします。この楽曲では一貫して「お前」と「俺」の関係性が描かれています。すなわち、「俺」がペダラーダモンキーで、「お前」が対戦相手ということになりましょう(最初は「Uh~ペダラーダモンキー」とペダラーダモンキーに呼び掛けているような感じがしたので、主語をごちゃごちゃに捉えていましたが、どうもしっかりと分けられていそうです)。

したがって、さっきの括弧の中の0番街云々の話は、ペダラーダモンキーその人ではなく、相手選手の身の上話になります。ペダラーダモンキーからしたら、「そんな生い立ちみたいなんはどーでもええねん。聞いてへんし」といったところでしょうね。相手である「お前」からしたら「果たし合い」みたいな感じかもしれませんが、ペダラーダモンキーの「俺」からしたら「甘いアバンチュール」に過ぎません。「俺」にけちょんけちょんにされて「青筋立てちゃって、まぁ、愛らしいこと」と、ペダラーダモンキーは相手を煽ります。「もそっとちこうへ」。

これはサッカーやバスケといった1対1の発生する球技や、武道系の競技で顕著なように思いますが、こっちがノってるときって、本当に「もそっとちこうへ」っていう気分になるんですよね。1対1の駆け引きの中で、相手がおびえながらこちらの懐に飛び込んでくるのをひらりと躱していくあの快感。

山田亮一さんも確か小学生くらいはサッカーやっていたような記憶があります。ハヌマーン時代のブログで、「先生の言うことも聞かないで、オフサイドばっか取られてた~」みたいなことを書かれていた記憶があります。この比喩も素晴らしいですが、とりあえずは楽曲に戻ります。

ちなみに、「もそっとちこうへ」の後、サビに入る手前でノイズ音がしますが、それがワールドカップ南アフリカ大会で注目を浴びた「ブブゼラ」の音に聴こえるのは私だけでしょうか。

 

ペダラーダモンキー 女子の眼ハートになるのを待たず
血迷って血走って次の瞬間お前は地面を舐める

楽曲中では「Uh~ペダラーダモンキー♪」と歌われているサビの部分です。まさに、ペダラーダしながらドリブル突破をしていく場面が浮かび上がって来ます。ドリブルで「俺」は「お前」を抜き去り、「お前」は転んで「地面を舐める」。そんな歌詞が、サビの疾走感と相まって、何とも心地良く感じられます。

「女子の眼ハートになるのを待たず」には2通りの捉え方があると思います。1つは「ペダラーダモンキー」である「俺」が「女子の眼がハートになっていようがいまいが関係ないね。俺はただお前を抜き去っていくぜ」的な感じの解釈です。もう1つは、「お前が変なタイミングで飛び込んで来るから、変なタイミングで抜いちゃったじゃんか。ほれみろ、観客の女子も俺の華麗なドリブル見逃しちゃったじゃんか」的な感じの解釈ですね。どちらがよりペダラーダモンキーらしいのか。とても難しい問なので、皆さんで各々解釈していただければ良いと思います。それでも、続く歌詞が「血迷って、血走って」とあるので後者が有力でしょうかね。

 

ペダラーダモンキー これは妄想狂の痴れ言になく
血を吐いて地を這った日々の鍛錬だけが勝負を分かつゲーム 

 「地面を舐めるお前」に向かって、「努力が足りんぞ」とさらに煽っていくスタイルの歌詞です。内容的にはそんなもんですが、ここで秀逸なのは「血を吐いて、地を這った」が、前段の「血迷って、血走って」と韻を踏んでいるところです(もちろん、母音を合わせるまでの徹底した韻の踏み方ではありませんけれども)。「妄想狂の痴れ言なく」という歌詞もスピード感がありながら、テクニカルな言葉で面白いですよね。なかなか普通の小説などでも「妄想狂」とか「痴れ言」とか出てこないように思うのですが、いったい山田亮一さんはどこでその語彙を獲得しているのでしょう。ぜひ、お聞きしてみたいです。

 

お鉢が回り今宵のお相手、ちと分が悪い銀河のメレンゲ
地の果てから轟く歓声 

 「お鉢が回り」とは、「順番が回って来ること」です。調べてみると、もともと「お鉢=飯茶碗」ということで「はやく自分の番にならないかなぁ」という感じだったのが、いつの間にか「嫌なものが回ってきた」という印象で使われるようになったそうです。

そして、「銀河のメレンゲ」とはすなわち「レアル・マドリード」です。言わずと知れた、超名門のビッグ・クラブ。とにかくお金をかけた選手集めでスーパースターが集うチームであり、「銀河系軍団」と呼ばれています。また、白いユニフォームから「メレンゲ」という愛称もあるようです(ほかにも色々な愛称があるようです)。ライバルチームのバルセロナと並んで、幾度となく世界一のクラブの栄光に輝いています。

したがって、ここの歌詞では「リーグ戦でいよいよレアルとの対戦だ…!」という感じですね。ここで勝てば大金星。選手が選手なら、そのサポーターもまた凄い。「地の果てから響いて来るような轟音の歓声」が身を震わせます。

ちなみに、この「~轟く歓声♪」の後に「Oh~Oh, Oh, Oh, Oh~Oh♪」とサッカーの試合で聞こえてきそうな応援歌的な歌が差し込まれています。応援歌には詳しくないので、本当にこれがレアルの応援歌なのかはわかりませんが、雰囲気は伝わってきますね。※コメントで補足いただきましたが、ホワイトストライプスのセブンネーションアーミーという曲のオマージュだそうです。勉強になりました!

まったくどうでも良い話ですが、卒業旅行のスペインでバルサの試合を観戦したときに、バルサの応援歌が「バルサバルサ!バ~ルサ!」という感じでちょっと衝撃的でした。きっとずっと昔に作られた曲なのかちょっとしたダサさを感じたのです(ダサいというのは決して悪いことではありません。バズマザーズハロプロもそういうところがちょっとあるのが良いんじゃないですか)。何と言うか、おばたのお兄さんの「まーきのっ」とちょっと似てて、初めて聞いたときは若干吹き出してしまいました笑。

 

右に目配せ左にウィンク、本命はそのどちらでもなく
億万長者の股の間、中央突破さ 

 「右に目配せ」「左にウィンク」という感じは、どこか元バルセロナロナウジーニョを思い出させますね。彼以上のファンタジスタを僕は知りません。彼のノールック・パスは素人が見ても「やり過ぎ」なのはわかりますが、そういうユーモアを持ってプレーできるのって素晴らしいと思います。本楽曲の「ペダラーダモンキー」もきっとそんなお茶目を持ち合わせていそうな気がします。

そして、「億万長者」もまたレアル・マドリードを形容するにはぴったりの言葉。また、レアルには「白い巨人」という愛称もあり、そんな「億万長者の巨人の股を抜いてやろう」という「ペダラーダモンキー」のいたずら心が感じられる歌詞ですね。ちなみに、サッカーでは「股抜き」というのはやられると非常に屈辱的なことで、下手をすれば試合で負けるレベルで屈辱的なことです。私も小学校の頃にコーチと1対1で何度も股抜きをやり合ってました。「股抜かれたら焼き肉な」というのが私たちのお決まりでした(もちろん、小学生には焼き肉代を出す経済力はないわけですが)。

そんな「股抜き」ですが、ここでは「狙うは巨人の股の間、すなわち中央突破さ」とあります。もちろん、「股抜き」的な茶目っ気もあるでしょうが、結局のところ「ペダラーダモンキー」は回りくどいサイド攻撃でも、投げやりなポストプレーでもなく、シンプルかつ無謀な「中央突破」を狙っているわけですね。そんな不器用なチャレンジ精神もまた「ペダラーダモンキー」の持っている魅力なんでしょう。

 

ペダラーダモンキー 刺し違えてでもって顔が素敵
さぁ俺の自由奪ってみな 安全の保証は致しかねますが 

 「さぁ、俺の自由を奪ってみな。安全の保障は致しかねますが」と「ペダラーダモンキー」は自分をマンマークする相手に言い放ちます。常に、煽りのスタンス。まるで闘牛士のように、相手が怒れば怒るほど自分のテクニックが輝くことを知っているわけですね。サッカーをやっている人はわかるかもしれませんが、意外と「マンマーク」という戦法は効果的な場合が多いものです。もちろん、そこでは実力差が露呈されてしまいますが、それでもチームの中心選手の自由を奪うというのは、1人を押さえる以上の効果があります。そして、そこではチーム同士の試合そっちのけでのプライドをかけた戦いが始まります。

私も何度か相手チームの主要選手の「マンマーク」をやった覚えがあります。私は補欠チームで、相手は同じクラブのAチームでしたが笑。もちろん、私よりは数倍も上手い相手だったのですが、私がしつこく食らいついて、彼の表情に苛立ちが現れた瞬間は、それはそれは大きな快感に溺れてしまいそうになるんですね。そのときの私の心境としては「刺し違えてでも」という感じでした。

ちなみに、ここもまた主語が難しいところであります。かつての私のように「ペダラーダモンキー」をマンマークする相手に対して、「ペダラーダモンキー」が「あらあら、必死な顔しちゃって。可愛らしいじゃないの」と思っているのか。それとも、明らかに実力で上回るレアル・マドリードに対して「刺し違えてでも」と「中央突破」を試みる「ペダラーダモンキー」が「素敵」なのか。この辺もまた皆さんそれぞれで考えてくださればと思います。

 

ペダラーダモンキー ほんのちょっと転びゃあ地鳴りの様な野次
この全部俺のもんにしたい

 ここで転んだのはおそらく「ペダラーダモンキー」の方でしょう。というか、そんな情景が私の中には浮かんでいるのです。銀河系軍団に中央突破を仕掛け、惜しいところまで行くのですが、最後は身体をぶつけられ、転んでしまいます。ワールドカップでもネイマールが何度かシミュレーション(転ばされたフリをすること)をして話題になっていましたが、ゴール近くで選手が倒されるという事態は、両チームにとって非常に重要な局面になります。転ばされた方のチームは、ペナルティキックフリーキック、そして相手選手のイエローカードなどを狙ってサポーターも一体となって野次を飛ばします。対して、転ばせた方のチームは、シミュレーションじゃないかと、これまたサポーターも一体となって野次を飛ばします。そして、そんな怒号飛び交うスタジアムの中で誰よりも注目を浴びるのは、転ばされた選手。すなわち「ペダラーダモンキー」。

「あぁ、この歓声のすべて、俺のもんにしたい…!」

 

ペダラーダモンキー 女子の眼ハートになるのを待たず
血迷って血走って次の瞬間お前は地面を舐める
ペダラーダモンキー 努力根性等の話ではなく
血を吐いて地を這った日々の鍛錬だけじゃどうにもならん領域 

 間奏を挟んで、再びサビのメロディへ。

前半は先ほどと一緒なので割愛します。が、後半は「努力が足りん」と言っていた先ほどとは全く逆のことを言っています。「努力根性等の話ではない。鍛錬だけじゃ、どうにもならない領域の話なのだ」と「ペダラーダモンキー」は言います。相手はさすがのレアル・マドリード。そう易々とはドリブル突破できませんが、それでも何とか抜き去り、そして悦に浸る「ペダラーダモンキー」はドヤ顔で言うのでしょう。

「なかなか、頑張っておるではないか。しかし、私を止めようなんぞ、100万年早いわ。努力じゃどうにもならん力の差がこれぞ」といった感じで。

 

ペダラーダモンキー 何度だって置き去りにしてあげる
今夜世界は見るだろうよ「お前達の勝利」と「お前の敗北」を 

 ここからさらに半音上がって、盛り上がりはピークに差し掛かります。

「何度だって置き去りにしてあげる」という口調がとてもチャーミングですよね。曲の冒頭で「甘いアバンチュールさ」と言っていたことが思い出されます。

そして、「お前達の勝利」と「お前の敗北」。チーム的には、あのレアル・マドリードに勝てるはずもありません。だから、「チームとしての勝利はお前達に譲ろう。しかしお前は俺に何度も抜かれ、何度も置き去りにされただろう。だから、お前は俺に負けたんだ」と「ペダラーダモンキー」は歪んだ笑みを零します。

 

ペダラーダモンキー 無意味だって云われてもエラシコラボーナ
湿気た面すんなよ監督 打つ手なしならもう好きにやらせろよ 

 メロディライン的にも「無意味だって云われても」と「好きにやらせろよ」の辺りは、上ずった感じになり、さらに疾走感・焦燥感が足された感じになります。

エラシコ」というのは、ロナウジーニョお得意の足技ですね。ロナウジーニョは試合で多用し過ぎて最後の方は誰も「エラシコ」に引っ掛からなくなっていましたが笑。ちなみに、「エラシコ」とはポルトガル語で「輪ゴム」という意味のようです。同じ足の外側と内側で連続でボールをタッチするフェイントになります。足にゴムでボールを引っ付けたように見えるので、「輪ゴム」という名前がついたのでしょう。ちなみに「エラシコ」はあのセルジオ越後さんが発案者という噂もあります。まぁ、誰にでも思いつく技ですし、嘘か本当かはわかりませんが。フェイントは発案者ではなく、第一人者になるのが大事ですからね。私も何度も練習しました。そして、練習試合でやって決まった時の快感は未だに忘れられません。

一方、「ラボーナ」というのは、普通左側のボールを左足で蹴りますが、左側のボールを脚を後ろでクロスさせて、右足で蹴るテクニックになります。タイミングをずらしたり、できるためそれなりに有効なテクニックですが、力も伝わりづらい上、身体が柔らかくないとそもそもできない芸当です。「ホイッスル」というサッカー漫画で水野君が東京都選抜の選考会でラボーナを繰り出して、周りから「ただの目立ちたがり」呼ばわりされていたのが私的には懐かしいです。このテクニックは結局、私はまったく修められませんでしたね。右ひざで左ふくらはぎに何度あざを作ったことか…

さて、サッカー豆知識はこれくらいにして、結局この2つのテクニックは「目立つが効果が薄いテクニック」として認識されている節があります。そんなテクニックを見せつける「ペダラーダモンキー」。そして、それを見て「負けてんのに、そんなことしてんじゃねぇよ」湿気た面をしている監督。

「あぁ、うるせぇ、うるせぇ。打つ手なしでただ突っ立ってるだけなら、黙って見てろ。俺の好きにやらせろよ」と「ペダラーダモンキー」はさらにヒートアップしていきます。そして、そんな心情と重なり合うように、胸が締め付けられるようなギターソロへ。このギターソロもペダラーダモンキーらしく、音階を駆け上っては転がり落ちていく目や耳を惹くようなフレーズと、変則的なリズムと音階を用いたフレーズが組み合わされたソロになっています。完璧なラストです。

 

と、とにかく楽しく、焦燥感に駆られるような、まるでサッカー漫画を読んでいるような一曲でした。サッカー経験者である私だからこんなに響いたのでしょうか。いや、この楽曲はサッカー好きでなくても、絶対に楽しめる楽曲だと思います。もちろん、歌詞の解釈に関してはサッカーを知っていた方が楽しめるでしょう。しかし、本当に楽曲が良いのです。

何と言っても「ペダラーダモンキー」っていう語感が最高じゃないですか!?

バズマザーズでは「キャバレー・クラブ・ギミック」、「スキャンティ―・スティーラー」、ハヌマーンでは「Fever Beliver Feedback」など、とにかく山田亮一さんの語感重視の曲は半端なく良いのです。

ぜひ、アルバムを買って心行くまで聴いて欲しい楽曲です。私はギターソロのところを延々リピートしたりしてました笑。

さて、これにて「ペダラーダモンキー」のレビューを終わります。

 

最後に…

個人的かつ社会的な事情により、投稿ペースが落ちてきましたが、しっかりと最後までアルバム<ムスカイボリタンテス>のレビューを行いたいと思います。

しかしながら、これから私は昇進試験の勉強しなければ…休みなのに!

まぁ、得てして人生とはそういうものですよね。「したくないことを自主的にしなければ生きてはいけない。あとは、それを楽しめるかどうか」と色んなところで色んな人が口を揃えて言っております。でも、これだけ文明が発展しているのに、いつまでそんなこと言ってるのでしょうか。ユーチューバーだって、「好きなことをして生きていこう」と言っているじゃないですか。音楽を聴いて、本を読んで、こうして何かしらものを書いていく。私はそれだけで幸せなのです。

日本国憲法よ、私に「健康で文化的な最低限度の生活」を保証したまえ。