霏々

音楽や小説など

【創作】

春甘 vol.3

その日は中間テストが終わった後に、交通講話と進路指導の時間が取られていた。裕也は「徹夜で勉強して体調が悪いので」とテストが終わってからすぐに早退し、静かな校門を自転車に跨って通り過ぎた。傾きかけた陽射しは心地よく、夏に向かう風がテスト後の…

茫洋 vol.1

茫洋 裕也は黒いキャリーバッグを引きずりながら駅を出ると、まずはゆっくりと息を吸い込んだ。まだ夏の香りが残っているものの、温度それ自体は少し冷ややかだ。それから湿度が違う。東京の乾いた空気に慣れてしまうと、こっちの空気が持っているじめじめと…

茫洋 vol.2

帰り道。歩いているときに、裕也は中学の同級生に会った。最初は遠くて誰かよくわからなかったが、近づくにつれてその二人連れが日高浩輔と、笹山なんとかという女であったことを思い出す。イヤホンを外して、裕也も手を挙げて挨拶をする。 「おぉ、ユーヤじ…

茫洋 vol.3

家に戻ると、とりあえずシャワーを浴びた。数時間前にも浴びたばかりだけれど、とも思ったがとにかく汗が気持ち悪かった。何となく、あの成人式の日の最後の雨を思い出しながら、髪の毛に水を含ませていく。頭皮に打ち付ける水の粒。滝業でも行こうか。そん…

ライ麦畑の風 vol. 1

ライ麦畑の風 ライ麦畑の色をした秋の風が私たちの隙間を通り過ぎて行く。私たちはみな紺色の制服を着て、奈良公園にまだら模様を描いていた。遠目から俯瞰して見ると、雨の日の車の窓ガラスに張りつく大小の水滴のようにも見える。 私を含めた多くの同級生…

ライ麦畑の風 vol. 2

トイレから出るともう絵具の匂いはなくなっていた。今ではそれが本当にこの世界に存在していた匂いなのかわからない。どこからどこまでが本当に存在しているもので、どこからどこまでが、ただ私が感じているように錯覚しているものなのだろう。デカルトなら…

ライ麦畑の風 vol. 3

「ありがとう」進藤さんはまず私にそう言った。「ううん」とだけ私は答える。 上原先生は言葉を失っていた。彼はもはや先生という役割を抜け出したところにいるみたいだった。ひどく怯えた一人の青年のように見えた。 私は静かにその場を後にして、もと来た…

ライ麦畑の風 vol. 4

水奈が手を振り去っていく。彼女が道の角を曲がって姿が見えなくなったとき、私の後ろにはそっと上原先生が立っていた。 「ありがとう。ここまで連れて来てくれて助かりました」上原先生は赤くなった目をいつものように細めて言った。私は「いえ」とだけ答え…

霏々 vol.9

けれども、いくらか面白いことも発見した。 たとえば、散歩は楽しいし、虚無を思えばこそ、色々な無意味が感動に繋がることも往々にしてある。例えば、アスファルトの上で揺らめく逃げ水を見て、小さい頃の僕は無感動を覚えた。なぜなら、それが何の意味もな…

霏々 vol.8

一つ目は、死んだ方が良いのに、僕が生きている理由だ。それについては、いくらか前に、「僕は死のドアの前にずっと座り続けていたものの、結局のところそれが開くことはなかった」というような話をした。僕は死を疎んでいる訳でも、嫌っている訳でもないが…

霏々 vol.7

そう言えば、今まで黙っていたが、僕はアイドルというものが好きで、それこそ色々なアイドルのインタビューやらブログやらをチェックするのが一つの大事な趣味になっている。彼女たちは僕とは違って、あくまで現実の中で夢を生み出そうとしている。そして、…

霏々 vol.6

責任転嫁は僕の実生活における最大の武器であるが、僕の思想から言ってしまえば厳密な意味での責任転嫁というものは存在し得ない。なぜなら、僕が何かの責任を転嫁しようと思っても、その全ての矛先は「地球温暖化」などではなく、先より言い続けている「虚…

霏々 vol.5

さて、話が長くなってしまった。今さらそんな謝罪めいた言葉を零してみても何の意味もないとわかっているが、どうも僕は喋り出したら止まらない性分のようだ(もちろん、そのことを知らなかったわけではない。ただ、過失的な雰囲気を演出して許しを請いたい…

霏々 vol.4

なぜ、僕は面倒臭がり屋なのか。それを説明するにはおそらく二方向からのやり方がある。そして、困ったことにその二つは今のところ、僕の中で一点に収束してはいない。それぞれ別のところに到達する予定となっている。故に、僕はその二方向のうちどちらかを…

霏々 vol.3

今朝、懐かしい夢を見た。バスを乗り間違えたせいで見知らぬ郊外の方に出てしまう。山間の小さな住宅地。夕暮れ色のインクを垂らされた薄暗い道と芳しい草の香り。ぼんやりと僕の肌を包み込む生温い空気感が、古い記憶を呼び起こさせた。そう言えば、前にも…

霏々 vol.2

よくよく考えてみれば、僕の人生はまさにその森の歌の示唆と暗示によって、開封済みにされた電子メールの如き代物であった。何度も過去に何かを忘れては、それを取りに行って、そしてまた何か別のものを忘れてくる。滑稽だと捉えていただければ幸い、しかし…

霏々 vol.1

霏々 出発地点はなんの変哲もないアスファルトの上の逃げ水。僕は自転車に跨って、視界の先に見える判然としない寝起きの意識みたいなそれを見ていた。その時に抱いていた感情を当時の僕は「無感情」という風に名付けていたと記憶しているが、いま思えばそれ…