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音楽や小説など

「ODD Foot Works×toconoma×ニガミ17才@Spotify O-EAST」雑感

本日、2022年5月28日、ODD Foot Works×toconoma×ニガミ17才のイベントに参加してきました。とても楽しく、感動的だったので、「ライブレポート」とまではいかなくても感想を残しておきたいと思い、ここに雑感を書かせていただきます。

 

2022.5.28

 

 

このイベントの名前は無く、出演者3組の名前と日付だけ。あとは素敵なサボテンをモチーフとしたアートワークですね。最初にはっきりと言ってしまいますが、私はtoconomaのファン(ライブはこれで3回目くらい?)で、ODDはほぼ初見、ニガミ17才はYouTubeで有名曲のMVを何曲か程度の感じでした。それでも三者三様…まさにこの言葉がぴったり来る本当に素敵なライブだったと思います。あまり知らないアーティストでも、良い音楽をしていたら楽しめる。そういう感覚を持っている自分が誇らしいとも思えましたね(笑)。まぁ、今回のライブに参加すれば誰でもそう感じていたでしょうが。

知ったきっかけはtoconomaのインスタで。相手がODDということで、ODDのファンの友人を誘いました。この時点では、まだニガミ17才の参戦が決まっていなかったので、「あと1組はだれだろう?」とワクワクしていたわけですが、まさかのニガミ17才でびくり。いったいどんなライブになるのだろう。そして、どういう意図があってのこの組合せなのか。というか、誰が主催したんだ、いったい。そんな期待と不安を抱きながら今日という日を迎えました。

 

少し話は脱線しますが、一緒にライブに行った友人と今日は丸1日過ごしました。昼は六本木のイタリアンでコースランチ(私はジェノベーゼを頂きました)。2000円弱でお手頃な感じでしたが、前菜の盛り合わせも美味しく、お喋りにも花が咲きました。そう言えば、だいぶ暑い1日でしたね。完全な夏服で出かけましたが、それでもだいぶ汗をかきました。ランチの後は、国立新美術館メトロポリタン美術館展に行きました。15~19世紀あたりの変遷が時代ごとにまとめられており、勉強になりました。なるほど、ルネサンスというのは、それまでの宗教画(キリスト教)のアンチテーゼであり、ギリシャ文化の再生(ルネサンス)がテーマだったのですね。平坦で浮世離れした質感のある宗教画から次第に細密でリアリスティックなルネサンスのタッチに。そして、最後には私の大好きな19世紀の印象派等の絵画も見ることができ、大満足でした。やっぱりルノワールの色彩感覚は艶やかで幻想的、シスレーは牧歌的で童心に帰らせてくれます(不思議とどこかセンチメンタル)。ゴッホドガセザンヌゴーギャンも、素人ながらにみな特徴があって素敵でした。友人はカラヴァッジョの絵がセクシーだと言っていましたが、確かに中性的な少年(あるいは少女?)の絵はエロかったです。その後、お茶をしながら共通の趣味である、有吉弘行のラジオ(サンデー・ナイト・ドリーマー、通称サンドリ)の話をしたり、これもまた充実した時間でした。

 

まぁ、これも今日という日のよき思い出ということで。

では、ライブに戻りまして。

 

ODD Foot Works

ライブ1番手はODD。一応、友人にオススメ曲を教えてもらって事前に一通り聴いていましたが、アーティストの雰囲気が掴めただけで楽曲を覚えるには至りませんでした。事前に聴いた中では「夜の学校」が結構好きでしたね。

今日のライブは5人編成。ボーカルとギターとベースがオリジナルメンバーで、MPCプレイヤーとDJ(という呼び方で良いんですかね?)の2人はサポートメンバーだそう。DJの方とボーカルの人が楽しそうに喋っていたので、ベースの人がサポートメンバーかなと思っていたら違いました(笑)。

音源を聴いた感じでは、カッコ良いけどかなり緻密に心地良いサウンドというイメージがあったのですが、ライブは結構粗削りな感じで勢いがあり、非常に熱量を感じました。今日から?ライブでの歓声がOKになり(ただしもちろんマスクは着用前提、シンガロングはNG)、そのこともあって会場はかなり盛り上がっていました。鋭く歪んだギターの音に、小回りの利くベースラインには演奏者としての確かなこだわりや技術を感じました。そして、ボーカルは低い声でありながらバックサウンドに埋もれることなく、エッジが立ったラップをこれでもかというほどに畳み掛けていましたね。発声もリズム感も確かな力を感じ、友人は「昔はそんなに上手くなかったけど」と言っていましたが、私にはとてもそう思えませんでした。かなりカッコ良かったです。

唯一、今日のライブで微妙な点があったとすれば、それは「客入り」だったのですが、MCではそれすらちょっとしたネタにしていましたね。「その後ろにできた微妙なスペースはサークルモッシュのために空けてんの?」みたいな感じで笑いを誘っていました。パフォーマンスがストイックでハードだった分、このMCで少しフロアの緊張も解けた気がしました。新曲も結構演奏されたみたいで(既存曲すらちゃんとわかっておらず、大変申し訳ございません)、特に最後から2曲目のBPM早めの楽曲は結構好みでした。最後の曲は、何となく私も聴いたことがあって、「N.D.W」という曲だそうです。それまでの楽曲と比較すると、何というか世界観というか、やや抒情的な雰囲気があり、盛り上がりながらもメロディアスでしっとりと胸を熱くしてくれました。

後半のMCで別のライブを告知していたのですが、「即完するんで、早めに」と結構大真面目に言っていたのが印象的でした。パフォーマンスからは何となく「怒り」というか、「気迫」のようなものを感じていたので、そういうファイティングポーズを取り続けるようなスタンスで音楽活動をしているのだと伝わって来て嬉しかったです。まだ30手前という若い人たちでもあるようなので、これからもそのスタンスを崩さず、カッコいい音楽を続けていってほしいなと思いました。

 

toconoma

こちらは今日の私の本命。楽器のセットが途中なのか、終わったのか、微妙なままぬるっとライブが始まりました。と言っても、MCから。「ストイックなODDの後に、柔和なおじさん達が出て来て…」みたいなMCでクスっと笑いを誘っていました。軽くだらっとしたお喋りから始まり、一通り笑いをさらった後、お馴染みの「Yellow surf」から。演奏しながら喋ったり、ソロ回しも朗らかに、楽しそうにやっているのが印象的でした。歓声OKになったということもあって、ソロ回しで幾度となく歓声を呼び込むパフォーマンスをしてくれたので、会場も一気に和やかで、かつハッピーな雰囲気に包まれました。音楽って楽しい!

先にODDがそのストイックなパフォーマンスで会場を熱してくれていたので、toconomaの砕けた雰囲気が逆によく映えていたように思います。続く「L.S.L」も穏やかで心地良く身体を揺らせました。その後は、「新曲」→「underwarp」→「新曲」→「新曲」という感じだったのですが、ベースソロとラストにかけての音の洪水で間違いなく盛り上がる「underwarp」はもちろんのこと、どの新曲も盛り上がる感じで良かったです。BPM早めで結構テクニカルなフレーズが多用されている曲や、シャッフルビート(というよりは、あれは3連符というイメージが強いか)の曲など、これまでのtoconomaのイメージとはちょっと違う新曲でした。新曲のうち1曲は、「まだ完成していない」らしく、曲名もまだないということでした。ライブでは完成していたように聴こえたのですが、これからまたアレンジがあるのだと思うと楽しみですね。

個人的には「Vermelho Do Sol」が聴けて非常にテンション上がりました(本当は「Evita」も聴きたかったのですが、また今度の機会まで待とうと思います)。toconomaのラテン調の楽曲って盛り上がるし、カッコイイから大好きなんですよね。本日3回目のベースソロも、メンバーから「やり過ぎだよね」と演奏中に野次が飛ぶなど、非常に楽しかったです。ラストはもちろん「relive」。これも間違いなく盛り上がりましたし、一度ブレイクしてからのギター石橋さんの煽りにはもう心を射抜かれましたね。音楽って楽しい、最高!という高揚感を残して、メンバーが退場していったのですが、すぐにキーボードの西川さんが戻って来て、「ちょっと早く始めたじゃないですか。だから、あと5分残ってるらしくて。もう1曲」とまさかの嬉しいサプライズ。本当のラストは「Seesaw」で見事にチルしてくれました。これぞアラフォーの貫禄!素敵!イケおじ!…イケオジとはちょっと違うか笑

ODDの若々しい迸りも最高でしたが、toconomaの「良いおっちゃん達」という雰囲気も良かったです。MCも面白く、互いに笑いながら野次を飛ばし合ったり、冗談を言い合ったり。曲中も演奏にただ集中するのではなく、楽し気にアイコンタクトを交わしたり、マイク越しに喋ったり、伸び伸びとパフォーマンスしている様子になんかこっちまで幸せになりました。とても良い時間でしたね。

 

ニガミ17才

ニガミのライブは初でしたが、もう初っ端からワクワクさせてくれました。こういう対バンイベントでは珍しく、ステージのカーテンが閉められ、そのまま照明も暗転。ゆっくりカーテンが開いていくと中央には、中国の女の子の例の被り物をした4人が。

 

例の被り物

KIRINの黄色いビールケースを積んだテーブルで何やらマイムをしていました。もうこの最初の演出で笑ってしまいました。もう本当に、三者三様って感じのステージングであることに、とても嬉しくなりましたね。

「おいしい水」、「ただし、BGM」など私でも知っているような楽曲をやってくれ、「ねこ、にゃん」という歌詞が印象的な「ねこ子」では、あくびさん(シンセのお姉さん)がティッシュ箱からティッシュを抜いて撒くという謎のパフォーマンスを。何となく全体的に、「コミカルなZAZEN BOYSかな」という印象を受けました。もちろん、ちょっとマスロックっぽい楽曲がそう思わせるのかもしれませんが、それ以上に、ギターのキレとベースのエッジの効き方がZAZEN感を感じさせてくれたように思います。

奇天烈で「らしい」楽曲が続いて、途中MCでは「あと5曲なんやけど、5曲のときに言うのって珍しいよね」みたいな面白い関西のお兄ちゃん感が堪りませんでした。ラストの楽曲(調べましたが、たぶん「かわきもの」という楽曲)は5拍子で、結構トリッキーだなと思っていました。が、それ以上に不思議なのが「あと5曲」と言ってから、この曲で5曲目。でも、嫌に5曲目来るのが早くないか、ということでした。ちゃんと時計を見たわけではないけど、明らかに体感でまだ持ち時間はありそうな感じでした。「あと5曲」と言ったときも「早いな」と思いましたが、「まぁ、長い楽曲もあるんだろう」と思っていたのであまり気にしていませんでした。が、これがラストって早すぎないか。

そんな私の懸念を打ち消すがごとく、途中で楽曲がブレイクすると急にMCみたいなのが始まり、「いま最後の楽曲が佳境を迎えてるんやけど、あと12分残ってる」と衝撃の言葉をフロアに投げかけました。もうそこからは「ちょっとZAZEN BOYSみたいなことやってみるわ」と言って「ハッ」と叫んでリズムを取ってみたり、「1,2,3,4」や「しろたま、しろたま(たぶん全音符のこと)」などと矢継ぎ早に捲し立てて、それに合わせてドラムとベースがバチっとフレーズをキメて来たり。さらには、「ドラムの上半身がいま5拍子を叩いていて、下半身が4拍子。ベースも5拍子のフレーズを弾いていて、お客さんが4拍子で手拍子。あくび(シンセのお姉さん)は卓球」と音楽についての講義が始まりました。ちなみに、あくびさんは手にピンポン玉を乗せて、卓球のラケットで素振りをしていました。そして、この素振りは後に明らかになるところによると、3拍子らしいです。そこからはもう4拍子と5拍子をボーカルの掛け声に合わせて行ったり来たり。

そして、そんな曲芸が終わったかと思えば、まだ時間があるとのことで、自分たちがプログレッシブ・ロックというジャンルであることをフロアに同意を求めつつ、今度はそのフレーズをヒップホップにアレンジ。ヒップホップが終わると、今度はフロアのお客さんにリクエストを求め、メタルにアレンジすることを宣言。そして、「メタルでベースソロできる?」「ベース:首を横に振る」「じゃあ、メタルの次はボサノバで。ボサノバでベースソロできる?」「ベース:首を横に振る」「じゃあ、ボサノバの次はロックで。ロックならベースソロできるやろ」「ベース:首を縦に振る」という茶番を挟み、その通りに演奏を実行。メタルもボサノバも最高に盛り上がりました。最後にロックに戻って来て、ベースソロをかました後、またオリジナルの5拍子のフレーズに戻るという圧巻のパフォーマンスを魅せてくれました。

ニガミ、いいじゃん。

そんなことを思わせてくれる、最高に楽しいライブでした。

 

総括

何度も言いますが、三者三様の素晴らしいライブでした。音楽って楽しいし、最高!

友人がODDを好きだと知っていたから、誘って参加できたイベントでした。なんて奇跡的。友人も非常に楽しんで満足してくれたので、とても良かったです。

こういう楽しくて刺激的な出会いがあるから、対バンやサーキットイベントはやめられないですね!音楽、最高!

あと、O-EASTという会場も良かったです。やっぱりあれくらいの規模感のライブハウスって良いですよね~広くて盛り上がるし、それでいて音もパキっとしている。生々しい感じがあります。歓声がOKになったことをパフォーマーも本当に喜んでいるのが伝わってきましたし、渋谷の街も嫌になるくらいの人込みで(笑)。少しずつだけれど、コロナ前の日常が戻って来ていることを実感して、なんかそういう意味でも嬉しくなりました。

 

最後に…

体調を崩し、会社もあまり楽しくなく。早く田舎に帰りたいと思う日々ですが、こうやって楽しい日もある。だからまだ都会で頑張ろうと思えているような気がします。無理をしてまで耐え忍ぼうとは思わないけれど、それでも「もう少しだけ頑張ってみよう」と思わせてくれる力が音楽を始め、色々なものには宿っています。そういう微かな光明を辿って、何とか歩いていこうと思ってしまいますね。

高校生の頃、何の気なしに、そこら辺の高校生に混じって、RADWINPSの「閉じた光」を聴いていました。「嫌いになるにはもう少しで 好きになるには程遠くて うまいことできた世界だ」。この歌詞が、なんか響いちゃってます。

凛として時雨「DEAD IS ALIVE TOUR 2022@KT Zepp Yokohama 2022.5.22」ライブレポート

凛として時雨のライブに行くのは、なんだかんだと2019年の「Golden Fake Thinking」以来なので、3年ぶりとかになっています。配信ライブとかで楽しんでいたので、すっかり定期的にライブに行っている気分になっていましたが、ずいぶんとお久しぶりな感じでした。

 

DEAD IS ALIVE TOUR

 

1.雑感

先日のTK from 凛として時雨の「egomaniac feedback tour 2021」の最終日、東京国際フォーラム公演に参加していたこともあって、あまり時雨のライブは久しぶりという感じがしなかったのかもしれません。しかし、会場入りしてハイネケンを飲みしばらく経ち、toeの「I dance alone(album.remix)」が流れ始めると、「あぁ、これこれ!」となんだか懐かしいものが込み上げてきました。そして、照明が落ち、会場のドアが閉鎖されるといつものSEが流れて来て、ざわざわと人が立ち上がり出す。荒々しいSEの音が、ザラザラとした感触で心臓を逆撫でるので、否が応でも興奮してしまいますね。

ここから先、披露された楽曲については「2.セトリ」の章でお話するので、ここではまず雑感を。

まず第一に良いな、と思ったのは「ライブハウス!」というところです。会場であるZepp Yokohamaをライブハウスと言って良いのかわかりませんが、音の感じは上述の東京国際フォーラムとは異なり、かなりパキっと、ジャキジャキっと、ライブハウスっぽい感じでございました。とても生々しい音に1音目から高まります。

序盤はかなり音に切れと生々しい冷たさがあったのですが、ライブが進むにつれて次第に会場の温度も上昇し、音が箱に馴染み出すような感じがありました(おそらくは私の耳がいい塩梅で疲れだしてきただけなのでしょうが)。TKのギターの歪み具合が心地いい!照明も鮮やかで、曲の展開に合わせてレーザービームのようなぎらつき、包み込むような淡い色合い、くるくると回り出すライティングに、視覚的にも大変楽しめました。

細かいセットリストは後で詳しく書きますが、新曲の「竜巻いて鮮脳」にイメージが繋がるような楽曲が多かったと思います。「竜巻いて鮮脳」の楽曲レビューもいずれやらなければと思っているのですが、荒々しい黒い夜の海上、遠くから雷雲が近づいて来る…そんなイメージが楽曲冒頭にはあります。したがって、ライブの前半はそんな時雨の「海」や「水」というイメージに近い楽曲が多く演奏された気がします。イメージカラーは「青」で、何となくアルバム「just A moment」を彷彿とさせます。じめじめとして、暗雲が頭上を覆う日が多いこの梅雨の時期にはぴったりだなと思わされました。

ライブ後半は割と、そんなイメージから飛び出して、お馴染みの定番曲を含めて非常に盛り上がる、熱い楽曲が多かったです。ひたすらにぶち上がりました。全体を通して、私の好きな楽曲や、「ライブ映えするから演奏して欲しいけど、あんまり見れない…」という楽曲が多かったように思います。ちょっと意表を突くようなセットリストでもあったので、割と長いこと時雨ファンをしている私にとってはもう涎が出まくりでしたね。

大学生の頃から聴き続けているので、「竜巻いて鮮脳」のコンセプトでもあった「あの頃の感じ」を私も思い出し、感慨深く、それでいていつも通りの熱いライブにとても満たされる想いでした。延命公演(追加公演)も発表されたので、チケットを取ろうかちょっと思案中です。

 

2.セットリスト(細かく感想を)

もうSEから気分が高まっておりましたが、今回は上述の通り「意表を突くセットリスト」という感じがしているので、そういう意味でも全体を通して高まりました。これからライブに参加される方は、以下のネタバレは見ずに行かれることを強くお勧め致します。

 

M1. Missing ling

SEが鳴り止んでから、TKのギターがジャラ~ンと鳴らされます。まず、この段階で「なんかいつもと違うぞ!」となりました。重たく、暗いコード。そして、徐々にハウリングが鳴り響き…「Missing ling」のイントロがかき鳴らされます。個人的には意表を突かれ過ぎて、変な声が出そうになりました。2013年初のワンマン武道館ライブ(あれは確か10周年記念でしたね)のラストに演奏されて以来、私はずっと聴けていませんでした。白く眩いライティングとギターの轟音がフラッシュバックしました。あの時はラストの楽曲でしたし、「Missing ling」自体やはりラストの楽曲というイメージが強かったので、大変驚きましたね。

もうこの選曲で「今回はだいぶ気合い入ってるな」と。そして、1曲目からまさかのフィナーレ的轟音のギターソロが聴けて、もう何が何やら訳がわからなくなってしまいました。うん、控え目に言って最高でしたね(笑)。

 

M2. laser beamer

緑色のレーザーっぽいライティングと、ぴゅんぴゅんというギター音が印象的な楽曲です。1曲目の「Missing ling」の余韻が抜けきらないまま、「もう追いつけないよ!」というこの展開に胸が高鳴ります。そして、この楽曲はやっぱりライブで聴くと、ギターがなおエグイです。もちろんソロのぴゅんぴゅんも凄いんですけど、Aメロ歌いながらの鬼カッティング。もうゴリッゴリで、ちょっと異次元です。

そして、この楽曲は3年前のGolde Fake Thinkingで聴いたときから思っていたのですが、終盤のスネアがなんか可愛いんですよね(笑)。決して批判ではないのですが、「t透明と 透明と 透明と 透明を」の辺りで盛り上がるはずなんですけど、なんかスネアの「ポンっ」という音が異常に際立って可愛く思えてしまいます。これ、私だけですかね(笑)。

まぁ、そこから終盤の追い込みはやはりゴリッゴリなので、もちろん盛り上がりました。

 

M3. abnormalize

PSYCHO-PASS繋がりで、この定番曲。もう曲が始まる前の、ジャリラリ~ンというギターのコードでこの楽曲が来るのがわかってしまいますね。生で聴くと、イントロのギターのフレーズがより複雑に聴こえて、よくこんなのばっちりリズムに合わせて弾けるなぁと思ってしまいます。TKと345のハモリや掛け合いが美しくて、とても素敵です。

まず間違いなく盛り上がる楽曲ですし、この曲もまた終盤にギターソロがあって、そこも聴きどころの1つ。「laser beamer」からのスピード感を受け継いで、さらに遠くへと連れて行ってくれます。

 

M4. JPOP Xfile

昔は定番曲というイメージがありましたが、なんかこうして聴くのは久しぶりな感じがします。3年前のGolde Fake Thinkingでも演奏されていたはずなんですが。というわけで、久しぶりに聴く大好きな楽曲ということに、もうそれだけでワクワクが止まりません。

イントロの無骨なドラムもたまんなくカッコイイんですが、なんか以前よりもサビでのドラムのタイム感(走り加減)が凄く良くなっている気がしました。「君の名前なんだっけ」からのところです。そのおかげかとても盛り上がりましたし、フロアもみんな激しくノッっており、演奏している本人たちも楽曲終わりにフリーのアウトロを設けていたので、これはおそらく自他ともに認める素晴らしいパフォーマンスだったと思います。なんか改めてこの楽曲が好きになりました。

 

M5. DISCO FLIGHT

もう1つ前の「JPOP Xfile」が盛り上がりに盛り上がり、「フリーのアウトロから続けざま」という感じだったので、かなりテンションが上がりました。この曲はイントロのベースから、ギターのフレーズ…もう反則ですよね。中盤のギターソロも相変わらずエグイし。

そして、言わずもがな、この楽曲はとにかく「ドラム」です。ドラムのフレーズがとにかくカッコイイ。だからなのかわかりませんし、時雨のファンの音楽センスが高いということなのかもしれませんが、サビの「感情に入り込んだ空のリズムは」という箇所と「もう少しだけ見えないところで」の箇所で、みんなのハンズアップ(言葉合ってる?)のリズムの取り方がちゃんと異なっているんですよね。リズムの16ビートと8ビートの切り替わりに合わせて、きちんとノリを変えているのが凄いなと思いました。

今回のライブでようやく発見して、密かに「おっ」となっていました。また、脚を怪我されていたピエール中野さんも、ラストのツーバスを問題なく踏んでいたので、おそらく完治したのかなと思い安心しました。

 

M6. a 7days wonder

これは私の大好きな楽曲。特にライブバージョンは音源よりもダンサブルになったり、ギターソロがカオスだったり、とにかくカッコイイ。時雨ってどうしてもアップテンポな激しい楽曲が注目されがちですが、こういうミドルテンポな楽曲も本当に素晴らしく「聴かせる」んですよね。TK fromでは「Signal」がライブでは大好きですし、歌メロの美しさやギターのノイズが心地良いんですよ。ましてや、時雨本体では345の清らかな歌声も堪能できますしね。

この素晴らしい楽曲では、またライティングも本当に素敵でした。海底を思わせるような滲んだ深い青の色が、おそらくは終盤に演奏されるであろう「竜巻いて鮮脳」の嵐を予感させ、そんなところも最高でした。印象的なベースフレーズもカッコイイところですが、この楽曲は意外とギターが訳の分からないアルペジオを奏でていたり、ドラムの盛り上げ方が終盤重要になって来るので、本当に聴きごたえのある1曲だと思います。

 

M7. a symmetry

最初の1小節くらいは演奏されて何の曲かわかりませんでした。が、すぐに「これは!」となり、もうかなりテンション上がりましたね。私自身、時雨の楽曲を好き勝手並べて聴くときは、「a 7days wonder」と近いところで聴くので、本人たちが同じようなイメージを持ってくれているようで嬉しかったです。この楽曲もイメージは「青」で、そして言わずと知れた「ライブがヤバイ楽曲」です。まぁ、音源も素晴らしいんですが。

YouTubeかなんかでライブ映像が違法アップロードされていた気がするのですが、これがまたエモーショナルで素晴らしい(違法アップロードは素晴らしくありませんが)。Aメロあたりの、ボーカル・ギター・ベース・ドラムのポリフレーズ(複数のフレーズが折り重なっている感じ)が堪らなく、ライブでもそれをほぼ再現しちゃっているのが凄いです。みんな凄く細かくリズムを合わせられるんだなぁ、と。

そして、もちろん「今この瞬間にみんな嫌いになって」の辺りで、もうTKが歌うわ弾くわのトランス状態に突入してからの盛り上がりは「ぱない」です。TKと345の胸を締め付けるような掛け合いから、ラストはTKがほぼ叫ぶように歌う感じ。そして、そんなに盛り上げたのに本当のラストでは、とにかく情緒的に静かに締め括る…あぁ、もう最高ですね。

 

M8. Serial Number Of Turbo

今回のライブでは唯一のアルバム「#5」より。アコースティックギターに持ち替えたので、「Tremolo+A」か「Serial~」だろうなと思っていましたが、やはりバランス的に「Serial~」でしたね。既にアルバム「just A moment」からはいくつも演奏されていましたから。

この楽曲、かなり好きなんですよね。とても穏やかで、儚くて。ほとんどTKが歌う楽曲なんですが、ところどころで345が出てきたり、ちょっとハモったり、その瞬間にまたすごい色彩感が出て美しいです。そして、サビ含め全体的にゆったりとした感じかなと思っていると、2番辺りから結構リズムも細かくて。その辺を事も無げに余裕で演奏する3人の演奏力が凄いなぁ、と思わされます。

ここまでぐうーっと盛り上がって来ていたので、とても良いクールダウンにもなり、ライブのメリハリを付けてくれる楽曲でした。

 

M9. illusion is mine

「Serial~」の雰囲気を受け継いで、これまた美しい曲を。前半はギターしかり、ドラムしかり、本当に音色が多彩でTKの美しい世界観を余すところなく表現してくれています。ライティングも「青」ベースで、本当に水の中にいるような感じ。それでいて、サビでは眩い光を感じさせてくれます。

ギターソロは水が止めどなく溢れ出る感じ。345のさらりとした歌声は空間を切り裂いて、時雨がただ激しいだけのバンドではなく、本当に繊細でセンチメンタルな優しさをも持つバンドなのだと感じさせてくれる素敵な楽曲です。終盤転調してからのドラムの手数はもうみんな大好きで、絶対的に盛り上がってしまうポイント。TKと345の掛け合いも相変わらず素敵です。アウトロのミュートしながら深いディレイをかけてのギターのアルペジオはもう完全に水中の泡そのもの。

 

MC by ピエール中野

脚の怪我があったからか、ドラムソロではなく、完全に喋りだけのMCでした。アクリルスタンドのお話をされていて、「買えば良かったな~」とちょっと後悔。でも、まだハロプロアイドルのアクリルスタンドも買っていないので、とりあえず我慢しておきます。ちなみに、MCの間、TKと345も退場せずにピエール中野さんのMCを黙って聞いていました。いつもドラムソロの間とかは袖に戻っているので、なんかちょっとレアな感じがしましたね。

また、MCが始まるとすぐに会場のドアが開けられて、換気がなされていました。感染症対策の一環だとは思うのですが、とにかくライブ会場は熱気がハンパなくて汗ダラダラだったので、涼しい風が供給されてとても心地よかったです。

 

M10. Beautiful Circus

MCのほんわかとした雰囲気から一気に1音で、また時雨のビビッドな世界に引き戻されました。心なしかBPMも原曲より速い気がして、ぐわんと盛り上がりました。何となくここから一気にギアが入った感はありましたね。前半はまだ演者も観客も会場も、微妙な硬さがあったのですが(それが当たり前)、ここから一気にそういった硬さなんか吹き飛ばして、ドライブ感満載のライブへ。

にしても、3人ともこの難曲をよくもこれだけブレずに弾けるものだと…本当に凄いです。カッコイイです。

 

M11. 想像のSecurity

ギターを持ち換えたので「何かなぁ」と思っていると、ギャインギャインのイントロ。んー、高まりますなぁ。もうギターが鳴いていました。吠えていました。荒っぽいTKの歌唱も昔懐かしいあの頃のままで、もう盛り上がらざるを得ん!って感じでした。

「今この二人はどこかで見たような」のところはもうMVそのままの鬼手数のドラム、32ビート。緊張感が溜まりません。ラストサビは、TKの緊迫パートと、広がりを感じる345のキャッチーパートが繰り返され、もう大好きです。

言葉が少なくて申し訳ございませんが、それだけ疾走感が素晴らしく、音が、リズムが、BPMが、気迫が…どこをどう取っても最高のパフォーマンスでした。

 

M12. ハカイヨノユメ

まじでこの曲は凄い、です。イントロフレーズも含め、ありとあらゆる箇所でのTKのギターの正確さがえげつないと感嘆させられます。どうしてあのスピードのフレーズやアルペジオを、あれだけタイム感まで完璧に、かつ綺麗な音で弾けるのか。先日、クラシックギターの泰斗であられる村治佳織さんのコンサートにも行ってきて、「やっぱギタリストってすげぇな」と思わされましたが、それとほぼ同じような衝撃を受けました。本当にリズムと音質がブレない。こんな荒々しい楽曲なのに、ギターが綺麗過ぎて引きました。そして、そんなエグイギターを追い詰めるように、ドラムもまためちゃくちゃ緊迫した、「ここしかない!」というタイミングでキメを入れて来るんですから、あらためてバンドとしての異常性を感じますね。

シャウトのところのハーフテンポは盛り上がらざるを得ないポイントですし、やっぱり時雨はTKと345の掛け合いだよなぁ、と大満足の1曲でございました。

 

M13. Telecastic fake show

あぁ、もう楽曲前の長~いギターの適当なコード鳴らし、「カポ2」というところから確定演出が。「来るぞ…来るぞ…」と思っていると、やっぱり来るんですね。「Telecastic fake show」。

これはもはやあんまり感想なんてなくて…というか、そんなこと考えている余裕もなくとにかく無条件に盛り上げられます。明らかに前半戦とは異なる、今まさに燃え尽きようとしているような焦燥感を感じさせてくれるパフォーマンスでした。普段はあまり走ることのなく、余裕を感じさせてくれる345のベースも心なしか、ギターとドラムに引っ張られて走っているような感じ。今の時雨がイヤモニでクリック音を流しているのかわかりませんが、これだけ荒っぽいアンサンブルだと、本当にバンドらしい良さがたっぷり味わえますね。

走っているんじゃない!これが僕たちのグルーヴなんだ!

 

MC by 345

最初はTKが話してくれました。最前列の人たちがめちゃくちゃ照明に照らされていることが気になっていたようです。345も「すごい青くなってると思って」と笑いを誘ってくれました。そして、すぐに「ベースボーカルの345さんです」とTKから紹介があって、いつものたどたどしい物販紹介が始まりました。

うん、345さんはいつまでも可愛いなぁ。「でっどいず、あらいぶ、びっぐてぃーしゃつ」、「える、てぃー、えす…てぃー、しゃつ」と英語を喋りにくそうにしている感じもたまんないなぁ。

ちょくちょくピエール中野さんにちょっかいを出されたり、TKにMCを回してもすぐに無言で返されたり、そんな「らしい」やり取りを微笑ましく眺めながら、最後のMCが終わります。

 

M14. am:345

この曲も、1曲目の「Missing ling」と同じく、初ワンマンの武道館公演が個人的に印象に残っている楽曲です。久しぶりに聴きましたが、やっぱり良い曲ですよね。なんか浮遊感だけでなく、ノスタルジックな雰囲気を持っている不思議な楽曲。アルバム「inspiration is DEAD」は「夕景の記憶」も含めて、なんかノスタルジーのようなものがあって、自然と涙が流れそうになります。「世界 消えて 無重力の遊泳」という短くも印象的な歌詞が、多面的な輝きを見せ、奥深く、味わい深く、遠くまで私たちを連れて行ってくれます。

3拍子になるところが、私はやっぱり大好き。そして、そこからの静寂も。

1番最後はあの頃の武道館公演と同じく、ミラーボールを回して。時雨では珍しい演出ですし、本当に強く強く記憶に残っておりました。それが再現されていて、楽曲自体の世界観とダブルパンチでノスタルジック。時雨の楽曲を聴いて癒されるというのも珍しい経験ですが、なんかずっと時雨が好きだったなぁと改めて思わされましたね。感慨深かったです。

 

M15. 竜巻いて鮮脳

ラストはこの曲(先日公開となった最新曲)。まぁ、そうなるだろうなと思っていたので、「待ってました!」という感じではありました。みんなまだ聴きなれていないのか、前半は若干ノリにくそうな感じも漂っていたのですが、さすがにラストに向けて徐々にフロアも引っ張り上げられていきました。

バッキバキのMVも最高にカッコ良かったですが、それと同等か、いや間違いなくそれ以上に熱いパフォーマンスを魅せてくれました。特にドラムが倍にテンポを上げるところは、得も言えない高揚感がありましたね。

ライブの前半から暗雲立ち込める荒れ模様の海をイメージしていたので、ようやく竜巻が下りて来て、全てを薙ぎ払ってくれ、もう大満足でした。ちょーかっこいい!この疾走感、やっぱり時雨だ。未だに失われず、それを持続し続けてくれている。本当にありがとうございます。

楽曲が終わってもギターのノイズがしばらくは拍手喝采の中で会場に鳴り響き、ノイズが完全に鳴り止むと同時にまた巻き起こる拍手。そこに「daylily」のSEが被さっていきライブ終了です。素晴らしいライブをありがとうございました。

 

3.ライブが終わって

本当は「傍観」も聴きたかった!というのが、まぁ、仕方ない本音ですね。でも、「竜巻いて鮮脳」もめちゃくちゃ盛り上がったし、「傍観」の無いライブではありながら満足感も非常に高かったです。おそらく私がそう思えたのはこれまで沢山時雨の楽曲を聴いてきたからでしょうし、何と言っても「竜巻いて鮮脳」のイメージを頭の中で固めていたからだと思います。

イントロの不穏な感じから、(何度も繰り返していますが)暗い空と海をイメージしていたので、「a 7days wonder」から「illusion is mine」までの一連の楽曲を、「竜巻いて鮮に脳の序章なのだ」と捉えられたのが感動を大きくしてくれたように思います。最近の天気の悪さから「just A moment」や「still a Sigure virgin?」辺りのアルバムを聴き返していたのも大きいです。

序盤でも書きましたが、ライブハウスというのも非常に良かったですね。時雨の荒っぽいパフォーマンス、特にエグ味たっぷりの ギター音を心行くまで堪能できたと思います。TK fromはホールコンサートが多いのですが、どうしてもホールって音がぼやける気がします。味わい深い雰囲気は出るんですが、あのTKのギャインギャイン鳴くギターはぜひともライブハウスで堪能したいところです。ライブ終演後も心地良い耳鳴りが続き、「これぞ幸福感」という感じでした。

久しぶりの時雨のライブ、最高でございました。

 

最後に…

Zepp Yokohamaを後にして。横浜の美しく綺麗な街。夜風が涼しく、高揚した心と体を心地良く冷ましてくれます。鞄からイヤホンを取り出して、「時雨を聴こうかな。でも、時雨はもう一旦大満足だしな」と、結局D.A.N.の最新アルバムを聴きました。

駅までの道のりで、「Take Your Time」、「Overthinker」、「No Moon」を聴きます。素晴らしくChillしてくれるこの街並みに、よく似合います。

明日は仕事なので、もう寝ないと。そんな風に急いた心もあるのですが、どうしてもこのライブレポートの記事を書くのが楽しくてやめられません。楽しい時間は長くは続きませんが、それでもこうしてたまに心の底から感動して、興奮させてくれる時間があるだけでも、生きていて良かったと思います。

これからも凛として時雨を聴き続けていきたいと思います。ついつい買ってしまった最高にイカしたステッカー、どこに貼ろうかな。

遠野遥「破局」感想

遠野遥「破局」を読了したので、感想を残しておこうと思います。

 

破局

 

遠野さんのお姿をテレビか何かで拝見して、「面白そうな人だな」と思っていたところに友人からオススメされたので読んでみました。別の本を読んでいたので、購入から読み始めるまでにはだいぶ時間がかかったのですが、読み始めたらあっという間に読み終えてしまいました。

 

 

1.ざっくり感想&紹介

読後感は「水を飲んだな」という感じでした。コーラでも紅茶でもなく、常温の水道水を飲んだ後のような感覚がありました。口当たりは別に悪くなく、でも若干の水道臭さがあり、味わいというよりは「口を湿らせた」、「単なる水分補給」という無感動が手応えとしてありました。私がこの小説に共感でき、すんなりと受け入れられたからそう感じたのかもしれませんが、どちらかと言えば文体や内容によるところが大きいように思います。

主人公の「私」はラグビー経験者で、大学で就活をする現在においてもトレーニングを欠かさず、立派な体格を維持しています。他者から見れば、無骨で寡黙なまるで古き良き武士のような印象を抱かれそうな性格と思われます。しかし、ほとんど一人称視点で書かれる「私」の思考は、実に細密でよく外部を観察しており、また内面的には様々な衝動が渦巻いています。それは、外界の観察⇒それに対する自分の中の感情的な反応⇒自らのモラルとの照合⇒周囲の期待の把握⇒どうすべきかの判断⇒行動、という一連のプロセスとして小説中で丁寧かつ淡々と描写されています。

私が本書を真似て文章を書くなら…

文章を書くのに疲れて首をかしげると、机の端に置かれた観葉植物が目に入った。艶やかな葉と、少し萎びた葉とが見受けられた。緑には癒しの効果があるという。また、せせこましいこの室内で健気に成長する彼には、愛着というものを感じている。水を上げようか、と思う。しかし、昨夜も水を上げたことを思い出す。あまり水を上げ過ぎるのも良くないと聞いたことがある。多少「渇き」を感じるくらいの方がタフに育つそう。結局、私は視線をパソコンに戻し、また文章へと意識を集中させた。

という感じですね。この文章には他者(人間)が登場しないので、もう一つ別の例を書くと…

スーパーでゆっくり歩きながら果物を物色していると、同じように商品に目を奪われた初老の婦人が後ろ足で近づいてきた。この歳の頃の女性はたいてい視野が狭く、いつも自分の都合しか考えず好き勝手な足運びをするので、非常に苛々させられる。このまま私も彼女の存在が見えていない風を装って、わざとぶつかりに行くこともできる。それはそれで何らかの啓蒙活動(周りを見て歩きましょう!)になるだろう。しかしながら、歳を取るにつれて視野が狭まってしまうことは仕方のないことだし、自分の母ほどの年齢の彼女に対してはもう少し優しくすべきだ。彼女と衝突して、私たちがまた他の客の目を引いたり、邪魔になったりするのもやりきれない。私は溜息を飲み込み、そっと彼女に気づかれないように、彼女の後退のルートから横にずれてやった。私の肩ほどの背丈しかない彼女に憂いの微笑みを浮かべてやれば、どこか誇らしい気持ちにもなれたりするではないか。私の気づかいなどまるで気づくことなく、彼女は再び前進を始め遠ざかっていく。やれやれ、とようやく飲み込んでいた溜息をついて、私は私で果物の物色に戻る。

んー…書いてみると、なかなかうまく真似できた気がしませんね(笑)。というか、単に私の文章は長い。ダメダメです。

が、まぁ、こんな感じで結構、周囲の出来事を細かく観察して、それに対して自分の中に湧き上がる感情を知覚しながらも、最終的にはモラルや実質的な効率・効果を踏まえて自らを律し、適切な行動を取ろうとするのが主人公の「私」の常であるようです。そういう文体で、ほとんどが進んでいきます。

一事が万事、そんな感じなので、もしかしたら「主人公はノイローゼなんじゃないか」と思う方もいるかもしれませんが、主人公自身はそういう自分の傾向に何ら疑問を抱いていません。そういう自分を当たり前のこととして受け入れており、何か疑念のようなものを感じることもありません。そのような主人公が、決して広くはない人間関係の中で、上手くいったりいかなかったり、ということを繰り返していくのがストーリーの主軸です。まぁ、大方の予想通り、最終的にはうまくいかない部分が目立って来るのですが。

このように淡々とした主人公の思考につられて、私たち読者もどこか無感情な状態に誘われていきます。でも、やはりその常に一本調子な主人公の感じには、水道水に含まれる鉄の味のような異物感があります。明確な味はないので、すんなりと食道を流れていくのですが、その異物感は澱のように胃の中に溜まっていきます。それが本書を読んでの、私の読後感になっています。

 

2.主人公が抱える問題

上述の通り、主人公はどちらかと言えば、自分の感情を蔑ろにしています。そして、「適切」と思われる行動を取ることに終始しており、子細な思考と判断を機械的に繰り返します。が、彼の思考はたいていにおいて理に適っている気がします。所謂「マジレス」のように面白味や人間味に欠けるものの、不思議と「まぁ、そうだよな」と彼の行動には納得させられる部分が多いです。私自身、どちらかと言えば他人の顔色を伺いながら生きてきたので(上手くできていたかどうかは知りません)、彼の思考には共感させられるところが多かったです。自分の事は多く語らず、常に的確な状況判断を自らに求めます。そんな主人公に愛しささえ感じるほどでした。

しかしながら、やはり適応障害なんて病気にかかった私からすると、主人公の認知と行動は精神衛生上よろしくないと思ってしまいます。

彼(主人公)は常に自分の感情は二の次…どころか「そりゃ感情というものは湧き起こるよね。でも、基本的にそんなものは無視すれば良い。自分がどう行動するかの判断基準にはなり得ない」と無意識に割り切っています。この「無意識に」というのが、何よりも彼の問題を深刻にしています。彼にとっては感情を自分で知覚しながらも、それを抑制することが当たり前になっています。特に「笑う」か「笑わない」かまで判断している様子が緻密に描写されているので、よほど彼が自己の抑制に囚われているのがよくわかります。

こういう感情の切り捨て、割り切りということを続けていると、普通は精神疾患にかかります。感情というのは刺激に対する反応である場合が多く、それは言ってみれば「本当の自分」からの依頼書のようなものです。「今、あなた(つまり自分)は外部から刺激を受けています。それに対する反応として、これこれこういった感情が出来上がりました。では、この感情をあなた(つまり自分)にお渡ししますので、それに見合った行動を取ってください」という感じで、私たちは基本的には感情のままに行動すべきです。この感情の依頼書を無視し、理性的な判断などで別の行動を取ると、人は「ストレス」を感じます。社会的な節度を保つためには、感情を押し殺すことが必要な場面はあります。しかしながら、高度にシステマチックになった社会においては、よりその傾向が強まり、それ故に現代社会が「ストレス社会」と呼ばれるようになっているわけです。主人公の彼がどうしてそのように、自らを厳しく律する人間になったのか、その要因は明確には記述されていません。しかしながら、その徹底した自己抑制ぶりを見ていると、「これは精神衛生上よろしくないな」とは思ってしまいますね。

そして、そういった「ストレス」を溜め込みやすい性質であることに、主人公は無自覚です。なぜなら、そのストレスを溜め込むプロセスを無意識のうちにやってしまっているので。そういうプロセスを辿ることが彼にとって当たり前なので。

そういった彼の傾向を端的に表しているのが、「ゾンビ」のくだりですね。母校でのラグビー指導時に、彼は後輩に対して「自分は無感覚なゾンビだと思え」ということを熱く語ります。確か、彼が声高に自分の意見を述べるのは、ほとんどこのシーンだけだったように思います。その時には「ラグビー」という側面からのみ、「ゾンビたれ」という話をしているのですが、彼の生き方がまさに「ゾンビ」そのものであるように思われるわけです。そして、その無感覚なゾンビっぷりによって、彼が次第に(無自覚的に)追い込まれていくのが、この小説の主軸になっているように私は思いました。

 

3.主人公の行動指針

主人公の彼は無感覚なゾンビっぷりがある反面、一応行動指針のようなものは持っています。例えば、彼は筋トレや公務員試験に対して、非常に真摯に取り組んでいます。また、母校で後輩にラグビーを教えることにも熱心です。そんな彼の規範となっているのが、

・自分は公務員になるのだから正しくあるべきだ

ラグビーはスポーツなのだから勝てた方がよく、真剣に取り組むべきだ

・女性には優しくすべきだ(死んだ父の少ない教え)

というものです。また、彼はよく観察をして、自分の感情にも自覚的で、そして正義感のようなものも強いので、けっこう優しい心根を持っています。「みんなが幸せになればいい」と常々思っています。みんなが正しい行動を取ればみんなが幸せになれるのに、一部の人のだらしなさや身勝手さ、無配慮のせいで、不幸になる人がいる。あるいは、世の中にはどうしても理不尽な構造上の問題があって、みんなが幸せになるのは難しい。そういった見解を持っている節があります。

彼の言っていることや考えていることは、基本的には間違っていないと私も思います。でも、人間には感情というものがあって、全ての人が理想的な振舞をできるわけではありません。ましてや主人公の彼のような強い自制心というのは、そう簡単には身につきません。そして皮肉なことに、そういう強い自制心を持つ彼は、その自らの強い自制心によって追い込まれていき、最後には破局を迎えます。

確かに全員が自分の感情優先で行動するのではなく、他者や社会の期待に沿って行動し続けることで、世の中からはだいぶ理不尽なことは減って、みなが生きやすくなるように思われます。しかしながら、「では、みなが自分の感情を捨て去って、効率や効果だけを主眼に置いて模範的な行動を取り続けた場合、人間は幸せになれるのか」という問がなされたとしたら、結構悩むことになるのではないでしょうか。感情というのは理不尽で、時には人を傷つけ、人から何かを奪う事態を招きます。でも、結局のところ、感情が幸せを感じるのです。

主人公の持つそんなに多くはない行動指針は、大局的に見て「正しい」価値観のように思われます。しかし、言ってしまえばその「正しさ」にあぐらをかいて、「それさえ守っていれば良い」という彼の態度は、多くの場面で機能はするものの、やはりどうしたって細部では他人に苦しみを押し付け、また何よりも彼自身を檻の中に閉じ込めていると言えるでしょう。

主人公や優しい行動の取れる人間であることは間違いありません。また「みんなが幸せになれればいい」という彼の願いも、非常に崇高なものではあります。しかし、優しさや崇高さを隠れ蓑に、彼は自分の感情を蔑ろにしています。それどころか終盤では、彼の行動指針が実際にはあまり周囲からは奨励されていないのが明らかになり、結局のところ彼は他者の心や感情を見定め損ない、不和が生まれてしまっています。彼は無意識のうちに自分の「正しい」行動指針に甘えきってしまっており、様々なことに目を向けていなかったことが判明してしまいます。そして、最後の場面ではもはや自分の行く末にすら、目を背けてしまいます。

行動指針のようなものは人生を営むうえで重要なものであることは確かでしょう。しかしながら、その行動指針が目をくらませ、何か「それさえ守っていれば良い」という形骸的なものになってしまうと、それが人間を内から腐らせていってしまうのかもしれません。

 

4.様々な破局…一旦、事実確認

だいぶ抽象的な話を続けてしまいました。ネタバレにはなりますが、ここから本書の内容と先ほどまでの話を照らし合わせてみましょう。

まず、主人公は女性に対して優しくあれという死んだ父の唯一の教えをしっかりと守っています。だから、基本的には女性が望むように振舞い、自分の感情なんて奥にしまっておけばよいというような関わり方をしています。そういった彼の態度はこれまでも数多くの女性を惹きつけてきたようです。特に本書の多くを占める灯(あかり)との関係性では、次第にセックス依存症のようになっていく灯の欲求にどこまでも応え続ける主人公の姿が描かれています。トレーニングや食事、サプリメントなどで男性機能を向上させるという涙ぐましい努力までして、何とか彼女の性欲についていこうとしながらも、最終的にはもうついていけなくなり破局を迎える姿が事の顛末になっています。

反面、麻衣子はどちらかと言えば、主人公のように自制心が強く、厳しく自分を律するタイプだったので、割と上手く関係性を保てていました。が、麻衣子とはあまりセックスをする機会を得られず、主人公は満足できていません。しかし、「無理やりする」ことはレイプと一緒だという考えから、彼は麻衣子がシャワーを浴びている間に、自慰行為で性欲をひっそりと解消しています。どうすれば正解とかそういうことではありませんが、例えば生理でセックスができないにしても、「お願い」と手や口でしてもらう方法だってあったはずです。ここでも自分の感情は二の次で、女の子の都合を最優先させています。

麻衣子との破局の理由は明記されていません。単純に性生活のすれ違いとも取れるかもしれませんが、後半で既に主人公と別れている麻衣子はかなり抽象的で個人的な思い出話をします(小学生の頃に男に追い回された話)。その話を聞く限り、麻衣子はかなり複雑で感傷的な内面を持っていることがうかがい知れます。しかしながら、別れた麻衣子のその独白とも取れるような話に、主人公はこれと言って何の感慨も抱いていません。話を聞いての感想もなく、彼女が講義に間に合うかどうかを心配している始末です。恐らく主人公はそういう感傷的な部分というのを封じて、あくまで効率や効果を主眼に置いて生きて来た人間なので、「女とはそういうわけのわからない話を急にしだす生き物だ。そういう話をされても遮ったりせず、最後まで聞くのが男というものだ」というくらいの想いしかなかったのでしょう。案外、そういった主人公の淡白な部分が、麻衣子にとっては不満があったのかもしれません。

そして、麻衣子との一夜の浮気は、主人公が周囲の期待に飲み込まれやすい性質を示していると言えます。特に女性の期待には無意識のうちに応えてしまう(そこには幾分かの性的な欲求というのも含まれるでしょうが)。そういう傾向が、彼がなし崩し的にわかれた麻衣子と寝た理由になるでしょう。これはあくまで私の実体験というか、私の個人的な感覚になるんですが、自分の感情を蔑ろにしていると、色々なことが投げやりになってしまうんですよね。私は道端のフェンスにかけられた汚いビニール傘のような人間になりたいとよく考えていました。つまり、満たされている人からは必要とされないし、むしろ蔑まれるような人間でありながらも、急な雨に困った誰かにとって「汚いけど、あってよかった」と思われるような存在でありたいと思っていたわけです。私もまた女性に対しては、というか誰に対しても優しくしようと心掛けていました。自己犠牲、もちろん喜んで。でも、それって何も崇高な精神なんかではなく、ただ単に自分自身に価値を見いだせていなくて、投げやりに生きている証拠なんですよね。自分という存在になんの価値も見いだせない。でも、だからこそ、誰かの都合に絡めとられ、ただ乱暴に粗雑に必要とされてみたい。そんな気持ちで別に好きでもない女の子と付き合って、でも付き合ったからには愛情のようなものを向けて、それでいてほかに誰か自分を必要としてくれる人がいれば彼女の事なんか考えずどこにでもついていきました。何と言うか、この小説の主人公の浮気の場面はそういう自分を思い出しましたね。

そして、そんな主人公の投げやりな一面から齎された浮気のせいで、灯とも破局を迎えることになります。しかしそれとは別軸で、先に書いたように、こちらも麻衣子のときとは逆の意味合いで、性欲のレベルが釣り合わなくなってはいました。灯を満足させ切れないと主人公が悟った時点で、おそらくはもうダメになっていたと思います。灯の都合についていけなくなったわけですから、主人公は浮気がバレようがバレまいがいずれダメになっていたと思われます。だいたい、灯もこの性欲レベルの不一致を感じた時点で浮気の事を持ち出しているので、かなりずるいですよね。まぁ、それはとりあえずおいておきましょう。

あと大事な破局としては、ラグビー部の後輩の陰口ですね。コーチのような立場で、「スポーツなのだから勝って成果を出すこと。そのために努力を惜しまず、自らを追い込むことが自身の成長に繋がる」という信念を主人公は持っていました。そして、それを実現するために、やや厳し過ぎると捉えられてもおかしくない指導をしていたわけですが、当然ながらそのことに反感を持つ部員だっています。それは当たり前のことだと思うんですが、思いのほか主人公はそのことにショックを受けて、取り乱し、練習の帰り道で暴力的な一面を見せています。このことも、彼が自分の行動指針に囚われており、その行動指針を絶対的に正しいものとして改めることをせず、自らと(そして無意識的に)他人=部員に押し付けていることの描写になっています。結局のところ、彼は彼自身の正しさに則っているだけで、きちんと他人と腹を割って話せていないわけです。彼は彼なりの正しさを持っているわけですから、その正しさを理解し、「苦しいけど、ついていこうぜ」と思えない部員にも問題があるように思う部分もあります。が、やはり主人公が部員ときちんとコミュニケーションを取れていないから、部員の方にも不満が溜まっているのだと私は思います。「正しさ」だけでは割り切れない感情があるのですから、その感情に寄り添えてこその指導者、そして先輩だと私は思います。そういう意味で、主人公は自らの感情を切り捨てているが故に、そういった行動が取れていないのでしょう。

唯一、「膝」と呼ばれる彼の同級生の男の友人だけは、最後まで彼を大切な友人としてみなしていました。何と言うか、この小説の登場人物の中で、唯一好感が持てる人物だったように思います。主人公も主人公で、これまで書いてきたように色々と問題がありますが、でも基本的に私はこの主人公のことは愛しく思っています。確かに感情を割り切っているのは問題ですし、彼の独善的な行動指針には「んー、もうちょっと自分を顧みようよ」と思う部分もありました。しかし、大局的に見れば、やはり主人公の考えていることややろうとしていることは、結構正義感に満ちていているし、冷静で客観視もできているし、捉えようによっては思慮深く、不器用なりに他者を思いやろうという部分があって好きなんですよ。むしろ、彼のそういう美徳から、うまく自分だけの利益を引き出しているように見えるのが、麻衣子や灯、そして佐々木だと思うんですよね。だから、彼らの事はあまり好きになれなかったし、たぶん主人公も彼らの事はあんまり好きじゃなかったんじゃないかなと想像しています。ただ、投げやりで自分の価値を確信できていない、感情を切り捨てた彼にとって、彼という存在を少なからず必要としてくれる存在に彼は報いたかっただけだと、そう思います。しかし、「膝」は彼の「至らなさ」をある程度しっかりと認めたうえで、その「至らなさ」の上にある「美徳」を素晴らしいと言ってくれているような気がしました。それは「膝」の語り(手紙?)の中にある、『お前は規則正しい生活を送ってるし、酔っぱらって正気を失くすこととかもないから、たぶん公務員に向いてるよ』という言葉に隠されているような気がします。女の子とかと違って、「私に優しくしてくれるから」とかそういう自分にとっての都合を優先した理由ではなく、ただ単に自分の都合とは関係なく主人公のことを認めている言葉のように私には捉えられます。しかしながら、「膝」の『お前はどうして公務員になりたいんだっけな』という問には、主人公は結局答えることはありませんでした。そこにこの主人公の心の空虚さが表れているように思います。

 

追記

書こう、書こうと思いながらすっ飛ばしてしまいました。

主人公と灯が北海道旅行に行ったところで、主人公が涙を流すシーンが非常に印象的でした。「女性は体を冷やしてはいけない」という知識をもとに、彼は一人で自販機に暖かい飲み物を買いに行くのですが、どの自販機にも温かい飲み物は置いていない。そして、彼は灯に温かい飲み物を買ってやれないことを残念に思っていると、知らぬうちに涙を流してしまう…という場面です。

果たして主人公は本当に優しい人間なのか。

善意の行動が実を結ばず、それで気持ちが折れてしまうという、彼の非常に繊細な一面を示す場面のようにも取れます。が、そういうわけではなくて、多分この段階では既に彼が疲れ果てているということを示している「涙」のように私には思われます。涙を流しながら彼は自らの内に巣食う「悲しみ」に気づき、それがもうずっと続いていたということにも考えが及びます。しかしながら、彼はずっと様々な女性とともに過ごして来たし、苦労なく大学にも通い、肉体的にも優れている、という理由を並べ、「自分は悲しくなんかないはずだ」という結論を導き出します。この一連の知覚→認識のプロセスが、いかに「歪み」を含んでいるか。

認知行動療法という精神医学の療法があります。例えば、「会社に出社して先輩に挨拶をしたが無視された」という出来事があったとします。これに対して、精神的な負荷を感じやすい人は、「何か怒らせるようなことをしてしまったのではないか(不安)」というような認識を抱きやすいです。対して、「今日は機嫌悪いのだからそっとしておこう(私には関係ない)」や「気づかなかっただけだろう」という認識を持てる人は、精神的にタフで疲弊しにくいですね。このように事実=出来事を知覚したとき、どのような認識を持つかは千差万別であり、それには人によって一定の傾向があります。これを良い場合も悪い場合も「認知の歪み」と言います。「歪み」という言葉には否定的な意味合いが感じられるので、「認知の傾向」と言った方が正しいという人もいます。

本書の主人公は知覚したことに対して不安を感じるような認知の傾向はあまりないかもしれません。しかしながら、知覚に伴って湧き上がった感情を蔑ろにし、客観的な事実や世間一般論、自分の行動指針などを持ち出して、自分の感情を抑制したうえで行動を決める傾向があります。この「悲しみ」に関する自問自答もその傾向が強く表れており、結局彼は自分の感じた「悲しみ」が客観的事実に基づくと不適切であるという結論に至っています。

このような感情を蔑ろにし、空気というか自分と隔絶した何らかの指針に基づいて自分の行動を決め、同時に感情を思うようにコントロールしよう、いやしなければならないという彼の生き方は非常に苦しいものだと私は思います。それはじわじわと自らを腐らせていきますし、常に自分の感情が妥当なのかそうでないのかを気にするというのはとても疲れます。私もまたどちらかと言えば、そういう傾向が強く、お酒を飲んでいるときか完全に一人きりのときにしか、ほっと息をつくことができません。しかしながら、彼はお酒も飲まなければ、そういう自分の感情を感じるがままに発散する必要性すら感じていないように見受けられます。つまり、物心ついてからずっとその酷くキツい生き方を続けてきたわけです。たまたま彼が肉体的に、精神的にタフだったため、これまで何とかうまくやれていただけであって、本当は疲れ果て、傷つき続けてきたのではないでしょうか。

この自販機で温かい飲み物を買おうとするエピソードは、「涙」という心と体の「限界だ」というサインを彼が見逃す重要な場面と言えるでしょう。私も適応障害になってから、涙や頭痛、吐き気や眠気といった体のサインによく注意するようになりました。心の疲労は何らかの身体的な反応、サインを示してくれます。また、自分の感情というのにも自覚的になり、「苛々してる」とか「なんか悲しい」、「あぁ、疲れた」みたいなサインが出てきたら、よく休み、リフレッシュの時間を確保するようにしています。おそらく程度の差こそあれ無意識のうちにそれができる人がほとんどでしょうし、心身の体力ゲージに余裕がある人は多少無理をしても大丈夫です。しかしながら、自分ではなく、他者や社会やルールといったものを起点として自分の行動を抑制する傾向が強い、主人公や私のような人間にとっては、そういうことを自覚しながら意識的に生活を営む必要があります。

この自販機のエピソードの以降、終盤にかけて、彼は次第に自分の感情をコントロールできなくなってきます。特に「怒り」の感情ですね。「怒り」は「アンガーマネジメント」という言葉がある通り、感情に意識的にならなければコントロールが非常に難しい感情でもあります。疲弊した主人公はもはや自分の感情が妥当かどうかを検討するいつものプロセスを経るのが難しくなっており、その結果そういった検討プロセスをすっ飛ばして、怒りの感情に任せて暴力的な行動に走ってしまいます。部活後に陰口を聞き、その流れで電車で酔っ払いに絡むシーンや、灯にフラれてそれを追うシーンなどですね(こちらのシーンは「怒り」とはちょっと感情が違うのかもしれませんが)。

なので、大局的に見れば、自制心の強い主人公がその強すぎる自制心によって自分を傷つけ続けた結果、最後には自制できなくなるというのがおおまかな筋のお話と読み解けるでしょう。

ちなみに、愛すべき「膝」は彼とは対極的に、酒を飲んで自制なく、言いたいこと・失礼なことを言います。また自分のやりたいことを貫き通し、その結果、嫌われたり他者からくさされたり面倒な目に合っていますが、なんか生き生きとして見えますね。そういう対比構造もきちんと含められた非常に上品な小説と言えるでしょう。

5.総括

基本的に、私はこの小説の主人公にとても共感できます。私もまた彼のように、他人の都合に寄り添う事だけで生きて来た人間です。しかし、そのように生きているからこそ、とても苦しかったです。周囲に求められるがまま、テストで良い点を取って、褒められれば安心して、また満足もできました。でも、80点を取ったら、次は90点を周りは求めてきます。90点を取ったら次は100点。100点を取ったら、きっと「部活もがんばりなさい」とか「留学したらどう」とか、そういう他人の期待というのは際限がありません。そして、何よりもそうやって期待に応えることで安心する癖がついてしまうと、失望される時がより怖くなります。

でも、「期待に応える」ことはとても楽なことでもあるんです。それさえできていれば、他人は私を責めたりしないのです。だから自分らしい感性を大切にするだとか、感情の赴くままに振舞うというのは、全く必要のないもので、むしろ社会の中で悪目立ちをして非難される要因になってしまいます。周囲に馴染み、周囲が求めるように振舞う。私自身が何を目指さなくとも、自ずと周囲の人が私のやるべきことを決めてくれる。私はそういう目に見えない期待に応え続けていればそれでいい。そういう風にして生きてきました。

でも、結局、そんな心の無い生き方では好きになった女の子を正しく愛せもせず、彼女を失望させることになってしまいました。彼女に失望されて、私もまた自分に対して酷く失望しました。そこから立ち直る過程で、私は自分の感性を大切にしようと思うようになりましたが、自分の感性を大切にしたいという思いと、体に染みついた周囲の期待に応えようとする習性が常に戦うようになり、酷く苦しい年月を過ごしました。

私はこの小説の主人公ほど自制心が強いわけでもないし、肉体的に優れてもいません。ですが、「他人の都合で生きる」、「自分の感情を蔑ろにする」という点ではかなり共通の部分があるように思います。そのことで、私は長年苦しみ、1年半ほど前に適応障害を発症しました。つまり、自分を捨て去り、明らかに自分にとってしんどい環境に何とか適応しようと無理をしてしまったわけです。主人公が最後のシーンで頭痛や眩暈を訴えていますが、それは夜通し行われた無理な性交に疲弊していたからとも取れますが、私からしたら「遂に無理が祟って症状が出てきた」という風にも読み取れました。

主人公は肉体的に恵まれているので、最後はパニックとともに暴力的な傾向が表れたと思っていますが、私の場合は肉体的に貧弱なのでただいじけたようになり涙が止まりませんでした。ただ限界を超えたという意味では同じなんじゃないか、と。一番最後、警官に取り押さえられたところで、主人公はもはや自分という存在すら放擲しているような感じが窺えます。ただ空の美しさに射抜かれて、これから自分がどうなろうが知ったこっちゃない。そんな自分を見限った無責任さも物悲しいですが、何だかそこでようやくただ他人の期待に応え続けた自分というものを捨て去って、今は空の美しさに心を打たれているという忘我の境地に至れたのは救いでもあったのかもしれません。

願わくば、彼の忙しない思考が破綻し、心を取り戻す旅に向けた癒しの眠りが訪れますよう。

 

最後に…

何だか変なまとめ方になってしまいましたが、まぁ、「考察」ではなく、「感想」なので。酷く個人的な感想になってしまったのも良いではありませんか。それよりも、既に寝る予定の時刻を1時間も過ぎてしまっています。日中あんなに眠かったのに…これだから私は自制心がないと言われるのです。

でも、やりたいことをやる。それが何より大事です。周囲の期待に応えて、仕事を第一優先にしてちゃあ、やっぱりそっちの方が不健康なわけで。今から寝支度をすれば、それなりに睡眠時間も取れるはずでしょうし、そんなに大きな問題も無いはず。土日にしっかり寝ましょう。

破局』…さらっと読めましたが、どういう感想を持って良いのか難しい小説でしたね。ただ上にも書いた通り、小説の主人公の事はまるで昔の自分を見ているようで愛しくもなりましたし、それ故に同族嫌悪的な部分もありました。また、もし私が体を鍛えていたら、適応障害になったときに上司の事をぶん殴って、警察沙汰になっていたかもしれないと思うと、ちょっと笑えなかったですね。貧弱で良かったのかもしれません。

あと、同じく芥川賞を受賞した『推し、燃ゆ』や、最近読んだ今村夏子さんの『ピクニック』など、最近の小説は書き過ぎず、描写メインで読ませるというのが流行っているんですかね。個人的には後期のサリンジャー作品のように「書き過ぎでしょ、それは」くらいにインクでギトギトの文章の方が好きだったりします(初期のサリンジャー作品も描写多めで都会的と言われながら、どちらかと言えば直接的な言い方をしていないだけで、「これでもか!」というほどに書き込んではいるんですけどね)。大好きな村上春樹さんの作品も、淡々とした描写ではなく、そこには暗喩や見解、思索や苦悩が見て取れることが多いです。最近の流行りっぽい、淡々とした描写も色々と考察のしがいがあって楽しいんですが、なんか「この作品からあなたは何が読み取れますか?」と試されているようでちょっと居心地が悪いような気がしないでもない…みたいな。

いや、何でもありません。この『破局』もちゃんと面白かったし、それで充分です。ただ、個人的には最初から余白を意図して上品に書きまとめた作品だけでなく、「余白が無いくらいに書き詰めたけど、それでもまだ考える余地は沢山あるよね」というスタンスの作品にも出会いたいものです。ヱヴァンゲリヲンやミッドナイト・ゴスペルみたいにカロリー高めのやつです。二郎系、ニンニク、野菜マシマシ、みたいな。

良い読書体験ができると、また欲深くなってしまう自分の業を呪いながら、今日はもう寝ようと思います。久しぶりに長い文章を書きました。

それではおやすみなさい。

適応障害と診断されまして… vol. 74

適応障害と診断されて581日目(2022年5月18日)にこの記事を書き始めています。

 

前回

eishiminato.hatenablog.com

 

何だかんだと2か月以上ぶりの記事になりました。こうして記事を書くのは決まって「順調とは言えない何かがあったから」という感じなのですが、それでも以前に比べれば全然体調は良いと思います。段々と病気は治ってきていて、ただどうしても持ち前の人間性は変えるのが大変で…と、そんなフェーズに差し掛かっている気がします。

 

 

1.HSS型HSPという自覚

最近は割と調子良いなぁ。もちろん油断はできないけど。

4月、新年度になってからそんなことをよく考えるようになりました。前はブレーキを踏むのも、周りの目を気にしながらおっかなびっくり、という感じでしたが、徐々に柔らかく、あまり周りから悪目立ちしないようにゆっくりと自然な動作でブレーキを踏めるようになってきたように思います。本当に車を運転するのと同じで、こういうのも慣れていくものなのですね。コツというのもまだ上手く言語化できる気はしませんが、全ての始まりは「自覚」というところにあるのだと思います。

認知行動療法では、自分の中に認知の歪み(傾向)があることを知覚することに重きが置かれています。それはつまるところ「ストレス」をしっかりと把握することです。できればある程度定量的なイメージで。自分がどれだけのストレスを受けているのかを明確に知覚できるようになるほど、今どれくらいのブレーキが必要なのかがわかります。

例えば、職場で苦手としている人と関わって、「また迷惑そうにされた」とか「自分の行動を否定された」ということがあると、私は一旦仕事をうっちゃります。「はい。重たいパンチもらいました~。もうしばらくまともに頭は機能しません。ここで怒りの感情に任せて反発して仕事に打ち込んだところで、また頭痛やそわそわ感に悩まされます。なので、はい、一旦トイレ休憩挟みます。仕事はもう残業ほぼ無しで帰ります。これは私という人間の機能を保つために必要な措置なので、とやかく言われる筋合いはありません」と開き直り、ちゃんと療養のための時間を取ります。あるいは、帰宅してさくっとお酒を飲んで寝る、とか。

翌日目が覚めて、まだ体が重ければ、フレックスを活用していつもより30分くらいゆっくり会社に行くのもありです。テレワークなら思い切って、昼休みをいつもよりちょっと多めに取ってみたり(笑)。音楽を聴いたり、ゆっくり長風呂してみたり。そういうのも良いですね。

そういう風に、きちんと自分がダメージを負ったことを把握し、それに見合うリフレッシュをきちんと行います。そして、でき得る限り、そういったダメージを負う場面を避けるというのも非常に重要ですね。苦手な人、場面には極力近づかない。そういう苦手が避けざるを得ない場合は、仕方ないので手厚いケアで中和させるよう心掛けています。

しかしながら、そういう風にストレスやダメージにばっかり意識が向くと、どうしても日々を慎重に過さなければなりません。また、今の職場は前の職場に比べて圧倒的に、人間関係が希薄で、「この人のために頑張ろう」とかそう思わせてくれる人がとても少ないです。仕事が個人プレー多めということもありますかね。なので、正直仕事がつまらなく、気分が高揚することが少ないです。そんな状況で、さらに慎重に暮らしているので、結構「憂さ」みたいなのが溜まっていきます。「何か楽しい事を日々の中に見出していかないとな~」と考えることが増えてきました。

色々と不安が先行してすぐ疲れてしまうくせに、そうやって何か「刺激」を求めてしまう傾向がどうやら私にはあるようです。いや、もちろん多かれ少なかれ誰にでもそういう傾向ってあると思うのですが。しかし、まだ自律神経やメンタルが弱っている私は、そうやって憂さ晴らしのためにやった行動で疲れてしまうので、そこのバランス感覚が非常に重要なのだと最近よく思うようになってきました。こういうのって、まさにHSS型HSPの人間の大きな悩みだと思います。

本当に自分がHSS型HSPタイプの人間なのかはわかりません。ひょっとしたら私の思い込みかもしれません。しかしながら、どうも自分がそういう傾向を持つ人間なのだと自覚して行動するのが、今の私には色々と都合がいいみたいです。「憂さ」を溜め込まないように、ある程度「楽しい事」を求めながら生活をしつつ、それで疲れが溜まって来たらきちんとケアを行う。例えば、週末の土曜日に楽しい予定を入れたら、翌日は何も予定を入れないで基本的には家の中や散歩をして過ごす。そんな風に常にバランスを考えながら生活することで、今のところ割と上手くやれている気がします。

4月の休日とGWは予定が詰め詰めで、結構疲れる日々が続いていました。4月にはSYNCHRONICITYという渋谷のサーキットイベントに行ったり、高校時代の友人とキャンプをしたり、前の職場の先輩と2泊3日の旅行に行ったり。GWは仙台までライブを観に行き、軽く観光し、あるいは朝まで飲み明かす日があり、スカイウォークでジップラインを楽しんだり。それから恋人と2泊3日の旅行にまた出掛けたり。そんな感じでかなり活動的な日々を過ごしていました。平日もよく外に食べに行ったり、職場の引っ越しがあったりと、なかなかに刺激に満ちた日々だったように思います。正直、GW終盤は疲れ果てていましたね…笑

でも、そういう風に「今はとても刺激が重なっている。だから間違いなく自分は疲れている」という自覚があればこそ、GW終盤は部屋から一歩も出ない日を作ったり、数日間誰とも喋らなかったりというケアを行えました。また、5月に入ってからは、極力新しい店を開拓するのではなく、馴染みの店でランチしたり、あるいはコンビニで買って来た冷凍パスタやカップラーメンを食べて、刺激を減らすように心がけています。そして、そのように自分を労わっている時間も、それはそれで充実しているように思えているので結構いい塩梅です。

そういう風にダメージとケアのコントロールを上手くやっていくことで、この何とも操りづらい「自分(おそらくはHSS型HSP)」という乗り物でも何とかやっていけるのではないかと思えるようになってきたのが最近の実感であります。

 

2.そうは言っても…悲しいこともある

私は以前よりこの日記の中で「サンドリ」=有吉弘行のラジオが好きと言って来たように思います。なので、上島竜兵さんの死はかなり堪えました。その報道があった日は実家でテレワークをしていたのですが、正直仕事がほとんど手に尽きませんでした。実家とは言え、日中は両親とも働きに出ているので、家の中で一人きりです。一人きりだとずっと悲しみやもやもやとしたもの(それはやっぱりどうしても希死念慮で…)に囚われてしまい、適応障害で会社を休んでいた時のようにぐるぐると反芻思考に絡めとられ、具合が悪くなってしまいました。

なんで上島さんみたいな良い人が死ななくちゃならない世界なんだろう。なんで上島さんや有吉さんの悪口を言う人がいるんだろう。上島さんは何が悲しかったのだろう。こんな世の中じゃ、繊細な人からボロボロになっていくだけじゃないか。やっぱり死ぬのが1番楽だし、妥当なことなのかな。私ももう嫌だな、こんな世界。やっぱり死んだ方が賢い選択だよな。もう苦しまなくて良いんだもんな。上島さん、私ももうそっちに行ってしまいたいよ。あぁ、もうこんな風に何かある度にショックを受けたくない。あぁ、もうこんな風に何かある度に死にたくなるなんて嫌だ。疲れたな。面倒だな。何も考えたくないな。仕事なんてやってる場合じゃないよな。もうさ、死んだ方が楽だよな、絶対。

と、そんなことがぐるぐると頭の中を周り出して、適応障害になるより以前から抱えていた希死念慮をぶり返し、適応障害が発症した時のようなどうしようもない反芻思考の渦に囚われてしまいました。しかし、何とか夕方までのらりくらりと、軽く仕事をしたり、音楽を聴いたりして耐え凌ぎ、ようやく夜には両親も帰って来て、少しほっとしました。「上島さんが死んで、結構辛い。落ち込むわ~」とそういうことを言えるだけ、まだマシでした。この日、たまたま実家でテレワークをする予定となっていて良かったです。もし、今の自宅で一人きりで夜を迎えていたら、結構ヤバかったように思いますね。いざとなったら「いのちの電話相談」に電話していたとは思いますが、やはり気の許せる人に心情を吐露するのは、結構な救いになってくれます。

この辺は、やはり一度適応障害の時に両親と腹を割って話していたのが良かったように思います。心身の不調や、ちょっと繊細な私というものを理解してもらっていたので、そういうマイナスなことを喋れました。前までの私と両親との関係だったら、そういう弱音は吐けなかったと思うんですよね。そういう意味では、やはり親子関係というのはできるだけ正常化させておくべきだと改めて感じました。

しかしながら、そんな両親であっても、もう私が仕事に復帰して1年弱経っているので、だいぶ私の弱さには鈍くなっているように感じました。というか、私自身、それでも両親に全ての心情を吐露できたわけではありません。本当はまた希死念慮に囚われて死にたくなったのですが、「ショックだわ~」くらいのことしか言えませんでした。ですから、当然両親としても「上島さん、びっくりしたわ」くらいのことしか言ってくれず、そこは何と言うかちょっと不満も残ります。でも、まぁ、違う人間なのですから仕方がないですよね。両親だって私の弱っているところなんて見たいはずもないでしょうし。

両親の前で強がれるようになったのは、回復してきたからだと思います。しかし、両親の前で弱音が吐けないのは、また本音で喋ることに対して臆病心が出てきたことの証明かもしれません。くよくよして、それを他人に押し付けるのも良くないとは思いますが、できるだけ本当に弱っているときくらいは、ちゃんと言葉にできるだけの勇気を持ちたいものです。

 

最後に…

いつもよりだいぶ短めの記事になったと思います。たぶん、そんなに書くことがなかったからだと思います。上島さんの件で、久しぶりに渦巻いた負の感情を文章にして発散したかったのかな。書いたらちょっとすっきりして、「もういっかな」と思えました。こんな風にインスタントに自分の感情をコントロールするのは、あまり良くないのかもしれませんが、溜め込んで腐らせるのが前までの私のダメなところだったので、こうやって適宜ガス抜きをするのは大事なことかもしれません。

また気が向いたら、、、というか、ガスが溜まったらここで文章を書きたいと思います。書くことはやはり私には救いのようです。

それでは、また。

 

次回

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Juice=Juice「terzo [Disc2]」レビュー~なんて良いアルバムなんだ!~

Juice=Juiceの3rdアルバム「terzo」、その[Disc2]についてレビューをさせていただきます。楽曲のレビューをするのは久しぶりですが、肩の力を抜いて伸び伸びと書き進めたいと思っています。

 

 

 

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まずこのジャケットが結構お洒落で素敵ですよね。緑とピンクというほぼ補色の関係性にある2色がビビットに効いています。衣装もベースにレトロな感じがありながら、結構攻めたフォルムになっています。本アルバム、特にDisc2の方はかなりレトロな雰囲気を持っているので、まさにこのビジュアルはぴったりという感じです。

Disc1の方は副題に「The Best Juice 2019-2022」とあるように、2ndアルバム以降に発表されたシングルを集めた内容になっています。対して、Disc2の方は「The Brand-New Juice 2022」という副題が与えられており、現在の9人体制で新たに制作された内容です。先日、Juice=Juiceの歴史をまとめようともがいた記事を投稿いたしましたが、2022年現在においてJuice=Juiceは大きな転換点にいると私は考えています。

 

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オリジナルメンバーが植村あかりちゃんを残して、みんな卒業してしまったところであはありますが、それ故にグループは新たな形態を獲得しようという面白いフェーズに突入しつつあります。先日には稲場愛香ちゃんの卒業発表がなされ、またこれからも様々な変化が予想されます。しかし、そんな変化があるからこそ今一度「Juice=Juiceってどんなグループだっけ」と振り返るのはとても重要ですね。

そういう意味では、アルバムの歌詞カードに参加者の名前が記載されているのですが、Disc1の1曲目「微炭酸」を見てみると、「オリメン5人+やなるる+まなかん」と刻まれております。まだオリメン5人が残っていたんだと思うと、とても感慨深いです。この「微炭酸」から考えると、今はあーりー、るる、まなかんの3人しか残っていないので全然別のグループになっていると言っても過言ではないわけです。しかし、魂は受け継がれています。上記の記事で、私は「マインド」と「スキル」がその魂の中核だと持論(愚論)を展開したわけですが、まぁ今回はアルバムのレビューなのでこれくらいにしておきましょう。

 

さて、前置きが長くなるのはいつものことですが、そろそろ楽曲について喋っていきましょう。Disc1については過去曲のアーカイブみたいな感じなので、今回はDisc2のみに絞っていきます。

 

アルバム全体の印象

8曲入りで34分。そして割とコンセプチュアルなので、とにかく聴いていて心地の良いアルバムです。もともとJuice=Juiceは大好きですし、これまでも沢山楽曲のレビューをしてきましたが、最近は色々あって楽曲レビューへの欲が減っていました。音楽を好きになればなるほど、私には知識が不足していると痛感したこともありますし、どうしても私は好きになる楽曲に偏りがあって、毎回同じことを書いているような気がしてしまうというのが大きな理由です(つばきファクトリーの「約束・連絡・記念日」やモーニング娘。の「よしよししてほしいの」とか、記事を書きかけのまま断念している状態です…)。

ですが、ここに来て素晴らしいアルバムを大好きなJuice=Juiceが出してくれたので、ようやく重い腰を上げる気になりました。誰も読むことの無い記事だとは思いますが、この私の感動を書き留めておきたい。思えば、それこそが私がブログを始めた1つのきっかけでした。そんな感情を思い出させてくれた素敵なアルバムです。

最近のJuice=Juiceは「DOWN TOWN」や「プラスティック・ラブ」といった往年の名曲シティポップをカバーするといった1つの軸を明らかにしています。そして、それに付随する形で制作されたであろう今回の「terzo [Disc2]」。ちなみに今さらですが「terzo」はイタリア語で「3番目」という意味があります。単に3rdアルバムというところからの命名だと思いますが、その潔さがまた良いんですよね。余計なものはいらない。素材の良さで勝負できるよね。というのが、近年のJuice=Juiceのスタンスかと個人的に思っているので、「らしい」アルバムタイトルに嬉しくなります。

ですから、本アルバム(Disc2)の楽曲は別に目新しい感じの楽曲はなくて、どちらかと言えばレトロ感がある気がします。近年のつんく♂さん楽曲に見られるような「攻め」の姿勢はあまりなく、何となく個人的に90年代っぽい懐かしさを感じますかね。まぁ、あまり私は音楽ジャンルに精通しているわけではないので、あくまでイメージでしかありませんが。

共通して言えるのはどの楽曲もベースがよく効いているということでしょうか。ドラムは打ち込みだったりもしますが、変なリズムを構築するわけではなく、聴き馴染みのあるフレーズであることがほとんどです。多くの楽曲でしっかりとしたエレキギターも演奏されていますし、シンセやバイオリンなどの上物も親しみが持てる感じです。メロディラインもポップで、耳が心地良く、ずうっと聴いていられる楽曲たちになっています。

あとはアルバムの構築も素晴らしいですね。

①GIRLS BE AMBITIOUS! 2022 ⇒ 自己紹介、ノリの良いロック

②POPPIN' LOVE ⇒ キュートなポップソング

③STAGE~アガッてみな~ ⇒ ハードロック(メタル要素やシンセも)

④Mon Amour ⇒ スパニッシュでジャジーな歌謡曲

⑤ノクチルカ ⇒ レトロなディスコ・ファンク

G.O.A.T ⇒ シティポップ風・元気系アイドルソング

⑦雨の中の口笛 ⇒ しっとり系アイドルポップス

プラトニック・プラネット ⇒ キャッチーなJ-POP(集大成)

というイメージで、色々なジャンルを感じさせながらも、自己紹介から始まり、最後は最高にノリの良いJ-POPで終わるという流れが好きで何回もリピートしてしまいます。全曲アイドルらしい感じでまとまっているのも無理がない感じで良いですよね。多くの楽曲で「たいせい」さんがコーラスに参加しており、ディレクターの名前にも「泰誠」とあるので、かなりたいせいさんが統一感を持ってアルバムを制作したのであろうことが感じられます。

この「統一感」というのは、やはりアルバムにおいてとても重要だと思っています。普通のアーティストでもアルバムとなると、色々と毛色の違う楽曲が並びがちですが、この「terzo」は様々なジャンルを渡り歩きながらも、レトロ感のポイントがうまくたいせいさんによって制御されている印象を受けますね。だからこそ、今回この記事を書こうという気持ちになっています。

あまり他のアイドルの話をするのはどうかと思いますが、初期の東京女子流感を感じます。アルバム的には「キラリ☆」や「Killing Me Softly」の辺りですかね(どちらも編曲の大部分を松井寛さんが手がけており、今回の「terzo」において松井さん編曲の「ノクチルカ」が入っていることからも、当たり前と言えば当たり前の印象なのでしょうが)。どちらも大好きなアルバムです。コンセプトの統一感という意味では、Maison book girlsora tob sakanaといった私の大好きなアイドルたちとも重なりますね。いずれもサクライケンタさんや照井順政さんといった強力なプロデューサー兼作曲家がついていますからね。私はどうしても「自分の趣味趣向をアイドルを通して発露している」という感じに弱いみたいです。

ハロプロつんく♂さんがそのプロデュースの大きな権限を持っているときからも、本当に多様な楽曲がありました。なので、そういう「統一感」みたいなのを感じることは少なかったのですが、ここに来てまさかJuice=Juiceにそんな要素が現れるとは。あまり期待していなかっただけに、とても嬉しく感じております。

というわけで、また長くなりましたが、全体を通して「良いなぁ」と思えるアルバムだと強く思っております。さて、続いて楽曲ごとに簡単に感想を述べていきたいと思います。

 

M1. GIRLS BE AMBITIOUS! 2022

言わずと知れたJuice=Juiceの自己紹介ソングの2022年度版。1stアルバムの「First Squeeze! [Disc2]」にも収録されていますが、こちら「Girls Be Ambitous」とほんの少し表記が変わっているんですね。いま書きながら見返して気づきました。ボーカルだけでなく楽器も再録しているので、若干質感がアップデートされているのも嬉しいですね。より低音が効いていますし、ロック感も強まっています。

全部で12ターム自己紹介ブロックがあるのですが、メンバーは9人なので年功序列的に「あーり」「るる」「まなかん」が2回分のタームを請け負っています。が、新メンバーにも色々と見どころがあり、改めてJuice=Juiceはバランスの良い采配をされていて、素敵だなぁと思います。

 

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先日のハロステでもライブ映像が公開されていて、皆が楽しそうにパフォーマンスしているのが最高でした。コメント欄もJuice=Juice絶賛が多く、思わず嬉しくなってしまいます。

こういう自己紹介楽曲って、いざ歌詞にしてみると、間違ってはいないけど意外と抽象的な内容になってしまいがちだと思います。なので、タコちゃんみたいにわかりやすくぶっ飛んだキャラがあると、一気にネタっぽさが増して良いですよね。タコちゃん、いてくれてありがとう!

あと、個人的に歌詞カードを見て嬉しかったのは、コーラスに中島卓偉さんはもちろんのこと、オリメン5人の名前が入っていることです。なんか「受け継がれている感」があって良いですよね、こういうの。今後また新しい時代に再録されることがあっても、オリメン5人の名前がまた載りますように。

 

M2. POPPIN' LOVE

Aメロのバイオリンの音が「らしく」てめちゃくちゃ好きです。編曲はErik Lidbomさんという方で、ちゃんと注目したことはなかったのですが、ジャニーズにたくさん関わっている方の様です。最近では娘。の「ビートの惑星」で作曲&編曲をされているようです。歌詞カードに「All Instruments & Programming: Erik Lidbom」とあるので、歯切れの良いベースもご自身で演奏されているのだと思うと、尊敬してしまいますね。

歌詞は山崎あおいさんで、Juice=Juiceでは「微炭酸」・「ひとそれ」・「好きって言ってよ」という名曲3部作に携わっており、Disc1を通して近年のJuice=Juiceを体現するお方と言って過言ではないでしょう。曲調はその3部作とは全然違いますが、あえて雰囲気の違う楽曲で作詞に起用し、アルバムの2曲目に置いていることからもプロデュースサイドから信頼されていることが伺えます。

Juice=Juiceには珍しいラブラブで可愛らしい恋愛を描いた楽曲で、まなかんやタコちゃん、りさちなんかが似合いそうな感じです。スキルの高いJuice=Juiceだからこそ、こういうシンプルで王道な楽曲が引き立ちますよね。りさちの台詞パートも甘々で可愛いです。

 

M3. STAGE~アガッてみな~

こちらはもう平田祥一郎さん全開の楽曲。同じく平田祥一郎さん編曲で、1stアルバムに収録された「CHOICE&CHANCE」とめちゃくちゃ音像が似ています。れいれいが加入してから「CHOICE&CHANCE」の間奏にボイパパートが追加されましたが、いよいよこの「STAGE~アガッてみな~」では音源から正式にれいれいのボイパパートが採用されることとなりました。この「受け継いでいる感」も良いんですよね~。ハロプロ3大編曲家の平田祥一郎さんが携わってくださることで、ハロプロのDNAを詰め込まれた楽曲とも言えるでしょう。

作詞・作曲の徳田光希さんという方はかなり若手の作曲家のようでアニメ系の楽曲制作に多く参加しているようです。M2の「POPPIN' LOVE」もそうでしたが、ハロプロ歴の長い方で「エッセンス」を残しながらも、新たな風を取り込もうとしているのが素敵ですよね。ただ作詞に関して言えば、「きっと沢山書き直させられたんだろうなぁ」と思ってしまいます(笑)。徳田さんが普段どういう歌詞を書く方なのか存じ上げないのですが(申し訳ございません)、いかにもハロプロっぽい歌詞になっています。

「CHOICE&CHANCE」は「エリートだけれど今一つ殻を破れきれなかった」オリメンが歌うことで、気合いを感じられる楽曲だったように思います。対して、この「STAGE~アガッてみな~」は、「色々な道を歩んでJuice=Juiceに辿り着いた」お姉さんチーム(まなかん、るる、れいれい)が歌うことで、なんかエモさがありますよね。諦めず光り輝く高みを目指そう、って気持ちになれます。

 

M4. Mon Amour

この曲は個人的に一聴して「1番好き!」となった楽曲ですね。お姉さん方(あーりー、まなかん、るる、れいれいの4人)のユニット曲のようなものです。「Mon Amour」ってフランス語で「私の愛」という意味らしいですが、フレンチっぽさというりはギターやブラス、パーカッションの感じがもろラテン系ですね。スパニッシュな情熱を感じます。

るるちゃんのウェットな声質と、まなかんの甘々な声質が絡み合って、非常に色気を感じます。余計なアレンジがなく、とにかく楽曲の持つ力をシンプルに、けれど最大限に引き出す感じは編曲家の浜田ピエール裕介さんらしいと思います。浜田さんはハロプロだと「Uraha=Lover」や「シンクロ。」で編曲をされています。関ジャニ∞の「ズッコケ男道」を作曲された方ということで、凄い人だったんですね!

作詞・作曲はオオヤギヒロオさんという方で、娘。の「人間関係No way way」&「LOVEペディア」の作曲をされました。アンジュルムの「限りあるMoment」も好きな曲で以前レビューをさせていただきました。

 

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ちなみに作詞では井筒日美さんという女性作詞家との共作となっています。上記の「シンクロ。」や「限りあるMoment」でも作詞を担当されており、ほかにも多数(「恋のマグネット」や「初恋サンライズ」など)ハロプロ楽曲で作詞をされています。この「Mon Amour」ではかなり大人っぽくて、いかにも情熱的な恋模様を想起させる言葉が紡がれております。もうなんか徹底し過ぎてちょっと恥ずかしくなるくらいの文面なわけですが、そんなところもハロプロっぽくて大好きです。

普段はふにゃふにゃと「癒し!」な印象のるるちゃんが「分かち合って本物の二人になれたら何もいらない」と情熱的に歌うのは……なんというか、グッときますね。

 

M5. ノクチルカ

もうだいぶ伝わっていると思いますが、私、この曲を編曲されている松井寛さんが本当に好きなんですよね~。全体的にディスコ・ファンクっぽさとレトロな歌謡曲感が漂う雰囲気がありますが、あの大好きな東京女子流っぽくて素晴らしいです。サビ前のところなんかまさに東京女子流という感じですし。「ダッダッダッダッ」という感じのキメは「鼓動の秘密」を始め、様々な楽曲で用いられている印象です。

松井さんって本当にリズムパターンを沢山詰め込んでくれるんですよ。ベースもドラムも本当に細かくて、単調な8ビートが続くようなことはほとんどなくて。シンコペーションやキメを多用しつつ、時にはアイドルらしいノリやすいリズムも使ってくれるので、非常に洒落ていて飽きが来ません。

「ノクチルカ」はイントロ、Aメロが非常に都会っぽくて、メロウな感じです。そして、Bメロはアイドルっぽいビートを使用して、伸びやかなメロディラインなのでとても聴いていて心地よく、サビに向けて確実に盛り上げてくれます。サビはもしかしたら初見だと難しく感じるかもしれません。あまり耳慣れないコード進行で、なんかメジャーとマイナーを行き来している感じがしますし、シンコペーションも多用しているので一筋縄ではいきません。が、だからこそ何度も聴くことで味わい深く、いわゆる「スルメ曲」的な感じがございます。お馴染みの楽器ばかり使っているので、音像自体は親しみやすいのですが、本当に品が良く格式高い楽曲だと思います。

作詞の唐沢美帆さんはアニメ「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」のOP主題歌「Sincerely」を歌うTRUE名義でも活動されている方とのこと。多くのアニメ楽曲に携わっているようですが、ハロプロではこれも松井寛さん編曲の「TOKYOグライダー」でも作詞を担当されています。まず「ノクチルカ=夜光虫」という曲名が素敵ですよね。使用しているワードもちょっとアニソンっぽいカッコイイ感じのものが多く、それでいてとても音への乗り具合が良いです。「ローグライク」とか「ブルース」とか、「Unknown ノクチルカ」とか。「戦慄(わなな)いて」とか「馳せる」とか「夜光虫」とかも。

ちなみに「人生のローグライク」って歌詞、めっちゃ良いですよね。「不思議のダンジョン」系の金字塔(と勝手に思っている)「風来のシレン2」がクリアできずにブチギレていた子供時代を持つ私にとっては、なんか感じ入るところがあります。1手の重みを初めて体感し、でも慎重になり過ぎていると全然進めない……あのときが人生で1番何かに燃えていたかもしれない。。。そんなことを思い出しました。

まぁ、私の話はどうでも良くて…とにかく良い曲が貰えて本当に良かったですね!今後もたくさん歌っていって欲しい素晴らしい曲です。

 

M6. G.O.A.T

Greatest Of All Time=史上最高、という意味の曲名です。とてもお洒落なシティポップ的でアンニュイなAメロ、Bメロ。そして、それとは対極的に前向きで明るく元気を貰えるようなサビといった、不思議な質感の楽曲になっています。Aメロ、Bメロの感じはアルバムの中でも1,2位を争うくらい好きですね。

作曲はShusuiさん(と、Andreas Ohrmさん、Henrik Smithさん)であの名曲「青春アミーゴ」を作った方です。ジャニーズと縁が深いのですが、近年はハロプロにも楽曲提供をしてくださっており、「Va-Va-Voom」、「Familia」、「Future Smile」といったJuice=Juice楽曲に多く携わっていらっしゃいます。作詞は井筒日美さんでM4の「Mon Amour」と同じですが、全然詩から受ける雰囲気は違いますね。A, Bメロのアンニュイなパートでは、コロナ禍を憂うような歌詞になっており、一転サビでは「目一杯恋がしたい!」という感じの元気いっぱいな歌詞になります。編曲を担当されるHenrik Smithさんは調べてもあまり情報が出てこなかったのですが、ジャニーズ関係の楽曲を多く手掛けられているようです。

フェードアウトの楽曲というのも近年ではちょっと珍しく、なんか哀愁を感じてよかったですね。「ラ・ラ・ラ♪」という部分はライブで合唱したいところではあります。が、このコロナ禍……そう考えると、この楽曲で歌うように、何とか「コロナ禍」を終えて、皆でまた「密」になりながら感動を共有する未来に向かいと心から思いますね。意外とライブのラスト曲的な感じになるのでしょうか。あぁ、またコロナ前みたいなライブに行きたいなぁ。地蔵スタイルの私でも、やっぱりヲタクたちの歌声が懐かしいです。

 

M7. 雨の中の口笛

若手チーム(タコちゃん、里愛ちゃん、いちか史、りさち、きんちゃん)の楽曲です。特に新メンバーの初々しい歌声が、優しい楽曲とよく合っています。が、ビートは結構ソリッドな音を使っており、シャッフルビートが採用されていて結構リズムが立っているという特徴もあります。そのおかげで甘々になり過ぎず、軽やかさも感じますね。

こちらもShusuiさん楽曲となります。作詞・作曲はShusuiさん、Zeyunさん、tsubomiさんの共作で、編曲はZeyunさん。Zeyunさんは韓国の方の様ですね。あまりハロプロ界隈でお名前を見ない方々なので、ほとんど情報がありません。ShusuiさんはM6の「G.O.A.T」と合わせたイメージだと、無駄がなく軽やかで都会的な音楽が得意な感じでしょうか。「青春アミーゴ」からはあまりそんなイメージを受けませんが笑。

アルバムの終盤にこういう楽曲がすっと挿入されているというのが、またこの「terzo」というアルバムの完成度を高めている気がしますね。別に箸休めという意味で作っているとは思いませんが、結果的に一連の作品の中で箸休め的な役割を担える楽曲って、私は結構好きです。そして、アルバムを通しで聴くときに本当に良い味を出してくれると思っています。単に若手チームのための楽曲というところを超えて、普通にカフェとかで流れていてもおかしくないようなお洒落で良い楽曲です。いまこうやって曲を聴きながらキーボードを叩いているわけですが、1番負荷が少なく、心地良いですね。

「雨の中の口笛」という楽曲のラストが「雨の中の口づけ」というのもなんかお洒落で良いです。楽曲のテーマを奏でる口笛の音もとても落ち着きます。見ようによっては、お姉さんチームの「Mon Amour」よりもよっぽど大人っぽい落ち着きを感じます。

 

M8. プラトニック・プラネット

もしかしたらアルバムの中でこの楽曲が曲調的には最も異色かもしれません。が、Juice=Juiceのファンとしては、もはやこの楽曲を聴くためにこのアルバムを買ったといっても過言ではない、と。そんな、長い期間ライブで披露され続け、多くのファンを魅了し、ようやく音源化に漕ぎ着けた「プラトニック・プラネット」です。

伝説のライブ(そして、私の大好きなライブの1つである)「octopic!」(2019年12月)で初披露された本楽曲は、ゆめりあいのイメージが強いですね。加入して間もない2人が、百戦錬磨の猛者たちに混じっている図が最高でした。ライブ序盤の曲ということでまだガチガチに緊張している感じが窺えるタコちゃん。そして、それとは対照的にニッコニコでパフォーマンスする里愛ちゃん。この曲で松永里愛に心を奪われました。

 

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当時のハロステでパフォーマンスを観てから、「これはいずれレビューすることになるぞ!」と思っていたわけですが、こんな形でのレビューになるとは露ほども思いませんでした(普通にシングル楽曲として、あるいはシングルのカップリングになると思っていました)。この頃はまだ山木嬢がいたんですね。ということは、カントリーもまだ活動していたのか……そう考えるととても昔の事のような気がしてしまいます。

ちなみにハロステ版にはありませんが、Blu-ray版のサビ、「すっごい世界が知りたいの」のところでカメラ目線になる里愛ちゃんが好き過ぎます。ハロステで観て気になり、Blu-rayで観て完全に落とされました。もちろんその後の「すべては許せないけど」も最高で、Ultimate Juice Ver.として収録された本アルバム音源でもそのパートを守り切っているので、それもなんかとてつもなく嬉しいことです。タコちゃんの「滲んでる プラトニック・涙」も良いですよねー。

特別複雑な曲という訳ではなく、どちらかと言えばシンプルでとてもキャッチーなメロディラインが続く、マイナー調ナンバーです。故に、Juice=Juiceの歌唱力がこれでもかというほど堪能できます。ソロパートも多く、そこが好きだなと思いながらも、ユニゾンもやっぱり最高で。やっぱりJuice=Juiceファン待望の音源化という感じです。

Ultimate Juice Ver.ということで、金朋・さゆき・佳林ちゃん・あーりー・るる・まなかん・タコちゃん・里愛ちゃん・れいれい・いちか氏・りさち・きんちゃん、という豪華な名前が歌詞カードには乗っております。それ以外の楽曲だと、まなかん⇒るる⇒れいれい⇒タコちゃん⇒里愛ちゃんとなっているのに、この曲だけ名前の順番が加入順になっているのも、なんかエモいです。金朋、佳林ちゃんはもちろん、さゆきの声が入っているのもとても嬉しいですし。ラストのフェイクと「すべては許せないけど」が佳林ちゃんというのも、なんかJuice=Juiceの歴史を体現しているようで良いですよね。3flower(いちか氏・りさち・きんちゃん)とは一緒に活動していなかったメンバーが重用されているのが、何と言うか先人たちへのリスペクトを感じます。メンバーはもちろんリスペクトしているのでしょうが、楽曲制作陣やスタッフも彼女たちをリスペクトしているのが伝わって来て、「ハロプロ最高!」となるんですよね。

そして、本当にこれは言わなくて良い事だと思うんですが、金朋・さゆき・佳林ちゃんってやっぱり凄かったんだなぁ、と。ここまでの楽曲は全て美しく高い技術を持つ歌声で、楽曲の魅力を損なうことなく、充分素敵だと思っていました。それはそれで嘘ではないのですが、金朋・さゆき・佳林ちゃんの3人はそれに加えて、パッと聴いてわかる特徴を持っているのが凄いです。もちろんプラトニック・プラネット自体がかなりボーカルを際立たせてくれる楽曲なので、ほかのメンバーのソロパートも非常に魅力的に聴こえます。それはそうなんですが、それでもこの3人はちょっとエグイですよね~…といっても、この3人は単純な歌唱力・表現力でもハロプロの歴史に名を遺すような人たちなので当たり前と言えば当たり前ですが。

決して現状に対する批判じゃないですし、これからのJuice=Juiceを応援していくことももちろんなんですが、こんな素敵な作品を出されてしまうと、ついつい懐古的になってしまいますね。アルバムの副題は「Brand New Juice」なわけですが、この楽曲に限って言えば、やはり曲の副題である「Ultimate Juice」がしっくりきます。

これぞ〆にふさわしい楽曲でした。ごちそうさまでした。

ハロプロ御用達作詞家の児玉雨子さんの詩も光っています。「この大地に林檎がキスして引力生まれた」なんて歌詞、雨子さんじゃなきゃ書けないです。作曲・編曲の炭竃智弘さんはあまり情報がないですが、こんな素晴らしい楽曲を作れる方なのですから、今後も沢山ハロプロに良曲を提供していただきたいですね!

 

改めて感想

良いアルバムでした。もうそれだけです。改めてJuice=Juiceというアイドルが好きになりましたし、これからも応援していきたいと思い直しました。

私はハロヲタでありながら、実はあんまり普段はハロプロの曲を聴かないんですよね。もちろん好きな曲は沢山ありますし、「今日はアイドル楽曲を聴くぞ~」となったら色々聴きます。何と言うか、スポーツ観戦が好きで、試合を観に行けば応援歌とか沢山歌うけど、普段は別に応援歌を聴いたりはしない……みたいな。なんというか、ハロプロの場合、どうしても映像、つまり彼女たちのパフォーマンスとセットなんですよ。もっと言うと、「あぁ、この子上手くなったなぁ」みたいなのとセットで楽しんでいるわけですね。

だから、楽曲レビューでもしない限りは、そんなに繰り返してハロプロ楽曲を聴くことはないんです。が、このアルバムはとても良いです。散歩しながら結構エンドレスで聴いてしまいました。ハロプロで「アルバムが良いなぁ」と感じたのは、割と初めてくらいの体験な気がします。「良い曲が入ってるアルバムだなぁ」はあるんですけどね。大概、通しで聴くことはなかったように思います。8曲で34分という手ごろさもちょうど良いですよね。

プラトニック・プラネットでの前言を撤回するようですが、今のJuice=Juiceのニュートラルな歌声というのも意外と私好みなのかもしれません。金朋とか佳林ちゃんが歌っていると、「あぁ、Juice=Juiceだなぁ」とどうしてもなってしまいます。しかし、この「terzo」は「誰々」ということをあまり意識せず、単に「良い歌声だな」という感じで聴けるのが、普段私が音楽を聴く時の姿勢とマッチしているのかもしれません。

音楽の聴き方、エンターテインメントの楽しみ方、そういうのは人それぞれで良いと思います。同じ人でも、色んな楽しみ方をして良いと思います。ましてや、表現者側も表現者ごとに違う意図を持って、表現をしています。そういう意味では、この「terzo」というアルバムは私のハロプロの楽しみ方をより広げてくれたと思います。

良い買い物をしました!

 

最後に…

最近は4月にSYNCHRONICITYというサーキットイベントに行き、そこで色んな音楽を楽しみました。まさかtoconomaD.A.N.が裏被りしているなんて……といった残念な場面も沢山りましたが(yonawo, 崎山蒼志、ZAZEN BOYSあたりも混戦でしたね)。でも、ふらっと訪れたTENDREや奇妙礼太郎が良かったり、その分良い出会いもありました。

そこで思ったのが、アーティストによって色んな楽しませ方をしているなぁ、ということです。夕暮の浜辺でお酒を飲みながら踊るみたいな空間を作っている人もいれば、とんでもない緊張感で駆け抜けるようなパフォーマンスを見せつける人もいて、もちろんtoeのようにとにかくエモーショナルなステージングも最高で。アイドルなんて、ハロプロなんて、と簡単に切り捨てるような人もいるのかもしれませんが、ハロプロだって誇り高きアーティスト集団の1つなんですよね。

「へぇ、アイドル好きなんだ」と半笑いで言う人もたまにいますし、これだけハロプロが好きな私ですら、なんかちょっと後ろめたく思ってしまう場面はあります。確かに単純な音楽だけでなく、年頃の女の子の可愛さにキュンキュンするという楽しみ方は恥ずかしいことなのかもしれません。でも、夕暮の浜辺でお酒を飲みながら踊るのも、緊張感とともに駆け抜けるようなパフォーマンスも、全員で頭を振りながら叫ぶようなパフォーマンスも、ベクトルが違うだけで「楽しみ方」という意味では同じです。

三浦文彰さんのチャイコフスキー「ヴァイオリン協奏曲」に感嘆の拍手を送るのと同じ温度感で、私はハロプロアイドルたちに拍手を送れるような人間でありたいですね。

なんか「terzo」が良すぎて、変なことを書いてしまいました。

しかし、それに比べて会社というところはなんて楽しくないんでしょう。あぁ、やだやだ。前の職場は楽しかったのになー。コロナだからかなぁ、プライドが高い人が多いからかなぁ、人が多すぎるのかなぁ、都会でゴミゴミしてるから精神が荒んでいるのかなぁ。わからんですが、ちょっとでも楽しくなるように、日々工夫して頑張りたいと思います。可愛くて美しいハロプロアイドルから活力を貰い、良い音楽に癒され、チェーホフが言うように「耐え抜きましょう」。

そんなことを想う、日曜の夜でした。

適応障害と診断されまして… vol.73

適応障害と診断されて503日目(2022年3月2日)の朝、会社に行く前にこの記事を書き始めています。が、本当にこの文章を書くだけで、もう出なければならなくなりそうです。

なんだかんだと前回の記事を書いてから1か月経ってしまいました。

 

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1.復調の兆し

昨年末からつい2週間ほど前まで、私は強い頭痛や吐気に苦しめられていたわけですが、そんな自分を思いやりながら規則正しい生活を続けてきました。症状が好転する見込みはなかったものの、ほぼ残業せず何よりも体調を優先することによって、何とか「悪くなりもしない」という状態をキープすることには成功していました。

そして、およそ2週間ほど前から、ふと霧が晴れるように頭痛が無くなり、気がつけばここ1年で1番と言えるくらい調子が良くなっていました。と、この記事を書いている現在は昨日の残業と若干の寝不足が祟って、やや頭痛が出ているのですが…

どうしてこのように急に自体が好転したのか、その理由は定かではありません。1番有力と思えるのは、単に「波の良い時期に差し掛かったから」というものです。

 

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体調の推移

汚い手書きの画像で申し訳ございませんが、ざっとこの9か月の体調を振り返ると上の通りになります。7月に復職したときは、6月いっぱいをずっとお休みできていたので(市役所の試験を受けたりはしていましたが)、それなりに体調が良かったわけです。しかし、復職したタイミングでは新しい職場ということもあり、結構気苦労も多く、また体力もなかったため結構厳しい日々が続いていました。

そこから数か月は体調が上向かないまま、何となく下がり調子である実感はあったものの、数日単位の小さな浮き沈みを繰り返しながらどうにかこうにかやっておりました。10月末ごろには嫌な出来事によって一気に調子を崩し、しかし11月には楽しいライブによって気分が高揚し、これは結構激しい浮き沈みでしたね。ただし全体的に見ればやはり調子は下がる一方だったようで、12月末には本格的に体調を崩し、そのまま年末年始のお休みに入ります。年始からも体調が復調せず、日々頭痛などに悩まされていたのは上述の通りですが、ようやく数週間前から復調してきたわけです。

こうしてグラフにしてみると、何となく9か月間をかけて物理の波動の単元で習うところの1周期が経過したという感じですね。12月にあまり無理せず仕事をほどほどに体調優先していれば、たぶん1月中旬くらいからもう復調の兆しは見えていたのではないかと思っています。そうすればもう少し綺麗な波形になったことでしょう。

なので、特別何があったというわけではなく、単に1周期回ったというのが理由で今のこの好調があるのだと思っています。

とは言え、鶏と卵のような感じで、良い出来事があったから好調なのか、好調だから良い出来事だと思えているのかわかりませんが、色々と気分が良くなる出来事があったことも事実です。

例えば、締切に追われていた仕事があらかた片付いたということがあります。仕事を進める過程で、最初は先輩に手取り足取り教えてもらっていたことが、ある程度自分でも見通しが立てられるようになり、それで少しだけ自信もつきました。自信がつく、即ち仕事に対する理解が増し、不安が減ったということです。

ほかにもプライベートでは、年末にできた恋人との関係性であまり悩まなくなったということも挙げられます。別に何か関係性に進展があったわけではありません。ただ、前までは「相手がつまんないと感じていたらどうしよう?」とか「自分は恋人としてふさわしい行動を取っているのだろうか?」とか、そういうことで私は思い悩んでいたわけです。それで苦しくなることもありました。しかし、よくよく考えてみれば、私が相手の事を好きな理由は「比較的に楽な気持ちで、リラックスして過ごせる」というものなのです。そんな相手の前でリラックスできていないなら、もはやお付き合いする理由など無いのだと気づいてからは、相手優先で考えて、何やら自分に無用な義務感のものを発生させるのではなく、まずは自分優先で自分がリラックスできることが最も重要であるというふうに考えるようになりました。なので、実際に相手が私に対してどういうイメージを持っているのかは全く以って検討もつきませんが、少なくとも私はとてもリラックスできており、ますます相手への愛情が募るばかりです。そして、その自分の幸福感の延長線上に相手を思いやる気持ちも自然と生まれて来ることに気がつきました。

何をだらだらと当たり前のことを書いているのだと思われるかもしれませんが、つまるところ私は常に「相手がどう思うか」「自分がどう振舞うべきか」と考え続けてきたのです。それで生きるのが苦しくなって、死にたくなり、適応障害になりました。なので、この心境の変化というのは私にとってまさに目から鱗という感じで、非常に重要な「ユリイカ」だったのです。

そして、先輩との温泉プチ旅行や、ずっと好きだったバンドのライブ(Lillies and Remains)、そういった楽しい時間を過ごせていたことも結構大きいですね。単純にここ1週間くらいでとても暖かくなったということも、好転の要因として挙げられるでしょう。が、やはりどうしても私には「体調が良くなったから、そういった幸せを享受できる」という感覚の方が強いのです。もう少し正確に言うのであれば、相乗効果と言う方が良いかもしれません。

復調の兆しは自ら追い求めて作るものではないのかもしれません。私たちにできることは、不調時に自分を思いやる術と決意を身に着け、いずれ事態が好転するまでの苦しい時間を耐え抜くことだけなのでしょう。それが功を奏したのが年始からの2か月ちょっとの私だったと思います。成果を焦るのではなく、ただただ規則正しい生活で自分を労わり続け、「いずれ、いずれ…」と溜息交じりではあるものの取り乱すことなく耐え抜けたのが良かった。なので、ここ最近あった諸々の良いことはそのご褒美なんだと思うことにしています。

 

2.今後の展望

仕事で疲れたり、寝不足になったり、そういったことですぐに頭痛が出たり、体調を崩したりするのが私の現在地であることは変わりません。というわけで、この体調の良いうちにその点を克服したいと考えています。何が正解かわかりませんが、とりあえず休職してからだだ下がりだった体力を何とか戻していきたいと思っています。体重もぼんっと増えてしまったので、痩せたいという思いもあります(無論、恋人のためにも)。

なので、ここ2週間くらい、微妙に筋トレをまたやり直しています。去年の10月に休職してから色々と健康系の知識を詰め込み、オートファジー(16時間断食)やウォーキング(散歩)、筋トレなどをやりはしたのですが、結局続いているのは元から大好きだった散歩くらいです。その散歩も週末にやるくらいです。まぁ、年明けからは昼食後の頭痛を緩和させるために、会社の昼休み中の散歩もしていましたが。

が、せっかく最近は調子が良いので、また体力づくりとダイエットを始めてみました。大食いは避けるようにしているものの、どうも私にとって「食べること」は結構幸福感を感じる上で重要なことのようなので、できるだけ食べる量を減らさずにダイエットしたいと考えています。何より体力の向上も目標にしているので、まずは「運動」を頑張りたいと思っています。

まずは朝起きてのラジオ体操の習慣を戻しました。やはりラジオ体操すると寝覚めも良くなるので、これは単純に自律神経のためにも続けたいところです。いつの間にか日々に疲れてしまい、朝はできるだけ寝ていたいという思いからやめてしまっていましたが、今は自分を労わっているので、朝にも多少余裕があります。このラジオ体操で体が引き締まるとか体力が向上するとは思っていませんが、まぁやらないよりはやった方が…ということで続けています。繰り返しますが、自律神経に良いのは間違いないですからね(実感もあります)。

次に、室内で「ビーバー」をするようにしました。中高の部活でよくやらされた思い出がありますが、これが今やってみると本当にキツイ。霜降り明星せいやさんがお勧めしていたダイエット方法で、これをやることで所謂「燃やす体」が作れるらしいです。もともとは腕立てや腹筋をやっていたのですが、何か地味で時間がかかるので割とすぐに飽きてしまいました。なので、効果は半信半疑でしたが、腕立てよりは楽しくやれそうだという理由で始めてみた次第です。が、その後、元Juice=Juiceの宮本佳林ちゃんのオススメするダイエット方法で「HIIT」というものを知りました。High Intensity Interval Trainingの略ということです。これが実はせいやさんがいうところの「燃やす体づくり」にあたるらしいのです。要は、高い負荷を連続してかけることで、代謝をよくするという理論らしいです。これもまだどれくらい効くかわかりませんが、少なくともやっていて「キツイ」と感じるので、この高負荷に慣れていくことができれば少なくとも体力の向上には繋がりそうです。

ちなみに私は走るのが大嫌いです。私は高校2年の夏というとても中途半端な時期にサッカー部を辞めたのですが、その理由は「もう走りたくない」からでした。シャトルランも30回でやめる人間です(もちろんもっと走れますが、全力を出したところで恥ずかしい結果になるので、いっその事不良ぶってしまえ!という逃げです)。なので、テレワークのときに、集中力が切れたらできる手ごろなトレーニングを探してこのようなものに辿り着きました。ただの腕立てや腹筋にはすぐに飽きてしまったことは前述の通りです。

そんなわけでどれくらい続くかもわかりませんが、また少しずつトレーニングをやっていこうと思っています。食事制限も、楽しみが損なわれない程度に、まずは寮の食堂で「ご飯少なめで」という炭水化物量の低減から始めていきたいです。

 

最後に…

最近、テレワークでの集中力が徐々に向上してきたように思います。前までは本当にだらけていたので、罪悪感が生まれるくらいだったのですが、この1週間くらいは割とうまく集中できています。やはり体調って大事だと思います。

そして、上司の奥様から頂いたバレンタインデーのお返しに紅茶を買ったのですが、自分用も買ったところこれがとても良い香りで高まります。あとは、学生時代に行きつけのラーメン屋の二号店が本店よりも行きやすいところにできてとても嬉しいです。ほかにも好きなバンド(Lillies and Remains)の新曲が昨年5月に出ていたことを知り、めちゃくちゃテンション上がりました。約6年半ぶりの新曲ですよ?嬉しいですね。

そんな感じで、割と幸せに暮らしております。次の記事もこれくらい幸せだといいなぁ。

 

次回

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Juice=Juice グループの歴史 vol.2 ~マインドとスキルが充実したグループに~

ご無沙汰しております。Juice=Juiceというグループについて書く時間がやってきました。前回から数えておよそ3年ぶりになりました。前回記事を書いたタイミングでは続編を書くという簡単な未来さえ予見できていなかったので、記事タイトルは無印になりましたが、今回は「vol.2」ということでやらせていただきたいと思います。

 

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Juice=Juiceというグループの結成から、2019年1月段階…すなわち初代リーダーの宮崎由加ちゃんと、梁川奈々美ちゃんの卒業発表があり、まだ実際に卒業はしていないという微妙な時期までを記事にまとめました。

ハロプロ研修生発のエリート集団として個性やグループとしての軸を模索していくデビューから「LIVE MISSION 220」までを初期、「~220」を経て「実力派」としての軸が固まり拡大していく5人体制の時期を中期、そしてやなるる・まなかんが加入した辺りを当時の「現在」としてご紹介致しました。記事を書いた時期はJuice=Juiceから初の卒業者が出るという繊細な時期で、私自身結構微妙な心境だったようです。何と言っても、これまでグループをまとめて来た「お母さん」ポジションのゆかにゃ(宮崎由加ちゃん)と、グループの「末っ子」でお母さんに溺愛されているやなみん(梁川奈々美ちゃん)が卒業しようという頃ですからね。不安と悲しさでいっぱいでした。

が、見事そんな苦難も乗り越え、今や世代交代に成功しつつあるこれまた「どうなるかわからない」面白い時期に差し掛かってきました。どうも私はこういう微妙なタイミングでグループについて考えたくなる性分のようです。というわけで、行ってみましょう!

 

 

【ひとそれ期(新生)】 ~卒業と新人と良曲による変革~

勝手に「ひとそれ期」という名前をつけましたが、この命名にはいくらか私自身納得いっていない部分があります。が、あくまで前回記事のように「初期」とかそういう言葉がもう使えなくなってしまったから苦肉の策で命名しているとお考えください。と、いきなり言い訳から入りましたが、やなみん卒業あたり~佳林ちゃん卒業発表あたりの時期と思っていただければと思います。楽曲で言えば、ちょうど「微炭酸」、「ひとそれ(「『ひとりで生きられそう』って それってねえ、褒めているの?」の略)、「好きって言ってよ」の山崎あおいさん関係の質の高い楽曲が続いた時期でもありますね。というわけで、その中でも最も世間に大きなインパクトを与えた「ひとそれ」の名前を取らせていただきました。

この時期は何と言っても、上述の通り、やなみんとゆかにゃの卒業が控えており、「微炭酸」と同時にやなみんの卒業曲である「Good bye & Good luck!」が発売され、「ひとそれ」と同時にゆかにゃの卒業曲である「25歳永遠説」が発売されました。というわけでかなりメモリアルな楽曲たちがあり、またお2人の卒業もかなり感動的なものではあったわけですが、それと同等にJuice=Juiceの楽曲テイストが変化した時期でもありました。

やなみんとゆかにゃの卒業については、個別に記事にしているので、こちらをご参照いただければと思います。

 

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やなみんはその独特な魅力でJ=Jに陰影を齎し、またゆかにゃからの可愛がられポジションで卒業加入のあるグループとしての旨味をいち早くJ=Jに齎してくれました。ゆかにゃは言うまでもなくJ=Jのリーダーとして数々の素晴らしい功績を残してくれました。「ファンを大切にすること」、「いつの時代のJ=Jも最高だと思うこと」はゆかにゃがいたからこそ、ここまで説得力を持っていると私は思っています。今でのそれらの考え方は後輩たちに受け継がれ、私がJ=Jを変わらずに好きでいられる理由にもなっています。

J=Jにとってはこの2人が初めての卒業者であり、卒業発表時点よりそこには「いなくなった後どうなってしまうのだろう」という一種の緊張感がありました。

しかしながら、不思議と振り返ってみるとこの時期はただ悲しみ一辺倒ではなく、どこか期待感も感じさせてくれていたように思うのです。そして、その立役者となったのはまなかんこと稲場愛香ちゃんと山崎あおいさんだと私は感じています。

卒業による変化と重なるようにして、まなかんが齎した(と思われる)「微炭酸」というキャッチーで激しめの楽曲がしんみりとした雰囲気を吹き飛ばしました。私が思うにこの「微炭酸」という楽曲は、まなかんの強みである激しいダンスを活かすために投入された楽曲ではなかったでしょうか。ここまでビートに迫力やスピード感のあるJ-POPに振り切ったのは「微炭酸」が初でした。エレクトロな要素をふんだんに詰め込み、4つ打ちと8ビートを駆使している本楽曲は、それまでのJ=Jを追って来た人からするとちょっとびっくりしたと思います。

それまでのJ=Jは「Next is you!」を除けば、こういったシンプルなJ-POP的楽曲は少なく、色んな音楽ジャンルに挑戦していくという面白味がありました。それはやなるる(梁川奈々美ちゃんと段原瑠々ちゃん)が加入した後も、「Fiesta! Fiesta!」や「SEXY SXY」などで体現されていたように思います。なので、正直私はこの「微炭酸」が発表されたとき、「んー、J=J、どうしちゃったの?」と思ってしまいました。「普通のJ-POPやっちゃったら、そこら辺のアイドルと変わんないじゃん」というのが本音でしたね。「きっと、まなかんのダンスを活かしつつ、舞台「タイムリピート」から引っ張って、佳林ちゃん(宮本佳林)とまなかんのタッグを見せたかったんだろうな」なんて邪推もしたりしました。

しかし、それは私の評価が甘かったのです。実はこの時、J=Jはとんでもない金脈を発掘していたのです。そして、それを思い知らされることになったのが「ひとそれ」です。正直に言って私は「ひとそれ」の時すら、そこまでこのJ=Jの方針に全面肯定できてはいませんでした。やっぱりどうしても初期の頃から紡いできた「様々なジャンルの楽曲に対応する」という音楽エリートとしてのJ=J像が抜けず、「微炭酸」も「ひとそれ」も良曲であることは理解しながらも、「もっとね、色々できる娘たちなのよ」と思わずにはいられなかったわけです。

が、世間はこの「ひとそれ」を放っておいてはくれなかったようです。

有名どころで言うと、テレビ朝日の弘中アナウンサーが「ひとそれ」新規ですが、メンバー自身も「ひとそれ新規の方が多い」と言うくらい、この楽曲は多くの人に突き刺さりました。それまでどちらかと言えば、「年配の方が多い」という印象を持たれていたJ=Jに女性ファンが増えだしたタイミングだとも記憶しています。シンプルでわかりやすいJ-POP的な楽曲、そして現代の女性心理を描いた山崎あおいさんの歌詞、これらが特に女性にウケて、ハロプロ界隈では一種のムーブメントのようなものが起こっていたように思います。

それを如実に表しているのが、ハロプロ楽曲大賞での1位獲得です。この年はBEYOOOOONDSのデビューもあり、正直なところ良曲の多かったBEYOOOOONDSは票が割れたとの意見もありますが、「ひとそれ」も全然負けず劣らずのクオリティだったとは思います。世に与えたインパクトも大きかったです。ちなみにJ=Jが楽曲大賞で1位を獲得したのは、デビュー当初の「ロマンスの途中」と「イジワルしないで抱きしめてよ」以来でした。

やなみんやゆかにゃの卒業というちょっと寂しいイベントがありながらも、この時期のJ=Jは全く別のベクトルにおいて新たな可能性を感じさせてくれました。グループとして初の卒業というタイミングで、こういう前向きな風が吹いてくれたのは非常に運が良かったと思いますし、ようやくJ=Jの素晴らしさが色んなところに届いてくれてヲタクの私も嬉しかったです。

ちなみに「微炭酸」と「ひとそれ」については楽曲レビューも行っていますので、よろしければ。

 

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そして長くなりますが、この「ひとそれ」祭りの後、ゆかにゃの卒業と入れ代わるような感じで工藤由愛ちゃんと松永里愛ちゃんがハロプロ研修からJ=Jへの加入が決まりました。この2人、2019年5月の研修生公開実力診断テストで「ダンス賞」と「ベストパフォーマンス賞」を受賞しており、それから1か月後にはJ=Jへの加入が発表されているんです。私はあまりハロプロ研修生を追っていないので、「へぇ、そんな子がいたんだ」というくらいだったのですが、加入を本人たちに知らせる動画では早くも個性的な反応を見せる2人が見られてわくわくしたのを覚えています。

 

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鳴り物入りでの加入という噂は聞いていたので、さっそくステージが楽しみだったのですが、ひとまずは「ひとそれ New Vocal Ver.」で披露された歌声を聴いて、「加入約半年でこれなら相当いいぞ!」と思わせてくれました。そして、何と言っても国立代々木競技場第一体育館で開催された「octpic!」というコンサート。私これが大好きでして。ちなみにJ=Jのコンサートでは5人時代に達成された初武道館の「LIVE MISSION FINAL」も感動的でしたし、個人的には2018年の「TRAIANGROOOVE」も大好きです。

そして、この「octopic!」で松永里愛ちゃんを推すことに決めました。新人なのに物怖じせず、ステージを目一杯楽しむ大物感にまずは魅せられました。かれこれ2年以上経ちますが、里愛ちゃんを追い続けて2年間全く退屈しませんでしたし、この2年での変貌っぷりには驚かされるものがあります。と、ちょっと個人的な話が続きましたね。戻します。

が、とりあえずこの「octopic!」は結構評判も良いようで、ここで披露された「プラトニック・プラネット」や「Va-Va-Voom」といった新曲はなかなかシングルカットされなかったものの良曲で、今やJ=Jのライブでは欠かせない楽曲となっています。ともかくこの大きな会場でのライブは新人・新曲・新体制(金澤朋子リーダー)という新しい事づくめだったわけですが、成功どころか新境地をヲタクたちに予感させた非常に重要なライブになったと思います。まさに変革が始まったという印象がありました。

ここまでが「ひとそれ期」としてまとめさせていただきたい内容になります。本当は「好きって言ってよ」までまとめると「山崎あおい3部作」として収まりが良いのでしょうが、どうしても活動の内容を振り返るとここで一旦区切った方が良さそうです。というわけで、「ひとそれ期」はグループとして初の卒業から始まったものの、新風「まなかん」をきっかけとしたJ-POP的な素晴らしい楽曲たちに引っ張られ、大型新人の加入、大きな会場でのライブ成功などポイントポイントで強い印象を残した期間でありました。まさに新時代の到来を思わせつつ、エリート集団のJ=Jにさらなる箔がついたワクワクの止まらない時期でしたね!

 

【シャボンディ期(修行)】 ~苦難と希望~

国立代々木競技場第一体育館でのコンサート「octopic!」を成功させ、これからの未来に大きな期待を抱かせてくれたJ=Jでしたが、ここから苦難が待ち受けております。世界的に新型コロナウイルスが大流行し、コンサートが相次いで中止。また、中心メンバーの卒業が重なり、グループとしては大きな危機が訪れることとなりました。この時期について何か良い言葉はないかと数時間悩み続けた結果、漫画ワンピースより「2年後に!シャボンディ諸島で!」という言葉がふと浮かび、そのまま使わせていただくことにしました(あんまりワンピースは詳しくないんですが笑)。

だいぶ血迷っている感がありますが、コロナに卒業とちょっと悲しい感じの名前にしたくなくて、前向きな意味での修業期間としてふさわしい名前を探した結果、これにしてみました。別に「精神と時の部屋」期でも「自来也と行脚」期でも何でもよかったんですが、それでも一番語呂が良さそうだったので…

まず苦難の一つ目としては、これまでグループの中心(と言っても過言でない)で活躍し続けてきた宮本佳林ちゃんの卒業発表です。「octpic!」の数か月前にはグループで活動しながらも東名阪のソロツアーを行っていた佳林ちゃん。そこでの輝きには素晴らしいものがありましたが、ある意味ではこのソロツアーがグループの卒業とソロアイドルとしての活動開始の試金石のようなものになっていたのでしょうね。

 

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ライブレポートも書かせていただきました。もしよろしければ参考にしていただければと思います。

正直佳林ちゃんの卒業は、個人的にはJ=Jの核がいなくなってしまうというイメージが強かったです。というのも、グループ結成当初から佳林ちゃんは他のメンバーに比べて既にネームバリューがあったのは事実でしょうし、ハロプロ研修生歴も長く、「アイドルとはこういうもの」を周囲のメンバーに浸透させる役割を担っていたようにも思います。この時のJ=Jは既に歌割も結構流動的にしていましたし、「誰がどのパートを歌っても素晴らしいよね」というのは1つのグループの売りにもなっていました。が、そうは言っても、最もアイドルらしく、高い質でパフォーマンスをしていたのは宮本佳林ちゃんだったように私は思っています。高橋愛さん、田中れいなさん、鈴木愛理ちゃん、鞘師里保ちゃん…そういったいわゆるセンター的な扱いを受けて来た人たちに近いものを佳林ちゃんは確立していたように思います(まぁ、私は佳林ちゃん推しなので、幾分かそういうバイアスも働いているとお考え下さい…)。

そんなわけで「佳林ちゃんがいなくなったらどうなるんだろう…?」という不安がありつつも、「でも『octopic!』は素晴らしかったし、J=Jならきっと大丈夫だろう!むしろ佳林ちゃんがという大きな存在がいなくなった後にグループがどうなっていくのか楽しみにしよう!」という前向きな気持ちもありました。当時の気持ちは佳林ちゃん卒業発表の記事に書いているので、よろしければ読んでください。

 

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そして、少しずつコロナの影が色を濃くしだし、世界全体が不安を抱える中で山崎あおいさん3部作の3作目「好きって言ってよ」が発表されます。この「好きって言ってよ」はハロプロ楽曲の中でもトップレベルで好きな曲になりました。

そして、この山崎あおいさん3部作の意味について、ようやく私は理解できたのです。楽曲のレビューでも書かせていただきましたが、この王道J-POP的な楽曲たちは、実はスキルを磨きまくったJ=Jにとってはその良さを存分に発揮するのに最も適していたわけです。誰が歌っても「上手い!」と思わせてくれて、誰が画面に抜かれても「可愛い!美しい!」と思わせてくれるJ=Jのような高品質グループにとっては、もはや初期の頃のような特別な楽曲コンセプトは必要なかったのですね。むしろ王道の楽曲であることが、J=Jにとっては他のアイドルやアーティストとの差別化をするには最も効果的だったのです。

 

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楽曲としてのクオリティもさることながら、やはりこの楽曲を完璧に表現しきるJ=Jメンバーに私は改めて惚れ直しました。

ところで、とっても正直なことを言うと、私はそれなりに音楽が好きなのですが、基本的にはアイドル楽曲とそれ以外の楽曲を結構区別して聴いています。そして、そのアイドル楽曲の中でもハロプロ楽曲はまた少し区別した位置に置いています。なぜならハロプロ楽曲は独特の音楽性を持っているため、例えばtoeの「Commit Ballad」を聴いた後に、℃-uteの「まっさらブルージーンズ」が流れてきたら困ってしまうわけです。そんなわけで、ハロプロ楽曲は私が普段聴いているプレイリストの中に組み込まれることはほぼありません。

が、そんなハロプロ楽曲にあってこの「好きって言ってよ」は普段聴きしている個人的に重要視しているプレイリストにも入り込んでくるほど好きなんですよね。特に「アイドル楽曲選抜」の中にも、最後の曲として入れさせていただいているほどです。

 

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と、そんな感じでJ=Jは楽曲・パフォーマンスともに質を高めていきます。しかしながら、その一方で新型コロナウイルスの猛威はハンパじゃなく、ハロプロ関連のコンサートもついに中止せざるを得ない事態にまで追い込まれてしましました。新メンバーとして即戦力として元こぶしファクトリー井上玲音ちゃんも入って来たのに、J=Jとして活動ができないまま月日が過ぎ去っていきます。そんな中で「好きって言ってよ」と同CDに収録された「ポップミュージック」は、BEYOOOOONDSの「ビタミンME」と並んで、コロナ禍に元気を与えた楽曲として、救われた人も多いのではないのでしょうか。

 

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2020年度は何も見通しが立たず、6月に予定されていた佳林ちゃんの卒業コンサートも延期となってしまいます。が、ここでハロプロは何とか活路を見出すべく、往年の名曲をカバーするコンサートを始動させます。感染防止を図るために、声援が起きないようにどちらかと言えばしっとりと聴かせるバラードを中心に、ハロプロ楽曲ではなく、誰もが知っている名曲をメンバーにカバーさせます。しかも、1人歌唱です。グループも一旦その垣根を取り払い、それぞれのグループのファンが参加しやすいように、ハロプロメンバー全体を3つほどのチームに分けて公演を組みました。当然、感染対策も万全です。その感染対策の万全さと工夫されたコンサートの内容はニュースにも取り上げられたほどで、ハロプロが基本的にメンバーの真摯なパフォーマンスやその成長を楽しむコンテンツであることが功を奏しました。

 

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ほぼ同時期にはスカパーで「ソロフェス!」という企画も行われ、こちらも感染対策として1人ずつのパフォーマンスだったのですが、観客なしで1人ひとりがセルフプロデュースでハロプロ楽曲を披露するというかなり攻めた内容でした。が、メンバー個人の発想力や、ある意味ではかくし芸大会的なノリもあり、閉塞感漂うコロナ禍にあってとても刺激や元気を貰った企画でしたね。

これらの個々人のパフォーマンス力が求められる企画はその後も一定期間続けられ、まさにこのことがワンピースの「シャボンディ諸島に2年後集結するまでの修業期間」という感じがしたわけです。

そんな活動の中でJ=Jは目立たなくとも、バラバラになった中で1つの個性を見せつけることになりました。それはシンプルなパフォーマンス力の高さです。企画力の高さや自己プロデュース力という面では、他のグループのメンバーが目を惹くところもあったと思います。特にソロフェスでは娘。の石田亜佑美ちゃんや、アンジュルム川村文乃ちゃんがみんなの印象には残っているんじゃないでしょうか。一方でJ=Jのメンバーはあまり凝った演出を入れることなく、シンプルに歌って踊るようなステージが多かったと思います(工藤由愛ちゃんはタコをステージに散りばめていたりしましたが笑)。特にソロフェスでもカバーコンサートでも、金澤朋子ちゃんの歌唱力は異次元で、度肝を抜かれましたね。段原瑠々ちゃんや井上玲音ちゃんもその歌唱力で注目されたように思います。

そういったソロでステージに立つ機会の中で、メンバーは着実に力をつけていました。そして、それを思い知らせることになったのが、2020年12月にようやく開催された宮本佳林ちゃんの卒業コンサートでした。

 

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ソロステージ系の企画ではもともと歌唱力に定評のあった金朋、さゆきちゃん、るるちゃん、れいれいに注目していましたが、このコンサートでは主にまなかんや里愛ちゃんの成長に目を惹かれましたね。1年近くグループでパフォーマンスする姿をちゃんと見られていなかったので、久しぶりに見られたということも含め、「やっぱりJ=Jって素晴らしいグループだ!」と思わせてくれました。中でも卒業する佳林ちゃんとメンバー1人ひとりがデュエットしていくという演出はーまろ卒コンの時から好きですがーソロ企画で鍛えてきたものを1人ひとりから感じられてとても感動しましたね。中でも里愛ちゃんの「背伸び」は度肝を抜かれました。

佳林ちゃんも無事有終の美を飾り、そこからの活動ではまなかんが佳林ちゃんパートを引き継ぐことが多くなりつつ、パート割も変化していく中で、J=Jはまた少しずつ新しく進化していくんだなという予感を感じさせてくれていました。が、そんなときにさゆきちゃんが熱愛とコロナ禍の外出という報道をされて、ほぼ即日活動終了という事態になってしまいました。

 

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このことについてはあまり小難しいことは言いたくないので当時私が書いた記事を参照していただければと思います。

アイドルとして核を担っていた佳林ちゃんと、歌唱面で絶大な信頼が置かれていたさゆきちゃん。この2人の卒業はそれまでのJ=Jを大きく変えることになりました。ゆかにゃが卒業してからも、どこかオリジナルメンバーがあってのJ=Jという印象があったものの、この盟友2人の連続卒業によってもはやJ=JはそれまでのJ=Jではなくなりました。パフォーマンスレベルという面でも危機感があったのは事実でしょう。

しかしながら、ここで素晴らしいことが起こります。佳林ちゃんパートを多く引き継いだことによるまなかんと、ようやくJ=Jでのパフォーマンスに慣れ出したれいれいの覚醒です。この他グループからの移籍組の2人のパフォーマンスレベルが如実に向上したことでJ=Jは全く以って新しい構造を持つグループに生まれ変わりました。

 

ここまでを「シャボンディ期」としてみます。コロナと主要メンバーの卒業によって一時は危機にさらされたJ=Jでしたが、追加メンバーの活躍によってこの危機を難なく脱します。そのためにはソロステージ系企画を乗り越える中で得られたメンバーの成長が不可欠でした。図らずも新陳代謝によって、全く新しいグループへと変化していく、できればこのまま成長を見守っていきたいと思わせてくれる時期でした。

そして、更なる新メンバーの追加により、グループの構造自体が変化していく…その前夜的なところで一旦の区切りとしたいと思います。

 

【シティポップ期(転生)】 ~個性の尊重こそがコンセプト~

さて、ここからがまた面白くなってきたJ=Jです。オリジナルメンバーの残りが金朋とあーりーの2人だけになりました。そして、それとともに新メンバー3人が加入することになります。有澤一華ちゃん、入江里咲ちゃん、江端姫咲ちゃんです。3人のキャラクターはまだ私自身見極めかねている部分がありますが、ざっくり一面で語ると天然・素人・美形という感じになりましょうか。我ながらかなり乱暴な紹介ですね(笑)

しかし、ここで私が興味を惹かれているのがメンバーの層構造なのです。

 

1.オリメン(金朋、あーりー)

2.お姉さんチーム(まなかん、るるちゃん、れいれい)

3.ゆめりあい(ゆめちゃん、里愛ちゃん)

4.3flower(一華ちゃん、里咲ちゃん、姫咲ちゃん)

 

これ、結構究極のバランスな気がしています。今まではどうしてもJ=Jというとメインはオリジナルメンバーで、追加メンバーは腕や脚や羽といったイメージがあったように思います。しかしながら、今は良い塩梅でオリメンの担う部分が小さくなり、その分グループの親和度が増して、混ざりが良くなった印象があります。素晴らしいミルフィーユ構造です。

この記事を書いている2022年2月現在では金朋は卒業しているものの、3flower(新人3人)がよりグループに馴染み出して、より良い調和が生まれています。パフォーマンスの面で言えば、少しだけ3flowerの3人には失礼になりますが、金朋卒コンのオリメン・お姉さんチーム・ゆめりあいの完成度がかなり高く、私的にはどストライクでした。これから3flowerも実力をつけてくれるでしょうから、そうなると未来が楽しみでなりません。現にちょっと前まで新人だったゆめりあいも今では完全にグループの重要な位置を占めているわけですしね。

このゆめりあいの成長がJ=Jというグループを底上げしていることは間違いないですが、それ以上に私は「2.お姉さんチーム」にとてつもない美しさを感じております。

まずパフォーマンスの面で言えば、前章でもお話した通り、まなかんが元々の武器だったダンスに加えて、歌唱力がとんでもなく上昇したことが1つ挙げられます。重要なパートを諸先輩方から引き継ぎ、フェイクなども素晴らしい完成度で披露しています。ただでさえ、踊って良し、喋って良し、ビジュアル良しで最強だったまなかんが、歌っても最高!ということになり、ちょっとした無双モードに入った感があります。

そして、パフォーマンスと言えば、れいれいのJ=J的歌唱の習得なども挙げられるかもしれません。正直なところ、佳林ちゃん卒コン頃のれいれいは歌が上手いものの、何となくJ=Jの楽曲を歌いにくそうにしている感が見受けられたようにも思います。こぶしファクトリーとは真逆と言っても良いようなグループの雰囲気があるJ=Jなので「そりゃそうだ」と思うわけですが、それがここ最近はかなりJ=Jの楽曲でも伸び伸び歌えているような印象です。

るるちゃんは相変わらず凄い!そしてまなかんもかなり良くなってる!…って、れいれいもなんかすごい良いじゃん!なお姉さんチームが素敵過ぎるんですよね。そして、そんなお姉さんチーム3人はまた経歴が3人とも異なっているのがまたとても素敵なんです。

るるちゃんはハロプロ研修生からのデビューで苦戦した過去を持ち、れいれいはこぶしファクトリーの解散に伴い、唯一ハロプロに残ってくれた子です。そして、まなかんは中でも随一の複雑な過去を持ち、その複雑さから決して良いとは言えない噂も流れたりしていました。しかしながら、みんなそういった過去を何とか克服して、今こうしてJ=Jというグループで素晴らしい活躍を見せています。そんな本人たちの頑張りと、実力でねじ伏せて来た感じが堪らなくカッコいいんです。特徴的な経験をしてきた3人だからこそわかり合えているような雰囲気もあって、それが尊いですよね。

しかし、実はこれって初代リーダーの宮崎由加ちゃんの頃からのマインドセットの成果だと思うんです。ずっと5人グループでいくと思っていたJ=Jに追加メンバーが加入すると決まったとき、「いつの時代のJ=Jも最高と思ってもらえるように」と気持ちを広く、暖かく持とうと努力した過去がこのグループにはあります。当時J=Jはオリメン5人の完成度の高さを評価されており、そこに新人としてるるちゃん、そして兼任メンバーとしてやなみんが追加加入すると決まったときは、きっとオリメン5人だけでなく、追加メンバーの2人も相当なプレッシャーがあったと思います。しかしながら、オリメン5人はゆかにゃを筆頭に、そういった不安を抱かせないようにしようと努めて温かい対応をしていました。これって、新メンバーにとってはとてもありがいことだったんじゃないかと思います。

そして、そういう経験をしてきたグループだからこそ、まなかんが復活する時にJ=Jというグループが選ばれたのだと思います。加えて、そのようにして別グループとして復帰したまなかんが上手くやっているまなかんがいたからこそ、れいれいもJ=Jに加入することになったのでしょう。これって組織としてとても素晴らしい循環だと思うんです。どんな経歴だろうと、どんな人物だろうと、真摯にアイドルやパフォーマンスに向き合おうという気持ちさえあれば、J=Jというグループは温かく迎え入れる。その哲学はきっとお姉さんチームには強く引き継がれたことでしょうし、だからこそJ=Jはハロプロの中でも随一の大人で温かい雰囲気に包まれたグループになったのだと思います。

こんな素敵な人間性や組織哲学を持ったグループなら私だって入りたいくらいです(笑)

J=Jは比較的個性が爆発している…という風には見られないグループだと私は認識しています。個性が爆発していると言えば真っ先にアンジュルム、娘。などもそういう感じがしますね。しかしながら、個性や人格を尊重し、温かい気持ちで互いを認め合えるという部分ではJ=Jは随一のグループなんじゃないでしょうか。それがグループの雰囲気の良さにも繋がっていると思います。そして、基本的にはメンバー全員がパフォーマンスに対して真摯に向き合っており、ある意味ではそれがグループの強いコンセプトとして浸透している気がします。オリメンから続く、このパフォーマンスに対しての向き合い方があるからこそ、そこさえ押さえていれば誰でもJ=Jのメンバーとして認められる。そんな信頼関係がとても素敵ですよね!

そして、遅ればせながら今現在を含むこの時代を「シティポップ期」とした理由は、わかりやすく「DOWN TOWN」や「プラスティック・ラブ」といったシティポップの名曲をカバーしているからですね。確かにシティポップがまた流行り出しているという時代的な背景がありますが、それをきちんと歌いこなせるJ=Jがいるからこそ、こういった企画も通せるのでしょう。シティポップのちょっと気怠く大人っぽくて、どこか心がじんわりと温まるような雰囲気は、ここまで話して来たJ=Jのグループ像と親和性が高いように思います。

 

【まとめ】

・ひとそれ期:王道J-POPで新規ファンを獲得しながら、メンバーの卒業を乗り切る。

・シャボンディ期:新型コロナや中心メンバーの卒業を耐え忍び、スキルを磨く。

・シティポップ期:役割が横並びになり、個性の混ざりが良くなる。

 

特に今回の記事を書くにあたっては、最後のシティポップ期(2022年2月現在)のJ=Jが本当に好きだということが挙げられます。というのも、少し私の個人的なことが絡むのですが、私は前の職場で体調を崩してしまって、直属の上司ともどうしても上手く付き合うことができず、別の部署に異動させてもらったんですよね。なので、どうしても違うグループから移籍してきたまなかんやれいれいには思い入れが生まれてしまうんです。そして、そんな2人が今のJ=Jで後輩たちを引っ張っていくような立場になり、実力もどんどん磨いてファンからも認められているという現状がまるで自分のことのように嬉しいのです。

しかし、そういう風になれたのは、もちろん本人たちの頑張りも多分にあったと思うのですが、それと同じくらい大事なのがグループの雰囲気だと思うんです。特定のメンバーを持ち上げて他を下げるという意味には取らないでいただきたいのですが、この点で言えば私の中では宮崎由加ちゃんと宮本佳林ちゃんの功績がとても大きいように思っています。

ゆかにゃは初めて新メンバーが加入するとなったとき、誰よりも先に強い気持ちで新メンバー加入を歓迎しました。そこには自分自身がJ=J結成当初に色々と引け目のようなものを感じていた過去があったからかもしれません。研修生にして「ハロプロの最終兵器」と呼ばれていた佳林ちゃんと同じグループ、しかもほかにも有望な研修生がいる中で、まだまだパフォーマンスに自信がない自分が選ばれたということ。そして、実際に歌唱パートが増えるまでにはそれなりの年月がかかりました。最初のうちは自分の居場所を見つけるのに苦労したのではないかと思います。そして、そんな自分がグループのリーダーをしている、という事実も結構大変だったんではないでしょうか。そういう過去があるからこそ、追加メンバーなんて考えられなかった当時の5人体制に入って来る新メンバーに対してとても優しい気持ちになれたのだと思います。そして、そのようなメンバーを包み込むような深い愛情はJ=Jメンバー全員から感じるものになっています。

佳林ちゃんは5人時代から、とにかくパフォーマンスに大きな価値を置いて活動していました。パフォーマンスを通じてファンと信頼関係を築きたいという考え方は今でもJ=Jのコンセプトになっているように思います。このような明確なコンセプトがあるからこそ、経歴などに関係なく、とにかくパフォーマンスに対して真摯であればOK!という雰囲気が醸成できていったように思います。ハロヲタは基本的に優しいですが、中でもJ=Jヲタは特に平和な雰囲気があるように思っています。まなかんが加入する時も割と純粋に「ダンスの上手なまなかんが入って来たら、より最高じゃん!」となったように思いますし、れいれいが加入する時も「よっしゃ!れいれい取ったぞ!」という感じが強かったですよね。これにはるるちゃん加入の経験が大きく影響しているように思います。「Fiesta!Fiesta!」でるるちゃんが情熱を解き放った瞬間に「加入してくれてよかった!」と強く実感した過去があるからこそ、純粋に戦力の増強がJ=Jファミリーにとっては嬉しいことになりました。なので、ちょっと現金だなぁという感じもあるかもしれませんが、実力診断テストで結果を残したゆめりあいが加入した時もとても喜んでいた気がします。

直近で加入した3flowerは、バイオリンや英語や天然キャラといった飛び道具を持つ一華ちゃん、一般から加入して来て結成当時のゆかあーりーのような感じを彷彿とさせる里咲ちゃん、そしてとびっきり可愛い顔面と天真爛漫な感じのある姫咲ちゃん、という単純なパフォーマンススキルだけでは選ばれていないであろう人選でした。しかし、このような人選ができるほど、オリメン・お姉さんチーム・ゆめりあいのスキルが完成されているという現状があるのです。そしてそんな高品質な先輩たちに囲まれて、個性溢れた3人がどのように成長していくのか、それが楽しみで仕方ありません。

誰でも受け入れるという温かい雰囲気、そして確かなパフォーマンス力があるからこそ、J=Jは安心して応援できるグループですし、とても癒されるのです。

繰り返しますが、こんな組織ってほんと素敵だと思います。マインドとスキルの充実。これが充実しているって素晴らしいです。

これからのJ=Jにも期待ですね!