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音楽や小説など

適応障害と診断されまして… vol.71

適応障害と診断されて461日目(2022年1月18日)にこの記事を書き始めています。

前回の適応障害記事を書いたのが2021年8月17日で、復職から1か月程度経ったころでしたね。「治った!」宣言もしてしまったので、もう書くこともないかなぁと思っていたのですが、何となく日記的なものが書きたくなってしまいました。普通の日記として書くのもありかと思ったのですが、実のところまだ通院したり、この間はまた具合が悪くなったりしたので「適応障害シリーズ」で書くことにしました。

気がつけば適応障害と診断されて1年が経っていました。長いようで短い1年でしたが、1年前の状態と比べればだいぶマシになったような気がします。公園の鳩並みの低空飛行でありながら、何とか会社にも通えているのでとりあえずはよくやっていると自分を褒めてあげましょう。

 

前回

eishiminato.hatenablog.com

 

1.2021年8月~10月

あまりきちんとは思い出せないのですが、8月はお盆があったおかげで体力を保ちつつ何とか切り抜けられたように思います。もちろん休み明けは気分が落ち込んだように思いますが(笑)。9月、10月は多少浮き沈みしながらも、週末には人と会ったりして刺激とリフレッシュを享受することができていたと思います。ただ、仲のとても良い会社の先輩に合コン的なものに連れて行ってもらい、そこでかなり気持ちが落ち込み、久しぶりにロープを手に取ってしまいました。酔っ払った勢いで首を通してみたりもしましたが、「やっぱ死ねないよな~」とちゃんと恐怖を感じられるくらいにはパニックではなかったようです。本当に自殺未遂した時は、恐怖をねじ伏せるほどの強い希死念慮があったわけですが、今回はそこまで真剣には死にたいと思えませんでした。

しかし、その合コン(や日頃の仕事や何やら)でかなり痛手を負ったのは事実です。誰かに何かを言われたわけではないのですが、そこに集まった人たちのこと(特に先輩を除く男の人たち)が全く好きになれず、終始この世界の醜さを見せられているような気分でした。彼らの考えていること、彼らの当たり前、それらが全て自分には仕様も無いものに思え、「やはりこの世界はクソの掃き溜めだ」と落ち込んでしまったわけです。ただでさえ日々生きていくのに苦労しているのに、そんな風にして生きている世界の正体はコレか。もうこんな世の中からはおさらばしたい。と、お酒の効果も相まってややドラマチックなモードに入ってしまったわけです。

冷静になれば、彼らの世界と私の世界は全くの別物であるわけですし、彼らは彼ら、私は私、という具合に割り切って考えれば良いのであって、なんら私が落ち込む必要はないのです。もっと思慮深くなれば、彼らも彼らなりの苦しみの中で生きているのだから、それに愛を持って接するべきだと思えるはずです。それが正当であって、彼らに向けた憎しみを「人を呪わば穴二つ」的に自分に跳ね返してみるなんて馬鹿のすることです。でも、そんな風に感情を統制してばかりもいられないのが人間であり、受けた刺激の度合いと自分の敏感さ、疲労度によって統制できる限界も決まってきます。

だから単にその出来事はその時の私にとっては限界を超えた刺激であったのでしょう。そこから学んだことは、嫌なものには極力関わらない、関わってしまったときはきちんとケアをする、そして深刻にならないということです。病気になるまでの私はどちらかと言えば、死ぬための理由を増やすために、そういう嫌な機会には積極的に参加して「やっぱりこの世界はクソだ」と思うようにしていた気がします。でも、今の私はもうそういうことをやめようと思っているので、ちゃんと「逃げる」「ケアする」「暢気に」という方向に持っていこうと思っています。まだまだうまくできませんが、そんなことを改めて心に誓った出来事でもありました。

 

2.2021年11月~12月上旬

この期間は私にとって試練であるとともに、記念碑的に楽しい時間でもありました。

10月頃までは上述の通り、嫌なことなどあったにせよ、それなりに人と関わり合いながら会社にも馴染みつつ、心身の調子もほんの少しずつ上向いている時期でした。しかし、その一方で体調の良さにかまけて、残業を増やし、睡眠時間を減らし、受ける刺激を増やしながらケアを蔑ろにしていった時期でもありました。そして、少しずつ自分の中に疲れが溜まっていっていることを自覚し始めたのがちょうどこの11月頃です。

しかし、疲れが溜まっているとは言え、無意識下で「少しずつ良くなりたい」という考えがあるのか「生活リズムを戻して、体調を整えよう」という風には考えられませんでした。何となく会社からも「よし段々慣れて来たな。仕事ももっと頑張ってもらおう」みたいに思われているんじゃないかという気がしてもいました。そういうわけで、何となく何もない日を作ってみても「こんなんじゃダメなんじゃないか…?」というような得も言えぬ漠然とした焦燥感みたいなのがあったりして、結果的に私は予定を入れまくりました。この現象は同じように休職していた同期もあったようです。

というわけで、11月から12月上旬にかけて3つのライブに行ってきました。

・11月13日 yonawo @仙台Rensa(宮城県

11月21日 abura-derabu-2021 @USEN STUDIO COAST(新木場)

・12月05日 WWW & WWW X Anniversaries - No Buses × TENDOUJI(渋谷)

仙台のyonawoのライブは、ついでに牛タン食べたり、立石寺まで観光に行ったり、なかなかハードな旅行という感じでした。yonawoのライブは初参戦。椅子に座りながら楽しめる素敵な雰囲気のライブでした。メンバーみんなも緩く、温かい感じで、旅行の疲れも相まってほわ~と包み込まれるような感じです。終盤には、大好きな「矜羯羅がる」と「ijo」が立て続けに演奏され感動しました。

そして何と言っても、楽しかったのは「abura-derabu-2021」

人生で1番楽しかったライブと言っても過言ではありません。トリを飾ったToeは大学の頃から大好きなバンドだったのですが、なかなかライブに行けないままライブ映像を何回も繰り返し観るだけの10年近くを過ごしてきました。なので、やっと念願のToeのライブを生で体感することができ、本当に最高でした。いま思い出しても楽しかったですね~しみじみ。このToeのライブはそれだけでライブレポートを書きたい気持ちでいっぱいですが、ライブレポートが書けないほどに楽しむのを優先できた演奏でした…という言葉だけ残しておきたいと思います。

STUDIO COASTも初めて行きましたが素晴らしいライブハウスでしたし、その他の出演者も素晴らしかったです。個人的にはGEZANが良く、このライブを機にアルバムも買ってしまいました。フェスに参加しているお客さんもみんな音楽が好きそうで、音楽を純粋に楽しんでおり、合コンの時とは真逆の素敵な連帯感・親密感を感じることができました。もしかしたらちゃんと話せばあの合コンの場にも、このフェスを楽しめる人がいたかもしれないな~と思うと、何とも言えない気分になります。

TENDOUJIとNo Busesの対バンもなかなか良かったです。TENDOUJIは初めましてで、No Buses目当てで参加させていただきました。ライブの盛り上げ方などはTENDOUJIの方が熟練している感じがありましたが、やはりNo Busesの楽曲センスには脱帽ですね。どの曲も素晴らしかったですが、「Imagine Siblings」はどの曲とも雰囲気が異なっており、怪しく内省的で本当に素敵でした。生でこの曲を聴けただけで行った甲斐がありましたね。

と、そんな楽しいライブ以外にも休日には人と会う予定を入れたり、かなり活動的な11月でした。が、実はここで結構な疲れを溜め込んでいたんですね。。。

abura-derabu-2021のおかげで気分的にはかなり高揚しており、幸福感はあったわけですが、心身共にへとへとな状態だったとは思います。

 

3.2021年12月~2022年1月

そしていよいよ問題の時期に入ります。

疲れを溜めながらも年末に入り、ここで私は会社でとある仕事を1つ頼まれます。その仕事は別段難しい仕事ではないのですが、会社間の契約に関わるかなり煩雑かつ締切が細かく決められている仕事でした。やり方を知っていれば手順通りやるだけなのですが、会社内での制度や書類の作り方などが細かく決められており、人に1から全て教えてもらわなければできない類の仕事でした。これが非常に私の心を消耗させたように思います。本当にたいした仕事ではないのですが、とにかく締切にハラハラしたり、先輩に何度もお伺いを立てたり、と疲れてしまう部分がありました。

それに合わせて、年末ならではの「今日まで!」みたいな仕事が急に降って来たりと仕事場もどこかせかせかしたような雰囲気があり、それにもつられてしまったように思います。

さらに同期との飲み会、先輩との飲み会、偉い人との飲み会などに参加し、それぞれから意識の高い話や、「自分はこれだけ苦労している」みたいな話を聞かされ、「あぁ、自分はぜんぜんできていないなぁ。体調を保つのすらうまくできていないよ…」という気持ちになっていきました。

そしてそして、これは嬉しいことなのだとは思いますが、恋人ができまして、その相手に対して「あぁ、つまんなそうな顔してる」とか「嫌われないようにするにはどうしたら」というような悩みも増えていきました。

というわけで、12月22日。前日から頭痛はあったものの、急に熱が出始めて会社を1日休んでしまいました(コロナではありませんでした)。以前にも疲れが溜まったときに熱が出たときがあったので、今回もそれだったのでしょう。翌日の23日は何とかテレワークをだらだらやって凌いだものの、24日は午前中から涙が止まらず、フレックスを使って午後2時には年内の仕事を切り上げて年末年始休みに突入しました。

この24日は本当に久しぶりにヤバく、お酒を飲んでもいないのに希死念慮が強く湧いてきました。ただ何とかロープに手を伸ばすことを頭から払い除け、とにかく眠りに眠りました。年末年始は実家に帰省して、実家でも眠りに眠り、とにかく溜め込んだ疲労が回復するのを待ちました。

しかしながら12月25日~1月4日というかなり長いお休みの間にも体調は戻り切らず、年始から頭痛と吐気、疲労感を抱えながらほぼほぼ定時退社を繰り返し、現在に至ります。あまりにもしんどかったので、上司には体調が優れない旨を伝えており、それを免罪符にして今はゆったりとした生活を送っています。睡眠時間をきちんと取り、散歩を増やし、規則正しい生活を意識しております。まだ頭痛や吐気は取れませんが、気持ち的には少しずつ落ち着いてきたように思います。

薬も11月頃にはほぼほぼ飲まなくなっていた(お医者には内緒で勝手に計画的な減薬をしていました…笑)のですが、またちゃんと飲み始め、カウンセリングにも行きました。土日のどちらかは予定を入れない休養日として確保しています。一度大きく崩れてしまったので、今は体調を戻すことが最優先と割り切ることができ、11月頃のような焦燥感も今はあまりありません。

12月、1月と文学部卒の友達と会って、読みたい本や観たい映画が増えたのも、今のゆるりとした生活が充実していると感じられる理由の1つかもしれません。

そんなわけで酷かった時期は通り越して、今は安定していますが、低空飛行な日々を続けております。

 

4.年末年始にかけて触れた作品

というわけで、体調の事をつらつらと書いてきましたが、ここからが本当に私が書きたかったことになります。つまり、年末年始から最近までにかけて色々読んだり、観たりしたのでそれをここに記録として残しておきたいと思います。あぁ、これがやりたかった!

とにかく疲れていて、1日に10時間くらい暗い部屋で眠ったり、横になったりを繰り返すだけの年末年始でしたが、さすがに起きている時間にはどうにかして時間を潰す必要があります。そしてちょうどよく、年末には文学好きの友達とも会って色々と情報交換をしたり、刺激を受けたりしました。そういうわけで今回の年末年始はいつも以上に文化的なものになりました。

書籍

車輪の下ヘルマン・ヘッセ

 こちらは村上春樹の「ノルウェイの森」で町の小さな書店の娘である小林緑の家で主人公のワタナベが読んだ本ということで昔から気になっていました。年末に友人と会ったときにも当然お互いが好きな村上春樹の話になり、一緒に行った書店でついつい衝動買いしてしまいました。

 主人公のハンスは、年齢が10歳かそこらという感じでしょうか。田舎町で生まれ育ち、そこでは町一番の優秀、有望な子供ということで大人たちから過度に期待され、徹底的な教育を受けて州立の神学校へ入学しました。当時の田舎の一般的な家庭から一段階上流の階級に行くためには、そうやって学費の安い神学校に己の学力で入学するよりほかなかったようです。このハンスという主人公は作者のヘルマン・ヘッセ自身が投影されているそうで、本来は自然が大好きなただの純朴な子供でした。しかしながら、大人たちから課されたもののせいで、次第に勉強中に頭痛がするようになったり、明らかに病弱と見えるような身体つきになっていったり、子供が本来享受すべき自由で無垢な楽しみから隔絶されていきます。ハンス自身、それに対して反発も覚えますが、それとは対照的に功名心や虚栄心というものに絡め捕られ、結局のところ大人の言いなりになって見事神学校への入学を果たします。

 全寮制の神学校に入学してからもハンスは堅実で模範的な生徒として、教師や同級生からもそれなりに認められていました。しかしながら、そこで出会った詩の才能があり、自由奔放なハイルナーとなぜか最も深い友情関係を結ぶことになります。ハイルナーは、作者ヘルマン・ヘッセのもう一つの側面であり、ハンスとハイルナーを足したものがヘルマン・ヘッセの人間像であるという見方が一般的なようですね。ハイルナーは気分の波が激しく、子供らしからぬセンチメンタリズムを持ち、それ故に美しい言葉や物事に敏感でもありました。ハンスは自然を愛する傾向がある一方で、文学的なものやロマンチックなものにはまだ疎く、そういった部分をハイルナーによって徐々に引き出されていきました。

 そこから紆余曲折はあるのですが、結果的に自由奔放で癇癪持ちであるハイルナーは教師に睨まれ、それ故に同級生からも煙たがられ、孤立していき、ハンスだけが心を赦せる相手となっていきます。そんなハンスにもハイルナーは一度見捨てられるわけですが、真面目なハンスは「やっぱりハイルナーを大切にしよう」と再びハイルナーとの関係性を構築します。そうやって結び直された友情関係はより深いものになり、終いにはハイルナーの感性に引きずられて、それまで真面目だったハンスも次第に勉強に身が入らなくなっていきます。校長先生からもハイルナーと関わるなと言われたり、明らかに教師も冷たくなっていったり、そのことでハンスは少しずつノイローゼになっていきます。つまり、ハンスはそれまで真面目であることによって周囲から認められていたから、頭痛や鬱屈とした気持ちにも負けずに何とかやって来れていたわけです。しかし、学校の成績が落ちてしまえば、もう彼の拠り所はありません。ハイルナーと一緒に落ちていくしかないわけです。

 そんなこんなでハンスは体調をとことん崩していく一方で、ハイルナーは学校への恨みから(ハンスと一緒にいることを厳しく禁止されたため)、学校を2,3日抜け出してしまいます。ハイルナーはそのささやかな冒険の後、また学校へ戻って来るのですが、当然学校側はハイルナーを退学に処すしかありません。

 残されたハンスはハイルナーという最後の拠り所すら失って、体調はもう戻らず、結局地元に返されてしまいます。「ゆっくり休んでまた復学しなさい」という名目でしたが、もう戻れないことは体調的にも学力的にも明白でした。ハンスは半年ほど何もせず療養を始めます。その期間には、幼い頃に奪い取られた自由を取り戻すように、大好きな釣りや森の散策に明け暮れました。しかしながら、そこで純粋な楽しみを味わう反面、「自分はそれらを享受すべき時期に剥奪されてきたのだ」という感覚が強く身に沁みます。ハンスはもう心身ともに成長してしまって、それらの遊びをどこか懐かしい、郷愁的なものとしか捉えられなくなっていたわけです。そんなハンスは何度も自殺を考えたわけですが、ずるずるとそれを行動に移せず時だけが過ぎました。その療養機関の中で、初恋のようなものもするのですが、それは結局成就せず、ただ引き出された性的な好奇心や欲望だけが宙をふわふわと舞い、うまくそれを制御することができませんでした。

 半年ほど経って、このままぶらぶらしているわけにもいかないだろうと、町の機械工に弟子入りすることに決めます。そこにはかつての同級生が既に弟子として働いていて、ハンスが弟子入りする数日後にはとりあえず一人前の職人として初任給を貰うことになっていました。かつて見下していた彼に後れを取っているという現状は、ハンスにとって少し堪えることでしたが、それよりもどちらかと言えば不安な社会進出において色々聞ける相手がいる安心感の方が大きいようです。

 実際に働き始めて初日からハンスは社会の生産活動に参加するやりがいのようなものを感じます。しかしながらその一方で彼は初日から疲弊しきってしまい、こんなのが週のうち6日も続くのに酷く恐怖します。もとからあまり丈夫ではないうえに、まだ心身ともに弱っており、周囲の人と同じように働くのは厳しかったわけです。なので、休日くらいゆっくり休んで英気を養いたかったのですが、上述の元同級生の初任給祝いがあるため仕事場の人間と昼から酒を飲みに出掛けることになってしまいました。そこでハンスは初めて酒を飲み、気分を高揚させましたが、しかし夕方頃になって酔い潰れてしまいます。ハンスは先に帰ることになりましたが、その帰り道に彼は川で溺れて死んでしまいます。

 自殺だったのか、自己だったのか、それは小説内で明らかにはされません。しかしながら物語は、その小さな町の信心深い靴屋のフランクおじさんが、ハンスの父に語り掛ける場面で終わります。フランクおじさんは、ハンスに対して色々期待し、そして強いてきたことで彼の心身を損なってしまった責任は私たち町の者、それから父親であるあなたにもあるのだと言います。決して神学校の人たちのせいだけではない、と。

 私個人の感想ですが、この終わりからは、作者のヘルマン・ヘッセが自分自身を救済するために「車輪の下」を描いたのだと想像させられます。太宰治の「人間失格」では、最後にスナックのママが、

「私たちの知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも、……神様みたいないい子でした」

と語って終わりますが、これもある意味では太宰治が自分自身を救済するために用意した言葉のように私には思えます。苦しい記憶というのはたとえそれを現実世界で乗り越えたように思えても、実際には心の中に深く打ち込まれ、その傷はなかなか癒えることはありません。そこから救われるには誰かの助けが必要な場合がほとんどではありますが、なかなか人に助けを求められない人間にとっては、自分で自分を救済するよりほかありません。なので、そういう自分に対する救済を目的として文章を書いたりなんだりする場合もあると思っています。私自身ブログや創作物を書く大半の理由がそれですので、何となくそういう風に考えてしまいがちです。

 そういう意味で、私はこの本をとても好きになりましたし、またもともと読むきっかけになった「ノルウェイの森」で主人公のワタナベによって「いささか古臭いところはあるにせよ、悪くない小説だった」と評されている通り、素敵な小説でした。ヘルマン・ヘッセが生きた時代は私にはちょっとリアリティが無さ過ぎますが、ちょうど川の向こう岸を見る感覚では感じ取れるものがありました。少なくともそういった時代の先に現代があるのだなぁという感じです。そして、そんな頃から人間を抑圧しているのは、直接的には政治や制度ではなくて、周囲の人間によって無言のうちに為される「期待」と自らの歪んだ「虚栄心」なのだと思わされました。

 私が適応障害なんてものになってしまったのにも通ずるところがあるように思いました。私はハンスほどに優秀ではなかったにせよ、幼い頃から親や色々な人間に期待され、それに応えることで自らの虚栄心を満たし生きてきました。その過程では当然のように、ハンスと同じように周囲を見下してきました。そしてそれをただ心の内に思うだけでなく、態度や行動で示してしまうこともありました。それ故に年齢が嵩むにつれて次第に凡庸になっていった私は周囲からの反撃を怖れて、斜に構えた態度を取るようになり、何とか少しでも自分を非凡な人間であるように見せかけ、それによって自己防衛を続けてきました。上手く振舞えなくなってからも周囲の期待に応えようと必死で、おかげで「世の中は、社会は『期待』という視線で私をがんじがらめにしている」と考えるようにまでなってしまいました。こんなに息苦しい世の中じゃ生きていけない、と。そして早く死んでしまいたいと思うようになり、長い年月が経ち、結果的に私は会社の人事異動を機に「頑張って期待に応えなければ…!」が行き過ぎて、適応障害になってしまいました。

 そんな私をもこの「車輪の下」は救済してくれたように思います。もちろん手放しでそれに縋ってはいけないと思っていますが、靴屋のフランクおじさんが「私たち大人の勝手な想いがハンスという素敵な少年を損なってしまったんだ」と言ってくれただけで、とても救われたような気持ちになりました。私もたくさん悪いところ、醜いところもあるけれど、そうしてしまった周囲にも問題はたくさんある。だから、そんなに自分ばかり責めるなと言ってもらえたようで嬉しかったです。

 という感じで、長くなりましたが「車輪の下」を読んでの感想になります。ここからは少しずつテンポを上げていきたいと思います。

コインロッカー・ベイビーズ村上龍

 村上龍さんの作品を読んだのはこれが初めてになります。文学部卒の友人が好きな小説ということで、かねてより何度か話に聞いていましたが、今回は「ようやく」という感じで購入に踏み切ってみました。
 話を要約すると、生まれて間もなくコインロッカーに捨てられた赤ん坊の2人(キクとハシ)がそれぞれに人格上の不具合を背負いながら、グロテスクな現実世界でどうやって生きていくかというものです。ここで描かれる世界は一応日本ということにはなっているものの、退廃的でかなりカオスな、ある意味ではディストピアとも言えるような世界観となっております。新宿には化学物質で汚染された廃棄区画(ここでは狂人や浮浪者が暮らします)があり、売春(異性だけでなく同性も)や違法薬物に溢れています。描写もかなり生々しく、性的なものや人体に関するもの(肉や血)、そして悪意や軽薄さや暴力など、ちょっと気持ち悪くなるくらいでした。
 文体も独特で、人間の取り留めのない思考をそのまま文章化したような、句読点による整理があえて貧弱な癖のあるものでした。上記の生々しい描写と相まって、読んでいて気分が悪くなるので(個人的には)、最初の100ページくらいは結構読むのがしんどかったです。しかし、それにも慣れたころ、話もどんどんと展開していくので続きが気になってあっという間にページが進んでいった感がありますね。
以降、ネタバレを含みます。
 キクとハシは養護施設の時には重度な自閉症に苦しんでいたため、不可思議な音(赤ちゃんが母の胎内で聞く母の心音に近い音)を聞く治療を受けました。そして治療の甲斐もあって徐々に2人は安定していき、今は閉山した炭鉱の島に住む桑山夫妻のもとへと拾われるところから大きく物語が展開していきます。そこでキクは運動(棒高跳び)の才能を見出し、一方でハシはとあることがきっかけで「音」に囚われていきます。ハシはあらゆる「音」を聞き、その中から幼い頃に治療で聞かされた「音」を探すことが目的でしたが、それは後々にハシの歌手としての才能へとなっていきます。

 内気だったハシはその「音」を求め、先に桑山家から家出をして新宿の廃棄区画へとなだれ込みました。キクもその後、ハシを探すために新宿を訪れますが、ついにはハシとの再会も果たすのですが、その頃にはハシはすっかりと変貌していました。ハシは同性愛者になって、男相手に売春をしながら歌手としてデビューすることを夢見ていたのです。そして、2人は再会したもののまたすぐに離ればなれになってしまいます。ハシはその才能ですぐに華やかなデビューを飾りますが、異常な芸能界、そして大変なプレッシャーのかかるコンサートツアーの中でボロボロになっていきます。対して、キクの方はハシを追い続ける一方で幼い頃から感じていた破壊衝動の中に、とある希望を見出します。それは「ダチュラ」という精神錯乱を引き起こし、人間をとんでもなく凶暴化させる危険薬物へと結びついていき、それで新宿という町、いや日本という国を滅ぼしたらどんなにスッキリするだろうかという夢へと変わっていきます。

 そんなようなことがざっくりとした物語の展開になっており、かなりスリリングな内容なので文体に慣れれば結構楽しめると思います。「コインロッカーに捨てられたこと」は様々な場面で色々なメタファーとして登場します。明確に「これだ!」と言えるメッセージのようなものは私には整理できなかったのですが、人間はみな真っ暗なコインロッカーの中に孤独に閉じ込められているというのが共通したテーマになっているかもしれません。ハシはブーゲンビリアの花と一緒に捨てられ、その狭く暗く暑い箱の中で自らの嘔吐物に塗れて酷い匂いがしているところ、巡回していた警察犬に見つけられて生き残りました。そしてまさにハシは汚らしい廃棄区画や芸能界での生活の中で、華々しさと醜さに塗れて生きていきました。対してキクはコインロッカーを破壊せんばかりの大声で泣き、それによって駅員に見つけてもらい生き残りました。そんなキクは「ダチュラ」という薬で世界を破滅させることを目的として生きていきます。

 この2人が織り成す、華美であり同時にグロテスクで醜く、非常に暴力的なストーリーがスリリングで面白かったですね。

 個人的に印象に残っているのは、ハシがコンサートツアーの打ち上げで、若い女の子相手に性的に不能となってしまっているのをバンドメンバーに見られて、揉めたときに言われたセリフです。

なあ、どんなにいいものを食ってみんあからチヤホヤされても、お前は孤児でオカマだったことに変わりはないんだよー(中略)ーハシ、孤児でオカマだったことを忘れちゃだめだ。

というセリフなんですが、これは何と言うかとても大事なことだと思いましたね。私自身、色々と嫌な経験をしてそこから逃れたいと思い、大学の時は芸術や思想に傾倒し、適応障害になってからは「いかにマトモになるか」を考えてやってきましたが、根本的なところで自分は変わることができません。自殺未遂を犯すくらい痛い目を見たわけですが、私は結局、人の期待にがんじがらめにされて自分の虚栄心を満たす、汚らしい自分から変わることができないのでしょう。そして、そのことを忘れてはいけないわけです。そこから脱しようともがくのも大切なのかもしませんが、そんな自分といかに共存していくか。そして、それを自らの個性だと捉えていく。そういうことが大事なのではないかと、このセリフを通して思わされました。

 と、そんなところがこの小説を読んでの感想になります。短くするつもりがちょっと長くなりましたね…

 

表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬(若林正恭

 オードリーの若林さんが書いた名著です。アメリカとの国交回復間近のキューバへ、不意に一人旅に行った時のことが書かれています。本書の冒頭では、若林さんが勉学に対するちょっとしたコンプレックスのようなものから、色々と世の中のことを勉強しだすところから始まります。そこで新自由主義、すなわち現在の日本などが置かれている実に資本主義的な競争社会に対する懐疑心が、社会主義国であるキューバへの一人旅の理由であるように書かれています。「スペックが高い」という言葉に代表されるように、世の中の多くの人間がほかの人よりも良い生活を手に入れようとして、必死になって自分の価値を高めようと奮闘している。しかし、どうも自分はそういう気持ちや感覚にはなれない…そんな20代の頃に抱えていた様々な悩みは、宇宙や生命の原理ではなく、人間が作り出した資本主義というシステムのせいだという知見を得て歓喜するのが本書の冒頭でした。

 そして、そんな現代の日本にそぐわない自分が訪れるべき場所として、キューバという国がフォーカスされたわけです。そして、実際にキューバへ向けて一人で旅立ちます。その後の内容は基本的にキューバのガイド的な内容にはなりますが、ところどころで入り込む日本やキューバという国に対する皮肉的な目線、それから自分自身に向けられるちょっと自虐的な目線には思わずくすっとしてしまいます。社会主義の国ではどのように人々が考えて暮らしているのかというのも結構しっかりと書かれていて、とても興味深く、同時に勉強になりました。衣類店も国営なので、キューバの若者はアメリカなどのアーティストの着ているお洒落な洋服を見て、「なんでああいう服が配給されないんだ!」と文句を言っているらしいです。そういう価値観、というか生活感の違いがとても面白かったです。

 若林さんの感じる資本主義と社会主義の違いについて、どのように上流階級に食い込むかの方法に関しての考察が個人的には「なるほど」と思わされました。社会主義ではコネクションや情報網などが何より重要で、中央権力に近い人間ほど優遇されるらしいです。対して、資本主義では学歴やお金を稼ぐ能力など、基本的には本人の努力や資質に依存するので、若林さん的にはやはり日本のような資本主義の方がフェアな戦いなのかもと感じたそうです。その一方で、キューバの人はスマホもまだ持っていなく、のんびりと陽気な性格で、夕方には海近くの街の通りに人々が集まり、楽しそうに話している風景に胸を打たれたりします。人々が互いに空気を読んだりせずに、生身の人間として心から話しているような雰囲気がとても美しく映ります。

 キューバの良さ、日本の良さ、それぞれを噛み締める旅だったようですが、一方で最後の最後にもう1つのテーマが明らかにされます。これは本書のネタバレになってしまうのでここに書くのはやめておきますが、久しぶりに本を読んで泣きそうになりました。うん、やっぱり魂が乗っている文章って素晴らしいです。

 そして、私はとにかくこの競争社会のようなものが大嫌いなので、キューバのような国に行けばもっと生きやすいのかとも考えましたが、おそらく私はキューバでもうまくやっていけないだろうなと思いました。人間関係の苦手な私にとっては、ペーパーテストの点数や、その他色んな客観的な点数で評価してくれる日本の方が、まだ生きていく余地があるように思えました。

 

アニメ

かくしごと

 下品な下ネタ満載の漫画を描いている後藤可久士(カクシ)と、その娘の姫(ヒメ)のお話です。小学生のヒメの純粋さにほっこりし、何とか自分の職業がバレないようにと駆け回るカクシに笑い、重要な場面ではちょっと泣ける、そんな素敵なアニメでした。ほぼ1日で全話観てしまいました。絵もところどころの気合の入った場面では背景の色彩感が美しく、非常に素敵でしたね。

 特に教訓めいたものを考えたりすることも無く、純粋に楽しめたのが良かったです。ほか、色々とシリーズの続きを観たり、観返したりというのもありましたが、ちゃんと全話観たのが「かくしごと」だけだったのでこれくらいにしておきます。あ、でも一言だけ。「Sonny Boy」最高!

 

映画

寝ても覚めても

 文学部の友人から「ドライブ・マイ・カー」の映画が素晴らしかったという情報を貰ったものの、まだ観に行けていないので、代わりに同じ監督作品である「寝ても覚めても」を観ました。濱口竜介さんという方が監督をされているようで、ストーリーはちょっと突拍子もない部分もありましたが、あまり派手にし過ぎず、落ち着いていてどこか物悲しさを含んだ映像は確かに素敵でした。

 俳優の東出さんの不倫のきっかけになったとされる映画ということでしたが、そういう芸能ゴシップにはちょっと疎いのと、あまり興味がないのとで、その辺は特に気にせず観ることができましたね。

 教訓めいたものはなく、派手じゃなくて、感動もしなくて、ユーモアもなくて、ただちょっとした物悲しさだけがほのかに香る、何と言うか「しっくり来る」恋愛映画でした。展開が若干安い少女漫画っぽさを感じてしまうものの、基本的には退屈せずに見続けられたので良い映画なのだと思います。申し訳ないですが、こういうタイプの映画をまっとうに評価する言葉を私は持たないので、ただ「悪くない映画」という感想に留めたいと思います。観て得をするタイプの映画ではないのかもしれませんが、不思議と損をしたという気持ちにはなりませんでした。きっとふとしたタイミングでまた観たくなる時が来るんだろうなぁ、という感じです。恐らくは、疲れていて「今日は害の無い映画をだらっと観たいなぁ」というようなときに。

 

ジョゼと虎と魚たち

 こちらもたしか文学部卒の友人からのかねてよりのオススメで。妻夫木聡池脇千鶴が主演で、上野樹里なんかも出ていましたね。どちらかと言えば軽いノリで生きている青年が、不意に出会った足の悪い女性(自称ジョゼ)に出会って恋に落ちる話です。2003年の映画なのでちょっと古い感じもしますが、タイトルにも入っている「魚たち」がモチーフのラブホテルのシーンなんかは結構お洒落で素敵でした。

 ストーリー的には、まあまあ面白く、シンプルな恋愛ものという風に私には見えました。個人的に盛り上がったところは、物語の終盤で青年がある選択をした場面です。人の善意と、生活力、器の大きさ、そういうものが入り混じった結果、青年にとってはキツイ選択がなされました。十代かそれでなくても、二十代前半に見ていたら、もっと楽しめた気もします。それは精神的な年齢のこともありますが、どちらかと言えば、映画を古く感じてしまったという点で…

 というわけで、非常に申し訳ないですが、損をしたとまでは思わないものの、おそらくもう一度観ることはないかなあという感じでした。でも、観てないないよりは観た方が良い部類に入る映画だと思います!観なくて良いとは思いません。そういう意味では年末の時間のあるときに観れて良かったです。

 

ドント・ルック・アップ

 地球に彗星が衝突すると判明してからのあれこれを描いた作品です。「えぇ、もうそういうの見飽きたよ~」という方も楽しめる作品ではないでしょうか。現代社会を軽く皮肉りつつ、登場人物が戸惑ったり、困ったり、真剣になったり、あれやこれやと右往左往している様はどちらかと言えばコメディですね。そして、私の贔屓にしている「おませちゃんブラザーズ」でも紹介され、「ディカプリオが叫んでるのってなんか面白いよね」という感想にとても強い共感を覚えました。ただ、本作では叫ぶシーンはそう多くないので、レオ様の酒びっぷりを楽しむならやっぱり「ウルフ・オブ・ウォールストリート」が最高です。

 個人的にはこの映画にもあまりハマらず、コメディタッチなのはわかっているのですが、あまりにも登場人物たちに真剣味がないので、今観たい映画ではなかったかなあという感じです(今は「新聞記者」のNetflixオリジナルドラマをとても面白いと感じるモードなので)。ただ、ラストは素晴らしいと思いました。彗星の衝突ものなわけですから、自ずとラストは彗星が衝突するか・しないかということになると思うのですが、そういう意味でのあのラストは満足感高かったです。もし逆の結末だったらシラケちゃいますね…

 やっぱり人の善意が感じられる作品が好きなので、個人的にはビビッと来ることができなかったのが残念です。ちなみに母親は結構楽しんで観ていたようです。私はまだまだ若いということかもしれませんね。

 

罪の声

 刑事や記者ものに最近ハマっており(ちょっと前はヤクザものでした)、そういう意味で普通に楽しむことができた本作。とんとん拍子であまり「どうなってるんだろう」と悩む暇もなく事実が明らかになっていくので、感情移入はしにくい面があるものの、普通に面白かったです。小栗旬ってやっぱカッコイイよなぁ、と惚れ惚れしながら、スピーディな展開に退屈せず最後まで観切ることができました。

 様々な人物が絡み、時系列も複雑な点があり、かなりボリューミーなため、映画というよりはドラマで見てみたかった感も否めませんが、私のブームにマッチしているのでかなり楽しめました。観終わって、「あー面白かった!」と素直に思えたので、良い時間だったと思います。マイリストにも登録しちゃいました。

 

tick, tick…BOOM!: チック、チック…ブーン!

 元テレビ東京社員の佐久間プロデューサー(ゴッドタンなどを手掛ける方)がTwitterで絶賛していたので観てみました。ミュージカルなどが好きだったらもっと楽しめたかなぁという感じです。個人的には「ラ・ラ・ランド」よりは楽しめたものの、やっぱりちょっと苦手な分野だったかもしれません。

 面白いことは間違いないので、こういう分野が好きな人にはぜひオススメしたい作品ではありました。完成度も高いし、人間的な泥臭さ、そして素敵な音楽とハッピーエンド。好みはあるかもしれませんが、良い作品であることには間違いありません!

 

祈りの幕が下りる時

 東野圭吾作品なので間違いなく面白いやつです。お付き合いを始めた子から教えてもらいました。松嶋菜々子さんが美しい! そして、小日向文世は最高! というのだけでも、とりあえず覚えて帰っていただきたい。加賀恭一郎シリーズで、前に会社の先輩からオススメされて私も何作か読みました。「悪意」が面白かったですね。

 とにかくシリアスな場面が泣けます。小日向文世の演技に涙が止まりません。「泣きたい!」という方にはぜひともおススメしたい映画となっております。東野圭吾の作品って本当に愛が深くて重たくて、ミステリーなんですけど、それ以上に心にグッと来る作品が多いです。一般的に言えば「容疑者Xの献身」はかなり評価が高いと思いますが、それに匹敵する作品だと思いました。個人的には「白夜行」が映画もドラマもどちらも好きですね。特にドラマの方は何回も繰り返し観ました。これからも折に触れてみることになるでしょう。

と、そんな感じで様々なコンテンツを味わった年末年始でした。

 

最後に…

進撃の巨人」アニメのファイナルシーズンが始まったり、Netflixオリジナルドラマの「新聞記者」がかなり踏み込んだ内容になっていたり(監督が藤井道人さんで嬉しい!)、色々と今も現在進行形で面白いものに沢山触れている気がしますが、一向に体調が良くなる気配がありません。薬はまた再開しましたし、頭痛は日に日に酷くなっています。

それでもやっと皮膚科に行けたおかげで、顎や指の間のボロボロの皮膚は治ってきましたし、「ファイナルファンタジー・クリスタルクロニクルFFCC)」をスマホにダウンロードしてみたら、中学生の時には理解しきれていなかった世界観の素晴らしさ、音楽の素晴らしさに感動したりと悪いことばかりではありません。

一進一退、いや三歩進んで二歩下がる、いや二歩進んで三歩下がるか。正確な加減算はわかりませんが、とりあえずそんな感じで何とかやっております。この記事を書き始めてから1週間経ってしまいましたが、何とか書き上げられて良かったです。まずは体調優先ですが、気が向いたらまた書こうっと。

 

次回

eishiminato.hatenablog.com

「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」感想、整理

Netflixで「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」という作品を見たので、ここに感想を残しておこうと思います。久しぶりに興味を惹かれる作品に出会いました。文字に起こすことで頭の整理をするのが今回の大きな目的の1つです。

 

 

1.自己紹介

本作を理解する上ではそれなりの予備知識あるいはバックボーンが必要となるはずですが、生憎私は三十路の理系サラリーマンなのでおそらくかなり見当違いな解釈になってしまっているでしょう。三島由紀夫に関しても「いずれ読まなきゃ」と思いながらも、金閣寺を数ページ読んで断念しているような体たらくな人間です。哲学や思想などに興味がある方だとは自覚していますが、かといってこれといってしっかりとした哲学書を読んだ経験もありません。YouTubeの動画でちらっと触れることがあったりするくらいで、高校の現代社会の授業でもほとんど寝ていた記憶しかなく、歴史は大の苦手科目。日本の元号すらまともに並べあげる自信がありません。

と、こんな感じで色々と予備知識の足りない私ですが、そんな私が辛うじて理解できたニュアンス、構造などを整理していこうと思います。

 

2.映画の概要

舞台は1968年の日本です。当時名を馳せていた作家である三島由紀夫と、当時学生デモの最前線にいた東大全共闘の学生たちが、東大駒場キャンパスの900番教室で討論を行い、その模様をドキュメンタリー形式で遡って映像化したのが本作になります。

私は知識がないので、一応基本的な事項をまとめておこうと思います。

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ざっくり構造

示した図の通りですが、三島由紀夫は「右翼:国家権力」側の代表として描かれており、東大全共闘は「左翼:反国家権力」側となっています。なので、本当にざっくりとしたことを言うと、東大の学生たちは「国の言いなりになんてなってたまるか!」と当時、デモを起こしたり、東大の安田講堂を占拠して立てこもったり、というかなり攻撃的な活動をしていました。その活動の一貫で「国家側」の肩を持っている著名人である三島由紀夫を東大に招待して、討論会を開いたわけですね。討論会では三島由紀夫に対して、「お前が国家側の人間なら、国家の正しさや価値を説明してみろ。同時に俺たち反国家の人間たちの主張のどこが間違っているのか指摘してみろ」ということが基本的なテーマとなっています。東大全共闘としては「国家なんてクソだ。より正しい世界を俺たちが作っていくんだ」という主張なわけですね。

ちなみに、東大全共闘については私はあまりよく知りません。たまにテレビ番組で東大安田講堂の占拠の映像などを観ますがその程度で、国のやり方が気に食わなくて、まずは「国」としての立場を持つ「大学」という1番身近なところと闘っていたという印象です。もちろん、授業がつまらないだとか、学食が不味いだとか、そういうことで文句を言っているのではなく、国家≒大学の在り方やその構造の正当性について疑念があるのでそういった行動を起こしていたのだということはわかります。しかしながら、おそらくは私たちの世代のほとんどの人間は、国の在り方やその構造についてデモやら占拠やらの行動によって改めさせようという発想を持っていないんじゃないでしょうか。なので、その当時の温度感などをイメージするのは結構難しいです。

しかしながら、そんな私でも本作を楽しむことができました。私が興味を惹かれたのはそういった時代や社会を取り巻いた温度感などではありませんでした。単に個々人が抱える思想をぶつけ合うということが観ていて面白かったのです。

登場人物(団体)は大まかに4つに分けられると思います。右翼側では、1つが「国家」、もう1つが「三島由紀夫」。左翼側では1つが「芥青年」、もう1つが「東大全共闘」とざっくり配置されています。

「国家」の目的は、現在の国の在り方や構造をそのまま保ち(保守)、秩序を維持することです。デモや暴動などは機動隊を用いて鎮圧しようとしています。

対して、「三島由紀夫」の目的は国家という存在を尊重しながらも、天皇を中心に据えたより良い日本という国家へと変革していくことにあります。なので、三島由紀夫としては国家側の立場にありながらも、現状の国家を最上とはせず、より自分が思い描く理想に近い国家にしようと考えています。少なくとも、現状の「天皇」を祀り上げている国家の構造自体には賛同を示しているようです。

「東大全共闘」の目的は、現在の国の在り方や構造を否定し、新しい、先進的で正当だと考えられる国家構造を作り上げることにあります。それがいったいどういうものなのか、私にはよくわかりませんし、本作の中でもあまり取り上げられていないのですが、それでも「正しい方向へ」進んでいこうという熱情は強く感じます。そして、それを実現するためには、暴力的な行動も厭わない。秩序の破壊こそが新しい世界を作り上げる第一歩と考えている節がありそうです。

これに対し、全共闘の中でも屈指の論客と言われる「芥」という青年が本作では大きく取り扱われています。彼の目的は、現在の日本国家の在り方というよりも、国家という概念・構造自体を否定し、真に人間的な存在の在り方を追求している感があります。構造やシステム、ルールに縛られない、自由な人間性(≒人間社会)を打ち立てるために、国家を否定する左翼側についているようです。

 

お察しの通り、私が興味を惹かれたのは「国家」vs「東大全共闘」ではなく、とりあえずそれぞれ右翼や左翼の看板を背負いながらも、己の哲学をぶつけ合う「三島由紀夫」vs「芥青年」の討論でした。本作の半分近くはどうしても社会現象としての左翼vs右翼の闘争に主眼が当てられているのですが、ありがたいことに「芥青年」という素晴らしい触媒をもとに「三島由紀夫」の思想を掘り下げることにも注力されています。なので、歴史物が苦手な私のような人間でもしっかりと楽しむことができました。

 

3.三島由紀夫の表明

国家は暴動をしかけてくる全共闘など左翼側の人々を、やはりこちらも武力で鎮圧しようとしていました。その際の国家側の言い分としては、例えば「キチガイが騒いで困る」というものだったそうです。しかしながら、三島はそんな国家の対応を皮肉り、「キチガイならば病院に入れて手厚く治療してやるべきだ。キチガイを殺しすなんてみっともない」というようなことを最初に言って聞かせます。そして、東大全共闘の人々に向かって、「私はあなたたちをキチガイだとは思っていない。だから、言葉を用いて議論することを試してみようと思っている」と自分のスタンスを明らかにしました。

さらに、国家側の人々の姿を見て、「彼らの目の奥に不安がないのが気になった。私は不安を抱いている方が健全で好きだ」というようなことを言いました。「私は暴力にも反対していない。国家が当面の秩序を維持することに終始して、もたもたと反暴力的な中間択ばかり取っているのには苛々する。私は法律に則って暴力を振るえる立場にはないから、やるなら非合法に、個人同士の『決闘』という思想に則って相手を殺すつもりだ。そして警察に捕まってしまうなら、その時は自決しよう」と、体制側(右翼)の人間ではありますが、かなり過激な発言をしています。三島としては、やるならとことん戦って、「決闘」の思想に則って確固たる自分の理想を、暴力を用いてでも主張し、実現していかなければならないと考えているわけですね。そういう意味では、全共闘はただの知識のひけらかしや机上の空論のようなことではなく、きちんと行動に打って出ている点で評価できると三島は「反知性主義」という言葉を用いて説明しました。三島もまた自ら肉体を鍛え、自衛隊体験入隊で戦闘能力を磨くなど、「反知性主義」を掲げる人間でした。

 

ここで話は一気に別の方向に向かいます。脈絡がよくわかりませんが、東大全共闘の一人から三島に対して、「『他者』についてどのような考えを持っているか?」と質問が投げかけられます。おそらくは、三島が「決闘」という言葉を用いたからこそ、そのような質問がなされたのでしょう。そこには「やるかやられるか」という他者に対する不安や恐怖が内在しているため、決闘の「相手」に対してどのような恐怖を感じるか…つまるところ、「三島は東大全共闘のことをどう思っているか?」ということが聞きたかったのかもしれません。

それに対して、三島はサルトルの引用などをして色々なことを言いますが、結論から言えば、三島曰く「他者との関係を構築するうえで、私は共産主義を敵とみなすことにした」ということになるようです。共産主義とは、左翼の考え方の代表的なものだと思っていただければここでは良いような気がします。別段、共産主義の中身に触れているわけではないので。この辺りで重要なのは、三島が自らの文学において、当初は他者のない一人きりの(サルトルが定義するところによると)エロティックな世界を追い求めていた。しかし、そのうちに他者との関係性を求めるようになった。「決闘」という、主体的な相手を想定したうえでの世界に興味が惹かれたのだ、ということです。そして、その「決闘の相手」として相応しいと思ったのが、東大全共闘のような左翼的、つまり共産主義の思想だったというわけです。どうして共産主義が決闘の相手として相応しいと思ったのかは、ここではまだ語られていません。

 

ここまでの話をまとめると、三島は「東大全共闘のように『行動』を起こしている人間たちは好きだけれど、私は共産主義を『決闘』の敵としてみなしているから、君たちは敵に違いない」ということになります。そして、そんな「敵」との「決闘」が存在する世界を求めているからこそ、三島は東大900番教室にまでやってきて、こんな風に討論をしているというわけですね。暴力行為は認めているけれど、あえてここでは「言葉」を用いて。

 

4.芥青年の登場

そして次の議題がまた全共闘の学生から持ち出されます。「自然対人間の関係」という話題です。学生の主張としては、「三島の考える自然というものは浅い。僕は、いかにして人間と隔てられたところにある自然(周囲の事物)を活用していくかが重要だと思う」というようなことを言います。どうして急にこんな話になったのかはわかりませんが、これに対して三島が「機動隊のこん棒に殴られるという自然の活用の仕方もあるよね」というような軽く皮肉めいた言葉を返します。

そして、この三島の皮肉に対し、今度は1人の青年が割り込んできます。この青年が芥青年でした。

芥青年の軽い割り込みを経てからの話の筋は私にはよく理解できない部分もあるのですが、私のしがない予備知識をもとに推測すると、全共闘のような左翼が掲げる共産主義というのは言わば「いかに自然的な生き方をするか」ということと通じる部分があるようです。現在(当時)の右翼側が体制を守ろうとしているのは、すなわち強い権力や財力を持っている人たちが自分たちの優位性を保ちたいからです。お金を持っている人がそのお金を使ってよりお金を稼ぐというのが資本主義なわけです。このルールがある限り、貧乏人はずっと資本主義下の権力者、金持ちの言いなりになってしまいます。そしてこのような力関係というのは非自然的である、というのが共産主義の1つの論調です。私たちをがんじがらめにしている資本主義という強者にとって都合の良い非自然的な体制というものをぶっ壊して、より自然的な、本来の人間があるべき社会を作って行こうではないか。そして、そのときに重要なのはいかに人間の関係性をルールで縛るかということではなく、あくまで私たちの周りに広がっている自然(動植物、大地、水、その他人間が作り出したもの)をどうやって効果的に活用するかということである。これがおそらく最初の学生の言いたかったことでしょう。左翼としては立派な論説ですね。

対する三島は「君たち学生は自然から何かを生産するという行為から切り離されている(まだ学生だし、現代の若者だから)。例えば、ここにある机は、勉学のために自然から生産されたものである。しかし、その生産工程に君たちは関わっていない。そして君たちはその机を勉学の目的ではなく、武器やバリケードを作るために使って、『これこそが自然を活用するということである』と言っている。君たちは元来の生産活動に携われていないから自然との関りが希薄だと感じているんだ。それ故に暴力という行為を通して自然というものに目覚めただけに過ぎない」と学生たちが掲げる思想を陳腐なものだと否定します。

これに対する芥青年の主張は、「大学という枠組みにあるからこそ机は勉学のために使用されている。大学が無くなって、私たちが机を武器として使う。こういった事物の使用目的(=人間との関係性)の逆転こそが革命である」となります。

なんだかんだと小難しい議論になっていますが、結局のところ全共闘のような左翼がやろうとしていることは既得権益をぶっ壊すことです。現在の勝ち組が作ったルールを壊して、新しい世界を作ることです。三島はそういった部分に対して、「自然的な人間の在り方」のような格好つけたことをいっているけれど、所詮ルールを壊すことに楽しさを見出しただけだろうと言っています。芥青年は、それを受けて「ぶっ壊すことが革命だから」と平然と答えています。そして言葉の最後に「所詮、三島さんはぶっ壊すことを幼稚だと言っているだけで何もしていない。文章を書いているだけで、机を武器に置き換えるような行動の重みが無い。だから、三島さんは敗退している」と付け足して、挑発しています。小説家の平田啓一郎さんが後で解説をしている通りですが、三島自身がそのような「物書き」としての後ろめたさを持っているようなので、この芥青年の言葉が突き刺さるわけですね。

芥青年は「自分たちの行動は歴史を変え得る可能性を秘めている。しかし、三島さんの書く文章は実世界に対して何ら差し迫った力を持っていない」とさらに説明を重ねます。さらにそんな三島の書く文章で述べられていることは、あまりに日本という国に対して執着し過ぎている。もし日本という国が無くなってしまったら、三島由紀夫という人間の価値も、その何ら具体的な力を持たない文章とともに消えてしまうだろう。それに対して、僕という人間は全く以って日本に縛られていない。自分が異邦人かと思うほどに。でも、僕はただ僕らしく自然にあろうとしているだけだ。僕が異邦人なのではなく、僕の周りの人間たちが何らかの国を背負った異邦人だったというだけなのだ。と、そんなことを語ります。続く現在の芥氏のVTRでは、「天皇の文化的な側面をちゃんと説明できないのに大衆を扇動するな」とさらに釘を刺していました。

 

と、ややこんがらがった内容になってしまいましたが、ここまでは言ってみればありがちな共産主義の主張という感じになるでしょうか。現在の資本主義的なルールは良くないから、暴力などの具体的な行動を以って古いルールを壊し、新しい世界を作る。ということです。そして、ここから芥青年と三島由紀夫の価値観へと話は移り変わっていきます。

 

5.芥青年と三島由紀夫の立場と目標

結論から言えば、芥青年はこの全共闘の活動を一種の芸術作品のように捉えているようです。色々と議論はジグザグと脇道に逸れようとしながらも、三島由紀夫によるしつこい追及によって、「持続性」が話題の中心に据えられます。

三島由紀夫からしたら、全共闘が生み出した安田講堂のような「解放区(政府などの統制を受けない自立した空間)」が長続きしないことに、活動の限界があると感じているわけです。そして、活動をやるからには「解放区」を永続させることが活動の1つの目標であり、そこからさらに広げ、日本全体を新しい解放区へと逆転させることが革命の最終目標であるはずと考えているわけです。しかしながら、芥青年は一向に「持続性は問題ではない」と言っています。なぜなら解放区を作ることそれ自体が革命という詩(芸術作品)であり、それがたとえ現実的に一瞬のものだとしても価値があるとしています。芥青年自身が演劇をやるからこそよりそういう考えになっているのかもしれません。例えば、演劇というのは映像作品化しない限り、その場一度きりの芸術であるわけですが、かと言って別に価値がないわけではないです。例え短くても演劇が演じられることこそが大事なわけですね。

だからこそ、芥青年は三島のやっていることが気に食わないのです。三島は文学という分野で確固たる芸術作品を残しているにもかかわらず、国を変えようとしています。しかも、文章で国を変えようと働きかけているわけですが、既に言っている通り、具体的な行動の伴わない文章では何か現実を変えることなんてできるはずありません。芥青年からしたら、「芸術という領域で満足していればそれでいいじゃないか」というわけですね。しかしながら、三島はあくまで「一人きりのエロティックな世界ではなく、現実的な敵を想定した決闘の思想に準ずる世界を作りたい」と自分の文学の可能性を試すことに意欲的です。

この芥青年と三島のねじれが面白いと私は思うわけです。

芥青年は現実的な行動によって、現実世界の中に「解放区」という芸術作品をたとえ一瞬でも良いから生み出したい、と考えています。対する三島は自らの芸術作品を用いて、現実に対して何らかの具体的で持続的な作用を生み出したい、と考えています。二人は相対する場所から出発して、相対する場所へと向かおうとしているわけですね。まるで、二人で席を交換するかのように。

 

6.芥青年の世界観

芥青年が共産主義やら左翼やらに賛同しているのは、その根っこにおいてだけのように思えます。つまり、先ほどまで話して来た「関係性の逆転こそが革命だろう」というのは、ある部分までは芥青年も賛同しているところですが、ある部分からは反対しているように思われるような主張が続きます。

これは私の喩えですが、大富豪というトランプゲームを持ち出すと説明が容易かもしれません。大富豪はゲームを行うたびに、富豪が貧民から強い札を取り上げるというルールがあります。そして、このルールがある限り、基本的には富豪側が有利にゲームを進めることができます。まさに資本主義のようなものですね。しかしながら、同じ数字の札を4枚揃えると革命を起こすことができ、そこからは逆にそれまで弱かった札が強くなり、立場が逆転します。それまで貧民だった方が、今度は勝つようになるわけですね。

芥青年はこの逆転の瞬間にこそ意味があると述べていました。しかしながら、その逆転状態が「持続」すること自体には懐疑的です。すなわち、富豪に有利だったルールが貧民に有利なルールに変わって、それが持続するということは、結局「ルールに縛られている」、「大富豪というゲームが続いている」という意味で全く意味を為しません。むしろ芥青年が望むところは、ルールをなくし、大富豪というゲームをやめるというところにあります。富豪側は基本的に勝ち続けられるわけですから、大富豪というゲームをやめたがりません。だから富豪側が負けるまで大富豪というゲームは続きます。そして、貧民が革命を起こし、勝ち側に回るタイミングが訪れます。このときまた貧民だったものがまた大富豪というゲームを続けようものなら、結局立場が入れ替わっただけで何も意味がありません。それまで負けていた貧民が革命を起こし、ゲームに勝った時にこそ、「これで終わりにしよう」と大富豪というゲームに終止符を打つべきなのです。

芥青年は、社会というルールなどが及ばない、事物や人間同士の関係性といったものを排除した世界を作りたいと考えています。演劇のようにそれがたとえ一時的なものであっても、価値はあると考えています。したがって、自分が新しい王様になって、自分に都合の良いこれまでと似たようなルールを作りたいわけではないのです。目指すところはある種、原始の孤独な人間のようなただただ自由な世界と言ったところでしょうか。政治哲学用語としての「自然状態」というものが芥青年の目指すところであると私は理解しています。

なので、共産主義やら左翼やらの行動の方向性である「現在の体制に対してNOを突きつけよう」ということには一部賛同していながらも、「自分が新しい権力構造の上位者になりたい!」と考えている人間のことは嫌いなわけです。そういう意味では純粋な思想としての共産主義やら左翼やらにはかなりの共感があると言えるでしょう。しかし、せっかく作り上げた「解放区」の中で、人間たちがまた権力闘争をして、自らの権力を持続させようと、時間について考えるようになったりすることには大反対です。そういう意味では、三島由紀夫のような芸術家がその作品の中で孤立した、ルールに支配されない真に自由な空間を作ることそれ自体にはむしろ賛成なのです。ただ、三島はそのせっかく作った文学作品を以って、社会を扇動し、新たな権力構造を作り上げようとしているので、その部分が嫌なわけですね。

実際には事物との関係性や、そもそも人間が社会を形成する理由や根源的な傾向など、小難しいことも話されています。が、私はそれらのことを体系的に学んできたわけではないので、うまく説明することができません。よって、芥青年は無政府な状態をより人間的に自然な状態として、現状の凝り固まって上位者に都合の良いルールを破壊しようと考えている…くらいの説明しかできません。ヒトにもモノにも名前がなく、「役割」みたいなものもない、そんな真に自由な世界を目指しているわけです。対して、三島由紀夫はヒトやモノと関わっていくことで、社会の仕組みを変革していくことに革命の本願を置いているので、それぞれ目指すところのスケール感が違うわけです。しかも、芥青年は行動によって瞬間的であっても真に自由な空間を生み出すことを目指しながら、三島の芸術活動を認めており、対する三島は文章や言葉によって社会に持続する新しい構造を作り出すことを目指しながら、芥青年たち全共闘の行動に重きを置く方針を認めているので、これはもうかなりぐちゃぐちゃな感じです。

 

7.その他の全共闘/メディア

と、そんな感じでかなり観念的なそれぞれの方向性が面白く議論されていたわけですが、残念なことに(個人的に…)全共闘の人たちはそういう話がしたかったわけではないようです。「三島を殴る会があるから来たんだ」という野次が飛んだり、とにかく今ある構造をぶち壊して、新しい政治を作るんだ!みたいな結構即物的な意見が声高に叫ばれます。終いには芥青年に対し、「観念的なこじつけじゃないか。そんなんじゃ、全共闘の名が廃るぜ」と身内同士で揉めてしまいます。

それを受けて、まるで「私たちで作り上げた面白い議論は終わって、つまらない話が始まったな」とでも言いたそうな感じで、芥青年は三島に煙草を渡して2人で笑いながら吸っていました。このシーン、私はなぜか好きなんですよねぇ。

それから小休止がてら、映画はインタビューやナレーションベースでのメディアがこれらの運動にどれだけ大きな影響をもたらしたかという話が持ち出されます。テレビや雑誌によって運動やそれに関わる人がまるでお祭りやらアイドルかのように取りざたされることが、これだけ大きなうねりを齎したということには私も賛成です。逆に今ほどメディアが細分化された世の中にあっては、こういった熱狂は生まれ得なかったでしょう。50年前の東京オリンピックと比べて2021年に開催された東京オリンピックがイマイチ盛り上がらなかったのは、決してコロナだけの影響ではないでしょう。各々が各々の裁量で、自分好みのコンテンツを選べる現代においては、世間を一色に染めるようなムーブメントは起こすのが難しいように思います。これが私たち現代人の抱える自己完結的で孤独な人生観に大きな影響を及ぼしている…と、話しが逸れましたね。

 

8.三島由紀夫の世界観

かなり分量が嵩んできたにも関わらず、まだ本作の半分ほどまでしか経過していません。が、私が1番興味を惹かれた部分は過ぎ去ったので、ここではざっくりと内容をまとめさせていただきたいと思います。

色々な登場人物が口々に言っていますが、三島は「天皇」という1つの崇高な概念のもとに、「国」という枠組みを作り、そこで強い共同体意識を持って1つになることが自らの目標であると考えているようです。その一致団結の陶酔感を得たいために、現在のふわふわとした国家ではなくて、より国民1人ひとりが「自らが日本国民であり、故に天皇のもとに思想や気持ちを同じにして集う」ことができる国家を生み出そうと必死なわけです。また「天皇」がただの独裁者でただのブルジョワであったら革命は簡単に起こせるだろうが、「天皇」はより崇高で、日本の歴史や文化を取りまとめる存在であるからこそ、「天皇」を破壊して国家転覆をすることは難しいとも言っています。つまり、日本人が少なからず抱いているであろう「自らが誇り高い日本国民である」という根底にある意識を結び付けている1つの偉大な装置が「天皇」であるので、それを「破壊してやろう」とはなかなか思えないのではないか。だからこそ、この日本という国の構造を変えたいのであれば、ただただ構造を破壊していくのではなく、日本人が共通して抱える「天皇」に対する意識を利用して、国民全体を動かしていく必要があるのではないか。これが三島のやろうとしていることになります。

なので、三島の演説では「全共闘のやろうとしていることには賛成する。しかし、本当に国家構造を変革したいのであれば、天皇という存在の影響力を用いなければならない。なのに、それをしようとしていないから、君たちには賛成できない」と言っています。三島から見たら全共闘がやろうとしていることは、国民を分断することであるように思えたのかもしれません。なぜなら、繰り返しになりますが、国民を一致団結させてより良い構造に変革させるためには、共同体式が必要であり、今のところそれを成し得るのは「天皇」という日本の根底にある土壌を用いるしかないからです。

そういった説明を経て、最後に芥青年がもう一度「あなたの言っていることは、日本人という枠組みに留まり、結局何らかのルールに縛られることに喜びを見出すくだらない性癖や趣向じゃないか。それでは真に自由にはなれない」というような批判を浴びせます。しかしながら、三島は「その通り。私は日本人でありたい。そこから抜け出したく思っても、抜け出すことは現実的に不可能だし、そもそも私は天皇を主題においた日本という国の民であることに強い快感を得る。よりその快感を強くするために、日本を変革したいんだ」というようなことを返します。これを受けて芥青年は、三島はそもそも自分とは全く違うところを目指している人なんだと理解し、そして三島なりの世界観を受け入れ、これ以上は何も議論することは無いと壇上から去っていきます。

 

ここまで三島が「天皇」という存在・観念を崇拝する理由には、青年期の戦争の記憶、それにまつわる国民の強い共同体意識、それから個人的な天皇との接見の経験など色々あるそうです。が、この辺りは事実を羅列するだけになるので、省略させていただきます。

映画はその後も、楯の会の方々やそのほかの関係者の三島由紀夫との思い出が語られ、最終的には三島自身が自殺するところまで時間軸が進んでいきます。が、この討論会それ自体のの結論としては三島は「天皇」という考え方の視点・発想を全共闘側に見せ、同時に全共闘の「熱意」を認め、それでも立場は違うから手を繋ぐことはないだろうというところに終着します。この終わり方が何とも素敵で、カッコイイですね。「討論」というものの理想形とも言えるかもしれませんね。現在の芥さんも言っていましたが、「敬意を表し合うということも会話のひとつ」ということになるのでしょう。

 

9.まとめ

三島の切腹に関しては、人それぞれに受け止め方が異なっているわけですが、この討論会で示された三島の考え方を踏まえればまぁ納得のいく部分だったと思います。三島は日本国への帰属意識、一体感を求めていましたし、その目的を成就する過程で決闘があればそこで死ぬ覚悟もありました。実際に死のうとする人間がどれほどの覚悟を持っていたのか、それをリアルに表現したり感じ取ったりすることはできませんが、大筋として理解することは可能です。

この国全体に広がった「運動」について言えば、皆が国の在り方や自分の立場といったものをかなり明確に持っていたと思いますし、そこにあった「熱」というものは現代を生きる私たちにはあまり馴染みのないものだと思います。今の私たちはもっとカジュアルに生きているでしょうし、ラフでポップで無責任とも言えます。刺激はそこら中に沢山あって、1つの話題にはすぐに飽きてしまう。そんな時代では、こういった「運動」なんてものはほぼ起こり得ないでしょう。

三島についても「運動」についても、それらはもはや現実味の無いフィクションのように私たちの目には映ります。しかしながら、私はこれでも割と真剣に「どうあるべきか」ということを考えてきたつもりですし、その思考の重たさというものに苦しみ、それを共有できる誰かを探して来たように思います。「生きる」だとか「死ぬ」だとか、そういうことをもっとちゃんと誰かと話したいなぁ…そんなことを考えている私にとっては、こういった深く鋭利な討論ができる事態というのは非常に楽しそうだと思えました。もちろん、とても息苦しい時代のようにも思いますけれど。

私はちょうど1年前に適応障害という病気になって、自殺未遂をやらかしたりしたわけですが、そうやって病名がつく前から本当に辛く、苦しかったです。というのも、「自分は何のために生きているのか」ということを10年近くぐるぐると考え過ぎた結果、「生きる意味はない」と結論付け、「死にたい気持ちが臨界点を越えて行動に移すまでが自分の人生の在り方だ」と思いながら生きていました。そんなときにちょうど良く病気になって、自殺を図ったわけですが、死ぬことができずこうしてのうのうと生きています。そして、病気から回復するにあたって、今の私の生きる指針は「考え過ぎない」、「適当に生きる」ということです。生きる目的が見つからなくても、どんなに怠惰で情けない自分であっても、とにかく今の生きている自分という存在が最高!と思うようにして生きています。おかげで病気になる前と同じような苦しみはありませんが、反面何か人生に対する熱量のようなものは失われてしまったようにも思えます。果たしてあれを「熱量」と呼んでよかったのか、それはわかりませんが。ともかく、私もまた真剣さや熱を過去に残して、死ぬべき時に死ねなかった者として、今を生きています。それは全共闘の運動が消えていった後に残された彼らと同じような感覚なのかもしれません。だからこそ、本作の真剣な討論には面白さを感じますし、そういう時代に生きれていた彼らを羨ましく思い、こんな感じのまとまりのないブログを書くに至っています。

時間や持続を求めた三島が、社会的な時間と切り離されて独立した時空間を生み出す文学を得意技としており、しかも呆気なく自殺で生涯に幕を降ろしています。対して、社会とは切り離された刹那的な自由を求めた芥青年は、今になっても芸術活動をしながら生命を持続させ、自らの存在を1つのかつての運動の成果として誇っています。そんな皮肉な矛盾に面白味を見出したりしつつ、私もまたあれだけ「死にたい、死にたい」言っていたのにもかかわらず、こうしてぼんやりと生きる道に誘われておるわけです。

本作を通じて、久しぶりに私も「自分の思想や立場をはっきりと持って、生きねばな」と思わされました。その自らの指針がどんな皮肉な形を取るか、それすらも楽しんで生きていきたいと思うわけです。

 

最後に…

言い訳です。何日かに分けてこの記事を書いており、しかも気が向いたときにしか書き進めないので、書き上げるのに1か月以上かかっています。おかげで、言いたいことは二転三転しているでしょうし、文の繋がりもきっとおかしなことになっています。自分でも納得のいく出来ではありませんが、ほかに書きたい記事があるのでもう精査するのがめんどくさくなり、もうアップしてしまいます。

もっと文章を上手く書けるようになりたいですね…反省です。

「宮本佳林 LIVE 2021~ダリア~ 2021.9.4 NHK大阪ホール」ライブレポート

ハロプロ卒業生で現ソロアイドルの宮本佳林ちゃんのライブに参戦してきたので、ライブレポートを残しておきたいと思います。

コロナ禍の中でライブに参戦するというのはなかなか勇気がいることですし、人によっては批判をしたくなる方もいるでしょう。それはそれで仕方のないことではありますが、1つ断っておきたいのは、ハロプロ関連のライブは、消毒・検温はもちろん、入場者数制限(前後左右の席が空席)、規制入退場、追跡登録等をしっかりしているのでかなり徹底して感染症対策を行っているということです。加えて、観覧中の歓声は禁止で観客もそれをかなり真面目に守っているので、安心感は高いですね。そんなわけでこんなご時世にライブ参加した後ろめたさを小さくしつつ、ハロプロの力になれればと思いながら、この冒頭を書かせていただいております。

そして、これは完全に個人的なことですが、実はこの記事は1回書き上げていたのですが、何故か投稿するタイミングで白紙で投稿されてしまい、完全に1から書き直しております。履歴等も全部真っ白になってしまい、バックアップも無く、かなりテンションが下がっています…故にちょっぴり気合いが入っていない文章になってしまうかもしれませんが、その点ご留意いただければと思います。

 

 

1.セトリ

1.優柔不断だね、Guilty

2.タメライ

3.少女K

ーMC1

4.イイ女ごっこ(新曲)

5.Happy Days(新曲)

ーMC2

6.赤いスイートピー(カバー:松田聖子

7.やっちまいな(カバー:森高千里

8.ミステイク(ハロプロ研修生ユニット)※佳林ちゃん抜き

ーMC3(ハロプロ研修生ユニット自己紹介)※佳林ちゃん抜き

9.Go Your Way(ハロプロ研修生ユニット)※佳林ちゃん抜き

10.彼女になりたいっ!!!

ーMC4

11.若者ブランド

12.愛してるの言葉だけで

ーダンスパフォーマンス

13.どうして僕らにはやる気がないのか

14.Va-Va-Voom

15.落ちこぼれのガラクタだって

16.この世界は捨てたもんじゃない

MC5

17.氷点下

<アンコール>

18.未来のフィラメント

ーMC6

19.天まで登れ!

 

2.ざっくり感想

ライブに参戦して、「どんな感じのライブだった?」と聞かれたとき、私は「ソロアイドルとしての宮本佳林が堪能できたよ!」と答えると思います。まずはソロ曲が多いセトリなので、ハロプロ及びJuice=Juice卒業後もある程度佳林ちゃんを追っている方じゃないとハロヲタでも「知っている楽曲が少ない!」となるかもしれません。しかしながら、Juice=Juiceの楽曲も2曲やってくれましたし、何と言っても佳林ちゃんがリアルタイムで関わっていたハロプロ研修生の楽曲も2曲やってくれたので、私のようにずうっと佳林ちゃんを追っているヲタにとってはかなり満足のいくライブだったのではないでしょうか。唯一、コピンクス*の楽曲がなかったので、それはちょっと寂しかったですが。松田聖子さんのカバーなどもあり、佳林ちゃんの趣味を堪能できる一面もありましたね。

と、こんな風に佳林ちゃんの色々な面が観られるセトリだったわけですが、特にソロ曲では佳林ちゃんのソロアイドルとしての自由な表現力が堪能できたように思います。グループでやっているときはやっぱりある程度表現に制約がかかるものなんだなぁ、と逆説的に実感しましたね。1曲の中でも緩急をつけたり、声音の使い分けであったり、細かいところでは髪を振り乱してパフォーマンスする姿だったり、「やりたいことを詰め込んでいるなぁ」という印象でした。

そして、ここまでちゃんと触れてきませんでしたが、一緒にパフォーマンスしてくれていたハロプロ研修生ユニットの4人も素晴らしかったです。恥ずかしながら、私は研修生には疎くて、ちゃんとパフォーマンスしているのを観るのは初めてだったのですが、みんなレベルが高くて良かったです。個性も感じられましたし、遠目ながらみんな可愛かったです。

これはちょっと失礼なことかもしれませんが、ハロプロ研修生ユニットの4人と佳林ちゃんのパフォーマンスを比較することでも、「やっぱ宮本佳林はすげぇな!」と思うことができます。さすがにダンスのパワフル度合はダンスに集中している研修生ユニットの子たちの方が上回っている場面も多いですが、佳林ちゃんは歌いながらでも見せ方がずば抜けていて、しなやかな体使いや要所要所でのキレはまさに玄人という感じでした。ライブで表現することが好きなんだな、と伝わって来るのも佳林ちゃんの良いところです。

最後に言っておきたいのは、ライブを終えて会場を後にするとき「元気もらえたな!」と胸が暖かくなったということです。佳林ちゃんが「元気を与えたい!」と強く思っているからこそ、こういう気持ちになれたのだと思っています。その健気で熱い気持ちが伝わってきたことが何よりも嬉しかったです。

 

3.ダリア(ツアータイトル)について

「ダリア」についてネットで調べると、開花時期が夏から秋にかけてということでまさに今の時期になりますね。前回ツアーの「アマリリス」は春から夏にかけてのお花なので、時期に合った花の名前をツアータイトルにしているのだということがわかりますね。ちなみに「ダリア」の花言葉は、その見た目の通り「華麗」や「優雅」、「気品」などがあるそうです。

 

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ライブ開幕時、緞帳がゆっくりと上がる中、佳林ちゃんは1輪のダリアを手に持ちながら座った格好でポーズを決めていました。そして、ショパンの「英雄ポロネーズ」の流麗なフレーズが流れる中、ステージ中央の花瓶にその1輪のダリアを活けるシーンからライブがスタートしました。黒くスタイリッシュなテーブルの上、ガラスの花瓶に活けられた美しいダリアは最初のブロック(1曲目~3曲目)までステージ上で佳林ちゃんのパフォーマンスを見守っていました。特に最初のブロックの楽曲は、「ダリア」の雰囲気にマッチするような大人っぽく、艶やかさのある楽曲だったと思います。最初にツアータイトルの「ダリア」を回収するようなパフォーマンスだったので、観ていて心地よかったですね。ツアーに向けての確固たる意志が感じられるのは素敵なことです。

MCを挟んで4曲目からは、一旦「ダリア」はステージの後ろに片付けられ、ライブは新たな展開を見せることになります。4,5曲目が新曲だったので、MCで軽く触れる必要があったのかもしれませんが、特に4曲目の「イイ女ごっこ」は「ダリア」の雰囲気にもよくマッチする、マイナー調の大人っぽくてお洒落な楽曲だったので、4曲目までを1ブロックとしても良かったのかとも思いますね。ただ、最初のMCで挨拶をすることを踏まえると、新曲の話題を入れるのは内容がごちゃっとするから仕方なかったのかなとも思います。こうして落ち着いて記事を書いていると腑に落ちますね。

それからしばらくは「ダリア」というタイトルからは離れて様々な楽曲が続きます。5曲目の新曲「Happy Days」は元気で軽やかな感じの楽曲だったので、ここからはライブの雰囲気は一変しました。カバー曲のブロック、ハロプロ研修生ユニットのパフォーマンスと続き、最後は佳林ちゃんも合流して「彼女になりたいっ!!!」。

そして、また佳林ちゃんのソロ曲をやった後に、ダンスパートが始まるのですが、ここで再び「ダリア」が登場します。この花瓶に活けられた「ダリア」の傍から始まるダンスパートが雰囲気Maxで素敵でした。ダンスもかなりカッコ良かったです。そして何と言っても、それに続く初のソロ曲「どうして僕らにはやる気がないのか」はシングルCD収録予定と思われる新しいアレンジで、佳林ちゃん渾身のパフォーマンスも相まって、最高の時間でした。個人的に「ダリア」という花からは生々しい生命力を感じるのですが、その生命力というものを強く感じる1曲でしたね。

ここで「ダリア」もしっかりと退場。「ダリア」の登場タイミングをよく考えることで、ステージセットを楽曲雰囲気に合わせて変えているような効果があり、きちんとステージ構成を意識しているんだなと思わされ、そのこだわりが素敵でした。

でも、いつか「イジワルしないで抱きしめてよ」、「裸の裸の裸のKISS」、「SEXY SEXY」などの楽曲も使いながら、全曲「ダリア」っぽい楽曲で固めたライブも見てみたいですね(笑)。こういう路線の楽曲は単純に私の好みでもあるので。

 

4.ハロプロ研修生ユニット

米村姫良々ちゃん、石栗奏美ちゃん、窪田七海ちゃん、斉藤円香ちゃんの4人が参加してくれましたが、申し訳ないことに私はまだ彼女たちのことをよく知らなかったので、今回はとても良い勉強になりました。というわけで、初心者の私なりに4人の印象をまとめたいと思います。

米村姫良々ちゃん:注目の研修生ということで前々から話題になっていましたが、やっぱりそのはっきりしたお顔立ちが強いですね。歌声は若干ピッチが不安定なところがあったかもしれませんが、ちょっと硬質でパキっとしたお声なのでとても印象に残りました。ダンスに関しては本当にシルエットが素晴らしく、同じ振りをしていてもアイドルらしい魅せ方がとにかく上手でした。どこか浅倉樹々ちゃんを彷彿とさせますね。とにかく目を惹く子でした。

石栗奏美ちゃん:アイドル三十六房でぱいぱいでか美さんが「ライブジャンキー」と評しているだけあって、パワーを感じさせるパフォーマンスが良かったです。背が高く、手足も長い印象ですが、それがバシバシ動いているのは見ていて気持ちが良いです。歌声もダンスも迫力があるので、岸本夢乃ちゃんっぽさがありますかね。ギャクを披露するタイプには見えませんでしたが、実際のところどうなんでしょう?

窪田七海ちゃん:ツインテールが可愛らしく、1番ぶりっ子的な感じが似合う子でした。ぴょこぴょこ感と言ったら良いのでしょうか。サイドステップも誰よりも膝を内側に曲げていて、全力でアイドルをやっているのが素敵でしたね。歌もダンスも安定して上手だったように思います。現役ハロプロアイドルだと岡村美波ちゃんらしさを感じました。絶対一定数のファンを獲得するタイプですね。

斉藤円香ちゃん:4人の中では1番素人っぽさが残っている子です。薄めのお顔ですが、品があってとても可愛いです。個人的には1番タイプでした。歌声もMCの声もほんわかしていて、そんなところも可愛らしく、踊りもまだまだ試行錯誤という感じですが、だからこそ成長が楽しみですね。そういう意味で、初期の植村あかりちゃんっぽさがあると言えるでしょうか。

4人とも既に個性があって、BEYOOOOONSからの世代は本当に自己プロデュースが上手だなぁと思いますね。MCでは「好きな先輩は〇〇さん。っと、宮本佳林さんです!」とみんなで笑いを取っていて、おそらくは佳林ちゃんの指導もあったのですが、初々しい感じも残していて素敵でした。自分たちの楽曲だけでなく、佳林ちゃんとのパフォーマンスにも一生懸命取り組んでくれていて、佳林ちゃんヲタの私は嬉しくなってしまいました。きっと今後贔屓目に応援していくでしょう。刺激をありがとうございました。

 

5.見どころ

とりあえず新曲の「イイ女ごっこ」はだいぶ好みでした。重ためでテクニカルなビートに切ない感じの短調っぽいメロディが重なっており、「ダリア」というツアータイトルに相応しい雰囲気がありました。Bメロのサビ前に一瞬だけ明るく長調っぽいセクションがあるのですが、その明るさもどこか切なさを帯びていて、そこに続くサビが引き立たされていました。間奏のダンスもカッコ良かったですね。佳林ちゃんも気持ちを乗せやすいみたいで、ピッチが怪しくなるほど声を張り上げる部分もあったのですが、メロディラインには流麗なところもあって、そこでは艶やかな声音を活かしており、1曲で色々な表現が観られる素敵な曲でしたね。同じく新曲の「Happy Days」は対極的に明るく軽やかな楽曲で、可愛く元気な佳林ちゃんを堪能できました。

赤いスイートピー」や「やっちまいな」といった佳林ちゃんが好きそうな80年代アイドルのカバー曲を見られるのも、佳林ちゃんのソロコンサートならではですよね。こうやって往年のアイドル楽曲をガチのクオリティで歌い継いでいる子がここにいるんだよ、ということを世間にも知って欲しいと思ってしまいますね。ソロになって好きなことが思うようにできるようになって良かったね、と心から思います。Juice=Juiceの佳林ちゃんももっと見ていたかったですが(笑)。ないものねだりとはこういうことでしょうか。

そして、佳林ちゃんのソロライブと言えば、この2曲。「どうして僕らにはやる気がないのか」と「氷点下」ですね。

「どうして~」の方はもう言わずもがな、佳林ちゃんのソロ初曲で配信音源にもなっていますね。2021年12月1日の佳林ちゃん23歳の誕生日には、初シングルCDの1曲として、新しいアレンジになって発売される予定です。ステージを広く使い、縦横無尽に動き回り、ピッチなんてものはそこそこにとんでもない熱量を込めたパフォーマンスが胸を打ちます。グループアイドルではここまでやったら破綻してしまうと思いますが、ソロだからこそリミッターを外してどこまでも貪欲に表現に魂を込められるのでしょう。アップフロントの中の人、橋本さんも「宮本佳林はなんかエモい」と言っていましたが、確かにその通りだとこの曲を聴くたびに思います。圧倒的なスキルを持つ佳林ちゃんがそれを投げうってまで、熱量に振り切ったパフォーマンスにこちらも息が苦しくなるほどです。思い出しても鳥肌が立ちますね。

対して「氷点下」は、繊細な表現が胸を締め付けてくれる良曲です。顔をドアップで観て、その些細な目線の変化まで追いたくなるような。佳林ちゃんが極めたアイドルとしての表現を極限まで駆使しているわけですが、今回はそこに深い情念のようなものまで乗っかって神憑り的なパフォーマンスでした。いつも最後の「でも…」のところでどんなニュアンスの表現を見せてくれるのか楽しみにしています。本公演では落ちサビのところからほとんど泣き声のようで、音程は最低限守っているという感じで、聴いている側が苦しくなるほどでした。遠い席だったのであまりよく見えなかったのですが、涙こそ流れていないものの目は潤んで表面張力ぎりぎり、声も震えていてその没入具合が最高でしたね。

アンコール明けの「未来のフィラメント」の2番は音源と同じように、声音をイケボイスとロリボイスを使い分けていて、器用なパフォーマンスが見られました。この声音の使い分けは佳林ちゃん自らレコーディング時に進言したらしく、そうやって佳林ちゃんの趣味や発想をフルに活かせているのも素敵ですよね。卒業コンサートで歌った記念碑的なこの曲をまた聴くことができて嬉しかったです。

あとは、やはり「彼女になりたいっ!!!」と「天まで登れ!」ですね。「彼女になりたいっ!!!」はMCでも話していましたが、佳林ちゃんの声が初めてCDになったつんく♂さんの楽曲です。それをハロプロを卒業した今、研修生ユニットと一緒に歌ってくれているのがとても感慨深いです。つんく♂さんが言うところの「歯を食い縛りながらも元気っ子」だった時代を彷彿とさせる若々しさで、きゅるんきゅるんな歌声が最高でした。MCでは、「歌詞がなかなか覚えられなくて、リハーサルでもずっと成功しなくて」という話から、「当時は田辺奈々美ちゃんに頼ってばかりだったから」とあの田辺奈々美ちゃんの名前も出て来て、懐かしい気持ちにさせられました。ライブ最後の「天まで登れ!」は、佳林ちゃんがJuice=Juiceに選ばれてから研修生と一緒に歌った楽曲で、これも研修生ユニットと歌っているのが非常にエモかったです。会場全体でやったウェーブも何だか心が温まりました。

 

6.コロナ禍で

最後のMCでも丁寧に喋ってくれていましたが、楽しい時間を作れるように心を込めていることが伝わって来て、素敵なライブでした。最初の方のMCでも、声援ができない分、クラップで盛り上がってくれてもいいし、じっと見てくれてもいいから、とにかく楽しんで欲しい旨を喋ってくれていて、とにかく佳林ちゃんのそのライブに対する健気な想いに胸が熱くなりました。色々と厳しい状況ですが、こんなご時世だからこそ、佳林ちゃんなりに楽しい何かを伝え、元気を与えたいと思ってくれているのがビシビシ伝わってきましたよ。いつもパフォーマンスで信頼関係を作り上げたいと言ってくれていて、今回もその通りのライブでした。

最後の「天まで登れ!」の前には、「この曲でみんなで1つになりましょう!」と煽って、パフォーマンスの後にはマイク無しで「ありがとうございました!」と元気に叫び、そして長時間にわたって客席に向かって手を振ってくれました。きっとライブを主宰する側にもどこか後ろめたさのものはあるのでしょうし、だからこそせっかく来てくれた人たちには元気を与えたいと思ってくれているのでしょう。そういった誠意の込められた公演に参加できるというのは、本当に胸が暖かくなりますし、明日への活力を貰うことができます。

改めて、ここで私からも感謝を述べたいと思います。

元気と感動をありがとうございました!

 

最後に…

私個人のことですが、昨年の10月に適応障害という病名がついて、今が9月ですからようやく1年が経ちました。この1年、とても長かったです。今は仕事にも無事復職して、こうして心身の調子を気にすることなくライブを楽しめるまでに回復したのは本当に喜ばしいことです。

本当に調子が悪いときは、ほとんど何も感じることができず、ただ苦しみの沼に溺れているだけでした。アイドルからも元気を貰うことができず、しんどかったです。こうしてアイドルのライブに行って、元気を貰って、また明日からもしっかりと生活を営んでいこうと思える…それが尊いことだったのだなと今になって実感できます。

またライブに行きたいと感じさせてくれるライブに今出会えたのは本当にラッキーだと思いました。こんなご時世ですが、次のライブに参戦することを楽しみに日々をちゃんと生き続けたいと思います。

これからもどうぞよろしくお願いいたします。

適応障害と診断されまして… vol.70

適応障害と診断されて307日目(8月17日目)にこの記事を書き始めています。先ほど、1か月ほど放置していた書きかけの記事を投稿したばかりです。

 

前回

eishiminato.hatenablog.com

 

前回記事の最後に、記事を放置していた理由を今回書くと宣言しましたので、これからそれを始めていきたいと思います。

 

 

1.カレンダーはもうつけていない。

7月27日を最後にもうカレンダーはつけていません。カレンダーと私が呼んでいるのは、いわゆる日記のことで、どうして「日記」ではなくて「カレンダー」と呼ぶことにしたのかはもう覚えていません。

最初は何となく書き忘れていたくらいだったのですが、そのまま書かない日が何日か続き、気がつけばもうカレンダーを書かなくなってしまいました。部屋の壁にかけているカレンダーにも、×印をつけたり、「適応障害と診断されてからの日にち」、「復職してからの日にち」などをつけていたのですが、それも合わせて放置してしまっています。

そうなった理由の1番大きなところは、私の中から何か切迫したものが無くなったからのような気がします。そもそもこうしてブログなどに、日記をつけ始めたのは、適応障害からの治療の過程を書き留めておこうと思ったからでした。なので、割とこまめに感じたことや考えたことなどを書き留めていて、そんな日々が286日間も続きました。もちろん、書き忘れた日もたくさんありましたし、後からまとめて書くこともざらにありました。それでも、それなりの頻度でブログを更新して、ここまで適応障害の治療の経過を書き連ねてきました。それができたのは、私には「書くべきこと」があったからです。

何につけて文章にしないことには、頭の整理ができない非生産的な人間である私にとって、この「適応障害と診断されまして…」というブログ記事たちは、「精神病」とされる適応障害とどのように向き合いどのように治療していくかということについて思考錯誤してきた私の足跡であります。このブログを書いていたからこそ、私は自分の考え方の傾向など、「精神病」になってしまった原因を掘り下げ、それに何らかの対処を講じることができたように思います。

つまり、このブログは私にとって「治療」の一部であったと思うわけです。

だからこそ、先に述べたように私はこのブログを書くにあたって、何とも言えない切迫感を抱いており、こんがらがった思考を整理するために「書かねば!」となっていました。

そんな気持ちが7月末あたりから薄れていき、結果的に私はブログを書くことをしばらく放棄してしまっていました。では、なぜそんな治療に向けた切迫感が私の中から消えていったのでしょうか。それは、とりもなおさず、私が………

治ったから

です。

正確には私はまだ薬を飲んでいますし、日中に眠気を感じることがあったり、体力がまだ落ちたままであったり、と色々と万全とは言えない状況ではあるのですが、それでも私は半分の懐疑心と半分の確信、それからちょっとした躊躇いを以ってここに宣言します。私は無事、適応障害の治療を進め、ほぼ回復したと言えるところまで来ました!

いえーい。

と、少し恥ずかしさに頬を赤らめながら、拳を天に向けて突き上げてみます。

私にとっては治療の一部であった、このブログとカレンダーという名で呼んでいた日記。それは回復した私にはもうあまり必要のないものになっていたのでした。

 

2.長い治療生活

適応障害と診断されてから、307日が経過しようとしている今日。今日を以って、回復したというわけではなく、きっと数週間前から私はほぼ回復していると言って良い状態でしたが、明らかに体調の変化を感じたのは7月に入ってからでした。兆候は1か月の再休職をしていた6月の中旬(約250日目)くらいからあったように思います。薬に頼りながらですが、私は長い時間をかけて、自分の力で療養を続けてきました。職場にもたくさん配慮してもらいましたし、両親にもだいぶ頼りましたが、「適応障害」という病気に向き合い、「何をどうすれば良いか」ということはほとんど自分1人で勉強してきたように思います。

最初はほとんどパニック状態でした。息苦しさが抜けず、そわそわ感が治まらず、とてつもない疲労感に襲われて私は何もすることができませんでした。体を起こすのも辛いし、外に出るのも苦しいような体調が続きました。そんな病気の初期段階の私が学んだことは、「自律神経」でした。

うつ病を始めとする精神病から来る、明らかな身体症状というのはつまるところ「自律神経の極端な乱れ」であるという風に考えていました。それはそれで間違っていなかったと思います。不調はあくまで身体症状であると認識していた私はまず生活習慣から見直し、色々なルーティンを作り上げることに力を入れていました。中でも入眠ルーティンを作り上げたのは、大きな成果であったように思います。それまで私は「健康」というものを軽視してきたので、改めて「健康な状態とはどういう状態か」ということを睡眠や食事といった切り口、それから自律神経の成り立ちという視点を介して勉強しているのは楽しかったですね。そこで学んだことは今の生活にも色々と生きています。

しかし、そのように「身体面の体調を整えれば良いのだ」という考えは、つまるところ私がまだ「心の在り方」を軽視していたことにほかなりません。私は適応障害になるより以前から、ずっと「死にたい」という気持ちを抱えながら生きて来ていました。事実、私は長い間、自分のための創作物の中で、何度も主人公を自殺させたりして何とか心の平衡を保っているような有様でした。今回の適応障害という病気は、転勤に伴う事故のようなものであるという考え方があったわけですが、その背後要因にはそのような長い期間にわたる私の心の状態があったことに私も薄々勘付いていました。

それをはっきりと認識するきっかけになったのは自殺未遂です。

良くも悪くも私のそれまでの人生の目的は「死ぬこと」でした。部屋の壁の強度の問題で偶然死ななかった私は、臨死体験のようなものをすることができました。それによって、それまでの私の人生の目的は仮達成されたわけです。それにより、10年近く私を苛んできた希死念慮は1つの到達点を見て、私の中で明らかに価値観が変容しました。もちろん、自殺未遂をする前後は酷い精神状態・体調でしたが、自殺未遂をして数週間すると「もう死にたいと思わなくていいんじゃないか」と思えるようになりました。

これは私の中では結構自然な感情の流れであり、というのも、繰り返すように私はかなり本気で「死にたい」と長年考え続けてきたので、その欲求が仮達成されてしまうと私には次の目的地を探そうという気持ちが芽生えたのです。これによって、私は身体面だけのケアだけでなく、新しい目的地を探しがてら、心のケアも始めていくようになったのです。「嫌われる勇気」のようなより精神面に近いような書物も色々と読むようになり、人生においてどのような考えを持てば、より辛くない人生を送れるかということを考えるようになっていったわけです。それまでの私はいかに苦しみを享受し、それを自分なりの文章に置き換えたり、自分の苦しみを様々な芸術作品と共鳴させるようなことで鋭い幸福感を得ようと躍起になっていました。そのような人生のベクトルから離れることがやっとできるようになったのです。

「もう死にたいと思わなくていいんだ」という1つの転換点は私にとってはとても大きなもので、そこから色々なものがようやく変わっていったように思います。自殺未遂から数か月かけて私は会社を休職しながら、かなり前向きな考え方を持てるようになってきました。

その中で1つ私が意識して頑張ったことは、両親との関係の修復です。別に私は両親と何か確執のようなものがあったわけではないのですが、ずっと「この人たちとは一生わかり合えないだろう」と考えてきました。というのも、私はずっと「死にたい」と考えていたわけで、そのことが根幹にあったために、両親には正直な気持ちを打ち明けられずにいました。自分のこの希死念慮をこの社会の人たちは誰も認めようとはしないだろう。ならば、誰ともわかり合えるはずはない。と、両親どころか全ての人間を忌み嫌っていたわけです。それ故に、私は誰にも心を開くことができない人間になっていました。しかし、病気を患う中で、私は致し方なく両親の前で号泣する羽目になったりと、酷い状態が続いており、次第にプライドのようなものもなくなっていきました。そして、最終的には「もう死ななくていいんだ」と思えるようになってから、ようやく私は両親に対して、ちゃんと自分の気持ちを説明することができました。今まで「死にたい」と本気で思っていたこと、そして今回の病気の原因の根幹にはそんな自分の価値観があるということ、そんなことをようやく話すことができたのです。

私には帰れる場所が必要でした。高校卒業と同時に1人で暮らすようになり、その中で随分と孤独と戯れて時を過ごしてきましたが、ここまで心身共に弱っている状態では、もはやどこか温かい場所で療養するか、また孤独のもとで首を括るしかないという状況でした。そして、私は死ぬことをやめたわけですから、恥も外聞も投げ捨てて、温かい場所で療養するしか選択肢はありませんでした。それが私にとっては両親のもとだったわけです。

結果的に、この両親との関係性の修復は私が社会生活を取り戻すうえでは大切な一歩になりました。それまで私は他人に対して心を打ち明けたりできず、気を使ってばかりで疲れるので人間関係というものが億劫で仕方ありませんでした。だから、私は誰かを遊びに誘う事なんてできませんでしたし、まったりとした感情で他人と話すことも難しく感じるような人間だったのです。お酒を飲んで何もかもどうでも良いというときしか、落ち着いて他人と過ごせないという感じですね。しかし、この両親との関係という1歩から始め、そんな自分を少しずつ変えることができるようになってきたと思います。ようやく私は他人との関わり方を学んだわけです。それが私と社会と向き合うためにとても重要であったことは言うまでもありません。

一度復職してからも私は体調不良が続き、これは薬が合っていなかった疑惑もあるのですが、結局無理が祟り、また自殺未遂をすることになったりもしました。しかし、私の中では色々なことが少しずつ変わっていっていたのです。

1つ目には両親との関係性が良好になってきたことによって、「もう無理だと思ったら、実家でフリーター生活をする」というかなり横暴な選択肢を両親にも受容してもらえました。これが私の1つのセーフティネットになったわけです。そして、それまで何かと「耐える」ということばかりだった私と社会との関わり方も少しずつ変わっていき、「もうこの職場では無理そう」ということを産業医を含めた上司との面談で訴えることができました。これを経て、私はようやく配置転換の切符を手にすることができました。これが2つ目の私にとっての大きな変化です。両親の次は、会社に甘えることができました。

そして、その産業医との面談でカウンセリングを無料で受けられる会社の制度を紹介してもらったり、同じく適応障害に罹っていた同期と連絡を取ることもできたり、私の周りで具体的なサポート環境が整っていきました。カウンセリングや同期との会話や、同期から紹介してもらった本を通して、私の中で少しずつ「回復のために目指すべきところ」が明確に見えてきました。

身体面の調子の整え方を最初に勉強しました。そして、次に私を苦しめる元凶であった私の「死にたい」と思い続けるという価値観を改めることにもなりました。しかし、それでも、私は相も変わらず心身ともに不調があり、そのことが社会生活を営むうえで大きなハードルになっていました。身体面、精神面ともに私は改めたのになぜまだ万全な状態でないのか。それが私にはわからなかったのです。

職場が変わり、そこで少しずつ慣れていけば、自然と治るものなのか。では、そこではいったい何を以って治ったとすれば良いのか。不調に慣れるのと、治るのは何が違うのか。そもそも私のこの心身に付き纏う「なんか嫌な感じ」の正体は何なのか。それが私にはまだわかっていませんでした。しかし、その答えがカウンセラーと会社の同期のおかげでようやく見えてきたのです。

 

3.うつ病適応障害)って何だったの?

上述の私に付き纏う「なんか嫌な感じ」の正体、それがすなわちうつ病適応障害の根幹だったのです。もちろん、自律神経の乱れに見られるあからさまな身体面の不調、それから希死念慮に強く執着する誤った価値観というのも、精神疾患と密接に関係しているものでしょう。でも、よくよく考えて見れば、私は適応障害になる以前にも夜勤続きのせいで自律神経失調症になったことがありますし、希死念慮への執着なんて10年近くも続いていたものでした。しかし、適応障害と診断されてからは明らかに何かが違うのです。「明らかに」という言葉を使いましたが、それが何なのかを説明することはそれまでの私にはできませんでした。それが何なのかを教えてくれたのは、同期が勧めてくれた本でした。

そこでは「うつ病とは反芻思考である」と書いていました。その頃には私は反芻思考というものがうつ病の症状であると知っていましたし、反芻思考を止めるテクニックを色々と知ってもいました。その1つは、前に書いた記事でも紹介した「逆回転、逆視点」などを用いたものですし、広く知られているのはマインドフルネスなどがありますね。

 

eishiminato.hatenablog.com

 

しかし、今になって思うのは、反芻思考自体がうつ病であったのかな、ということです。一度、うつ病になると心身の調子が狂うことに恐怖するようになります。さらには自分のこれまでの経験や歴史、持病や持って生まれた考え方などにも恐怖するようになってしまいます。簡単に言えば、「こんな自分がまた社会生活に戻れるのだろうか」や「社会に戻ってまたストレスを抱えたら今度こそ壊れてしまうのではないか」といった恐怖心を常に抱いている状態が、私の考える反芻思考です。

言ってみれば、全てのことに自信が持てなくなるのです。

そして、その自信の無い自分に捉われてしまう。それがすなわちうつ病だと思うのです。この恐怖心は、過去の失敗(うつ病になってしまったこと)から来るものでもありますし、未来の失敗(うつ病が酷くなってしまうこと)から来るものでもあります。ですから、マインドフルネスなどでは過去や未来から離れて現在に集中することで、この絶え間なくもたらされる恐怖を知覚し、そこから逃れる方法を勉強するわけです。

ですから、私が言いたいこともまさにそれになります。うつ病によってもたらされる絶え間なく続く恐怖心は、それを恐怖と認識できないことに1つの難しさがあります。それは、スマホやパソコンなどで行われているバックグラウンドプロセスのようなもので、気づかないうちに私たちの脳の処理能力を割いてしまっているのです。

・外に買い物に出掛けよう(できるだけ外界からの刺激を減らすためにイヤホンをしていこう)

・夕食を食べに行こう(生活リズムが崩れると嫌だから、できるだけ早めに帰って来よう)
のように、自分ではあまり気にしていないつもりでも、病気のことを考えて少し及び腰になっているような状況が私は続いていました。最初は、ただ外に出るだけでも相当キツかったので、こんな風に考えられるようになっただけでも私はだいぶ回復していたとは思うのですが、最後はこの思考のバックグラウンドプロセスに調子を狂わされ続けていました。

これを断ち切るのは難しいものでした。認知行動療法やマインドフルネスなどを通して、気づきを得ることもできましたが、1番大切だったのは「今はこれでいい」という言葉だったように思います。細川貂々さんの著書である「それでいい。」の中で使われていた言葉ですが、私は医者に病気と診断されるくらい痛めつけられていたわけですから、不安になるのは当たり前のことですし、心身の調子が崩れるのは当たり前のことでした。しかし、本当なら耐えられるほどの不調にも怯え、そのことによって余計に調子を崩しているのがその頃の私の現状でした。そんな私にとって、多少の不調は織り込み済み。だから、ちょっと調子が悪くても「今はこれでいい」と思えるようになることが、最後のその「なんか嫌な感じ」を受け入れるためにとても重要だったのです。

「あぁ、なんか今、嫌な感じが来ているなぁ」とまずは気づいてあげる。それは、これまでの勉強を通してできるようになったことです。そして、そこでその「嫌な感じ」に何らかの対処をしようとしたり、不安になったりするのではなく、ただそこに「嫌な感じ」があることを認め、「いやいや、これくらいの嫌な感じはあって当然でしょ。だって、まだ治ってないんだし。申し訳ないけど、もう君に恐れおののいて、あれこれ慌てふためくほど、私も病気歴が短くないんだよ」とどっしり構えるのです。これが続けてできるようになり、そして実際にそれ以上に調子が崩れないという自信を得たことにより、私はこうしてこのブログで「治りました」宣言をすることができるようになったわけです。

どうやって治していくのか。

うつ病はよく心のサインを無視し続け、理性や何やかやで縛り付け、結果的に自己虐待を続けたことにより発症するものとされています。私もその通りだと思いますし、事実私の発症経緯もそのような感じでした。そして、一度発病すると社会生活を営むことが難しくなるので、そうなったら大人しく休養するしかできなくなるのが普通です。幸い私は休むことができたので、それなりにゆっくり休みました。同じ病気に罹った同期に私の話をすると、「全然休めてない!」と怒られますが、それでも私はまだ休めていた方だったようにも思います。幸いなのか、守らなければならない家庭もありませんでしたし。

身体症状は生活習慣を整えることで大きく回復すると思います。がちがちにルールを決めると、逆にそこから逸れたときに不安が増すので難しい部分もありますが、それでも少しはルールを決めて、生活から体調を整えていくことは大事だと思います。というのも、うつ病などで苦しいときは、そもそも朝起きることができなくなったりするので、できる日だけでも健康的な生活を意識することは、負のループに入らないためにも大事だと思います。ご飯が食べられたとか、シャワーを浴びれたとか、そういう小さなことの積み重ねが自信に繋がりますし、回復の一段階だと思います。

もちろん身体症状と心は密接に関係しているので、心のケアも大切です。フロイト的な過去のトラウマを遡ったりすることは、むしろ心を痛めつけることになるからやめた方が良いと色々な本で書かれています。しかし半分はその通りだと思いますが、半分は私は反対意見ですね。過去に捉われても何も良いことはありませんが、自分の考え方の傾向を知って、現状を知ることは必ずしも無益とは言い難いです。特に、私のように、確固たる考えを以って自己虐待を続けてきたような人間にとっては、結局のところそこに折り合いをつけないことには、どこにも進むことができません。そのためには自己分析は必要なことに違いないでしょう。ただ、私とは違い、「本当は幸せになりたいのに!」と考えている方にとっては、やはりそういった過剰な自己分析は必要ないのかもしれませんね。

結局のところ、有用なのは広い意味での「認知行動療法」と「マインドフルネス」であることは、私の発病当初の見立てと変わりありません。それと、既に社会生活に復帰しつつある方は「ストレスコーピング」ですね。

うつ病は脳の病気だから、心なんて関係ないということもあるのかもしれませんが、心に原因があると少しでも思っているのであれば、やはり「認知行動療法」は欠かせないと思います。よくある「上司が挨拶を返してくれなかった」⇒「何か悪いことをしたのか」⇒「不安、焦り」⇒「いつも失敗ばかりの自己嫌悪」⇒「消えてしまいたい」のようなわかりやすい認知の歪みでなくても、「眠い」⇒「疲れやストレスが溜まっているのかもしれない」のようなレベルの認知の歪みだってあります。「眠い」⇒「今日は仕事を軽めにして早く寝よう」と思えるだけで、だいぶ心の負荷は軽くなりますからね。ちゃんと自分の心に負荷がかかっていることを「認知」し、負荷方向に向いているベクトルを変えるような「行動(自動思考を意図的に制御)」することを細かく積み重ねていくことが大事だと思います。発病して間もない頃は、「仕事は休んだっていいんだ」と思えるようになることなどを、認知行動療法を通して身に着けたいところでしょうし、だいぶ回復して来てからは、多少の不調も「まだ完快していないんだから、こんなもん。今はこれでいい」と思えるようになることを身に着けたいですね。

「マインドフルネス」は何も瞑想の達人になれというのではなく、頭のスイッチの切り替え方を身に着けられればそれで良いと思います。マインドフルネスが1番意識して勉強しやすいと思いますが。とにかく、うつ病と言えば、自動思考や反芻思考で、ぐるぐると嫌な感じが頭を巡っている状態なので、それを断ち切る方法がどうしても必要なのです。最初は「筋トレしてる時だけは、頭からっぽにできる!でも、筋トレをやめて少しするとまた嫌な感じがぐるぐるする…」という感じだったりするかもしれません。大切なのは、「頭のスイッチを今切り替えているんだ」と自覚することです。そして、最終的には「いつでも自由に頭のスイッチを切り替えられるようになる」ということです。今の私はだいぶ早い段階で「嫌な感じ来てるな」と知覚し、「さぁ、これ以上、嫌な感じには捉われないぞ!」とすることができます。もはや何か具体的な行動を起こさなくても、「嫌な感じに捉われないぞ!」と意識するだけで、自分の気持ちを変化させる言葉や思考が頭に浮かびあがり、うまく自分をコントロールできるようになってきました。大切なのは、自動思考や反芻思考にのさばらせないことなわけです。

そして、当然ながら社会生活を営んでいれば、色々なストレスに見舞われるため、それをコーピングするのも大切です。私は両親との関係性を改善できたことから、少しだけ人間関係全般に自信が持てるようになり、友人と積極的にコミュニケーションができるようになりました。今では、そうやって他人と話すことがコーピングの1つになっています。1年前の私からでは考えられなかったことです。特に私は生活を蔑ろにしがちな傾向があるので、植物の世話をしたり、洗濯物をしたり、そういった生活に根差したことにも気を配るようになりました。強く控えていたお酒もたまには飲むようになりましたし、色々と変かはあったように思いますが、それは意識的に私がコーピングを行っている結果と言えなくもありませんね。ギターを歌いながら、わぁわぁ歌うのは前から変化ないことですが。そして、こうやって文章を書くことも。

そのようにして、私はようやく自分で「治った」と言えるところまで来ました。もちろん、自分だけではどうにもならなかったこともあります。特に1番大きかったことは、会社で配置換えをしてもらったことでしょう。関わる人が変わり、業務体系が変わり、私にとってだいぶやりやすい環境になりました。大きな不安や、躊躇いがあったことは言うまでもありませんが、結果的に会社に配置換えの希望を出したことは正解だったように思います。そういう希望が通る会社であったことは幸運だったと思います。しかし、何よりも私は私自身が変わったのだという気持ちの方が強いです。今の私なら前の職場でもきっとやれると思えますし(かと言って、戻りたくはないですけど笑)。

ともかく、先の事はまだ何もわかりませんが、現時点では私は「治った」と考えています。このブログを読んでくださっている方がいらっしゃいましたら、本当にこれまでありがとうございました。

具にもつかないことをだらだらと喋り倒す、酷いブログであったことを心からお詫び申し上げるとともに、改めて感謝の気持ちを捧げます。

 

最後に…

まだ不安はあります。でも、それと同じくらいの自信は得られました。せめて薬を完全にやめられるまでは、しっかり気をつけて、自分を大切に生きていこうと思います。

何か新しい、主人公が死ななくて済む、自分のための創作物を書きたいです。

 

次回

eishiminato.hatenablog.com

適応障害と診断されまして… vol.69

適応障害と診断されて284日目(7月25日)にこの記事を書き始めています。4連休の最終日です。そして、結局途中で書くのを休んだまま1か月弱が過ぎてしまいました。

 

前回

eishiminato.hatenablog.com

 

前回は「これでいい」と思うことが重要であるということに、より深い意味で気づき、少し気持ちが楽になったという話をしました。かなり内容はこんがらがった感じになりましたが、とりあえず私の得た1つの感動を吐き出せた気がしますね。

そして、ぬるっと復職できたことについても話せました。

 

 

今回は復職して1か月弱が経ったので、その日々のまとめと、カウンセリングで学んだことなどを書いていきたいと思います。カウンセリングについて書こうと思いましたが、なかなかの文量になりそうなので、また別途記事を用意したいと思います。とりあえず、今は記事を書き上げることに集中したいと思います。

 ※2章の「カレンダーのまとめ」までは7月末に書いた内容になります。3章の「最後に…」は現時点(8月17日)に書いています。

1.カレンダー

適応障害と診断されて…/復職して…

 

270日目/休み

日曜日。朝は9時過ぎに起きて、朝食を買いがてら20分の朝散歩。午前中はダラダラと昼寝をしたりしながら過ごし、午後からブログの続きを書き始める。数時間かけてようやく記事を上げると、ようやく重い腰を上げて夕方からテレビを買うために出掛ける。ここ3年近くテレビ無しで過ごして来たけれど、休職中に実家でテレビのある生活を続けていたら、何となくテレビが欲しくなってきた。1人でいる時間に寂しさを感じるようになったことも大きい。病気であることを受け入れ、前向きに生きていこうと思うようになってからは、これまで目を背けてきた問題ともちゃんと向き合うようになった。1年前なら、「どうせそろそろ死ぬのだし、テレビなんかで寂しさを紛らわせてどうする?」みたいに、全てが投げやりで、必要なことなんて何もないみたいに考えていた。そういうマインドから脱したのは成長かどうかはわからないけれど、変化なのだとは思う。前よりも自分の感情に対して素直に慣れている気がする。と、そんなわけでテレビを買いに街へ出る。ぼんやり陳列されたテレビを眺めていると店員さんが声をかけてきた。結局、その人と色々と話していく中で、部屋にネットの固定回線も引くことにしてかなり大掛かりな感じになった。なんだかんだと3時間近く、テレビを選んだり、レコーダーを選んだり、光回線の手続きをしたりして、ちょっと疲れて帰宅。成り行きでHuluの1か月無料体験にも入ることになり、さっそくずっと見たかった「ゆとりですがなにか」を観始めた。1か月以内に見たいものを観切ってしまおうと思う。そんな終盤に比重の大きな日曜日だった。何より、先週は日曜に泣いてしまったけれど、今週はあまり苦しくならずに乗り切れたのが良かった。

 

271日目/8日目

月曜日。朝は6時に起きて、15分の朝散歩。朝散歩のおかげで、嫌なそわそわ感が軽減できているのかもしれない。月曜日の朝なのに割と平常心でいられるのが嬉しい。太陽の光が夏の朝のそれで、小学生くらいの頃の夏の朝のラジオ体操を思い出させる。朝のゆったりした時間も、通勤電車も、昨日に引き続き「ゆとりですがなにか」を観ながら過ごす。仕事場についてからは、着々と仕事をこなすことができた。会議は眠かったし、午後を回ってからは、急ぎでやることが無くなってしまい、眠い時間が続いた。眠気に襲われていると疲れる。疲れるので、残業もせずに早めに帰って来た。夕飯は寮でカレーを食べて、また「ゆとりですがなにか」を観ながら夜の時間を過ごした。中田敦彦Youtube大学で「年収90万円で東京ハッピーライフ」という動画も見て、共感を覚える。そうなのだ。私たちは働き過ぎているし、もっと質素でも幸せを享受できるはずなんだ。大学の時から思い続けていることだが、改めて考える良いきっかけになった。

 

272日目/9日目

火曜日。朝は6時半に起きて朝食を買いがてら20分の散歩。今日はテレワークなので、昼食も一緒に買った。今のところできる仕事は多くないし、テレワークの時は「最小限」をキーワードにやれることだけをやって、息抜きを多くすることに決めた。午前中はWEB研修に参加し、早めの昼食。午後には先日買ったテレビとレコーダーが届いたので、特に急ぎでやる仕事の無かった午後はテレビの設置を行った。BSは見られるが、地上波が見られないという事態になったけれど、落ち着いてネット調べ確認してみると、テレビにはBSと地上波の2つの端子があることに気づく。これを付け替えれば地上波とBSを切り替えることができる。部屋の構成がわからなかったのでケーブルを1本だけ買い、どちらかだけ見られるように準備をしていたが、どうやらBSも楽に見るためにはもう2本のケーブルが必要そうだとわかる。早速、ハロプロのライブ映像をテレビで流しながら、仕事を進めた。定時で仕事を終わり、届いていた「花束みたいな恋をした」のBlu-rayを観始める。途中まで観た後で、夕食を食べに外に出る。ラーメンを食べ、帰りに軽く買い物をした。寮に戻ってからはまた映画の続き。序盤は坂元裕二さんらしい会話劇や、サブカル系のマニアックな感じがとても楽しく、終盤はさすがの切ない演出。思わず「地獄だな」と独り言を言ってしまった。「地獄」というほど「地獄っぽさ」があるわけではないけれど、「この辛さったらないよね」ととても胸が苦しくなった。いつもより1時間ほど遅く寝ようと思ったら、鞘師里保さんがインスタライブを始めたので、それを聴きながら目を閉じる。お知らせがあるとのことだったので待っていたら、CD発売をするとのこと。それは良かった(悪いお知らせじゃなくて良かった)と安心したら、あっという間に寝落ちしてしまった。

 

273日目/10日目

水曜日。朝は6時に起きて、朝散歩を10分少々。テレビでニュースを流しながら朝食を食べたり。テレビを点けておくだけで不思議と落ち着ける。テレビがないときは意識的に「何かを観よう」としているから、「とりあえず何か流しておく」ということがなくて、そのノイズの無さにどこか落ち着かなさを感じたりしていた。だからよく音楽を流していたけれど、音楽は音楽で研ぎ澄まされているから寂しさを紛らわす感じはなかった。朝散歩とテレビのおかげで穏やかにゆったりと朝の時間は流れ、昨日のことを日記に書き留めたりしているうちに寮を出なければならない時間に。会社では午前中、やるべきことをすぐに終わらせてしまうと、一旦暇になって眠くなる。昼食後も眠気が強く、頭痛が出たりした。途中で先輩が気を効かせてやるべきことを一緒に見つけ、指示を出してくれた。もっと自分から積極的に「何をやればいいですか?」と聞いたりすべきなんだろうけれど、そういう風に自己否定をするのはやめようと思う。与えられた仕事を進めようと思ったけれど、わからないことが多過ぎたので、とりあえず今日は勉強することに時間を捧げようと決める。集中して勉強しているうちにあっという間に時間は過ぎ、残業を2時間程度してから帰る。帰りの電車ではロンドンハーツを観て、帰宅後夕食を食べて風呂に入るともう寝る時間に。自分の自由な時間の少なさがちょっと悲しいけれど、今はまだ睡眠時間が必要な体だし、これでいいのだと思う。ストレスもそこまで溜まっていないし。とりあえず1週間の折り返しだ。あと2日、のんびりやっていこう。と、思ったがやはり少しストレスが溜まっていたのか、だらだらと動画を観続けてしまい、0時頃まで眠ることができなかった。

 

274日目/11日目

木曜日。朝は6時半に起きて、朝散歩はせずラジオ体操でお茶を濁す。あまり活力が出ず、朝もだらだらと過ごしてしまい、いつもより1本電車を遅らせる。会社では1日研修があり、とても眠かった。そして、疲れを感じる。とにかく午後3時過ぎまでは眠気が強く、ほぼほぼ意識が無い時間を過ごした。夕方になって来るとようやく眠気が飛び、集中できるのでもしかしたら朝に飲んでいる薬が悪いのかもしれない。残業もせずに帰宅し、「あちこちオードリー」を観た後は、「花束みたいな恋をした」の付属ディスクを観ながら時間を過ごし、10時前には布団に入った。疲れが溜まっている、と思う。

 

 

275日目/12日目

金曜日。朝は6時半に起きて、朝散歩はせずラジオ体操。8時間半も寝た。やはり疲れていたのだと思う。ぼんやりとしながら朝の時間を過ごし、あっという間に出勤時間に。午前中は外に出て、軽く仕事をして、午後は研修を受けるだけの日。特にこれと言って進展のようなものは無いけれど、やるべきことは少しずつやれているし、今はこんなもんで良いかと納得する。帰宅後は一人でお酒を飲みながら音楽を聴き、楽しい時間を過ごす。カウンセリングでFC(Free Child)の項目が低いから、無邪気に楽しくなるのは良いこと。そのために適量のお酒を飲むこともたまには良いと思う、と背中を押されてからは、あまり罪悪感なくお酒を飲めている。sora tob sakanaMaison book girlといった個人的なアイドル2大巨頭が活動終了したのはやっぱり悲しい。そして、toeのライブ動画が上がっていることにやっと気づいた。ここ1年弱、ずっとそういった自分の大切なものから遠ざかっていたのだと気づく。改めて適応障害という病気がもたらしたものの大きさを痛感した。少しだけ夜更かしをして眠る。

 

276日目/休み

土曜日。昨晩の飲酒を受けて、多少疲労感の残る朝。朝散歩はさぼってしまった。午前中はカウンセリングがあった。カウンセリングでは、自分の価値感(=人生において大切にしたいもの)を12個上げ、それに優先順位をつけるということをやった。そして、それに対してマズローの五段階欲求を当てはめていくという流れで自己分析を行ったのだが、私はどうも「自己実現の欲求」に該当することがほとんどを占めており、「生理的欲求」や「安全の欲求」といったことが希薄過ぎるという考え方を持っているようだった。それは私自身理解していることでもあるし、病気になってから改めようと努力していたわけだけれど、やはり「大切にしたいもの」と聞かれると、まだまだ「生活」の範疇にあることに対して、きちんとした興味や価値を持てていないようだった。また、残業をした日は神経が高ぶっているのか、ストレスが溜まっているのか、ついつい夜更かしをしてしまうという相談をすると、筋トレを進められた。週に2回くらいでも帰宅後に筋トレをしてみようと思う。カウンセリングの後は一旦寮に戻り、夕方まで昼寝をしようかと思いながら、動画を観てだらだらと過ごした。結局眠れなかったが、診察の時間になったので家を出る。診察では日中の眠気について相談したが、薬のせいにはならず、残業をしていることを咎められただけだった。環境が良くてついつい残業をしたりしてしまっていたが、もう少し慎重になった方が良いのかとも改めて思った。帰宅後、日本代表戦を観ながらお酒を飲み、その後は両親と1時間弱電話をした。医者に行ってサッカーを見ただけの1日だったが、これはこれでいいのだと思う。

 

277日目/休み

日曜日。午前中はほとんど寝て過ごしてしまった。朝散歩も無し。部屋も暗くしたまま、ベッドに籠って時間を過ごした。「宝石の国」を観始める。昼前に寮を出て、会社の実習同期と一緒に昼食を食べて、お喋りをした。相手も私と同じようなタイミングで休職をしており、色々と為になる話を聞くことができたし、何よりもお互いの悩みを相談し合うことができて、充実した時間だった。あっという間に夕方になり、お互い疲れを残さないため、早めに解散をした。帰宅後、スーパーで買って来た寿司を食べ、だらだらと時間を過ごした。風呂に入ってから、早速昨日勧められたように筋トレをしてみる。ぐっすり眠れると良いのだけれど。

 

278日目/13日目

月曜日。昨晩は寝入るまでになんだかんだと時間がかかってしまい、おそらく11時半くらいに入眠。朝は6時に起きて、多少寝不足感はあったけれど、ちゃんと起きて朝散歩を10分少々。6時半なのにもう暑い。陽射しも強かった。先週の「ナイト・ドクター」を観ながら朝の時間をゆったり過ごし出社。仕事はまぁまぁな感じで進め、今日は地方時代の先輩が出張で近くまでやって来るので、一緒に昼食を食べた。やっぱり良い人で、私が会社を休職していたこともうっすらと伝えていたので、心配してくれた。良い時間になった。午後は意外とやることが尽きず、昔取った杵柄が活きる場面も少しあり、それなりに充実していた。残業も1時間半程度こなして帰宅。夕飯のハヤシライスが美味しく、デザートのケーキも嬉しかった。仕事のストレスを発散するために今日も筋トレ。腕立て20回、腹筋20回、背筋30回程度の軽いものだけれど、それでも今の自分には結構来るものがある。既に筋肉痛だし…風呂に入り、「今日も充実した1日だった」と言い聞かせる。「こうやってゆっくり風呂に入れる。それでいいじゃない」と思う。明日も良い1日になるよう、「これでいい」と唱えていこう。

 

279~284日目/14~15日目

 日記無し。

 

2.カレンダーまとめ

復職してからの新しい職場は前職場よりもずっと私に合っていて、比較的ストレスが少なく働けている気がします。そして、とりあえずは大きな問題も無く、日々を過ごせていたとも思います。テレビを買い、同期と食事をし、カウンセリングなども受けながら、前向きに生活を営めていることが嬉しいですね。

しかしながら、疲れが溜まっていたことも確かで、この4連休は「これでもか!」というほど寝ていました。というのも、日記には書きませんでしたが、仕事をしている日中に強い眠気を感じることが多く、常に「あぁ、早く帰って眠い」と思っていたわけです。つまり、まだまだ私には日常を破綻なく送るだけで精一杯で、何かを擦り減らしていたんだと思います。

ただそんな毎日も「今はこれでいい」と捉え、受け入れることで無駄なストレスをため込まず、悪くない循環を作れている気がします。

後半に日記をサボってしまったのは、何も具合が悪くなったとかそういうわけではなく、いつもの通りだらだらと過ごしていたからになります。結局、私にとって「書く」ということはストレスの発散であり、フラストレーションの昇華であるからこんなことになるのでしょう(昇華、なんてカッコつけた言葉を使ってしまいましたが、本当にそんな感じなんですよね)。

生活面で変わったことと言えば、筋トレをするようになったこと、テレビがやって来たこと、水筒を買って麦茶を作り始めたこと…と、そんなくらいでしょうか。しかし、それだけでも生活に変化が出てきたというのはきっと良いことです。それだけでも私はよくやっている。そう思うようにしましょう(というのも、会社では未だに仕事がほとんど何もできずに、行き詰っているので…)。

 

3.最後に…

前回記事から1か月以上が経ちました。そして、書き上げようと思っていた記事を3週間ほど放置してしまうというこの体たらく。

でも、これには理由があるので、それについては次の記事に書こうと思います。

というわけで、とりあえずこの記事はここまでにしておきます。

適応障害と診断されまして… vol.68

適応障害と診断されて269日目(7月10日)にこの記事を書き始めています。今日は久しぶりに晴れて、もう本格的な夏という感じですね。

 

前回

eishiminato.hatenablog.com

 

前回は地方公務員試験の受験、祖父の死といったことがありました。しかしながら、ちょうどブログを書いていた頃は暴力的なまでの眠気に苦しんでいる時期で、ブログの記事自体もかなり投げやりな感じになってしまいました。

今回はついに復職(2回目)してからの日々について、書いていきたいと思います。

 

 

1.カレンダー

適応障害と診断されて…/復職して…

 

256日目/休職中

日曜日。昨日のカウンセリングでアドバイスされた通り、6時半に起きてすぐに朝散歩に出かけた。散歩中は眠くてぼーっとしていたけれど、コンビニで朝食と昼食を買って帰る。あまり気分が良いという感じもなかったけれどとりあえず無理なくこなせた。帰宅後、朝食を食べ、そしてすることがなくなりずっと寝てる。最初はカーテンも開けていたがそのうちに眩しさを感じるようになり、カーテンも閉めて動画を観ながら寝た。ずっとうたた寝している感じで午前中を過ごし、昼食を食べると午後もそんな感じで過ぎていく。ふと3時過ぎに気持ちが晴れ、凛として時雨ライブ配信アーカイブを見直し、それからブログを書き始めた。すぐに夕食の時間になるので、夕飯をまたコンビニまで買いに行き、夕食後再度ブログに取り掛かる。強い眠気に襲われてあまり書けなかったがとりあえず投稿。その後は「BURN THE WITCH」のアニメを観始める。あっという間に入眠ルーティンの時刻に。風呂に入り、そしてこの日記をつける。実家暮らしの3週間で2.4kgも太った。5kg近く痩せていたので、戻ったのは良いことかもしれないが、短期間で体重が大幅に増減しているので注意しなければと思う。

 

257日目/休職中

月曜日。朝6時に起きて朝散歩を10分程度。散歩中はやはり半覚醒といった感じでぼーっとしている。帰宅後朝食。朝食の後はだらだらと動画を観たりしながら過ごす。8時半頃までゆったりして、そこから会社へ行く準備。異動に際して荷物の整理をしなければならない。久しぶりに職場に行くと苦手な人はおらず、おかげで比較的落ち着いて過ごせた。異動の挨拶も朝礼でできて、荷物の整理も一通り完了する。荷物が多くどうしても一度では運びきれなかったので、一旦昼前に帰宅してから、午後もう一度行くことに。自宅(寮)で昼食を食べ、少し休憩。2時ごろ寮を出てもう一度会社へ。最後の荷物を引き取って、良くしてくれた同僚に挨拶をする。帰りしな楽器屋に行って、エレキギターのポータブルアンプを買う。帰宅後それで1時間程度遊びつつ、洗濯機を回す。掛け布団の外カバーを洗った。同じく適応障害に罹った会社の同期から勧められた「マインドフルネス認知療法ワークブック」を読み始める。現実社会では現状と目標の比較という思考方法が有用ではあるが、心の世界ではそれが逆効果になり得ると書いてあって「なるほど」と思った。まだ先は読んでいないが、おそらくそこで心の世界に対してはマインドフルネスが有用であるという展開になるのだろうと思う。今日も入眠ルーティンをしてしっかり眠ろうと思う。

 

258日目/休職中

火曜日。朝は5時半に起床し、朝食を買いに行くついでに20分程度朝散歩。これがこれからの生活リズムになりそう。異動先はもう少し朝が遅いから、若干遅起きでも大丈夫そうだが。朝食の後、私の体調を気遣った母から送られてきたキューピーコーワゴールドの栄養ドリンクを飲む。その後、ベッドでうだうだしていると妙に心拍数が上がってくる感じがあり、ソワソワ感が高まる。おそらくは栄養ドリンクのせいだろう。そんな些細な変化も気にしてしまい、日中はほとんど寝て過ごすような感じになった。こうなるととにかく長くて短い1日になる。最初のうちは1時間近く眠れるので良いが、だんだんと眠れなくなっていき、次第に10分も寝るとぐっすり寝てしまったという感じになる。そして、それをただ繰り返すのだ。途中で本を読んだり、ギターで遊んだりした。ポータブルアンプの機能を色々と試し、楽しい。夕食前あたりからマインドフルネスのワークブックを読んで内容をまとめたりしていく。夕方くらいからやる気が出るのはいつものパターンだ。夕食後もワークブックを進める。「レーズンエクササイズ」というのが面白かったし、心地よかった。レーズンが無かったのでナッツを代用した。「ボディスキャン瞑想」は多少慣れていたけれど、50分以上もやるのは初めてだったので、集中力を保つのがちょっと難しかった。しかし、気持ちが落ち着き、有意義な時間だった。

 

259日目/休職中

水曜日。昨晩は0時半くらいまで眠る気持ちになれなかったので、やや寝不足。朝は6時に起きて、朝散歩を15分ばかし。曇り空。紫陽花が綺麗で、しゃっきりした緑の葉には雨が溜まっていて、触れると冷たく気持ち良かった。8時に寮を出て、職場へ。異動前の荷物整理と最後の挨拶をした。昼前に新しい職場へ荷物の運搬をしに行く。新しい職場の同じフロアには大学の研究室の先輩がいたり、同期がいたりして少しだけ嬉しい気持ちになれた。配属されるグループの人たちも良い人たちそうで、明日から頑張りたいとちょっと思うことができた。が、なんだかんだと疲れた。昼過ぎに職場から帰宅。乗りたい電車まで時間があったので、駅内のラーメン店に行く。値段はちょっと高めでお世辞にも美味しいラーメンとは言い難かったけれど、普段食べないようなタイプのラーメンだったのでそれはそれでありかなと思う。帰宅後、地方公務員試験の1次試験の結果が発表された。無事、合格。合格は嬉しいし良かったけれど、会社の復職に関する手続き上、2次試験の日に休みを取ることが難しく、このままだと受験できずに辞退という扱いになってしまう。平日に試験は困る。何とか復職の手続きを進めつつ、試験も受けられるような言い訳を捻りだせないものか。案はあるので、明日異動初日だけれど、タイミングがあればちょっと聞いてみようと思う。でも、とりあえずは新しい職場で頑張ってみたいので、無理に話を出さなくても良いと思っている。すべては成り行きだ。マインドフルネスの「ワークブック」2日目。ボディスキャン瞑想を昨日に引き続きやったが、眠気のせいでなかなか瞑想に集中することができなかった。ほとんどうたた寝みたいな状態で、次から次へと取り留めのない夢が浮かんでしまった。特に今日は色々なことがあったし、会社のことを思い出して少し嫌な気持ちにもなったけれど、まぁ仕方がないとも思う。何せ今日は色々なことがあったのだ。それを全く封殺することの方が難しいだろう。うまくできない自分でも認めてあげて、むしろそういう状態に自分があることに気がつけたのはマインドフルネスの成果だと思い、前向きに捉えていこう。

 

260日目/1日目

木曜日。朝6時に起床。雨が酷く降っているので朝散歩は諦める。代わりにラジオ体操。復職1日目ということで緊張する。不安が胸に巣食い、若干ソワソワするのを何とか飲み下して、水曜日のダウンタウンやあちこちオードリーを見ながら朝の準備を進める。家を出る前に頓服薬を服用する。特に大きな問題も無く1日が過ぎていく。とにかく眠たくてずっとマスクの下で欠伸を噛みしめていた。緊張すると呼吸が浅くなって欠伸が出るのかもしれない。異動の挨拶も難なくこなし、ほぼ残業無しで帰る。地方勤務時代の先輩が同じフロアに同じタイミングで異動になり、終業後に一緒にご飯を食べに行く。仕事や生活の不安、それからこれからの新しい生活に対する希望などについてだらだらと話して、短いけれど楽しい時間を過ごせた。帰宅するとそれなりの時間になっていたので、風呂も入らずに布団に入る。復職&異動して1日目は疲れた。

 

261日目/2日目

金曜日。朝は6時半に起床。雨が激しく今日も朝散歩は断念。ラジオ体操でお茶を濁す。復職2日目だが、夜中は色々と仕事上の不安が夢の中に現れたりして、あまりしっかりと寝れた感じがしない。夜中には2度ほどトイレに目が覚めた。朝はやはり気持ちがナイーブになってしまい、会社に行きたくないという思いが強く出て来る。会社に行ったところで何があるというわけでもないのに、朝はいつもこうだ。でも、あまりそのことを深刻に考えないようにする。そんなもんだと気持ちを大きく包み、淡々とこなすことを誓う。不安や不調に敏感になっているのが、状況をより悪化させることに繋がるらしいので、そうならないように「寝不足だけどこれくらいなんてことない」と自分に言い聞かせる。午前中は眠かったけれど、上司から部署の説明を受けたりしてのんびり過ごすことができた。昼食の時は会社の食堂で久しぶりに同期に会って、少し話をすることができた。昼休憩中に頓服薬を飲む。また、市役所に電話を入れて地方公務員試験の辞退を伝えた。勿体ないと思うけれど、今はこの場所で頑張りたいという思いが強い。午後は少しだけ仕事を進めることができた。何もわからない私のフォローを先輩方が進んでしてくれたのがとても嬉しかった。この場を借りてさらに感謝を捧げます。残業をしていたら遅い時間になった。帰りの電車が二度急停車した。二度は珍しい。帰宅後はダラダラと過ごしていつもよりも遅くまで起きている。

 

262日目/休み

土曜日。朝は8時まで眠る。朝散歩もラジオ体操もせず、ダラダラ過ごしてしまう。9時過ぎに寮を出て2回目のカウンセリングに向かう。カウンセリングでは、認知行動療法の説明と実際にそれを少し始めた。自分で思っているよりも、白か黒かで考えてしまう傾向が強いみたいだ。もっとグレーゾーンな判断で生きていこうという話になった。特に、自分は睡眠時間が少ないと「体調が悪くなるかも」「疲れてしまうかも」という自動思考に陥りやすい状態に今あるようなので、「前は朝の3時まで飲んで会社に行っていたじゃないか」のような極端な反論を自分の中に持ち、うまく自分の認知をグレーゾーンに持ち込むことが必要のようだ。カウンセリングの後は、ずっと漠然と行きたいと思っていた丸亀製麺に行けた。牛肉うどんを食べて、とても美味しかった。その後は久しぶりに一人カラオケへ。めちゃくちゃ音痴だけれど、無心で歌っている時間は楽しかった。帰宅後、疲れて少し昼寝。夕食に寿司を食べ、「マインドフルネス・ワークブック」のボディスキャン瞑想に取り掛かってみるが、50分は長く、半分の25分ほどでやめてしまう。眠い時にやると、ただ眠気と戦うだけになり、半覚醒時の取り留めのないイメージが延々と続き、余計に気分が悪くなるみたいだった。とりあえず、ボディスキャン瞑想は前からやっているし、もうやらなくてもいいかもしれない。それかたっぷり余裕のあるときにまたやってみようと思う。眠い時はダメだ。そして、夜は日付が変わるくらいまでダラダラと動画を観たりして過ごす。

 

263日目/休み

日曜日。朝は9時過ぎまで眠る。朝散歩もラジオ体操も無し。起きた瞬間から気持ちが弱っていて、朝ご飯を食べた後すぐにまたベッドに戻って動画を観ながら眠る。予定のない日は寂しくなる。1年前ならそんな寂しさもむしろ刺激に感じられていたけれど、今はちょっと辛め。実家に戻り、家族と過ごしたいと思う。これまで誰かと家庭を築いたりしないんだろうと思っていたけれど、誰か、人と暮らしたいと思うようになってきた。そんなことをまた漠然と感じながら、カーテンを閉じて1日中眠りこける。予定もなく、一人で過ごすのは今の自分には辛過ぎて、そこから現実逃避をするように眠りを求めた。今日のお供は「東京卍リベンジャー」のアニメ。Netflixで1話目から観始めて、半日ほどで最新13話まで観る。悪くはないが、ちょっと物足りないと感じる内容だった(個人的に)。夕方5時を回り、ようやく少しだけ元気になってくる。コンビニまで夕食を買いに行き、わずか20分弱の外出にふと息抜きを感じる。夕食後、細川貂々さんの「それでいい。」を読んでいるうちにふと涙が出て来る。今日1日の寂しさと、明日の仕事の辛さ、それから得も言えぬ疲労感が綯い交ぜになって、涙が出てきた。「それでいい。」の中に書かれている言葉を反芻していると、知らぬうちに張り詰めていた気持ちが緩み、涙が出たのだと思う。「今はこれでいい」と自分に言い聞かせ、そっと心の中で自分を抱きしめる。「マインドフルネスワークブック」をサボっているが、昨日「一旦やめる」と決めたので、気にしないことにする。ただ、風呂や食事、歯磨きなど、日々の行動の中にマインドフルネスを取り入れるように心がけてはいるのでOKだろう。

 

264日目/3日目

月曜日。朝は6時に起きて、散歩の代わりにラジオ体操。跳躍のときに必ず息が上がる。雨はいつまで続くのだろう。朝はやはり辛い。会社に行きたくない、という気持ちが強く、泣きそうになる。自分で自分を制御しきれないような感じになってしまう。大学生の頃から朝が苦手だった。世界のスイッチがONになって、自分も否が応でもスイッチを入れなければならない。その感覚が本当に嫌いだった。最近観た動画では、仕事のスイッチのON/OFFをはっきりさせると良いと言っていたが、今の自分には、特にONのイメージをつけない方が良い気がした。OFFのイメージはしっかりとするとして、自分の場合は特にその朝のONのタイミングが1番辛くなるようなので、できるだけOFFのままぬるっと会社に向かうようにしたい。涙を堪え、何とか会社に。会社についてからも1時間くらいは気持ちが落ち込んだまま。午後を回ると徐々に平常心を取り戻していき、そして夕方に耳鳴りが出始める。まだ新しい職場で3日目だけれど、そんなようなサイクルが基本になりそうだ。今日は大人しくほとんど誰とも喋らず過ごし、ほぼ定時で上がらせてもらった。夕飯は寮でハンバーグカレーを食べる。美味しかった。

 

265日目/4日目

火曜日。久しぶりに朝晴れていたので、朝散歩を15分程度。朝散歩のおかげかどうかはわからないが、昨日よりも朝の辛さは少なく、割とすんなり家を出ることができた。有吉のラジオを聴きながらの通勤。やはり混んでいる通勤電車はストレスが溜まるし、疲れる。今日は会社でクレペリン検査を受けた。精神病の影響が出るのか気になる。計算をしていると頭に何かがつっかえる感じがあり、前ほどスムーズに計算できない気がした。また、計算をしながら頭ではどんどん色々な考えが浮かんで、集中できていないことに気づく。こういうのに気づけるようになったのは、マインドフルネスを練習しているおかげか、あるいは単にそういう傾向が強く出ているだけか。いずれにせよ、適応障害を通して色々と変わったんだなと思う。また、こういうクレペリン検査のようなもので何かを測るというのは、一種の差別のような気がする。どんな人でも平等に働ける世の中にしていかなきゃダメだと思う。もちろん、適材適所で仕事を行うための検査だから不平等というわけではないし、理に適ってはいるのだけれど。ともかく人それぞれ傾向は違うし、状態だって時と場合によるのだから、それらを受容していかなければと改めて思った次第である。職場では今日は色んな人と沢山話せてよかった。やはり雑談というのは大事なことだと思う。そのおかげかどうか、今日は帰宅するまで耳鳴りも出なかった。自分的には多めの残業だったけれど、同じグループの人たちはまだ残っていた。人間関係は良さそうなので、あとは業務量だけが今後の心配である。帰りの電車から「大切なものはすべて君が教えてくれた」を観始める。今は有名になった俳優がたくさん出ている。そして、昔見たときと同じように、好きなドラマだと思う。

 

266日目/5日目

水曜日。今日を乗り切れば復職から1週間が経過したことになる。朝は6時過ぎに起きて、10分の散歩。朝のゆったりタイムに「大切なものはすべて君が教えてくれた」をTverで見ようとしたが、なんと、見れなくなっている。昨日から観始めたのに、昨日までだった…残念。昨日よりは少し調子が悪い感じだったが、そこまで苦しむことなく出社することができた。「オッドタクシー」を観たり、「ハライチのターン」を聴いたりしながら出社。午前は会議で時間を使い、午後は研修や個人業務の検討を進める。出社後は上司が体調の事で話しかけてくれ、午後はちょっとした気持ちで質問を投げた先輩がすごい親身にフォローしてくれて、本当にありがたかった。終業時間ごろに地方時代の先輩が声をかけてくれて、急遽飲みに行くことに。仕事を早めに切り上げて、2時間弱お酒とともに談笑をした。週に1回くらいこういう時間があると救われる。コロナ禍で申し訳ないけれど。何だかんだと良い時間を過ごしている気がする。異動してよかった。

 

267日目/6日目

木曜日。今日はテレワークなので朝は7時に起きて、散歩を20分程度。通勤時間がなくて済むのでゆったりとした時間を過ごすことができる。前職場ではおそらく潜在意識の中で「職場に行く」ということに対し、非常に強いストレスを感じていたためか、テレワークが本当にありがたかった。しかし、新しい職場になってみて、そのありがたさが半減したような感じがある。きっと今はそれほど職場それ自体にストレスを感じていないからであろう。単純に通勤時間が減った分、ゆったりと過ごせることにありがたみがあった。午前中は会議に出て、後輩に対してこんな自分からもちょっとしたアドバイスをすることができた。こうやって少しずつできることが増えていき、自信も取り戻していけるのだろう。午後は色々と資料の確認をしていたが、眠くなったので、ついつい寝てしまった。ダメだな、とは思いつつも、まぁこれはこれでいいのかもしれない、と感じる。どうしてもやらなければいけないことがあれば、そのときはちゃんとやるのだから、今はこれでいい。悪いことだけれど、そう思うことにした。

 

268日目/7日目

金曜日。朝は6時に起きて、朝食を買いに行きがてら20分の散歩。さすがに疲れが溜まって来た感じがあるが、今日を乗り切れば明日は休みだと考えることで、何とか今日もやれそうな気がしてくる。仕事は1日を通して、マイペースに進められた。途中、細々とした目の霞むような作業をしていたこともあり、それなりに神経が疲れて来る。しかし、地方時代の先輩のところへちょっと話しに行ったりして、うまくリフレッシュしながら進められたと思う。残業中は先輩たちと色々と話したりできて、仕事は進まなかったけれど、充実した時間だった。こういう時間を大切にしたい。今日も周りよりは早めに上がらせてもらった。しかしながら、電車が大幅に遅延しており、結局駅のホーム上で40分近く待つ羽目になって、非常に疲れた。人混みから発せられる蒸し蒸しした熱気にやられ、かなり苛立ちを覚えた。帰宅後、疲れ果てて、風呂に行く元気はなく、シャワーで済ませる。若干気持ちが悪くて吐き気があったものの、ストレスで夕食をドカ食いしてしまった。そのまま昂った神経を抱えながら少し夜更かしした。日付が変わる前には寝られたが、翌日が休みで良かったと思う。

 

269日目/休み

土曜日。朝は7時半に起きて、少し長めに40分散歩をした。色々と初めて通る道を歩いたが、8時も近くなるともう陽射しが熱くて、夏を感じる。そして、久々に晴れたこともあってか、体の中に活力を感じる。何だかかなり久しぶりにまともな感覚を取り戻した感がある。そう言えば、適応障害になるまではこんな風な活力を感じていた気がする。そういうのを取り戻せたような感覚があった朝だった。帰宅後、朝食を食べ、シャワーを浴びて、準備を済ませてから診察へ向かう。メンタルクリニックは混んでいて30分以上も待たされて、昨日から待ってばかりだなと思うけれど、本を読みながら比較的穏やかな気持ちで過ごせた。やはりイライラしたくはない。一度、イライラについて考え出すと、余計にイライラしてくるから、きちんと思考のモードを切り替えるよう心掛けてゆっくりと過ごした。診察の後は早めの昼食。前から何度か行っているラーメン屋に行った。色々メニューがあるので、今日もまた新しいメニューにチャレンジ。麺が美味しいけれど、スープの味はよくわからなかった。おそらく様々な香辛料などが使われているのか、汗が噴き出た。昼食の後は、午後のカウンセリングまでの時間をTOWER RECORDで過ごす。そう言えば、昔住んでいた町にはタワレコが無くて、いっちょ前に「この町は文明が死んでる」と考えていた。そんなところでの生活も慣れると何てことなかったわけだから、人間は環境に適応するものだと思う。CDを12,000円分購入する。CDを色々と見ている間に時間が過ぎてしまい、結構ギリギリでカウンセリングを受ける病院に着く。午前中に診察した病院とは違う街にあるので、電車を乗り継がなければならない。同じ病院にすれば良いのだろうけれど、色々な場所へ行くのは面倒な反面、気分転換にもなってそれなりに気に入っている。生活圏が広がるのは楽しいことだ。カウンセリングでは、エゴグラムというものをやった。それなりに面白く、今後のストレスコーピングに活かしたいと思う。カウンセリングの後、百均で掃除道具やら麦茶づくりのための諸々の用品を買ったりした。帰宅後、部屋の掃除を進め、すっきり。ブログを書くためにこうして日記を書いているが、もう今日はかなり充実した1日だったと言える。夜はお酒を飲みながら、1人で音楽を聴いたりして楽しい時間を過ごしました。

 

2.カレンダーのまとめ

ついに復職&異動を果たしました。復職直前はとにかく暴力的な眠気にやられていて、「こんなんで復職できるのか?」と不安でしたが、やはり眠気はあるものの、何となくぬるりと復職をスタートすることができました。新しい場所で不安もありましたが、明らかに前職場よりも職場の雰囲気、人が良く、初日から「ここならやって行けるかも」と感じました。おそらく前職場には相当なトラウマ意識があり、そのことが余計に前職場に対するネガティブイメージを持たせていたのだろうと思います。そこから離れるだけでこんなにも気持ちが軽くなるなんて思ってもみませんでした。

既に復職から7日間勤務をしたわけですが、とにかく人の良さを感じます。なんだかんだと週に1回くらいのペースで、地方時代にとても仲良くしていた先輩と飲みに行けたりしていることも気分良く大きな要因だと思います。仕事自体はまだ私にできることは少なく、任されている業務も本格始動していないので、時間的にはかなり余裕があります。数か月後には忙しくなるのが見えているので、そのときが今の段階から不安ですが、カウンセラーの先生にも「予期不安は良いことがない」と言われているので、今は今でのんびり過ごしていようと思います…が、なかなか難しいですね。頭ではわかっていても、心や思考をコントロールすることはとても難しいです。

しかし、それにしても最近は本当に体調が良くなっていることを実感しています。適応障害になってから、これまで何度か「あ、良くなってる!」と感じる段階があったのですが、そういうのを感じる度に「1つ前の『良くなってる!』のときはまだまだ治っていなかったんだ」と思わされますね。よくよく考えると、私はよくもあの状態で、前の職場で復職をチャレンジしていたと感心してしまいます。あんなに体調が悪かったのに、よくやっていたよ、自分。

と、そんなことを感じる余裕があるくらいに、今回の復職は気持ちを落ち着けて進められています。環境の変化が1番大きいと思いますが、その中でも色々と学ぶことがあったので、次の章からはそういったことも書いていきたいと思います。

 

3.自己受容(現在の受容)とモードの自覚・切替

私より先に適応障害になり、休職をしていた会社の同期から、治療中に読んでいた本を色々と教えてもらいました。その中の1つが「ツレがうつになりまして。」の細川貂々さんが精神科医水島広子さんに色々と教わる「それでいい。」という漫画でした。対人関係療法というものが元にはなっているので、人との関わり方を正常化して治療に繋げるという部分が多いのですが、個人的には「自己受容」の部分で大きく救われた気がします。

これまで様々な本や動画で「自己受容」という言葉を聴いて、それなりに理解していているつもりでした。そして、実践してもいるつもりでした。しかしながら、私のそれはまだまだ足りなかったようです。「自己受容」というのは、「こんな自分は死んでしかるべきだ」というような「自己虐待」の逆を行くような言葉だとしか私は認識できていませんでした。今までの私はとにかく自分という存在は本当に醜く消えるべきだと思っていました。そして、いずれそう遠くない未来に死んでやるし、その時までは死んだように生きる。だから、それまでは死なないでいることを容認してくれ。と、そんなことを考えていました。しかし、実際にそれが最終段階にまで行き、自殺未遂までして、「あぁ、もう行きつくところまで行きついたな」と思った次第です。

そこからは「もう良いんじゃない?」と思えるようになり、「ちゃんと生きていこう」と思うようになりました。そのためにはこれまでやってきた途方もない自己虐待をやめなくてはなりません。そして、「もう自己虐待をしなくて良いんだ」と思えるだけで、その頃の私は随分と楽になった気がしたものです。

しかしながら、その段階ではまだ正しい「自己受容」というものができていませんでした。せいぜい私の自己受容というのは「私みたいな人間でも生きていて良いのかもしれない」というくらいです。それでも、まぁ、私からしたらたいした進歩にはなるわけですが、これまで散々自分を苛めてきたわけで、私の「自己受容レベル」はようやく一歩を踏み出したに過ぎませんでした。適応障害という状態にも慣れ、ようやく1度目の復職をした頃は、「1日でも早く良くなろう」と前向きに考えていたわけですが、しかし、この「1日でも早く良くなろう」という考え方は「自己受容」のレベルとしてはまだまだ低いそうです。

事実、私は体調が悪くなったときに酷く落ち込みましたし、なかなか取れない頭痛に不安になりました。仕事は少しずつできることが増えて来ているのに、体調が全く良くなる気配がないことに酷く困惑していました。実際に気にかけてくれている上司にも「仕事はできるようになりつつあるけど、体調が良くならくて心配なんです」と何度も話していたくらいです。夜勤で生活リズムが乱れたりすると、その度に体調を崩し、また不安になり、「こんな生活が続いていくなんてとても耐えられない」と考えていました。そして、実際にそんな日々に耐えられなくなっていき、5月末に「もう無理!」と2度目の休職を決断しました。

その時の私は、「今度はかなり酷くなる前に自分でちゃんとブレーキをかけられた。もう少しでまた自殺未遂をしでかすところだったけれど、今回はちゃんと立ち止まって、休職という冷静な判断ができた」と自分を褒めるように心がけていました。それはそれで良かったのですが、結局のところ私は「自分はまだ良くなっていない」という事実に抗おうとして抗えないという状態にあったのです。つまり、「現状は未だ酷い状態である。だから、適切に対処していかなければ、自分というのは壊れてしまう」と考えていたわけです。だから、「休職=逃げる」という判断をせざるを得ませんでした。

こういった病気になると、まず「逃げて良いんだよ」という言葉をかけてもらうことが多いです。それは間違ったことではありません。「逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ」と碇シンジ君のような状態に追い込まれるとかなりしんどいですからね。逃げたいときは逃げて良いのだと思います。しかしながら、それが行き過ぎると、「ヤバいときには、本格的にヤバくなる前に逃げなくちゃ」という思考に支配されるようになってきます。何事もバランスが大切とはよく言いますが、「逃げなくちゃ」という考え方は一見「逃げる自分」を受容しているように見えて、それは正しい自己受容になっていないと思います。つまり、自分の現状を「悪い」と判断し、そこから逃れる必要があると考えているわけですからね。状況を変える必要がある、という考え方は要するに「自己の現状を受容できていない」ということになるわけです。

「逃げちゃダメ」も「逃げなきゃダメ」もどちらも凝り固まった考え方です。特に一度適応障害などで「逃げちゃダメ」マインドから「逃げなきゃダメ」マインドに切り替わると、色々なことに臆病になり、何よりも自分自身を信じられなくなってしまうことが多いんじゃないでしょうか。私はまさにそんな感じで、「今日はいつもより睡眠時間が1時間半も少ない。こんなんではきっと日中のストレスに耐えられないだろう。帰ったらきっとくたくたになるだろう。だから今日はセーブして、残業も無しで帰らせてもらおう。そして、睡眠不足を補うために早めに寝よう」と考えてしまうことが多かったです。これは一見、病気である自分を受け入れて、その状況にマッチした判断をしているように見えますが、その実は自分というものを全く信頼しておらず、自分自身に対してあれやこれやと不要な口出しをしているような状態とも言えるでしょう。

自分を信頼していない、ということはすなわち自分を受け入れていない=「自己受容できていない」ということになります。どこからどこまでが冷静な判断で、どこからが疑心暗鬼なのかを見極めることは難しいです。しかしながら、このような「不安が不安を大きくする」という状態はやはり鬱の典型的な傾向です。そして、少し前の私にはその境界線を正しく認識することができていませんでした。私はかなり疑心暗鬼よりの判断をし続けていました。

つまり、「自己受容」が大切であることは理解しながらも、私の「自己受容レベル」は「自分なんて消えた方が良い」と考えず、「これからちゃんと生きていこう」と思えるようになった程度のもので、まだまだだったわけです。それが細川貂々さんの「それでいい。」を読んで、少し変わりました。この本の中で言われていた自己受容のレベルは、「だってそうなんだもん。仕方ないじゃん」というレベル感です。本の中では「ネガティブに育てられてきたんだから、ネガティブ思考で仕方ないじゃん」という感じで書かれていましたが、これを私の現状に置き換えると、「病気になったんだから体調悪いのは仕方ないじゃん」という感じになりましょうか。

その頃の私は「1日1日、ちょっとずつでも体調が回復していかなければならない」と考え、そうならないことに苛立ちや不安を覚えていたわけです。つまり、現状に全く納得がいってなかったわけですね。「病気になったんだから体調が悪いのはわかる。しかし、体調が良くなっていかないことにはムカつく」と思っていました。でも、そんな「自己受容」じゃ足りません。というか、ちょっと間違っています。未来を予測するというのは、基本的にうつ病などの精神疾患に対してなんら良い影響をもたらさないようです。大切なのは、「病気になったんだからこれくらい体調悪くて当たり前。それが正常なんだから、それでいいじゃん」という現在に対する受容のみなのです。未来のことはわかりません。とにかく現在の私ができる自己受容というのは、「今の私でいいじゃん。それで仕方ないじゃん」という現在に対しての評価のみです。そのことを私はわかっていませんでした。

悪)休日になると溜まっていた疲れのせいで寝っぱなし。こんなのがいつまで続くのか。早く治したい。

と考えるのではなく、

良)休日になると溜まっていた疲れのせいで寝っぱなし。そりゃそうだよ。適応障害なんだから、寝るのが当たり前。これでいいんだよ。

と考えるわけです。

私がこの「それでいい。」を読んで、最も勇気づけられたのは「改善しようと思う=自分を疑う感じになる。だから、今はこれでいいと受け入れる。そうすると、人間というのは自然と変わっていくし、成長していく」という内容です。

思えば私は適応障害と診断されたその日から、「はいはい。自分にはそういう病名がついたのですね。理解しました。それではこれから勉強して、ちゃんと回復していきます」と考えていました。「どうすれば現状を改善できるか?」ということを考え続け、そのために日々、自分の現状を分析したり、そこから脱却するための手法を勉強していたように思います。自分の状態を受け入れ、客観的に分析し、足りないところを補うために色々なことを試してきました。それはそれで実りのある日々でしたが、それは一見自分の状態を受け入れ、前向きになっているように見えて、自己受容のレベルとしては全然低かったわけです。

私がすべきはとにかく「今はこれでいいんだ」と焦らずに、日々を過ごすことだったようです。まぁ、色々やって来たからこその、今のこの境地ということなのかもしれませんが。

確かに苦しい日々では、「今はこれでいい」と受け入れるのは難しいと思います。だって、1秒でも早くこの状態から抜け出したいわけですもんね。空腹なら早くご飯を食べたいと思うのが自然ですし。なので、もしかしたら、ある程度回復して来てから、この段階になるものなのかもしれません。しかし、もし前職場にいた頃に、「あぁ、いつまでこの頭痛は続くのか。1つでも対策を練って、この状態を改善していかなくては」と考えるのではなく、「頭痛があるのは仕方ない。でも、復職してまだ数か月だし、今はこれでいい」と思えていたら、もう少しだけあの頭痛は深刻さを失っていたようにも思います。私に必要だったのは、「対策」ではなく、ただの「受容」だったのかもしれません。

 

そして、そのような考えはまた別の本でも説明されていました。これはまだ私も取組み中なのですが、「マインドフルネス認知療法ワークブック」という本です。マインドフルネスのやり方を習得し、うつ病を始めとする精神疾患に打ち勝とう!というのがこの本のコンセプトなのですが、ここでも面白いことが書かれていました。

この本で真っ先に書かれているのは、「現状を把握・分析して、目的を明確化する。そして、そのギャップを埋めるための対策を練り、実行する」というのは現実社会において非常に有用である。しかしながら、こと心の問題においては、そういった考え方・手法というのはむしろ状況を悪化させる、ということでした。言い換えると、心の問題に対して、あれこれ分析をして対抗策を練るというやり方は、水の中で溺れないようにじたばたして余計に体が沈んでいくというようなもの、ということです。じっとしていれば自然と体は自らの浮力で浮いて来るというような感じですね。

つまり、課題解決能力と呼ばれる社会人スキルみたいなものはむしろ心の問題では役に立たないというわけです。そのことがマインドフルネスをやる上での1番最初の前提になっています。

例えば、「目的地:新宿駅」・「現在地:東京駅」という状況があったとき、「中央線で行けばいいか」と考えるのが人間の状態としては普通です。「目的」と「現在」を比較し、「手法」を検討して実行するのが、人間の基本的なモードです。ふともよおして「目的:トイレ」、「現在:リビング」、「手法:立って歩く」ということを人間は自然とやっています。このように自動的に思考し実行に移すモードを「することモード(doing mode)」という風にこの本では説明されています。

そして、大抵の場合、そのような「することモード(doing mode)」では、まるで自動操縦のように、無意識でトイレのドアを開けたりしています。それが日常であり、それを発展させていくことで、人間というのは所謂「課題解決能力」というようなものを使い、能動的に身の回りの問題を処理していくわけです。例えば、「アルバイト先の売り上げが少なかったので、キャンペーンを企画して、収益を2倍まで増加させました」というのを就職面接における課題解決能力のアピールとして使ったりしますよね。これは、まさに人間のもつ「すること(doing mode)」の応用というようなわけです。現実社会ではこれが非常に有用になっています。

しかしながら、心の問題を解決するためには、これはあまり使えないそうです。心の問題は「課題を分析し、打開策を模索する」というような「することモード(doing mode)」を使うとかえって悪くなるそうです。そういうのは前述の通り、水の中で溺れまいとじたばたするようなもので、余計に事態を悪化させると考えられています。人間というのがどういうときに不安を抱くかというと、それは未来を想定した時です。「このままだとどうなってしまうんだろう」とか、そんな感じですね。なので、「未来を想定する」ということがそもそもの悪手なわけです。「目的(未来)」と「現在」を比較するというのは、不安を引き起こし、心を揺さぶります。ですから、そういった揺さぶりから離れなければなりません。

健常な人間であれば、普通「不安に駆られる」という状態は未来を想定したときに現れます。つまり、能動的に「することモード(doing mode)」を使用したときですね。そして、その不安は何か現実の悪い事態を回避するための、重要な心のトリガーのようになっています。ですから、一概に不安というのが悪いわけではありません。しかしながら、気持ちが落ち込んでいたり、うつ状態にある人は、もはや「トイレに行こう」と思って無意識に、自動操縦的に「トイレのドアを開ける」という行動を取るかのように、常時不安に駆られています。何もしていなくても、自分ではそういうつもりがなくても、勝手に不安のようなものが心の内に無限に湧き上がって来て、それが止められなくなっています。このような状態に対して、さらに「課題解決能力」を用いて、歯止めをかけようとしても、それは「不安から脱するために、トリガーとしての不安を醸成している」ようなもので、全くの逆効果になってしまいます。

そこで、心の問題に対しては、「あることモード(being mode)」というのを使った方が良いそうです。何よりも不安を増長させないことが重要なわけです。では、その「あることモード(being mode)」というのはいったいどういうものなのか。その答えが、マインドフルネスな状態というわけです。

マインドフルネスとは、例えば、猫のお腹を撫でて、その柔らかさや毛並みを感じているような状態です。つまり、無心で何かに心を集中している状態ですね。そこには目的もなければ、現状に対する分析というのも必要ありません。切り分けが難しいですが、例えば計算ドリルを進めているときに無心になるのとはちょっと違うようです。いや、目的なくただ趣味として計算ドリルをしていればいいのかもしれませんが、例えば、「この宿題は1時間以内に終わらせておきたい」というような目的がある場合は、ちょっと違ってくるそうです。この辺りは物事の捉え方次第なので難しいです。なので、できれば、自動操縦的に無心で目的を達成しようとしている状態ではなく、ただただその瞬間に意識を集中して、「そこにある」という感覚が研ぎ澄まされている状態をイメージした方が良いと思います。

私が読んでいる「ワークブック」ではボディスキャン瞑想を通して、「することモード(doing mode)」から「あることモード(being mode)」へ切り替える練習をしたりします。ボディスキャン瞑想は体の感覚に意識を集中させる瞑想法です。呼吸で肺が膨らむのを感じ取ったり、足の指先に触れる冷たい空気を感じ取ったり、そういうことをします。しかし、体の感覚に意識を集中させようと思っても、雑念が沸いてきて、例えば「夕飯何食べようかなぁ」みたいな思考が走り出します。今回のマインドフルネスでは、そういった状態を「することモード(doing mode)」と大まかに分類し、そこからまた体の感覚へと意識を集中させ、「あることモード(being mode)」へと戻す意識の筋肉のようなものを鍛えることが中心になっています。

「することモード(doing mode)」なのか、「あることモード(being mode)」なのかをきちんと見極めて認識し、できるだけ「あることモード(being mode)」へと自分の状態を誘います。これができるようになってくると、うつ状態にありがちな、自動思考でどんどん不安が膨らんだり、どんどん具合が悪くなったりする状態から抜け出せるようになってきます。うつ病というのはつまるところ、自動で無限に負の感情を生産する病気なわけですから、そこから脱している時間を1秒でも多くしてあげることが治療へと繋がるわけですね。こういった考え方はまさに「課題解決能力」という気がして、何だか矛盾を感じますが、しかし大事なのは「治ろう」という目的を放棄して、ただただ「することモード」から脱却し、「あることモード」へと移行し、その状態を保持することだけなのです。とにかく先のことは考えずに「あることモード」を維持。それだけ。そのためのトレーニングをこのテキストではやっています。

 

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前々回の記事で、「敏感過ぎるあなたへ」という本でも色々な対策が講じられていましたが、これも一種のマインドフルネス的治療と言えそうですね。自分勝手に増長していく悪い自動思考(悪循環)から脱するための、気持ちのベクトルを変化させるという意味では一緒です。

 

健康な状態であれば、思考の悪循環、不安の無限生産といった状態にはあまりなりません。しかし、それが続くと、もはや体の機能にまで支障をきたし、頭痛が取れなくなったりします。そして、またその頭痛が気持ちを弱らせてしまうのです。精神疾患の類はそういう嫌な病気なのです。

そこから脱するためには、マインドフルネスやら様々な手法があるわけですが、共通しているのはそれがある特殊な、分類可能な「状態」であるということです。そのような「状態」を見極め、そこから脱するというのがそれぞれの手法の重要なプロセスになっています。そして、そこから脱するための筋肉は鍛えられるというのが、それぞれの手法が「治療法」となっている所以だと思います。

 

今回私が読んだ本では、「これでいい」と自己受容をすることや、マインドフルネスを用いてスイッチを切り替えることが主題となっています。いずれも、未来のことは置いておいて、現在に集中するというのがキーポイントですね。話が長くなってしまったように思いますが、こんな感じで色々と勉強も進んでおり、日々回復に向けて進んでいっているという実感が出てきました。

 

4.最後に…

もう少し異動後の仕事の状態について書こうと思っていたのですが、最近読んだ本の話でいっぱいになってしまいました。

今のところは元気でやれていると思いますので、また仕事については今後書いていきたいと思います。また、カウンセリングの方も順調に進んでいますので、その内容も書いていきたいですね。

あと、気づいたらMaison book girlが活動終了していました…これについてもまた追々書いていかなければなりませんね。本当に悲しいです。

 

次回

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適応障害と診断されまして… vol.67

適応障害と診断されて256日目(6月27日)にこの記事を書いています。また2週間ぶりの更新になりますね。このところサボり気味でした。

 

前回

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再休職をしてからの日々を前回は書きました。特に「敏感すぎるあなたへ」という本が面白かったのでその紹介をさせていただきました。

 

 

日記をつけることを怠っていたので、今回はこの2週間の内容についてざっくりとまとめようと思います。

 

1.地方公務員試験

GW中に現職を辞するつもりで気持ちを固めていたので、次の働き口として地元の地方公務員を考え、応募だけはしていたのです。結局、GW明けに会社との話し合いの中で配置換えを進めてもらうようになったので、すぐに退職するのではなく、とりあえずは新しい環境でやれるだけやってみることに舵を切りました。しかしながら、異動する前にもう感情の制御ができなくなってしまい、再休職することに…

再休職になったのが5月末。そして、公務員試験は6月20日でした。休職中にすることもなかったので、とりあえず公務員試験に向けて勉強をすることにしました。

私が受験しようとしていた地方公務員試験の1次試験は一般教養と専門科目に分かれていました。それぞれ試験時間は2時間。まずは一般教養の方から勉強に取り掛かりましたが、これが非常に難しかったです。私は理系出身なので、政治やら歴史やらがもうてんでわからず、付け焼刃的に勉強もしましたが、とても本番で得点できる気がしなかったのでこちらは潔く諦めることにしました。ただ、一般教養の半分は理系科目やSPI的な数的処理問題となっているので、こちらは大丈夫そうでした。なので、100点満点とするならば、50点は取れるかな?という感じです。理系科目はケアレスミス込みで半分の50点弱になり、残り半分の文系科目も選択問題なので+αの何点かは取れそうです。合格点はわかりませんが、そんなに倍率も高そうではなかったので、これでダメならもう仕方ないかなという感じです。

専門科目についてはその辺の大学院入試程度のレベルのようです。久しぶりにしっかりとした勉強になるので最初は苦労しましたが、やっているうちに少しだけ楽しめるようになってきました。約2週間かけて購入した問題集をざっくりと2周しました。大学時代にほとんど触れて来なかった単元は飛ばしてやったので、短い期間でしたが何とか間に合わせられました。昔から私は勉強くらいしかまともにやって来なかったので、こういうのは比較的好きだし得意な方かなと、なんだか懐かしい気持ちになりましたね。試験の難易度にもよりますが、テキストと同レベルでも7~8割は取れそうな感じです。

そして、実際に試験を受ける日がやって来ました。2~3週間分の努力にしか過ぎないので特に緊張もしませんでした。むしろ久しぶりにしゃんとした気持ちになれて楽しかったような気がします。昔からペーパーテストは比較的好きだったので(早く学校から帰られますし)、そんなことを思い出したりもしました。受験会場が高校だったので、自分の高校時代を思い出したりもしました。一般教養の方はほぼ完全に予想通りでした。40問中21問が語学・理系問題で、こちらはほぼ満点が取れそうでした。残りの19問の文系科目はさっぱりでしたが、一部選択肢を絞って、あとは運任せという感じでしょうか。時間配分的には2時間の試験時間のうち、1時間半を語学・理系問題に使い、残りの30分で得点の見込みが薄い文系科目に振り分けた感じです。何とかぎりぎり間に合わせられました。専門科目の方は勉強していたよりも若干レベルが低く、むしろ学習を飛ばした単元がネックになってしまいました。わからないなりに軽くでも基礎を勉強しておけば、確実に得点できそうな問題だったように思います。感覚でとりあえず解けはしたので、こちらも予定通り8割近くは得点できたような手応えです。

結果は6月末に発表されるようです。受験者も少なかったですし、おそらく1次試験は何とかなるんじゃないかと楽観視しています。しかしながら問題があって、2次試験の日が現職の復職の関係でどうしても休めない日なんですよね。1次試験は日曜日に開催でしたから良かったですが、2次試験は平日ということでとても困りました…おそらく受験は難しいかなと思います。

というわけで、今年の公務員試験は合格がほぼ無理そうということになりました。しかしながら、来年以降受験するにあたって純粋に学力が問われる1次試験の「感じ」だけでもわかったのは良いことです。もし今年合格できるなら来年以降も何とかなりそうな気がしています。と言っても、私も歳が歳ですから、残されたチャンスは少ないですけどね。現在の仕事を続けられたら、社会人枠でチャンスも残されるわけなので、今回の受験では将来の選択肢を広げる基盤ができたように思います。

何よりも今回の受験では生きていく上での自信を少しだけ取り戻すことができたように思います。少なくとも20年近く続けてきた学校のお勉強は私の身になっているようですし、それが実際の社会でどれだけ役に立つかは不明ですが、わずかでも私のよりどころにはなってくれそうです。「ある程度真面目に勉強して来て良かった」と久方ぶりに思うことができました。

そして、休職中のリハビリとしては丁度良かったようにも思います。

そんな感じで割と充実した地方公務員試験と相成りました。

 

2.祖父の死

先日私の父方の祖父が亡くなりました。小さい頃から共働きの両親の代わりによく面倒を見てくれた祖父でした。戦時中15歳で予科練に入り、もう1年でも戦争が長引いていればおそらくは特攻隊として飛び立っていたであろう、ということをよく聞かされました。私の家系の中では私とともに唯一の理系側の人間で、獣医をしており、合理的な考え方をする人だったので私は密かに尊敬しておりました。祖母が亡くなってからも一人で立派に生活をしており、体が弱って来ると自分で介護施設を見つけて来てそこに入るような人でした。

紙飛行機の作り方、飛ばし方、水泳、そのほか色々なことを教えてくれた記憶があります。祖父と祖母のどちらが飾ったのかはわかりませんが、家の整理をしているときに私の写真がたくさん飾られているのを見つけて、よく気にかけてくれていたんだなと感じました。

もともと認知症がかなり進行していましたが、コロナの関係で介護施設にほぼ閉じ込められていたことで拍車がかかり、また体力も落ちていたのが原因でした。5月には肺炎にかかり、健常者であればそこまで酷くならないようなものが病人に入院することが必要になるほど体力が衰えていました。6月の頭に何とか退院して介護施設に戻ったのですが、正直このままでは厳しいということも施設から言われていたところ、また何らかの細菌による感染症で体調が急変し、そのまま帰らぬ人となりました。新型コロナではなく、CTスキャンの結果、胆管結石から来る内臓の炎症が直接的な原因であったようです。朝方救急車で病院に運ばれてからあっという間の出来事でした。

たまたま私も地元に帰っていたので、祖父を最後看取ることもできましたし、葬儀等にもしっかりと参加することができました。体調が優れず周囲に迷惑をかけてしまった部分もありますが、少しは両親の役にも立てたと思うので良かったです。

3月には母方の祖母も亡くなり、これで残っているのは母方の祖父だけです。みな歳を取り、命を終えていきます。私は未だに生きることが怖く、悲しい夜にはどうして上手く自殺できなかったのかを考えることもあります。しかしながら、少しずつそういう気持ちは薄れてきたようにも思います。

こんな風に悩んでいると、寿命を全うした祖父や祖母に申し訳ない気持ちになりますね。

祖父の死に際してもう少し色々と書けると思っていたのですが、どうやらあまり自分以外の人のことについて書くのは得意でないようです。強い眠気に襲われていることも原因の一部ではあるでしょうが。

ともかく、あちらの世界でゆっくりと祖父が休んでいることを祈るばかりです。

 

3.暴力的な眠気

地方公務員の受験前あたりから、とてつもなく眠い日が続いています。今日も朝散歩をし終わって8時前くらいから15時過ぎまでずっとベッド中で寝たり起きたりを繰り返していました。とにかく眠くて眠くて仕方ないのです。全身がだるく疲れています。15時には一度ぱっと目が覚めて、このブログを書き始めるなど少し活動的になれたのですが、夕飯も食べ終えた19時現在、もう強い眠気に襲われています。

なぜこんなにも眠いのでしょうか。体力が落ちているという実感もあるのですが、明らかに異常な眠気です。薬を変えたわけではないですし、原因がよくわかりません。疲れやすい状態が続いています。こんなんで復職できるのでしょうか…不安です…

 

4.カウンセリング

昨日初めてカウンセリングを受けてきました。と言っても初回なので、これまでのざっくりとした人生歴と発病の経緯を話して制限時間の50分が終わってしまいました。また来週カウンセリングです。アドバイスとして朝散歩と、日々の記録(起床時間や食事等)を命じられたので、とりあえずそれは守ろうと思っています。

 

最後に…

ダメです。。。とにかく眠いです。眠くて仕方ありません。ほんの数時間前まではもっと沢山書こうという気持ちでいたのですが、もうその気力がありません。今日はずっと寝てばかりだったのに、まだまだ眠くて仕方がないのです。

7月1日からの復職が上手くいきますように。。。

 

次回

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