霏々

音楽や小説など

道徳の姿態

                            道徳の姿態

 

 遺書を書こうと思った。しかし、生憎ノートもちり紙もない。半分ほどまで×印をつけたカレンダーを引き千切って机の上に伏せる。カレンダーは会社の取引先から貰ったものだった。

 白くてかてかと光る紙。三色ボールペンの一色を突き出す。

 しばらくの間、書き出しの言葉を求めてじっと固まっていた。ペンの先からはインクが垂れてきそうだったけれど、そんなことが起こるはずもない。インクは垂れることはなく乾いていくばかりだ。

 理想の遺書というものをこれまでの人生で幾度か考えてきたように思う。

 死んだ後にどう思われたいか。無意識のうちにそんなことを考えていたからだろう。かつての僕はあれやこれやと遺書の中身を夢想することができた。年頃の女の子のように。それは愛の詩であり、おとぎ話のオマージュであり、無限に咲く夢幻であった。「王子様」と書いてみて、次の言葉を考えているうちにインクが垂れ、「玉子様」になるようなそんな仕様も無い、薄ら寒い言葉たちの羅列だった。

 育ててくれた両親への謝罪と礼。弟へのせめてもの心遣い。愛すべき雑多な交友関係。僕はおよそ「人」というものを恨んだ記憶はない。僕が嫌いなものは「人間」であり、すなわち「社会」であるのだ。僕は自ら死を選ぶが、それは「社会」によって半分強制されたものであり、もう半分は間違いなく僕自身の願いなのだ。そんなようなことでも書こうと考えていた。しかしながら、フェルマーさながらに余白の狭さを嘆き、僕は最後に「もっと伝えたいことはあるけれど」と蛇足を生やして、残された者たちに何らかの印象的な「謎」を残してやろうなどとも考えたことがあったか。退屈な飛行機の旅。その暇を少しくらい埋めてやるためのクロスワードパズル。そんな程度の洒落た「謎」だ。フィッツジェラルドも似たようなものを残していたではないか、と格好つけた僕は言ってみる。

 しかしながら、これだけ広大な白の砂漠の上に何を書けばいいのか、今の僕には全く以って検討がつかない。「遺書」というものが砂漠に水を撒くような行為に思えて来る。結局のところ自分が何を書き残したところで、僕の本当の気持ちは伝えられないし、誤解というものも残ってしまう。そして、本当に死んでしまえば僕にはもうその誤解を解くことはできなくなってしまう。ならば、何も書き残さない方が良いのではないかという気がしてくる。

 僕はピエロでもなければ道化師でもない。オレンジでもなければ蜜柑でもない。人を楽しませるために遺書を書こうと思ったわけではないのだ。

 白い紙は相変わらずてかてかとしている。

 いっそのこと白紙のままにしておくのはどうだろう。半分ほど×印が書き込まれたカレンダーを引き千切って机の上に伏せておく。きっと僕が何かを書き残そうとして断念したことは伝わるだろう。いや、伝わるか? 僕ならその意味について思いを馳せるかもしれないが、「死」なんて仕様も無い出来事が面の皮を厚くしているせいで、僕の残す炙り出しのメッセージなんて全く無視されてしまうんじゃなかろうか。人間自らのアイデンティティである火の存在を忘れてしまっているのだ。無神経な彼ら人間には何らかの読むべき目に見える「言葉」が必要なのだ。レシートだって何だって言い。何らかの具体的な「言葉」を残してやらないと彼らは満足した気持ちになれないだろう。いやいや、待て。僕はピエロでも道化師でもない。ブドウでも葡萄でもないのだ。

 僕が本当に伝えたいことはなんだろう。そもそも僕はなぜ遺書なんてものを書こうと思ったのだろう。

 自ら勝手に命を絶つにあたってのご挨拶。つまり、義務感が半分といったところか。もう半分はなんだろう。もう半分はきっと取り留めも無い感情だ。悲しさと苦しさと愛情と儚さ、だ。僕はきっとこの気持ちを誰かに共有してほしいのだろう。死にたいという気持ちを誰かに伝え、それをそっくりと理解してほしい。その「死にたい」には色々な意味が含まれている。悲しさと苦しさと愛情と儚さ、だ。何も恨みつらみを書き連ね、死後の世界から生者たちを呪いたいわけではない。ただただ、こんな気持ちだったら死んでも仕方ないよね、ということを理解してほしい。あわよくば受容してほしい。この際、共感までは求めまい。ただし、そうなると相当に厄介だ。

 この白いカレンダーの裏にまずは横に一線を引く。上半分は先ほどのご挨拶だ。下半分には僕のこの気持ちを書き連ねよう。しかしながら、果たしてこの如何ともしがたい感情を上手く言葉にして書き記すことが僕にできるだろうか。それは結構な無理難題に思える。では、いっそのこともう一枚カレンダーを引き剥がし、一枚目にはご挨拶を、二枚目には僕の気持ちを書こうではないか。いやいや、丸々一枚でも足りるかどうか。では、何枚なら足りるのだろうか。どこまで手を尽くせば僕は僕の気持ちを正確に書き記すことができるのだろうか。そもそも何者かが自らの気持ちを正しく言葉に置き換えることが可能なのだろうか。一流の芸術家だってそこで苦労しているのではないだろうか。とても僕になんてできると思えない。白紙は何枚あったって足りないのだ。砂漠に水を撒くのだ。

 僕は諦める。

 ならば、ご挨拶くらいは書いておこうか。かくかくしかじかという理由で僕は簡易的な言葉で言うところの「精神を病み」、もう生きる希望を失くして、死んで楽になりたいと思いさぶらう。わずかではあるが貯金は弟に譲ろう。葬式は不要。あなた方が気持ちの割り切りをつけるための儀式として必要であるならば催せばよろしい。いずれにせよ我が国においては火葬にて処理されるであろう。遺灰はできるならば海に撒いて欲しい。海が面倒なら川でも良い。川でも面倒なら、慣例に倣ってどこかの墓に入れてもらっても構わない。僕が死んだ後の事だ。好き勝手にやるがいい。馬鹿な犬にしゃぶらせたって僕はまったく構わない。僕が精神を病んだ理由を求めるな。あらゆる理由は見当違いである。両親よ。自分を責めるでない。同時に誰かを責めるでない。僕は僕の自由意志に則って死を選んだまでである。場合によっては、僕を死に追い詰めたのは会社であると考えるかもしれない。会社に賠償金を請求するというのも、あるいは賢いやり方かもしれない。しかし、復讐する人生は惨めであり、あまりおススメはしない。もしやるのであれば、冷徹にあくまで金をせびるためにやられよ。愛ゆえの怒りと自らを正当化しているように判事には訴えかけ、然るべき金品を要求してそれで終わりにすべし。そして、繰り返しになるが、他者に理由を求めず、自らに理由を求めることもまた惨めであるからやめなさい。家族よ。僕を愛して止まない家族よ。もし自分のせいで僕が死んだと考えるようなことがあれば、それは僕が最も憎むべき行為であるということを理解して欲しい。僕は誰にも束縛されたくなどない。誰かの影響により僕が自死を選んだなどと考えることは僕から自由を剥奪する行為であり、唯一僕が憎むべき行為と言える。だから、自分を責めてはならない。

 さて、これくらい書けば、カレンダーの裏面半分を埋めるにあたるだろうか。

 つまらないご挨拶だ。これでは僕の伝えたいことは何一つとして伝わらないだろう。しかし、自死を選ぶのだからこれくらいのご挨拶を残していても然るべきという風にも思える。少なくとも僕の死をどのように処理して欲しいかということは伝えられている。それで充分だと思える。ああ、一つだけ書き忘れていることがあった。僕の無様で不潔な死体を処理される方よ、大変申し訳ない。ここに金六萬円を置いておくからこれで何とか手打ちとしていただきたい。六というのは完全数であり、また二と三という集団の最小単位を約数に持っているから、取り分で揉めることもまああるまい。

 僕はとりあえずそこまで考えてみた。実際に財布から6万円を取り出して、机の上に並べてみた。白いてらてらとしたカレンダーの裏面。そして、香ばしい紙の匂いのする六枚の札束。三色ボールペンが僕の手の中でくるりと円を描く。

 面倒になって一度ベッドの上で横になってみた。泣いてみようか。しばらく涙を流してみる。気持ちが高ぶって、声をあげて泣いてみた。どれくらい泣いただろう。カップラーメンだったら、カップの形を保ったままくらいの時間だろうか。すぐに飽きてしまった。

 頭が重たい。心が重たい。ロープを手に持ったまま狭い部屋の中を歩き回ってそれを括りつけるべき場所を探した。意外と適した場所はない。昔ながらの日本家屋であれば梁やら何やらに括り付けることもできたかもしれないが、小さなアパートではそんな首吊りにうってつけの場所なんて見つかりやしない。

 仕様が無いので風呂場に向かった。浴槽の真上に物干竿が亘らせてある。まずは手元のロープで輪っかを作る。くるりと小さな輪を作り、その先でさらに大きな輪を作り、小さな輪の方へと先端を戻してくる。軸の周りをぐるりと一周させ再び小さな輪の中に戻す。これを絞れば完成だ。試しに頭を通してみる。ばっちりの大きさだ。一度首からそれを外す。それを今度は物干竿に括りつける。物干竿の強度がやや心配であったが、僕はまあ瘦せ型の人間であるしきっと大丈夫であろう。薄暗い風呂場の中でそれを吊るして見ると、こんなもので人間が殺せるのかと不思議な気分になる。でも、やってみる価値はあるだろう。

 浴槽のヘリに乗り、浴槽を跨ぐようにバランスを取る。そしてロープに首を通してみた。ゆっくりとヘリから足を離して体重をロープに預けていくが、思いのほか強くロープが首に食い込み、強い痛みがある。僕は一度首吊りを断念して思考を巡らせてみる。ロープと首の間に何らかの緩衝材が必要だった。

 僕は一度ロープから首を抜くとハンドタオルを箪笥から出して来た。それをロープと首の間に挟み込むと痛みはだいぶ和らいだ。これから死のうという人間でも痛いのは嫌と思うのだ。不思議なものだ。いや、全く以って不思議ではない。痛みを恐れ憎むが故に僕は死を選ぶのだ。そもそも痛みに耐えられるのであれば僕は死なんてものを選ばなかったはずなのだ。そんな知見を得てももはやそれを誰かに伝える気力は僕には残されていない。体重をロープに預けていく。

 ヘリから足を離すと浴槽の底には爪先が届くくらいになる。体重を支えるには心許ないくらいの接触だ。次第に息が苦しくなっていく。

 怖くなって僕は一度足をヘリへと戻す。深呼吸をする。どうも首を吊るというのは一筋縄ではいかない行為のようだ。

 何度かそんなことを繰り返す。まるで熱い風呂に何とか入ろうとする小学生のように、何度も熱湯に足をつけては離れ、とそんなことを繰り返している。しかし、次第にその熱さにも慣れて来る。息ができないということを当たり前のこととして受け入れていく。思考を殺すのだ。吹雪の中、目も開けられずに俯きながら一歩一歩を踏みしめるように僕は死へと近づいていく。金魚鉢に鮮やかな色彩のおはじきを一枚ずつ落としていく光景を瞼の裏に描いた。ゆらゆらと確かな重みとスピードでおはじきは沈んでいく。一枚一枚が底のガラスと触れ合う時に微かに「かちり」という音がする。それは耳に届くか届かないかという小さな音だ。かちり……かちり……かちり……かちり……かちり……かちり……かちり……かちり…………かちり……………………………

 夢の中で手も足も失った僕はねばねばとした蜘蛛の糸でできた袋の中でもがいている。息が、できない。早く、袋の中から、出ないと。ぼやけた視界の中で見慣れた風呂場の映像が一瞬駆け抜ける。失ったはずの手や足がせせこましい、何やら硬いものに何度もぶつかる。幻肢か。苦しい理由。僕は失った手で首に纏わりつくものを外そうともがいた。

 次の瞬間、僕は浴槽の中で倒れ込みながら、背中に物干竿を背負っていた。

 そのときになって、僕は死に損なったことを知る。

 

 遺書を書くべきだったろうか。

 死ねなかった理由はわからない。少なくとも僕の自殺はお粗末なものであったし、生きている僕はやはり死を恐れて反射的な行動を取った。それだけと言えばそれだけなのだけれど、ちゃんと遺書を書いておけばもっと真摯に死と向き合えたのではなかろうか。どうせこんな中途半端な方法じゃ死ねないと高を括っていた自分が、自分に遺書を書かせなかったのかと思うと酷く惨めな気持ちになった。

 喉が酷く痛かった。まるで喉風邪に罹ったときのように、唾を飲み込む度に鈍い痛みが走る。こんなことなら首なんて吊らなければよかった。両耳の下あたりにもロープによる擦り傷ができていた。会社の人に何か言われたらどう誤魔化そうか。やはり生きていくのは何とも面倒だと思った。

 

 夕飯を買いに外に出た。陽は暮れかけ、薄闇の中で街灯は力無く光っているように見えた。夜も深まれば彼らももう少しは元気を出すのだろうけれど、まだまだ彼らは「居ないふり」をしているみたいにさりげなく頭上で灯っている。コンビニまでの道のり。小川に沿って幾本もの桜の木が植えられているが、数週間前にそれらの花があっという間に散ってしまったことを思い出した。しかし、今でもまだ数枚の花弁が花壇やらアスファルトのヒビの間に取り残されている。散った桜の花弁はいつもどこに行くのだろう。腐って形を失うであろうことはわかるけれど、実際にその過程を見たものはいない。夏のアスファルトに宿る蜃気楼がいつの間にか消えてなくなるように、それは不思議な時空を通り抜けて、異空間へと消えていくのだ。

 今まで僕はそういった自然と消えて無くなるものに憧れを抱き、自分もそのように消えていきたいという風に考えていた。しかし、僕が望むと望まざるとそうなることは最初から決まっているのだ。いずれどこからも忘れ去られ消えていく。歴史に名を刻もうとも、その個人の生というのは同じように消えていくのだ。次の時代の人間が歴史として学ぶことはあっても、生きて次の時代の人と対話をすることは適わない。そういう意味でみな平等に死を迎え、忘れ去られていくのだ。そして、僕はそのときを早く迎えたいものだと常々考えていたわけだけれど、桜の花弁が春には消えられぬように、夏の蜃気楼が夏には消えられぬように、僕という人間もまた今日という日には消えられなかった。そういうことなのかもしれない。

 むしろそのような時期に無理をして死ぬということは、死を特別視しているようではないか。死はその辺に転がっているありふれたものであり、小石や空き缶のようにくだらないものだとする僕の思想は、僕の自死によって矛盾に晒されてしまうのかもしれない。

 コンビニの中に入り、週刊漫画雑誌を立ち読みしてから、弁当を選ぶ。弁当を選び終えてから缶ビールとスナック菓子も手に持った。缶ビールとスナック菓子を持った左手を耳元まで持ち上げ、人差指でイヤホンを耳から掻き出す。店員は僕の首元の傷にも気づかぬまま、会計を告げる。あ、お弁当温めてもらえますか。店員が背を見せている間に、僕は金の準備をした。

 

                          *

 

 昨日の昼に自殺未遂をした人間が電車に乗りながら芸人のラジオを聴いて笑いを堪えている。会社で何てことなさそうに話をして、それなりに真面目に仕事をしている。でも、そんなものかもしれない。今、電車の隣の席で疲れたように眠る女子中学生も、この後家までの夜道で車に轢かれて死ぬかもしれない。強姦に襲われて心が壊れてしまうかもしれない。僕が急に首を絞めて殺してしまうかもしれない。何が起こるかなんてことはわからない。

 変わりたいと願いながら変わらない明日を切望して、今日もまた時間に引きずられていく。後ろ向きに引き摺られながら踵が残す二つの線を過去として眺めつつ。

 

                            *

 

 死に損なってみると、死にたいと思っていたことが馬鹿らしく思えて来る。二日酔いと似ているのかもしれない。今日は死ぬまで飲むぞ、と決めて酩酊。翌日には死んでももう酒なんて飲むかと誓う。あれだけ酔っ払いたかった僕は、二日酔いで達観する僕から見れば滑稽以外の何者でもない。

 でも、いつかまた近くに死にたいと思う時がやって来そうな気もしている。前回の失敗を受けて、より確実な方法を僕はきっと考えるだろう。しかし、僕という人は学ばないことで名が高い。またどうせ失敗してしまうんだろう。何回か繰り返していればいずれ死ぬことができるかもしれない。でも、それよりも先に「死なないライン」を見つけてしまうかもしれない。そうなってしまえば、僕の首吊りはただのよくある自傷行為でしかなくなる。ただのよくある自殺行為とただのよくある自傷行為との間にどれだけの差異があるのかはわからないが。

 みんなに聞いてみたいことがある。

 どうもみんなは死にたいと思っていないと見受けるのだけれど、それは本当なのだろうか。僕が死にたいと言うと、どうしてそんな風に考えてしまうのか不思議がるが、僕からしたらどうしてみんなが死にたいと思わないのかの方がよっぽど不思議である。まるで学校の道徳の授業みたいに「みんな生きよう」と答えることが正解だから、そう言っているだけでしかないように僕には思える。正解が何かを多角的に考えるべき道徳の授業においても、答えのようなものはあるようで、そうなってくると必然的に僕たちの人生もまたかくあるべしというのが規定されているように思える。僕はそういうのを見たり聞いたり味わったりする度に嫌な気持ちにさせられる。

 最近では結婚式が最悪だったな。

 初めて僕は結婚式というものに呼ばれたのだけれど、まず嫌だと感じたのは、それぞれに独善的な雰囲気を醸し出すコミュニティが適度な規模で群生していることだった。日本語という共通言語を用いながらも、それぞれが明らかに違う社会的文脈の中で呼吸をしている。いくつもの水槽が並んでおり、どれも同じ水道水を入れられているはずだったが、それぞれの水槽では全く別の生態系が築き上げられている。水とガラスと空気の屈折率差のせいだろうか。外に立ち並ぶ世界はどれも歪んで見えて気持ちが悪かった。

 まあ、しかし、それはどちらかと言えばどうでも良いことだった。そんなことに腹を立てるほど僕は子供じゃない。別のコミュニティに対して敵対心のようなものを感じるのは生物として至極当然の反応であることを僕は理解している。中学生じゃないんだ。A子ちゃんのグループに腹を立てているB子ちゃんのグループ、みたいな構図なんてわざわざ顕在化させるだけ労力の無駄というもの。だから、そんな面倒なことはうっちゃっておこうではないか。僕は大人だ。そう、僕は大人だ。ねぇ、みんなももちろん気になっているんだよね。でも、それを口にしないだけなんだよね。大人だから口にせず無視を決め込んでいるだけなんだよね。大人な僕はあえてそれを口にして確認したりはしないけれど。

 頭痛がする。このところずっとそうだ。何につけても頭痛だ。吐き気も感じる。でも、大人だからそんなことはわざわざ口にはしない。それよりも最悪な結婚式の話をしよう。

 結婚式の何が最悪か。それは社会の独善性を顕在化しているからだ。見たくないし、関わりたくもないし、だから僕は極力無視をするようにしているのだけれど、それをわざわざ僕に見せつけて来るのだ。出来の悪いサイコ映画における拷問器具で、手足を縛り付け、瞼を開いたままで固定し、口も似たように開かせたままで固定する金具みたいなものがある。そんな感じ。そう、拷問だ。僕の虹彩は眼前の惨状を網膜に映し、口には絶えず生きたムカデを放り込み続けられている。当然、ムカデは鼻からも入れられて、喉で口からのお友達と合流して、胃袋の中へと落ちて来る。そんな感じ。そう、拷問だ。

 結婚式は人生のハイライトなのだと僕は思わされた。美しい思い出たち。それらが写真やら映像やら音楽やらになって、参列者に振舞われる。感動があり、思いやりがあり、スパイスに苦労話も欠かさない。まるで就職活動みたいだと思った。端的に人生を要約し、「ほら、素晴らしいでしょう」と心ばかりの脚色を施す。そういう仕組みを僕は理解しているつもりだ。だから、ここで披露されているのは美しいものの抜粋に過ぎず、実際にはもっと汚らしい、人らしい時間を過ごして来たのだということは理解している。でも、そういったものは無粋とされて、重い緞帳の向うに隠されている。ショーなんだから、それで正しい。儀式なんだから、それで正しい。でも、こんな風にして何かを誇らなければならないのが社会なのだと思うと、僕はとても虚しい気持ちになってしまう。これも就職活動と似ている。端的な自己アピール。感心させるために、あれやこれやと準備をする。まるで僕のこれまでの人生そのものではないか。だから嫌いなのか。同族嫌悪。就職活動も結婚式も。吐き気が収まらない。

 人生における正解。そんなもの定義できるはずもないのに、そこには模範解答のようなものが存在している。社会の眼。誰もが「かくあるべし」という笑みを浮かべている。不自由がそこにはある。臭いものには蓋を。ずっとそんなことをして生きてきたのかもしれない。そう思うととても虚しい気持ちになる。これからもずっとそうして生きていくのかもしれない。そう思うと恐怖を感じる。どこまで行っても僕たちは社会の眼から逃れることはできない。

 ミシェル・フーコーは「パノプティコン」と呼ばれる囚人環視システムの凶悪性について語った。いや、衆人環視システムと言った方が本質的であろうか。その最終目標は自己の内面にもう一つの眼を植え付けることだった。仏教などで語られる「第三の眼」のことではない。それは本来であれば自分の外部に存在する眼であるはずなのに、執拗で悪質な監視はその外部の眼を個人の内の中に埋め込んでしまう。その眼は善良であるはずの人の心にねばねばとした巣を作り、じわじわと人を人間にすべく罰を与え続ける。罰はそのうちに罪という概念を作り上げていくだろう。中には罪が先に立ち、その罪に対応した罰が与えられると主張される方もいらっしゃるかもしれない。鶏と卵ではないが、ここは人によって見解が分かれる部分だ。しかし、僕はやはり罰が先に立ち、罰の理由付けのために罪という概念が持ち出されたと考えるべきという気がする。因果関係において原因が結果よりも時系列的に先であるという考え方は一般的には正しいと言える部分があるかもしれないが、必ずしもその限りというわけでもないだろう。現在から過去を推定する行為は、確かに結果から原因を推定する行為である場合が多いかもしれない。しかし、そのような「推定行為」によって、原因は結果に置き換えられ、結果は原因に置き換えられる。つまり、原因究明によって推定された原因というのは、すなわち「推定行為」の結果であるということだ。お腹を壊した原因を、朝方食べた賞味期限切れのヨーグルトに見出すという推定行為の目的は、「原因がヨーグルトにある」という結論を導き出すことであり、導き出されたその結論は不完全な因果関係と言えるだろう。つまり、本当にヨーグルトが原因でお腹を壊したかどうかというのは断定できない(もしかしたら手洗いせずに指を舐めたことによる細菌接種が原因なのかもしれない)はずであるのに、誤った原因を究明したことでこの問題の解決を見ようという目的意識がそこには見られる。罪と罰の関係も同じことだ。お腹を壊すという罰は、賞味期限切れのヨーグルトを食べた罪によってもたらされたと考える推定行為。これによって、その因果関係は不確実であるかもしれないのに、賞味期限切れのヨーグルトを食べるという行為が罪であるかのような概念が生まれてしまう。

 何が言いたいかというと、パノプティコンを機能させるための必要条件として「罰」が求められるということだ。そして、その「罰」に対応した「罪」を用意しなければならない。そしてその「罪」という概念を植え付けたときに初めて「監視」という行為に意味がもたらされる。したがって、パノプティコンとは「罪」という概念ありきで成立するシステムであり、そのシステムの機能性において最も核心となる部分は、外部からの監視ではなく、自己内面からの監視によって人は不自由に縛られるということであろう。

 結婚式に話を戻そう。

 結婚式が最悪な理由として、僕は社会の独善性がそこでは顕在化されているからと話した。それはつまるところ社会という問における正しい解答を結婚式というものが提示しているように僕には感じられてしまったということだ。その独善的な解答から外れた者には「罰」がもたらされる。それが賞罰教育によって僕たちに深く根付いた歪んだ認知である。果たして僕自身は結婚式が提示する独善的な正答が仄めかす「罰」に相当する「罪」を抱えた人間であろうか。そんなものは火を見るよりも明らかである。僕の内面に植え付けられた「監視」の眼が僕の「罪」を暴く。腕を後ろで縛られ、目の前で焼き鏝をちらつかされている気分だ。「監視」によって暴かれた僕の「罪」。あとは社会という人格の思惑一つで僕には「罰」がもたらされるであろう。

 取引をしようではないか。もしもこの焼き鏝を腹、あるいは胸、あるいは頬に押し付けられたくなくば、罪を償うが良い。私だって好きでこんな焼き鏝を振り回しているわけではない。これは君たち落第生を救うために仕方なくやっていることなんだ。もし、君が真っ当に生きることを承諾し、そして行動で示してくれるならばこの焼き鏝はすぐにでもしまおうではないか。どうだ、約束できるか?

 だから僕は結婚式でへらへらと笑う。感動しているフリをしている。内心ではいつその「嘘」が暴かれるのか恐怖しながら、膝を震わせながら。これを拷問と言わずして何と言うか。そして、その拷問は僕が生き続ける限りずっと続いていくだろう。これがすなわち地獄というものだ。

 同族嫌悪という言葉を僕は使った。それはとりもなおさず、そのような拷問がこれまでも僕の人生を彩って来たことを示し、また僕だけでなく万人がその拷問に晒されていると感じるからだ。僕たちは社会によって監視されている。そして監視されている者たちが雁首揃えて集結し、独裁者に礼賛の拍手を送っている。神に跪く、哀れな子羊たち。神よ、我を憐れみ給へ。僕は内心では神なんてものを信じていないにもかかわらず、罰を恐れて膝を震わせながら跪いている。なぁ、みんな大人だから黙っているだけで、本当は僕と同じように膝を震わせているんだろう? おい、どうなんだよ?

 この世は地獄だろう?

 死んだ方がマシだと思わないか?

 僕たちに唯一許された自由は死ぬことだけなんだと思わないか?

 ほら、見てみろ。死に損なって、自死が馬鹿らしく思えていたけれど、また死にたくなってきた。一生、これを繰り返すのか。いったい僕は何回首を吊れば済むんだ。せめて首を吊ることだけは誰も責めてくれるなよ。いや、責めても良い。みんな監視の眼を恐れて、口を揃えて「自殺は罪だ」なんてことを言っているだけなんだよな? それならば許そう。僕たちはみな一様に、不自由を享受する人間なのだから。

 

                            *

 

 お医者さん。僕を助けてください。僕は気づいたんです。形のない何者かが僕をずっと僕の内から見つめているのです。監視されているんだ。眼、眼、眼。眼がずっと僕を見ているんです。

 

 僕のしがない文学性に則って喋ればそういうことになる。しかし、これは医学的には強迫観念やら認知の歪みやらという言葉に置き換えられるらしい。まあ、それには納得もできる。確かにそれは実体のないものであり、強迫観念と端的に言い表すこともできるだろう。しかし、仮にその正体が強迫観念であることを見抜いたところで対して変わりはないように思える。幽霊の正体見たり枯れ尾花、という言葉があるが、幽霊に対する恐怖心はそう簡単には消せないだろう。確かにそれは枯れ尾花なのだろう。でも、幽霊に対する恐怖心が消せない限りは僕はずっと枯れ尾花だろうが何だろうが、それらしきものに幽霊の影を見て恐怖に晒され続けることに変わりはない。

 解決策は二つあるだろう。

 一つは常に物を良く観察することだ。恐怖に負けて目を逸らすのではなく、きちんとその対象を見つめ、観察し、それが幽霊ではないことを確認すれば良い。恐怖から目を逸らしても、恐怖から逃れることはできない。ならば、恐怖と正面切って向かい合うしかない。もし良く観察してそれが本物の幽霊だったその時は全力で逃げれば良い。観察する前から逃げ出していたら肺が潰れるまで走り続けなくてはならないだろう。

 二つ目は、そもそも幽霊なんていないということを理解することだ。あるいは一つ目の解決策を実践し続けることで、経験則的に幽霊はいないのだと理解できるようになるかもしれない。しかし、それと合わせて、よく分析、思考し、幽霊がいないのだと論理的に理解することもこの解決策を押し進める力になるだろう。逆にそのような論理的な理解ができていても経験がなければ、恐怖心はそう簡単には取り除けないかもしれない。だから、幽霊なんてものがいないのだと論理的な分析や思考によって理解しつつ、実際に幽霊らしきものと対峙して、それが幽霊なんかではなく恐るるに足らない存在なのだと体に覚え込ませるのだ。

 このような治療を通して、僕は僕の内に潜む「眼」を殺したい。そう考えるようになった。しかし、それはもの凄く大変なことのように思える。疲れる。疲弊してしまう。星が瞬き、夏草の香りが風に運ばれて首筋を俄かに冷やすような瞬間であれば、そういう事に対して前向きになれるかもしれないが、そんな日ばかりというわけでもないだろう。果たして僕は枯れ尾花に囲まれた社会の中にあって、そんな治療を完遂することができるのだろうか。これまで誤魔化し誤魔化しで地獄の中で生きてきた人間が、今さらちゃんと地獄と向き合おうと思って、それに耐えられるのだろうか。死ぬ気でやればできないことなんてない、と言う人がいるが生憎僕にとっては死を選ぶ方が楽なのだ。なぜならば、地獄と向き合わずに済むよう、死に対する恐怖心というものを僕はかなぐり捨てるようにしてここまでやって来たのだから。

 そう、僕は論理的な意味合いにおいて死を恐れていない。

 しかし、実際に首を吊ってみてわかった。体が死から免れようとするのだ。僕は肉体的な死への恐怖を乗り越え、徹底的に自分を殺し切ることができるだろうか。いや、できるはずだ。むしろそれはこの地獄を天国に変えるよりもよっぽど楽なことのように思える。

 雨に打たれて、体が冷え切った一人きりの夜には、僕は自分の目の前に垂らされた救いの糸に手を伸ばしそうになる。清廉潔白色のロープはまるでカンダタに提供された一縷の希望であるかのように見えるのだ。

 

                            *

 

 朝から雨の降る休日。狭い部屋のカーテンを開けて、線路を見下ろす。窓には雨粒が貼り付いていて景色をぼやかしている。

 足の爪が伸びていた。二番目の引き出しを開けて爪切りを取り出す。一人暮らしを始めるときに実家から持ち出し、以来使い続けている爪切りだ。保険会社名と、おそらくは担当者の氏名が印字されている。金属製で手に馴染む重さがあった。おそらくは父か母かがまだ若い頃に貰ったものだろう。どうしてかつての僕がそれを実家から持ち出したのかはわからない。そもそもどこに眠っていたのだろう。僕は学生生活を通してそれを使い続け、社会人となった今もなお使っている。しかしながら、そこに保険会社とその担当者の名前が印字されていることを知ったのはほんの二週間前だった。

 水垢のこびりついた洗面台の鏡で首に残ったアザを眺めていた。喉の奥はまるで風邪を引いたときのようにつばを飲み込むだけでまだ痛む。鏡に映る自分の表情は生きている人のそれであり、そのことが何故かとても不思議に思えた。しばらく鏡と見つめ合い、額の吹き出物を一つ潰した後、ベッドの端に腰を降ろし、しばらくティッシュでそこの血を止めていた。血を止めている間に暇になって爪を切ることに決め、何となく爪切りを眺めていたときに僕はその発見をしたのだった。

 樋口藍子。顔も知らない女性。彼女は笑顔を作り、保険の契約を取るために、いくつもの爪切りを配って歩いた。そして、今頃は孫の一人でもいるのかもしれない。

 雨音を聞きながら爪を切る。そして、彼女の半生を思う。改めて思う。生きる、とは。踏切の音が聞こえる。それからすぐに電車が何万という雨粒を轢き殺して走り去っていく。騒音が胸を締め付ける。

 

 トートバッグを肩から提げ、透明なビニール傘を持ち、部屋の鍵を閉め、アパートの階段を降りた。一挙手一投足がふわふわと春の綿毛のように漠然と目の前を通り過ぎていく。こんな雨の日だというのに、僕の行動はまるでそんな感じなのだ。じめじめと脇の下や足の裏は気持ちが悪いのに、頭の中は嫌になるくらいのふわふわの綿毛でまみれている。小学生くらいのときの事だったか、タンポポの綿が耳の穴に入ると一生取れなくなって、耳が聞こえなくなってしまうという話を聞き、恐怖を覚えた。噂自体の真偽も未だに不明だけれど、そんな噂が出回った理由についてはもっと不明だった。タンポポの綿毛は種であるわけだし、耳に入ったらそこからタンポポでも咲いてしまうのだろうか。アスファルトを突き破る程の生命力だ。耳からタンポポが生えたっておかしくない。頭の中がタンポポの綿毛でいっぱいになってもおかしくない。

 アパートの敷地を出て、そのまま坂を下っていくと踏切がある。このアパートに引っ越して来てからはこの踏切の音と電車の走行音が酷くうるさく感じられたが、今はだいぶ慣れた。それでももう二度と線路の近くには住むものか。踏切で待つ間、僕は何億回目かの決心をする。踏切を渡りながらふと振り返ってみた。アパートの自分の部屋のカーテンは開けっ放しだった。

 

 今日も僕は弁当を買って食べる。誰かが何かを殺し、それを綺麗に並べてプラスチックのケースに飾り立ててくれた。それに対して僕は対価を支払い、食す。幾度となく繰り返されてきた罪だ。しかし、今のところ僕はそれに対する罰を受けていないように思える。なぜなら人間の原罪を神が肩代わりしてくれているからだ。そういう事になっている。せめて手を合わせ、祈りを捧げるべきだ。しかし、僕は漠然と昼時のたいして面白くもないテレビ番組を見ながらそれを食している。手なんか合わせない。祈りの言葉も述べない。味わうでもなくそれを平らげる。割り箸を二つに折って、ケースの中に入れ込んで、それをビニール袋の中に放り込む。インスタント味噌汁の細かい出汁の破片がお椀にこびりついている。台所でそれを洗い流すと、部屋の電気を消し、テレビを点けたままベッドに横になった。疲れた……眠る。もう起きなくていいよ、と思いながら眠る。疲れたから永遠に眠らせて欲しい。踏切が鳴った。もうすぐにでも電車がやって来る……

 

                            *

 

 どうせそろそろ死ぬのだから、まともに生きていたって仕方ないじゃないか。

 それが僕のいつもの言い訳であり、考え方の癖のようなものだった。それを格好つけて「思想」なんて言葉で呼んでいたこともあったっけ。さも自らが高尚な行為に身をやつしているような錯覚に陥ることができた。しかしながら、それは「生きること」に対して正面切って向き合えない僕の臆病さが発見した便利な逃避方法でしかない。

 死を目指して生きることは苦しみの伴うものであった。しかし、その苦しみはむしろ僕の罪を浄化するための罰なのだと思うことで、あらゆる罪から逃げ遂せる大義名分にもなっていた。手も合わせない、祈りの言葉も述べない。ただ「死にたい」と思いながら生きることこそ、僕にとっての唯一の宗教的行為である。神が背負う原罪の重みを現世にて仮想的に追体験すること。ある作家は宗教の目的は唯一「神の意識と同化すること」と言っていたと思う。僕はその言葉を何度も何度も反芻した。たいして宗教の勉強などもしたことはなかったが、その言葉を信じて僕はただ「神の痛み」を思い描き、それを希死念慮と抱き合わせることで自らの中へ落とし込んでいった。

 一昔前のサイコ映画では、特殊な宗教にどっぷりと浸かったシリアルキラーが牢屋のような部屋の中、月明かりに照らされて自らの肉体を鞭打つシーンが散見された。生憎、僕はそういった具体的な目に見えるものを求める性格ではなかったし、もちろん人を殺したことはない(本当にそうか? 僕は人を殺してはいないけれど、人の心を踏みにじりはしなかったか? あるいは、無意識のうちに間接的にとは言え遠い国の誰かを殺しはしなかっただろうか? 人は生きているだけで誰かを殺すものではなかろうか? 少なくとも僕は動植物を他人に殺させ、それを食わなくては生きていけぬ)。ただイマジナリーな世界において僕は間違いなく自らの生きる罪を償うために自分を傷つけ続けてきた。それは自己否定という名前で昨今呼ばれている行為だったろう。むしろ、自己虐待と言っても良いくらいだ。ともかく僕は自らの生を貶めることでしか安息を得なかった。

 

 僕は昔から人間と関わることが怖かった。人はそんなに怖くなかったけれど、それが集団における人間関係となると恐怖した。なぜならば僕はとんでもないクズ野郎で、集団の中に馴染むことができず、いつでも人を傷つけてしまっていた。

 序列を明確化し、その上位に自らを置く「癖」があった。そのことが今まで多くの人を傷つけてきたし、僕が人から愛されるに足る人物ではない最たる理由の一つであった(愛されない理由なんていくらだって論える)。僕がまだ少年というカテゴリーに属していた頃、僕はそういった事実を認識することができなかったし、また向き合う勇気も持てずにいた。僕はひたすらに自分の本質を隠すことに躍起になり、余計に人を傷つけるような立場に身を置こうともがいた。人を傷つけた罪を隠すためには人間関係の序列でより上位にいなければならなかった。その行為の醜悪さをその頃の僕は理解できていなかったが、今思えばそのやり口は巧妙とさえ言えるほどで、とある女子が集合写真で「いいよ。前にいきなよ」と他人を気遣うフリをして、実際のところは他人よりも小顔に見えるような立ち位置を確保していた……みたいな感じがあった。そして、僕は優越感に浸る。僕は他人よりも賢いのだ、と。

 いつの間にか僕は他人より賢くあることでしか自分の愉悦を満たすことはできなくなっていたし、同時に自分の身を守ることができなくなっていた。自分勝手に何らかの序列を作り上げ、その中で上位にいることでバリアを張り、そのことが実際には人の心や善性といったものを踏みにじっていたということも気づかぬまま、人として友好的な関係を築くことを恐れ、ただただ人間関係という制御可能な範囲でしか人と関わらなかった。なぜなら、それこそ僕が最も「上手く」できることであったから。

 青年というカテゴリーに属す頃になってようやく自分が醜悪な生き方をしていたのだと気がつくことができた。それを教えてくれたのは一人の女の子だった。彼女は特に何も語らなかったし、僕を諭そうという気もなかっただろう。しかし、その春風の切なさを宿した涙で僕の心を突き刺したし、視界の中で小さく消えていく背中は僕の足元を大きく揺らがした。僕はただただ自らが醜悪であるということを思い知らされ、気づかないフリを辞めざるを得なくなった。

 その辺りの話は込み入っているようで込み入っていないし、特段詳しく話すほどの事でもない。よくある恋愛話だ。いま冷静になって思い返してみても、それは世間的に特別感のある話ではない。彼女の話でもなければ、僕と彼女の間における話でもない。ただただ、僕一人の個人の問題であった。

 僕は自らの罪深さに気づかされ、そこからは自分で自分を呪うようになった。自分が苦しむことでその罪に贖うことができているのだと考えるようになった。僕はなぜ僕が醜悪なのかをよく考えるようになり、自分自身を憎むと同時に世界をも憎むようになった。世界……いや、世界というよりは社会と言った方が僕のイメージに近いだろう。世界は花や月や海に溢れ美しいが、社会は「人間」という醜悪な「目」に埋められて息苦しい。僕は確かにその社会の中で自らを満たし、慰め、守ることに終始していたが、それは半分が自分由来の目的意識であり、もう半分は「社会」から強制されているのだと思った。「僕」と「社会」は共犯関係にあり、その両者は本来無垢であったはずの自分に対して「醜い行為」を強要し続けてきた。だから、僕は自らの愚かさを呪うと同時に、社会の狡猾さを憎んだ。自分や社会の価値を糾弾し、いずれの存在も醜悪でありそこには一片の正しさもないのだと思うようになった。十字架を二つ用意して、そこに「僕」と「社会」を磔にし、火を放った。火には浄化作用があるのだと、とある小説で読んだ。

 

 そんなわけで「死にたい」ということが僕の生きる指針になっていった。

 自らと社会を憎むことは、それまでの醜い自分との決別を果たし、彼女の涙に贖うことなのだと思った。いや、彼女だけではない。僕がそれまで踏みにじって来たいくつもの物事に対して。醜悪であるという僕の罪に対して、僕は「死にたい」と自らを、そして「殺してやる」と社会を鞭打つことで罰を与え続けた。

 そういった罰があることで僕は自分がまだ存在して良い隙間があるのだと思えた。小汚い自分はもはや消えるべきものであることは間違いないが、そう簡単に箒の先が届かない壁と箪笥の隙間ならば存在が許されるだろうと思った。いずれ消えなければいけないことはわかっていたが、その時が来るまでは影の中で卑しく生きていくしかない。死ぬまでは生きていかなければならないのだから、仕方がない。僕としても早く死んでしまいたいということは話して来た通りだ。しかし、実際には死ぬことはなかなか難しく、そして仮にも生命体である僕からしたらやはり「死」というのは具体的な恐ろしさを持つものであった。

 死ぬまでは「死にたい」と願い続ける。

 そんな生活はもはや何の意味も持ちはしない。

 楽しいこと、素敵なこと。世界は根源的に美しいものだから、それらが存在することは確かだ。しかし、そういった事実とは関係なく、自分というものの醜さも確実に存在しており、それらはこの世界から消されなければならない。何があろうとそこだけは揺るぎない。だから、僕は「死んだように生きること」を僕の生き方とするようになっていった。

 

                         *

 

 テーゼ:醜いから死ななくてはならない。

 アンチ・テーゼ:僕はそれでも生きている。

 アウフヘーベン:今の生は死への移行中のものである。また、その移行中において、僕は「死んだように生きる」ことが求められるであろう。つまり、僕は「いずれ死ぬために、それまでの時間をほぼ死と同化しながら過ごす」のだ。

 

                         *

 

 空が青かった。アスファルトがオレンジに燃えていた。僕は電車に乗って、たいした意味も無く神社を目指していた。

 人影はまばらで、仲見世通りのシャッターはほとんどが閉められていた。境内の出店には人も無く、「焼きそば」やら「甘栗」と書かれた暖簾が緩やかな風に靡いていた。イヤホンを外す。静かだった。

 五円玉を二枚放り込み、悪縁を断ち切り、良縁が結ばれることを願った。

 僕は違和感を覚える。そして、過去を振り返り苦笑いを浮かべる。数か月前の僕であれば、そんなことを願うはずもなかった。僕はただひたすらに死を望み、その時が来るまではささやかな平穏があることだけを願った。そもそも神なんてものを信じてもいなかったし、手を合わせるという行為は自らの内に向けられるべきものであり、宗教なんてものは自己規範にしか過ぎないと考えていた。宗教自体を否定するつもりはないし、それらから学べることは非常に多いと理解しながらも、それでもやはりそれらは思想体系の一つでしかないと考えていた。もしも僕が何らかの宗教に属しているのであれば、それは現代科学ということになる。昔ながらの姿をした神は、現代にはあまりに不釣り合いに見えたし、賞賛すべきところが未だ多く残っているものの、やはり矛盾やら何やらといったものを内包していると思えた。所謂「宗教」なるものはフィクショナルな文脈でしかもはや機能しておらず、現代においてそれは文学の領域にあると考えていた。そして、僕は文学を愛しながらも、そうではない現実社会の在り様を認めざるを得ない。

 

 首を括ってみてわかったことがある。

 それはここが「行き止まり」であるということだった。

 もし歩く向きを変えないのであれば、僕はまたその行き止まりに向けて突き進んでいくことになる。この間は高い柵を乗り越えることができなかったが、いずれ僕は登り方を覚え、柵を乗り越え、崖から死の淵へと身を投げることに成功するだろう。

 そういう意味では「死」というものは一つの不可逆な到達点であることには間違いない。むしろ、生きている限りは可逆性の世界の中に閉じ込められていると言っても良いかもしれない。確かに時間の流れは不可逆だし、エントロピーの増大する方向も定められている。しかしながら、「変化し得る」という可能性は生きている限り拭えないし、すなわちその可能性を保有し続けることこそが「生きている」ということになるのだろう。つまり、生きることは可逆性の中にあるということなのかもしれない。

 対して、「死」というのは時間性からも隔絶され、そこからはもはやどこにも行くことができない、完全なる不可逆性の中にあるものごとだ。「変化し得ない」というのが「死んでいる」ということになるのだろう。私たちは死んだ瞬間に固定された「死」という概念に統合されてそこから永久に逃れることはできなくなる。

 すると、僕の「いずれ死ぬために、それまでの時間をほぼ死と同化しながら過ごす」という生き方は、「いかに不可逆的に生きるか」ということに集約されると思う。より分かりやすく言えば、死までの道のりを不可逆的に歩むことに他ならない。生きている以上は本当はまだ道を変えることはできるはずだ。しかし、そういった可能性に目を瞑り、死に向かって、たとえそれがふらふらとした足取りであっても歩き続けることが、僕の描く理想的な道筋だったのだ。

 そのようにして、僕は僕の掲げた「生き方」を全うすることでようやく首を吊るところまで辿り着けた。林を抜け、小川を渡り、森を抜け、そのようにしてようやくその崖まで辿り着いた。しかし、その崖への最後の障壁として高い柵があった。海風で錆びて、赤茶けた網目状のフェンスだった。その頂上はこちらに向けて鋭角に張り出している。乗り越えるのは至難の業に思えた。しかし、今さらここを引き返すわけにもいかないだろう。僕はここまで来るのをずっと待ちわびていたのだ。何度も扉をノックし、ノブを回し、時には蹴破ろうとしたがビクともせず、しかし辛抱強く待ち続けてその扉がようやく開いたのだ。扉から飛び出してみると、小さなログハウスの周りを林が取り囲んでいた。僕はそこから海の匂いを嗅ぎ分け、害虫や鋭利な木枝をいなし、ようやくここまでやって来たのだった。

 そして、その柵を登ろうと頑張った。首を括ってみたのだ。

 しかし、上手くいかなかった。夢は一度ついえた。いいさ。もっと練習していつかはこの柵も登り切ってやろう。

 だが、これ以上ここで柵を登る努力を続けることにいったい何の意味があるだろう。それが僕の「生き方」なのだと言えばそれまでかもしれない。でも、登った先に何があるのかはもうだいたいわかったと思う。そう、ただ死ぬだけだ。死の景色はもうかなりリアルに、ほとんどが見えてしまっている。

 僕は確かにずっと死のうとしてきたけれど、そこにはある種の死に対する憧憬のようなものがあった。狭いログハウスから抜け出して、林や森を抜け、小川を渡り、新しい景色を見てみたかった。それが原動力の一つになっていた節もある。しかし、もう死というものがどういったものか何となくわかってしまった。今更、それを実行に移してやり遂げることにどれほどの意味があるだろうか。

 そう、ここから見える景色はもはや不可逆な到達点なのだ。

 今ならまだ可逆的な世界に戻ることもできる。僕は本当にすべてを投げうってまで、その不可逆的世界へと行ってしまいたいのだろうか。長年の憧れではあるけれど、それが達成されれば、もはや戻ることはできない。それで本当に良いのだろうか。

 立ち止まって考えてみた。

 座り込んで考えてみた。

 手元の石を拾い上げ、フェンスに向かって投げてみる。それはフェンスをすり抜けて、勢いそのままに崖から海へと落ちていった。

 

 僕は本当に醜いのだろうか。罪はまだ許されないのだろうか。罰を与え続ける必要はあるのだろうか。

 もういいのではないか。死というものがどんなものなのか。それが何となくわかってしまうくらいには、僕は自分を痛めつけ、罰し続けてきたではないか。これ以上、自分で自分を苦しめることにいったい何の意味があるだろうか。もうこの先に観たい景色などない。罰し続けなければならない理由というのも、もはや実感できなくなりつつあるのではないか。そうだ、もういいんだよ。もう疲れ果てしまったんだ。

 生きるのは苦し過ぎる。そこからの逃避もまた僕が死を目指す理由の一つになっていた。しかしながら、苦しく生きることを強いてきたのは僕自身だ。誰からもそれを強制されたわけじゃないんだ。自分が「やめる」と決めれば、それで済む話だ。もし、自分で自分を罰しなくて良い生き方ができるのであれば、もう少しくらいは生きるのが楽になるのではないか。

 罰する理由もない。罰しなくて良いなら、もう少し楽に生きていける。

 死に対する憧憬もほとんど消えた。

 ならば、僕はもう、生きていて良いのではないだろうか。

 

 そう考えると少しだけ息をしやすくなった。

 もう自分で自分を罰する必要はないのだ。

 これで生きていけると思った。

 

 しかし、物事はそう簡単ではない。

 そう心に決めたからと言って、僕の本質が変わったわけではない。

 僕は相も変わらず、社会の言いなりであり、僕は言いなりのままの自分を受け入れるために「罰」という言い訳を使って来た。

 社会が求めるように振舞い、序列の中で自らを慰めるという悪しき習性はほとんど変わっていなかった。

 僕が心に決めたことはただ「自らを罰することをやめる」ということであり、僕が根本的に別人に変わったわけではないのだ。

 社会の言いなりになり、自分を罰するというのはある意味では楽をしていたのだと思う。つまり、僕は自分を罰している限りは社会に対して抗う必要も無く、面倒ごとは避けて通れる。それが僕にとって、「死」に向かうメリットになっていた。「死」に向かっているうちは社会の言いなりでいて良かったのだ。

 しかしながら、僕はここで自らを罰することをやめた。死に向かうことをやめた。すると、必然的に僕は社会と向き合い、そこで醜くない自分を作り上げていかなくてはならない。とても骨の折れる作業だ。そんな大変な大事業を僕のようなもやしっ子が一体全体できるものなのだろうか。考えるまでも無く不安だ。しかし、もしそこに勇気を持って臨まないのであれば、僕は結局のところ不可逆的な死に向かって突き進むよりほかない。登り損ねたフェンスを何とか登り切り、崖からダイブしなければならない。まあ、それならそれでいいか、とも思う。しかしながら、僕はもう一度可逆的な世界の中で、何とか生きてみたいと思うようになった。

 もし楽になれるなら。もし好奇心が持てるなら。それなら生きてみるのも悪くないと思えるかもしれない。

 僕は自分を罰することをやめ、死に向かうことに興味を失い、生きることに僅かな好奇心を感じている。ならば、僕はやはり生きようと思う。それがたとえ面倒で疲れることであっても、やれるだけやってみようではないか。嫌になったらまたここに戻って来ればいい。道はもう覚えてしまっている。ここに帰ろうと思えば、いつだって帰って来られるのだ。

 そう心を決めて、僕はようやく重い腰を上げて、来た道を戻った。森を抜け、小川を渡り、林を抜け、またあのみすぼらしいログハウスへと。

 

 放り投げた五円玉は音を立てて、賽銭箱の底へと沈んでいった。

 僕が切りたい悪縁は不可逆的な世界であり、僕が結びたい良縁は可逆的な世界へと変わっていたのだ。

 

                                       *

 

 自らを罰することをやめる。それによってだいぶ肩の荷は下りるだろう。しかし、根本的な僕の本質が変わったわけではない。僕は相も変わらず醜く罪深き人間ではあるのだと思う。ならば、どのようにしてそれを改めれば良いだろうか。僕が目指すべき場所はどこになるのだろう。これまでは「死」に向かっていれば良かった。しかし、僕は自らを罰することをやめたのだ。新しい目的地が必要だった。

 一番最初に思い浮かぶのは「生きること」だった。

 極論、極論で申し訳ないけれど、死ぬことから目的地を変えるのであれば、変更先はやはり生きることとするのが妥当のように思えた。しかし、いったい醜く罪深い僕はどのように生きていけば良いのだろうか。いや、逆に考えてみよう。醜く罪深い僕であることをやめられるのであれば、僕にも生きていて良い理由が見つかるはずだ。罰することをやめて良いという判断は、ただ僕が自分自身を罰し続けることに限界を感じたからに過ぎない。それは理由としてはかなり消極的だ。むしろ、僕が自らを罰することをやめるのであれば、それにふさわしい人間へと生まれ変わらなければならない。しかし、いったいどのような人間になれば、自らを罰する必要のない状態へとなれるのだろうか。

 また極論を言えば、生きている限り人の抱える原罪からは逃れようがない。生きているだけで人は罰を受けるに値するはずだ。少なくともこれまでの僕の議論であれば。しかし、その前提を覆してみよう。人はどのような罪を犯していたとしてもその罪を被る必要はないと仮定する。罪に対して罰があると考えるのはただの幻想に過ぎないのかもしれない。罪と罰の間の関係性について、そこには確かな因果関係があるように見えて、実は証明不可能な命題とは言えないだろうか。何を根拠に僕たちは罪に対して罰が付随すると考えてきたのだろうか。そういった考えを僕たちに植え付けてきた存在はいったい誰なのだろうか。

 椅子に座り、天井を見上げる。無機質な部屋の明かり。背後ではスピーカーがポップなジャズを歌っている。犯人捜しは捗らない。

 そもそも犯人を捜すということは無意味な気がする。痛み始めた首を休めるためにまた椅子にきちんと座り直す。

 問題は自らを罰することの目的である。仮に罪と罰の間に因果関係がないのだとすれば、一体僕は何のために自らを罰し続けてきたのだろう。

 その答はおそらく簡単に見つかる。

 多分、僕はまともに生きていないことに対する免罪符が欲しかったのだ。

 死に向かっている僕はまともに生きる必要がなかった。社会の中でうまく馴染めない。他人に対して自分の心の内をさらけ出せない。将来の人生設計なんてクソくらえ。僕はいずれ遠からぬ未来に自分で命を絶つだろう。だから、深い人間関係を築くことなんて無意味だ。老後を見据えて生きるなんて馬鹿らしい。守りたいと思うものを手にすることはただ罪の上塗りをするだけだ。死に向かう人にとっては何物も必要とならない。全てが虚しく、悲しみを背負って消えていくだけだ。僕は僕の死を悲しまないだろうが、僕の死に巻き込まれる形でみな嫌な気分になるだろう。ならば、最初から深く関わらないのが僕なりの礼儀と言えるだろう。そもそも誰にも僕の希死なんて理解できまい。もし「死にたい」なんてことを言えば、みな蜘蛛の子を散らすように僕のもとから離れていくだろう。だから、僕は僕の本心を語ることなんてできやしない。

 僕は誰にも深く関わるまい、と思っている。そして、周りの人たちはみな僕の「死にたい」と関わりたくなんてない、と思っている。ならば、お互いに然るべき距離を取って生きていこうではないか。僕が誰をも避け、誰もが僕を避けていた。そして、そんな僕を僕は受け入れていた。

 フィクション、あるいはあらゆる創作物が僕は好きだった。作品は悲しむことを知らないし、物によっては僕の本心とよく共鳴してくれた。僕が彼らを傷つけることはなかったから、彼らが傷ついていることを知って僕の心が痛むことはない。僕が「死にたい」と言う前に彼らの方から「死にたいよね」と言ってくれる。あるいは、「死にたい」なんてことすら言わずして、僕たちは共感の中に身を置くことができた。とても刺激的でありながら、そこには新たな傷を作る余地はない。僕たちはただ互いに傷を見せ合うだけだった。いや、相手は僕の傷なんて見ちゃいない。だから、僕は気兼ねなく自らの傷を開放できた。そして僕がまじまじと傷を見つめても彼らは嫌がりもしない。痛みを伴う関係でありながら、そこには礼儀や作法があり、少なくともそれらとの交流を通して傷がさらに広がるということはなかった。

 つまるところ、僕は人間関係で傷つくのが怖かった。

 こんな風なことを言うと、とても軽く聞こえてしまうけれど、事実としてそうなのかもしれない。僕が宇宙に一人きりであれば、自分に罪があるなんて考えることも無かったし、そうなれば自らを罰することなんてなかった。でも、そんなところはこの世界に一つしか存在しない。そう、それはすなわち死後の世界だった。

 

 時系列。それはかなり難しい問題だった。

 人と関わり傷つくことが嫌だったから、僕は人間関係の中に罪を見出し、罰を作り続けた。

 自らを罰することで、罪の意識を強化し、人と関わるのが怖くなった。

 そもそも僕たちは生まれながらに罪を背負っており、人間関係を前提とした人生ではそこから逃れることができないため、自らを罰しなくてはならない。

 痛みの伴う人間関係はつまるところ僕自身への罰であり、したがって、そこには人間社会で生きていくための罪が内包されているのだ。

 どれも正しいことのように思える。

 何が原因で何が結果なんてことははっきりとしたことが言えない。それは円を成し、果ては螺旋のように繰り返される。始まりも終わりも無い。こぶた、たぬき、きつね、ねこ。いつまでも歌っていられる。

 しかし、ここで一度冷静になってみようではないか。

 罪はフィクションであり、罰は僕自身の選択であり、人間関係における痛みだけが具体性を持った現実である。であるならば、答はシンプルだ。何よりも「痛み」が先にあったと考えるのが妥当だろう。もしも「痛み」がなかったのだとしたら、僕は罪を想像し、罰を創造しただろうか。そうだ。やはり僕は何よりも先に人間関係の中で「痛み」を思い知らされ、それに恐怖し、そこから逃げるための手段として罰や罪を持ち出したのだろう。

 原初、僕は何らかの痛みを人間関係の中で感じた。その痛みを感じるのは是が非でも避けたかった。それは底の深い鍋の中に放り込まれ、長い年月をかけて形が無くなるまで煮込まれ続けた。それはいつの日か、僕には生きている価値はなくただ死を望む存在である、というテーゼとなった。死を望んでいる限りは僕は積極的に人間関係を作り上げる必要が無く、社会に対して背を向けていればよかった。ただただ死に憧れ、死を見つめているだけが僕のすべきことだった。死を見つめ続けることは自らに対する罰であり、そのように僕が死に捉われる理由となったのは、僕自身の醜さという罪だった。かなり飛躍しているようだが、それもそうだ。面倒ごとが嫌いな僕は、出発点と結論だけ用意すればそれで良いと考えている。「痛み」を感じ、それを避けるために、罪やら罰やらを持ち出した。それが簡潔に説明した場合の因果関係と言えるだろう。それ以上に言葉を尽くす必要はないように思う。ただ単にとろ火で時々鍋の底をかき混ぜるだけの単純な反復動作は描写するに堪えない。

 それでも、だいたいの部分については語らざるを得ないだろう。先に述べたように僕には過去にありきたりな恋愛で痛手を負った経験がある。僕はその経験を通して自らの罪を悟るに至ったわけだが、それは僕の自らに対する認識、あるいは社会に対する向き合い方を変容させるためのイベントに過ぎない。僕はそれ以前から醜悪であったのだし、だからこそそのありきたりな恋愛で痛手を負うに至ったわけだ。僕を人間関係から遠ざけ、醜悪な存在に至らしめたきっかけはまた別のところにあるように思う。

 僕はその存在について心当たりがないわけではない。しかし、それは確実に僕のトラウマであるが故になかなか正面切って向き合うことができずにいた。何ならその恋愛の方がまだ向き合える代物であり、それが隠れ蓑になってすらいた。僕は確かに彼女に対して誠実ではなかった。しかし、僕の不誠実さはそれ以前よりあらゆる人間に対して向けられたものであり、僕が自らを根源的に醜悪としたのもそれが理由であった。僕は僕の抱える根源的な醜悪さによって彼女を傷つけるに至ったのだ。

 そして、その責任の半分を社会に求めた。つまり、僕がこんな風に他人の目ばかり気にする醜悪な存在になってしまったのは、他人と比較することにしか、集団の中での偏差値にしか価値を見出すことのできない社会制度にあると訴えていたわけだ。確かに僕が他人からの羨望をいかに得られるかという尺度でしか物事を考えていないクソ野郎だということは認めよう。しかし、この社会全体がそうではないか。社会の中にはこれが「是」であるというような不文律があり、可能な限りそれを満たすように生きていくべきであるという抑圧があることは確かだ。道徳の授業の中に狙いや答が用意されているように、かくあるべしというレールが敷かれている。僕はそのことに気づき、できるだけそうなれるよう自分を抑制しなければならなかった。もちろん、僕はそのレールに沿うことで利益も得てきた。しかし、それは僕が本来求める利益だったろうか。その利益すら、この社会の中でしか通用しない疑似的な価値を付与された通貨でしかなく、根源的な価値を有してはいないんじゃなかろうか。そんなことを考え出し、人々を虚構の中に取り込めて搾取する社会を憎むようになり、加えてそんなものに蹂躙されていた自分自身が酷く情けなく感じられたものだ。

 だから僕はそんな社会を偽りのものとして再定義し、この世界は努めて虚無であると考えるようになった。この社会の中で言いなりになっていては、いつまでも真実の価値に辿り着くことは無いだろう。価値というのは自らが与えるものであって、社会に提示されるものでは決してない。何に価値を見出すか。それは自らの人格をきちんと持つことである。そう、ここまでは良かった。しかしながら、当時の僕は社会というものをひたすらに憎んでいたし、それの従僕であった自らをもとことん憎んでいた。だから、社会や自分の価値というものを最小化しようと躍起になっていた。そこからしかスタートをすることができなかったのだ。

 そのようにして、僕は自己虐待を始め、この社会には生きていくだけの価値は無いし、また自分自身も存在する価値は無いと決めつけた。人々の真の価値を蹂躙する社会は醜悪であり、またそれに準じてその社会の悪しき機能を向上させていた自分という存在も醜悪である。そんなものは消えて然るべきだ。では、そのように社会や自己を落としめるとして、いったいこの世の価値とは何なのだろうか。色々と考えてみたが答として適切なものには終ぞまみえることはなかった。だから、この世界の本質は虚無にあることと考えた。神と真理と虚無は、同じ本質の別名であるという風に考えたこともあったっけ。そのようにしてこの世界には、まっとうに向き合う価値などないし、いずれ死ぬその時まで、神であり真理である虚無と向き合っていればよろしい。そんな風に考え、僕は遠からず訪れるであろう自死のときを待ちながら、この社会と向き合うことを放棄していた。本気で死にたくなるまで自己虐待を続けていればそれで良い。それ以外に僕のやるべきことはないと考えるようになった。

 それはある意味では楽な生き方であったろう。自分自身で、低きに流れる行為だという自覚はあった。しかしながら、それに抗う道理もない。そもそもなぜ死を望んではならない? それはアレだ。僕が忌み嫌う道徳の授業だ。「死んではいけません」。そういう社会通念をただ押し付けているだけじゃないか。いくら考えたってこの社会に価値なんてものは無い。人々を強制するばかりでそこには不自由さと醜悪さしかない。行きつく先はただの虚無だ。だから、虚無的に死ぬまでを生きる。それで良いではないか。もうとやかく言ってくれるな。僕はもうそこから抜け出したいんだ。うるさい、うるさい、うるさい。もう、お前らの言うことになんて耳を貸すもんか。僕はもう消えたい、死にたい。放っておいてくれれば良い。ただそれだけで僕は僕の目的を達成するし、お互いに嫌い合う存在が決別するのだからWin-Winではないか。そうだろう。だから、もう本当に放っておいてくれ。僕は僕でその時まで独り楽しくしっぽりとやっているからさ。

 

 そんなところまで辿り着いてしまい、僕はついに首を吊ったわけだ。が、死ねなかった。

 僕は僕の信念に則ってこんなところまでやって来たけれど、その一歩目になったと思われる出来事は何だったろうか。足跡を辿っていくとき、僕は大抵、そのありきたりな恋愛をスタートとして据える。それくらいそのありきたりな恋愛は僕にとって記念碑的なものであった。しかし、その恋愛を経験するより以前から僕は醜かった。であるならば、僕がそんな風に醜い存在であった理由はどこにあるのだろうか。社会の言いなりであったから醜かったという理屈もよくわかるが、どうして僕は社会の言いなりであったのだろうか。

 随分と前に、その醜さの理由は僕の「悪癖」にあると考えた。

 そう、人間関係の中で序列を作り上げ、そこで上位にいることでしか自らを満たせないというあの「悪癖」だ。それは思い返せばもう幼稚園児くらいの時分からあったように思う。園内のドッジボールではいつも最後まで残っていないと気が済まなかったし、折り紙が得意という理由で他の子どもたちよりも良い折り紙を融通してもらった経験もあった。紙飛行機はいつだって一番遠くまで飛ばしたかった。ひらがなもカタカナも漢字も誰よりも書けていないと涙が溢れてきた。そういう意味では僕は生まれながらのクソ野郎であったわけだが、果たして本当にそういった「悪癖」だけで僕は醜悪な存在であったと言えるのだろうか。

 そういう傾向は確かに僕の「悪癖」であることには間違いなく、僕が社会を毛嫌いする理由にもなろう。しかしながら、僕はその「悪癖」によってどれほどの痛みを背負っただろうか。そこには僕が後々の人間関係を全て恐れ、遠ざけるほどの痛みがあったようには思えない。もちろん、後々その「悪癖」が痛みをより大きなものにしたことは間違いないが、少なくとも幼稚園児の僕はそこまで「痛み」を感じることはなかったように思う。

 僕が精神的な「痛み」を感じた最初の記憶は小学生の頃だった。

 

                         *

 

 小学生の僕も幼稚園児の僕に負けず劣らずの負けず嫌いであった。誰よりも上位に立っていないと気が済まなかった。そんな僕があるときバスケットボールを始めた。もちろん、バスケットボールでも一番でないと気が済まなかった。

 小学校の部活動のチームの中で少なくとも三本の指には入っていたと思う。僕が完全無欠の一番でないことに、最初のうちは納得できなかったが、それぞれに才能があり、僕よりも背が高い子や、シュートが上手い子、ディフェンスが上手い子などがいることは事実だった。しかし、僕以上にドリブルが上手い子はいなかったと自負していた。そして、僕はやはりそういった様々な才能の中でも、総合的に見て一番優秀であることに執着していた。

 チーム自体が強かったとは言い難い。負けることも多かったし、その度に僕は恥かしげも無く涙を流すことになった。確かにそういった敗北の経験というのは僕の心に痛みをもたらした。しかしながら、そういった部活動の中で僕の心を痛めつけたのは、まったく別の事であった。

 最初に申し上げた通り、僕はかなりの負けず嫌いであった。それ故に、他校と試合を行う度に……いや、それがたとえチーム内の練習試合であっても、僕はミスをしたチームメイトのことを酷く罵倒した。「やる気あるのか!?」、「真面目にやれよ!!」、そういった言葉を僕はチームメイトに叫びまくった。何よりも負けるのが嫌いだった僕は本気で自分が5人いれば良いのにと考えた。僕自身ミスをすることもあったけれど、それはそれとして周りの人間が自分の足を引っ張っていることに我慢がならなかった。

 全く以って横暴な人間である。

 僕は誰よりも他人に対して「かくあるべし」ということを強要し、そして、幾人もの仲間たちの心を踏みにじって来た。僕は自分勝手なエゴで他人を傷つけ、時にはその人間性すら否定した。気がつけば僕は裸の王様のような人間になっていた。

 そんな僕に対して、あるとき見かねたチームメイトの保護者が「うちの子だって真面目にやってる。そういう言い方はやめてあげてほしい」と至極真っ当な苦言を呈してきた。

 僕だって薄々感じていた。チームメイトに対して罵詈雑言を浴びせかける自分は良くないことをしているとわかっていた。しかし、誰も何も言わなかったし、僕も自分の感情を抑えることができなくなっていた。それは何らかの中毒のように、もはや自然と僕の口から零れていることだった。しかし、そのようにチームメイトの保護者に言葉をかけられて初めて、僕は「もっと自制しなければ」と思うようになった。その時の僕はもう誰からもほとんど信頼されていなかったし、煙たがられるような存在だったと思う。僕はバスケやらあるいは勉強やら何やらで他人の上に立つことはできていたけれど、その実誰とも深い交流を持てなくなっていた。僕は他人を傷つけないように気をつけ始めたけれど、その時にはもうほとんど誰も僕の味方と思えるような相手はいなくなっていた。そして、僕は何らかの序列にいることでしか、僕自身の価値を……ここに存在して良いことの正当性を見出すことができなくなっていた。

 しかし、中学や高校に進学していくと自然の成り行き通り、僕は自らが凡庸であったことを知るようになったし、そうなるとより僕は他人との関係性の中に自信を見出すことができなくなっていった。小学生時代の僕の横暴を、僕は僕なりに省みようとしたものの、そのやり方は中途半端で、僕が傷つけてきた人たちからの反撃を恐れ、他人を罵倒することは減っていった反面、無言の圧力で反撃を阻止し続けていた。つまり、何らかの序列の上で僕の方が上にいるということを示す方法でしか、僕は自分の身を守ることができなくなっていたのだった。だが、年齢が増えるにしたがって、僕は自分で自分を序列の上位に置くことが難しくなっていった。次第に僕は斜に構えた態度を取るようになり、「何となくあいつにはナメた態度を取らない方が良さそうだ」という空気を身に纏うようになっていったと思う。そして、そのように仮面を纏うことでしか、自分を人間関係の中で守ることができず、結果的に僕は誰よりも社会的な尺度で自らの正当性を他者へと見せしめ、自信の無い自分を守ることに終始していくことになった。

 僕の集団の中で上位にありたいという「悪癖」は、小学校の頃の僕自身の横暴により他者を傷つけてしまったことに起因する「痛み」によって、ある種の強迫観念的な様相を呈するようになったのだった。

 チームメイトの保護者からかけられた言葉に僕は傷つき、酷い「痛み」を覚えた。初めて僕自身の罪を「痛み」という罰によって知らしめられた瞬間だった。その出来事の中では完全に僕だけが悪者であり、そしてそんな悪者は周囲から煙たがられ、僕は自分を守るためにより「序列」に固執するようになったのであった。自分が序列の上位にいるという感覚なしでは、僕は他者と安心して絡むことができなくなっていたし、さすがに高校生くらいにもなれば、僕は自分のそういった「悪癖」にも気づき、他者のとの関係性の中に安らぎを見出すことはできなくなっていた。

 そんな僕がありきたりな恋愛をしてみたところで、そもそもの僕という人間自体がそんな感じで浅ましいのだから上手くいくはずもない。僕は人気のあった彼女と付き合っているという称号が欲しかっただけだったのかもしれない。いや、心の底では彼女のことが本当に好きであったと思う。少なくとも、他者の評価以前に彼女の人間性に対して僕はとても好感を持っていたはずだった。しかしながら、僕はプライドが傷つけられること、つまり何らかの弱みを見せたり、付け込む隙を与えたりすることが何よりも怖かった。だから、僕は彼女の事を手放しで愛することができなかったし、それ故に彼女の素朴で実直な気持ちにも正面切って向き合うことができなかった。僕はいかに僕の体裁を保つかということだけに終始していたのだから、彼女に対して無防備に心からの愛を捧げることなどできなかったのだ。

 

 僕はただひたすらに醜悪だった。

 こんな人間であったから、小学生から高校生くらいの思い出というと、虚栄心を満たしているか、それができずにイライラしているか、のどちらかという感じだ。誰かとまともに心を通い合わせられたという記憶がない。僕は常に人間関係に怯えていた。周囲をバカにしてきた僕は、もはや自分がいかにバカにされないかということしか考えられなくなっていた。そんな僕は間違いなく誰よりも大バカ者であった。

 周りの目ばかり気にして、いつも社会的尺度で定められた序列に従うことに終始していた。そして、小学生の頃に続いて、高校生にもなってまた女の子を傷つけ、そこでようやく僕は自分が醜悪極まりない生き方をしていて、そこから脱却しなければならないと思うようになったのだった。

 そこから先の事はもう何度も話して来たから今さら言うまい。

 結果的に僕は首を吊った。そして、死の風景を垣間見た。

 

「かくあるべし」を他人に強いてきた僕は、いつの間にか自分に「かくあるべし」と語り続けるようになっていた。そして、それに疲弊し、社会のせいにし、もう誰も僕に「かくあるべし」なんて言わせまいと拳を振るった。とんでもない自作自演である。

 最初はただの功名心だったはずなのだ。誰よりも遠くに紙飛行機を飛ばしたい、というある意味では純粋な欲望でしかなかった。しかしながら、それが他者に向いたとき、僕は醜悪な人間への第一歩を踏み出した。自らが一番になるために、他者をこっぴどく貶めた。そして、そういう自分の横暴さが糾弾されたときに、僕は謝るのではなく、ただ居心地の悪さから適当な距離感を取ろうとし、結果的に僕は無言の圧力で誰も反抗できないように周囲を押さえつけようとした。そして、それが習慣化し、僕は自らを守るために序列の中で上位にいることだけに終始するようになってしまった。そのことがさらに一人の女の子を酷く傷つけた。僕は他人を傷つけることでしか何かを学べないクソ野郎なのだと思うと、さらに人と関わるのが怖くなってしまった。だから、ある意味では僕は自分が傷つかないために社会的な関係性をより強く意識するようになったのだった。社会的に高い序列にいることが、僕を守るための唯一の手段であった。故に、僕は社会的な評価を得ることに固執し、そこから外れることを忌み嫌っていたのだった。

 しかし、内心ではもう自分の醜悪さに気づいている。他人と関わるときには必ず社会的な目線を持ち出そうとする。そういう自分が何よりも嫌いだった。嫌いだったけれど、そう簡単にはやめられない。

 もしも僕がまともな人間になろうとするのであれば、やらなければいけないことは、社会的な序列を持ち出して自分を守ることをやめ、きちんと誰かと人対人の関係性を構築することだったのだろう。しかし、今さらそんな勇気を持つことはできなかった。だから僕は自らの醜悪さをただ認め、そして醜悪だからこそ罰を受けなければならないとし、ただただ死に向かっていったのだった。醜悪さを改めるのではなく、醜悪な自分に妥当と思われる罰を与える。すなわち、とことん自己という存在を否定しきって、自死に導くことでしか安寧を得ることはできなかった。そのようにすることで神に赦しを請うていたと言えなくもない。ともかく僕はこんな醜悪な自分を赦すためには、死なざるを得なかったのだ。

 

 首を吊るときに考えていたことは、「つまらない」ということだった。

 生きていたって仕方ない。そんなことはわかっている。でも、まだ何か生きる楽しみがあると思って、まだ生きていた。死ぬのが怖いから、まだ死ねない。でも、死ぬのが怖くなくなったらいつでも死んでやる。でも、結局そんなことを言いながらも生きていたのは、きっと何かが楽しかったから。死に向かうことで見えて来る何かは確かにあったし、それがちょっとした楽しみにもなっていた。

 しかし「もう死のう」と感じたときには、ただただ周りの物事が単なる「浪費」でしか思えなくなり、何事にも面白味を感じることができず、「つまらない」に支配されていた。疲弊していた。もうこれ以上自分を呪う事にも疲れてしまっていた。何に対しても面白味を感じられないくらい疲れていた。だからとにかく「つまらない」しか目に映らなかった。耳にも聞こえてこなかった。

 自分の醜悪さについて考えることも、罪深さについて考えることも、全てがつまらなかった。あるのは苦しみだけだった。だから、もうこれ以上は生きていけないと思って、僕は首を吊った。死ねばもう苦しまなくて済むと感じていた。やっと肩の荷を降ろせると思った。

 

 そして結局、僕は死に損ねた。

 これからいったいどのようにして生きていけば良いのだろう。

 

                         *

 

 答は既に喋り尽くした中にある。

 

 もしも僕がまともな人間になろうとするのであれば、やらなければいけないことは、社会的な序列を持ち出して自分を守ることをやめ、きちんと誰かと人対人の関係性を構築することだったのだろう。

 

 これだ。と、思った。

 死に損なった僕にはもう恥も外聞もない。恐れることも何もない。僕は誰かと一から、一人の存在として、社会的な尺度を抜きにして向き合うのだ。「かくあるべし」を自分自身を含めて誰にも押し付けることなく、社会と共存していく。それがこれからの僕にできる唯一のことのように思えた。もっと社会に対して心を開いていかなければならない。そう、つまり僕は社会の中で「かくあるべし」を守らなければ、社会から煙たがられたり、何らかの反撃を受けるのではないかと考えていたのだった。だから自分の身を守るために、自分の中に自分を取り締まる法を作り上げて「かくあるべし」という生き方に終始していた。そして、内心ではその「かくあるべし」というものに対して、かなり強い反抗心を感じている。そこには、「かくあるべし」を満たさなければ自分の身を守れないが、その「かくあるべし」を心底憎んでいるという矛盾があった。言わば、他の生命を奪いたくないと考えているのに、何かを食べずには生きていけない全ての人間のように。

 豚肉や牛肉はもってのほか。それらは生命体を殺して得られる食物だ。そう考えると、大根のようなものも食べてはいけないと思う。フルーツなら果実だから、一個体の生命を全て剥奪するわけじゃないから食べても良さそうに思える。でも、果実は種子であり、言うなれば次の新たな命の源である。これを食べても良いのだろうか。では、乳製品ならどうだろう。今度こそ何の命も剥奪していないように思える。しかし、チーズのような製品は醗酵しており、これはつまるところ醗酵を促す微生物を食しているということになる。では、話を戻して、何らかの植物の葉なら食べてもいいのではないか。葉ならまた生えて来るし、種子というわけでもないから、命には含まれないのではないか。しかし、細胞一つひとつは生きている。それを食すということはやっぱり小さな命を奪っているということにならないだろうか。

 結局のところ、何かを貶めずには生物というのは生きていけない。その真理に行きつくだけで、どこをどう探したって、僕たちが生きていることを肯定する理由なんて見つけることはできないだろう。原罪というものが必ずあり、それを受け入れることでしか人は生きていくことができない。にも関わらず、大勢の人間が今もこうして生きている。

 だから、僕たちはやはり「罪」という幻想から解き放たれるよりほかない。確かにそこには「罪」が存在しているのだろう。しかし、「罪」というのは想像力の話だ。「罰」という具体化装置を用いない限りはそれはイマジネーションの領域を出ることは無い。自らを律するために「罪」という考え方は重要であるが、必要以上の「罪」は自らを必要以上に痛めつけるだけで、そんなことを続けていればいずれ死ぬよりほかなくなってしまう。

 僕を散々振り回して来た「かくあるべし」というヤツも、この「罪」というものととても似ている気がする。「かくあるべし」というのはただの不文律だ。別に法律か何かのようなものではない。だいたい法律だって人間が勝手に決めたもので、国によってその在り方は違うし、社会秩序を維持するための効率的なシステムに過ぎない。そんなものに終始して、自らをそこに縛り付けるのは、結局自分を痛めつける行為でしかない。もちろん、「罪」と同じように自らを律する上では「かくあるべし」というのも効能を発揮するかもしれない。しかし、やはりこれも必要以上のものは、自己虐待になり得る。「かくあるべし」に縛り付けられた人生はただ息苦しく、「つまらない」ものにならざるを得ないだろう。

 だから、もし僕がもっと伸び々びと生きていきたいのであれば、そういたイマジナリーなものをとことん排除するしかあるまい。何をも縛り付けてはならない。

 社会的尺度を持ち出して縛り付ければ安定はするかもしれない。束縛の中に安心感を見出せるかもしれない。しかし、それは結局すべての物事を息苦しくし、「かくあるべし」という「つまらない」オートメーションの中に閉じ込めてしまう。そういった生き方はもはや僕には虚無的にしか映らない。だったらもう死んだ方がマシだ、というところまで僕はもう行きついてしまった。僕はまたログハウスの扉を開け、林を抜け、小川を渡り、さらに深い森を抜けて、あのフェンスに取り囲まれた崖へと歩いて行くことになるだろう。今度こそあのフェンスを乗り越えてしまうかもしれない。まあ、それならそれで良いが、せっかく引き返したのだ。別の景色も見てみたいではないか。

 

                         *

 

 電車を降りて、僕は人が往来する駅の前を歩いた。決して大きくはないが小奇麗な商店街が僕を迎え入れる。花屋と古着屋とハンバーガーショップを横目に歩き、商店街の切れ目を右に折れ曲がる。これまた小さな古着屋の店員が入口の窓ガラスを拭いていた。おとぎ話に出て来るようなこじんまりとしたログハウスのような店だった。僕はそこを通り過ぎ、裏通りに差し掛かる。表よりもやや静かではあったが、表通りは昔ながらの高級店などが並ぶ一方で、裏通りは若者向けの洒落たカフェやら雑貨屋が目立った。二つ目の交差点には町の地図があり、丘の上にはちょっとした観光名所にもなっている欧風の街並みがあった。港町のここら辺には昔から欧米人やそれに憧れた日本人が洒落た家々を建てており、結婚式場や教会なども並んでいた。

 僕は先週末に買ったCDをミュージックプレイヤーで聴きながら、坂を登った。

 低層の家々は現代的な感じがあったが、坂を登るにつれて次第に時代を感じる風情ある建物が増えていった。急斜面にしがみつくようにして階段が幾重にも折り重なっている。木漏れ日が心地良い。足を止めて振り返ると遠くには港が見えて、きらきらと光る水を湛えていた。斜め向うの斜面には洋風の墓地が緑の影の中にひっそりと佇んでいるのが見えた。

 しばらくはそんな風に景色を眺めながら散歩を楽しんでいた。しかし、次第に景色は遠のき、歩くことそれ自体が散歩の目的へと変わっていく。僕はこの高台を一周して、あとは海沿いにずっと街の方まで歩いて行くルートを思い描いた。二、三時間は歩き尽くせる散歩ルートになるだろう。

 小さな庭園に心惹かれて立ち寄ると、結婚式前のカップルがタキシードと白いドレス姿で写真を撮っていた。誰もが幸福そうであったが、僕は数週間前の友人の結婚式を思い出して、気分が悪くなりかけた。しかし、そんな気分の悪さを海風が吹き飛ばしてしまうと、後にはただただ静かな悲しさだけが残った。耳元ではアンニュイなコーラスワークが僕の代わりに足を踏み出し続けていた。

 死ぬことをやめて、生きてみようと思っていた。そして、生きるためには誰かと正面切って向き合う必要があるだろう。そう、自分の中の「眼」を殺すのだ。「かくあるべし」という「眼」を殺す。僕は真に自由な個人となって、人と、そして社会と向き合わなければならない。

 確かに僕たちは失敗ばかりだったかもしれない。僕は首を吊るところまで行ってしまった。それは最終的には失敗したけれど、一つの到達点には至ったと思っている。もはや「死」というものは怖くない。もちろん、いざ死のうと思ったら生きている僕の体はそれを拒絶するだろう。だから死ぬにもかなりの労力は伴うはずだ。しかし、やろうと思えば、僕はいつだってそれを実行に移すことができる。そのことがわかった。何だって二回目は楽にやれるものだ。

 実際に僕はあれから二度、首を吊っている。首を吊ったってどうにもならないことはわかっていた。おそらくは失敗してしまうであろうこともわかっていた。しかし、とことん疲弊しきった日には、僕はどうしても首を吊りたくなったし、それに抗う術も持たなかった。自分がバカなことをしているということはわかっていた。それでも、それでも。

 喉元はまだ少しだけ痛んでいる。治りかけの瘡蓋のように、普段は気にならないけれど、ふとした瞬間に気になって力を入れてみると、そこには確かに若干の違和感が残っていた。

 ふいに悲しくなって、歩きながら鼻歌を歌った。

 耳元で鳴る音楽に合わせ、メロディラインをなぞるでなく、適当に旋律を重ねた。涙が出そうになる。泣かない代わりに僕は鼻歌を歌った。

 死んでしまうことは悲しいことか。

 これまでの僕だったら、むしろ死ねるのであれば、それは願ったり叶ったりという感じであったから、きっと悲しくはならなかっただろう。しかし、僕はもう一度「死」を垣間見てしまった。死ぬということは本当に「無」だった。虚無ですらない。「無」だ。あまりにも空白過ぎて、そこにはやはり一片の悲しさがあった。悲劇的ではないにせよ、憂いがあるわけでもないにせよ、ただそこには消滅の悲しさがあるのだった。早朝の白い光に消えていく小さな星々。それらが背負う悲しみと似た悲しみがあった。鼻歌くらい歌ったって仕方ないくらいの悲しさだった。ある曲の歌詞では「口笛」を吹いていたけれど、「口笛」を吹けるほどの力も無い。泣き声の代わりの鼻歌くらいが妥当な悲しみだった。

 僕は何を恐れていたのだろう、と思う。

 物心ついたときから、僕は人間関係の中で傷つきたくなくて、社会という「眼」を自らの内に飼うようになった。そういう存在があることを僕は社会から教えられた。社会という不自由さを受け入れれば、彼らは僕に安全を保障してくれた。誰にも僕を傷つけさせない。仮に彼らから攻撃を受けても、僕に社会的優位性がある限りは、僕という存在の価値を保証してくれる。だから、何をも恐れる必要はない。もし恐れるものがあるのだとすればそれはその「眼」そのものである。ただし、その「眼」を軽んじれば僕は罪を背負い、罰を受けなければいけなくなるだろう。

 僕を守ってくれていた「眼」。僕を縛り上げていた「眼」。上手く周囲に馴染めない僕はその「眼」を使い、社会という媒介を用いることで、何とか人間関係を作り上げてきた。しかし、やはり傷つくことを恐れていたから、心を開くことはできない。僕には安心してくつろげる場所がなかった。虚栄心だけが僕にささやかな安心感を与えてくれていた。そんな醜悪な生き方しか僕にはできていなかった。

 チームメイトよ、ごめんなさい。

 チームメイトのお母さん、ごめんなさい。

 美しい十七歳の彼女よ、ごめんなさい。

 僕は罪深い僕を殺すと誓った。そして、本当に殺しかけるまで頑張ったよ。いつの間にか、僕は僕の本来の罪を忘れ、新しい意味を与えた罪と罰に塗れて生きるようになっていた。僕と社会とを繋ぎ止めていた「眼」の存在なんてもはやたいして気にしていなかった。そんなものよりも、僕はより強力な「眼」を自分の中に作り上げていた。彼はもはや一点の曇りも無く、僕を死へと導くようになっていた。

 お前は死ななくてはならない。それはもう覆しようのない事実だ。

 僕はそんな彼の言葉を受け入れ、共感し、一緒になって喜んでいた。加害者も被害者も僕自身で、そして同時に社会そのものであった。

 知ってるかい。中学生の頃、理科の授業でビーカーの中で蝋燭を燃やす実験をした経験があるだろう。空気中の酸素と蝋燭の持つ炭素を化合させ、二酸化炭素と水と熱と光を得る実験だ。これが何を意味しているかと言うとね。人の生命活動というのも、蝋燭の炎を同じということを意味しているんだ。人間は食べることで自らの中に炭素を取り込み、呼吸を通して酸素とその炭素を化合させ、体の中で蝋燭を燃やしているんだよ。だから、死んで呼吸できなくなると、人は次第に冷たくなっていく。つまり、死とは冷たいものなんだ。

 いつからだろう。僕はもう過冷却された水のようだった。水はね、ゆっくりゆっくり冷やしていくと氷点下よりも冷たくなっても凍らずに液体のままでいるんだ。これを過冷却現象と言う。液体のうちはまだ動ける。でも、この過冷却された水に衝撃を与えると一気に凍り付いて動けなくなってしまうんだ。例を挙げよう。樹氷というのは、大気中の水蒸気がゆっくり冷やされ、氷点下になったものが風で運ばれ、樹にぶつかった衝撃で一気に凝固することで生まれるものだ。だから、樹氷は風が吹きつける方向へと育っていく。一般にイメージする風の流れとは逆向きに育っていくわけだね。まあ樹氷の話はあまり関係ない。僕が言いたいのは、あくまで過冷却現象だ。僕は死に向かうことに固執し、そしていつの間にかすっかり凝固点を下回ってしまった。呼吸をしても冷た過ぎてもう炎は生まれない。あとは何かにぶつかって完全に凍り付いてしまうまで、その辺の中空を漂うだけだ。

 そんなときに会社の中であることが起きた。僕はある失態を犯し、上司に呼び出され、こっぴどく叱られた。普段から苦手と感じていた上司に色々と嫌味を言われた。そんなことこれまでも何度か経験していたから、別に特に問題はなかったはずだった。しかし、残念ながら僕はそのときもう過冷却状態にあったんだ。だから、ついつい首を吊ってしまった。本当にただそれだけのことだったんだ。会社に対しても、その上司に対しても恨みなんかは無い。僕はずっと死にたかったし、それはただのきっかけに過ぎなかった。だから、僕の周りの人間がこれを会社の問題と捉えて欲しくなかったから、そうならないように遺書を残すつもりだった。しかし、結局僕はそのとき遺書を書く気力がなかった。もしかしたら、多少は恨んでいたのかもしれない。揉めるなら揉めるがいい、みたいな気持ちが全くのゼロではなかったということは否定しない。でも、それ以上に僕はただただ遺書も書けないくらい疲弊していただけだったんだ。

 でも、もうわかったよ。

 死ぬなんてくだらないことさ。

 生きていることがくだらないと同じように、いや、もしかしたらそれ以上にくだらないことさ。死にかけてみてようやくわかった。僕は全てのリアリティな生の世界を怖れて、イマジナリーな死の世界に酔っていただけだった。

 そこでは僕以外に僕を傷つけるものはなかった。仮にリアルな世界で傷ついても、むしろそっちの方が虚構に過ぎないと思い込めるくらい僕はイマジナリーな世界の中へと逃避していた。リアルな世界には不特定無数の「眼」があって僕を監視している。そんな怖ろしい場所では生きていくことができない。だから、死に向かうだけのイマジナリーな世界の方がマシに思えたのさ。イマジナリーな世界の方がよっぽどまともだと思えたんだ。でも、イマジナリーな世界をリアルだと思い込むためには、血を流す必要があった。僕はもうとんでもないくらい僕を痛めつけたよ。辺り一面、血の海。それでやっとここが現実なんだと思えた。

 でも、結局のところ僕はどこまで行っても現実逃避をしていただけだ。そんなことはわかっていたけれど、死んでしまえばそのイマジナリーな世界は現実のものとなる。それで良いと思っていた。自死に至る行動さえ起こせてしまえば、僕のイマジナリーな世界は真実のものとなる。どちらにせよいずれは死ぬわけだから、これは非常に生産的な方法だと考えていたんだね。

 けれど、本当に死にかけてみて、イマジナリーな世界を現実のものにすることの無意味さを思い知った。それはいつでも選べる手段であり、実に簡潔な到達点でしかない。ゲームに飽きたらいつでも電源を切れるように、僕たちも人生に飽きたらいつでも電源を切れる。ブラウン管の中に残った熱は一瞬だけ悲しさを漂わせるけれど、それもあっという間に消え去る。夕食の支度ができた合図でそれは消え去る。

 だから、僕は一度、そのイマジナリーな死の世界から離れようと思う。そうすると必然的に僕は不特定無数の「眼」が巣食うリアリティな生の世界へと戻らなければならない。でも、その「眼」と言うもの自体が、僕の生み出したものに過ぎないんじゃないかと思うんだよ。その「眼」の言いなりになっている限り、僕は心を開かなくていいし、ある意味では楽をしていられる。でも、それがいかに醜悪なことかというのは、もう身を持って体験している。そこから逃れたい一心で、僕は「死」へと向かってすらいたんだ。

 そういうわけで、僕はもうその「眼」の言いなりにはならないと誓おう。

 もう傷つくことを怖れまい。自分が犯したこれまでの罪をも受け入れよう。でも、もうそれに関する罰は与える必要はない。いいんだ、もう。罪は償うべきものであって、罰で帳消しにするものじゃあない。どうやれば償えるか。本来あるはずの「痛み」を受け入れることだ。「痛み」を免れようとして、訳の分からない「罪」に翻弄されるくらいなら、もうちゃんと「痛み」を受け入れるんだ。その勇気を持つ。それが肝要だ。

 僕は自らを襲う痛みを怖れるあまり、それを有耶無耶にするために、社会の「眼」を自分の中に飼い出した。それを機能させることで人間関係を自分の本当の心の位置から遠ざけようとしたんだ。そんなことを幼い僕はやり続けた。だからだろう、僕には友達と呼べるような人が誰もいない。「かくあるべし」という世間の視線に贖っていれば、誰も僕を責めたりはしない。そのことを逆手にとってやって来た結果がこれだ。僕は一度でも本当のことを言ったことが無かった。嘘ばかりだった。全部、嘘だった。すべては学校の授業で、どう答えるべきかという正解を口にしていただけに過ぎない。そんな道徳の姿態を僕はただただ描写してきただけの人生だった。

 それにケリをつけよう。

 正解を口にするのはもうやめた。

 先生、僕はもう疲れて死にたいんです。でも、死ぬのは怖かったです。死ぬのは難しかったです。だから、生きます。嘘をつくのも疲れました。「眼」の言いなりになるのももう嫌です。僕はちゃんと僕として生きます。それ以外やるつもりはありません。それで僕を排除したいと思うならそうすればいい。これまで僕が傷つけてきた人たちよ。やっぱり僕を赦せないと思っているかもしれない。なら、ナイフを持って殺しにくればよい。それで殺されるならそれもまた一興か。いや、でも僕はきっと死なない。そんなことじゃ死なない。血だらけになっても僕はきっと生きるだろう。そして、血の温かさを知るだろう。凍り付いた心を僕の血が溶かすだろう。息をする。炎を灯す。

 

                         *

 

 電車を乗り継いで、家の最寄り駅まで。

 スーパーマーケットのビニール袋を手から提げている。

 踏切が甲高い音で鳴っている。電車が通り過ぎていく。

 部屋に戻り、誰かが殺してプラスチックのケースに並べたそれらを食す。

 

 温かい風呂に入る。湯上りにストレッチをする。額の汗を拭う。

 だらだらとテレビを見る。

 テレビを消す。部屋の灯りを消す。

 明日のために眠る。

 

 

 2021.5.31

適応障害と診断されまして… vol.65

適応障害と診断されて228日目(5月30日)の夕方にこの記事を書き始めています。今週はまた色々とありましたので、ここにきちんと記録を残しておこうと思います。

 

前回

eishiminato.hatenablog.com

 

前回はGW明けの様子についてまとめました。薬を変えたおかげか、GWに休養できたおかげか、頭痛の症状がかなり緩和されたような気がしていました。そして、仕事もテレワークが増え、若干体調が整ってきたかなという感じもありました。しかしながら、その一方で少し気持ちが感傷的になっており、夜勤の疲れなども重なり、不安を感じることも多くなっていました。また、心理的安全性について色々と考え、両親との関係性を改善できていることが自分にとって大きいことを自覚するに至りました。

 

 

今週はそこから1週間を過ごし、結果から言うと、体調が限界を超え、再度休職することになりました。限界まで頑張ったので悔いはありませんが、悔しくはありますね。

 

1.カレンダー

適応障害と診断されて…/復職して…

 

220日目/休み

土曜日。午前中は夜勤の疲れがあってずっと眠っていた。昼過ぎまでダラダラと過ごし、遅めの昼食のために外に出る。近所のラーメン屋に行き、帰りは少し遠回りをして初めて通る道を歩いた。天気は良くなかったが、音楽がとても心地良く、知らない道も素敵だった。家に戻ってからブログを書き始め、途中途中でダラダラしながらも、夜には書き上げて投稿できた。取り留めのない1日の中でブログを書き上げられたのは良かった。

 

221日目/休み

日曜日。朝はゆっくりと寝て過ごす。昼過ぎから友人と舞台を観に行く予定。集合時間を1時間早く間違え、少しテンパるも、おかげで買い物などできて充実した時間を過ごせた。「父と暮らせば」という舞台を観た。原爆被害にあった少女が人生と向き合う話で、ユーモアがありながらもシリアスな部分もあり、とても面白かった。舞台の後は、友人とカフェで3時間近く話した。近況報告や、最近観た映画やドラマ、読んだ本、音楽などとても充実した時間を過ごせたように思う。趣味が合う人間はそう多くないので本当に大切にしたいと改めて感じた。帰宅後、気が高ぶって少し眠るのが遅くなったが、翌日から仕事なので頑張って寝た。翌日が仕事だと考えるとかなり気持ちが萎えたが、なるべく見ないふりをした。

 

222日目/48日目

月曜日。朝から気持ちがかなり弱っており、会社を休むか悩む。シャワーを浴びながらダメかもとも思ったが、ぐちぐちと独り言を喋っているうちに少しずつ気持ちを立て直し、時間に追われるように何とか職場に向かうことができた。若干の頭痛があり、朝食時にはスルピリドに加えて、頓服薬のペロスピロンも初めて飲んでみた。午前中は頓服薬のせいもあってかややぼーっとした感じがあり、頭痛、眠気、疲労感が取れなかった。トイレ休憩の度に、「逃げ出したい」と思い、「もう限界かも」「まだやれそう」の間で揺れ動く。そのまま調子が上がらず、しかしながら黙々と働き、気がつけば3時間弱も残業をしていた。帰宅、疲労。こんな1日は楽しくもなんともないし、なんでこんな風にしてまで生きていなくちゃいけないのかわからなくなる。でも、取り乱すことなく1日を終えられたのは成長か。あまり色々と考えたくなかったので、早めに眠る。

 

223日目/49日目

火曜日。本日はテレワーク。朝はいつもより1時間遅く起きて、ゆっくり身支度。日曜日に会った友人に勧められた「式日」を観ながら、勤務開始時間までの時間を潰そうと思う。が、40分くらいで気持ちが途切れ、ずっと無視してきた「疲弊感」に捉われる。生きていても楽しくない。なんでこんな状態で無理して生きていかなきゃならないのか。もう全部から逃げ出したい。そのまま気持ちを好転させることができず、号泣。希死念慮に捉われ、またロープを出してしまう。「また懲りずにやるの?」、「もうやめんたんじゃないの?」と何とか自分を説得し、繰り返される思考を追い出そうと部屋を暗くしてベッドに潜り込む。午前中はWEB会議にだらだらと過ごすだけだったので何とか耐え、昼休憩から午後の1時間くらいはずっと眠っていた。母に調子が悪いことを伝えていたので、30分ほど電話した。何とか気持ちを持ち直し、午後は少しはまともに働けたと思う。会社や働くことに対する割り切りはだいぶできるようになってきたはずなのに、どうしても気持ちが沈み切ってしまい、パニックになる。これまで適応障害ということでストレスに対する認識を改めれば治ると思っていたが、どうもちゃんとしたうつ病っぽい症状になってきた気がする。気持ちのタガが外れて、制御できなくなる感覚だった。夕飯を買いに、外に出る。ちょっとだけ気が紛れた。夕食後は部屋を暗くし、ベッドの中で半分寝ながら「式日」を観切った。入眠ルーティンをしっかりして明日に備えようと思う。明日もこんな感じなら会社を休もう。

 

224日目/休み

水曜日。朝起きて昨日よりは調子が良いことを確認。スーツまで着たけれど、いまいち気持ちがついて来ず、いつもより1時間遅い出勤にしようと決める。そこから大豆田とわ子と三人の元夫を観て時間を潰す。しかし、いつまで経っても気持ちが滅入ったままで辛かったので、もう今日は休むことに決め、会社に電話を入れた。午前中はほとんど寝て過ごした。昼食後、またダラダラと過ごし、夕方前にようやく散歩に出ることにする。散歩は暑かったし、1日中寝ていたせいで頭もぼーっとしていたが、少しだけ生きていることに嬉しさを感じることができた。この感覚が失われたまま生活をしていたことに思い至る。帰宅後、早めの夕食を取り、クイーンズ・ギャンビットを観始める。スーパームーンは観られなかった。深田恭子適応障害になったらしい。無理せず、やっていこう。生きていくと決めたのだから。もう発病から2/3年近く経っているけれど、ようやくそういった心境にまで持っていくことができるようになった。色々と不安もあるし、こんなはずじゃなかったけれど、でも、偉いぞ、自分。辛い日々は多いけれど、少しずつ成長しているのだと思う。

 

225日目/50日目

木曜日。朝起きて昨日よりは調子が良いことを確認。また朝から泣きそうではあるが、何とかいつもより30分出勤を送らせて寮を出ることができた。寮さえ出れてしまえばなんとかなる。そう思ってもやはり辛いものは辛い。通勤中に朝の薬を飲み忘れたことに気づく。薬を持ち歩いているので、出社後に会社で服薬。出勤後、やはり気持ちが落ち着かない。頭痛と若干の手足の痺れがあり、やはり調子が良くないのだと思う。こんなことが続いたらどうなってしまうんだろう、と不安になる。考えても仕方ないけれど、やはり考えてしまう。普通にパソコンで作業をしていても辛くて涙が出そうになる。椅子から立ち上がると頭痛と眩暈が酷い。でも、今日良かったのは「このところ調子が悪いから万が一のときにはフォローをお願いします」と同僚に話せたこと。同僚は夜勤の後も残業して日勤の私よりも長く勤務しているのに、本当に申し訳ない。でも、これが今の私だし、できることは本当に限られている。その中でできることをやっていくしかない。頑張っていることを認めて欲しいわけではない。けれど、これが私の全力なので許してほしいとは思う。無理の効かない体なのです。明日どうなるかもわからない不安。でも、どうなったって逃げ道は用意されている。とりあえず生きてはいようと、今日も思うことができた。

 

226日目/休み

金曜日。この日も何とか朝から出勤を試みるがやはり感情を制御することができず涙が溢れて来る。「ここが限界か」と認識し、母と電話で相談したうえで再休職することに決める。まずは職場の上長に再休職させてほしい旨を伝え、少し電話で状況についての会話。その後、直属の上司に連絡を入れ、今日休む旨と休職になるであろうことを伝える。「気づかなくてごめんね」と言われたが、こちらとしても期待に応えられず本当に申し訳ないし、結局また再休職となってしまって悔しい。が、体が言うことを聞かないので仕方ない。悔しいけれど、とりあえず自分が頑張れるところまでは頑張ったと思う。限界まで耐えてみたはず。でも、これ以上は無理なのだ。アドラーに言わせれば、こんな風に再休職するのは私が病気を何らかの言い訳に使っているからであって、本当は沸つに働けるはずということらしい。そして、働けないのは私に何らかの勇気が足りていないから、ということになる。確かにそういう節もあるかもしれない。しかし、今の私には逃げることが必要なのだ。むしろ、恐れずに休みを取ることこそ、私が何をも言い訳にせず、自分の人生を生きるということになるのであろう。と、根拠など存在しない目的論の使い勝手の良さをわけもなく感じる。一日中寝て過ごす。「クイーンズ・ギャンビット」を観終わる。こんな自分を受け入れて、何とかそれでも前向きに生きていきたい。

 

227日目/休み

土曜日。朝から診察。主治医には会社を休む旨を伝えたが、主治医としてはGW前に既に休職の診断書を出しており、言うことが聞けないなら違う病院にしましょうか、と言われてしまった。そんな言い方するか…と少し絶望したけれど、お医者様の手も震えているし、お医者様もお医者様で大変なんだなと思うと、へらへらと笑って謝るしかできなかった。とりあえず、6月末までの診断書を貰う。その足でラーメンを食べに行き、帰宅後、職場の上長とWEB面談。おそらくは7月1日付けで配置換えとなることを聞く。それまでは休職させてもらいつつ、異動に向けての準備をしていくことで話をつけた。ああだこうだと騒ぎ立てて本当に申し訳ないけれど、今の自分にはこれが精一杯で、これでダメなら大人しく実家に帰ろうと思っているからあと少しだけ多めに見て欲しい。そこまでは言わなかったけれど、そういう気持ちでできるだけ真摯に話し合った。この日も疲れていてほとんど1日中寝て過ごした。夕方、夕食を買いにコンビニまで行き、夜には両親と電話した。病気のこと、休職のこと、祖父の体調のこと。色々と話したけれど、とりあえずはいつでも実家に帰って来て良いからと言ってくれたことが本当に嬉しかった。そこが基盤となっているからこそ、私はまだ何とかこっちで頑張ってみようという気になれるのだ。昼間寝ていたせいで眠気がやって来なかったので、アンジュルムの新曲の楽曲レビューを書いて、ブログにアップした。久しぶりの楽曲レビューをしてみて、若干のブランクと、それでも楽しさを感じることができた。日付が変わってから眠る。

 

2.カレンダーのまとめ

今週は月曜に長めの残業をして、火曜に朝から泣き崩れながらもテレワークをこなし、水曜日は涙が溢れて出勤できず、木曜は何とか出勤し、金曜日はやはりもう涙が止まらなくなってしまい出勤できず、そして再休職をすることに決めました。日曜に久しぶりに友人と会ったのが引き金になった可能性もありますが、正直その前から気持ち的にはだいぶぐらぐらしており、それを何とか押さえつけている状況ではありました。GW明け直後にはもう会社を辞めるつもりだったのが、色々あって先延ばしになり、何とか頑張っていた中で遂に糸が切れた感じです。

自分ではあまり無理をしているつもりはなく、できるだけ負荷がかからないように過ごしていたつもりだったのですが、単純に毎日仕事に行き、帰って来るという日々の中で蓄積するストレスに耐えられなくなっていました。何がそんなにストレスなのかはわかりませんが、火曜の朝の段階ではまた強い希死念慮に襲われまして、それでも「死なないように!」とテレワーク勤務中でしたが誰も見ていないことを良いことに布団を被って現実逃避していました。しかしながら、前までの私であればおそらくまた自殺企図していたでしょうから、そうなる前に現実逃避することができたのは少し成長かなとも思います。

恥かしい話ですが、6月にかなり忙しくなりそうと判明したことが、大きなストレス要因となったのかもしれません。まぁ、何とかなるだろうと自分に言い聞かせたものの、やはりもう現段階から少し忙しくなりつつあり、ストレス量も増え、それに耐えられなくなったのかもしれません。本当に自分で自分が情けないです。

火曜に感情の抑制が効かなくなり、それは水曜になってもあまり治まらず、結局水曜は会社を休みました。そこから何とか木曜日は頑張って出勤したのですが、職場で意味も無く涙が流れそうになり、また酷い頭痛や眩暈に襲われました。金曜も何とか出勤しようと思ったのですが、やはり涙が溢れてしまい、「これはもうダメだ」と職場の上長に再休職の申し出をしました。そして、とりあえずは再休職する方向で話が進んでいます。色々とやり残したことがあるので、まだ落ち着かないですが、とりあえず休めるというのが今の私には救いです。

 

3.それでも褒める

自己虐待をせずにどんな自分でも受容し、褒めてあげよう。

そんなことを病気になってから色んな所で目にし、耳にしてきました。そういう心がけは確かに大事だと思います。自己否定をしても何にもなりませんから、自己否定するくらいなら自分を褒める方が生産的でしょう。しかしながら、明らかに自分が情けないことを褒めるなんて、そんな道理は無いんじゃないかという考えももちろんありますよね。今回の私で言えば、普通の人が耐えらえるストレスに耐えられずまた再休職してしまったことは、どう考えたって私の「至らない点」であり、そこには褒める余地なんて全く以って無いように思えます。しかしながら、それでも私は私で今回のことに納得できていたりします。

適応障害と診断されてもう220日以上が経っているわけですから、私自身の自己肯定力もだいぶ高まってきたということもあるでしょう。できるだけ毎日自分の褒めるべきところを書き留めてきましたし、そういうこともあって褒める技術が向上しているのかもしれません。しかしながら、決して「良い所を見つけられるようになった」とかそういうことだけじゃないと思っています。

私は今、ストレスへの耐性がかなり弱っている状況にあります。それを自覚しているからこそ、できるだけストレスを受けないように、溜め込まないようにやれることをやってきたつもりです。例えば、仕事で無理に自分で自分を追い込まないように気をつけたり、苦手な上司との接触機会を減らしたり、何かを言われてもそれを自己否定に繋げないようトイレで休憩して気持ちをリラックスさせたり。ほかにも、疲れを溜め込まないように、お酒は飲まないようにしていますし、できるだけ規則正しい生活を心がけ、消化器官が疲れてきたと感じたらファスティングをしてみたり。入眠ルーティンを作り上げたりもしました。そんな風にやれるだけのことはやってきたつもりです。より良く生きるために、今の私にでき得ることは何でもやってきたつもりなのです。

そして、仕事や会社との付き合い方についても、「どうしてもダメなら実家に帰ろう」というところまで割り切りもできてきました。しかしながら、会社から再休職や配置換えの打診をしていただいたので、今はそれを試してみようという気持ちになっています。その中で、できれば配置換えまで勤務を継続するというのが第1目標でした。そして、それがダメなら一度休職を挟んで配置換えに臨むというところまで職場の上長とも話すことができていました。なので、ある意味では今の私の状況というのは想定内の事であり、そういう意味では「まぁ、仕方ないか」と思うに足る状況ではあるわけです。

そんな風に私なりにやれることはちゃんとやって来ましたし、できるだけ周りの人を頼って、どうにかして社会復帰することを目標に動けていたという自負があります。もちろん、決して完ぺきではないと思いますが、それでも私なりにきちんと自分の病状や置かれた環境と向き合ってきました。その中で、両親との関係性を見直したり、職場でもできるだけきちんとコミュニケーションを取ったりして、そしてその結果が今の私なのです。これ以上は私にはやりようがなかった。少し大げさではあるかもしれませんが、割と率直にそんな風に思ってたりもします。

だからこそ、私はこうしてまた再休職するに至ったわけではありますが、後悔と言うのはありません。自分を褒めるのは難しいですが、しかし、やれるだけのことはやってこの結果なのだから仕方ないじゃないかと思うことくらいはできそうです。そして、そう思えるまでちゃんと自分や周囲と向き合ったことは褒めるに値するのではないかと思っています。もちろん、多分に私は自分自身に甘いところがあったでしょう。しかし、それでも私はよくやったと思います。普通の人なら難なくできることができない私ではありますが、そんな自分を責めようとかそんなことを思わないくらいには、私は私なりに真摯であったと思います。

そういうわけで、自画自賛甚だしいと呆れてしまう部分があるものの、自己否定はしなくて良い気がします。こんな自分を受容できるくらい、私は私に対して寛容になったと思います。それはきっと良いことのはず。

 

情けないし、将来に対する不安も尽きません。いったい、こんな状態がいつまで続くのだろう。そして、こんな状態が続いた先で私は生活を構築することができるのか。甚だ疑問ですし、私よりも忙しく仕事をしている人たちには申し訳ないと思います。私はただ目の前のストレスに耐え切れず、自分勝手に逃げ出したしょうもない奴です。それは紛れもない事実でありますが、しかしながら私が私なりに誠実にやって来たのも事実だとは思うんですよね。

 

同じことの繰り返しになってしまいますが、そういうわけで、私は自分の現状をある程度受け入れてはいます。今後の事はわかりません。でも、ここまできちんとやれることをやってきて、それでダメだったのだから仕方ないと思えてもいます。そんな自分を今はちゃんと褒めてあげたいと思います。誰がなんと言おうと、こんな自分を褒めてあげられるのは自分自身しかいないわけですから。

 

4.最後に…

これから私は自分がどうなっていくのか、全く見当もつきません。異動すれば全てが解決するという訳じゃないこともわかっています。だからこそ、休職したからといって、ただダラダラと過ごすのではなく、きちんと治療に向けてやれることをやっていきたいと考えています。

昨日の夜、久しぶりに楽曲レビューの記事を書きました。少しだけ達成感。やれることからやっていきたいと思います。

 

次回

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アンジュルム「愛されルート A or B?」レビュー ~シャッフルビート×3拍子~

アンジュルムの29th single「愛されルート A or B?」のレビューをさせていただきます。

 

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久しぶりの楽曲レビューとなりました。ライブレポートや好きな楽曲選のようなことはちまちまとやっていたのですが、楽曲のレビューをちゃんとやるのは2020年7月24日のこちらもまたアンジュルムの「限りあるMoment」ぶりになります。もう1年弱も楽曲レビューをしていなかったのですね。

レビューしたい楽曲がなかったわけではないのですが、個人的に適応障害なんて病気にかかってしまい、その実況をすることに終始していたため、楽曲レビューからは遠ざかっていました。しかしながら、今回は好みドストライクの楽曲がやって来たので、久しぶりに気合を入れてやってみようと思います。気分転換でもありますね。

 

 

リズムパターン

はっきり言って、この楽曲を好きになるにはこの「シャッフルビート」×「3拍子」というリズムパターンだけで事足りますね。もう私の好み過ぎてヨダレが出まくりです。一応言葉だけでなく、わかりやすいようにいつもの底辺のエクセルスキルで視覚化しておきます。

 

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シャッフルビート×3拍子

 

まず3拍子ということで、「拍」の行に「1,2,3」と振っているように、思わず「ワン・ツ―・スリー・ワン・ツ―・スリー…」とステップを踏みたくなるような感じがありますね。3拍子はワルツなどでも用いられますが、このBPM(テンポ)の速さだとかなり攻撃的なダンスになりそうです。一気にお洒落度が跳ね上がるリズムパターンですね。3拍子についてはハロプロ御用達の作曲家であらせられます星部ショウさんのYouTubeチャンネルでも紹介されていますので、よろしければ確認してみてください。

 

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さて、この3拍子に加えてこの楽曲の「軽やかさ」や「跳ねる感じ」を演出しているのがシャッフルビートです。上の画像の「アクセント」の行を確認していただければわかると思いますが、1拍を3つに区切って、その頭とお尻にアクセントを置いているのがシャッフルビートです。これが私の大好きなリズムパターンでして、古くは日本のお祭り囃子などにも使われているリズムです。そう聞くと少し洒落た感じがなくなりますが、ある程度のBPM(テンポ)の速さがあると、これがかなりお洒落に機能し始めるのです。

サビの歌詞も書き入れていますが、歌詞と対比させるとシャッフルビートであることがよくわかりますね。ドラムのスネアやハイハットなどを聴いてもわかりやすいかもしれません。特に2番終わりの間奏のスネアは聴き取りやすいと思います。「ツッタ・ツッタ・ツッタ・ツッタ(タの部分がスネアの音になりますね)」とかなり細かく刻むことで、このシャッフルビートに乗りながら楽曲を楽しめると思います。

はっきり言って、私なんかはシャッフルビートが使われている楽曲は全部好きなんじゃないかというくらいこのビートが大好きです。ハロプロの楽曲では、Juice=Juiceの「好きって言ってよ」などにも使われており、これもまた私の大好きな楽曲であります。

 

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そんなシャッフルビートにお洒落な3拍子まで加わっているわけですから、もう言うこと無しですね。

 

楽曲構成

基本的にはイントロ⇒Aメロ⇒Bメロ⇒サビ⇒間奏…という王道の構成にはなっています。しかしながら、もう少し細かく見ていくと、面白味が感じられる構成となっています。

 

intro(8.8)

A1(8.8) ⇒ B1(8.8.2) ⇒ C1(8.8) ⇒ D1(8.6) ⇒ inter1(8.8) *inter1=intro

A2(8.8) ⇒ B2(8.8.2) ⇒ C2(8.8) ⇒ D2(8.6) ⇒inter2(8.8)

E(8.8) ⇒ F(8.8) ⇒ C3(8.8) ⇒ D3(8.6) ⇒ outro(8.8) *outro=intro

 

まず特筆すべきは赤太字で示したように、サビにあたる部分のバリエーションの豊富さですね。CメロとDメロという風にサビが2段構成になっています。これまでもいくつかこういった楽曲をレビューしてきましたが、例えばアンジュルムの「全然起き上がれないSUNDAY」やJuice=Juiceの「好きって言ってよ」なんかがそうですね。どちらも私の大好きな楽曲です。

 

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1番、2番ではわかりやすくサビの2段構成になっています。「愛されるのはどっち?」から始まるところがCメロで、「気分次第でしょうか」から始まるところがDメロです。Cメロではシャッフルビートが際立ち、かなり細かいリズムパターンでテンションをグッと上げてくれます。Dメロは3拍子にしっかりと乗る形で、少し切なく抒情的な雰囲気を纏い、しっとりと締めてくれます。この緩急が素晴らしいです。

そういう意味では、Aメロのお洒落でアンニュイな感じから、Bメロの3拍子強めのお茶目な雰囲気、Cメロ(サビ1段階目)の激しい感じから、Dメロの抒情的な感じという飽きさせない振り幅の大きい展開が全て素晴らしいです。全体を通してお洒落さが統一感を出していますが、その中ではコロコロと表情が変わっているので、1番と2番で全く同じ構成になっていながらも全く飽きが来ないように思います。

そして、やはり最後の「E ⇒ F ⇒ C3 ⇒ D3」という展開が何よりも素晴らしいです。

Eメロ(ドジばかり~)とFメロ(無礼講しちゃうくらい~)は1番、2番でサビを務めていたCメロを基盤にしたメロディラインでありながらも、音階的には低めのところで旋律を作り上げています。シャッフルビートに乗っており、リズムパターンだけで言えばCメロに近くとも、音階が少し低いわけですね。Eメロは少し静かに、楽器も高音域を控え目にしており、そこからFメロに差し掛かると一気に高音域も増えてサウンドが豪華になります。しかしながら、ここでもサビのCメロよりは少しだけ低い音階。そして、ラストのC3メロ(愛されるのどっち~)に入ると、一度またバックミュージックは控え目になります。それによって、このC3メロは若干落ちサビのような風格を持つわけです。C3メロの後半8小節はまた一気に盛り上がり、勢いそのままにD3メロへと入っていきます。

そんなわけで「E ⇒ F ⇒ C」という流れでは似たようなメロディが繰り返されながらも、実際には音階が徐々に上がっていく構成になっており、その中でバックミュージックの濃淡の移り変わりも激しく、最後のC3メロの後半8小節に向けて劇的な展開が用意されており、とても気持ち良いのです。

 

そして、青太字で示したBメロのラスト2小節「あ あ あ」の部分もまた楽曲の緩急をつける上で非常に重要な役割を果たしていますね。ここはあえて2小節付け足すことで、間合いを図るような雰囲気があり、サビのCメロに入るタイミングで大きく盛り上がる仕掛けとなっています。対して、Dメロの後半は6小節しかなく、他と比べて2小節短くなっています。Dメロのラストはロングトーンになっているため、歌が間奏に割り込んでくる形になり、楽曲の展開を滑らかにしている印象があります。それと同じように、間奏⇒Aメロ、Aメロ⇒Bメロでは歌が前に割り込んでくるような工夫がなされています。例えば最初のイントロからAメロに入るところでは、「愛想よ」までが間奏の小節に食い込んでいます。これによっても、楽曲の展開が滑らかになっている印象が付与されていますね。

そう考えると、この青太字のBメロラスト2小節の「あ あ あ」だけが楽曲の中で展開をばっつりと切り取るような効果を表しており、サビへのわかりやすい助走として機能しています。

 

こんな感じで、この楽曲は緩急と流れるような展開が優れており、ただ「サビがいいよね!」とか「雰囲気がカッコイイ!」というだけでなく、本当にイントロからアウトロまで全体を通して素晴らしい楽曲になっていると言えます。

 

作詞・作曲

作詞はハロプロではもうお馴染みの山崎あおいさんです。Juice=Juiceの「微炭酸」、「ひとそれ」、「好きって言ってよ」の3部作でさらに名を上げたように思いますが、今回も素敵な歌詞を書いておられます。

根が真面目過ぎるのか、可愛げが足りないと言われるタイプの女の子の煩悶が綴られています。頭が悪いわけじゃないから「可愛げ」が大切だということは理解しているものの、「どうやったら可愛げが出せるか」と考えてしまうが故に「可愛げ」が出せない。「Aという選択肢、Bという選択肢、いったいどっちを選んだ方が可愛げがある?」と周りが求める「可愛げ」に振り回されているわけですが、第三者的な目線から見ると、そんな風に悩んでいるのが実は可愛いような気がします。「可愛げが出せない」と悩んでいる様子が可愛いという、つい笑ってしまいたくなるような皮肉が詰まっている歌詞になっていて、私はだいぶ好きだなぁと思わされました。

キラーワードとして「ディプロマシー」という言葉が出てきますが、これは「diplomacy:外交」という意味がある一方で、第一次世界大戦前のヨーロッパの覇権争いをモデルとしたボードゲームの名称でもあるようです。サイコロなどのランダム要素が排除されているうえに、基本的には交渉や策略、裏切りのプレイヤースキルが勝敗を分けるため、「友情破壊ゲーム」と称されてもいるようです。私はプレイしたことがないため、深く語ることはできませんが、そういったガチガチのゲーム性は本楽曲の歌詞世界にも強く共鳴しているように思います。「もっと気楽に生きていきたいのに!」というような心の声が「攻略不可 ディプロマシー」という素敵な歌詞を通して、伝わってきますね。

作曲・編曲は山崎真吾さんという方で、私はお初にお目にかかりました。アニメ関連の楽曲に沢山携わっている方のようで、私がちゃんと観たことのあるアニメだと「ヒナまつり」くらいでしょうか。勉強不足で申し訳ございませんが、既に色々書いているようにこの楽曲はとても素晴らしいので、凄い作曲家・編曲家なのだなと思います。簡単ですが、こんなところですね。

 

ベース

とにかくベースがめちゃくちゃカッコイイです。ドラムもピアノもブラスも素敵ですが、何よりこの楽曲ではベースの旨みが半端ないです。誰が弾いてらっしゃるんでしょうか。アプカミでベースのレコーディング映像が配信されることを心より願っております。

 

アンジュルムメンバー・MV

今回はMVもかなり秀逸ですね。モノクロの映像から始まり、背景の無いコンクリート打ちっぱなしの広い空間が楽曲の雰囲気と相まって、とてもお洒落です。冒頭から莉佳子(佐々木莉佳子ちゃん)の激しいダンスも堪能できますし、開始5秒で「好き!」となってしまいます。

そして、ワンコーラス目からかっさー(笠原桃菜ちゃん)が魅せてくれます。甘くとろみのある声質のかっさーをワンコーラス目に持って来たことは大正解ですし、2番のラストでも非常に目立つパートをかっさーが担っているので、私的にこの楽曲は「かっさー」の楽曲だと思っています。ソロショットでは極端な接写を用いており、これもまた良い味を出しています。13歳の頃から大人っぽかったかっさーももう17歳なんですね。何というか時の流れるのは本当に早いものです。ようやくポテンシャルに実年齢が追い付いてきた感がありますね。

好きなポイントとしては、1:00あたりの竹ちゃん(竹内朱莉ちゃん)のくしゃっとした表情、2:31の莉佳子の剽軽なダンディ坂野的な動きが挙げられます。どっちもこの子にしかできない!という個性が弾けているところだと思います。あとは具体的に言葉にするのが難しいのですが、松本わかなちゃんをブランコに乗せた人は天才だと思いますね。何と言うか、超小柄で実際に年齢も13歳とめちゃくちゃ若いわかなちゃんなんですが、ブランコに乗っている姿が「無理して子供っぽさを出してる感」に溢れている気がするんですよね。この楽曲の詩世界に近い境地がこのブランコわかなちゃんからは感じられます。歳のわりにしっかりし過ぎているわかなちゃんが「はいはい。ブランコに乗ってるのが、可愛げあるんでしょう?」と内心では感じていそうで、そこにグッときます。それにしても、指が長かったり、骨格から察するに、わかなちゃんは将来的に背が高くスラっとした美しい女性になりそうですね。タワレコの嶺脇社長が好きなタイプなんじゃないかなぁと勝手に思っています。

そして、衣装がとてもカッコイイですよね。シルエットが美しく、飾りも厭味にならないくらいで非常にスタイリッシュです。最後のC3メロまではモノクロのダンス映像が使われているのでなかなか気づかないのですが、鮮烈な赤の差し色がとてもお洒落で楽曲雰囲気にばっちりハマっています。

ダンスシーンはモノクロがメインですが、私服カットでは色味のはっきりとした映像が使われており、その色使いにも非常にセンスを感じますね。どのカットもかなり好みですが、れらぴ(伊勢鈴蘭ちゃん)の紫色の壁紙にかぼちゃ色のソファ、そして私服衣装の臙脂色の配色が素敵だなぁと思いました。

そんな感じで全体を通して素敵なMVで、観れば観るほどに好きになっていきます。

 

最後に…

久しぶりの楽曲レビューでした。いつも8,000~12,000字近くなるのですが、今回は6,000字未満と比較的コンパクトにまとめられたと思います。

適応障害という病気になってもう半年以上経ちますが、徐々に文章を書くのが下手になっている気がします。というか、今までは兎にも角にも言葉が止まらない感じがあったのですが、その勢いがやや衰えた感じがあります。でも、逆にこれくらいの方が丁度良いのかもしれません。

いずれにせよ、良い文章を書いていきたいものです。

闘病中と言うほどの闘病中ではないのですが、やはり体調はずっと万全でなく、会社に行くのもしんどい状況が続いています。この記事を書いているときは1度復職してからまた再休職が決まった翌日です。体調が優れない中、ハロプロには救われてきましたが、何と言うか感性が鈍っているのか、あまり何をしていても昔ほど楽しめないような気がしています。本能的にあらゆる刺激を恐れているのか、はたまた薬のせいか。そのせいで、ちょっとだけハロプロ熱が下がっている現状がありました。

そんな中、この「愛されルートA or B?」という素敵な楽曲に出会い、また楽曲レビューを書きたいという気持ちになれただけ、今の私は少し幸福なんでしょう。もっと心の底からハロプロを愛せるように、早く病気に打ち勝ちたいと思います。

私の書いたしがない文章が誰かの心に少しでも響けば嬉しい限りです。

適応障害と診断されまして… vol.64

適応障害と診断されて220日目(5月22日)にこの記事を書いています。

前回

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前回記事ではGW中の私の生活について書きました。およそ2週間というかなり長めの休暇期間を経て、会社を辞める決心がついたので、そのことを記事の中心においていましたね。そして、今回は前回記事でも少し予告した通り、会社とのやり取りを経て「まだ辞めなくてもいいんじゃないか」と考えるようになったので、その内容について話したいと思います。

 

 

1.カレンダー

適応障害と診断されて…/復職して…

 

205日目/休み(GW)
金曜日。午前中に両親と話し、おそらくは仕事を辞めることになろうということを話した。色々と言いたいことはあるのだろうけれど、この2週間じっくり考え、話し続け、ようやく自分の中でも踏ん切りがつけられたと思う。自分らしく生きるための代償として、今後私が切り捨てることになるであろう様々な可能性や信頼というものはおそらく安いのではないかと思う。自分らしさを獲得するために勇気を出す局面なのであろう。そう自分に言い聞かせてみる。

 

206日目/休み(GW)

土曜日。若干遅寝遅起きの習慣がついてしまい、今日も遅めの起床。起きて少し急いで支度をして診察へ。GW中に薬が効き過ぎている感じがあったので、スルピリド錠を1日3錠から2錠へ減量してもらい、ロフラゼプ酸エチルはこれにて終了。頓服薬でペロスピロンを追加してもらった。昼食は大好きなラーメン屋に。仕事を辞めて実家に帰ったらもう食べに来る機会がほとんどなくなってしまうので、心して食す。やはり素晴らしく美味しかった。帰宅後、スマホショップでスマホケースを買い、床屋へ。昼寝を挟んで、少しブログの記事を書き進める。体内時計を戻すために入眠ルーティンをして、通常時より30分遅い就寝。

 

207日目/休み(GW)

日曜日。夜中3時半に中途覚醒があり、そこから眠れなくなる。だらだらと動画を観続けてしまい、結局眠れたのは朝の6時を回ってから。10時ごろに目を覚まし、また動画を観てダラダラと過ごす。昼食を部屋で食べた後、地方勤務時代のお世話になっていた先輩に連絡を取る。会社を辞めようと考えていることを話すために、7時くらいから電話をさせてもらう約束を取り付ける。ブログの記事を少し書き進め、夕食を買いに外出。早めの夕食を済ませ、7時から1時間くらい先輩と電話。自分の考えを尊重してくれたし、先輩の身の回りの話も色々と聴けて楽しかった。先輩はバイクの免許を取るらしい。今までバイクには興味なんて持っていなかったけれど、一緒にツーリングしたいと言ってくれたので一考してみようと思う。入眠ルーティンをして眠る。明日からまた会社だ。

 

208日目/38日目

月曜日。夜中3時半にまた中途覚醒。そこから結局眠れないまま朝を迎える。やはりロフラゼプ酸エチルの断薬の影響が出ているのか。朝の時点ではやはり仕事に対する気持ちは湧いて来ず、今日のうちに退職の意向を伝えようかという気持ちになっていた。そして、久しぶりの通勤電車はやはり疲れる。午前中は少し眠気と疲労感がありながらもゆるゆると仕事をこなす。午後からは産業医と職場の上長を含めた面談があり、そこで「個人的気質」の問題がありながらもやはり職場環境との不整合が問題となっているという見解を頂き、配置換えについても前向きに検討してもらえることに。最終的な判断は主治医の意見も聞いたうえで決定となるが、配置換えの準備が整うまで勤務継続が難しければ一度休職してからの配置換えもアリというところまで提案してもらえた。退職しようと考えていたところなのでまた悩むが、1つ選択肢が生まれたのは良いことだった。この日は夜勤もあるため、6時過ぎまで働いた後、休憩。3時間近くの休憩時間のうち1時間程度しか仮眠できなかった。が、できなかったものは仕方ないと割り切って、眠れなかったことはあまり考えないようにする。

 

209日目/39日目

夜勤はもうアルバイト感覚で過ごすと決め、とにかく時間が過ぎ去ることだけ考えながら働いた。色々と歩き回り疲れる夜勤だった。朝はフレックスを使って早めに帰宅。シャワーを浴びて、朝ご飯を食べ、就寝。しかし、1時間くらいで目が覚めてしまう。そこからは「攻殻機動隊S.A.C」の動画を観ては寝てを繰り返すという1日。途中、2回目の首吊り失敗時に壊してしまった部屋の物干竿について寮長に確認してもらうなどのイベントもあった。もちろん、首吊りで壊したとは言えないので適当に誤魔化したが。結局朝の7時から夜の7時までほぼ寝たきり状態の1日で、この日記をつけている今もかなり心身共に疲弊しているが、とりあえず入眠ルーティンをしっかり行い、明日に備える。今日は中途覚醒無く、しっかり眠れるといいな。

 

210日目/40日目

水曜日。昨日は日中に昼寝をし過ぎたせいで、結局夜中1時過ぎまでダラダラとスマホをいじってしまった。2時ごろに中途覚醒が一度あったものの割とすぐに再入眠でき、そのまま朝6時半まで眠れた。テレワークなので出勤時間分ゆっくり眠れたのが良かった。が、やはり夜勤の疲弊感と眠気は拭えない。午前中はやるべきことを割とスムーズにこなせた。午後はマスト案件をダラダラとこなし、昼食を食べ過ぎたのか若干の頭痛もあったけれど、何とか1日を終えることができた。買い物にも行って、動画を観て楽しみ、少しだけブログの記事も書き進められた。明日は職場に出勤なので今日は早めに寝よう。

 

211日目/41日目

木曜日。昨晩は寝る直前に公務員試験の勉強をやってみたりしたせいで、頭が活性化してなかなか寝付けず。このままではヤバいと思い、入念なストレッチ(15分:軽く汗ばむ程度)から横になってたっぷり深呼吸(10分)、からのボディスキャン瞑想で気づけば5分くらいで寝付くことができた。結果1時間程度予定より夜更かしになったものの、入眠ルーティンを作れていると実感。朝は眠気があったものの夜勤の疲れは8割くらい取れていた。久しぶりの雨。仕事は今は基本的に軽めなのでゆるゆると働くことができた。途中眠気を感じるくらいのゆるゆる感。それでもやはり1時間程度残業をすると疲れも出て来る。苦手な上司ともいい塩梅の距離感で立ち回れた。帰宅後どっと疲れが押し寄せて動画を観ながら寝そうになる。いつもより30分遅めのお風呂。でも、明日はまたテレワークだし、朝も遅いので、ちょっとくらいの夜更かしならまぁいっか。という感じで、今日も終わっていく。

 

212日目/42日目

金曜日。早朝に騒音で目が覚めるも、遅めのテレワーク勤務開始なのでたっぷり8時間程度眠ることができた。晴れているし朝からの調子は良さそう。午前中はかなりダラダラと働く。午後は会議や社内の発表などがあるので、それなりにしっかりと勤務。テレワークならば体調は悪くならなそう。やはり対人関係でストレスを感じる部分が多いようだ。勤務終了後、インスタのストーリーで凛として時雨のTKが「当日券あり!」と言っていたことを思い出し、寮を飛び出すもよくよく調べて見たら、ライブ自体が前日のものだった。せっかく外に出たのでラーメンを食べて帰る。夜はだらだらと動画を観ながら過ごした。

 

213日目/休み

土曜日。朝から診察。会社から提示してもらった今後の方針の何パターンかについて主治医に助言を求める。が、結局それは自分の人生なのだから決めるのは自分自身だと言われてしまう。まぁ、その通りだ。結局自分で自分の人生に責任を負うのが怖いのだろう。他人のせいにできる余地がある方が楽だ。しかし、この病気を治すためには、自分でちゃんと人生と向き合う必要があるのかもしれない。周囲の目を気にし過ぎた結果、自分で自分を追い込むことになり、その何年もの蓄積がこんなところへ自分を連れてきたのだとも思う。自分の人生に責任を負う勇気を持ち、むしろその自由を楽しめるようになりたい。早めの昼食を食べて帰宅。午後から職場の上長とWEB面談。自分で決めて、異動の希望を出した。異動したからと言って事態が好転するとは限らないが、ダメになったら実家に帰ればいい。やれることはやっておく。これが自分のスタイルなのだと思うことにした。夕方頃、ふと散歩したい欲に駆られ、電車に乗ってある神社まで足を伸ばす。神社は静かで、少し物悲しさがあった。誰かが池のほとりで横笛の練習をしていた。近くにある公園では子供や老人がたくさんいて、それぞれに土曜の夕刻を楽しんでいた。自販機で買ったアイスを食べながら少し広めの公園を一周する。自分が人生に求めるものはそんなに多くない、目の前のような景色が見られるだけで充分なのに。そんな感覚を久しぶりに覚え、何だか切なくなる。散歩から帰宅して夕食にお寿司を食べた後、両親と電話。診察のこと、会社のことを伝え、状況が少しずつ変わっていくことに安心してくれたみたいだ。でも、「あまり期待しないで。いつでも実家に帰ってきて良い、というスタンスを崩さないで」と伝えた。申し訳ないけれど、そこだけが今の自分のセーフティネットなのだ。自分が心で求めているものと、自分が目指そうとしているものにまだまだギャップがあるのかもしれない。今日の夕方みたいなものを求めているとして、自分が会社に残ることで得られるもの・我慢しなければならないもの、その間には隔たりがあるように感じる。本当に自分は自分の意思で「異動」という選択肢を選んだのだろうか。何というか、まだまだ自分の中にある自分を監視する「目」の言いなりになっている気がする。夜に久しぶりに酒を飲んだ。日が変わるまで酔っ払って過ごし、遅くに眠る。

 

214日目/休み

日曜日。心が疲れていたせいか、あるいは昨日の深酒のせいか(二日酔いではないと思う)、ずっと眠たくて起き上がることができなかった。元sora tob sakanaの神﨑風花ちゃんが再開したTwitterでおすすめのアニメを募集しており、それに対するコメントで多かった「ゴジラS.P」を観ながら、寝たり起きたり。夕方までそんな低空飛行を続ける。夕食を買いに出たが、それが本日唯一の外出。ブログを更新し、その後はまたダラダラとして過ごす。夕方にシャワーを浴びたので夜はお風呂に入らなかった。入眠ルーティンもせずだらだら動画を観続けていたらいつの間にか夜中の1時を回っていた。バナナマンのラジオを聴きながら眠る。何もしない1日だった。寮の廊下を抜ける風がどこか切なくて、感傷的な気分に支配されていた。

 

215日目/43日目

月曜日。昨晩は寝るのが1時過ぎだったため、少し遅めの起床。本日もテレワークの為、気持ちはかなり軽い感じ。テレワークの開始について上司と連絡を取ったところ、「やることないならそんな朝早くから始める必要ない」と言われたので、予定より遅く開始することに。今日働かなかった分はどこかで残業しないと勤務時間が足りなくなるので、できることなら毎日規則正しく勤務したかったが、まぁ上司なりの気遣いなのだろうと思い素直に受け入れることに。会社から持って来たBluetoothのマウスの電池が切れたため、朝一でコンビニに買いに行った。それからテレワーク開始時間までは創作物を書いたりなんだりしてゆっくりと過ごす。土曜から少し感傷的な気分になっていて、ともすれば希死念慮が湧いてきそうだったけれど、買い物と文章を書くことで若干気分が好転したように思う。業務自体はまたダラダラと負荷がかからない程度に済ませた。急ぎの要件も早めに片付いたので一安心。疲れたらベッドに横になって休憩したりしながら無理なく働けたと思う。夕飯を食べた後はだらだら動画を観て過ごす。途中で眠気に襲われる。今日こそちゃんと寝るために風呂に入り、入眠ルーティンをこなす。明日は出勤なので英気を養いたい。

 

216日目/44日目

火曜日。3時50分頃に中途覚醒があるも、久しぶりにたっぷりと眠れた感がある。寝起きから若干の頭痛があり、やはり職場に行きたくない気持ちが症状として現れているのか。希死念慮まではいかずとも、何となく疲労感があり、心がなよなよしている。職場では朝方に苦手な上司から指導があったものの、「これはアドバイスに過ぎない」、「別にすぐにできるようにならなくても大丈夫」と自分に言い聞かせ、平常心を保つ。テレワークの時はフレックス勤務のコアタイムだけを勤務時間として欲しいと上司から打診があった。基本的に残業少なめにしている私の現状ではテレワークの度に勤務時間がマイナスになってしまうけれど、と意見してみたが、「そこはうまくやってマイナスにならないようにしてくれ」とのこと。ちょっと無理難題だと思ったけれど、やれるだけはやってみようと思う。おかげでこの日から出勤時にはそれなりの時間の残業をしなければならない。業務量も調整してもらっているので、無駄残業のようになってしまって申し訳ないが、上司の命令ということで納得しよう。とは言え、この日は16時間ファスティングもやれ、残業前提で動いていたから焦ることも無く自分のペースを保つことができ、多少は体調に良い時間を過ごせただろう。拘束時間が長いことにはやはり疲れはしたが。入眠ルーティンをして、ほぼ時間通りに就寝。

 

217日目/45日目

水曜日。結構たくさん夢を見た気がするが、中途覚醒もほぼ無く眠れた。いつもより若干早い起床だったけれど、この日はテレワークで勤務時間もコアタイムだけなので、朝はゆっくり。部屋を暗くしたままベッドの中で「大豆田とわ子と三人の元夫」を観てから、ゆっくりと起きる。朝ご飯をちゃんと食べ、シャワーを浴び、それでもまだ時間があったので創作物を書き進める。そして、公務員試験の勉強も少ししてみた。政治とか金融とかは苦手分野なのでとても難しい。選択問題に出て来る言葉1つひとつがよくわかっていないので、調べながらの解答になり、亀の歩み。勤務自体は特段追い込まれることも無く、やるべきことをできる範囲内で進められたので良しとする。自宅でできなかったことをリストアップして明日に仕事を持ち越す。たいした量じゃない。休憩時間にはHSP関連の動画をいくつか観た。HSPが関わってはいけない人、という動画で紹介されている人物の特徴がほぼほぼ苦手な上司のキャラだったので、「もう無理に関わろうとしない方が良いな」と思う。自分も苦手で相手も苦手、そんな絶妙な距離感が私とその上司の適切な距離感というやつなのかもしれない。お互いの為にもそれくらいの感じでいた方が良いだろうと開き直ることにする。夕方買い物に出掛け、夕食後はだらだらと動画を観たり、創作物の校正をして時間を過ごす。今日も入眠ルーティンをしっかりとやって眠ろうと思う。

 

218日目/46日目

木曜日。夜中2時頃に中途覚醒があり、そこからも浅い眠りが続く。昨晩にふと「フラニーとズーイ」に出て来るバガヴァッド・ギータ―の一節「人は仕事をする権利を持っている。しかしあくまで仕事そのものに対する権利のみである。仕事の成果を求める権利はない。成果を求める欲望が、仕事の動機であってはならない。またそこに怠惰の入り込む余地があってはならない」を思い出す。今までこの言葉の意味を理解しきれていなかったが、少しだけ腑に落ちた気がする。働く以上は成果を出すべきだという考えが先行し過ぎて自分を追い詰めていたのかもしれない。強い目的意識が自らの精神を縛り付け、息苦しくなっていた。「こうすべきだ」という考え方はすなわち「成果を求める欲望」なのだ。それを切り捨てるべきだと感じた。この日は日勤からの夜勤の日。日中はここ数日の中では1番忙しなく、良く働いたと思う。疲れた。

 

219日目/47日目

夜勤前の休憩は1時間くらい浅い仮眠ができたものの、やはりなかなかじっくりと眠ることはできずに、疲れが残った。暇な時間の多い夜勤だったけれど、その間に普段はあまり話せていなかった同僚と2人きりで話すことができた。自分が苦手な上司や先輩を同じく苦手と言ってくれたので、少し安心。やっぱりあの人たちは良くない人たちなのだと思う。無理に関わろうとするだけこっちが不幸になると思った。こういう考え方はあまり良くないであろうことはわかるけれども、背に腹は代えられない。憎しみが生まれる前に良い距離感を保つことが相手の為にもなるだろうと思う。夜勤の後はやはりとても疲れて1日中寝たり起きたりを繰り返した。ぐっすり眠ることができなかったので体はかなり辛い。結局、ベッドの中で1日過ごし、そのまま風呂にも入らず歯も磨かず、寝落ちした。

 

2.カレンダーのまとめ

GW明け2週間の内容についてまとめました。この2週間はテレワークも多かったため、体調を上手く維持しながら切り抜けられたと思います。ただ、夜勤も2回あり、その度にとても疲れました。やはり夜勤は苦手なのだと思います。

仕事自体はそんな感じで何とか乗り切りましたが、GW明けすぐに色々と自体が展開しました。

まずは産業医との面談がありました。色々と発病の経緯や、もともとの私の人格的な傾向についても話し、「異動後2週間でそこまで異常が出たのはやっぱり人格的な傾向だけとは言い切れない。その異動初日での上司の態度にトラウマ意識があるから症状がなかなか治まらないという気がする」ということで、産業医の方から職場の上長に対して異動の打診をしていただけました。それまでは上長も「異動は最終手段」という風に考えていたようですが、その最終手段を使うべきなのだと理解してくれました。私自身、あまり異動には乗り気ではなかったのですが(なんか負けたような気がしますし…)、ようやく気持ちに踏ん切りがつけられたように思います。まぁ、その時にはもう会社を辞めるつもりでいたので、「辞める前にものは試しか」と思えたのも大きかったです。

その週の最終日にはたまたま若手社員が会社の上役と面談する機会があって、そこでも「異動について検討しているから安心して良い」と言われました。それから「うちの会社は色々と悪いところも沢山あるけど、人を大切にする会社であることは間違いないから、何でも言ってくれていい」と言ってもらえました。私が会社をなかなか辞める決心ができなかったのも、そういう風土の会社であると私も感じていたからでした。

今でもまだ会社を辞めたい、辞めよう、という気持ちは残っています。しかしながら、会社がそこまで譲歩してくれるなら、まだもう少しだけ頑張ってみようという気もしています。言えるうちに我儘を言っておこうと思いました。

ただ、やはり日々辛いことは辛いです。苦手な上司といかに関わらないようにするか。いかに落ち着いた気持ちで仕事をこなすか。いかに体調を安定させるか。正直そんなことばかり考えているので、毎日が綱渡りのようでとても疲れます。はやく実家に帰って休みたいと思ってしまいます。そして、どうしても夜勤はキツイ。肉体的にかなり疲弊しますし、それによって当然の如く精神面にも不調を来します。

職場の上長は「異動は検討しているがそうすぐに決められることでもない。時間がかかるから、それまで休職が必要なら休職してもらっても大丈夫」と言ってくれています。その一方で「有休とか使いながらでも良い。せっかく今の環境にいれるのだから、今の内に勉強できることはしておいた方が後々の役に立つだろう」とも言われました。その言葉自体には納得しているものの、納得できているからこそ少し危険も感じています。今の私がどれくらい頑張れるのか。無理をすればまた命を絶とうと衝動的な行動をしてしまうかもしれません。そうならないように、いつでもブレーキを踏む準備はしておかなければなりません。

 

そんな感じで、会社を辞めようと決心したGWでしたが、その後産業医との面談や会社の上役の方との面談を通して少しだけ気持ちが変わったこの2週間でした。

まだまだどうなるか私自身わからないものの、「辞めても良い」と思えたことは、いい塩梅に力を抜いて仕事と向き合うためにもとても重要なことだったと思います。会社がある意味では下手に出てくれたことも後押ししてくれている気がします。プレッシャーを感じずに働くというのが私の最も目指すべきところです。病気という後ろ盾があることはもちろんですが、仮に病気が完治しても、自分の気持ち次第でどうとでもなるのだと思います。病気は私が変わるためのきっかけなのだと思い、変化を恐れずやれることはやっていきたいと思います。もし、気持ちを楽に生活ができるのであれば、10年近く希死念慮に悩まされてきた私にも「生きたい」という気持ちが目覚めるかもしれません。そうなりたい、と今は思っています。そのためには本当に辛くなったら逃げるという選択を取るべきということも忘れずにいたいと思います。

 

3.安全基地と心理的安全性

ベンチに座る母親と一人で遊ぶ子供との間にはまるで1本のゴム紐による結びつきがあるようだ。子供は好奇心から母親から少しずつ離れて遊びの範囲を広げていくが、ある一定距離まで行くと不安からまた母親のもとへと戻って来る。そこで情緒が安定するとまた好奇心から行動範囲を広げていく。

これがすなわち、子供にとって母親が安全基地になっているという例らしいです。私の両親はいつでも率先してそういった安全基地であろうとしてくれていました。しかしながら、私のちっぽけなプライドや「周りの眼」に対する怖れから、私はそういったものを両親に求めないようにして過ごして来たように思います。それでもたくさん甘えていたとは思いますが。しかし、甘えることと両親に安心を感じることはまた別物なのだとようやく私にもわかって来ました。

私はずっと誰にも心を開くことができずに、他人との比較の中でしか自分の人間的な価値を見出すことができずにいました。大学生くらいになってようやく私はそうやった比較に対して嫌悪感を感じるようになり、そこからはより人間を嫌いになり、比較することすらやめて、1人きりの殻の中に籠るようになりました。誰にも本心は言わず、心の中で自分と社会に対してひたすら呪詛の言葉を並べていたように思います。

ですから、私はとにかく孤独でしたし、その孤独を受け入れようともがいていました。他人との比較を嫌うのであれば孤独を受け入れるよりほかないと考えていたわけですね。そして、私はいつしか「早く死んでしまいたい。消えてしまいたい」と思うようになっていました。それがさらに心と体に染みついていき、気がつけば「死ぬこと」が生きる目標になっており、「いつか自ら命を絶つそのときまで死んだように生きよう」という指針ができあがっていました。そんな10年近くを過ごしていました。

最も小さなコミュニティである親子関係ですら私はうまく構築できずにいたのだと三十路になってようやく気づくことができました。しかも、適応障害なんていう病気にかかって初めて気づけたのです。安全基地という言葉を知って、私に足りなかったのはこれなのかもしれないと思うようになりました。広い心で受け止めようとしてくれていた両親ともまともに向き合うことができず、私は差し伸ばされた手をはたき落とし、1人で孤独の中へと沈んでいたように思います。そんな状態はとにかく「不安」だったのでしょう。「不安」でいることを私は恥じ、強がり、とにかく私を孤独に仕向けた社会と自分自身の傾向とを憎みました。「不安」を抱えたまま生きることに嫌気が刺し、いつの間にか私は死を望むようになっていました。要するに、私は「安心」を求めていたのでしょう。

「安心できる場所」を私はずっと求めていました。しかし、それは私には既に用意されていたものだったのです。一人暮らしを始めてから、実家への帰省から帰って来た後はいつも心が塞ぎ込んでいました。私はそれを認めるのが嫌で気づかないふりをしていました。でも、おそらく私は実家に帰ることで安心感を得ていたのです。そして、そこから離れることに恐怖していたのです。「安心できる場所」が実家であるなんて恥ずかしくて、受けれることができませんでした。はい、全て私のつまらないプライドです。

ですから、「不安」であることを「当たり前」のこととして受けれるようにしていきました。孤独に不安に怯えていることこそが人生であり、その孤独や不安を取り繕うために、弱い自分を隠して強がることがこの社会で生きていくということなのだと考えていました。そして、そんなハードモードを強いる社会を憎み、人生というものを呪い、できることなら早く死んでしまいたいと思っていたわけですね。

会社に勤め出し、私は誰も私の事を知らない新しい場所へとまた放り込まれました。何とか私はそこでまた外面ばかり良い自分をコミュニティの中に作り上げることに終始しました。おかげで1つ目の職場ではどうにかこうにか信頼関係を構築できたと思います。それでも私はやはり誰にも心を開くことができず、優秀で感じの良い人を装いながら、心の内では常に死ぬことを願っていました。いつまでも「安心」することができず、「この孤独は誰にも理解されまい」といつも仲良くしている人たちですら恨んでいました。そして、どんどんと私が「安心」するために頼れるのは、自らの「外面」だけになっていきました。その「外面」が機能しなくなったら…と考えると恐怖心が巻き起こりました。そんなときに私のもとへ転勤の辞令が出されたわけです。

私の職業柄いつまでも同じ土地に留まれないことはわかっていました。ですから「仕方ない」とは思いつつも、ようやく作り上げた「外面」がまたリセットされることには恐怖しました。新しい場所でもまた頑張って「外面」を作り上げなくては、と自分で自分を追い込み、いつの間にか強迫観念のようなものができあがっていたのです。そして、運悪く私が新しく配属されたところは、古い体質のパワハラまがいの教育が横行している場所でした。私の「外面」は否定され、不安は最高潮に達し、私はパニックになってしまいました。

結局、私は会社を休職することになり、実家に逃げ帰りました。

そして、何か月もかかって私はようやく自分の心を両親に打ち明けることができるようになってきました。そうしてやっとのことで私は自分には「安全基地」がなかったのだと気づくことができました。

そこからは少しずつ「実家」を私にとっての「安全基地」に変えていくことを始めたように思います。最初のうちは「もう両親しか頼れない」という気持ちでしかありませんでしたが、徐々に「自分で自分の認識を変え、両親を頼れる人たちにしていこう」という風に思うようになっていきました。そうしているうちに「安全基地」という言葉に出会ったのです。

さらに色々と調べ「心理的安全性」という言葉にも出会いました。主に「アンガーマネジメント」などで知られるこの言葉ですが、まさに私の今の職場はこの「心理的安全性」を一部の人たちが独占しているような職場でした。縄張り意識が強く、外部からやって来た私に対して最初はその排他性が強く出ており、それ故に私も「早く認められなくては」と焦ってしまったのです。もちろん根底には私自身の「安全基地がない」という問題もありましたが、そのような私自身の傾向と「心理的安全性」の不足した職場環境が相まって、私は適応障害なんてものになってしまいました。

 

今は自分自身で「両親」という入口から「安全基地」を作り上げる努力をしていこうと考えています。それと同時に会社ももう少し「心理的安全性」の高い場所へと配置換えを検討してくれています。もし少しでも私の中で「安心感」が向上するのであれば、私もまだ生きていくことができるのかもしれません。こんな歳になってから、また両親との関係を一から構築していく恥ずかしさや見っともなさも感じますが、正直これが乗り越えられなければ私はまた自死を試みるよりほかないでしょう。会社に我儘を言うことも本当に情けない限りです。でも、そこからでしか私は再出発できないのでしょう。

人生をもう一度やり直すくらいの気持ちで、しっかり前を向いて生きていこうと思っています。

 

4.最後に…

私は「フラニーとズーイ」という小説が大好きです。その中でバガヴァッド・ギータ―の一節が引用されています。

 人は仕事をする権利を持っている。しかしあくまで仕事そのものに対する権利のみである。仕事の成果を求める権利はない。成果を求める欲望が、仕事の動機であってはならない。またそこに怠惰の入り込む余地があってはならない。

 至上の主に心を定めてすべての行為をおこなわなくてはならない。成果にしがみつく心を捨てなくてはならない。成功に対しても失敗に対しても等しく平常心を失ってはならない(この部分に筆記者の一人の手で下線が引かれている)。なぜならヨーガの意味するところは、この平常心であるからだ。

 結果を案じつつ為された仕事は、そのような心配なしに、自己放棄の静けさの中でなされた仕事よりも遥に劣る。ブラフマンの知に避難場所を求めよ。結果を出すために利己的に仕事をなすものは惨めだ。

 

私はここで述べられているところの「結果を出すために利己的に仕事をなすもの」にあたるのだと最近気づきました。つまり、私は「外面」を整え、即席の安心感を得るために「結果を案じながら」でしか仕事をしてこなかったように思うのです。仕事さえ上手くできれば、私には居場所がありますし、それが私の根本的な不安を隠すための「即席の安全基地」として存在してくれていたわけです。しかし、そんな「即席の安全基地」を得るために私は常にびくびくしながら働かざるを得ませんでした。いつも自信がなく、失敗を恐れ、成功しても次に失敗することがより不安になるだけでした。正直、とても生きづらかった。そんな生き方は息苦しく、早く死んでしまいたかった。

でも、もうそういう生き方はやめようと思います。私はただ仕事を為すだけであり、そこに色々な意味を結び付けないようにしたいと思います。そうしなければ弱っている私はまたその息苦しさに負けて、死のうとしてしまうでしょう。

私にはまだ両親という安全基地が残されています。最悪はそこに逃げ込めるのです。決して無理をせず、まずは自分を大切にして、これから先は少しずつ自分が生きやすい人生を作って行きたいと思います。

 

次回

eishiminato.hatenablog.com

適応障害と診断されまして… vol.63

適応障害と診断されて213日目(5月15日)の午後にこの記事を書き始めています。

 

前回

eishiminato.hatenablog.com

 

前回はGW前までの内容を振り返って書きました。

今回はGWに考えたことなどを振り返りたいと思います。ちなみに、GW実家に帰ってゆっくり生活しておりましたので、これから書くことはいずれも実家でのお話です。

 

 

1.GW中にしたこと

誠に残念なことにGW中は心行くままゆったりとした生活を送っていたために、日記をつけていませんでした。なのでいつものように日割りのカレンダーで書き記すことができません。昨日のような今日があり、明日のような今日がある、といった感じで取り留めのない日々を過ごしておりました。その中でも色々と心に残っていることを時系列的整合性を無視して書き並べたいと思います。

 

実家の部屋掃除

GW中に唯一頑張ったことと言えば、実家の掃除です。先日母方の祖母が亡くなり、いま現在母方の祖父は1人で暮らしています。母としてはその事が気掛かりであり、できることなら一緒に住みたいという風に考えているようです。私もそうした方が良いだろうなぁと思っています。もちろん、父は多少気疲れするかもしれませんが。

ただ実家はマンションであまり広いとは言えない間取りのため、一緒に暮らそうと思ってもなかなか難しい面があります。私が問題なく生活していれば私の部屋を使ってもらって良かったのでしょうが、生憎私はこんな状態ですし、タイミングというのはなかなか難しいものだと思わされますね。

ただ色々と部屋を整理していけば何とか一緒に暮らせるのではないかとも考えています。特に母に至っては祖父と一緒に暮らすことを理由に家を買い換えることまで考えているようだったので、それもまぁ全然良い選択肢ではありますが、金銭面的な課題もありますからね。なので、まずはできることから始めてみよう、ということで実家の掃除を本格的に進めました。

母は既に仕事を辞めているので時間があるように思えますが、それでも1人で本格的な掃除をやるというのは絶対に疲れることですし、必然的に時間が有り余っている私も手伝うことになりました。というか、私の方から何とか母の重い腰を上げさせ、まずは両親の寝室から大掃除を始めました。実際に掃除を始めてみるといらないものが多く、特に「これは誰々からの貰い物で…」と捨てられずにいるものがたくさんありました。譲ってくださった人には申し訳ない思いもありますが、使えるものと使えないもの、使うものと使わないものを決めて一気に捨てたり売ったりしました。新婚旅行のときに使った海外で使えるドライヤーやアイロンなど、約30年前の代物などもあり、母としては少し懐かしさもあったものの捨てることにしました。何でも多少は思い入れがあるものですから捨てるのには心苦しい部分もありました。が、やはりより家を快適にしたいという思いの方が強く、断腸の思いで整理を進めます。

別日には私の部屋の掃除もしました。遊び尽くした家庭用ゲーム機なども全部処分しましたし、習い事の道具、小学校の習字道具なども全て処分しました。夏休みの課題で作り郵便局長賞を貰った貯金箱なども捨てました。もしも私の人生の軌跡を残すのに十分なスペースの飾り棚などがあれば取っておいても良かったのですが、生憎そんなものはありません。なので、もう思い切って全部捨てていきました。思い出として残しておいても嵩張らないもの、本当に大切なもの以外は処分しました。今では小中高と使い続けた勉強机も椅子も棚もありません。そのようにして、大学入学時から徐々に物置小屋と化していった私の部屋も随分とすっきりしました。

 

そんな風に掃除を進める中で頭の片隅にあったのは、「清算」という言葉です。GW前に私はまた自殺未遂をやっており、正直なところいつ死ぬか自分でもわからない状況です。もし私が死んでしまったら、父や母には私の部屋を掃除することなんてできないでしょう。あるいは思いを断ち切るために、一気に全部捨てるということもできたかもしれませんが……いや、きっとできなかっただろうと思います。

せめて私が死ぬときには私の部屋がある程度片付いていた方が良いだろうと思いました。「やれることはやれるうちにやっておこう」という気持ちがありました。

ただそういった投げやりな気持ちだけでなく、「これまでの人生を清算したい」という気持ちもありました。これまで私は「生きること」を恐れて生きてきたように思います。人生というものと真っ直ぐ向き合わずに、人に言われるがまま嫌々生きてきたのです。でも、この適応障害という病気になって、少しずつ「ちゃんと生きよう」と思うようになりました。ちゃんと生きるためには、ちゃんと「生活」と向き合わなくてはなりません。どうやったらより快適に生きることができるだろか。そんなことを考えるように段々となってきたように思います。

そのような「より快適に」という個人活動の一環として、この大掃除というのは非常に大切なもののように思えたのです。そして、この「より快適に」というのは母の当面の目標である祖父と一緒に暮らすということにも繋がると思います。私の部屋が多少なりとも片付けば、私が実家にいない間は祖父に使ってもらうこともできます。これはきっと生活における選択肢の幅を広げることにも繋がるんじゃないでしょうか。

 

山のように出たゴミは車で直接清掃センターに持っていき、一気に捨てました。初めて利用しましたが、捨てる前と捨てる後の車の重量を比較して10kgあたり60円という低価格で即日処分ができるのです。とても便利ですし、粗大ごみで出すよりも安いし楽チンで、何より爽快感がありましたね。結果、GW中に何回か清掃センターに赴き、およそ100kg近くのゴミを処分したんじゃないかと思います。

そんな大掃除が今年のGWの大きなイベントの1つでした。コロナだからこそできたことかもしれません。

 

家の見学

上でも書きましたが、母は家を買い換えることを考えており、不動産屋のキャンペーンに参加して色々な家を見て回っていました。新築物件や売り出し中の物件を見学することでキャンペーンに応募でき、抽選で当たれば、自分が家を買う時にかなりの値引きがあるというものだそうです。不動産屋としては購買意欲を掻き立てることができるので、Win-Winなイベントと言えますね。

私もそのうちの1つの家を母と見学に行きました。お医者様が新築で建てた家を見学しましたが、なかなか凄いこだわりを感じる家でした。広いガレージやテラス、ドデカいアイランドキッチン。太陽光発電システムが搭載されていたりもしましたね。お金があればこんな家にも住むことができるんだーと何だか感慨深さがありました。

ただ不思議と「この家に住みたい」とは思わなかったんですよね。その理由はやっぱり人それぞれ理想とする家があるからなんでしょう。私の場合、6~7畳くらいのスペースがあれば十分かなぁと思っています。基本的に物は少なくて良いという考えですし、狭い部屋の方が落ち着きます。あぁ、でも本棚とCDの棚は欲しいですかね。でも、それ以外は本当に別に贅沢したいとも思いませんし、広いスペースがあっても散らかす場所が増えるだけです。実際、学生時代にはちょっと広めの部屋に1人暮らししていたのですが、ほとんどゴミ屋敷みたいな感じになっていました。スペースがあっても何だか落ち着かなくてゴミで埋めてしまうんでしょうね。

ただ、そんな風に生活していた理由の1つには、「生活に時間をかけたくない」という気持ちがあったからだと思います。別に生きていたくないし、いつ死んでもいい。だから生活に時間や労力を割くくらいなら、1冊でも多く本を読みたいし、1秒でも長く音楽を聴いていたい。そんな考え方をしていました。

適応障害になってから、部屋が綺麗になった気がします。それはもちろん、病気休暇中に暇だったから部屋の掃除をするようになったということもあるのですが、少しずつ「生活」というものに向き合えるようになってきたからだと思います。基本的にそれまでの私は「生活を向上させたい」なんて思いは全く持っていませんでした。「生活を向上させたい」なんてものは愚かな欲でしかないと考え、切り捨てていたのです。「自己実現」なんてものは卑しいエゴでしかないと考えて、軽蔑していたのです。でも、「生きる」ってそういう投げやりなことではダメだったんですよね。生活パターンでも、考え方でも、具体的な身の回りの物でも、「昨日よりもちょっと良く」と考えて実行するからこそ「生活」というものが作り上げられていくのだと思うようになりました。

私にとっては毎日が生きづらく、息苦しく、こんな人生なんて生きるに値しないと思っていました。それは私だけが他人と比較してどうこうということではなく、本気でこの世界のありとあらゆる生活が無意味に思え、誰一人として生きる価値などない。なんでみんな平気な顔して生きているのだろうと不思議で仕方ありませんでした。

でも、簡単な話で「生きづらい」のであれば、「生きやすく」変えていけば良いのです。そして、みんなそうやっているからこそ「生きて」いけるのだと何となくですがわかってきました。ありきたりな言葉ですが「生きるために生きている」という感覚が少しずつわかってきたのです。私にとっては「こんな世界でなんて生きていけないよ」と考える方が、真っ直ぐ人生と向き合うよりも楽だったから、そういう生き方を選んでいたのだと思います。生活のあれやこれやを考えることが面倒だったから、そんなこと考えないで良いように、楽をするために、本や音楽の世界に逃げ込み、生きることから逃げ続けていました。まともに「生きよう」と思っていない人にとっての日々はただただ堕落していく息苦しいものでしかなく、そんなことを続けていたらいずれ死んでしまいます。だから、私は毎日「死」に捉われて生きていました。

家の見学会から話は逸れましたが、掃除の話と合わせて、そんなようなことが肌身を通して実感できたのは、このGWの1つの成果と言える気もします。

 
母方の家系を辿る、母を知る

祖父と母と一緒に母方の実家の方に行ったのも良い思い出です。

祖父の従姉妹にあたる人に初めて会いました。世間話をしたり、物のやり取りをしたり、そんなことをして1時間近くをその人の家で過ごしました。親戚や近所の話がメインで私にはわからないことばかりだったのですが、こんな私にも色々なところに血の繋がりがあり、そのおかげで今の私がこうして存在しているのだと改めて認識させられました。帰り際には庭に生えているタケノコを鍬で掘り返してくれました。タケノコご飯にして美味しく頂きました。

そして、いま私が会社の寮で暮らしている辺りに実は遠縁がおり、母も幼い頃は近くまでたまに遊びに来ていたということもそこで初めて知りました。母の子供の頃の話を聞くことはそんなになかったので、それも何だか新鮮で面白いものでした。

そんな母の実家探訪とは別に、帰省後すぐに母と晩酌を交わしながら色々と深く話し合う時間も設けられました。それまで私はどちらかと言うと自分が考えてきたことなどを両親に対して話すような人間ではありませんでした。それは反抗期と言うほど強く出てはいなかったと思いますが、何と言うか「こういう息子であればそんなに問題ないでしょ」と思われるような言動をしてきたという気がします。いや、そんなに褒められるような息子ではなかったと思いますが、「あまり深いところまで干渉して来ないで」というバリアを張っていた気がしますね。両親だけでなく、ほとんどあらゆる人に対して私は心を閉ざして来た気がします。

最初はただの気恥ずかしさや面倒くささというくらいの理由だったと思いますが、大学に入ってからというもの私の頭上にはずっと希死念慮のようなものがあり、それはほとんど私の人格の全てを覆っているように感じていました。でも、誰かと人間関係を築く上ではその希死念慮を大っぴらにすることはできません。常に私には「隠さなければいけない本当の私」というものがあったように思います。本当はずっと「死にたい」と考えており、私の頭の中は死生観や生きる意味といったことでパンパンだったにもかかわらず、それを誰かに対して話すことはできなかったのです。なぜならそんなことを話せば「重い奴」と思われ、遠ざけられると思っていたからです。

当然ながら両親に対しては希死念慮のことなんてそう易々とは言うことができません。それは両親を最も悲しませることであるでしょうし、打ち明けたところで私の本当のところを理解してもらえるとは思いませんでした。この「どうせ理解してもらえない」というのは両親に限ったことではありませんでした。故に、私は自分でも気づかないうちに人間不信のような状態になっていたのかもしれません。そのような状態でありましたから、私の中でどんどんと孤独感というものは大きくなっていき、私は私個人の裁量によって自らの命を終わらせるのだという考えに捉われるようになってきました。

そんな堕落していく生活の中で、私は適応障害という病気にかかりました。

自殺未遂までやらかしたところで、もはや1人の力ではもう一度社会生活を営むことなどできない状態にまでなりました。そこで「もう潮時だろう」という感じで、少しずつ両親に対して私がこれまでどういう気持ちで生きてきたかということを話すようになっていきました。

今回のGWでは、特に母とたくさん会話を重ねました。子供が親に言ってはいけないであろう、「死にたい」という気持ちについてできるだけ丁寧に説明しました。同時に、これまでの人生の様々なポイントで私が感じていたことを話しました。悲劇のヒロインを気取っているわけではありませんが、私にはそもそもの根本的な欠陥があるのだということを話しました。ずっと深い人間関係を避けてきたこと、心を開くことに臆病になっていること、そんな自分の矮小さを隠すことばかりに躍起になっていたせいで、もう疲れ果ててしまったこと。今はもう一人では立ち上がることが困難で、バックアップをしてもらわないと、まともに社会生活を営む勇気も出ないということなど。

本当に情けない姿を沢山見せたと思います。それでもとりあえずのところ両親は私という言わば「負債」を背負う覚悟をしてくれました。私が仕事を辞めて実家に帰ることも受け入れると言ってくれました。その言葉でどれだけ救われたか。逃げ帰る場所があるということが本当に私にはありがたかったのです。冷たい海から引っ張り上げられて、船室で温かい風呂に入れてもらったような心地でした。

そんな風に色々と私の話をした一方で、母のことも色々と知ることができました。母の結婚する前のこと、母が結婚に至るまでのこと、結婚してからのこと。そんなことを色々と聞かせてもらいました。

そこで私はほとんど母のことを知らなかったのだと気づきました。いや、ただ知らなかったというだけではありません。私がほとんど母を信頼していなかったということにも気づいたのです。もちろん両親にはこれまでとんでもなく甘えてきました。金銭的なこと、生活のこと、色々な場面で両親に甘えてきたと思います。しかし、それは「ただ甘えている」だけで「信頼している」というわけではなかったのです。言わば、ただ餌を与えてくれる都合の良い人たちという風に心の底では思っていたのでしょう。本当にどうしようもない人間です。

しかし、こうして病気になって本当の意味で「頼りたい」と思ったときに、ちゃんと相手の事を知ろうと思いましたし、誰かと初めて腹を割って話すことができたと思います。普通の人たちが普通にやってきたことを私はこんないい歳になって初めてやったのです。「どうせ理解されない」と逃げずに、ちゃんと「理解してもらおう」と初めてちゃんと思い、そしてそれはただ一方的に私の考えを話すのではなく、相手の事をちゃんと理解しようという気持ちにも繋がったのだと思います。初めて「孤独ではない」という気持ちが芽生えたように思います。

 

少し大仰に言葉を連ねた気もしますが、だいたいの意味においてはそんな感じです。私はこのGWで初めて人と腹を割って話しました。そして、私がここに存在している因果の半分について、そのちょっとしたあらましを知ることができました。これからも少しずつ色々と両親のことを知れたらと思います。

そして両親だけでなく、誰かとちゃんとわかり合えるようになりたいと思います。人間関係を恐れず、まっとうに人と関われるようになりたいと思います。

 

2.仕事について

このGW中には、仕事をどうするかということについても沢山考えました。正直、これ以上仕事を続けることは苦しいと思っていたので、どうにかして辞める決心ができないかと考え続けました。

自分で言うのもなんですが、私のいま務めている会社は結構良い会社なんです。色々と時代から取り残されている感のある古い組織ですが、体力はありますし、福利厚生なんかも手厚く、また様々な経験をさせてくれる会社でもあります。良い人にも沢山会ってきました。夜勤や転勤といった問題はこれからも続いていくのでそれらは大きな不安要素ではありますが、上手くやれればとても「おいしい」会社であると私自身思っています。

しかしながら、今の私にはなかなかこの会社を続けていくことが難しい。苦手な上司、苦手な夜勤、苦手な業務とも向き合って何とか復職してから、周りに迷惑をかけながらも2か月近くやってきました。が、結局、GW前にまた自殺企図をしでかしてしまいました。もうそろそろ潮時なのかもしれないと思います。

続けるか、辞めるか。

私が健康であれば続ける方が圧倒的に賢い選択であると思います。健康でない現状であっても、休職とかしながら何とか続けた方が良いのではないかと思ってしまいます。しかし、そんな風に体調が上向かない時間をだらだらと続けることに価値はあるのでしょうか。年齢的にも転職を考えるのであればかなりギリギリのところです。今の年齢であれば、転職も比較的しやすい気がしています。続けられるなら続けた方が良い。ただ、こんな体調で続けていくことが現実的に可能なのか。いっそのこと思い切って転職をしてみた方が良いんじゃないだろうか。でも、転職活動も上手くいっていないし、転職したからと言って病気が確実に治るという訳ではない。結局、どの選択肢を取ってもリスクは伴う。ならば、どれが最もリスクが低く、妥当と思われる選択なのだろう。

そんなことをぐるぐると考え続けていました。

しかしながら、前の章で書いた通り、両親と腹を割って話す中で、父も母も仕事を辞めてニートでも何でも良いから、苦しむくらいなら帰っておいでと言ってくれました。今の仕事を続けられればお金もちゃんと稼げますし、色々なことを諦めなくて済みます。例えば、母の「新しい家を買いたい」という願いを叶えるにあたって、それを後押しすることだってできます。ほかにも所謂「良い暮らし」というものだって継続してやっていけます。幸運なことに私は社会人になってからというもの金銭面で困ったことは一度もありませんでした。何でもやりたいことはやれるし、お金があることで得られる自由というのにもそれなりに味をしめていたわけです。しかし、もし仕事を辞めて実家に帰れば、そういったものを諦めなくてはなりません。

でも、私の今の体調では何より欲しいのは「安息」なのです。「良い暮らし」なんて別段欲しくもありません。もともと物欲は小さく、本や音楽さえあれば、極端な話、散歩さえできれば私は幸福を感じることができます。ですから、もう色々なことを投げうって、実家に帰ろうかと思いました。

 

その考えをさらに後押ししたのが、「自分らしく生きる」ということでした。

ちょっと上に書いた通り、私は何でもかんでも「どれが1番確からしい選択だろうか」ということを考えてしまいがちです。まぁ、誰でもそうだと思いますが、なかなか自分の選択に自信が持てず、何かを選択するにあたって「理由」を強く求める傾向があります。

例えば今の私の現状で言えば、①休職せずに今の職場で頑張る、②休職を挟んで気持ちの整理をつけてから復帰する、③休職してその間に転職活動を頑張る、④会社を辞めて実家に帰る。という感じで、優先順位をつけてしまいます。④の選択肢を取るほど追い詰められてはいないと思う。③の選択肢が妥当かな…いや、でも②ならやれそうな気がする。てか、②と周囲に見せかけておいて③をやってみても良いしな。とは言え、①が絶対に無理かと言えば、もう少し頑張れそうな気もする。そんな風に自分勝手に優先順位をつけて、できるだけそれに準じようとしてしまうのが私という人間なのです。プライドが高く、変化することに対して勇気を持てない。だから、なかなか勢いで行動をすることができない。そして、そもそも多少苦しいのなんて当たり前なんだから、我慢できるのであれば我慢すれば良い、という考えが抜けないのです。

結局、人生というのは我慢の連続だと考えており、私の場合、その我慢を辞めるハードルがやけに高いのかもしれません。そして、そのハードルの高さは、私自身にプレッシャーをかけ、余計な必要以上のストレスを私に与えている気がします。

私の中には私を律しようとする目があり、そのせいで「本当はこうしたいのに」という行動をなかなかとることができず、そのことで余計なストレスを抱え込んでしまうのだと思います。誰でもそういう部分はあると思いますが、今の私はそれが少し強迫観念じみており、ちょっとでも「こうすべきだ」と考えるとそれに対してアレルギー反応を起こして、疲れやすくなったり頭痛が出たりするのではないかと考えています。

そして、そのようなステージから降りるためには、一旦そういうの中の「目」を殺すしかないのかなと思うようになりました。

つまり、自分の中では最も優先順位が低い④の選択肢をあえて取ることで、「優先順位通りに生きなくたって、意外と何とかなるもんさ」と肌で実感したいという風に思うようになったのです。「もう考え無しで会社を辞める」という行動こそが、ある意味「儀式」のようなものとして私には必要なんじゃないだろうか。そう考えてみてようやく私は「会社を辞めてもいいんだ」と思えるようになってきました。

GWの2週間の間、考え続け、そして実家を離れるときに「会社を辞めることになるかも」と両親にも話し、了承を得ました。

会社の寮に戻ってからは、地方時代にとても良くしてもらった先輩にも電話して「会社を辞めることになるかもしれないです」と話しました。すると、先輩も私の考えを認めてくれ、応援してくれました。

 

ここまでが、GW中のお話でした。

 

3.現状

GW中には「会社を辞める」決心をした私ですが、先週1週間会社に行き、そして産業医との面談や、会社の偉い人との面談を通して、少し考えが変わってきました。それについてはまた次回記事でお話ししようと思っています。

ただ、「もう会社を辞めても良いんだ」、「会社を辞めても両親が守ってくれる」という安心感が私の重荷をだいぶ軽くしてくれたように思います。そのおかげもあって、少しだけ会社で感じるストレスは小さくなった気がします。不思議なもので「辞めよう」と思うことで「続けられるかも」となったのです。

とは言え、やはりまだ体調は万全でないので、今回の記事を書き上げるのにもかなりの時間がかかってしまいました。土曜の午後から書き始め、本日日曜はほぼ1日中寝て過ごし、ようやく夕方頃になってからこの記事の執筆を再開した次第です。

まだまだどうなるか私も先が見えない状況ですが、色々な変化がありそうなので、それを不安に思うのでなく、「最悪実家に帰られる」という安心感のもと、少しでも楽しんでいきたいと思います。

 

最後に…

やはり少しずつ文章を書くのが下手になって来ている気がします。頭がうまく回らないと言いますか。早く健康になって、自分の思うような文章が書けるようになりたいです。

それと、少しだけまた新しい創作物を書き始めました。途中でダメにならずに最後まで書き上げられると嬉しいです。

 

次回

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適応障害と診断されまして… vol.62

適応障害と診断されて205日目(5月7日)の夜にこの記事を書き始めています。適応障害ブログを更新するのは久方ぶりになります。19日ぶりということになりそうです。

 

前回

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前回はまた首を吊ってしまったところで終わってしまっており、ちょっと残念な内容になっていたかもしれません。そのまま結局GWに入り、2週間近く実家であれこれと考えながら時を過ごしていました。

今回の記事は前回記事~GW直前の内容を遡って書き残しておきます。このGW中の2週間に考えたことはまた日を改めて記事にまとめたいと思います。

 

1.カレンダー

適応障害と診断されて…/復職して…

 

187日目/休む

月曜日。朝また母と電話しながら号泣。会社は休むことにする。10時になるのを待ってクリニックの当日予約をして、動画を観て過ごす。12時半から診察。担当医はいないとのことで、不愛想なお年を召したお医者様。「会社、産業医、担当医と話してください」、「なんでこのお薬止めたんですか?」などと少し高圧的な態度を取られてちょっと嫌な気持ちにはなったものの、たまには別の人に話を聞いてもらうのもいい機会だった。が、特に薬を処方してもらったわけでもないので、無理して外に出た甲斐はなかったように思える。まぁ、いい塩梅に疲弊してがっつり昼寝ができたのは良かったのかもしれないが。「賭ケグルイ双」を観ては寝てを繰り返す。また夜に両親と電話して号泣。もう気持ちがぐちゃぐちゃだし、どうして良いのか全くわからない。逃げた方が良いのか、それとも耐えるべきなのか。わからない。治ったら耐えなきゃいけない。治る意味がない。でも、治らないでこの苦しみが続くなら生きていく意味はない。どうして良いのかわからない。そんなことが頭をぐるぐる回っていた。

 

188日目/休む

火曜日。朝方また母と電話して号泣。また会社を休む。年始に処方してもらっていた残りの「サインバルタ」と「スルピリド」を服用してみる。上司には「ちょっと体調がマズい」と伝え、いつも世話をしてくれている職場の上長にも別途メールを入れる。午前中はまたアニメ「進撃の巨人」を観返したりして過ごし、午後に意を決して1時間ほど散歩に出かける。ただ歩いているだけだけど、ふらふらするし、気を緩めると涙がこぼれてしまいそうになる。それでも何とか散歩を完遂し、買い物もして帰って来る。そしてまた昼寝をしては動画を観てというサイクル。夜に両親と電話。今度は泣かなかった…と思う。実家に帰りたい。会社を辞めたい。社会活動は向いていないと思う。誰とも関わらずに1人で静かに生きていきたい。心身が健全な人たちを見ていると自分という存在を否定されるように感じてしまうのかもしれない。幸い、両親はいつでも戻ってきていいし、世話も見てやると言ってくれている。そういう風に逃げ道を作ってくれるのは本当にありがたい。これだけ悲しませているのに、それでも味方でいてくれる。家族がいなかったらとっくにまた首を括っている。むしろ死んで楽になりたいとも思ってしまうが、それでもまだ生きてはいるのだ。未来についてはわからないことばかり。わからないから相談をして、人のせいにしてしまえばいいのかもしれない。

 

189日目/34日目

水曜日。朝の体調はやはり芳しくないが、外には出られそう。会社にもぎりぎり行けそう。でも、無理しないように朝はゆっくりと時間を過ごした。とりあえず「大豆田とわ子と三人の元夫」2話を観て、感激してからの出社。サンドリ(有吉のラジオ)を聴きながら出社。心臓がばくばく言うし、頭痛や眩暈が朝から酷いけれど、クロチアゼパムを服用したり、休憩を多めに取ったりして何とか過ごす。幸い業務もそこまで重くなかった。職場の上長とWEBで面談もでき、自分の現在の体調を伝え、最悪の場合についても話すことができた。やはりそう簡単に配置換えはできないけれど、医者の見解で配置換えが妥当であるならばそれも不可能ではない。再休職は可能だけれど、結局越えなければいけないハードルは変わらないから、安易に休職はお勧めしない。もちろん、体調最優先ではあるけれど。まぁ、当たり前と言えば当たり前の内容を話したけれど、改めてどうすべきかの優先順位が見えてきたのでそれは良かった。いっそのこと「もう会社には置いておけない。田舎へ帰れ」と言ってくれればそれはそれで楽になれるのだけれど…そんなことを思いながらも、辛抱強く私という人間を見守ろうとしてくれていることが伝わって来て、本当にありがたいことだと感じた。帰宅後、両親と軽く電話して、今日の様子を報告。風呂に入り、ストレッチをして、3日分のこの日記をつけている。人騒がせで自分でも嫌になるけれど、今は割と気持ちが安定していると思う。ねぇ、なんであんなに暴れたんだい、自分よ。

 

190日目/35日目

木曜日。変な感じの夢を沢山見て朝からちょっと疲労感がある。そして、やはり朝はどうしても気弱になってしまう。実家に帰ってフリーター生活をしたいと考える。そんな夢想を抱きながら、水曜日のダウンタウンを観て、白湯をがぶ飲みして朝の支度。出社してしまえばちゃんとやるのに、どうしても出社したくないと思ってしまう自分の子供じみたところが情けなく感じられる。通勤電車がやはりストレスになっているらしく、職場に到着直後は体調が優れない。そして、頭が整理できずに仕事を順序立てられない(ワーキングメモリが凍結している感覚)。が、今日は苦手な上司がほとんど職場にいなかった。それだけで気持ちが軽くなる。あまり苦手意識を強く持ちすぎても、自分の精神衛生上良くないとわかっていても、どうしても「いなくなれ」と願ってしまう。昼にかけてやるべきことが続々と出て来るが、何とか対処できた。体調不良で急に休んでしまう可能性があるので、締め切りのある仕事が増えると追い詰められてしまう。でも、今日は「もし明日来られなくなったら、この仕事お願いして良いですか?」と相談できた。それも1つの成長、というか信頼関係が築けた証拠かもしれない。母が送って来た「嫌われる勇気」を読み始める。だいたいの内容は知っているし、中田敦彦YouTube大学やほかのところで触れてはいるけれど、せっかくなんで読んでみる。意外と好きな文体だと感じる。

 

191日目/36日目

金曜日。夜中3時前頃にまた中途覚醒あり。が、この日はもう割り切ってがっつりフレックスを使って朝はゆっくり過ごす。洗面台の掃除をしてから出社する。できるだけ気持ち穏やかに…と思いながらも、上司から「おめぇは信頼してねぇからな」などと言われて、気持ちを乱される。いくらそういう人だとわかっていても、本当は自信がないから高圧的な態度を取ってしまうのだろうと思ったりしても、まったくの無傷というわけにはいかない。深呼吸をしたり、トイレ休憩をしたりして気持ちを立て直しつつ頑張る。眩暈というか頭痛に合わせて頭がクラクラする感じがあるが、やらなければならない仕事をこなしつつ時間を後ろに流していく。退社後ラーメンを食べに行き、帰宅後は「嫌われる勇気」を読了。今週は3日しか働いていないがとても疲れた。

 

192日目/休み

土曜日。午前中は診察があり、首を吊ってしまったことなどを伝えたところ、休職を強く勧められた。また薬についても大幅に変更していく流れとなった。メイラックス(ロフラゼプ酸エチル)を1日1錠から0.5錠に減らし、やめる方向に。追加でスルピリドを1日3錠服用することに。また頓服薬はクロチアゼパムからペロスピロン塩酸塩に変更となる。昼食後帰宅し、職場の上長とWEB面談。医者からは休職を勧められたこと、薬が変更となったことを報告。GWが長く取れているので、GWにしっかりと休養し、GW明けにまた出社してからの体調を鑑みて再休職の時期は判断することにできた。その後、部屋の整理をしてから帰省。実家では母と2人で夕飯を食べつつ、これまでどんな風な気持ちで生きてきたか、今後どうやって生きていくべきかなど腹を割って話せた。母からも色々と過去の話を聞けて、意外とこれまで親子としての会話が少なかったのだと自覚する。少なかったというよりは自分が心を閉ざしていたせいで上辺だけの会話になっていたという感じか。結局のところ自分には人と深く気持ちを通じ合わせる勇気がなかったのだと思った。

 

2.カレンダーのまとめ

自殺未遂の後、結局体調を崩したまま月曜、火曜と会社を休んでしまった。まぁ、もうそれはそれとして。水、木、金と仕事をして土曜からGWに突入。今の職場はGW中は仕事にならないのでがっつりと休みが取れた。休み初日は診察などもあったが、それを済ませるともうすぐに実家に帰った。こんなご時世で県を跨ぐ移動は自粛するように言われているけれど、それでも今の自分にはコロナよりも差し迫った問題がある。自粛している皆さんには大変申し訳ないけれど、もし立場を代わってくれるならいくらでも変わってやりたいと思う。ごめんなさい、赦してください。

帰省中に適応障害ブログを更新する気になれず、久しく放置しておりました。心配やアドバイスのコメントをしてくださった方々、本当にありがとうございます。私は何とかまだ生きており、この2週間を使って沢山考え、そして沢山両親と話をしました。今後の私の人生がどのようなものになっていくかわかりませんが、色々と諦める代わりに自分らしい人生を作り上げたいという想いが今はあります。これまでの自分を完全否定するわけではありませんが、おそらく何かしら問題があったからこそ、こんな病気になってしまったわけで。もし治そうと思うのであれば、根本から見直し、自分の本当に生きたい生き方を探そうと考えています。

現職を辞することを6~7割くらいの気持ちで考えております。

GW明けには産業医との面談や、会社の上層部との面談(これは入社年次が若い者に対する定例的なもの)もあるため、そこで私が「この会社に残りたい」と思える何かを感じさせてくれたら残ることもやぶさかではない…みたいな少し上から目線のスタンスでいこうと思っています。もちろん、GWを挟むことで私の体調や気持ちが急激に好転した場合なども会社に残ることになろうかと思いますが、これはちょっと望み薄ですかね。ただ「もう辞めていっか」という精神状態の変容が、どの程度私の気持ちに変化をもたらすのかという部分もあるため、もう少しだけ検証期間は設けようと考えています。

このような考えに至った経緯について改めて記事をまとめられたら、と考えています。自分の思考を整理するためにも。私は何につけても書いてみない事には考えを整理できない人間のようなので。

 

さて、それでは今夜ももうパソコンは閉じて入眠ルーティンに入ろうと思います。おやすみなさい。

 

次回

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島田荘司「火刑都市」感想

島田荘司さんの「火刑都市」を読了したので、感想文を書かせていただきます。島田荘司さんの作品は「占星術殺人事件」、「斜め屋敷の犯罪」の2作しか読んでいなかったので、本作で3作目になりますね。

 

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火刑都市

 

島田荘司さんとの出会いは「占星術殺人事件」でしたが、こちらは大学時代のバイト先の社員の方からオススメしていただきました。それまではミステリーと言えば、東野圭吾伊坂幸太郎しか知らないくらいの普通の大学生だったのですが、ミステリーも読書も普通に好きでしたし、その社員の方のセンスも信頼していたので読んでみたところ「島田荘司すげぇ!」となったのが思い出深いです。

そんな島田荘司さんの「占星術殺人事件」を何年か前に父に勧めたところ、父も島田荘司さんにハマったようで、今回のGWの帰省時に「これ読んでみな」と本作「火刑都市」をカウンターパンチ的に勧められました。直前まで読んでいた東野圭吾さんの「白鳥とコウモリ」がテーマ小説として面白いとは感じていたものの、「もう少しがっつりミステリーものを読みたいな」と思っていたところだったので、「島田荘司」という名前にはとても惹かれるところがありました。これまで読んだ「占星術殺人事件」も「斜め屋敷の犯罪」もどちらかと言えば、完全犯罪のトリックを見破る類のお話で、御手洗潔シリーズだったので、本作「火刑都市」もそんな感じかなぁと思いながら読み始めたわけです。

 

 

1章の「紹介」ではネタバレなしで、本書の面白さを頑張って伝えたいと思います。本格的な感想を書くためにはネタバレは必要不可欠なので、それは2章に書きたいと思いますのでよろしくお願いします。

 

1.紹介

まず今回私が手に取ったのは、上記の画像の通り、「改訂完全版」の文庫本です。初版とかと読み比べたわけではないので、その点はご注意ください。

本作「火刑都市」は、「占星術殺人事件」や「斜め屋敷の犯罪」のように完全犯罪のトリックを見破る系のお話ではありません。それでも事件成立の要には密室トリックなどもあるので、その点の面白さも多少あると言えるでしょう。しかしながら、その密室トリック自体は比較的放置されており、どちらかと言えば「風土」や「土地柄」、「歴史」といったものを重厚な基盤としつつ、物語の背骨には「ある女性」の半生が連綿と続いています。

掴めそうで掴めない「ある女性」に纏わる真相を刑事・中村と一緒に追い続ける中で、越後(新潟)における日本海の風土の描写や、江戸と東京といった歴史的な知見を楽しめるという部分が魅力かと思います。私なんかはどちらかと言うと「土地柄」や「歴史」といったものに無頓着な方だと感じているのですが、それでもとても面白く読むことができました。ちょっと大人なミステリーという感じもしますね。

私が読んだことがある御手洗清シリーズではブラフなども沢山散りばめられており、その中から読者がうまく辻褄の合う要素を見つけ出し、その上で最後にはとんでもない発想でトリックを見抜かなければならないという部分を楽しめる小説でした。島田荘司さんから「読者への挑戦」と銘打って、本当に私自身が謎解き対決をしているような楽しさがありました。それと比べると、本作はブラフなどはほぼ無く、何となく展開の2手3手先が読めてしまう部分があったと言わざるを得ません。伏線が綺麗に張られているからこそ、読者目線としては刑事・中村に対して「そっちじゃないと思うよ~」と言いたくなってしまう部分も多少ありましたね。ただあくまで御手洗清シリーズのかなり挑戦的な内容と比べると…というだけであって、普通にミステリー小説として楽しむ分にはかなり面白いと思います。

 

事件は1件の放火事件から始まり、その放火によって夜警のガードマンが1人焼死してしまいます。ガードマンの普段の勤務態度や、鞄の中から睡眠薬が発見されたこと(ガードマンは睡眠薬を普段服用していない)などから僅かな違和感の残る放火事件ではあるものの、担当刑事の中村以外はすぐに関心を失ってしまいます。ただ刑事の中村だけはその違和感から、「これは殺しだ」と考え、1人で情報収集に奔走します。

そんな何とも言えない物語の入り口から、中村が見つけ出す小さな情報や推理を読者も一緒に追っていくことができます。そのうちにほぼ孤独に暮らしていた焼け死んだガードマンには結婚を考えていた「ある女性」がいたのではないかということが明らかになっていきます。そのようにして、この物語の主軸はその「ある女性」の捜査の様相を呈していきます。

言い忘れていましたが、本作の舞台は昭和五十七年であり、西暦で言うと1982年です。そんなわけで「ある女性」が捜査線上に浮上しても、なかなか情報を集めることができずに刑事の中村はもうあちこち歩き回らずを得ません。監視カメラも無いし、携帯電話の履歴なんてものもない。ちょうど上越新幹線が開通したくらいの時期です。歩き回って色々なところから証言を引き出したり、今ならネットで簡単に調べられるようなことも街中で見つけたヒントを人づてに辿り、その道の教授に直接会って事情を聞くなどしています。しかし、この歩き回っては色々とその土地土地の人から情報を集めるというかなり原始的なやり方が、この物語を一層面白いものにしています。

その面白さに拍車をかけているのが、その焼死したガードマンと「ある女性」の交友関係の狭さ、そして「ある女性」による徹底的な痕跡の隠滅です。そうです、なかなか事件解決の情報が集まっていかないのです。そのせいで刑事・中村はとことん歩き回り、結局その女性の居場所を突き止めるのに相当のページ数を要します。「ある女性」の目撃者を探す過程で苦労したり、その女性がガードマンから「○○」と呼ばれていたという小さな小さなヒントを何とか辿っていくのです。そんなちまちまとした前進により徐々にその「ある女性」の人物像などが明らかになっていく過程で、刑事・中村は越後(新潟)のとある日本海沿いの集落を訪れます。この冬の日本海側の寒村の描写がとても素晴らしく、おそらくは島田荘司さんが自ら取材に行ったと確信できるほど濃密かつ繊細で生きた描写であると感じました。
そこからまた捜査は東京に戻るのですが、この時点では事件の解決には至りませんでした。そんな中、別の放火事件が起こりました。これが連続放火事件の様相を呈していき、ここからは江戸から東京への変遷の歴史を下地にした難解な事件へと変貌していきます。ほぼほぼ第2章のスタートという感じになるのですが、こうなってくると事件はかなり複雑になっていきます。しかもどう考えても「ある女性」はその連続放火事件には関与していないわけです。アリバイもしっかりしています。

さらに最初の放火事件の関係者の1人が絞殺されるという事件まで起きます。

そんなわけでもう何が何やら、という感じで事件は入り組んでいきます。頭の片隅には常に最初の放火事件、そして「ある女性」の影があり、そこに関係者が絞殺されるという事件も絡んできていますが、その方面からの捜査は一向に進まない。反対に連続放火事件は社会をも巻き込みどんどん肥大化していきます。刑事・中村はそんな難事件を捜査する主役として奮闘します。

 

複数の事件や人物がどのように関連しているのか、その糸を解きほぐすことは結構大変です。そこに放火の密室トリックといった問題が残っていたりもしますし、そもそもの連続放火の目的や意味もわからない。そういった複数の事件を渡り歩く中で常に背後には「ある女性」の存在が見え隠れしています。ある時には主人公的な立ち位置で、ある時には不吉な影として。そして、物語が最終段階に入った時、その「ある女性」の半生と事件との関連性が明らかにされ、そこには何とも言えない香りが残ります。冬の日本海のような陰鬱さと、江戸と東京といったロマンを携えて…

 

と、ちょっと格好つけた言い回しをしてみましたが、私はこの「火刑都市」をとても気に入りました。舞台は昭和五十七年ではありますが、物語の核となっているのは「都会の孤独」と「女性性」という現代においても普遍的なものであることが全部を読み通すことで実感できます。すると、様々な伏線やトリック、そして事件同士の関連性といった問題を越え、さらに日本海と江戸・東京といった風土を含みながら、私たち人間の「人らしさ」に何とも言えない哀愁を感じるのです。

 

2.感想

1章「紹介」では、なかなかネタバレせずにということが難しく、物語のあらすじまで書いてしまった感はありますが、それでも私が物語の中で面白いと思った部分の経緯についてはだいぶ隠せたのではないでしょうか。ここからはネタバレも含めて、本作で面白いと感じた部分を書き並べていきたいと思います。

 

まず面白いのは「方言」ですね。序盤から主人公の刑事・中村が江戸弁を使うようになった経緯などが語られており、中盤では越後(新潟)の方言がかなり強めに出てきます。このような土着のものが本作では意外と捜査上の手がかりになっていたり、また物語の雰囲気を一段と盛り立ててくれています。

そんな「方言」へのこだわりが描かれながらも、まずはやはり越後(新潟)を刑事・中村が訪れたときの冬の日本海の寒村の描写が素晴らしいです。「火刑都市」というタイトルでありながら、文庫本の表紙はこの冬の日本海沿いの寒村の写真となっており、非常に寒々しい雰囲気があります。この寒々しく陰鬱な空気感と言うのは、「ある女性」、すなわちネタバレにはなりますが、渡辺由紀子の半生を描く上で非常に重要なファクターとなっています。ある意味ではこの陰鬱な景色こそが由紀子そのものであるかのように感じられ、本作の主題が東京と田舎の闘いというような側面も持っているように思います。

この風土を存分に活かすという特徴は、日本海の寒々しい風景だけでなく、江戸や東京について語られるときにも見られます。上京した由紀子が東京の北東から南西に移り住んでいく経緯などはとてもリアリティを感じましたし、そこにやはり同じ東京と言えど場所によって少しずつ風土が変わって来るという面白味も感じることができました。水商売をする人の実態についても、私は何も知りませんが、本作における説明で納得できる部分があったように思います。そして、特に事件の要にもなっている、「東亰」という歴史上のユートピアの存在は、私も初めて知り、なかなかに面白いものだと思わされました。正直、この辺り推理において、「東亰」というものを誤字と考えてしまったり、あれだけ堂迫との話や「飯田堀を守る会」の話で「堀」というものが示唆されているのにそれらの関連性に思い至らなかったりする刑事・中村の推理は、ややまだるっこしく感じてしまいました。もちろん、私たち読者はキーポイントだけ読んでいるためすぐに推理できますが、現実的には刑事・中村のもとには莫大な情報が入って来るため、それらを結び付けることが難しいということもあるのでしょう。ただ、そこはあくまでフィクションなので、もう少しスムーズに謎が解かれて行っても良いかなと思う部分もありました。特に、「地の水」云々の辺りは、すぐに旧外堀沿いだということに気付きそうなものだけれどと思ってしまいましたね。しかしながら、ある程度の数の連続放火が起こらない事には読者側も「やっぱりお堀だったんじゃん!」と納得できないため、致し方ない部分もあるのかという気もしますね。連続犯行ものの難しいところは、いかに飽きさせずに、かつ答えも隠しつつ、というところにあるのかもしれません。

あまり他の作品と比べるのは良くないと思いますが、同じ「連続放火」が題材となっているものでも、伊坂幸太郎の「重力ピエロ」なんかはその辺りが結構楽しめたように思います。あれもまた生物や遺伝子などの知見が得られて面白いお話でした。

話を戻しますが、本作「火刑都市」ではそのような「連続犯行もの」としての部分でやや展開が透けてしまった部分もありますが、全体としては終盤まで謎が謎を呼び、かつ答えにも辿り着けそうで辿り着けないというバランスの良さがあり、ミステリーとしても十分に楽しめたと思います。

 

そして、そんなミステリーの裏で面白味を感じさせるのが、上京してきた見てくれの良い女の子の半生です。由紀子の全くの何もないところから、名家に嫁ぐまでの紆余曲折が面白く、またそれを「捜査」というファインダーを通して見ることで、かなりぬらぬらと生々しい読み応えが出て来るような気がしました。東京という大都会で孤独に暮らしながら、己の容姿のアドバンテージを活かしてある意味では強く賢く生きてきた由紀子の姿は刑事・中村の目にも逞しく映る程でした。そして、そんな彼女が自分と故郷に残して来た母のために企てた土屋(ガードマン)殺しは、ほとんど完全犯罪になりかけていたわけです。

自らの幸福のために殺人を企てるという暗く強い意思、それから誰にも頼れずに1人で子供を産むという強さ、それらは冬の日本海を思わせるようであり、とても印象的でした。

それと同時に、3人の男に対する由紀子の想いや行動というのも非常にどろどろとしていて何か感慨深さがありました。異母兄妹かと思われた連続放火犯の源一に関しては、そのいわゆる「クズっぷり」から一度逃げているものの、彼の子供を生み、そして結果的には彼との子供を守るために彼を殺し、それだのに唯一惚れて愛した男としています。対して、東京で初めて人の優しさを与えてくれた土屋に関しては、彼との結婚を考えながらも、より経済的な優位性のある永井との結婚するために、結果的には別れるどころか殺すまでしているのです。名家の長男である永井に関してはもう完全に金目当てですり寄っています。彼と結婚するために身を粉にして働き、痩せ細る程の努力を由紀子は行っています。

この異なる3人に対する由紀子の想いは全く共感できないようで、だからこそリアリティのようなものを感じずにはいられません。「惚れる」とかそういう感情というのは、優しさでもお金でもないのだと訴えているようです。

最後の由紀子の証言まで聞いてから、中盤にある刑事・中村と由紀子の喫茶店でのやり取りに戻ると、「なるほどなぁ」と思わされますね。

小説の結びでもその場面の事が語られており、「いつか喫茶店で由紀子が無いタンは、どういう理由でだったかなと思い出そうとした」と書かれていますが、確かにその場面を読みながら「どうして由紀子は泣いているのだろう」と私も読みながら不思議に思っていました。あの場面で、中村は「土屋を愛しているのか」「永井を愛しているのか」と由紀子に聞きましたが、彼女はその両方に対して上辺だけで返答しているようでした。そして、源一の写真を見せられた時だけ涙を見せているのです。

この不思議な対応はそっくりそのまま最後の場面へと繋がっており、ある意味では「連続放火」だとか「密室の放火トリック」だとかよりもずっと良く出来たミステリーになっていると思わされました。

 

文庫本の裏には「都市論を巧みに盛り込んだ社会派ミステリーの傑作」とありますが、確かにその通りであり、「東亰」というユートピアについての論説は非常に面白いポイントでした。ただ「都市論」とはそのような部分だけでなく、日本海の寒村と大都会の間にあるギャップや、東京の中での風土や歴史という意味でも非常に面白味を感じさせる作品でした。そして、その骨格、というか背骨にあたるのはやはり由紀子という女の半生であるように思われました。

総じて、「良い小説を読んだなぁ」という感じですね。とても面白かったです。

 

3.最後に…

このGWには、東野圭吾の「白鳥とコウモリ」に続き、島田荘司の「火刑都市」を読んだわけですが、どちらもなかなかに社会派な作品でとても読み応えがありました。特に「火刑都市」は気に入りましたね。個人的には「占星術殺人事件」よりも好きなタイプの小説でした。ただただ謎解きだけではない、風土や歴史、そして人生を濃密に描いている作品という感じがあったからだと思います。

そろそろGWも終わってしまいますが、こうして本が読めることの幸せを噛みしめながら暮らしていきたいと心底思いますね。