霏々

音楽や小説など

適応障害と診断されまして… vol.63

適応障害と診断されて213日目(5月15日)の午後にこの記事を書き始めています。

 

前回

eishiminato.hatenablog.com

 

前回はGW前までの内容を振り返って書きました。

今回はGWに考えたことなどを振り返りたいと思います。ちなみに、GW実家に帰ってゆっくり生活しておりましたので、これから書くことはいずれも実家でのお話です。

 

 

1.GW中にしたこと

誠に残念なことにGW中は心行くままゆったりとした生活を送っていたために、日記をつけていませんでした。なのでいつものように日割りのカレンダーで書き記すことができません。昨日のような今日があり、明日のような今日がある、といった感じで取り留めのない日々を過ごしておりました。その中でも色々と心に残っていることを時系列的整合性を無視して書き並べたいと思います。

 

実家の部屋掃除

GW中に唯一頑張ったことと言えば、実家の掃除です。先日母方の祖母が亡くなり、いま現在母方の祖父は1人で暮らしています。母としてはその事が気掛かりであり、できることなら一緒に住みたいという風に考えているようです。私もそうした方が良いだろうなぁと思っています。もちろん、父は多少気疲れするかもしれませんが。

ただ実家はマンションであまり広いとは言えない間取りのため、一緒に暮らそうと思ってもなかなか難しい面があります。私が問題なく生活していれば私の部屋を使ってもらって良かったのでしょうが、生憎私はこんな状態ですし、タイミングというのはなかなか難しいものだと思わされますね。

ただ色々と部屋を整理していけば何とか一緒に暮らせるのではないかとも考えています。特に母に至っては祖父と一緒に暮らすことを理由に家を買い換えることまで考えているようだったので、それもまぁ全然良い選択肢ではありますが、金銭面的な課題もありますからね。なので、まずはできることから始めてみよう、ということで実家の掃除を本格的に進めました。

母は既に仕事を辞めているので時間があるように思えますが、それでも1人で本格的な掃除をやるというのは絶対に疲れることですし、必然的に時間が有り余っている私も手伝うことになりました。というか、私の方から何とか母の重い腰を上げさせ、まずは両親の寝室から大掃除を始めました。実際に掃除を始めてみるといらないものが多く、特に「これは誰々からの貰い物で…」と捨てられずにいるものがたくさんありました。譲ってくださった人には申し訳ない思いもありますが、使えるものと使えないもの、使うものと使わないものを決めて一気に捨てたり売ったりしました。新婚旅行のときに使った海外で使えるドライヤーやアイロンなど、約30年前の代物などもあり、母としては少し懐かしさもあったものの捨てることにしました。何でも多少は思い入れがあるものですから捨てるのには心苦しい部分もありました。が、やはりより家を快適にしたいという思いの方が強く、断腸の思いで整理を進めます。

別日には私の部屋の掃除もしました。遊び尽くした家庭用ゲーム機なども全部処分しましたし、習い事の道具、小学校の習字道具なども全て処分しました。夏休みの課題で作り郵便局長賞を貰った貯金箱なども捨てました。もしも私の人生の軌跡を残すのに十分なスペースの飾り棚などがあれば取っておいても良かったのですが、生憎そんなものはありません。なので、もう思い切って全部捨てていきました。思い出として残しておいても嵩張らないもの、本当に大切なもの以外は処分しました。今では小中高と使い続けた勉強机も椅子も棚もありません。そのようにして、大学入学時から徐々に物置小屋と化していった私の部屋も随分とすっきりしました。

 

そんな風に掃除を進める中で頭の片隅にあったのは、「清算」という言葉です。GW前に私はまた自殺未遂をやっており、正直なところいつ死ぬか自分でもわからない状況です。もし私が死んでしまったら、父や母には私の部屋を掃除することなんてできないでしょう。あるいは思いを断ち切るために、一気に全部捨てるということもできたかもしれませんが……いや、きっとできなかっただろうと思います。

せめて私が死ぬときには私の部屋がある程度片付いていた方が良いだろうと思いました。「やれることはやれるうちにやっておこう」という気持ちがありました。

ただそういった投げやりな気持ちだけでなく、「これまでの人生を清算したい」という気持ちもありました。これまで私は「生きること」を恐れて生きてきたように思います。人生というものと真っ直ぐ向き合わずに、人に言われるがまま嫌々生きてきたのです。でも、この適応障害という病気になって、少しずつ「ちゃんと生きよう」と思うようになりました。ちゃんと生きるためには、ちゃんと「生活」と向き合わなくてはなりません。どうやったらより快適に生きることができるだろか。そんなことを考えるように段々となってきたように思います。

そのような「より快適に」という個人活動の一環として、この大掃除というのは非常に大切なもののように思えたのです。そして、この「より快適に」というのは母の当面の目標である祖父と一緒に暮らすということにも繋がると思います。私の部屋が多少なりとも片付けば、私が実家にいない間は祖父に使ってもらうこともできます。これはきっと生活における選択肢の幅を広げることにも繋がるんじゃないでしょうか。

 

山のように出たゴミは車で直接清掃センターに持っていき、一気に捨てました。初めて利用しましたが、捨てる前と捨てる後の車の重量を比較して10kgあたり60円という低価格で即日処分ができるのです。とても便利ですし、粗大ごみで出すよりも安いし楽チンで、何より爽快感がありましたね。結果、GW中に何回か清掃センターに赴き、およそ100kg近くのゴミを処分したんじゃないかと思います。

そんな大掃除が今年のGWの大きなイベントの1つでした。コロナだからこそできたことかもしれません。

 

家の見学

上でも書きましたが、母は家を買い換えることを考えており、不動産屋のキャンペーンに参加して色々な家を見て回っていました。新築物件や売り出し中の物件を見学することでキャンペーンに応募でき、抽選で当たれば、自分が家を買う時にかなりの値引きがあるというものだそうです。不動産屋としては購買意欲を掻き立てることができるので、Win-Winなイベントと言えますね。

私もそのうちの1つの家を母と見学に行きました。お医者様が新築で建てた家を見学しましたが、なかなか凄いこだわりを感じる家でした。広いガレージやテラス、ドデカいアイランドキッチン。太陽光発電システムが搭載されていたりもしましたね。お金があればこんな家にも住むことができるんだーと何だか感慨深さがありました。

ただ不思議と「この家に住みたい」とは思わなかったんですよね。その理由はやっぱり人それぞれ理想とする家があるからなんでしょう。私の場合、6~7畳くらいのスペースがあれば十分かなぁと思っています。基本的に物は少なくて良いという考えですし、狭い部屋の方が落ち着きます。あぁ、でも本棚とCDの棚は欲しいですかね。でも、それ以外は本当に別に贅沢したいとも思いませんし、広いスペースがあっても散らかす場所が増えるだけです。実際、学生時代にはちょっと広めの部屋に1人暮らししていたのですが、ほとんどゴミ屋敷みたいな感じになっていました。スペースがあっても何だか落ち着かなくてゴミで埋めてしまうんでしょうね。

ただ、そんな風に生活していた理由の1つには、「生活に時間をかけたくない」という気持ちがあったからだと思います。別に生きていたくないし、いつ死んでもいい。だから生活に時間や労力を割くくらいなら、1冊でも多く本を読みたいし、1秒でも長く音楽を聴いていたい。そんな考え方をしていました。

適応障害になってから、部屋が綺麗になった気がします。それはもちろん、病気休暇中に暇だったから部屋の掃除をするようになったということもあるのですが、少しずつ「生活」というものに向き合えるようになってきたからだと思います。基本的にそれまでの私は「生活を向上させたい」なんて思いは全く持っていませんでした。「生活を向上させたい」なんてものは愚かな欲でしかないと考え、切り捨てていたのです。「自己実現」なんてものは卑しいエゴでしかないと考えて、軽蔑していたのです。でも、「生きる」ってそういう投げやりなことではダメだったんですよね。生活パターンでも、考え方でも、具体的な身の回りの物でも、「昨日よりもちょっと良く」と考えて実行するからこそ「生活」というものが作り上げられていくのだと思うようになりました。

私にとっては毎日が生きづらく、息苦しく、こんな人生なんて生きるに値しないと思っていました。それは私だけが他人と比較してどうこうということではなく、本気でこの世界のありとあらゆる生活が無意味に思え、誰一人として生きる価値などない。なんでみんな平気な顔して生きているのだろうと不思議で仕方ありませんでした。

でも、簡単な話で「生きづらい」のであれば、「生きやすく」変えていけば良いのです。そして、みんなそうやっているからこそ「生きて」いけるのだと何となくですがわかってきました。ありきたりな言葉ですが「生きるために生きている」という感覚が少しずつわかってきたのです。私にとっては「こんな世界でなんて生きていけないよ」と考える方が、真っ直ぐ人生と向き合うよりも楽だったから、そういう生き方を選んでいたのだと思います。生活のあれやこれやを考えることが面倒だったから、そんなこと考えないで良いように、楽をするために、本や音楽の世界に逃げ込み、生きることから逃げ続けていました。まともに「生きよう」と思っていない人にとっての日々はただただ堕落していく息苦しいものでしかなく、そんなことを続けていたらいずれ死んでしまいます。だから、私は毎日「死」に捉われて生きていました。

家の見学会から話は逸れましたが、掃除の話と合わせて、そんなようなことが肌身を通して実感できたのは、このGWの1つの成果と言える気もします。

 
母方の家系を辿る、母を知る

祖父と母と一緒に母方の実家の方に行ったのも良い思い出です。

祖父の従姉妹にあたる人に初めて会いました。世間話をしたり、物のやり取りをしたり、そんなことをして1時間近くをその人の家で過ごしました。親戚や近所の話がメインで私にはわからないことばかりだったのですが、こんな私にも色々なところに血の繋がりがあり、そのおかげで今の私がこうして存在しているのだと改めて認識させられました。帰り際には庭に生えているタケノコを鍬で掘り返してくれました。タケノコご飯にして美味しく頂きました。

そして、いま私が会社の寮で暮らしている辺りに実は遠縁がおり、母も幼い頃は近くまでたまに遊びに来ていたということもそこで初めて知りました。母の子供の頃の話を聞くことはそんなになかったので、それも何だか新鮮で面白いものでした。

そんな母の実家探訪とは別に、帰省後すぐに母と晩酌を交わしながら色々と深く話し合う時間も設けられました。それまで私はどちらかと言うと自分が考えてきたことなどを両親に対して話すような人間ではありませんでした。それは反抗期と言うほど強く出てはいなかったと思いますが、何と言うか「こういう息子であればそんなに問題ないでしょ」と思われるような言動をしてきたという気がします。いや、そんなに褒められるような息子ではなかったと思いますが、「あまり深いところまで干渉して来ないで」というバリアを張っていた気がしますね。両親だけでなく、ほとんどあらゆる人に対して私は心を閉ざして来た気がします。

最初はただの気恥ずかしさや面倒くささというくらいの理由だったと思いますが、大学に入ってからというもの私の頭上にはずっと希死念慮のようなものがあり、それはほとんど私の人格の全てを覆っているように感じていました。でも、誰かと人間関係を築く上ではその希死念慮を大っぴらにすることはできません。常に私には「隠さなければいけない本当の私」というものがあったように思います。本当はずっと「死にたい」と考えており、私の頭の中は死生観や生きる意味といったことでパンパンだったにもかかわらず、それを誰かに対して話すことはできなかったのです。なぜならそんなことを話せば「重い奴」と思われ、遠ざけられると思っていたからです。

当然ながら両親に対しては希死念慮のことなんてそう易々とは言うことができません。それは両親を最も悲しませることであるでしょうし、打ち明けたところで私の本当のところを理解してもらえるとは思いませんでした。この「どうせ理解してもらえない」というのは両親に限ったことではありませんでした。故に、私は自分でも気づかないうちに人間不信のような状態になっていたのかもしれません。そのような状態でありましたから、私の中でどんどんと孤独感というものは大きくなっていき、私は私個人の裁量によって自らの命を終わらせるのだという考えに捉われるようになってきました。

そんな堕落していく生活の中で、私は適応障害という病気にかかりました。

自殺未遂までやらかしたところで、もはや1人の力ではもう一度社会生活を営むことなどできない状態にまでなりました。そこで「もう潮時だろう」という感じで、少しずつ両親に対して私がこれまでどういう気持ちで生きてきたかということを話すようになっていきました。

今回のGWでは、特に母とたくさん会話を重ねました。子供が親に言ってはいけないであろう、「死にたい」という気持ちについてできるだけ丁寧に説明しました。同時に、これまでの人生の様々なポイントで私が感じていたことを話しました。悲劇のヒロインを気取っているわけではありませんが、私にはそもそもの根本的な欠陥があるのだということを話しました。ずっと深い人間関係を避けてきたこと、心を開くことに臆病になっていること、そんな自分の矮小さを隠すことばかりに躍起になっていたせいで、もう疲れ果ててしまったこと。今はもう一人では立ち上がることが困難で、バックアップをしてもらわないと、まともに社会生活を営む勇気も出ないということなど。

本当に情けない姿を沢山見せたと思います。それでもとりあえずのところ両親は私という言わば「負債」を背負う覚悟をしてくれました。私が仕事を辞めて実家に帰ることも受け入れると言ってくれました。その言葉でどれだけ救われたか。逃げ帰る場所があるということが本当に私にはありがたかったのです。冷たい海から引っ張り上げられて、船室で温かい風呂に入れてもらったような心地でした。

そんな風に色々と私の話をした一方で、母のことも色々と知ることができました。母の結婚する前のこと、母が結婚に至るまでのこと、結婚してからのこと。そんなことを色々と聞かせてもらいました。

そこで私はほとんど母のことを知らなかったのだと気づきました。いや、ただ知らなかったというだけではありません。私がほとんど母を信頼していなかったということにも気づいたのです。もちろん両親にはこれまでとんでもなく甘えてきました。金銭的なこと、生活のこと、色々な場面で両親に甘えてきたと思います。しかし、それは「ただ甘えている」だけで「信頼している」というわけではなかったのです。言わば、ただ餌を与えてくれる都合の良い人たちという風に心の底では思っていたのでしょう。本当にどうしようもない人間です。

しかし、こうして病気になって本当の意味で「頼りたい」と思ったときに、ちゃんと相手の事を知ろうと思いましたし、誰かと初めて腹を割って話すことができたと思います。普通の人たちが普通にやってきたことを私はこんないい歳になって初めてやったのです。「どうせ理解されない」と逃げずに、ちゃんと「理解してもらおう」と初めてちゃんと思い、そしてそれはただ一方的に私の考えを話すのではなく、相手の事をちゃんと理解しようという気持ちにも繋がったのだと思います。初めて「孤独ではない」という気持ちが芽生えたように思います。

 

少し大仰に言葉を連ねた気もしますが、だいたいの意味においてはそんな感じです。私はこのGWで初めて人と腹を割って話しました。そして、私がここに存在している因果の半分について、そのちょっとしたあらましを知ることができました。これからも少しずつ色々と両親のことを知れたらと思います。

そして両親だけでなく、誰かとちゃんとわかり合えるようになりたいと思います。人間関係を恐れず、まっとうに人と関われるようになりたいと思います。

 

2.仕事について

このGW中には、仕事をどうするかということについても沢山考えました。正直、これ以上仕事を続けることは苦しいと思っていたので、どうにかして辞める決心ができないかと考え続けました。

自分で言うのもなんですが、私のいま務めている会社は結構良い会社なんです。色々と時代から取り残されている感のある古い組織ですが、体力はありますし、福利厚生なんかも手厚く、また様々な経験をさせてくれる会社でもあります。良い人にも沢山会ってきました。夜勤や転勤といった問題はこれからも続いていくのでそれらは大きな不安要素ではありますが、上手くやれればとても「おいしい」会社であると私自身思っています。

しかしながら、今の私にはなかなかこの会社を続けていくことが難しい。苦手な上司、苦手な夜勤、苦手な業務とも向き合って何とか復職してから、周りに迷惑をかけながらも2か月近くやってきました。が、結局、GW前にまた自殺企図をしでかしてしまいました。もうそろそろ潮時なのかもしれないと思います。

続けるか、辞めるか。

私が健康であれば続ける方が圧倒的に賢い選択であると思います。健康でない現状であっても、休職とかしながら何とか続けた方が良いのではないかと思ってしまいます。しかし、そんな風に体調が上向かない時間をだらだらと続けることに価値はあるのでしょうか。年齢的にも転職を考えるのであればかなりギリギリのところです。今の年齢であれば、転職も比較的しやすい気がしています。続けられるなら続けた方が良い。ただ、こんな体調で続けていくことが現実的に可能なのか。いっそのこと思い切って転職をしてみた方が良いんじゃないだろうか。でも、転職活動も上手くいっていないし、転職したからと言って病気が確実に治るという訳ではない。結局、どの選択肢を取ってもリスクは伴う。ならば、どれが最もリスクが低く、妥当と思われる選択なのだろう。

そんなことをぐるぐると考え続けていました。

しかしながら、前の章で書いた通り、両親と腹を割って話す中で、父も母も仕事を辞めてニートでも何でも良いから、苦しむくらいなら帰っておいでと言ってくれました。今の仕事を続けられればお金もちゃんと稼げますし、色々なことを諦めなくて済みます。例えば、母の「新しい家を買いたい」という願いを叶えるにあたって、それを後押しすることだってできます。ほかにも所謂「良い暮らし」というものだって継続してやっていけます。幸運なことに私は社会人になってからというもの金銭面で困ったことは一度もありませんでした。何でもやりたいことはやれるし、お金があることで得られる自由というのにもそれなりに味をしめていたわけです。しかし、もし仕事を辞めて実家に帰れば、そういったものを諦めなくてはなりません。

でも、私の今の体調では何より欲しいのは「安息」なのです。「良い暮らし」なんて別段欲しくもありません。もともと物欲は小さく、本や音楽さえあれば、極端な話、散歩さえできれば私は幸福を感じることができます。ですから、もう色々なことを投げうって、実家に帰ろうかと思いました。

 

その考えをさらに後押ししたのが、「自分らしく生きる」ということでした。

ちょっと上に書いた通り、私は何でもかんでも「どれが1番確からしい選択だろうか」ということを考えてしまいがちです。まぁ、誰でもそうだと思いますが、なかなか自分の選択に自信が持てず、何かを選択するにあたって「理由」を強く求める傾向があります。

例えば今の私の現状で言えば、①休職せずに今の職場で頑張る、②休職を挟んで気持ちの整理をつけてから復帰する、③休職してその間に転職活動を頑張る、④会社を辞めて実家に帰る。という感じで、優先順位をつけてしまいます。④の選択肢を取るほど追い詰められてはいないと思う。③の選択肢が妥当かな…いや、でも②ならやれそうな気がする。てか、②と周囲に見せかけておいて③をやってみても良いしな。とは言え、①が絶対に無理かと言えば、もう少し頑張れそうな気もする。そんな風に自分勝手に優先順位をつけて、できるだけそれに準じようとしてしまうのが私という人間なのです。プライドが高く、変化することに対して勇気を持てない。だから、なかなか勢いで行動をすることができない。そして、そもそも多少苦しいのなんて当たり前なんだから、我慢できるのであれば我慢すれば良い、という考えが抜けないのです。

結局、人生というのは我慢の連続だと考えており、私の場合、その我慢を辞めるハードルがやけに高いのかもしれません。そして、そのハードルの高さは、私自身にプレッシャーをかけ、余計な必要以上のストレスを私に与えている気がします。

私の中には私を律しようとする目があり、そのせいで「本当はこうしたいのに」という行動をなかなかとることができず、そのことで余計なストレスを抱え込んでしまうのだと思います。誰でもそういう部分はあると思いますが、今の私はそれが少し強迫観念じみており、ちょっとでも「こうすべきだ」と考えるとそれに対してアレルギー反応を起こして、疲れやすくなったり頭痛が出たりするのではないかと考えています。

そして、そのようなステージから降りるためには、一旦そういうの中の「目」を殺すしかないのかなと思うようになりました。

つまり、自分の中では最も優先順位が低い④の選択肢をあえて取ることで、「優先順位通りに生きなくたって、意外と何とかなるもんさ」と肌で実感したいという風に思うようになったのです。「もう考え無しで会社を辞める」という行動こそが、ある意味「儀式」のようなものとして私には必要なんじゃないだろうか。そう考えてみてようやく私は「会社を辞めてもいいんだ」と思えるようになってきました。

GWの2週間の間、考え続け、そして実家を離れるときに「会社を辞めることになるかも」と両親にも話し、了承を得ました。

会社の寮に戻ってからは、地方時代にとても良くしてもらった先輩にも電話して「会社を辞めることになるかもしれないです」と話しました。すると、先輩も私の考えを認めてくれ、応援してくれました。

 

ここまでが、GW中のお話でした。

 

3.現状

GW中には「会社を辞める」決心をした私ですが、先週1週間会社に行き、そして産業医との面談や、会社の偉い人との面談を通して、少し考えが変わってきました。それについてはまた次回記事でお話ししようと思っています。

ただ、「もう会社を辞めても良いんだ」、「会社を辞めても両親が守ってくれる」という安心感が私の重荷をだいぶ軽くしてくれたように思います。そのおかげもあって、少しだけ会社で感じるストレスは小さくなった気がします。不思議なもので「辞めよう」と思うことで「続けられるかも」となったのです。

とは言え、やはりまだ体調は万全でないので、今回の記事を書き上げるのにもかなりの時間がかかってしまいました。土曜の午後から書き始め、本日日曜はほぼ1日中寝て過ごし、ようやく夕方頃になってからこの記事の執筆を再開した次第です。

まだまだどうなるか私も先が見えない状況ですが、色々な変化がありそうなので、それを不安に思うのでなく、「最悪実家に帰られる」という安心感のもと、少しでも楽しんでいきたいと思います。

 

最後に…

やはり少しずつ文章を書くのが下手になって来ている気がします。頭がうまく回らないと言いますか。早く健康になって、自分の思うような文章が書けるようになりたいです。

それと、少しだけまた新しい創作物を書き始めました。途中でダメにならずに最後まで書き上げられると嬉しいです。

 

次回

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適応障害と診断されまして… vol.62

適応障害と診断されて205日目(5月7日)の夜にこの記事を書き始めています。適応障害ブログを更新するのは久方ぶりになります。19日ぶりということになりそうです。

 

前回

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前回はまた首を吊ってしまったところで終わってしまっており、ちょっと残念な内容になっていたかもしれません。そのまま結局GWに入り、2週間近く実家であれこれと考えながら時を過ごしていました。

今回の記事は前回記事~GW直前の内容を遡って書き残しておきます。このGW中の2週間に考えたことはまた日を改めて記事にまとめたいと思います。

 

1.カレンダー

適応障害と診断されて…/復職して…

 

187日目/休む

月曜日。朝また母と電話しながら号泣。会社は休むことにする。10時になるのを待ってクリニックの当日予約をして、動画を観て過ごす。12時半から診察。担当医はいないとのことで、不愛想なお年を召したお医者様。「会社、産業医、担当医と話してください」、「なんでこのお薬止めたんですか?」などと少し高圧的な態度を取られてちょっと嫌な気持ちにはなったものの、たまには別の人に話を聞いてもらうのもいい機会だった。が、特に薬を処方してもらったわけでもないので、無理して外に出た甲斐はなかったように思える。まぁ、いい塩梅に疲弊してがっつり昼寝ができたのは良かったのかもしれないが。「賭ケグルイ双」を観ては寝てを繰り返す。また夜に両親と電話して号泣。もう気持ちがぐちゃぐちゃだし、どうして良いのか全くわからない。逃げた方が良いのか、それとも耐えるべきなのか。わからない。治ったら耐えなきゃいけない。治る意味がない。でも、治らないでこの苦しみが続くなら生きていく意味はない。どうして良いのかわからない。そんなことが頭をぐるぐる回っていた。

 

188日目/休む

火曜日。朝方また母と電話して号泣。また会社を休む。年始に処方してもらっていた残りの「サインバルタ」と「スルピリド」を服用してみる。上司には「ちょっと体調がマズい」と伝え、いつも世話をしてくれている職場の上長にも別途メールを入れる。午前中はまたアニメ「進撃の巨人」を観返したりして過ごし、午後に意を決して1時間ほど散歩に出かける。ただ歩いているだけだけど、ふらふらするし、気を緩めると涙がこぼれてしまいそうになる。それでも何とか散歩を完遂し、買い物もして帰って来る。そしてまた昼寝をしては動画を観てというサイクル。夜に両親と電話。今度は泣かなかった…と思う。実家に帰りたい。会社を辞めたい。社会活動は向いていないと思う。誰とも関わらずに1人で静かに生きていきたい。心身が健全な人たちを見ていると自分という存在を否定されるように感じてしまうのかもしれない。幸い、両親はいつでも戻ってきていいし、世話も見てやると言ってくれている。そういう風に逃げ道を作ってくれるのは本当にありがたい。これだけ悲しませているのに、それでも味方でいてくれる。家族がいなかったらとっくにまた首を括っている。むしろ死んで楽になりたいとも思ってしまうが、それでもまだ生きてはいるのだ。未来についてはわからないことばかり。わからないから相談をして、人のせいにしてしまえばいいのかもしれない。

 

189日目/34日目

水曜日。朝の体調はやはり芳しくないが、外には出られそう。会社にもぎりぎり行けそう。でも、無理しないように朝はゆっくりと時間を過ごした。とりあえず「大豆田とわ子と三人の元夫」2話を観て、感激してからの出社。サンドリ(有吉のラジオ)を聴きながら出社。心臓がばくばく言うし、頭痛や眩暈が朝から酷いけれど、クロチアゼパムを服用したり、休憩を多めに取ったりして何とか過ごす。幸い業務もそこまで重くなかった。職場の上長とWEBで面談もでき、自分の現在の体調を伝え、最悪の場合についても話すことができた。やはりそう簡単に配置換えはできないけれど、医者の見解で配置換えが妥当であるならばそれも不可能ではない。再休職は可能だけれど、結局越えなければいけないハードルは変わらないから、安易に休職はお勧めしない。もちろん、体調最優先ではあるけれど。まぁ、当たり前と言えば当たり前の内容を話したけれど、改めてどうすべきかの優先順位が見えてきたのでそれは良かった。いっそのこと「もう会社には置いておけない。田舎へ帰れ」と言ってくれればそれはそれで楽になれるのだけれど…そんなことを思いながらも、辛抱強く私という人間を見守ろうとしてくれていることが伝わって来て、本当にありがたいことだと感じた。帰宅後、両親と軽く電話して、今日の様子を報告。風呂に入り、ストレッチをして、3日分のこの日記をつけている。人騒がせで自分でも嫌になるけれど、今は割と気持ちが安定していると思う。ねぇ、なんであんなに暴れたんだい、自分よ。

 

190日目/35日目

木曜日。変な感じの夢を沢山見て朝からちょっと疲労感がある。そして、やはり朝はどうしても気弱になってしまう。実家に帰ってフリーター生活をしたいと考える。そんな夢想を抱きながら、水曜日のダウンタウンを観て、白湯をがぶ飲みして朝の支度。出社してしまえばちゃんとやるのに、どうしても出社したくないと思ってしまう自分の子供じみたところが情けなく感じられる。通勤電車がやはりストレスになっているらしく、職場に到着直後は体調が優れない。そして、頭が整理できずに仕事を順序立てられない(ワーキングメモリが凍結している感覚)。が、今日は苦手な上司がほとんど職場にいなかった。それだけで気持ちが軽くなる。あまり苦手意識を強く持ちすぎても、自分の精神衛生上良くないとわかっていても、どうしても「いなくなれ」と願ってしまう。昼にかけてやるべきことが続々と出て来るが、何とか対処できた。体調不良で急に休んでしまう可能性があるので、締め切りのある仕事が増えると追い詰められてしまう。でも、今日は「もし明日来られなくなったら、この仕事お願いして良いですか?」と相談できた。それも1つの成長、というか信頼関係が築けた証拠かもしれない。母が送って来た「嫌われる勇気」を読み始める。だいたいの内容は知っているし、中田敦彦YouTube大学やほかのところで触れてはいるけれど、せっかくなんで読んでみる。意外と好きな文体だと感じる。

 

191日目/36日目

金曜日。夜中3時前頃にまた中途覚醒あり。が、この日はもう割り切ってがっつりフレックスを使って朝はゆっくり過ごす。洗面台の掃除をしてから出社する。できるだけ気持ち穏やかに…と思いながらも、上司から「おめぇは信頼してねぇからな」などと言われて、気持ちを乱される。いくらそういう人だとわかっていても、本当は自信がないから高圧的な態度を取ってしまうのだろうと思ったりしても、まったくの無傷というわけにはいかない。深呼吸をしたり、トイレ休憩をしたりして気持ちを立て直しつつ頑張る。眩暈というか頭痛に合わせて頭がクラクラする感じがあるが、やらなければならない仕事をこなしつつ時間を後ろに流していく。退社後ラーメンを食べに行き、帰宅後は「嫌われる勇気」を読了。今週は3日しか働いていないがとても疲れた。

 

192日目/休み

土曜日。午前中は診察があり、首を吊ってしまったことなどを伝えたところ、休職を強く勧められた。また薬についても大幅に変更していく流れとなった。メイラックス(ロフラゼプ酸エチル)を1日1錠から0.5錠に減らし、やめる方向に。追加でスルピリドを1日3錠服用することに。また頓服薬はクロチアゼパムからペロスピロン塩酸塩に変更となる。昼食後帰宅し、職場の上長とWEB面談。医者からは休職を勧められたこと、薬が変更となったことを報告。GWが長く取れているので、GWにしっかりと休養し、GW明けにまた出社してからの体調を鑑みて再休職の時期は判断することにできた。その後、部屋の整理をしてから帰省。実家では母と2人で夕飯を食べつつ、これまでどんな風な気持ちで生きてきたか、今後どうやって生きていくべきかなど腹を割って話せた。母からも色々と過去の話を聞けて、意外とこれまで親子としての会話が少なかったのだと自覚する。少なかったというよりは自分が心を閉ざしていたせいで上辺だけの会話になっていたという感じか。結局のところ自分には人と深く気持ちを通じ合わせる勇気がなかったのだと思った。

 

2.カレンダーのまとめ

自殺未遂の後、結局体調を崩したまま月曜、火曜と会社を休んでしまった。まぁ、もうそれはそれとして。水、木、金と仕事をして土曜からGWに突入。今の職場はGW中は仕事にならないのでがっつりと休みが取れた。休み初日は診察などもあったが、それを済ませるともうすぐに実家に帰った。こんなご時世で県を跨ぐ移動は自粛するように言われているけれど、それでも今の自分にはコロナよりも差し迫った問題がある。自粛している皆さんには大変申し訳ないけれど、もし立場を代わってくれるならいくらでも変わってやりたいと思う。ごめんなさい、赦してください。

帰省中に適応障害ブログを更新する気になれず、久しく放置しておりました。心配やアドバイスのコメントをしてくださった方々、本当にありがとうございます。私は何とかまだ生きており、この2週間を使って沢山考え、そして沢山両親と話をしました。今後の私の人生がどのようなものになっていくかわかりませんが、色々と諦める代わりに自分らしい人生を作り上げたいという想いが今はあります。これまでの自分を完全否定するわけではありませんが、おそらく何かしら問題があったからこそ、こんな病気になってしまったわけで。もし治そうと思うのであれば、根本から見直し、自分の本当に生きたい生き方を探そうと考えています。

現職を辞することを6~7割くらいの気持ちで考えております。

GW明けには産業医との面談や、会社の上層部との面談(これは入社年次が若い者に対する定例的なもの)もあるため、そこで私が「この会社に残りたい」と思える何かを感じさせてくれたら残ることもやぶさかではない…みたいな少し上から目線のスタンスでいこうと思っています。もちろん、GWを挟むことで私の体調や気持ちが急激に好転した場合なども会社に残ることになろうかと思いますが、これはちょっと望み薄ですかね。ただ「もう辞めていっか」という精神状態の変容が、どの程度私の気持ちに変化をもたらすのかという部分もあるため、もう少しだけ検証期間は設けようと考えています。

このような考えに至った経緯について改めて記事をまとめられたら、と考えています。自分の思考を整理するためにも。私は何につけても書いてみない事には考えを整理できない人間のようなので。

 

さて、それでは今夜ももうパソコンは閉じて入眠ルーティンに入ろうと思います。おやすみなさい。

 

次回

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島田荘司「火刑都市」感想

島田荘司さんの「火刑都市」を読了したので、感想文を書かせていただきます。島田荘司さんの作品は「占星術殺人事件」、「斜め屋敷の犯罪」の2作しか読んでいなかったので、本作で3作目になりますね。

 

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火刑都市

 

島田荘司さんとの出会いは「占星術殺人事件」でしたが、こちらは大学時代のバイト先の社員の方からオススメしていただきました。それまではミステリーと言えば、東野圭吾伊坂幸太郎しか知らないくらいの普通の大学生だったのですが、ミステリーも読書も普通に好きでしたし、その社員の方のセンスも信頼していたので読んでみたところ「島田荘司すげぇ!」となったのが思い出深いです。

そんな島田荘司さんの「占星術殺人事件」を何年か前に父に勧めたところ、父も島田荘司さんにハマったようで、今回のGWの帰省時に「これ読んでみな」と本作「火刑都市」をカウンターパンチ的に勧められました。直前まで読んでいた東野圭吾さんの「白鳥とコウモリ」がテーマ小説として面白いとは感じていたものの、「もう少しがっつりミステリーものを読みたいな」と思っていたところだったので、「島田荘司」という名前にはとても惹かれるところがありました。これまで読んだ「占星術殺人事件」も「斜め屋敷の犯罪」もどちらかと言えば、完全犯罪のトリックを見破る類のお話で、御手洗潔シリーズだったので、本作「火刑都市」もそんな感じかなぁと思いながら読み始めたわけです。

 

 

1章の「紹介」ではネタバレなしで、本書の面白さを頑張って伝えたいと思います。本格的な感想を書くためにはネタバレは必要不可欠なので、それは2章に書きたいと思いますのでよろしくお願いします。

 

1.紹介

まず今回私が手に取ったのは、上記の画像の通り、「改訂完全版」の文庫本です。初版とかと読み比べたわけではないので、その点はご注意ください。

本作「火刑都市」は、「占星術殺人事件」や「斜め屋敷の犯罪」のように完全犯罪のトリックを見破る系のお話ではありません。それでも事件成立の要には密室トリックなどもあるので、その点の面白さも多少あると言えるでしょう。しかしながら、その密室トリック自体は比較的放置されており、どちらかと言えば「風土」や「土地柄」、「歴史」といったものを重厚な基盤としつつ、物語の背骨には「ある女性」の半生が連綿と続いています。

掴めそうで掴めない「ある女性」に纏わる真相を刑事・中村と一緒に追い続ける中で、越後(新潟)における日本海の風土の描写や、江戸と東京といった歴史的な知見を楽しめるという部分が魅力かと思います。私なんかはどちらかと言うと「土地柄」や「歴史」といったものに無頓着な方だと感じているのですが、それでもとても面白く読むことができました。ちょっと大人なミステリーという感じもしますね。

私が読んだことがある御手洗清シリーズではブラフなども沢山散りばめられており、その中から読者がうまく辻褄の合う要素を見つけ出し、その上で最後にはとんでもない発想でトリックを見抜かなければならないという部分を楽しめる小説でした。島田荘司さんから「読者への挑戦」と銘打って、本当に私自身が謎解き対決をしているような楽しさがありました。それと比べると、本作はブラフなどはほぼ無く、何となく展開の2手3手先が読めてしまう部分があったと言わざるを得ません。伏線が綺麗に張られているからこそ、読者目線としては刑事・中村に対して「そっちじゃないと思うよ~」と言いたくなってしまう部分も多少ありましたね。ただあくまで御手洗清シリーズのかなり挑戦的な内容と比べると…というだけであって、普通にミステリー小説として楽しむ分にはかなり面白いと思います。

 

事件は1件の放火事件から始まり、その放火によって夜警のガードマンが1人焼死してしまいます。ガードマンの普段の勤務態度や、鞄の中から睡眠薬が発見されたこと(ガードマンは睡眠薬を普段服用していない)などから僅かな違和感の残る放火事件ではあるものの、担当刑事の中村以外はすぐに関心を失ってしまいます。ただ刑事の中村だけはその違和感から、「これは殺しだ」と考え、1人で情報収集に奔走します。

そんな何とも言えない物語の入り口から、中村が見つけ出す小さな情報や推理を読者も一緒に追っていくことができます。そのうちにほぼ孤独に暮らしていた焼け死んだガードマンには結婚を考えていた「ある女性」がいたのではないかということが明らかになっていきます。そのようにして、この物語の主軸はその「ある女性」の捜査の様相を呈していきます。

言い忘れていましたが、本作の舞台は昭和五十七年であり、西暦で言うと1982年です。そんなわけで「ある女性」が捜査線上に浮上しても、なかなか情報を集めることができずに刑事の中村はもうあちこち歩き回らずを得ません。監視カメラも無いし、携帯電話の履歴なんてものもない。ちょうど上越新幹線が開通したくらいの時期です。歩き回って色々なところから証言を引き出したり、今ならネットで簡単に調べられるようなことも街中で見つけたヒントを人づてに辿り、その道の教授に直接会って事情を聞くなどしています。しかし、この歩き回っては色々とその土地土地の人から情報を集めるというかなり原始的なやり方が、この物語を一層面白いものにしています。

その面白さに拍車をかけているのが、その焼死したガードマンと「ある女性」の交友関係の狭さ、そして「ある女性」による徹底的な痕跡の隠滅です。そうです、なかなか事件解決の情報が集まっていかないのです。そのせいで刑事・中村はとことん歩き回り、結局その女性の居場所を突き止めるのに相当のページ数を要します。「ある女性」の目撃者を探す過程で苦労したり、その女性がガードマンから「○○」と呼ばれていたという小さな小さなヒントを何とか辿っていくのです。そんなちまちまとした前進により徐々にその「ある女性」の人物像などが明らかになっていく過程で、刑事・中村は越後(新潟)のとある日本海沿いの集落を訪れます。この冬の日本海側の寒村の描写がとても素晴らしく、おそらくは島田荘司さんが自ら取材に行ったと確信できるほど濃密かつ繊細で生きた描写であると感じました。
そこからまた捜査は東京に戻るのですが、この時点では事件の解決には至りませんでした。そんな中、別の放火事件が起こりました。これが連続放火事件の様相を呈していき、ここからは江戸から東京への変遷の歴史を下地にした難解な事件へと変貌していきます。ほぼほぼ第2章のスタートという感じになるのですが、こうなってくると事件はかなり複雑になっていきます。しかもどう考えても「ある女性」はその連続放火事件には関与していないわけです。アリバイもしっかりしています。

さらに最初の放火事件の関係者の1人が絞殺されるという事件まで起きます。

そんなわけでもう何が何やら、という感じで事件は入り組んでいきます。頭の片隅には常に最初の放火事件、そして「ある女性」の影があり、そこに関係者が絞殺されるという事件も絡んできていますが、その方面からの捜査は一向に進まない。反対に連続放火事件は社会をも巻き込みどんどん肥大化していきます。刑事・中村はそんな難事件を捜査する主役として奮闘します。

 

複数の事件や人物がどのように関連しているのか、その糸を解きほぐすことは結構大変です。そこに放火の密室トリックといった問題が残っていたりもしますし、そもそもの連続放火の目的や意味もわからない。そういった複数の事件を渡り歩く中で常に背後には「ある女性」の存在が見え隠れしています。ある時には主人公的な立ち位置で、ある時には不吉な影として。そして、物語が最終段階に入った時、その「ある女性」の半生と事件との関連性が明らかにされ、そこには何とも言えない香りが残ります。冬の日本海のような陰鬱さと、江戸と東京といったロマンを携えて…

 

と、ちょっと格好つけた言い回しをしてみましたが、私はこの「火刑都市」をとても気に入りました。舞台は昭和五十七年ではありますが、物語の核となっているのは「都会の孤独」と「女性性」という現代においても普遍的なものであることが全部を読み通すことで実感できます。すると、様々な伏線やトリック、そして事件同士の関連性といった問題を越え、さらに日本海と江戸・東京といった風土を含みながら、私たち人間の「人らしさ」に何とも言えない哀愁を感じるのです。

 

2.感想

1章「紹介」では、なかなかネタバレせずにということが難しく、物語のあらすじまで書いてしまった感はありますが、それでも私が物語の中で面白いと思った部分の経緯についてはだいぶ隠せたのではないでしょうか。ここからはネタバレも含めて、本作で面白いと感じた部分を書き並べていきたいと思います。

 

まず面白いのは「方言」ですね。序盤から主人公の刑事・中村が江戸弁を使うようになった経緯などが語られており、中盤では越後(新潟)の方言がかなり強めに出てきます。このような土着のものが本作では意外と捜査上の手がかりになっていたり、また物語の雰囲気を一段と盛り立ててくれています。

そんな「方言」へのこだわりが描かれながらも、まずはやはり越後(新潟)を刑事・中村が訪れたときの冬の日本海の寒村の描写が素晴らしいです。「火刑都市」というタイトルでありながら、文庫本の表紙はこの冬の日本海沿いの寒村の写真となっており、非常に寒々しい雰囲気があります。この寒々しく陰鬱な空気感と言うのは、「ある女性」、すなわちネタバレにはなりますが、渡辺由紀子の半生を描く上で非常に重要なファクターとなっています。ある意味ではこの陰鬱な景色こそが由紀子そのものであるかのように感じられ、本作の主題が東京と田舎の闘いというような側面も持っているように思います。

この風土を存分に活かすという特徴は、日本海の寒々しい風景だけでなく、江戸や東京について語られるときにも見られます。上京した由紀子が東京の北東から南西に移り住んでいく経緯などはとてもリアリティを感じましたし、そこにやはり同じ東京と言えど場所によって少しずつ風土が変わって来るという面白味も感じることができました。水商売をする人の実態についても、私は何も知りませんが、本作における説明で納得できる部分があったように思います。そして、特に事件の要にもなっている、「東亰」という歴史上のユートピアの存在は、私も初めて知り、なかなかに面白いものだと思わされました。正直、この辺り推理において、「東亰」というものを誤字と考えてしまったり、あれだけ堂迫との話や「飯田堀を守る会」の話で「堀」というものが示唆されているのにそれらの関連性に思い至らなかったりする刑事・中村の推理は、ややまだるっこしく感じてしまいました。もちろん、私たち読者はキーポイントだけ読んでいるためすぐに推理できますが、現実的には刑事・中村のもとには莫大な情報が入って来るため、それらを結び付けることが難しいということもあるのでしょう。ただ、そこはあくまでフィクションなので、もう少しスムーズに謎が解かれて行っても良いかなと思う部分もありました。特に、「地の水」云々の辺りは、すぐに旧外堀沿いだということに気付きそうなものだけれどと思ってしまいましたね。しかしながら、ある程度の数の連続放火が起こらない事には読者側も「やっぱりお堀だったんじゃん!」と納得できないため、致し方ない部分もあるのかという気もしますね。連続犯行ものの難しいところは、いかに飽きさせずに、かつ答えも隠しつつ、というところにあるのかもしれません。

あまり他の作品と比べるのは良くないと思いますが、同じ「連続放火」が題材となっているものでも、伊坂幸太郎の「重力ピエロ」なんかはその辺りが結構楽しめたように思います。あれもまた生物や遺伝子などの知見が得られて面白いお話でした。

話を戻しますが、本作「火刑都市」ではそのような「連続犯行もの」としての部分でやや展開が透けてしまった部分もありますが、全体としては終盤まで謎が謎を呼び、かつ答えにも辿り着けそうで辿り着けないというバランスの良さがあり、ミステリーとしても十分に楽しめたと思います。

 

そして、そんなミステリーの裏で面白味を感じさせるのが、上京してきた見てくれの良い女の子の半生です。由紀子の全くの何もないところから、名家に嫁ぐまでの紆余曲折が面白く、またそれを「捜査」というファインダーを通して見ることで、かなりぬらぬらと生々しい読み応えが出て来るような気がしました。東京という大都会で孤独に暮らしながら、己の容姿のアドバンテージを活かしてある意味では強く賢く生きてきた由紀子の姿は刑事・中村の目にも逞しく映る程でした。そして、そんな彼女が自分と故郷に残して来た母のために企てた土屋(ガードマン)殺しは、ほとんど完全犯罪になりかけていたわけです。

自らの幸福のために殺人を企てるという暗く強い意思、それから誰にも頼れずに1人で子供を産むという強さ、それらは冬の日本海を思わせるようであり、とても印象的でした。

それと同時に、3人の男に対する由紀子の想いや行動というのも非常にどろどろとしていて何か感慨深さがありました。異母兄妹かと思われた連続放火犯の源一に関しては、そのいわゆる「クズっぷり」から一度逃げているものの、彼の子供を生み、そして結果的には彼との子供を守るために彼を殺し、それだのに唯一惚れて愛した男としています。対して、東京で初めて人の優しさを与えてくれた土屋に関しては、彼との結婚を考えながらも、より経済的な優位性のある永井との結婚するために、結果的には別れるどころか殺すまでしているのです。名家の長男である永井に関してはもう完全に金目当てですり寄っています。彼と結婚するために身を粉にして働き、痩せ細る程の努力を由紀子は行っています。

この異なる3人に対する由紀子の想いは全く共感できないようで、だからこそリアリティのようなものを感じずにはいられません。「惚れる」とかそういう感情というのは、優しさでもお金でもないのだと訴えているようです。

最後の由紀子の証言まで聞いてから、中盤にある刑事・中村と由紀子の喫茶店でのやり取りに戻ると、「なるほどなぁ」と思わされますね。

小説の結びでもその場面の事が語られており、「いつか喫茶店で由紀子が泣いたんは、どういう理由でだったかなと思い出そうとした」と書かれていますが、確かにその場面を読みながら「どうして由紀子は泣いているのだろう」と私も読みながら不思議に思っていました。あの場面で、中村は「土屋を愛しているのか」「永井を愛しているのか」と由紀子に聞きましたが、彼女はその両方に対して上辺だけで返答しているようでした。そして、源一の写真を見せられた時だけ涙を見せているのです。

この不思議な対応はそっくりそのまま最後の場面へと繋がっており、ある意味では「連続放火」だとか「密室の放火トリック」だとかよりもずっと良く出来たミステリーになっていると思わされました。

 

文庫本の裏には「都市論を巧みに盛り込んだ社会派ミステリーの傑作」とありますが、確かにその通りであり、「東亰」というユートピアについての論説は非常に面白いポイントでした。ただ「都市論」とはそのような部分だけでなく、日本海の寒村と大都会の間にあるギャップや、東京の中での風土や歴史という意味でも非常に面白味を感じさせる作品でした。そして、その骨格、というか背骨にあたるのはやはり由紀子という女の半生であるように思われました。

総じて、「良い小説を読んだなぁ」という感じですね。とても面白かったです。

 

3.最後に…

このGWには、東野圭吾の「白鳥とコウモリ」に続き、島田荘司の「火刑都市」を読んだわけですが、どちらもなかなかに社会派な作品でとても読み応えがありました。特に「火刑都市」は気に入りましたね。個人的には「占星術殺人事件」よりも好きなタイプの小説でした。ただただ謎解きだけではない、風土や歴史、そして人生を濃密に描いている作品という感じがあったからだと思います。

そろそろGWも終わってしまいますが、こうして本が読めることの幸せを噛みしめながら暮らしていきたいと心底思いますね。

東野圭吾「白鳥とコウモリ」感想

東野圭吾「白鳥とコウモリ」を読了したので感想を残しておきたいと思います。

 

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白鳥とコウモリ

 

書店をぶらぶらしていたときに何となく本書の分厚さが気になって手に取ってみました。灰色の表紙も雰囲気があって、「白夜行」みたいな話かなぁと期待して読み始めた次第です。

 

 

ミステリーなのであまりネタバレは良くないと思いますが、ネタバレせずに感想を書くという高等技術は私にはできかねるので、しっかり目次を入れて章を分けさせていただきます。ネタバレなしでお話するのは「1.紹介」のみですので、ご承知おきください。

 

1.紹介

東野圭吾さんと言えば、現代ミステリー作家の泰斗であらせられるわけですが、私も過去に何作か読んでいます。自分で買って読んだものよりも、父が買ったものを実家に帰省したタイミングで読むことが多いですかね。プロットが良く出来ており、かつトリックそれ自体よりは人間関係に軸を置いている作品が多いため、ドラマや映画にしたときにさらに力を発揮する場合が多いですよね。

中でも私は上でも述べたように「白夜行」が大好きでして、山田孝之さんと綾瀬はるかさんが主演を務めたドラマ版は大好きです。堀北真希さんと高良健吾さんが主演を務めた映画版も素敵でした。もちろん小説でも読ませていただき、その淡々と切ない魅せ方には心が揺さぶられました。「容疑者Xの献身」は東野圭吾さんの作品の中でも映画化して最も成功したと言って良い作品だと思いますが、私ももちろん大好きです。「流星の絆」は受験勉強をサボりながら読んだ記憶がありますね。ドラマも面白くて大好きです。脚本が宮藤官九郎さんで、キャストも素晴らしく、「あぁ、東野圭吾の作品って人間を生き生きと描くものなんだな」と思わされましたね。

と、そんな感じでそれなりには東野圭吾作品に触れてきた私ですが、実は単行本を自分で買ったのは初めてのような気がします。いつも文庫本で読むか、図書館で読んでいましたね。

 

さて、私と東野圭吾作品に関するお話はこれくらいにしておいて、ここからは本書「白鳥とコウモリ」の紹介をしていきます。まだ読んでいない方向けの大まかなプロットと読みどころなどをまとめられればと思います。

舞台はざっくりと東京と名古屋としておきます。舞台は2017年の東京から始まり、ここで1人の弁護士が殺されます。殺害方法はナイフによる刺殺でしたが、死に際して不自然な点がいくつか見られました。ここではスマートフォンGPS機能が事件解明の頼みの綱として描かれており、刑事である五代はGPSの記録から被害者の足取りを追っていきます。そして、殺された弁護士の足取りと通話履歴などから名古屋のとある男が捜査線上に浮上します。この男は最初は事件についてはぐらかしていたものの、2度目の五代の名古屋訪問の際に色々と詰問され、その場であっさりと自白をしてしまいます。

GPSが鍵となっていたり、街中の監視カメラ映像が捜査の基本となっていたり、という部分からはかなり現代に則した内容になっているなぁという印象です。時代を切り取るミステリー作家としての役割をしっかりと果たされていて、その心意気が東野圭吾さんの素晴らしいところでもありますね。

そして、物語の1つの魅力となっているのが、この早々に行われる「自白」です。

決定的な「自白」という証拠により、淡々と捜査や裁判が進められていくことにより、次第に物語は単純な刑事ものから離れていきます。ストーリーテラーであると思われる刑事の五代は、徐々に事件から遠のいていき、その代わりに加害者の息子と被害者の娘が物語を牽引するようになっていきます。加害者の息子は父の自白内容に不信感を抱きます。「自分の父はこんなことをする人間ではない」と感じるわけですが、それが客観的な考察なのか、それともそうあって欲しいというただの願いなのか自信を持てずに苦悩します。そのうえ、父は自分に会おうともしない。その理由は何なのか…

そして、ほぼ同時進行で被害者の娘も「自白内容」から伺える父=被害者の行動に不信感を抱きます。父はそんな風に殺されるような人間ではない、と感じるわけですね。裁判に被害者の家族等が積極的に参加する「被害者参加制度」というものを用いる決心をするのですが、その根底にあるのは「加害者の自白内容が信じられないから、真実を問いただしたい」という気持ちです。

加害者の息子と被害者の娘は「自白への不信感」から「真実を知りたい」と思うようになり、事件を淡々と処理していこうという警察や裁判所の意思に反しながら、自らの手で事件を捜査していくことになります。そして、この立場の違う2人が出会う…そういった部分が本作の魅力ともなっています。

そして、本作のもう1つの魅力が「時効となった過去の事件」です。

少しだけネタバレになりますが、2017年に起きた弁護士刺殺事件の背後には、三十数年前に名古屋で起こった1つの殺人事件がありました。弁護士刺殺事件の犯人は、三十数年前に名古屋で起きた殺人事件の真犯人であり、その事実を知った弁護士に「時効とは言え、名乗り出るべきだ」と強く説得され、罪が暴かれることを恐れて今回も犯行に及んだと自白しているわけです。この三十数年前に名古屋で起こった殺人事件は、重要参考人として取り調べていた男が留置所で自殺したことにより、その自殺した男が犯人ということで決着を見ていました。が、実際には誤認逮捕のようなものであり、完全な警察側の失態でもありました。これを機に警察を恨むようになった、「自殺した男」の妻・娘も物語の中では楔(くさび)のような役目を果たしています。

「時効」という制度に対する考え方なども作中には少し出てきますが、それはあくまで副題のようなもので、この三十数年前の名古屋の殺人事件と今回の東京の弁護士殺人事件の間にある関連性こそが本作の最も深い謎として物語の背骨となっています。

「自白」は客観的な辻褄があっており、もはや警察も検察も、加害者の弁護士ですら事件をただの課題のように処理していこうとする中、この「自白」の内容が信じられない加害者家族と被害者家族。立場の違う2人が、今回の弁護士殺人事件の根底に潜む「時効成立済みの名古屋の殺人事件」まで辿っていくというのが本作のおおまかなストーリー・プロットとなっております。

 

小説として読み応えがある点としては、ストーリーの視点がコロコロと変わっていく部分になりますでしょうか。最初は刑事の五代の視点で初期段階の事件解明がなされていきます。しかし、「自白」というポイントを過ぎると、今度は加害者(犯人)の息子や被害者(弁護士)の娘へと移って行き、それぞれの立場から見える景色が描かれていきます。加害者の息子の目を通して、加害者家族としての社会的な制裁も1つの要素としてしっかりと描かれています。被害者の娘の目を通しては、「真実」ではなく「事件の決着」を目指す警察や検察に対するもどかしさが描かれています。そして、次第に2人は自らの疑念を明らかにするために、お互いに歩み寄っていきます。その2人に助け舟を出すように要所では刑事の五代も絡んでいき、さらに名古屋殺人事件の被害者家族も含めて客観的な視座を与えています。

このように公平にそれぞれの視点における苦悩を描くことが、最後の犯人の「真実の自白」によって明らかにされる事実に対して+αの衝撃や感慨深さを与えています。

 

本作を楽しむうえでの個人的な注意点としては、「トリックもの」ではないということです。完全犯罪の謎を解く爽快感のようなものは期待しない方が良いでしょう。また、「白夜行」のように濃密に少数の人間の人生を描く作品でもありません。事件は「三十数年前の名古屋の殺人事件」と「2017年の東京の殺人事件」という2つの時間軸に跨っていますが、その長期的な時間変遷の中での苦難に満ちた人生を描くことも主題とはなっていません。この作品の読みどころはやはり「立場」という部分にあると思います。自白した犯人の想い、殺された被害者(弁護士)の想い、そしてそれを解明しようとする刑事・加害者の息子・被害者の娘、そしてその楔となる名古屋殺人事件で自殺をした男の家族。これらのそれぞれの「立場」が、事件の真相とどのように関わっているのか。そして、真相が明らかになった時にどのように変わっていくのか。ここに面白さがある作品だと思いました。

 

2.感想 ※ネタバレあり

本作の裏テーマ的にあるのが、「意外と自分の親のことも知らない事ってたくさんあるよね」というものだと思っています。一緒に暮らして来たから、「どういう人か」という漠然とした人間像のようなものは少なくともわかるでしょう。加害者の息子も「父親がそんな動機で殺人なんて犯すか?」と自らの父の人間性と照らし合わせて、自白内容に不信感を抱いています。同じように被害者の娘も「父親がそんな風に自分が殺されてしまうくらいに相手を追い詰める人間だろうか?」と自白内容に疑念を持っています。しかし、いざ事件の真相を調べようと思っても、なかなか真実には辿り着けません。そこには「自分の親の歴史って意外と知らない」という部分があります。父と母がどのように出会ったのか。曾祖父、曾祖母にまで自分の出自までちゃんと把握しているか。そもそも殺された弁護士は名古屋になんて縁もゆかりもない。なぜそんな弁護士が、名古屋に住んでいる男の手によって殺されなければならないのか。この2人の間にある因縁を解き明かすうえでカギとなるのが、三十数年前の名古屋で起きた殺人事件です。

ここからは一々人物の立場で表記するのが面倒なので、以下のように書きます。

 

2017年東京の弁護士殺人事件の容疑者:達郎(倉木達郎)

弁護士殺人事件の容疑者の息子:和真(倉木和真)

弁護士殺人事件の担当弁護士(加害者側援助者):堀部

殺された弁護士:白石弁護士(白石健介)

殺された弁護士の娘:美令 (白石美令)

被害者参加制度の仲介人(被害者側援助者):佐久間

 

事件の担当刑事:五代

 

名古屋殺人事件の被害者(殺された人物):灰谷

名古屋殺人事件で嫌疑をかけられ自殺した男:福間(福間淳二)

自殺した男の娘:織恵

 

ざっと主要人物を書き出しただけでも、これだけの登場人物がありますね。実際にはもっと登場人物は多くなります。

和真は東京の弁護士殺人事件を通して、父の半生を知ります。真面目で公平な人間ではあると思っていたものの、地元の名古屋に父を残し、今は東京の立派な広告代理店で働いており、定年退職してから時々上京してくる父には基本的に無関心でした。やけに高頻度で上京してくるものの、いつも夜遅くに酒を飲んで自宅を訪ねて来ては一泊して帰っていくだけの父。東京に女でもできたのかと薄々思いながらも、そこには踏み込まず距離を取って接してきました。しかし、実際には過去に自分が関与していた殺人事件の罪滅ぼしだったなんて思ってもみなかったわけです。そして、父の真面目で公平な人間性は知っていたものの、自らが殺人犯になってまで、さらに実の息子を殺人犯の子供にしてまで守りたいと思っていたものがあるなんて。

美令は父の出自に対して知らないことがあり、父と母の出会いを遡ったり、母も知らなかった父と名古屋の関係までも調査して明らかにしていきます。そして父の祖母、つまり自分の曾祖母にあたる人間が名古屋にいたことも事件を機に知るわけです。それは父の過去の過ちそのものでもあるわけですから、ひた隠しにされてきた事実ではあるわけですが、しかし父の幼い頃の写真がきっかけで判明する事実でもあります。もしもその写真に興味を持ち、「これは誰?どこで撮った写真なの?」と生きていた父に聞いていればもしかしたら父は殺されることはなかったかもしれません。

私自身、ここ最近は自分の病気のこともあり、両親とよく話すようになりました。それまである意味では上辺でしか会話して来なかったんだなぁと思い知らされます。父と母の出会いもつい数日前に知ったばかりです。少し恥ずかしさもありますが、そういう話をしないでこれまで生きてきたんだなぁと何だか不思議な気分になります。もし病気をしていなかったら、両親の事をほぼ知らずに生きていったかもしれません。まぁ、それでもまだまだ知らないことはたくさんありますが。そして、単純な血縁関係という意味でも、この間初めて自分の祖父の「いとこ」に会いました。核家族化が進んだことも背景にはありますが、これも1つの現代的な問題だと感じましたね。私はなぜここにいるのかも、まともにわかっていなかったわけです。

 

少し変な角度から感想を書き始めましたが、意外と1番自分に刺さったのはこの点だったのかもしれません。

もう少し客観的な部分から本作の面白味を話していきますね。

 

1章の「紹介」でもお話しましたが、この物語の面白い部分はやはり「立場」の転換にあるのではないでしょうか。被害者の娘である美令が今度は加害者の娘になる、というこの「立場」の転換に面白味を見出せるように、事件の悲惨な部分というのは意外と和真の被る社会的制裁を中心に描かれていると思います。加害者遺族としてどのように振舞うかを弁護士の堀部から色々と忠告されていますが、これはつまるところ、加害者遺族に対する社会からの攻撃そのものを意味しています。そして、その最たるものが記者の南原です。南原のような記者によって情報は都合よく捻じ曲げられて報道され、その火種に面白がって薪をくべるSNS。自分の学生時代の写真までネットでばら撒かれ、会社からも謹慎の命令が下されます。

そう言えば、このGWには「紀州ドンファン」殺人事件がたくさん報道されていましたね。多くの人の妬みやら何やらを引き受ける容疑者の女性はまだ25歳というのに、コロナで暇を持て余した国民の憂さ晴らしのサンドバッグのようになっており、少し可哀そうにさえ思えました。と、少し話が逸れましたね。

このように加害者家族の悲惨さを和真の視点を通してしっかりと描いているからこそ、物語の終幕にて美令と立場が逆転した部分に感慨深さが見出せるのだと思いました。

 

そして、そのような「立場」というものをより浮き立たせる装置として、加害者側弁護士の堀部や、被害者側に立つ検察や佐久間弁護士、それから五代刑事を含む警察という存在は非常に重要であると思います。彼らは彼らなりの立場や目的を持って、事件にかかわっていきます。これもまたスクープ記事の記者や無責任なSNS上の人物と同じように、「殺した者」と「殺された者」の間にある真実を蔑ろにしている存在と言えます。そういう意味では、警察も検察も弁護士も「立場」というものを作り上げるものであり、今回のテーマである「立場の転換」をより際立たせるために重要な役割を担っていますよね。「人」対「人」だけに留まらず、社会の在り様を端的に描く本作では、やはりこれだけの副次的な人物も登場させる必要があります。普通のミステリーならばあまり描かれない弁護士や検察といった存在まで描く本作は、それだけリアリティのある社会風刺の意味もある作品だと感じました。

 

達郎の最後の真実の自白によって語られる、名古屋殺人事件における達郎・白石弁護士・灰谷・織恵の関係性もまたカタルシスを感じる部分ですよね。「これぞ東野圭吾!」という感じで、複雑な人間関係の中に見る人間の善意や弱い部分というのが実に見事に描かれています。殺人という差し迫った状況の中で起こり得る、どうしようもない事態。人間の道徳心と罪が交錯し、集約され、それがその後の人生を大きく変容させていくという、この一瞬の想いと永続する苦悩の描き方が素晴らしく好きな部分であります。

この物語においては、唯一本当の悪人として灰谷が登場させられています。灰谷という男の道徳心の欠如、あるいは人間的な弱さが周囲の人を巻き込んでいくわけですが、この灰谷の描き方についてもしかしたら気になる人も出て来るのではないかと思います。つまり、あらゆる物語においては「悪人」をただの悪人として描かずに、悪人にも「仕方ない部分があった」と思わせることは非常に重要な作法と言えます。達郎や白石弁護士の「悪」や「罪」については、灰谷という男を用いることでその説明がしっかりなされているわけですが、灰谷に関して言えば、どうあがいても「ただの悪人」となってしまっています。しかし、物語をスマートにまとめあげる上では、灰谷を「ただの悪人」として描かざるを得ないということもわかります。灰谷の人生まで掘り下げてしまうと物語は取っ散らかってしまうでしょう。なので、ある意味ではこの「悪人:灰谷」という役回りは物語の構成上受け入れざるを得ない部分と言えます。が、気になる人は気になるかもしれません。

しかし、この灰谷さえ除いてしまえば、あとの人間に関してはよく描写されており、充分に共感を抱ける人間性だと思います。ただし、やはりこの物語の神髄は「立場の転換」であり、それが本作のタイトルでもある「白鳥とコウモリ」に集約されています。過去(名古屋)の事件と現在(東京)の事件を結び付ける複雑な人間関係やそこに含まれる人情(人の善性や贖罪)という部分は、あくまで東野圭吾さんのお得意の武器でありエッセンスではあるものの、物語の主題というわけではなさそうです。

なので、もしそういう部分でより深みを見出したいというのであれば、色々と他に読むべき作品はあると思います。もちろん本作も十分に人情面でも面白いですが、やはり本作は「テーマ小説」と考えた方が納得のいく読後感を得られると思います。

 

総じて、本作はテーマである「立場の転換」というところに面白味を見出すための仕掛けがたくさん散りばめられている作品と言えますね。そして、そのような「立場」というものを扱う以上、複数の登場人物を駆使して、様々な視点を用意した結果、社会風刺の感じさえ漂っています。東野圭吾作品らしい純粋なミステリーとしての面白さもありつつ、「立場の転換」というテーマを楽しみつつ、また社会的な視点での学びもあるという重厚な作品と言えるのではないでしょうか。

 

3.最後に…

久しぶりにミステリー小説を読んだ気がしますが、やっぱり面白いものですね。単行本はやはり値段的にお高いものの、特別感があってなかなか良いものです。何より書店で並んでいてもつい手に取ってしまうので、普段あまり文芸誌やエンタメ番組などで情報収集をしない私はついつい単行本に手を伸ばしがちです。就寝前の読書習慣も後押しをしている節もありますが。

そして、本を読んでその感想文を書くというのは楽しいものです。島田荘司の「火刑都市」も読んだので、これからそちらの感想文も書きたいと思います。

マリ

 マリ

 

「誰がうちにマリなんて名前つけたんやろ?」

 マリは僕の借りている部屋で遠慮なく煙草を吸っていた。冬という季節が、昼過ぎの太陽から生気を奪い取っている。車がアパートの前の道を通り抜ける音がした。

「そんなの親に決まってるじゃないか」

 僕が至極まっとうな返答をすると、マリは面白くなさそうに煙を窓に吐きかけた。くすんだ窓から差し込む光がマリの無表情に陰影をつける。僕はマリに「あんたはなんてつまらん奴なんや」とよく言われるが、もはやそんなことを口にすることすらマリは面倒臭そうに見えた。

「せやから、うちが言いたいんは、誰がうちの親に、『真理』なんて名前をうちにつけさせよう思たんか、ってことやねんて。そんなアホかボケかカスみたいな名前つけられたうちはいったいどうしたらええねん」

「別に良い名前じゃんか。女の子らしいし、マリの源氏名の『サリー』よりもよっぽどまともだと思うけど」

「ちゃうって。別に『マリ』って読み方はええねん。問題なんは『真理』て書く字の方やねんて。うちはこの下らない漢字二文字に呪われとる気がすんねんな。誰かがうちの親そそのかして、そん大層な名前つけさせたんや。そのせいで、なんでかわからんけど、自分の名前の意味知ってからいうもの、屈託なく笑うこともでけんくなってもうた」

 そう言ってマリは屈託のない笑顔を僕に作って見せた。

 目尻に皺が寄せられて、口角が漫画のキャラクターみたいに吊り上がる。喜びの織姫と彦星がえくぼとなって、唇を両脇から引っ張り上げているみたいだ。会話の流れからそれが気の利いた冗談だと推測することができなかったら、僕はマリの笑顔で今日一日をわりと幸せな気持ちで過ごせたに違いない。

「何やってても、心の底からおもろいって思えんくなってもうたんよ」マリはまた無表情になってそう言った。

「何やってても、って例えば、どんなこと?」

「お客と寝てても、あんたと話してても」

「おれはつまんない奴だからそれは仕方ないよ。お客とのことはわかんないけど」

「おもろない返しやな。自虐としても二流、いや三流の返しやわ」

「マリたちとは人種が違うんだよ。おれの育った街では、義務教育で漫才をやらなかったんだ」

「それはうちら関西人に対する偏見やで」

 僕のボケに対して、マリは律義にツッコミを返す。そういうのが、きっと骨の髄にまで浸みこんでいるのだろう。

「まぁ、あんたがろくにおもろいことも言えへん奴やってことは知っとるしな。今さらなに言うてもしゃーないわ。せやから、話戻すけど、うちにとって、うちの『真理』って書いて『マリ』いうこの名前は一種の呪縛やねん。うちが生きとる以上は、真理を追究することが求められてんねん。誰に求められとるかっちゅうと、それはうちの親なんてもんやなくてな。うちの親に、大事な一人娘に『真理』なんて名前つけさそうとした、なんや得体の知れん怪しい奴や。きっと真理を腕に抱いた神さんが、退屈やからもう一つ真理を手元に置こうとして、うちにこんな名前をつけさせたんやと思うわ」

 最後の方は何を言っているのかよくわからなかったけれど、要するに自分の名前を背負いきれなくなってしまったということだろう。人間というのはよく名前や肩書、それから立場といったものに伴う責任を背負いきれなくなってしまう。中には自分の生命すら重たくて仕方ないと言って、ビルの屋上からそれを投げ出す人間もいる。

 でも、果たしてそれは本当だろうか。

 僕はそれでも生きているし、マリだって本当に嫌ならば改名すれば良いのだ。役所手続きは面倒かもしれないけれど、昔は成人したら新しい名前に変更したと言うし。まぁ、結局のところ責任というのは自分が思っているよりもたくさん背負えるものなのかもしれない。名前だけに限らず、現実的な対処法というものはいくらでも存在しているものだ。

 僕はそんなような言葉を返す。

「そういう考え方がつまらんいうねん」マリは怒ったようにそう言った。「うちやって一応女の子やろ。女の子が愚痴言うてんねやから、黙って共感したような口聞いとったらええねん。まったく女の扱い一つなっとらんな、自分」

「わかったような口聞いたら、それはそれでマリは怒るだろ」

「せやろな」しれっとした態度でマリは答える。

「それはあまりにもわがままじゃないかな」

「女の子はわがままを言ってもええねん」

「男女平等が聞いて呆れる」

「うちは別に男女平等なんて望んでへんもん。そういや、どっかのお笑い芸人が言うとったけど、セクハラだ、セクハラだ、ってあまりにも言われ過ぎてて、それはもうハラスメントハラスメントやないかい、って」

「女性蔑視だ、って言うこと自体がある種の男性蔑視ってこと?」

「それと同時に、女性蔑視って言葉を使うことで、ある意味では、自ら女性という性を貶めていることになると思うねんな。なんていうか、メタファー的に」

「女性蔑視という言葉があまりにも女性的過ぎるってこと?」

「ほら、『じょせいべっし』って打ったら予測変換にちゃんと漢字で『女性蔑視』って出てくるやん?」そう言ってマリは僕に電子画面を見せてきた。「でもな、ほら、『だんせいべっし』って打っても、一番目に出て来よるのは……ほら、この通り『男性別紙』やんか。そもそも言葉の段階で、性差があるもの使うとる時点で、そんな言葉使えば使うだけ性差別が進むと思わへん?」

 僕は頷いて、そうなるとジェンダーという言葉は素晴らしいな、と思う。しかし、マリはそれすらも否定して、「たしかにジェンダーって言葉は、本来男女間の性差を示すものとして定義されとるけど、いま世の中で使われてる意味合いはほとんど女性寄りになってもうてるからな。そもそも何を以って男女平等なんか、ていう話やし。ほんまややこしわ」

「まぁ、それでもこうやって議論をしていくのは大事だと思うけどね」

 僕の言葉にマリは再び溜息をついて、「ほんまつまらんなぁ、自分」と零した。「つまらない蔑視だ」と僕は言ってやりたくなったが、もちろんそんなことを言ったって、どうせまた「なんなん、それ。ギャグのつもりなん? ほんまつまらんやっちゃな」と言われることはわかっているので、僕は黙って唇を結ぶ。

「ていうか、何の話してたんだっけ?」僕は沈黙の中空に疑問を浮かべる。

「なんやったかなぁ」新しい煙草に火をつけながらマリは視線を部屋の天井に向ける。光の粒子と化した塵がそこら浮かんでいるだけだ。「あぁ、せやせや、うちの名前の話やったな。うちの名前は『真理』やけど、真理になんてどうやったって辿り着けるわけないやんか。せやったら、もう適当に享楽主義的に生きてやろう思うたりもしたんやけどな。そんな遊び惚けた生き方をしている中でも、うちはどっかで無意識に何かを探究しているような気がすんねん。恥じらいながらブラの肩紐ずらしとる最中も、羞恥心てのは行為や状態の神格化の出来損ないなんやろうな、とか考えてまうねん。そんで次の瞬間には、ゴムん中の濁った精液見ながら、染色体の無駄遣いを思うて、あぁ、うちも先週無駄にしたもんなぁ、って変な共感に捉われとるわけや。せやのに、うちん中の女が『はよう抱きしめてや』って気づいたら男の腕を引っ張ってんねんて。な、やり切れんやろ」

 僕はマリの相談に乗ってやるつもりだったけれど、どうやらマリはもう自分の中である程度の答を見出しているようだった。僕は黙って頷きながら、マリの方から流れてくる副流煙を肺の中に押し込んでいるだけだ。マリやほかの女が望むであろう、共感のできる男を気取って。

 マリが「お腹空いた」と言うので、僕はいくつかのカップ麺を取り出して来た。

「いっちゃん、美味いやつ」

 僕がせっかく選びやすいように机の上に並べてやったのに、マリはこちらを見ることもなくそうとだけ言った。何があるというわけでもないのに、相変わらず窓の外のくたびれた景色を見ながら煙を吸って吐いている。せめて、醤油が良いとか、豚骨はダメだとか、それくらいの情報は欲しかったけれど、まぁ、マリがそうやって適当な物言いをするなら仕方ない。僕の独断で担々麺を選んでやった。

 薬缶を火にかけ、カップ麺のフタを開けてかやくを取り出したところでマリが、「うち辛いの苦手やで」と言う。

「じゃあ、もっと早く言ってくれないと。もうフタも開けちゃったし、我慢しろよ」

「あんなぁ、辛みってのは痛覚やって知っとるやろ?」

「あぁ、もちろん」

「なんで痛いの我慢して食事せないかんねや」

「それを言ったら全ての辛い料理が食べられなくなるじゃないか」

「せやから、うちはそう言うてんねん。辛い、というか、痛い料理がこの世に存在している理由はなんや。ほんまもんの痛い料理言うんは、うちが小さいときにおかんが作ってくれた、茶わん蒸しに砂糖ふりかけて出してくれたあの謎プリンだけや。あんときは、まぁ、舌と心が痛んだなぁ。プリンくらい買うて来たらええのに、わざわざあんなアレンジしてからに。おかんのセンスの無さと無意味なチャレンジ精神の犠牲になった、あの茶わん蒸しの第二の人生を思うたら痛さ二倍や」

「もう言葉の意味がぐちゃぐちゃだな。なんで担々麺の話してるのに、プリンが出てくるんだよ」

「ま、ええから、その担々麺はしまい。さっき、きつねうどんのやつもあったやろ。うち、あれ食べたい」

「じゃあ、最初からそう言えよ。ったく、女がわがままっていうよりか、ただマリがわがままなだけじゃないか」

「マリ蔑視はやめてぇや」

「つまんないよ」

 きつねうどんのカップを取って台所に戻り、沸いた湯を注いだ。ついでに、担々麺の方にも湯を注ぐ。何となくこんなことになるんじゃないか、という予感からお湯を多めに沸かしていて良かった。

 熱いカップを二つテーブルまで持っていき、割りばしとコップに水を用意する。時間は面倒だから図らない。けれど一応、「マリの方は五分ね」と伝える。僕がそう指定したわけじゃないのに、「ながっ」とマリは愚痴を零した。いちいち腹の立つやつだとは思うが、それは関西人的な相槌をしただけなのかもしれない。僕は息を吐き、およそ三分を待ってフタを開けた。

「よう、そんな真っ赤なん食べれるな」マリは近寄って来て座って、麺を啜っている僕に言った。

「トマトも食べれる」

「そういう赤いちゃうし。ほんまくだらんやっちゃなぁ。うちそんなん食うたら、口から火噴いてまうわ」

「よし。そしたら、担々麺食って火を噴く女として売り出そう」

「どこに売り出すねん。てか、ほんまに辛いの食うて口から火噴くやつなんておらんやろ」

「世界中探せば一人くらいはいるんじゃないか?」

「まぁ、せやな。世界中探せば一人くらい……って、おるかい!」

 そう言ってマリは僕の肩を叩く。音のわりに軽い衝撃が響く。

「あ、そろそろ五分やな」

 マリはぺりぺりとカップのフタを剥ぎ取り、真っ白でひらひらとした麺を割り箸で摘まみ上げると何度もそれに息を吹きかけた。熱さも痛みやしな、とマリは求められてもいないのに言い訳をした。

 麺を啜る音が部屋を満たしていた。バックミュージックも何もなく、立ち昇る湯気が浮遊する塵と同じように黄色い太陽の光を受けている。マリは油揚げを一度カップの底に沈め、たっぷりとつゆを滲み込ませた後、それにかぶりついた。ちょうど半分。マリの歯型を土産に残された半身はまたカップの底に沈められる。マリは幸福そうな顔で目尻に皺を作った。

 ここには何もないけれど、全てがある。

 どこかで聞いたような言葉がふと頭の中に浮かんだ。

「うちな、この油揚げ好きやねん」

「たしかに美味いと思う」僕は頷く。

「や、まぁ、味もせやねんけどな」マリは割り箸を持ったまま動きを止める。それから思いついたようにまた麺を啜り、そしてそれを飲み込むと再び動きを止めた。僕はそれを黙って見つめ続ける。「ちっちゃい頃によう食べとってん。さっきも言うたけど、謎プリン作ったり、うちのおかん料理あんま得意やないねん。洗濯も掃除も、犬の世話も得意やってんけどな、料理だけはあかんかった。せやから、インスタント食品、冷凍食品、それから卵とか納豆とか明太子とか、そういうのばっか食べて育って来てん。よう考えたわ、洗濯も掃除も犬の世話も別に人並みでええから、料理も人並みになってくれんかな、て」

 マリの話を聞きながら、僕は自分の母親のことを思い出した。僕は彼女の家事の出来について不満を持ったこともなければ、特別な賞賛を与えたことも無かった。一人暮らしを始めて、母ほどうまくは家事ができないと感じたことがはあるけれど、それでも不便もなかった僕にとって、家事の得手不得手というのは考えるべき項目から自然と除外されていたのだろう。それは僕が男だからなのか、それとも単純にものぐさなだらしない人間だからか。それでも、母のやってきた家事に対して、感謝や賞賛といったものを全くしてこなかったことはきっと恥ずべき事だろう。マリの話を聞いて、僕は漠然とそんなことを思った。

「うちはよう好んで、こういうきつねうどんのカップ麺食べとってんけどな。あるとき、十五かそんくらいのときやったかな。おかんから、『あんたはほんまに、きつね好っきゃな。おかんも好っきゃけど、あんたには負けるわ』みたいなこと言われてん。そんとき、なんでかわからんけど、うちめちゃくちゃ腹立ってな。頭ぷっつんなってもうて、『別に好きちゃうし。おかんがまともな料理作らへんから、仕方なく一番無難なやつ食うてるだけや!』って怒鳴ってまって。今考えても、なんであんなこと言うてまったんやろ、って思うけどな。せやけど、まぁ、色んな不満があったし、なんて言うか、その頃のうち日常に対してフラストレーションみたいなん感じとってん。おかんが料理下手なんも嫌っちゃ嫌やったけど、それ以上に自分がなんでこんなしみったれた日常を過ごさなあかんねん、っていっつもイライラしとった。うちはもっと素晴らしい人間で、何かの手違いでここにおるだけや。きっと本当の両親がどっか別んとこにおるはずや。ほら、容姿かて家族の中でうちだけ飛び抜けとるしやな。絶対にうちにだけ知らされてない、うちの秘密があるはずやって、真剣に思うてた。ま、冷静になって考えれば、めっちゃありきたりのシンデレラ・コンプレックスみたいなもんやけどな」

 マリはまくしたてるように喋った後、ようやく一息ついて再び麺を啜った。かなり冷めかけてきているようで、もう息を吹きかけることもない。

「おれは自分のことそんな風に考えたことなかったなぁ。取り立てて日常に不満もなかったし、特別美味いというわけでもないけど、母親の料理もまずまずだったから」

「別に料理のことはええねん。だいたい、おかんの作る料理に不満があるなら、うちが自分で作ればいい話やしな」

「ま、少なくともおれはマリよりは恵まれてたんだろうな。おれは今の自分がいる環境が不服で仕方ないというよりは、どうやったら今ある環境を維持できるのかって考えるタイプだし。基本的に『不満』よりは『不安』に取りつかれやすい体質なのかもしれない」

「恵まれてる、恵まれてない、っていうんは置いておくとしても、たしかにうちとあんたの違いはその点やろな。そんときのうちは取りあえず何もかもが不満やった。どうやったら、このしみったれた環境から抜け出せるんやろ、ってそのことばっかり毎日考えとった」

 そこでマリはまた麺を一口啜ると、僕に水のおかわりを求めた。

 これだけ人使いが荒いというのに不満を抱えているとは、シンデレラというよりは、シンデレラのあの意地悪な姉たちの方が近いんじゃないだろうか、と僕は思う。

僕の記憶では、彼女たちは始終イライラしているようだったし、シンデレラはどちらかと言えば僕のように何の不満もなく日々を仕方なく生きているタイプの人間のはずだった。シンデレラの宝くじ的なラッキーストーリーに憧れるばかりで、彼女の人間性の骨格を担う所については全く以て思考が及んでいない。「これだから女は」みたいな女性蔑視発言を飲み込んで、そもそも「シンデレラ・コンプレックス」というやつは「シンデレラ(・ストーリー)・コンプレックス」のことを言うのであって、シンデレラになりたいのではなく、シンデレラのポジションに収まってやりたいという酷く形骸的な話であるのだろう。思い違いをしていたのだ、と自分に言い聞かせる。

 水を汲みに行くついでに、担々麺のカップを水で濯いでゴミ箱に捨てる。少しだけ鉄錆の味のする水をテーブルに置いて、またマリの向かいに座る。

「ありがと。わざわざすまへんな」

「すまないと思っているなら、自分で汲みに行ったらどうかな」

「じゃあ、すまへんってのは取り消しや」

「取り消せる謝罪なんて最初からいらないね」

「そんな怒らんでえな。あんたに感謝しとるのはほんまやねんから」

 マリは「な」と念を押すように僕に上目遣いを向けた。本当に整った顔立ち。僕もマリくらいの美貌を持っていれば、自分の今の待遇に不満を持てたのだろうか。

「あのさ。ずっと聞きたいな、って思ってたことがあるんだけど」僕はコップの水を飲む彼女に尋ねる。マリは顎で僕に言葉の続きを促した。

 こんな適当な流れで、こんなとりとめのない午後で、こんな質量数ミリグラムみたいな僕の生活空間の中で聞いて良いことなのだろうか。

 僕はやはりいつものように、この質問を飲み込んでしまいそうになったが、どうしてかこのときは喉がきつく閉まって、それは再び舌や歯の間から零れ出てしまった。

「マリはなんで今の仕事をしようって思ったんだ?」

「今の仕事って何のことや」

 挑戦的なマリの眼差し。焦げ色のスープ。青白い割り箸と、ひだになって水分を吸い続ける同色の麺。僕は「つまり、風俗嬢にってこと」と答える。

「風俗嬢しとったらあかんのんか」

「至極一般的な意見としてだけど、風俗嬢になりたいのって、やっぱりお金を稼ぎたいからだと思うし、マリくらい飛び抜けた外見があればもっと別の方法でも今と同等かそれ以上に稼ぐことができたんじゃないかって。批評をするつもりはないよ。あくまで不思議だから聞いてみたんだ」

「まず第一に」そう言ってマリは人差し指を立てる。「うちはお金のことはようわからへん。実家は貧乏ってわけやなかったしな。もちろん、金持ちってわけでもあらへんけど。せやから、うちは至極一般的な例にはあてはまらん。そんで、あんたはうちのことを美人で可愛い言うてくれよるけど、うちはきらきらした世界では生きれへんねん。夜空の星が大都市のネオンに殺されるように」

 そう言ってマリは小さく吹き出す。それから顔を歪めて再び口を開く。

「別にかっこつけてんのとちゃうねんで。星とネオンの喩えが嫌やったら、白熱球とLEDでもええわ。とにかく、うちは輝度を競い合うような世界では埋もれてまうねん。ぼんやり薄暗い押し入れの隅みたいなとこで、うちの内側から染み出してる光みたいなもんはいっちゃん美しく輝くねんで。あんたがいま目の前にしているうちのこと綺麗やな思うんやったら、それはあんたのこのさもしい小さな部屋がうちの美しさを上手く引き出してくれとるだけや。これは謙遜でも何でもあらへん。ただの事実やし、なんやったらそのことがずっとうちを苦しめとると言ってもええ」

「つまり、モデルとかアイドルとか、そういうスポットライトが当てられるような世界はマリの性質に合わないってこと?」

「せや」

 僕の要約にマリは簡潔に頷く。それから、うどんを啜り、「伸びてもうてるがな」と不満を零す。「あんたのせいやで。あんたが食べ」とマリは僕の方にカップを押しやった。ほとんど飾りのような緑色のネギがつゆの表面で揺れている。

「マリがモデルとかにならなかった理由はとりあえずわかったよ」僕は自分でカップをさらに近くに引き寄せる。そしてマリから割り箸を受け取った。「でも、風俗嬢になった理由はやっぱりわからないままだ。他の選択肢だって色々あっただろうに」

「ほかの選択肢なぁ」マリは信憑性のないおとぎ話でも聞かされたような表情を浮かべる。

「例えば、本屋とか花屋とか、ケーキ屋さんとか、OLとか」僕は思いつくままに並べる。

「トビとか警官とか、サッカー選手とか」

「そうだよ。宇宙飛行士にだってなれる」

「アホか。なれるわけないやろ」

「でも、それだけ色々な職業がある中でマリは風俗嬢を選んだわけだろ? そこには何かしらの理由みたいなものがあったんじゃないか」

「せやったら、あんたは何で大学生しとるんや? なんか理由があるんか?」

「おれの話はいいよ。それに大学生になるハードルは今の時代めちゃくちゃ低いし、おれみたいに何の意志がなくても、世の平均的な人間はそのまま普通に大学生になる。でも、マリはそういうこともせずに風俗嬢を選んだんだろ? 風俗嬢になるハードルはやっぱり高いもんだとおれは思うけど」

「せやなぁ。そうかもしれへんなぁ」

 マリは疲れたように、僕に心無い賛同を送る。

 それから右の天井に視線を向けて、何かを思い出すような芝居を始めた。本当は僕の問いに対する答は最初から心臓付近に絡みついていることを知っているのに、わざわざその答が自分のところからは離れた場所にあるように見せつけたいのだということが僕にはわかった。

「うちな、椎名林檎好きやってん。知っとる? 椎名林檎?」

「知ってるよ。東京事変のボーカル」

「その覚え方はいかがなものかと思うけどな」マリは眉間に皺を寄せて僕を睨み付ける。「まぁ、ええわ。その椎名林檎の楽曲にな、『歌舞伎町の女王』ってのがあってなぁ」

「知ってる」

「ほな、話早いわ。要するに、『そしたらベンジー、あたしをグレッチで殴って』って感じやってんな」

「曲変わってるぞ」僕は律義にツッコミを入れる。

「まぁ、せやから、うちはなんて言うか、うちの本当の母親みたいなのは歌舞伎町におるような気がしてん。ほんの十五、六くらいのガキや。それくらいの妄想はするやろ。ただ、その妄想がやけにリアルでなぁ。派手な紫色のドレス着て、お客にお酒注いで。臙脂と金色の内装の中でその女は軽やかに人生の風でくるくると舞っとんねん。曲の中では、去っていくのはその母親の方なんやけど、なぜかうちは自分の方がその世界から無理やり退場させられたみたいな心地がしとってな。はやく家出て、うちが本来いるべきその世界に向かわなあかん、みたいな気がしとった。そこにはシンデレラみたい何かをただ待ち続けるみたいな余裕はなかってん。蜘蛛の糸垂らされたカンダタみたいな焦燥感がうちを内側から燃やしとった。そういう感覚、あんたにはわからんかもな」

「まるでホリー・ゴライトリーみたいだ」

「誰やそれ。美味いんか」

「この伸び切ったきつねうどんよりかは」

「はっ」マリは短く笑って、そのまま身体を窓の方に捻った。

 僕はマリの残したきつねうどんを啜る。残りはわずかで、すぐに麺は無くなってしまう。マリの歯型がついた油揚げが半分と、冷めたつゆが後には残っている。

「一応、質問に対して完全な解答をさせてもらうとな」マリは窓の方を向いたまま喋る。僕は残ったつゆを啜っていた。「うちん中ではキャバ嬢を描いとったんや。歌舞伎町の女王、つまりナンバー1キャバ嬢を思い描いとった。でも、それはうまくいかへんかった。なんでやと思う? それはな、うちが『真理』なんて名前をつけられとったからや。うちは家を出てすぐに歌舞伎町に入って、キャバ嬢になった。そんで、男の扱い方も、酒の飲み方もすぐに覚えた。でも、それは随分と小手先のことのようにうちには思えた。周りのキャバ嬢との関係性だとか、ドレスや化粧や言葉遣い、全てのことはただの作業としてうちの中を通り過ぎて行ってもうた。うちの名前が欲しとる真理なんてものは、そこには一ミリも見いだせへんかった。ほんの九ヶ月や。仕事を覚えて、軽やかに振る舞って、踊るように時間が過ぎて行った。そして、気がついたら音楽は鳴り止んで、照明も消えて、緞帳が落ちた。うちは自分が思い描いた、椎名林檎的キャバ嬢のイメージに同化して、いや、まるでピノキオに吹き込められた魂にでもなったように、ただ無意識にその潔癖で美しい九ヶ月を過ごした。せやけど、それはさっきも言ったように、ただのイメージと同化するだけの作業やった。誰よりも上手くうちはキャバ嬢としてやっとったけどな、それはただの機械的な作業でしかなかってん。手応えみたいなもんがなかった。夢の中にいるみたいやったし、おとぎ話の主人公みたいになんも考える必要がなかってん。究極の着せ替え人形みたいな感じや。生まれたばかりに魔女に攫われた王女が、大人になって自分の出生を知って、曲がりなりにも育ててくれた魔女を殺してちゃっかり王子と結婚するみたいな、そういう空っぽのストーリーの主人公にでもなった気分やった。うちが思い描いていたキャバ嬢にはなれたし、それは一つの理想の具現化ではあったんやけども、そこではベンジーが肺に映ってトリップすることも、ベンジーがグレッチで殴ってくれるようなリアルな手応えがあらへんかった。せやから、うちはキャバ嬢を辞めて、風俗嬢になった。男の性処理が仕事や。人によっては、キャバ嬢よりも作業的やって思うかもしれへん。いや、実際に周りの風俗嬢の話聞いとると、元々キャバ嬢やったけどお客や同僚との人間関係に疲れた、みたいなこともかなり多い。せやけど、なんでやろな。うちにはキャバ嬢の方がもっと機械的にやれとった。多分、うちん中でキャバ嬢の理想像が出来上がり過ぎとって、そこには探求の余地もなければ、妥協の余地もなかったからやろな。それに比べて風俗嬢はうちにとってはおもろい。男の身体の作りも最初はようわからんかったし、なんていうか性的な興奮に直接結びついてる寂寥感みたいなもんがうちには新鮮やった。女はどっちかっていうと、性的な興奮と幸福感みたいなんは男よりも強く結びついとるような気がするしな。いや、幸福感言うのも違うか。まぁ、とにかく女はそれが張りぼてであっても、その幸福感みたいなもんで自分を騙すことができる。でも、男はなんて言うか、その辺が下手やから幸福の影に潜んどる冷たいナイフみたいなもんを素手で掴んでまうねんな。そういうんが全部おもろかった。そういうん一つひとつ学んでいく中で、うちは真理に近づいているような気分になれたし、一先ずは理想を羽織るだけの時間と身を切り離して、ちゃんと手応えのある生活を手に入れることができた。それはうちにとって、つまり『真理』いう名前持ったうちにとっては重要なことやった。せやけど、少しずつ失ったもんがあるってことにも気づいてった。キャバ嬢やっとるときのうちはとにかく綺麗やった。あんたにも見せてやりたかったわ。ほんまに綺麗やった。美しかった。ほんまの美しさ言うんは、無意識と密接に結びついとんねんな。そんことをうちは少しずつ知ってった。今はそんなうちに戻りとう思っても、もうできん。無理やねん。そんで、うちはさらに馬鹿やったことに気づいてもうた。うちは真理を求めて風俗嬢に転職したつもりやったんやけども、うちが手に入れたのは真理の手応えであって、真理そのものではなかってん。真理そのものはな、キャバ嬢やってたときの無意識のうちや。手応えのないこと。虚無感の中で揺れとる。それが真理やねんな。それを知ったいまのうちにはもうキャバ嬢に戻ることがでけへん。戻ったとしても、前みたいには振る舞えへん。うちは陳腐な手応えに齧り付く幸福感を覚えてもうた。心臓の重みも、脳みその不自由さも知ってもうた。もうあの頃のように軽やかにステップを踏むことはでけへん。靭帯が切れたら、雨の日はそこが痛む。それと同じや。うちにとっては、綺麗なドレスと淀んだアルコールは雨降りと同じやねんて。なぁ、こんなうちの気持ちはどうしたらええねん。何ゴミで出したらええねん。何曜日に回収してくれんねん」

 マリが独り言でも言うみたいに喋っている間に僕は、カップ麺を空にしていた。白いプラスチックのカップの底には、胡椒の粒がいくつかへばりついている。太陽は相変わらず弱々しい光を僕の部屋に投げかけていた。

 カチ、というライターの音。ぱちぱちと灰色の煙の中で炎が爆ぜる。マリの肺胞と気管支を痺れさす、塵にも見える化合物が気流を縁取って描く。僕は自分が吸ってるわけでもないのに、少し息苦しくなる。

「おれはこっちに出て来て、なんだか不思議な感じがするんだ。自分が何かを求めたという記憶がほとんどない。おれは基本的に変化というものを求めないし、マリみたいに真理を追究しようなんてこともない。ましてや、自分が美しく奔放な母親の生き写しだと夢想したこともない」

 僕の言葉を聞いてマリは笑った。うちは女王様の生き写しやったけどな、と自嘲的な笑いを煙とともに吐き出す。

「不思議なのは、そんなふうな人間であると自覚しているにもかかわらず、気がついたらこんな都会に出て来て、温かく健全な家庭から切り離されてこうやってマリみたいなタイプの人間と関わっている。夜の仕事をしている顔立ちの綺麗な女の子と一枚の油揚げを分け合うことになるなんて考えてもみなかった。せいぜい、サークルで知り合った頭の悪い女の子とそれなりに刺激的な性行為とありきたりの失恋をして、気がつけば旅先で死ぬほど酒を飲んだ記憶だけ引き連れて社会人になっている。そんな未来がおれの前には広がっているはずだったんだ。でも、そうはならなかった。ある意味では、そんなありきたりな大学生活がおれにとっての理想であって、それが手応えのない日常ってやつだったのかもしれない。だからさ、マリは絶対に嫌がるだろうけど、そういう意味ではおれもマリと同じなのかもしれない。ただ、おれはまだその理想を手に入れたこともなければ、失ったという実感もないけど」

 僕の言葉を聞いて、マリは目を細めた。眉間に皺が寄っている。怒りの感情が読み取れる。

 わかってる。

『同情を欲した時に全てを失うだろう』

 それがあの曲の歌詞だ。マリは同情どころか、同調すら求めてはいないだろうし、それをされることを何よりも嫌い、怖れ、それを遠ざけて来たはずだ。だから、彼女は僕に対して今、怒りの視線を向けている。

「あんたはうちの気持ちがわかる、とでも言うとんのか」

「あぁ、わかる。結局、理想なんてものは手に入れたところで、ただ無為に時間を過ごしてしまうだけだ。違和感こそが手に残る感触なんだ。おれはまだそんな無為に時間を進められるほどの理想の中に身を浸したことはないけど、だからこそ、一度はそこに自らを沈めて、その感触を知ってしまったマリのことは心底同情するよ」

「あんた、うちに殺されたいんか」

「あぁ、それもいいかもしれないな。何もない日々にしがみつくのにも疲れてしまったし、死んでしまうのも悪くはない」

 マリは僕に向けて煙草の吸殻を投げつけた。灰のクズが弾ける。幸い、というか、とりあえず火は消えているみたいだった。

「なんで怒ってるんだよ」

「あんたはわかっとるはずや。同情なんてもんがうちの――」

「だから、それも含めてなんで怒ってるんだ、って聞いているんだ。マリにとって、『歌舞伎町の女王』がある種の聖書的な役割を果たしていることは知ってる。だから、同情なんてものが許せないのもわかってる。でも、マリにはもうその聖書は必要ないだろ。神は去った。手元に残ってるのは、どこまでも肉感的な生活じゃないか。風俗嬢としてのくだらない生活。美しい、理想的なキャバ嬢としてのイメージは失われた。おれもそうだよ。もう戻れないし、仮に戻れてもうまくやれるわけがない。おれには馬鹿な彼女もできなければ、サークルの親友と旅行に行くこともない。海に行ったり、スキーに行ったり、テスト前にノートを見せ合うこともない。二日酔いで、仲間に講義の代返を頼むこともない。あるのは、くだらないカップ麺の油揚げだけだ。それだって、おれが好きってわけじゃない。マリが好きな油揚げだよ。トラウマ的な記憶と結びついてる安っぽい油揚げだけ。おれだって、同情なんて求めちゃいないけど、それでも仕方ないじゃないか。現におれはマリに同情できるし、いくらマリが同情されないようカッコつけてみたって、おれには見えてるんだよ。自分の生き写しみたいなマリの姿が」

 僕は半分以上、自分が何を言っているのかわからなかった。

 けれど、生まれてからほとんど感じたことのなかった何か熱いものが心臓を締め上げているのを感じる。ぎりぎりと血管を締め上げている。フリスビー型の赤血球が歪に圧迫され、中からはヘモグロビンが漏れ出している。ヘモグロビンが何だか正確にはわからないけれども、それが感情と密接な関係を持っていることは直感的に理解できた。

「マリと出会ったんだ。あのわけのわからない雨が降ってる夜の公園で。そこでマリは煙草を吸っていたし、おれはボロボロのビニール傘を持っていた。薄っぺらいワンピースを着たマリは確かに美しかった。普段、見知らぬ女の子になんて話しかけようとすら思わないおれが、知らないうちに声をかけてしまうくらいに。おれが自分のために買って来ていた缶ビールをビニール袋から取り出して、一本ずつ飲んだ。一つの傘の下で。雨の音がいつまでも続いていた。マリの肌は熟れた花弁のような匂いがして、おれはきっと汗臭かった。でも、なんだかあのときにおれは生きていることの手応えを感じたんだよ。生まれて初めて。安心感に包まれた日常にしがみついていたおれが、ついそれを手放してしまうくらい。そして、今もその手応えはこの手のひらに残っている。理想や真理なんてものからしたら、まったく取るに足らないものだよ。つい、かつて思い描いていた美しいものの方に目を奪われてしまうようなくだらない代物だ。でも、いま手元にあるものは、この鈍く重たい頓馬なものだし、それに結局は自らの意志でそれを求めたんだ。それが一瞬の血迷いだったかもしれないけど、後悔は無くならないかもしれないけど。だから、もう後はそれを受け入れるしかないじゃないか。いつまでも、神の消えた後の神殿に跪いていても仕方ないじゃないか。とりあえずは今あるものを受け入れろよ。同情だって受け入れろよ。同情が不要な世界は、もうここにはないんだ。音楽は鳴り止んで、現実の冷たい海に放り投げられたんだよ。そこで身を寄せ合うことをおれは悪いことだとは思わない」

 僕はほとんど泣くようにして言葉を吐き出していた。

 マリは黙って僕の方を睨み付けたまま、窓からの光を背に固まっていた。

 沈黙が痛かったが、とりあえず僕は喉の渇きを覚えて、マリの為に汲んできていたコップの水を一口で飲み干した。そして、間の抜けたことに、妙な尿意を覚えた。死ぬほど激怒した子供が、ひとしきり怒りきった後に不意に泣き出すように。いや、それとは何か根本的に違うような気もしたが。

「さぶ」マリが呆れたようにそう言った。「初恋に唆された中学生か。あんたがそんなさぶい人間やなんて思いもせんかったわ」

「別に何とでも言えよ。マリにけなされるのは慣れてる」

「録音しとけばよかったな、今の話。それネタに揺すれば、五百万は絞りとれたやろな」

「一円だって払うつもりはないよ。マリに金を払うくらいなら首を吊るね」

「保険金はうちが貰うから、結果的に五百万はうちのもんや」

「悪いけど保険金の受取人はちゃんと父親になってる」

「はぁ。誰がそんな真面目な返し欲しがんねん。ほんまつまらんやっちゃな」

 マリは呆れたように笑う。肩の力が抜けて、背後からの光も少し弱くなったようだった。薄暗い部屋の中で、マリの華奢なシルエットがぼんやりと浮かび上がっている。彼女の顔は影に埋もれていたが、小さな部屋の中で不要なスポットライトを削ぎ落した彼女の姿はどこまでも美しく、僕の心を揺さぶった。

 マリはライターをテーブルの上に置くと、空っぽになった煙草のケースを僕の方に振って見せ、「新しいの買うてきて」と言う。人に煙草を投げつけるような奴に煙草を買って来てやる義理はない、と僕が言うと、彼女はまた「つまらんなぁ」と溜息を漏らした。

「頼むわ。めっちゃ吸いたい気分やねん」

 僕は仕方なく立ち上がり、床に落ちている吸殻と灰をゴミ箱に捨て、テーブルの上の空になったきつねうどんのカップを台所に持っていき、それからトイレに寄った後に、財布をズボンの尻ポケットに入れて家を出た。

 アパートから歩いて四十秒ほどのコンビニでマリの見せたケースの銘柄の煙草を買い、来た道を戻る。アパートの階段を登る途中、ふと、マリがもう部屋からいなくなってしまっているのではないか、という考えが頭を過ぎった。自然と足が早まり、少し乱暴に家のドアを開ける。

 マリがやや驚いた面持ちで僕を見つめる。

 それから、わずかに微笑み「おおきに」と僕に向けて手を差し伸べた。

 

2015年

適応障害と診断されまして… vol.61

適応障害と診断されて186日目の夜にこの記事を書き始めています。

 

前回

eishiminato.hatenablog.com

 

前回は2週間分の投稿内容となってしまいました。このところ体も心も疲れてしまい、文章を上手く書くことができません。

故に今回は1週間分の日記をコピペしてカレンダーとしてまとめるだけにしようと思います。

 

1.カレンダー

適応障害と診断されて…/復職して…

 

179日目/休み

日曜日。朝から薬局に薬を取りに行く。昨日買ったCDを聴きながら散歩を楽しむ。toconomaの「BLUE YARD LIVE AT LIQUID ROOM」、Spangle call Lilli lineの「Remember」、yonawoの「ROBSTER」、モーニング娘。'21の「16th ~That's J-POP~」を聴く。特にtoconomaのライブアルバムはどの曲も素晴らしく、Evitaはやはり最高。とても楽しく、思わず笑顔になるし、踊りたくなる。踊れないけど。また、yonawoは2曲目の「ijo」が好みで、アルバムも全体を通して良かった。SCLLもモー娘。ももちろん良いけどね。帰ってからブログを書くもあまり良い文章が書けなくて辛い。最近はずっと頭に靄がかかったみたいだけれど、そのせいか。また、転職用の履歴書と職務経歴書の雛形を作る。

 

180日目/29日目

月曜日。起きてから簡単に職務経歴書を軽く校正して、転職エージェントにメールで送付。日勤から夜勤の日なので、朝から嫌な感じ。朝から苦手な上司に小言を沢山言われて嫌な気持ちになるけれど、トイレに逃げたりして上手くスルーしていく。もうスルーするしかない。10時前にクロチアゼパムを服用。やる気が出ないので、もう会社を辞めてやるんだから!くらいの気持ちで仕事を片付けていく。そんなに頑張る必要もないけれど、後腐れなく辞めるための最低限。そう考えると少しは気持ちが楽になる。休憩を多めに取り、30分程度残業した後に休憩に入る。

 

181日目/30日目

夜勤前の休憩は途中で覚醒があったものの、3時間近く眠ることができた。疲れていたのが逆に功を奏したかもしれない。夜勤自体はたくさん歩き、またたくさん小言を言われたものの、勉強したことが活きた部分もあり、少し仕事を楽しいと思えた。が、やはりこの仕事は向いていないと感じる。これを何十年と続けると考えると気が滅入る。夜勤終わり、残業で30分程度資料整理をしてから帰る。帰宅後、朝食を食べ、転職エージェントと少しメールのやり取りをしてから就寝。3時間程度眠れる。昼前に起きて1時間程度だらだらした後、また疲れから2時間程度昼寝をしてしまう。13時過ぎに昼食を食べ、また1時間程度だらだら過ごした後、1時間昼寝。起きてからも眠気が続いていたが神経が高ぶって、イライラする。久しぶりにウイスキーを飲んで眠る。19時まで3時間程度また昼寝して、夕飯を食べ、届いていたTK from 凛として時雨のCDをPCへ取り込んだりして、風呂に入って寝る。何だか寝てばっかりだし、疲労感が強く、気分の悪い1日だった。

 

182日目/31日目

水曜日。朝から頭痛と夜勤の疲労感、そして早朝覚醒もあり。摩耗的な日々が続いていると、うつ病に近づいているような感じがして不安になる。ストレッチと瞑想をしてから出社。ゴミ出しもできたので、今日の1日のノルマはもう達成したつもりで仕事に臨む。会社ではミスをしたり、初めてやる業務があったり、勉強会の発表者を務めるも苦手な上司からぐちぐちと攻められたり。でも、最近は鈍感力というものがついてきた気がする。人に迷惑をかけても気にしない、上司に何か厭味を言われても、それはもはや価値観の全く違う生物の戯言と受け流すことができている気もする。「大豆田とわ子と三人の元夫」が坂元裕二脚本で素晴らしい。エンディング曲がカッコイイと思っていたら藤井健太郎さんが関わっているし、最高のドラマになる予感。Twitterで珍しく色々な人に絡んでしまいちょっと反省。上司にいろいろ言われたことが、やっぱり多少ストレスだったのかなぁと思ったり。いつもより1時間半くらい遅い入眠。寝る前にチョコレートを食べてしまった。

 

183日目/32日目

木曜日。4時半ごろに中途覚醒あり。寝不足感が強い。最近は朝に体の冷えを感じるので、白湯を飲むようにしているがこれがなかなか美味しい。クノールカップスープとかをよく飲んでいたが、スープよりもすっと体に入って来る感じがある。アイドルが白湯を飲んでいるとよく言っていたけれど、何となく飲む理由がわかる気がする。ストレッチと瞑想をして出社。色々と初めてやる仕事が多くてちょっとてんやわんや。昼休憩を境に急に強い眩暈(貧血?)に襲われて、意識が飛びそうになる。慌ててクロチアゼパムを服用。その後、緩い会議や単純作業があったおかげでそこで何とか持ち直し、苦手な上司も早めに帰ったので、そこからは少し余裕を持って働くことができた。子供の段ボール工作みたいなことをしているうちに、結構な残業時間に。明日は社内で研究の発表会があるので、ちゃんとたくさん寝てそれに備えよう。水曜日のダウンタウンとあちこちオードリーが面白かった。

 

184日目/33日目

金曜日。朝の体の冷えがあるので、白湯とシャワーで温める昨日は残業を頑張ったので、1時間遅めに出勤。立川志らくさんの「死神」を聴いたりしてゆっくりできたので、比較的気分は良かった。が、出社後すぐに苦手な上司と外出。ああだこうだ言われ、終いには「おめぇトロいんだよ」と言われ、怒りを覚える。午前中の外出の疲れを抱えたまま、午後は社内の成果発表会で発表を行う。これもまた疲れる。私が色々と引きずり回されている間に先輩がフォローしてくれていたので、とても感謝。残業を2時間半程度して帰宅。明日は大学時代のバイト先の後輩の結婚式だ。
苦手な上司はもう同じ人間と思わない。パターン青「使途」と考え、ATフィールド全開で立ち向かい、絶対に殺されない。むしろそういう風に接することがあの人に対する礼儀だとさえ思えて来る。そして、自分が出世していったときは、部下が安心して働ける環境づくりを頑張りたいと毎日思う。部下が上司に対して危機感を感じ、常に気を使いまくって働いている環境は生産性も低いと思う。

 

185日目/休み

土曜日。今日は学生時代のバイト先の後輩の結婚式。財布を会社に忘れていたので取りに行き、時間の余裕もあったので20分くらい仕事をしてから会場に向かう。初めての結婚式なので色々とわからないことがあって不安だったし、トイレに寄った後スーツの後ろをズボンの中にしまい込んでいたようで恥ずかしかった。式自体は新郎新婦、両家とも本当に幸せそうで良かった。結婚式のために作った動画や写真、メッセージ。アンビリバボーの再現ドラマで出て来るような「いかにも」な神父さんもいたし。祝いの席なので変に気を使わせないよう、ちゃんとお酒を飲んだ。が、式の間中感じていたのは「これが同じ人間なのか」ということばかり。結婚式用に人生の素敵な瞬間だけを切り取っているだけだというのはわかるけれど、私にはとても同じようなことはできない。そして、感動して泣いている人たちの気が知れなかった。ずっと私が感じてきた疎外感のようなものを強く感じてしまった。結局のところどこまで行っても世界とはわかり合えないという気がした。帰宅後、疲れ果ててしまいがっつり昼寝。そのせいで少し夜更かし。お酒を飲みたかったけれど我慢してずっと1人でギターを弾いていた。こういうのがやっぱり自分には合っているし、落ち着くと思う。

 

186日目/休み

日曜日。昨日の疲れから昼近くまでは寝たり起きたりを繰り返していた。昼過ぎにシャワーを浴びて、「今日が死ぬ日だ」と思い、ドアノブで首を吊ってみる。なかなかドアノブでは首は吊れない。息が苦しくなってすぐにやめてしまう。次はクローゼットで試してみる。何度もトライしてようやく体が痙攣するくらいまでいけたけれど、結局体が暴れてしまって死ねない。少し時間をおいて、今度はクローゼットの棚にスーツケースを固定してその取っ手にロープを括り付けてみる。椅子から降りて確実に首が締まり、「これは死ねるな」と思っても慌てて椅子に足を戻してしまう。もう一度気持ちを整えて、今度は椅子から降りた後に、椅子を蹴とばしてみる。体が痙攣するところまでいき、意識もほとんど飛んだけれど、意識が飛ぶと体が暴れてしまい、結果ロープが緩んで落ちてしまう。蹴り倒した椅子の脚にぶつけたのか脛に大きな切り傷ができた。結果、4時間くらい首を吊ろうと格闘していたけれど、今日も失敗してしまった。なんで死ねないのか。本当は死にたいと思っていないんじゃないかと自分で自分を疑いたくなる。セブンイレブンのカレーを夕食に食べた。薬も飲んだ。風呂も入った。母親にブログのURLを送った。この調子だとまたすぐに首を吊ってしまいそうだったから。最近Twitterとかネットで自死で子供を失った人の言葉を良く見る。理由がわからなくて途方に暮れていることが多い。せめて理由…というか、どういう気持ちで生きていたのか、どう苦しんでいたのかだけでも残してあげたいと思った。

 

2.惨め

何度も首を吊っては失敗している。何度も体がびくびくと痙攣して暴れ、その度にロープから慌てて首を抜いてしまう。今の部屋の中には上手に首を吊れる場所が無い。ロープの縛り方も甘いみたいだ。まるで、僅かに生きる可能性を自分で作っているみたいで惨めだ。

首を吊って、失敗して、動画見て、また首吊って、失敗して、動画見て。そうこうしているうちに日が暮れてしまった。気持ちの良い夜風に涙が滲む。

また両親を悲しませている。両親を悲しませたくてこんなことをしているわけじゃない。誰も悲しませたくなんかない。どうして人が死ぬと人は悲しむのだろう。人は死ぬものだし、悲しむ必要なんてないのに。7年前に書いた「Angry Blue」という創作物の中でそんなようなことを書いた記憶がある。

ふとやって来る自殺願望。もう見慣れたものだけれど、病気になってから、行動に結びつきやすくなっている。だんだんと慣れていってしまう。「これくらいなら死なない」みたいなのが見つかりそうで怖い。

幸せにも不幸にもなりたいわけじゃなくて、ただ嫌になってしまうだけ。

頼むから自分の「嫌」が、他人の不幸になりませんように。

 

次回

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適応障害と診断されまして… vol.60

適応障害と診断されて179日目(4月11日)にこの記事を書いています。1週間ごとのペースを先週で崩してしまいました。が、とりあえず3月末で復職1か月経過ということなので、ひとまず私も安心しております。

 

前回

eishiminato.hatenablog.com

 

前回の記事では、復職後初の夜勤前後の内容が大部分を占めていました。

 

 

1.カレンダー

適応障害と診断されて…/復職して…

 

165日目/休み

日曜日。朝はゆっくり過ごしつつ、ブログを書いて過ごす。昼前に買い物に出て、早めの昼食の後、クロチアゼパムを服用してみる。が、頭痛、眠気、手足の痺れといった副作用に襲われ、寝込む。電気の明かりもちょっと辛い感じ。夕方起きてから夕食を食べ、ブログ執筆を再開。色々と調べてみたが、交感神経過多でも副交感神経過多でも頭痛は生じるよう。特に、光が苦しい現象はどちらかと言うと、副交感神経過多のときの症状らしい。おそらくはクロチアゼパム服用により、交感神経が著しく抑制されたことが、副作用が強く出た原因と思われる。また、色々と勉強し直していく必要がありそう。

 

166日目/19日目

月曜日。朝からちょっと動機や息苦しさを感じる。頭痛もややあったので、出社後9時ごろに職場でクロチアゼパムを服用してみる。1~2時間後くらいから効果が出始めて、動悸や息苦しさが緩和されたような感じがある。頭痛も無い。しかし、どうも気持ちが上がらず、頭もぼんやりとする。苦しみも少ないけれど、元気や活力といったものもないため、何だか「これで良いのだろうか」という感じ。夕方ごろにようやく頭痛が出始め、それとともに少しずつ活力も戻って来る。苦しいときはクロチアゼパムに頼るのはありだけれど、むやみに乱用するものでもない気がしてきた。それは今服薬しているロフラゼプ酸エチルも一緒か。帰宅後は動画など観つつも、転職サイト2つに登録をしてみた。本当に転職するかどうかは置いておくとして、色々と人生の選択肢を模索するのもありかもしれない。

 

167日目/20日目

火曜日。久しぶの夜間覚醒があり、夢を沢山見た。クロチアゼパムの離脱作用かもと推定。が、朝はいつもより1時間程度遅く出勤したおかげで、頭痛や動悸はほぼ無く、どちらかと言えば調子の良い1日のスタート。怒っている上司と絡むタイミングがあり、少し気分を害される。しかし、すぐにトイレに避難し、事なきを得る。業務にはいい塩梅で集中でき、最後までほぼ頭痛は出なかった。帰宅後、転職会社に送るための履歴書を作成したり、両親と電話しながら人生設計に関する相談。日々の頭痛の原因は、飲み続けているロフラゼプ酸エチルの離脱症状である可能性を考え、今日は1日服薬をやめてみる。お医者様には怒られそうだけれど、頭痛の原因が薬によるところが大きいのであれば、本末転倒なので試してみる価値ありと判断。前回勝手に断薬したときは、一気にやめたせいで離脱症状が強く出たので、3日に1回抜くくらいから始めてみようと思う。

 

168日目/21日目

水曜日。前夜に薬を飲まなかったせいで案の定夜間覚醒があった。特に4時に目が覚めたときは、そこからしばらく寝付けなかったので、若干の寝不足感。でも、朝に起きたときには徐々に気分が高まっていき、軽い躁状態に。仕事にはいつもより1時間遅く行く予定だったけれど、出社前には躁が行き過ぎてちょっと動悸が出始めてしまった。なので、軽くマッサージと瞑想をしてから出社。出社後頭痛が出始め、躁が消え、軽い抑うつ状態に。昼休憩で少し持ち直し、また躁になりかけそうだったのを何とか食い止める午後だった。帰宅してすぐに転職サイトから電話があり、電話面談の日取りを決める。その後、Twitterをしているうちに、復職して1か月が経ったことに思い至る。復職1か月記念にこのブログについてツイートしてくれていた方に「いいね」をつけて回った。実はずっとエゴサーチはしてました。本当に励みになっていました。この場を借りてお礼申し上げます。

 

169日目/22日目

木曜日。夜間覚醒があり、3時ごろから1時間弱の間眠れなかった。その割には、調子は悪くなく、朝も頭痛は出ず、若干の動悸のみ。午前中は1時間ごとに休憩を取る中で、徐々にアクセルを踏んでいき、せかせかしない程度でバランスを保つことができた。特に、1時間ごとにできたことを休憩中に振り返り、自分を褒めてあげることで、仕事のストレス⇒アドレナリン⇒業務達成⇒ドーパミンという流れを作りつつ、達成感から安心できるのは今の自分に合っていると感じる。やはり幸福・快楽ホルモンであるドーパミンを出してあげることも大切なのだと実感。そして、リラックスも忘れずに。今日は色々とできる業務も増えたし、先輩の役にも経てたのでなかなか充実した1日だった。が、帰宅後に転職サイトの人と電話面談し、最初は良い感じで話が進んでいたのが、病気休職のことを伝えた途端「あっ…じゃあ、厳しいっす」みたいな感じになってしまった。やはり社会はそう甘いものではないと実感。せっかく沢山話を聞いてもらったのに、ご期待に沿えず申し訳ないです…ま、でも相手もそれが仕事だしね。転職の温度感や世界観がわかって、今日も1つ成長。

 

170日目/23日目

金曜日。朝から若干の抑うつ感があるも、頭痛や動悸はほぼなし。ただ抑うつ感のせいで元気が出てこなかったので、朝食のバナナ・ヨーグルト・コンソメスープをゆっくりと食べ、ハヌマーンの「幸福のしっぽ」を聴いて少し気持ちを和らげる。出社後、朝から上司が怒っていて、巻き込み事故のような形で教育を受ける。勉強にはなったが、気持ちが引き摺られてしまい吐気の症状。やはり「上司が機嫌悪い」という環境が大きなストレスになっているようなので、これをプラスの認知に変えつつ、また反応としてリラックス状態が現れるように「ストレス→深呼吸」のように反応のルーティン化を図っていきたい。その後数時間吐気が収まらなかったので、頓服薬のクロチアゼパムを服用。昼休憩中に効き始め眠気や手足の痺れが出るも、午後からの業務をやるにあたってバリアを張ることができた。薬で抑制している分、意識してリラックスせずとも調子を崩さないので楽ではあるけれど、気分が上がらないので何とも言い難い。退社後、他箇所で勤務している先輩とカフェへ(貸していたものを返してもらうついで)。1時間弱話したけれど、先輩の方がよっぽどストレスを溜めて良そうだった。無理せずに、という言葉をかけたけれど、病気になっていない人には精神病のリスクがきっとわからないのだと思う。そして、薬も飲まず、入眠のルーティンもせず、ちょっと夜更かしして就寝。あえて負荷のかかったままの状況で夜を過ごすことで、心と体の柔軟性をつけていきたい。

 

171日目/休み

土曜日。朝から診察。先週新しく処方してもらったクロチアゼパムを服用して、頭痛や手足の痺れが出る日もあったことを伝えるとお医者様はやめた方が良いかもと難色を示すも、これ以上弱い薬が無いので、とりあえずお守りのために継続して服薬することに。実際効くは効くのであると心強いので助かる。診察の後は少し早めにラーメンを食べ、転職サイトの方と直接面談。9月ぐらいから本格的に開始させたい旨を話し、とりあえず6月くらいまでは業界や職種について勉強するということに。色々と情報を逐次くれるそうなので心強い。帰宅後、また別の転職サイトの方と電話面談。ここではピンポイントで企業を紹介してもらい、それが学生時代の研究内容にかなり近い事業を行っている会社なのでとても惹かれる。前向きに検討するということで面談終了。その後、疲れが出たのか夕方にがっつり昼寝。夜には両親と電話して、とりあえず惹かれた企業に転職しようと考えている旨を伝える。電話の中で大学の教授に何か情報を知らないか聞いたみたらというアドバイスを貰い、電話が終わった後、メールを送ってみる。今日も少し夜更かしをした。

 

172日目/休み

日曜日。昨日の疲れが出たのか、朝から元気が出ない。動画を観たりして朝をだらだらと過ごし、そのまま何もする気が起きず、早めの昼食を食べて昼寝。教授から返って来たメールに返信したり、転職サイトの登録をしたり、職務経歴書を書いたり、ブログを書いたりしたかったけれど、今日は何もする気が起きなかったので全部諦める。夕方まで寝たり起きたりを繰り返し、5時くらいから夕食がてら1時間程度散歩に出かける。久しぶりにsora tob sakanaのアルバムを聴き、何だか悲しくなり久しぶりに希死念慮を感じる。金・土と蔑ろにしていた夜のルーティンを行い、翌日の夜勤に備える。

 

173日目/24日目

月曜日。朝から心身ともにかなり不調。休憩を挟みながらも何とか勤務を続けるも、自分でも不安になるくらい抑うつ感が強い。Twitterに気持ちを吐きだそうと思っても、言葉が湧いて来ない。お喋りな自分にとっては結構な異常事態。この日は夜勤もあり、夜勤前に3時間以上の休憩時間もあるけれど、結局30分も眠ることができなかった。その代わりに、希死念慮に襲われ、身近な人の死を体験した人たちの掲示板に書き込まれたメッセージを読みながら仮眠室で1時間近く涙を流す。夜勤が終わったら死んで良いんだ、と決めて夜勤に臨む。

 

174日目/25日目

火曜日。夜勤自体はかなり強い抑うつ感や頭痛などに苛まれたものの何とか乗り切れた。上司から「早く帰って休め」と声をかけてもらい、残業せずに早めに帰る。そのまま死にたかったけれど、疲れと急な食欲に襲われ、結局コンビニで買ったラーメンを食べて寝る。昼頃起床。お菓子を食べては動画を観ながら寝てを繰り返し、まるで発病当初の生活だなと思う。夕食後、だらだらと過ごしながら希死念慮を育てる。風呂で体を綺麗にし、床に放り投げて山積みになっていた洗濯物を片付け、アイロンもかける。すっきりしたし死のうと思い、ドアノブにロープを括りつけ首を吊ってみるも、途中で馬鹿らしくなってやめてしまう。きっと今日じゃない。希死念慮を抱えながら眠る。

 

175日目/26日目

水曜日。朝からやはり強い抑うつ感。シャワーを浴びながら一瞬泣きそうになるけれど、泣くのも疲れるので泣かなかった。もはや頭痛や吐気、眩暈は常時化しており、苦しいのが当たり前みたいになってしまっている。気持ちが死んだまま出勤し、とりあえず仕事を進める。10時半頃に、頓服薬のクロチアゼパムを飲む。昼休憩暗いから少しずつ元気が湧いてきて、マッサージと瞑想の効果もあってか抑うつ感はだいぶ小さくなる。日曜以来、久しぶりに水面に出て来て息を吸えた感じがあるも、未だ荒波の中で流木につかまっているような状態。それでも何とか仕事をこなしつつ、1時間半の残業。昼間はクロチアゼパムで抑うつ感を少し緩和し、おそらく夕方頃に薬が切れたことによる軽い躁状態になったことも残業ができた一因か。久しぶりに入眠ルーティンをしっかりとできた。体重が1週間で1kg弱落ちている。

 

176日目/27日目

木曜日。徐々に抑うつ感が弱まって来て助かる。頭痛・吐気・眩暈は軽くデフォルトであるけれど、中途覚醒もなかったし、治っているんだか治っていないんだか。苦手な上司がかなりのストレッサーになっていることを自覚する日々。この根本的な問題を解決しない事には職場での安寧は無いと思う。が、徐々にこの会社で働いていくことが嫌になっている自分に気付く。本格的に転職活動を始めたいと思うも、今の体調ではなかなか転職活動のための時間を確保することが難しい。ちなみに今日はクロチアゼパムを頓服せずに済んだ。今日はもうこれだけでも成果として考えて良いんじゃなかろうか。そんな感じの1日。

 

177日目/28日目

金曜日。朝から強い頭痛と眩暈がある。おそらく抑うつ感もあると思われるがそれよりも具体体な体調不良の方が強くあまり気にならない。30分遅めに出勤するも、電車の遅延で結局1時間遅い出勤となった。体調が優れないので出社後すぐにクロチアゼパムを服用。その後、きりきりと突き刺すような頭痛に耐えつつ業務を行うも痛みで業務に集中できない。朝の内から上司には「体調が思わしくなく、頓服薬も飲んだけれど復調しなければ午後半休をお願いしたい」旨を伝える。何とかその日のうちにしなければいけない仕事を午前中のうちに終わらせられたので、昼休憩前に午後半休の決断。2週間前にも1回やっているので最早手慣れたもの。悔しさもあるが、早々に心が折れてしまったのが良いのか悪いのか。中学や高校のときに学校を早退したり部活をサボったりした記憶が蘇る。きっと良くない方向に進んでいるんだろう。帰宅後、しばらく動画を観たりして過ごしたものの、急に疲れと睡魔に襲われて19時過ぎまで眠る。そこからまただらだらと過してしまい、結局寝たのは2時近くだった。

 

178日目/休み

土曜日。起きたのは9時頃。色々な夢を見たが内容はあまり思い出せない。11時半から診察があったので、少しゆっくり過ごした後に寮を出る。診察後、ラーメンを食べ、CDと本と食料品を勝手帰る。数日前から観始めたアニメ「この音とまれ!」を観切る。何度も涙が出た。最近とても涙もろくなっている気がする。強い眠気に襲われて3時間近く昼寝をする。夕飯を食べ、漫画「プラチナエンド」を読み切る。この冬お世話になった加湿器をようやく洗い、買ったCDをPCに取り込みながら両親と電話。やはり転職したい旨を伝える。賛同してくれて嬉しかった。あとは今めちゃくちゃ辛いということも理解してもらった。何とか転職できるまでのらりくらりで乗り切ろう。

 

2.カレンダーまとめ

2週間分の内容になるので少し盛りだくさんな気もしますが、大まかに言うのであれば、新たに「クロチアゼパム」という頓服薬を飲むようになり、転職活動を始め、少し体調が悪くなりつつあり、希死念慮がぶり返して来たという感じでしょうか。

私の希望としては減薬していきたいのですが、どうも薬を飲んだり飲まなかったりという状態は体調を不安定にするような感じがあります。なので、やはり「毎日のロフラゼプ酸エチル」と「厳しくなった時のクロチアゼパム」という2本柱で継続的にやっていくのが今の私には必要そうです。ストレス→頭痛→頭痛がストレス、という悪循環にはかなり嫌気が刺していて、こんな風に負のループが続いているとだんだんとすべてを投げ出して死んでしまいたくなります。が、そんな頭痛にも慣れつつあるという現状。日々、少しずつ疲労が蓄積している感じもあり、それが限界に来ると半休を使ってしまうというのが今の私です。

そんな私にとって希望となっているのは「転職」です。今の職は夜勤があるのが何よりもネックではあるのですが、それに加えて病気を経て見つめ直した人生観を踏まえると、やはり「転職」というのは必要そうな気がするのです。また環境を変えるのは大きなストレスになると思われますが、それでも今のこの会社で働いていく未来を考えたときに、そのことがストレスにもなっているのも事実です。なので、もう逃げてしまいたいという想いが強くなってきました。転職活動がうまく行くかはわかりませんし、仮に転職したとしてそれが私の心身に良い影響をもたらしてくれるのかはわかりません。先々のことを考えるとやはり不安を感じますし、転職活動も正直疲れます。したがって、今の私にとって「転職」は希望でありながらも、私を追い詰めるナイフの切っ先のようなものでもあります。

煩悶。

今の会社はかなり底力のある会社で、よほどのことが無い限り退職させられることはないでしょう。福利厚生も手厚いし、将来的にはなかなか良いお給料を貰えるようにもなるはずです。しかし、私にはこの会社で「良いなぁ」と思えるキャリアプランを描くことができなくなってしまいました。そのことを自覚すると、もはや「こんなところにいる意味はない」のであり、「早く逃げたい」という想いばかりが強くなってきます。そして、何といってもこの会社に留まっていることが私にとっては「リスク」なのだと思うようになってしまいました。どうしても縁を切ることができない夜勤。数年周期での転勤。年を追って大きくなる責任と、求められる会社への献身性。入社前は「夜勤」も「転勤」も「責任」も、私にとっては人生のスパイスのようなものであると考えていましたが、今の私にはそれらは単なる「リスク」のようにしか思えなくなってしまいました。

だから、転職を考えました。しかしながら、転職した先でも当然真面目に働くことは求められますし、どれだけ事前に調べようとももっと劣悪な労働環境になってしまう可能性もあります。今の会社ほどの安定性やお給料というのは見込めないでしょう。一般的に考えれば、今の会社に留まる方が絶対的に「おいしい」はずなのです。それでも、私は「転職」をしようとしている。ただ現状から逃げたいだけなのか、それとも私はちゃんと冷静に自分のQOL(Quality Of Life)を評価できているのか。こればっかりは未来の要素が多分に含まれるため、どうしても博打的な面が出てしまいますよね。本当に悩みます。

そして、さらに私を追い込んでいるのはタイムリミットです。

私はもう初めての会社で4年目社員になってしまいました。その間に積み上げてきたことは、一般的なスキルとは言えず、具体的なスキルや知識というのはこの会社の中でしか通用しないものです。転職したいと考えても、今の私が他の会社で流用できるスキルと言えば、「報連相を速やかに行う」とかそれくらいのものです。ほぼほぼ終身雇用のような現在の会社で生きていくと腹を括れれば、まぁ何も問題はないのですが、私はこの会社でのキャリアプランをもう描くことができなくなってきています。というのも、尊敬する上司や先輩というのはいても、「自分もこうなりなたい!」とは思えないからです。ピーターパン・シンドロームみたいに「自分はずっとこのままで良い」と思ってしまうのです。大人になるのって大変。それと同じで、出世するのって大変。何も良いことなんてない。そう思ってしまうのです。

もし人生の舵を切るのであれば、今がぎりぎりのタイミングかもしれません。もともと私は理系出身ですから、やはり手に職…ではないですが、より汎用性の高い技術や知識を身に着け、それを頼りにして生きていく方が良いのではないかと思うようになりました。時間が経てば経つほどに大学時代に身に着けたものは風化していくでしょうし、私の伸びしろというものも狭まっていきます。となれば、なるべく早いタイミングで舵を切り、社会人として1からやり直すべきだという風に思います。

でも、今はまだ体調もなかなか安定しない日々を過ごしています。転職活動をするための余裕もだんだんと失くなってきています。まぁ、こんなブログを書いていないでさっさと転職活動を進めろ!ということなんでしょうが、こうして私は自分の考えを文字にしないことには、自分でも自分の心が見定められないので許してください。そう考えると(これは完全な、不完全な言い訳です)、このブログを書いている時間もまた私にとっては転職活動の一環と言えるかもしれません。

さて、転職の事は一旦おいておきましょう。章を分けて、最近私の中に渦巻いている希死念慮について今回は書いていきたいと思います。

 

3.自殺願望と希死念慮

このブログでは結構前から、私は「希死願望」という言葉を使って来たように思います。が、「希死願望」ってよくよく考えてみたら「頭痛が痛い」みたいな意味の重複がありますね。Twitterなどをやるようになってから「希死念慮」という言葉の方をよく目にするようになり、正しくは「希死念慮」なのだろうなと気がつきました。

ただネットでざっと調べると「自殺願望」という言葉と「希死念慮」という言葉はちょっと意味が違うそうです。「自殺願望」よりも「希死念慮」の方が漠然としたもののようです。「自殺願望」の方が差し迫った具体的な切迫感があり、「希死念慮」の方がじわじわと根から腐っていくような感じのするものだと私は捉えています。どちらも辛いものであることには変わりませんし、私自身、自分の中に渦巻く感情を呼称する際に「自殺願望」の方が適切なのか「希死念慮」の方が適切なのかよくわからない部分があります。

夜勤前に仮眠室で涙を流していたときは、とにかく逃げ出したいという想いが強かったので、あれは自殺願望かな。

部屋の明かりも点けられずに、ベッドの中で頭痛を抱えているときのは希死念慮かな。

でも、出勤時の電車の中で感じるぼんやりとした「もう疲れた。逃げ出したい」という感情は自殺願望と希死念慮のどちらだろう。

よくわかりません。

というのも、両者はたぶん根本的には同じ人物だからでしょう。私の場合、彼は「疲弊感」に手を引かれてやって来ることが多いです。そして、彼は懐から「人生というのはかくかくしかじかという風に虚無的なものであり、このまま生きていくのはお辛いでしょう」とさも素敵な商品を勧めるかのように、私を死に導こうとしてきます。

 

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疲弊→希死→自殺企図

<疲弊さん>

ほらほら、もう疲れたでしょう。前進も後退もこりごりでしょう。一応ですね、皆様にはこういう別の人生プランというのもお話はさせていただいているんです。しかしながらですね、そんな風に別の人生プランをご購入された方も結局はまた私がお世話をしなければならなくなってしまうことが多いんですよ。ですからね、今日は特別な方をご紹介させていただこうと思いまして。

 

希死念慮さん(あるいは自殺願望さん)>

初めまして…って、冗談ですよ。何度かお目にかかったことがありましたね。貴方がお求めのものはわかっておりますよ。でも、改めて私がご用意するプランについてご説明させてくださいね。まぁ、あなた様も既にご存じの通り、人生というのは疲弊感というのがつきものでして…疲弊さん、そんな得意げに笑わないで。まぁ、疲弊さんもああいう方ですからね。こちらの都合は関係なしでドアを突き破って来るような方なのはご存じでしょう。というわけで、結局どのような人生プランを歩もうとも、疲弊さんからは逃げきれないのですよ。でも、たった1つ私がご紹介するプランだけは確実です。

 

<私>

わかってますよ。もう買うって決めてたんです。はやく物を。

 

…そんな感じで私は何度も何度も死にたくなるのです。

ある時は自殺願望のように明確な意思を持って、ある時は希死念慮のようにじわじわと。2度も自殺未遂をしている私にとっては、もう「希死念慮さん(あるいは自殺願望さん)」の用意している商品に対する拒絶感というのはかなり小さくなってしまっています。ゴミ箱に入り損ねた紙屑のように、ずっと視界の中にはあって、あとは重い腰を上げてそれを取りに行くだけ…そんな状態にすぐになってしまいがちです。

なので、私ができる最も「死なないため」にできることは「疲れないこと」なんだと思います。まだまだ私は「疲れるくらいなら死んで楽になりたい」と考えてしまう人間です。

 

お絵描きをしたりなんだりで何が言いたいかわからなくなってきましたが、つまるところ私にとっては「前向き」とか「後向き」とかそういう考え方は適切でないということです。「人生、生きていれば良いことあるよ」とか、「もっと気楽に」とか、「そんな物事の悪いところばかり見ていないで、良いところも見ていこうよ」」とか、そういう言葉はほぼほぼ何の効力も持ちません。

なぜなら私は後ろ向きなことばかり考えて辛いのではなく、ただただ疲れてしまって、生きていたくないだけなんですから。前進も後退も疲れるんですよ。その場で立っているだけでも疲れてしまうんです。体力測定のシャトルランと一緒です。さっさとやめるのが一番得だと考えてしまうような人間なのです。

 

でも、こんな私でもまだどうしてか生きているんですよね。何を期待しているのか自分でもよくわかりません。でも、生きているうちは何か打開策もあるはず。

まずは疲れないためにできることを何でもかんでもやってみたいと思います。とりあえず疲れさえしなければ、私は「死」という安直な解決策に飛びつく必要性も下がるはずです。では、疲れない人生ってなんでしょう?

それはまだわかりません。けれど、少なくとも、私はこのままの生活をしていたら、どんどん疲れていってしまう。だからこそ、私は逃げたいと思います。

疲れない世界。そんなものがあるのかはわかりませんが、完全に疲れ切ってしまう前に、疲れない程度にそんな世界を探してみたいと思います。あるいは、自分で少しずつ作り上げていきたいと思います。そして、おそらくは私がこんなに疲れてしまう原因の大部分は私自身にあるはずなのです。であれば、私自身を変えるか、それか疲れやすい自分にあった生き方を見いだせれば、だいぶ疲れなくて済むようになるはずです。

今のところ、それは「転職」という形で私の目の前に姿を見せている気がします。なんとか疲れない程度の頑張りで、そのチャンスを掴みたいと思います。

 

うん。自分でも何を言っているかわからなくなってきました。でも、これだけは言えます。

もう疲れたくない!

 

4.最後に…

なんかだいぶ混乱している気がします。

今回の記事は正直、今すぐにでも消してしまいたいくらいの駄文です。

でも、これも1つの記録なのだと思い、残すことにしました。

文章すらまともに書けなくなりつつあるのでしょうか。とても悔しいです。まぁ、これまでもまともに書けていたという自信もあまりないので、別にいいか。

 

次回

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